2-07『出立の朝と道連れ』
翌日――その早朝。
俺とメロは、オーステリア南端の城門の前にいた。
円形都市として有名なこの街は、その周囲を高い城壁に囲まれている。
ゆえに出入りは東西南北、街を四区画に分割する道の先にある四方それぞれの門扉からしかできないのだが、実は特に身分証などを求められることはなかったりする。
夜は閉まるが朝には開く。それだけだった。
かつての城砦都市も、今日では観光名所以外の価値をその城壁に見出していない。
そもそもその成立からして、迷宮の存在が前提にあったオーステリアのことである。
城壁は外敵の侵入を防ぐためのものではない。
まかり間違っても、迷宮の魔物を外へ逃がさないためのものなのだ。
※
「いやー。まさか来て早々、別の街に出かけることになるとは思わなかったよ」
意外だとばかりに笑むメロであったが、その表情はどこまでも楽しげだ。
旅用の外套で小さな身体を覆い、口許を隠しているメロだったが、声音だけで表情が読めてしまう。
元来が根なし草のメロは、移動となるとそれだけで気分が昂揚するらしい。
……安いなあ、本当。
俺は苦笑しながら言葉を受ける。
「本当にな。俺も、まったくの想定外だったよ」
どうしても皮肉な言い方になってしまうのは避けられなかった。
ただまあ一方で自覚もあるのだ。どうせ、何があろうと最終的には避けられない選択肢だったのだろうと。結局は同じ結論に至っていたのだろうと思う。
だからといって、それに納得するかどうかはまた別の話なのだが。
「――ん、来たみたいだね」
人生のままならない感みたいなものに思いを馳せていたところで、ふとメロがそんな風に口を開く。
見れば、彼女の視線の先から、こちらへと向かってくるひとつの影があった。
小柄な体躯――といってもメロほどではないが――に薄橙の髪。それを今は頭巾状にした外套で隠し、早足でこちらへと駆けてくる。
「彼女でしょ――例の、ナントカさん」
「ピトスな」
「そう、それ」
「つーか、学院で一回会っただろ」
「あのときはほとんどセルエしか見てなかったし」
「あっそ……」
適当なメロに呆れながら、小走りの人影を出迎えた。
――ピトス=ウォーターハウス。
今回、俺とメロで護衛の依頼を請け負った同級生の姿である。
こちらへ駆け寄ってくるピトスは、俺たちの姿を認めると眉を顰めた。
それから諦めたみたいに肩を下ろして、小さく溜息を吐きながら頭を下げて言う。
「おはようございます、アスタくん。――まさか、アスタくんが依頼を請けたなんて、予想外でした」
「失望させたなら悪かった」
俺は苦笑する。ピトスの反応がオーバーで、不覚にも傷つくより先に笑えてしまった。
学生の護衛を同じ学生が請け負う時点で、例外的といえばそうなのだろうが。
「いえ――ちょっと驚いただけです。不満なんてまったくありません」
と、ピトスは小さく首を振った。どうやら不満がない、という部分は事実のようだ。
問題は、そんな箇所は論点でさえない、というピトスの表情だった。
彼女はどこか、何かを諦めたように醒めた口調で問う。
「ありがとうございます、メロさんも。改めまして、ピトス=ウォーターハウスです」
「ん。よろしく、メロ=メテオヴェルヌだよ」
「あの七星旅団の一員が護衛についてくださるなんて、恐縮です。アスタくんの実力は知ってますし、なんだか簡単な旅になっちゃいそうですね」
まるでそれが悪いことであるかのようにピトスは言った。
彼女は俺へと視線を戻すと、目を細めて訊ねてくる。
「いいんですか? わたしの護衛なんて引き請けてしまって」
「生憎と、先立つものがなくてな。いろいろと入用なんだ」
「そういうことじゃなくて……アスタくん、わかって言ってますよね?」
「…………」俺は無言で肩を竦める。
それが、そのまま答えだった。
ピトスはじとっと視線を湿らせ、睨むようにこちらへ向けてくる。
「前々から思ってましたけど」
「何?」
「アスタくんって、実は結構、性格悪いですよね」
「そうかな。レヴィよりマシだと思うけど」
「そういうところが、です」
ぷう、と頬を膨らませてピトスは不満を表した。
それからすぐに相好を崩し、朗らかに微笑んで呟く。
「本当にもう……こっそり秘密のまま行こうと思ってたんですけど。お節介な人に捕まったものですよ」
「それはエイラに言うべきだな」
俺は軽く肩を竦める。
実際、この依頼に金を出しているのはエイラだ。本人の意思でさえない。
それでも、それが好意からの申し出である以上は、ピトスに断ることなどできないのだろう。
なんて不器用な奴だろう。
苦笑を禁じ得ない俺に対して、けれどもピトスは首を振った。
「アスタくんも充分そうでしょ? どれだけ時間かかるか、わかったものじゃないのに」
「あくまで運搬の依頼のついでだよ」それは決して嘘じゃない。「仕事の本筋は運びのほうで、護衛のほうじゃないんだから」
「……では、そういうことにしておきましょう」
納得していないとばかりに言うピトスだったが、それは俺も同じことだ。
勝手な勘違いで、善人のように認識されるのは困る。あとで期待を裏切って、そこで失望を受けるなんて御免だった。
俺はあくまでエイラの依頼で、金で雇われたに過ぎないのだから。
「それと――確かあと、もうひとり護衛が来るって聞いてたんだけど」
周囲をきょろきょろと見回しながら、ピトスが首を傾げて言った。
その情報は初耳だった。だが確かに思い返せば、エイラは『何人かに打診している』というようなことを言っていた気がする。
ならば俺たち以外の誰かが、同じ依頼を請けていても不思議ではないだろう。
――どこかに隠れているのだろうか。
俺はそう考えた。雇われた側なら、護衛対象より先に待ち合わせには来るだろう。
視線をわずかにメロへ向ける。彼女ならそれだけで察するはずだ。
メロは苦笑して頷くと、ふっとその瞼を柔らかに閉じた。感覚を封じ、意識を外部へと拡散させていくメロの索敵方法……いわば野生の勘である。
直後――メロが通りの奥へ向けて魔術を放った。
ちょうど裏路地のほうへと別れる場所だ。彼女の創った火炎の魔術が、まるで野生の蛇のように蛇行しながら路地を進む。
やがて炎の軌跡が、裏路地の死角へと消えたときだ。
「――きゃあっ!?」
という、どこか可愛らしい悲鳴が轟いた。無論、魔術の蛇が向かった先から。魔術を受けた誰かが驚愕に発した声音だ。
ただ、その誰かと同じくらい、俺も盛大に驚いていた。咄嗟に叫ぶ。
「馬鹿じゃねえの!?」
「あ、ひっどー」
「『ひっどー』じゃねえよ!? お前、何を街中で魔術なんかぶっ放してんだ!!」
「何って……今のは隠れてる誰かを炙り出せっていう暗黙の、」
「だからって攻撃までする普通!?」
見つけてくれれば、それで充分だったというのに。
本当に、驚かせてくれる奴だった。ていうか、それどころじゃないっていうか。
「おい奥の人、怪我ないか! 大丈夫か!?」
俺は叫ぶ。路地の陰からは、今なお咳き込む女性の声が聞こえる。
なんとなく――誰がいるのか察しはついていた。
やがてしばらくすると、通りの置くからひとつの人影が現れる。
けふっ、と魔術の煙にむせながら、ゆっくりとこちらへ歩いてくる少女。
――シャルロット=セイエル。
それは懐かしい、かの迷宮攻略メンバーのひとりであった。
「シャル。お前も依頼を請けてたのか!」
「……そうだけどっ、なん……っで攻撃されなくちゃ――!」
「あー、すまん。それは全面的にメロが悪い」
「いや大丈夫だよー。ちゃんと対処できる人って、わかったから撃ったんだし」
「わかっても普通は撃たないんだよ。わかる?」
「いやでも、気配の消し方なかなか上手かったし。いわばそう、祝砲の代わり的な!」
元気に答えないで多少なりとも悪びれてほしかった。
意にも介さずメロは続ける。
「――それで。君もエイラから依頼を受けてきた、ってコトでいいのかな?」
「ええ……そうよ」
「名前、訊いてもいい?」
「……シャルロット」
不機嫌そうに名乗るシャル。言葉がどこまでも端的だ。
そのままメロを睨みつけながら、シャルは敵意を剥き出しにして言う。
「あなたが、あの有名な《天災》メロ=メテオヴェルヌ?」
「うん。最近名乗ってばっかりだし、自己紹介は要らないよね? うん、これからよろしく」
「…………」
シャルは答えなかった。いきなり魔術で不意打ちされたことを怒っているらしい。
いや、隠れるほうもどうかとは思うのだが。それとはまた別の話として。
すでにチームワークが死んでいる。幸先が悪いにも程があろう。
「ともあれ、この四人で東の《タラス迷宮》を目指すことになるわけか……」
なんとなく、強い不吉を俺はこの時点で感じていた。
――そもそも面子からして不吉だ。
迷宮で事件に巻き込まれた三人に、加えて天災だ。
何も起こらないほうがおかしいとさえ思う。
「……まあ、三人とも改めてよろしく」
意を決して告げた俺に、
「よろしくです」「…………」「そんなことより、あたしお腹空いたんだけど」
三者三様の返答をくれる、個性豊かな女性陣だった。最後の奴は蹴り飛ばした。
「酷い!」うるさい。
俺は頭を抱えて蹲る。……本当に、依頼を上手くこなせるのだろうか……。
どうしようもない不安が拭えなかった。
――四人の旅路が始まる。
※
といっても、タラス迷宮までの道のりは、はっきり言って短いものだ。
徒歩でも一日あれば充分に着く。まして今回は馬車を(エイラの金で)用意していた。依頼の剣を十一本も運ぶのは、さすがに手持ちじゃ面倒だからだ。
道中の街道は魔物が出没するような危険地帯ではないし、人災――盗賊なんかも、魔術師の街の近隣にはほとんど現れない。
冒険者を襲うなど危険性が高すぎるからだ。その割に見返りも少なかった。
この近郊で盗賊に身をやつす人間は、まあそうはいないだろう。
念のため、馬車の速度はかなり控えめにした。御者は俺が勤めたが、その辺りは特に不満もない。
……なんだか気まずい道中だった。
周囲をきょろきょろと興味深そうに見回すメロ。
無言のまま俯いて、ただ静かに瞑目しているシャル。
どこか遠くを眺めて思索に耽るピトス。
全員が互いを意にかけず、思い思いに時間を過ごしている。せめて御者を買って出た俺を気遣うくらいならあってもいいような気はしたのだが、誰もそんなそぶりは見せなかった。
なんていうか……まあいいや。もう、なんでも。
俺たちはそして、夕過ぎには件の《タラス迷宮》のすぐ近辺まで到達した。
推定最高深度五十層クラスの迷宮と目される、オーステリア近郊ではほぼ最大の規模を誇るダンジョンの少し手前。
すなわち――クラン《銀色鼠》の野営地が存在する場所である。




