6-36『まだ行けるだろ』
――びっくりするくらい、完璧に決まった。
そう、レヴィ=ガードナーは思った。
それは別に、何か新しい境地に至ったわけではないし、新たな成長を得たわけでもない。
ただできることをできる通りに、完璧にやりきったというだけの話だ。
上手くいったのは、それを為す戦いの運び方。
アスタという、戦術面において一流の魔術師の裏を完璧に掻き切った自負がある。
想定が、想定した通りに運んだ。なんら予想外のない目前の現実。
それが――心の底から震えるほどに気持ちがいい。
――やば……っ。
口の端を歪めながら、彼女は思う。
言葉には出せない、我ながらあまりにもはしたない快楽に魂が悶えている。
アスタ=プレイアスという魔術師を相手に、想定外を起こさなかったという《理解》の過程が気持ちいい。
ああ、本当に。
――気持ちよすぎて、飛んじゃいそう……!
もちろん、そんな中でも冷静な思考を失っているわけではない。
快楽に呑まれる程度の、そんな覚悟でここに立っているはずもないのだ。
むしろ冷静に、怜悧であることこそに意味がある。
自身の行為をアスタに邪魔されるわけにはいかない。それは事実だが些事でもある。
この戦いは徹頭徹尾、ただ自分の成果を、積み重ねてきたものを、彼に見せつけるためだけにある。
それだけが唯一、レヴィ=ガードナーがこの世界に遺せるものだと信じるから。
そうだ。彼女はずっと、何かを遺して死にたかった。
ガードナーの完成形などという、与えられた役割による成果ではない。
それを否定せず、完璧にやり切った上で、なお《レヴィ》という個に意味を生み出す。
アスタ=プレイアスを自身の共犯者とした理由は、ただ自分が尊敬するひとりの魔術師に、その協力をしてもらうためだと言ったけれど――。
本当は、違ったのかもしれない。
遺せるものがないことを、初めから知っていたのかもしれない。
だからこそ。
それを、たったひとりでいい――彼だけでも見てくれていればきっとよかった。
そんなわがままと感謝を込めて、レヴィ=ガードナーは刃を振るう。
大怪我をさせてしまうだろう。殺す気で振り抜くが、それで彼が死んでは割と意味がない。
ただまあ、即死さえしなければ回復させる方法はあった。
レヴィに回復魔術は使えないが、魔人となることで得た膨大な魔力をリソースとすることで、アスタには時間魔術による回帰が可能となる。それは回復とは異なるが、もたらされる結果が同じならば問題はない。
その程度の信頼は、彼に対して持っている。
ゆえに。
「……あ、れ……」
剣を振り抜いた刹那、彼女は目前の光景に一瞬、思考を止めた。
そう。確かにレヴィは剣を振り切った。それは確かにアスタに命中したし、彼はそれによって後方へ弾き飛んでいる。
だが――おかしい。
吹き飛んだアスタが斬られているようには見えないのだ。
傷がない。
防がれたのだろうか? あの一瞬でなお、アスタはレヴィの斬撃を無力化するすべを考え出したのか。
いや、それはない。
方法として考え得るのは、時間魔術を自分にかけての加速くらいか。それによって回避することが可能だったかもしれないが、――事実としてレヴィの剣は直撃している。ゆえに違う。
逆にレヴィを対象とした時間魔術――その原則は通用しない。
魔人化による膨大な魔力が、アスタの魔力を完全にレジストしているからだ。力技で防げるのは立証済み。
何より、仮にその方法で一撃を躱せたところで、次には続かない。レヴィ側は剣を振ればいいだけなのだから、場当たり的な回避など時間稼ぎにもなりはしない。
現にアスタは、よろめいたように立ち上がると――その口から血を吐き出していた。
「ぐ――ぶ、がは……っ、あ……ぶ、」
「ちょ……っ」
だがそれはそれで意味不明だ。いっそ心配してしまうくらいに。
大量の血を吐きながら苦悶に呻くアスタ。
レヴィの斬撃では、そのような結果にならない。そもそも刀傷がない。
――意味が、わからない。
目の前で血を吐くアスタの体から、直後、膨大な瘴気の気配が立ち上ってくる。
黒い靄として可視化されるほど濃密な、淀んだ魔力だ。そんなものがひとりの人間の内側から溢れていること自体があり得ないと、そう断言すべき濃度の瘴気だった。
アスタは苦悶を漏らしながら、血を吐き、全身を襲っているのだろう苦痛に喘いでいる。
「がはっ、ぅ――ぐ、ぎぁ、うぐぁあああぁぁぁ……っ!!」
「ちょ、ちょっと、アスタ!? どうしたの!?」
さすがに異常事態だ。心配になってレヴィは声をかける。
何が起きているというのか。混乱する彼女に、アスタは苦悶したまま笑みを浮かべ。
「お、い……おい、戦いの最中に……う、ぐ――げほっ、ぶぁあ……っ! は、ぁ……相手の、心配かよ……えぼっ」
「いや、そんなこと言われても……てか喋んな!」
別に殺そうとしているわけではない。というか死なれても困る。まったく殺したくない。
口からどばどば大量に血を撒く奴が言う台詞か、それは。ていうか、放っておいたら本当に死にそうだ。
床が赤で汚されていく。その間も、彼から発される瘴気の量はさらに膨れ上がり続けていた。
肉体の損傷も問題だったが、それ以上に瘴気が異常だ。
こんなものが、ひとりの人間の中に保有されていていいはずがない。ならば――
「っ……アスタ! あんたそれ、まさか……!」
悟り、レヴィは顔を真っ青にする。
彼の中には、それに値するものが確かに存在していた。
――《呪い》である。
かつて五大迷宮において受けたという元素の呪詛。アスタから瘴気が溢れる理由などほかに考えられない。
だが、それにしたってこの濃度はいったいどうしたことだろう。
死んでいる。
死んでいなければおかしい。
こんな密度の呪詛、ひとりの人間が到底背負えていいものではなかった。
「こん、なの……いったい、どれほど……っ」
彼はずっと、こんなものを内側に飼っていたというのだろうか。
だとすればその負荷の重さは、レヴィの想定を遥かに超えていたと言わざるを得ない。
いや。むしろ逆に、彼女が今まで見てきた彼の力が、これほどの呪いを受けてなお保たれていたものだというのなら。
「……――っ」
絶句する。状況さえ忘れて全身に身震いが走った。
これが今まで、アスタ=プレイアスがその身に秘めていた呪詛であるのなら、果たして。
全盛期の彼――生ける伝説の魔術師。
七星旅団の印刻使いは、どれほど強い魔術師だったというのだろう。
「……いい、感じだ……それでこそ」
溢れ狂う呪詛に蝕まれてなお、アスタ=プレイアスは不敵に笑みを浮かべた。
まるで、この状況こそ狙っていたものであると言わんばかりに。
「それで……こそ、お前、を……共犯者にした、甲斐、が……ある」
「……何言ってるの? それじゃ、まるで私のせいでそうなってるみたいに――」
「そう、……言ってるんだよ」
突如として溢れ出した呪い。彼の能力の大半を奪っている、本来なら死に相当する強大な呪詛。
その発露がレヴィによるものだというのは、いったいどういう意図の発言なのだろう。
思考し、その直後に、レヴィ=ガードナーは解答へと辿り着いた。
それが考えるのも馬鹿らしい、まるで論理的ではない、到底イカレているとしか思えない発想だとしても。
「まさか……私の、剣を」
「そうだよ。――お前の剣に時間魔術をかけて、少し前の状態に戻した」
アスタのこれまでの選択を見ている限り、彼が扱える時間魔術はほんのわずかな幅だ。
本来それでは意味がない。剣の固有時間を数秒ほど巻き戻したところで、それは剣でしかないのだ。
だが確かに、レヴィは自身にかけられる魔術は防げても、剣を対象に指定されては防げない。
それは認めよう。ではその意味とは何か?
剣の状態を戻したということは、レヴィの鍵刃はほんの少し前の状態に戻っている。
どういう状態か?
その答えは。
「術式を、戻した……剣に付加されていた魔術ごと、開式鍵刃の起動状態に……!」
彼の時間魔術は魔力に対してさえ作用する。それは義手の件からも明らかだ。
翻せばすなわち、込められた魔術的な状態さえ時間ごと回帰させられるということ。
レヴィの振るう刃は、彼女の意志を反して開式術の起動状態へと回帰させられていたのだ。
それは、――自分自身を開くのに使った状態ということ。
人間の機能を開く刃。
封印を打ち破る、開錠の一閃。
では、アスタ=プレイアスがそれを受けたらどうなるだろう。
――決まっている。
それは、人間の封印された力を拡張するものだ。
セブンスターズの印刻使いの、全盛期の力が戻ってくる。
呪いは解呪されていない。彼はいわば、呪われながら全盛期の力を取り戻したことになる。
呪詛が溢れ出したのはそれが理由ということだろう。矛盾状態を解消するべく、再び封印にかかっている。
それを、全盛期の能力で抑え込んでいるからこその拮抗状態なのだ。
呪われた状態では力を抑え込まれて呪いに抵抗できない。
だが呪われながら力が戻っている状態ならば呪いに抵抗することができる。
「ありがとよ。――きっとお前が、俺の呪いを解いてくれる奴だと、信じていた」
「は……あはは。あははははははははっ!」
笑えてくる。そうだ、笑わずになどいられるものか。
彼の強さはあくまで思考によるものだった。
当然だ。あの一瞬でこの解答を弾き出すような思考の回転、常人の範疇など逸脱しきっている。
鍵としての性質を表に出す開式の状態では、剣としての機能が失われ切断性がなくなる。それは何度も見せていた。
だからって、斬れなきゃただの鈍器だとばかりに受け入れて殴られるなど、何を考えればそうなるのだろう。
「……参った」
レヴィは呟く。降参ではない、それは尊敬を込めた言葉だった。
当然だ。全盛期の彼は、この思考に加えて能力まで向上しているのだ。
伝説と――その言葉にこれ以上なく相応しい。
「追いついたと思ったのに……まさか、まだ先があったなんて」
だがそれでこそ、憧れた甲斐があるというもの。
別に負けを認めた気はない。むしろハンデが減るのは嬉しいくらいだ。
だって、レヴィ=ガードナーは天才だった。
負けたことなどない。彼女が勝てないと足掻いてきたのは、いつだって自分自身を取り巻く運命だけで。
そうだ。きっと単純な実力なら、彼がこうなってようやく対等と言えるだろう。レヴィ=ガードナーが磨き上げた刃は、きっと最高状態のアスタ=プレイアスにも通じ得る。それは、お互いにもわかっていた。
それでも――。
「何言ってんだよ、バカ。――まだ行けるだろ」
彼は言う。アスタ=プレイアスは、いつだって理不尽な運命に抗ってきた人間だから。
自分の限界を、ここだと決めて全てを擲ったレヴィとは、ただ、その点だけが違っていたから。
「まだ歩ける。まだ進める。諦めるには早すぎる」
「……そうかな」
「お前は俺より才能あるだろ。そんなお前が、勝手に自分で蓋をするなよ。お前の終わりはここじゃない」
「勝手ばっか言ってくれちゃって。……私がやんないで、誰がここに封印するってわけ?」
「知らねえよ」
「これだもんな」
「知らねえけど――知らねえから、お前が俺を手伝うんだよ、バカ」
ぽう、とほのかに光が湧く。
アスタの用いた《運命》のルーンが、自らの呪いを消し去っていく。
出力が上がったことにより可能となった、それは呪いの解呪だった。
「……ばか。アスタこそ、こんなときくらい格好よく決めなさいよ。そこは貴方が私を手伝ってくれるって言うとこじゃないの?」
「ん、ああ――そうか。ならたまには格好つけさせてもらうか。せっかくこうして、お前のお陰で呪いも解けた」
そして。
そこに立つ、伝説と呼ばれた印刻使いは。
「七星旅団の六番が請け負ってやる。――やるぞ、レヴィ。この迷宮の根っこを閉じる。誰の犠牲も出さずに、だ」
「…………ん」
――涙は流さない。
死ぬと決めていたことを、覆された喜びもない。
あるのは純粋な敗北感と――そして、それ以上に見えた、まだ先があるという好奇心だけ。
「降参。私の負けだよ、アスタ=プレイアス」
※
レヴィ=ガードナー奪還戦。
最終戦。
勝者――アスタ=プレイアス。




