7-01『決戦前夜Ⅰ』
「――アスタ?」
「ん……」
名前を呼びかけられ、文字列に没頭していた意識を浮上させる。
顔を上げれば、そこには少し呆れた表情の、レヴィ=ガードナーの姿。
「そんな、床に座り込んで。椅子くらい使いなさいよ」
「ん……ああ。いや、でもここの、基本的に持ち出し禁止だろ?」
「ああ、気を遣ってくれてたってわけ? まあそうだけど、どうせ今は誰もいないし」
「それもそうだけどな……ん、んんー……っ!」
立ち上がり、凝った関節を伸ばして解す。
手に持っていた一冊を棚に戻し、それからレヴィを振り返った。
「なんか面白いものはあった?」
「……どうかな」
言いながら改めて室内を見回す。
視点による問いだ。魔術師が見てつまらないものなどないと言ってもいい。
ただ、今の俺に必要かと問われれば、さて、どうだっただろう。
学院禁書庫。
オーステリアの――ひいてはガードナーの財産であり、当初の俺はここを目的に学院へ入学したようなものだ。
この禁書庫になら呪いを解くヒントがあるかもしれないと、そう踏んでいたわけである。
結果から言ってしまえば、こうして自由に立ち入れるようになった今、もう解呪は終わっている。
そう考えると皮肉にも感じられるが、俺の呪いを解く文字通りの《鍵》が、目の前に立つ彼女だったというのだから、わからないものだとも言えよう。
この街へ来て、この学院へ入学しなければ――レヴィと出会うことだってなかったのだから。
「てか何を読んでたの? ……『暗黒時代の謎』って、何これ。歴史書っぽい、って言うとニュアンス違う気もする題だけど」
ちょうど俺が棚へ仕舞った一冊の、背表紙を見てレヴィは言う。
「ああ、それか。なんとなく手に取っただけだけど」
「ふぅん……えっこれ、閲覧権限が最上級指定になってる」
「てか、レヴィもあんま禁書庫には入ったことないのか」
「そりゃね。それに、ここ一冊一冊の価値が尋常じゃないから、立ち入りと閲覧で権限レベルに差があるし。アスタも、許可はあげたけど、ウチの宝物庫だってわかっておいてよ」
「心得てるよ。ま、俺がここの知識を持ち出せること、ほぼないと思うけどな。印刻しか使えんのだから」
「かもしれないけどね」
軽く肩を竦めて、レヴィは苦笑する。
俺は「興味があったらあとで読んでみたらいい」とだけ伝えて、禁書庫の出口へと向かっていく。
「もういいの?」
背後をついてきたレヴィに、頷きを返す。
「ああ。こっからヒントを取ろうと思ったら時間がかかりすぎるからな」
……これから。
この夜が明けたら、俺たちは敵――すなわち《七曜教団》の首魁である《日輪》の本拠地へと向かう。
この世界における最大の伝説。
かつての御伽噺の英雄――《一番目の魔法使い》が待ち受ける空間へ。
その位置を割り出すためのキーは、姉貴が残した魔晶石。
内部に込められた魔力から残滓を抽出し、その《縁》で以て奴の居場所を突き止める。
縁――《つながり》を辿る、魔術における探知の基礎であり、その究極難易度版と言っていいだろう。
レヴィに禁書庫を借りたのは、その精度を上げるヒントを探すため、というのがまあ建前だったのだが……。
「じゃあ、どうするわけ?」
「決まってんだろ。――ぶっつけ本番でいこう」
そう言ってのけた俺に、レヴィは呆れた表情を返す。
「結局それか……。そんな気はしてたけど」
「さすが。いつも通り勘がいいな」
「なーに言ってんだか。これから決戦だってのに、舞台に上がる前から賭けだなんて、締まらないでしょ」
「まあ安心しろ。――そこも含めていつも通りだ」
「ますます不安になったけど」
そういうレヴィの表情は、けれど言葉に反して晴れやかだった。
その程度の信頼は、俺も勝ち得ていると思って――まあ、いいということなのだろう。
「……いいんだな?」
彼女の信頼を確信した上で。
その覚悟を、確かに知っている上で。
それでも俺は彼女に問う。
「ほぼ決死行だ。片道の切符すら保証がないのは今言った通り。何が待ってるかなんてわかりゃしない。たとえ勝っても報酬どころか、生還すら約束してやれねえ」
「……だね。ガードナーの人間として、本当ならそれに乗っちゃいけないのかもしれない」
レヴィは、薄く笑みを浮かべて俺の言葉にそう答えた。
怒らせるか呆れられるか、反応は何通りか予想していた俺だったが、そのどれとも違う答え。
「降りても責めないぜ。それぞれ、背負ってるモンは違うんだ」
「ふぅん。いつになく優しいこと言うじゃん?」
「……てっきり怒るかと思ったけどな。馬鹿にするな、覚悟はある、とかで」
「それわかってて訊いてくる奴に?」
「オーケー、愚問だった」
「別に。あんたの立場なら、まあ、訊かないわけにいかなかったでしょ」
ふう――とレヴィは、小さく吐息を零した。
揃って書庫を出る。
人のいない学院の廊下を歩く中、ふとレヴィは途中にあるひとつの教室へと入った。
俺もまた、その後ろに従って部屋の中へ。
「――いい学校だと思わない?」
「え?」
唐突な問いに、一瞬だけ答えに詰まった。
わずかに寂しげに、けれどそれ以上に明らかな誇らしさを湛えた瞳が、無人の学院を見つめている。
「ああ……、確かにいい学校だったよ。授業についてくのは大変だったがな」
「あっはは! 伝説の冒険者が、学院じゃ成績不良者だったっていうんだから笑えるよね」
「ばっか、お前。実力者がそれを隠して潜んでるっつータイプのロマンが、」
「いやあんた普通に実技最悪だったでしょ」
「……まあそうなんですけれども」
言っちゃったしね、ついてくのが大変だったって普通に。
いやでもー、俺が得意なのはー、この学院では評価されないところですからねー。
……なんつって。実は気にもしちゃいない。
この学校で過ごした日々は、目まぐるしいここ最近を抜きにしたって――ああ確かに楽しかったのだから。
今の俺なら、それを素直に認められる。
「笑える話だよな。キュオが死んで、腐ってた間もずっと……結局のところ俺は楽しんでたんだ。その自覚がなかっただけでさ」
振り返れば、それは俺の人生にはほぼなかったと言っていい平穏な一年間だった。
そりゃ、その間だっていくつかの事件はあった。そういう意味では、この世界は全体的に退屈しない。
ただそれでも――、
「転移してからの七年間、ほとんどずっと、自分で言うのもなんだが激動の人生だった」
「異世界から転移してきた時点で、激動過ぎるからね、そりゃあ」
「言えてら。でも、ま、そういう意味では……この学院で過ごしたのは、俺にとって久々の日常だったんだ」
それこそ本当に――地球を去ってから初めての。
なのに自覚もなかったなんて、今にして思えばあまりにももったいなかった。
キュオなら、きっと言ってくれたのに。
――楽しみなよ、ってさ。
「ありがとね、――アスタ」
「あ? なんだよ急に」
ふと告げられた感謝の言葉に、居心地が悪くなって俺は言う。
レヴィは苦笑だった。俺たちの関係性に、そんな湿っぽさはいらないだろうに。
「いや、今のうちに言っとこうと思って」
「やめとけ、縁起でもねえ。そういうの俺の世界じゃ《死亡フラグ》って言うんだぜ」
「何それ?」
「『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ』って戦場で言う兵士」
「……ああ。確かにそれ、物語だとだいたい死ぬね」
楽しそうにレヴィは笑って。
それから。
「よーし。――この戦いが終わったら結婚するかー!」
「今の話の流れで自分から立てに行くか、お前?」
思わず反射で突っ込んだ俺に、レヴィは実に楽しそうな笑顔で。
「あはははっ! まあでも、必要なことだし? この学院にはそういう側面もあるの知ってるでしょ」
「あー……いやまあ、そりゃそうだが」
「てか、これアスタのせいだからね? 私がこんなこと言うようになったの」
「…………」
なんで俺のせい――と、返そうとしてふと気づく。
確かに。レヴィが自ら結婚相手を探すなど、きっと一年前じゃあり得なかった事態だ。
「はーあ……。そういう意味では、私ももったいないことしてたなー。これでも、私も割とモテてたんだけど」
「……そりゃお前はそうだろうが」
「そう? ありがと。アスタに言われるのは嬉しいな」
「へ? あ、おう……えと、」
「でも、そういうの自分には縁がない……結婚なんてきっとできないし、できても相手は選べないって、当たり前に考えちゃってたからさ。今まで結構、そういうの逃してきちゃってんだよね」
「…………」
「だけど、こうなったら欲も出てきた。――してみたいんだ」
「して、みたい……か」
「うん。――恋を」
多くの学院の生徒たちにとって、当然にあったこの場所の青春を、レヴィ=ガードナーは甘受できなかった。
けれど今、彼女は前に向きに、先へ続くものとして自らの人生を捉えている。――そうすることを、自分に許せているのだろう。
「……なんだかな。共犯者になったのは、お前に誘われたからだと思ってたが」
「何、それ」
「いや……そう聞くと、俺がお前を悪の道に引きずり込んだみたいに思えてくるなって」
「最初からそうでしょ? 私、学院一の優等生ですから」
「ぬかせ。……ははっ」
小さく笑う。
友人の――この街でできた共犯者の変化が、俺は心から嬉しく思えた。
「だからさ、――私はこの街を守りたい」
レヴィは言う。それはきっと、ガードナーという在り方から生じた言葉ではなく。
「ここにいる人を守りたい。それを揺るがすものと戦いたいって、私自身がそう思えてる」
「……ああ」
「俗物的っていうか、言ってみれば手のひら返しだけどさ。私は私が見過ごしてきたものの価値を知って、今さら自分で惜しくなってるだけなのかもしれないけど」
「いいだろ。何も悪いことじゃない」
「ん。――だから戦うよ」
戦うと、彼女は言った。
大切なものを、守れる強さを自分に課すと。
「この剣に誓って、――私は、私が守りたいものを守るために」
「ああ。――頼りにしてる、レヴィ=ガードナー」
※
祖母のところへ向かうと言ったレヴィと別れ、俺は一足先に学院を出ることに。
すると校門の辺りに、俺を待っていたかのような小さな人影を見つける。
「アスタっ」
「よう、アイリス。迎えに来てくれたのか?」
「ん」
見た目の幼さに反した敏捷性で、駆け寄ってくるアイリスの頭を撫でた。
俺の手を、わずかにはにかんだ表情で受け入れる愛らしい妹に、笑みを向けたまま俺は言った。
「早く寝なきゃダメだぜ? 明日は早い」
「ん。アスタも」
「俺もか。そりゃそうだ。でも、俺はもうちょっと用事があってな」
「?」
「大事な用さ。……それより、なあアイリス」
「うん」
「……もし明日、アイリスはオーステリアに残れって俺が言い出したらどうする?」
藍色の髪の少女の無垢な視線が、まっすぐに俺へと突き刺さる。
それを真正面から受け止める俺に、彼女は果たして。
「どうも……しない」
「……どうも、しない?」
「ん。……勝手に行くだけ。聞いて、ない」
「……なるほど。どうしよう、かわいい妹がグレてしまった」
「あく、えい、きょう」
「俺の!?」
「って言えって、言ってた」
「誰だそんなこと吹き込んだの……」
「きょーじゅ」
「悪・影・響!」
アイリスは最近、途轍もなくしたたかに成長してしまった雰囲気がある。
こりゃ将来が楽しみだ。もしいずれ、学院にでも入学する日が来たら大変なことになる。
周りが悪い知り合いばっかりで、お兄ちゃんはとても心配です。
「だって、アスタ、言った」
それでもアイリスは、俺をまっすぐに見つめたまま言う。
何度なく、俺は思わされるのだ。この瞳は、きっと死ぬまで裏切れないと。
「俺が言ったか?」
「ん。わがまま、言えって」
「…………」
「だから言う。困らせても、知らない」
「……そっか」
「だいいち」
「うん」
「アスタは、わがまま、言いすぎる」
「――――――――」
完全論破とはこのこと。
お疲れ様でした私の負けです。
「……ふへ」
と。そんなどうしようもない兄を見て、妹は静かに笑みを浮かべ。
「しかたがない、おにいちゃん、……だぜ」
「ああ、本当……よくできた妹だよ、アイリスは」
もう一度、今度は強めに頭を撫でてやる。
アイリスはふにゃふにゃと首を振って、俺からひょいと逃れて振り返り。
「先、帰ってる……ね」
「ん? おお。親父さんと待っててくれ」
「まかされた」
「おう」
「アスタも」
「ん?」
首を傾げた俺に、彼女はびしっと。
本当によくできた妹らしい、とどめの台詞を放つのだった。
「へんじは、しっかり」
返事のとてもしっかりした妹からの、そんなひと言に。
俺は天を仰いで、自らの情けなさを実感させられるほかにないのだった。
「ああ、もう……教育方針が成功しすぎちまったぜ」
いやまあ、アイリスは自らしっかり育った感が半端ではないが。
それでもまあ、悪影響を与えた身として、この程度の負け惜しみくらいは零しておかなければ。
――返事はしっかり。
なるほどそいつは大事なことだ。
これから俺が、どこに向かうのかもアイリスはわかっているのだろう。
とんでもなくいい女の子に育ちそうだね。
……さて。
「死亡フラグを、立てに行ってくるとしますかね、っと」




