6-38『終幕:伝説の幕引き』
――さして劇的な理由はなかったな、と今さらに振り返って思う。
特に理由はない。出逢ったときのことなど覚えていないし、いつ親しくなったのかなんて忘れている。
ただ、気づいた頃にはいっしょだったから、それを当たり前だと今も思っているだけ。自分の命は彼女のために使うと決めているし、そのことに何か特別な意味を求めていない。彼女が望む限り、それをしていようと思うだけだ。
「シグは強くて格好いいねっ!」
彼女は言った。彼女の言うことは滅茶苦茶で、突拍子もなくて、でもだいたい合っている。
ならきっと彼女の言う通りなのだろう、と彼は思った。ならばその言葉を、間違いにしない者であろうと考えた。
そうした。
「うし。んじゃシグ、あと任せたよっ!」
――それは今だって変わらない。
※
「土台、四番目が死んだその瞬間から、君たちの崩壊は始まっていたということだろう」
魔女は語る。それは決まりきった天気予報を語るような無機質さでありながら、どこか寂しげな口調で抒情的に詩を謳い上げているようでもあった。
それを聞いているのはひとりの《魔導師》。彼は特段の反応を示すことはなく、ただ魔女を見つめていた。
「取り返しがつかない。君たちが取り返せるものはもう何もない。うん、この点については、まったくアルくんやリィくんたちが、よくやってくれたと思うよ」
「……セルエ」
男――ユゲル=ティラコニアは、魔女ノート=ケニュクスの言葉に取り合わず、背後の仲間に声をかけた。
ある意味では、それは最も残酷に響くだろう形で。
「前衛はお前に任せる」
「……ッ」
背後にいた女性――セルエ=マテノは、その言葉の意味するところを明確に悟っていた。
戦術としては当然だ。目の前の魔女はただでさえ、教授とあだ名される彼と同格だった魔術師だ。その上で魔人化しているとなれば、ふたりがかりでも勝てるかは怪しい。
七星旅団は強い。伝説であり、間違いなく最強の冒険者集団だった。
だが七曜教団においても、目の前の《月輪》を冠する魔女だけは初めからこちらと同格だった魔術師である。ユゲルとセルエの戦法から考えても、前に出るのがセルエであることに異論などない。
まして。今や神の力さえ宿している。すでに絶望的な戦場であることは疑いようもなかった。
だが。この場でそれを言うということは。
「……っ! シグ、先輩……」
返事はない。胸に大穴を空けて倒れ伏している男は、セルエに対しなんの反応も返さなかった。
致命傷であることに疑いはない。魔女が最も厄介と称した《最強》は、真正面からではない不意打ちに沈んでいる。
――ユゲルは、それを見捨てろとセルエに伝えていた。
「く……ッ!」
セルエは血が出るほどに奥歯を噛み締める。
わかっている。シグウェル=エレクに助かる見込みなどない。キュオネ=アルシオンという回復薬を失った七星旅団は、もはやシグの死という運命を覆す力を持たなかった。
そして間違いなく死ぬ者ならばすでに死者と同義であり、この状況で生者が意識を割くべき対象ではないのだ。
理解はできている。それができない彼女ではない。
――だからこその怒りが、口の端から血となって流れ出ていた。
「…………」
ユゲルにではない。あるいは下手人であるノートに対してですらななかった。
全ては、覚悟を揺るがせた自分に対してだ。
言いたくもない言葉をユゲルに吐かせ、責任を背負わせた。そんな甘さが許しがたい。
だから――。
「動きを止めます。私ごとで構いません」
「ああ」
その上で、さらにつらい役目を押しつけることを、堪らなく悔しく思うけれど。
それでも自分の役割は、きっと、ユゲルより先に死ぬことだから。
「お、ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああぁ――ッ!!」
吠えて、そしてセルエが体を揺らした。
たったそれだけの間に、彼女は魔女へと肉薄している。
「っ――だぁあッ!」
「――――!」
大気が震えるほどの勢いで、セルエの右足がノートを蹴り飛ばす。
反応などまるで間に合っておらず、ノートの体はそのまま上空へと浮かされてしまう。
だがダメージはない。驚いた表情は見せているものの、防御もせず鳩尾へ受けた一撃でその程度なのが異常ではあった。
構わず、セルエはさらに身を捻って、二連の蹴りでノートを弾き飛ばす。
一撃を顎に当て脳を揺らし、回転しながら重ねた二撃目がノートを上方向へと飛ばしていた。
「狼藉者とはよく言ったな……だが、」
単純な打撃で、今のノートを殺せるはずもない。
それが不可解ではあった。煽りでも余裕でもなくノートは思う。
目の前の女性が歴戦の冒険者であると知るからこそ、この程度で終わるはずがないと。
「だらァッ!!」
「――ふむ」
瞬間、セルエの体から黒い影――あるいは泥のような領域が伸びてきた。
漆黒の、質量を持った粘性の液体のようなものだ。それは巨大な狼のあぎとと化し、ノートに喰らいつく。
「いや、それは悪手だろう」
しかし噛みつかれてなおノートは揺るがない。
むしろ肉体ではなく、魔力によって接触地点を増やすなど、格上に対して大きな隙だ。
バチン、という風船が割れるのに似た、弾けるような音が響いた。
ノートの魔力がセルエに干渉し、逆探知するようにセルエの肉体へ攻性情報が流し込まれたのだ。
そのショックに、セルエの全身ががくんと振動する。全身から力が抜けていくのが誰の目にもわかるよう、セルエはだらりと手をぶら下げて前のめりに揺らめいた。
魔術による攻撃を脅威とせず、むしろ干渉の対象として逆手に取る、驚くべき魔女の実力。
呆気なく撃破したふたり目からは目を逸らし、ノートは最後のひとりであるユゲルへと視線を向けた。
直後、
「おっと。ちょっとあたしが邪魔するぜい?」
「――――ッ!?」
再び、黒い狼のあぎとがその噛みつきを強くする。
ノートの驚きは小さくない。セルエに対する魔力干渉が失敗していたからだ。
「危なかったけど間一髪ぅ! やーれやれ、セルエったらご同輩もいないところであたしを出すなんて本気でピンチって感じかなっ!?」
「……君、は……」
「名乗る名なんて、あんたも知ってるひとつしかないけど! さてさて、気を抜くにはまだ早いんじゃない? ――そぉらあぁっ!」
「ぐっ――」
ほぼ宙に浮かぶ状態だったノートの体が、狼のあぎとによって強引に下へと引っ張られる。
それはさながら、繋がれたチェーンで引っ張り合うデスマッチの如く。
「うらぁあっ!」
雑多な振りの拳が、引っ張って近づけたノートの肉体を地面へと叩きつけた。
大地の中へめり込むほどの勢いで、けれど魔女の肉体に傷はない。セルエはそれでも構わなかった。
「傷は負わなくても、影響そのものは受けるんだね」
「――そうか。君は……別人か」
魔力干渉が失敗した理由は、セルエの放つ魔力の質が急激に――まるで別人のもののように変化したからだ。
セルエ=マテノ。彼女が魔術的に人格を切り分ける術師であることは知っていた。だが、それはあくまで自分と言う一個に対する管理を複数の制御人格に分けているようなもの。
《水星》ドラルウァ=マークリウスが行う、他者を自分へ上書きする分心術とも意味が違うが――いずれにせよ。
自らの中に、自分ではない者を住まわせているとは魔女も思っていなかった。
「由来はどこだい? あまり前例のある事態では――」
「――うるさいよ」
ノートの顔面に、セルエの拳が振り下ろされる。
それも一度ではなく連続して。一切のダメージが与えられずとも、ノートをその場に抑え込むように。
連続する殴打の勢いで、地面が徐々に陥没していった。見ている限り、いっそ残酷とも言える光景の中で、けれどそれでも魔女は一切のダメージを負っていない。
ともあれ、この状態が続くだけでもノートには詰まされる可能性がある。
まだ行動に移っていないユゲルが、何かしらノートを打倒する術を考えているだろうからだ。
これ以上の時間稼ぎを、自由にさせ続ける必要はない。
魔力が別人のものに変わったのなら、それと知った上で再び干渉すればいい。
ゆえにノートは、何度目かに振り下ろされたセルエの腕を右手で掴み。
「あまり、女性の顔を何度も殴るものじゃないな」
その手を通じて魔力に――その魂の奥底へと干渉する。
肉体を内部から破壊する、それはいわば物理的な精神干渉。
ばちん、と――再びセルエの肉体で、その内部で魔力がぐちゃぐちゃに乱される。
「か、――ぷっ」
今度こそセルエは、その口の端から血を漏らした。
ノートが掴んでいる腕も、筋繊維が裂け、ぶちぶちと嫌な音を立てて崩壊していく。
だからそのままとどめを刺すべく、ノートは握っていた手を離し――、
「……?」
おかしい。なぜ、今、自分は手を離したのだろう。
まるでそれが自分の意志であるかのように、本来ならするはずのない行動を勝手に行っている――。
――ぽたり、と。
何かがノートの頬を濡らした。
血ではない。それは色がなく冷たい、ひと筋の涙だった。
「……、ごめんなさい」
涙を流しながら、セルエが謝罪を口にするのをノートは聞いていた。
自分に対して、では当然ないだろう。ならば、それはさきほど彼女の中にいた誰かに対する言葉なのか。
どういう意図か訊ねようとしたノート。その口を、気づけば彼女は固く閉ざしていた。
――精神干渉……! やろうとした行動とは逆を強制する魔術か……!
早々に術式を読み解くノートだが、不可解なのはそれ以前。そもそも二度目の魔力干渉も失敗している点だ。
失敗――否、本当に失敗していたのだろうか?
いや違う、そうではない。ノートの干渉は成功していた。現にセルエは傷を負っている。ならば、
「今まで――ありがとう」
「…………!」
セルエが呟いた言葉の意味など、ノートにわかるはずもなかった。
だが確信する。彼女は今、さきほど表出した人格を犠牲にして生き延びたのだ。
「セルエ=マテノ……君、は……っ」
「……命、ひとつ分を取ったんだから充分でしょう」
間違いない、とノートは確信する。
彼女は今、命を残機制とした。
自身に付加されている魂を犠牲とすることで、一度分の死を無効化する概念魔術――。
そして精神干渉。肉体的能力の高さに釣られて無視しがちだった、それはセルエ=マテノの魔術師としての能力。
さらに直後、ノートはセルエの背後に強い光を見た。
眩く、あらゆるものを包み込むほどに強大な魔力の輝き。
「……魔、弾……!」
「……シグ先輩を、誰だと思ってるワケ?」
その瞬間、セルエの腕がノートの喉に伸びた。
「か、ふ……っ!」
干渉力が戻っている。喉を締めることができるほどに。
なぜならば、その理由は至極単純で。
「明けない夜はない。――シグ先輩を甘く見るからそういうことになる」
「まさ、か……彼はッ!」
「決まってる。先輩は最強の冒険者だ」
そして。視界が、一面の光に満たされていき――。
「――空想の月を堕とすくらい、やれないはずがない」
ふたりの肉体が、天から落ちてきた月に呑み込まれた。
※
膨大な破壊のエネルギーの爆心地で、煙の中からひとりの女性が立ち上がった。
ノート=ケニュクスである。
その身体は、ほんのわずかだが負傷を追っていた。流れる血が腕を伝い、指を通って爪先から地面に滴る。
そんな光景を眺めている男――ユゲル=ティラコニアが、小さく、呟くように言葉を漏らした。
「それで死ねないとなると、いっそ不憫ですらあるな」
「……まあ、隕石を堕とされるのは初めてのことじゃないからね」
月落としの一撃さえ、魔女を殺すには至らない。
それは絶望的な事実だろう。
何より、すでにシグウェル=エレク、及びセルエ=マテノの両名はこの世にいない。
「セルエ=マテノの時間稼ぎ。シグウェル=エレクの最期の魔弾による月落とし。なるほど、夜を夜のまま――その象徴を壊すことで僕の不死性を解除したか」
「……任された仕事は死んでもこなすさ。そういう連中だよ――悪くない」
「どうかな。君のための時間稼ぎは、どうやら間に合わなかったみたいだけど」
この期に及んでユゲルが動き出さない理由を、ノートはそう結論づけて言った。
ユゲルは、それでもただまっすぐ魔女の姿を見つめていた。ゆえに、ノートは訊ねた。
「どうだい? 信じた仲間が潰えていく様を、何もできずに眺めている気分は」
彼女にしては珍しい、それは挑発の言葉だったのかもしれない。
その程度には、ノート=ケニュクスにとってユゲル=ティラコニアは意味のある相手だったのだろう。
そして。それを知ってか知らずしてか、果たしてユゲルは問いに答えた。
「そうだな……悪くはない」
「何……?」
「なにせ連中は、役目を果たしていったのだから」
「――ッ!!」
「その鮮烈からどうして目が離せる。どうして目を背けられると思う? それがわからないからお前は、」
――魔女なんだよ。
直後、ノートの首が飛んだ。
くるくると宙を舞う首からの視界で、ノートは背後に現れた者を確認する。
「おぉう、……お仲間さん」
「――――誰がよ」
七星旅団団長、マイア=プレイアス。
彼女が振り抜いた刀が、魔女の首を飛ばしていたのだ。
落ちる首を自らの手でキャッチし、それでも生きている魔女は言う。
「いや確かに。魔女がほかの魔女を同類と考えるのは、まあ馬鹿げているよね」
「――教授」
マイアはその言葉に取り合わなかった。
言葉を向けられ、ユゲルは静かにその片腕をノートへ向ける。
人差し指と親指を立て、それをノートの心臓へ向けて。
「終わりだ、ノート=ケニュクス。お前はここで連れていく」
「……なるほど。君に誘ってもらえるのは、初めてだ」
薄く笑う。最後のマイアの一撃で、ユゲルに対する防御と回避を封じられていた。
まったくこの旅団ときたら、なんの打ち合わせもなく息を合わせてくる。
「僕も少し嫉妬したくなる。君は結局、僕のことを最後まで見てはくれなかったんだから」
「それは悪かったな」
「本当だよ。――もっと早く言ってほしかった」
直後、淡く輝く逆十字の紋様がノートの胸に刻まれた。
それが仄かに炎へ変わる。――魔女を灼く業火。
全身を火炎に包まれながらも、その熱を感じさせない口調でノートは言う。
その首を、自らの手で再び戻して。
「魔女を灼く火か。これで僕を殺せると?」
「ああ。なにせこれはただ、お前を殺すためだけの術式だ」
「僕を――? ああ……」
ユゲルの言葉に、気づいたとばかりにノートは笑う。
――どうやら彼は、この期に及んでちゃんと自分を見てくれたらしい。
「新しい魔術を創ったってことだね」
「ああ。神の属性を得たお前に、既存の魔術は通じない。――ならこの世にない魔術を創る」
それが答えだ、と当たり前のようにユゲルは言う。
ノートは薄く笑った。ああ、まったく、簡単に言ってくれるものだ――。
「その魔術はノート=ケニュクスに対してのみ働くものだ。お前の魂をそのまま焼き焦がし――星の体内へ戻ることを否定する。お前は、もはや情報としてすら、この世界には遺らない」
「なるほど。僕の不死性への解答もきちんと出しているわけだね」
「魔人は裏側と繋がっているからな。それはお前も同じだろう。ならお前が死なないのは、裏側へ戻る魂を再び引き出しているからだ。――ならば」
「魂そのものを、この地上から消滅するまで焼いてしまえばいい」
小さく、焼き崩れながらノートは息を零す。
ユゲルの呼吸は荒い。全魔力をこの一撃に懸けていたのだろう。
魔術師としてはやってはならない選択だろう。倒れ行く仲間の援護もせず、一発外せば死が確定する魔術をその場で開発し、見事に当て切った。格上であるからこそ呆気なく勝つべきだとは、確か《紫煙》の言葉だったか。
「――三人か」
その上で、静かにノートは語る。
満足したような表情で。
「まあ、僕の戦果としては充分だろう」
「そうだな。……ごふっ」
びちゃり――と、咳き込むユゲルの口から血が滴った。
心臓を潰されているのだ。それが、魔女を殺した者に対する当然の報復呪詛だった。
「馬鹿だね。全ての魔力を使い切ったら抵抗できないだろう。それくらいわかっていたはずだ」
「……わからない女だな、お前も。言っただろう、連れていくとな」
「ん? ――ああ、そう……それは嬉しいね」
マイアは語らない。何も言わずに、沈痛な面持ちで目を伏せている。
だから、この場で言葉を交わすのはユゲルとノートだけだ。
「……最期に訊こう」
「何かな」
「お前は何を思ってこの行動に出た? 少なくとも、あの男がそれを命じたとは思えないが」
「ん? それは決まっているさ。僕は初めから、君たち全員を持っていくつもりだったよ。そんな必要はないなんて、あの《日輪》以外に言うはずがないだろう。配下として当然の行いさ」
「……健気なことだ。お前がそこまで尽くす女だとは知らなかった」
「知っていたら態度が変わったかな」
「馬鹿を言え――だが」
――悪くはない、と。
それだけを言って、ユゲル=ティラコニアは地に倒れ伏した。
その肉体が、直後にどぷりと沈んでいく。まるで地面に呑み込まれていくかのように。
「……ああ……そうそう」
そして。全身を消えない炎に焼かれながら、それでも苦悶さえ浮かべない魔女は。
背後の魔女へと振り返り、わずかに薄い笑みを浮かべながら言った。
「僕の役割はここまでだけれど、――最後にもうひとつ貰っていこう」
「……っ!」
目を瞠るマイア。その視線の先で、ノートが片腕を伸ばし――直後。
「――《竜星艦隊》ッ!」
「っ……!」
魔女の肉体は今度こそ、光に呑まれて消滅した。
咄嗟に視線を魔弾の発射先に移すと、そこには焦った表情の少女――メロの姿がある。
彼女は叫んだ。
「マイ姉……!」
「メロ――」
「――逃げて! 今すぐ、そこからっ!!」
「――――――――ッ!!」
次の瞬間、マイアは身を捻って、手に持っていた刀を背後へ振るった。
その刀が何かに激突する。ぱきん、と小さな音を立てて、その刀身がへし折れる。
「なっ、」
「――ああ。いい刀だったのにもったいない」
刀をその首筋に受けた男は、一切の傷を負わずに立っている。
否、違う。正確には刀は当たっていない。――当たる前に自ら折れたのだ。
まるでそういう運命であったかのように。
「それ、日本刀だろう? 実は結構ファンなんだ」
「…………っ」
「でも手入れはしっかりとね。運悪く、振っただけで折れてしまったみたいだ」
「……エドワード=クロスレガリス……!」
「うん、そうだね。それが、ぼくの名前だよ」
一番目の魔法使い。
運命の担い手。
かつて、世界を救った英雄。
日輪。
「…………」
その姿を、マイアは正面から見据えていた。
遠くから声が響く。
「マイ姉ぇ――っ!!」
悪いことをしたかもしれない。せめてメロだけは逃がしたいと思っていたのだが。
それでも、絶望にはまだあまりに早い。遺すべきものは遺し、必要な準備は全て済ませている。
だから。
この場ですべきは、せめて一秒でも長く時間を稼ぐことだとマイアは信じ。
そして。
「――本当は、こんなことをする気はなかったんだけれどね。ぼくにとってはどっちでもいいから」
「う、ぁあああああぁぁぁっ!!」
「でもまあ、せっかくのノートの気配りだ。応えてあげるのも優しさだろうね」
直後、マイアの心臓が大きく、痛みによって跳ねた。
「っ!」
意識が途切れる。なんの前触れもなく、ごくあっさりと――運命のように。
心臓を止めたものは、背後から彼女を射抜いたひと筋の魔弾。さきほどメロが放ったもの。
それが、何を間違ったのか軌道を変えて、マイアの胸を貫いていた。
――目の前で、男は言う。
「ああ、こいつはとても……運が悪かったね」
※
そのとき目の前で起こったことを、メロ=メテオヴェルヌは言葉にはできなかった。
自分がノートに向けて放ったはずの魔弾が、何を間違ったのか、どこからともなく戻ってきてマイアを射抜いたのだ。
何をされたのかなど考えるまでもない。
それが《日輪》――エドワード=クロスレガリスの運命魔術なのだろう。
「おっ――まえぇえええっ!」
怒りに思考が沸騰し、目の前が真っ白になる。
咄嗟に、だから駆け出した。とにかくその男を攻撃すること以外に、何も考えられなかった。
「別に、キミにまでどうこうする気はないんだけどな。これは単にノートへの手向けだから。どうせどちらでも同じことなんだ。――キミたちが生きようが死のうが、どちらでも」
言葉など頭に入らない。ただ、何を言われようと許せるはずもなかった。
「あぁあっ!」
怒りに任せて放つ攻撃が、彼に通じるはずもない。
向けられる魔術を微動だにせず無効化し、目を伏せながら日輪は言う。
「むしろぼくは、キミたちには生きていてほしかった。才能ある者は残るべきだと、何度も言っていたんだけれどね。そういう皆ばかり、どうしてか生き急ぐ」
「うるさい――っ!」
「なら……」
ふと、エドワードが視線を横へ向けた。
メロの意識がそちらへ向く。だがそんなものに意識を揺さぶられるほどメロは馬鹿じゃない。
そう思った。だが。
直後、なぜなのだろう。
その場所に、――アスタの姿が見えたのだ。
「あ――」
目を見開くメロの耳に、言葉が、すっと潜り込む。
「運がいいね」
「――っ!」
体は勝手に動いた。意識なんて何もしていなかったのだと思う。
ただ、気づけばメロの体は、エドワードとアスタの間の射線に潜り込んでいて。
「何が……メロっ!?」
「――ああ――」
驚くアスタの表情と、声が鼓膜をくすぐった。
――あれ、何をしているんだろう、わたし。
そう自分で疑問するほど、今の行動は自然だった。
――メロ=メテオヴェルヌはひとりで生きてきた少女だ。
それを、ひとりではなくしてくれた人たちが、その表情が――メロの心に焼きついている。
だからだったんだろうか。
そう思う。
わたしの人生は、意味のある楽しいものだったと胸を張れるほどに。
ならばそれが理由なのだろうか。
わからない。
違うような気がする。
そんな難しいことを考えて、この行動に出たわけじゃない。
そうだ。ただ単に、わたしは、きっと――。
――すっと、日輪の放った白い光が、メロの胸へと吸い込まれていく。
それは死の呪いだ。運命的に定められた、苦しみのない自然死の概念的呪詛。
メロがそれを防ぐことは、ならば運命だったということだろうか。庇うとわかっていて、だから日輪はあえてアスタに攻撃の矛先を変えたのだろうか。
――違うだろう。
そんなはずはないとメロは笑う。きっと自分は、自分の意志でここに立っているのだ。
定められたからではない。どちらでも同じだなんてことはない。そんなことは誰にも言わせない。
なら、この胸にあるものが後悔であるはずがなく。
「おいメロ、おい――お前っ!!」
「……アスタ……」
驚いたような、悲しげな表情で、アスタが自分を見ている。
まさかそんな顔をされるとは思わなかった。自分がそんなことをするとは思わなかったのだろうか。
だとすれば酷い話だ。だって自分は、こんなにも――。
「あ、そっか」
ようやくのように気づいた自分の感情に、思わず馬鹿だなと自嘲したくなる。
だから、伝えようと思った。きっとそれくらいが、自分に残された時間の全てだから。
「――アスタ、ありがと」
たくさんのものを貰った。だからなんにも問題はない。
不安に思うはずなどなかった。あとのことは、きっと彼がどうにかしてくれる。
だって。
「大好きだよ」
この天災のような恋にはきっと、それだけの価値があるのだから。
※
その日、七星旅団は壊滅した。
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