6-35『ここまで来たよ』
空間が薙がれた。
そう表現するよりほかになかったのだと思う。
ぎちぎちと、空気がひび割れ軋んでいるような音がする。
レヴィの振るった鍵刃が、距離を無視して一直線に断ったのだ。
文字通り、その刃の軌道上にあるもの全てを両断して。
「空間、が……斬れた、のか……」
わざと外されたことを承知の上で、起きた結果をその目にする。
迷宮の天井と床に、まっすぐな切れ目が引かれていた。不壊であるはずの迷宮を彼女は斬っている――いや、その程度はもはや驚くにすら値しないのだろう。
それだけではなかった。刃の軌道上――正確にはその延長上にある概念全てが斬られている。
「……開いたのか。剣の、機能を……!」
「そういうこと。それがガードナーの魔術の神髄ってコト」
肯定してレヴィは笑う。
どいつもこいつも大概もう反則ばかりで、俺まで笑えてしまいそうだ。
「対象に指定したモノの機能を拡張する。ガードナーが持つ鍵の、本当の機能はそれ。要するに今、私が持っている剣は刃渡りも斬れ味も拡張されてるってコト。だからどこでも斬れるし、なんでも斬れる」
ふざけんな。バカじゃないの。
俺がキレそうだよ。何言ってんのコイツ。
「……詳しく教えてくれるもんだな」
「私ばっかりアスタの手の内を知ってるんじゃ不公平でしょ?」
「なんだそれ。舐めてんのか?」
「知られて困ることないし。いいじゃない、最期なんだから楽しませてよ。女のわがままくらい聞きなさい」
「お前のわがままは、もう腐るほど聞かされただろ」
「あはは。そうかもね。でもまあ、そんな面倒な女に掴まるのが悪い」
「……俺の周りに、面倒じゃない女はいた試しがねえ……」
「アスタが面倒な男だからでしょ」
「この世界にも《類は友を呼ぶ》系のことわざ、あったっけ……? 頭痛くなるぜ、マジで」
……ってかどうしよう。実際これ割とマジでヤバいな。
煙草の火は、さきほど氷棘をカウンターされて消されてしまった。
まあ俺は最悪、煙がなくても魔術を行使できるが、それでもあったほうが遥かに使いやすい。
印刻魔術にはルーンを使う。逆を言えば発動には絶対にルーンを刻む必要があるため、その準備に時間がかかるのが印刻魔術の弱点でもある。
その欠点を、俺は煙草の煙を用意しておくことで解消している。不定形の煙を、強引に都合よく、使いたい魔術に必要な文字だと解釈することで、任意のルーンを前準備なく発動できるわけだ。
どうしても文字として解釈する何かを用意しなければならず、それを身体行動で儀式的に用意したり、周囲にあるものを文字として強引に解釈するためのラグが発生するわけだ。
時間が、足りない。
だが逆を言えば、足りないのが時間だけなら解消できる。
「……ふぅ」
息をつき、脱力することでレヴィの攻撃に備えた。
その様子を見て、レヴィは楽しそうに笑う。
恨みもなければ怒りもなく、これはただ敬意と謝意と、そして愉快さだけを前提とした戦いだ。
――気楽なものだった。
「準備はいい?」
「いいわけねえだろ。――でも」
「でも?」
「それを確認する余裕は、必ず後悔させてやる」
「そう? それは残念」
「……何が?」
「こんなに楽しいのに、後悔なんか残すはずがないっての――!」
刹那、レヴィが腕を振るった。
鍵刃――その弐式によって拡張された斬撃が発生する。
それに俺は、義手である左腕を伸ばした。
「……っ!」
「っ――!」
ばぎん、と硬質な音を立てて、伸ばした義手が砕け散った。
――足りていない。
タイミングが悪いのは仕方がない。そんなものは初めから狙える能力がない。
「へえ……なるほどねっ!」
「楽しそうにしやがって、畜生……!」
なんのために戦っているんだかわからなくなりそうだ。
もちろんレヴィを止めるためだが、その現状を無視して戦いを楽しんでいやがる。
……言い換えれば、メンタルが安定しているということでもある。
「綱渡りばっかさせやがる……!」
重要なのは、あくまでも魔力の使い方だ。慣れない魔術を連続で行使する精度が足りていない。
今ここで慣れろ。
時間を、ここで手中に収めろ。
「は……らあっ!」
再び、今度は横薙ぎにレヴィが剣を振るった。
俺はそれを、再び左の義手で受ける。
「ぐ……、ぁあぁっ!」
強引に腕を振るい、――剣を止めると同時にまたしても義手を砕かれた。
ダメだ、まだ間に合っていない。そしてまだ弱い。
レヴィが小さく舌打ちする。俺がやっていることの意図に、どうやら気づいたらしい。
「よくもまあ、そんなふざけた対応を思いつくなあ……!」
「っ――好きでやってるわけじゃねえよ!」
「どうかな。そういうのが、やっぱりアスタっぽい気がするけどっ!」
三度の剣閃。それを三度、義手で受ける。
やっていることは単純だ。
時間魔術。
ジジイから受け継いだそれを行使することで、俺は破壊された義手の時間を巻き戻して元に戻していた。
剣を振り戻し、レヴィは薄く笑う。
俺が何をしているかは、彼女も見抜いているだろう。
「やっぱり《魔法》は反則的ね。時間を巻き戻して義手を直すだけならともかく、そこに込められた魔力ごと戻すなんて、等価交換に喧嘩売ってるんじゃない?」
「魔術師が、魔法なんて表現使うなよ……と言いたいところだが、反則なのは否定できないな。ま、お前が言うなって話だが」
でなきゃ、なんでも斬れる剣を防ぐなんて不可能だ。
というか厳密には防げていない。壊されるたびに、時間を巻き戻しているだけだ。
「それ対象指定どうなってるわけ? 時間魔術って、壊された義手なんてそこにないものも指定できるの?」
「詳しいこと訊かれてもわかんねえよ。そもそも適性のない魔術を、無理に宿らせてるだけだ。仕組みはよくわからん」
「面白くない。せっかく魔法と戦えるってのに、当の本人がそんなんじゃ台なし」
「お前を楽しませるためにやってんじゃねえんだよな……」
こっちは普通にギリギリだ。
もっともレヴィの術式については、おおむね紐解けてはきたが。
「まったく、追いついたと思ったらすぐこれだ。どんだけ後ろを追わせれば気が済むわけ?」
「……後ろを追われてると思ったこと、そもそもねえよ」
こいつは別に、いきなり成長して強くなったわけじゃない。
もともとできたことを封じられていただけだ。レヴィ=ガードナーを下に見たことなど、俺にはない。
「そう? ……それならいいけど」
「やめろ、喜ぶな。調子狂うだろ」
言いながらも様子を窺う。だいぶ時間魔術の発動にも慣れてはきた。
……あとはどうレヴィの魔術を防ぐかが問題だ。
難しいのは、彼女の魔術は剣の射程や威力を魔術で上げている、というわけで厳密にはないという点だった。
あくまで《剣》という概念がそもそも持っていた機能を拡張しているだけ。
何が違うか。
それは、俺に届く攻撃が魔術ではなくあくまで剣によるもの――つまり物理攻撃だという点である。
言い換えれば魔術で破れない。
アルベルの回避術や、アーサーの魔術でさえ、それが魔術であるという時点で魔術で対抗できるのだ。
だがレヴィの武器にはそれが通じない。術式そのもの、ルールそのものに歯向かえない。
ただ、それは逆を言えば。
――あくまでも振るわれているものは射程や威力が狂っただけの、それでも剣であるということ。
「来いよ。――次は取る」
左腕を伸ばして、俺は言った。
レヴィは剣を後ろに引き、初めて構えらしい構えを取った。
そして言う。
「――狙いはわかってる」
「…………」
「私の剣は、射程と威力の上限を解放しているだけの、あくまで物理的な剣でしかない。それは逆を言えば、剣そのものを止められれば攻撃を防げるということ。――考えてるのはそれでしょう?」
「……どうだろうな。そうだったのか?」
「笑わせるね。――止められるものなら止めてみればいい」
瞬間、――レヴィが前に跳ねた。
急激な接近。全身をばねとしてひと足に距離を詰めてくる。
「づ……っ」
正解だ。つまり最悪という意味である。
接近戦に持ち込む行為は本来、剣としての形状を無視した攻撃範囲を発揮できるレヴィにとって、レンジの優位を捨てる悪手と言っていい。
だが彼女は、あえてそれを捨てることで、代わりに速度を得ることができた。
近づけば近づくほど、連続攻撃の頻度は当然に増す。
射程が長かろうと、一撃なら俺は防げた。だが二撃目に対する対処が間に合わなくなる。
それを気づかせないよう立ち回っていたつもりだったが、さすがはレヴィ。考えは読まれていたらしい。
――どう防ぐ。
頭を回している余裕がない。
全ては刹那だ。感覚で思考を加速させろ。
「だらあっ――《火》ッ!」
印刻を発動。伏せていた、時間魔術を利用したトラップだ。
さきほど跳ね返された氷に消された煙草、その時間を燃えている状態まで巻き戻した。
だが、これは悪手だ。
俺は切り札のひとつを予定外に消費わされている。
そして当然――、
「読めてるっての……っ!」
剣の一閃。火による時間稼ぎは、鍵刃が一瞬で閉じてしまう。
構うな、見極めろ。たった一撃を防げばそれでいい。
三歩。
それが彼我の間に残された距離。
最初の一歩をレヴィが詰める。
火による時間稼ぎは微塵の意味も持たなかった。
取れる行動は限られている。
何もしなければ、このまま俺はレヴィに斬られてしまうだろう。
二歩。
俺は印刻をさらに重ねる。
時間魔術は切り札だ。連続で発動するのは難しい。
だから頼れるのは慣れたルーンだけ。発動する印刻は――、
「《神軍》――」
戦いと勝利を意味する《軍神》の逆式。
それは不名誉、誤解――失敗を意味する印刻。
そして、
「――《収穫》ッ!!」
鍵刃に封じられた火炎が、勢いを増して再び発生する。
それは刃の内側から零れてくるように、勢いよく渦を描いて切っ先から剣の柄に逆巻く。
こちらの魔術を閉じ、それを開くことで再利用するレヴィの鍵刃を逆利用した形だ。
渦巻く火炎がレヴィの制御を再び離れて、剣を焼きながら彼女へ襲いかかる。
それを受け、けれどレヴィは――獰猛な笑みで笑っていた。
「こい、つ……!」
「あ――あぁああぁ……っ!!」
彼女の取った行動は、俺の論理など踏み躙るようなゴリ押しの理屈。
すなわち、無視。
刃に炎を纏わせてくれてありがとうとばかりに、手を焼かれることすら意に介さず、彼女はさらに踏み込んできた。
それは暴力的なようでいて、一方で実に理に適った選択だ。
――勘がいいにも、限度ってものがあるだろが……!
一歩。
刃の届く範囲へ、完全にレヴィが踏み込んできた。
そうだ。元より彼女が、当たるまで剣を振るなんて無様な選択を採るはずがない。
彼女なら、近づいた上で最高の一撃を準備してくる。
一撃に全てを懸けてくるに決まっている。
ゆえに。
袈裟に振るわれる刃の一撃を。
俺は。
「……そこ、だ……ッ!」
「アスタ……ッ!!」
手を伸ばすことで受け止める――。
そう。狙っていたのは初めからそれだ。
――白刃取り。
レヴィの剣は受け止められない。防御した側が一方的に負ける切断力があるからだ。
それでも俺が、ここまで義手を破壊されるだけで堪えられていたのは、体を斬られる寸前で軌道を逸らしていたから。
あくまで物理的な剣の延長でしかないレヴィの攻撃は、距離を無視しようが硬度を無視しようが、剣を振っての物理攻撃であるという点が絶対に揺るがない。
それは言い換えれば、剣としての対処は通用するということ。
ならば止められる。
それこそ、刃の振りをこちら側からも距離を無視して受けられるということだ。
要は刃の先から、目に見えない刃がさらに伸びているのだと思えばいい。
その白刃を受け止めることさえできれば、攻撃を防ぐどころか、上手く運べば剣を奪い取ることもできるだろう。
まあ、止めるだけでも難しいのに、まして奪うことができるとまで皮算用はできない――だが。
「づ……ぁあっ!」
「――っ!」
振り下ろされる刃の切っ先――それを俺は、左の義手で真横から握り止める。
無論、俺にそんな技量はない。
技術が足りない以上、補うものは当然、魔術だ。
振り下ろされる刃に時間魔術をかけることで、ほんの一瞬、その動きを遅らせる。
その一瞬さえ生み出せれば、次の魔術を間に合わせることができる。
これまでのやり取りは、時間魔術の連続発動に慣れ、白刃取りを成功させるための布石だった。
最後にこの一回、成功させればそれでいい。
「これで――」
「――――」
だが、その瞬間。
俺は強烈な悪寒に襲われた。
「――――…………ッ!!」
理由は単純。レヴィのような、異能に片足を突っ込んだ直感などではない。
目に見えたからだ。
正面に立つレヴィの口が、笑みの形に歪んでいるという事実が。
なんだ、何をされた。
何を失敗した。
いや、いや違う。失敗などしていない。
俺は狙いを外していない。
剣は止められる。そのはずだ。
どれほど切断力があろうと、剣である以上、振られていなければただの棒と変わらない。
一瞬。
それだけあればどうとでもなる。そのための時間を俺は作り出して――、
刹那。
レヴィの振るう剣が、――加速した。
「お……ぁあああああぁっ!」
「う――あああぁあぁぁっ!」
想定よりわずかに短い刹那。
俺は、――自らに魔弾を撃ち込むことを選択した。
自分の体を左方向へと弾き飛ばす。
それとほぼ同時、振り切られたレヴィの剣が、俺の義腕を叩き切る。
自爆射撃による強引な回避がなければ、おそらく致命傷を喰らっていただろう。
地面を転がりながら、受け身を取りつつ思考を回す。
なんだ。何が起きた。
どうしてレヴィの動きを止められなかった?
時間魔術に抵抗されていた。
それ以外にない。だがどうやって?
いくらレヴィでも、時間魔術を破るような魔術が使えるはずがない。
彼女の手札は知っている。
鍵刃。
その機能拡張で時間魔術を破る方法がレヴィにあるのか――?
「…………っ!!」
ある。
そうだ。方法はある。
魔術を破ることはできずとも、効果を受けずに済む方法なら存在する。
それは――。
「ず、ぉ……ああっ!」
俺は体勢を立て直す。――だが間に合わない。
レヴィは俺の行動を読みきっていた。その上で破られた以上、どうしても一手遅れて当然だ。
「アスタ――――ッ!」
刃が、振り下ろされる。
目の前には膨大な魔力があった。力の渦。人の身には余るほどの強大なエネルギー。
それに、俺は確かに覚えがあった。
初めから、その答えは俺の前に用意されていたのだ。
開式鍵刃によって開かれたものは、その機能を拡張させる。
レヴィはそれを、自身が持つ剣に適用した。
だが、彼女には当然、それ以外の機能拡張も可能であるはずだ。
何ができる。
彼女が機能を底上げしたものはなんだ。
決まっている。
レヴィ=ガードナーは、自分自身を開いたのだ。
人間を、その存在の格そのものを、一段上に押し上げる。
それを為した者をなんと呼ぶのかを、俺はもちろん知っていた。
つまりこいつは。
「……魔人化……!」
俺の呟きは、おそらくレヴィの耳には届かなかっただろう。
それでも彼女は、ニィと口の端を吊り上げて笑った。
自分自身の存在を格上げすることで、時間魔術による干渉を力技で弾き切ったのだ。
想定を越えられた。
魔術師同士の戦いにおいて、それが意味するところは明白だ。
勝利を確信して、レヴィは笑みを見せる。
そして、それを言葉に変えた。
どうよ? と、自身の積み上げた成果を誇るように。魅せるように。
「――ここまで、来たよ」
同時。
レヴィの剣が、――俺に向かって振り下ろされた。




