6-37『星の体内』
「――フッ」
と俺は笑った。笑うくらいは許してほしい。
なにせ呪いが解けたのだ。
ずっと俺を蝕んでいた呪詛は、俺という魔術師の魔力出力を封じると同時に、心身へ負荷をかけ続けていた。
当然だ。本来なら即死したはずの呪詛なのだから。
俺が生き残ったのは、キュオネが俺を助けてくれたから。その命と引き換えに俺を救い、あとへと繋げてくれた。
そんな呪詛が完全に解呪されて今、俺は全盛期の能力を取り戻している。
呪われてから二年ほどか。長かったような短かったような、やっぱり長かったような――二年どころかなんなら六年半弱連載三百話弱くらいかかったんじゃねえかというような感覚さえ覚えるほどだ。まあ、こいつは与太話だが。
これほど清々しい気持ちになることも、そうそうないというもの。
「それもこれも、お前の開式鍵刃のお陰だな」
ふっと笑顔を浮かべて言う俺に、レヴィは無言。
まあ構うまい。レヴィの助力(助力かアレ?)がなければ解呪はできなかった。
そのことに関しては、何度でも重ねてお礼を言っておきたい気分だ。
「やっぱりあのとき、お前と手を組んだのは間違いじゃなかった」
「…………」
「改めて礼を言っておくぜ。ありがとな、レヴィ。結果的にかもしれないが、感謝しておくよ」
「……はあ。それをさぁ……」
と、レヴィは言う。
「私に背負われてない状態で言ってくれたら、私ももうちょっと素直に受け止められたのに」
「仕方ないでしょうが体がボロボロなんだから俺は」
「自業自得でしょ」
「ちょっと? お前の剣でぶん殴られてアバラ折れてんだけど? しかも呪いの反動で内臓がバキバキなのよ?」
「アンタほぼ自分でやってんでしょうが」
「好きでやってんじゃねえのよ。仕方なくやってんの」
「だから、仕方なくでもなんでも自分でやってんじゃん……」
嫌だ認めたくない。俺は俺がかわいいんだ。
そうそう好き好んで自爆していると思わないでほしかった。
単にそうしないと死ぬような運命にあるだけなのだ。
それがもうおかしいんだよなあ……。
――ともあれ。
呪詛の反動その他諸々で、結構シャレにならない負荷を全身に与えられている俺は今、レヴィに背負ってもらっていた。
締まらないと言われては反論できない。
アスタくん、全盛期の力を持っててもなおそういうポジなの? 仕方ねえだろ能力どうとか関係ねえよ怪我と。
「で、……どうするわけ?」
呆れたように首を振って、それからレヴィは言った。
これからの方針だ。目的は当然、世界の裏側に蓋をする――封印を施すことである。
それによって、この惑星の自壊を防ぎ、表側が魔力流に呑まれることを防ぐ。
これはガードナーという血筋に与えられた使命であり、この世界にそれが可能なのはレヴィ=ガードナーしかいない。
だがそれは、閉式による封印を完成させるためにレヴィが世界の内側に留まり続けるということを指す。
いわば実質的な死だ。
この惑星が将来的に滅ぶことは避けられない。
魔術――魔力という神秘が存在するこの星の内側、言ってみれば体内に相当する場所は、完全に魔力というエネルギーの渦で構成された異空間だ。
それはこの世界の始点にして終点。
死後の世界、天国、彼岸……そんなふうに表現するのが地球的な気はするが、それは同時に輪廻思想的な始まりとなる場所でもある。
魂というエネルギーが発生し、また死後に戻る場所。
キュオネやガストが死後に留まった場所。
魔力に溶かされ、純粋にして無色のエネルギーへと還元され、いつか再び命に戻るまで留まる空間。
問題は、今それが裏返って、物理空間であるこの世界の表面――表側を侵食し、呑み込もうとしていることだ。
俺たちが五大迷宮で世界の裏側を目にしたとき、それは本来、遥かな未来まであり得ない事態のはずだった。
だがそれを速めた者たちが存在する。
言うまでもなく《七曜教団》――もっと言えば《日輪》の手によるものだ。
連中は星の寿命を加速させることで、その事態へ人類を適応させることで進化を促した。
教団の連中は、その計画に賛同、加担することで《魔人化》という進化方法を手に入れた。各々それぞれの目的はあったのだろう――それが個人のものであることもあれば、《日輪》に対する賛同や信仰という場合もあろう――が、ただひとりそれを拒んだ《水星》以外は、全員が魔人化能力を獲得している。
それは世界の裏側である魔力流と直接繋がり、ほぼ無限・無尽蔵と言っていい魔力を引き出す力だ。
肉体そのものが半魔力体でありながら、この物理世界に干渉し得る、進化した人類。
次世代の霊長。
その座を獲得する代償として、レヴィという犠牲を《日輪》は必要とした。
――これがまあ、今のところの纏めという感じだ。
「いやあ。……どうしようねコレ?」
「もうちょっとこう何かしら出してよ、乗ったんだから……」
不満そうにレヴィは言う。
いや、そうは言いますけれども。
「言っとくけど。負けを認めたとはいえ、ほかになかったら私は実行するからね?」
「お前……」
「当然でしょ? 結局、誰かがやらなきゃ全員死ぬんだから。まあ、魔人以外はだけど」
じゃあお前は生き残れるじゃんね。
――と、レヴィに対して言うのはさすがに空気が読めなさすぎってものか。
こいつがそんな選択肢をするはずがない。
「わかった。まあそれはいい。いや、よくはないけどな」
「どっちなのよ」
「俺は諦めねえって話だ。お前を死なせないよう最後まで足掻くからな」
「……それさ」
「なんだよ」
「失敗したときの死体が、私ひとりからふたり分に増えるってことだよね?」
「否定はしない」
「……、」
「言いたいことがあるなら先に言ってくれ」
「ん、――ない」
レヴィはそう断言した。
心残りのない、爽やかな声だった。
「私の命、アンタに預けるから。好きに振るってくれていい」
「……いい度胸だ。死ぬときはいっしょだぜ、レヴィ」
「それぜんぜん格好ついてないのよね……まあ、いっそアスタらしいけど」
「よし。――作戦を思いついた」
俺は言う。レヴィは無言で、俺の言葉の続きを待った。
「まず裏側に入るぞ」
「そうね。それはしないといけない。それで?」
「そこで考える」
「アンタ本当に《紫煙の記述師》? なんか急に疑わしくなってきたんですけど」
「見てみないことにはどうしようもないだろ。まあ、一応の考えはあるよ」
「ふぅん……ならいいけど」
意外とレヴィは、俺の言葉を疑わない。
なんだかんだ信頼してくれていると思っていいのだろうか。
「つっても力技しかないがな。――まず大前提、接続を閉じるにはお前の鍵刃が必須だ。閉式以外には絶対できない」
「……そうね」
「これはアーサーたちが、お前の覚醒が間に合わなかった場合の代替案としてシャルを用意していたことからも明白な事実だ」
「人造人間として調整されたあの子なら、この世界にあるあらゆる魔術を扱える――その可能性がある」
「その通り。もしお前がガードナーの鍵刃を覚醒させられなかった場合も、シャルだけには、お前と同じ魔術を習得できる可能性があったってわけだ。裏を返せば、これは三人の……いや、四人の魔法使いでもどうしようもない。もしかしたらなんとかできる可能性もあったのかもしれないが――」
「――今となっては間に合わない。まず大前提として現状、私以外にこの現状をどうにかできる術師が存在しない」
こればかりは、もうどうしようもない事実だ。
ほかに方法があるなら、俺やレヴィ以前に魔法使いたちが見つけているだろう。
閉じる役割はレヴィ以外には不可能。やってもらわなければならない。
「……まあ、となると俺の役割は、閉じたお前を表側まで引っ張り上げるってことになるな」
呟いた俺に対して、レヴィが考え込むような声で答える。
「それができないから問題なんだけど。私はそこに残って楔になってないといけない」
「……それなんでなん?」
「いや、なんでって……いくらなんでも、一度の封印で世界丸ごと、永遠には閉じてられないから。だから開式で自分を開いて《裏側》でも自己を保ちつつ、閉式で封印をし続ける……それしかないって話で」
「それ今も?」
「ああ……何を期待してるかはわかったけど、今も同じ。そもそも出てこようとしているものを閉じる以上、最終的には出力勝負にどうしてもなるから」
レヴィという個人と、この母星との力比べになってしまうわけだ。
むしろ、その差を詰めて封印を可能とする鍵刃の術式を褒めるべきところだろう。
「閉じたら出てきて、また開きそうになったら閉めに入る……とか」
「時間の概念のない裏側でそんなことできないでしょ。わかって聞いてるよね?」
「……時間ね。ま、そりゃそうだ」
「なんか軽いなあ……。いいけどね。さて、開けるよ」
言って、レヴィが迷宮の床に、かつんと剣を切っ先を立てる。
たったそれだけで、剣に突かれた点を中心とした魔力の渦の円ができた。
裏への入口だ。俺はレヴィの背中からその光景を眺めて、
「……なんかムカつくな」
「なんで!?」
「こんな簡単にやられるとちょっと」
「前から思ってたんだけど、アスタのその自分を低く見積もるのって処世術かなんかなの?」
「何言ってる。俺は正当な評価をしているだけだ」
「なんかムカつく」
「お前がそれ返してくるの!?」
やいのやいの言いながらも、レヴィが渦の中へ飛び込んでいく。
渦に呑まれ、そして俺たちは魔力の奔流に投げ出される。
本来、生身の肉体で来る場所ではない。それを保護するための全力で防御を張っているため、中にいるだけでも魔力が削られる一方だ。
「どうするわけ!?」
叫ぶように訊くレヴィに、俺は答える。
実のところ、どうにかなるだろうという考えは持っていた。
「閉じろ! あとは俺のほうでなんとかする!!」
「なんとかって!?」
「説明はあとだ! そこまで魔力が持たねえよ俺は!」
「アンタ、そのためにわざと……ああもういいわかった! やるよ!」
俺はレヴィの背中から離れる。左右も天地もないこの世界でおぶさっている必要はないからだ。
レヴィが手を翳すと、その目の前に門が現れた。
これが、レヴィが閉ざすべきモノだということなのだろう。それを門という概念で可視化しているのは、彼女の剣が鍵であるからか。
レヴィは両手で握った剣を、顔の左側で構える。心臓で練り上げ、腕を通じて手のひらから剣へ魔力が流れ込む。
そして彼女は、その剣をまっすぐと――鍵のように門へと突き刺した。
「――――」
それが儀式だったのだろう。俺には術式がわからなかったが、結果は察した。
門が、鎖と錠前によって雁字搦めに封じられていく。それがイメージだったのだろう。
レヴィと目を合わせ、頷きを返してから位置を交代した。レヴィが閉ざした門に手を触れ、魔術を起動する。
「……これでいいんだろ、クソジジイ」
「アスタ?」
「なんでもない。――レヴィの封印の時間を止める」
「できるの? だってアンタ、さっきまで――」
「できる」
俺は断言した。なにせこれは、きっとそのために与えられた魔法だから。
アーサーが俺に遺した時間魔術。その使い方。
そうだ。奴ならきっとこう言うだろう。皮肉げに笑いながら、小馬鹿にしながら試すように。
――お前、まさか与えられただけの力に固執するんじゃねえだろうな?
ならば俺は弟子として、やるべきことをやるだけだ。
魔術を起動する。
これが、俺に任された役割だと信じるから。
星にではない。異世界に飛ばされた理由なんて俺は考えない。
ただ俺を信じて送り出してくれたみんなのために、それを為そうと思うから。
「――よし、できた。出よう、レヴィ」
「いいの?」
首を傾げて問うレヴィに、俺は頷く。
「問題ねえよ。封印した瞬間を固定化してある」
「……そう」
「ここが時間の流れから隔離されてるのが、むしろ都合よかったな。劣化することがない」
「そう考えると便利ね、時間魔術。魔術に必ずある終わりを無視できるんだから、反則もいいところ」
「かもな」
「もったいない。――せっかくなのに捨てちゃうなんて」
軽く、俺は肩を竦めた。
構わない。時間魔術なんて反則、持っていたことのほうが異常だ。
あのジジイだってこの使い方に文句は言わないだろう。
いや、言うことは言うだろうが……きっと機嫌は悪くしない。そういう男だ。
俺の適性じゃ、刻まれた術式ごとこの場所に残して二度と使えなくする――くらいの代償は払わなければ、ここの時間を凍らせることなどできやしない。
「地上に戻るぜ。ここを通っていけば一瞬だ。流れの乗り方は鬼に教わってる」
「……アンタも馬鹿だね」
そんなことはない。
――貰うべきものならば、きちんとこの手に残っている。
それに。そんなことよりも今は、地上の様子のほうが気がかりだった。




