6-28『vsアーサー=クリスファウスト』
戦いの幕はとうに上がっている。
けれど俺は動かない。動けないのではなく、その意味がないからだ。
「おいおい、いいのは威勢だけか? かかってきたらどうだよ」
ジジイ――アーサーもまた動かない。
ただこちらは俺と違い、別に機を窺っているわけではない。単なる余裕であり、単なる当然。
どんな戦いだろうと、こと《時間》による影響を三番目が受けるはずもないのだから。
アーサー打倒のための必須要件はひとつ。
奴に攻撃を届かせることだ。
すなわち奴の纏う、言うなれば時間の鎧とでも呼ぶべき防御を貫かなければならないということ。
――三名の魔法使いはそれぞれが特有の、ある種の《絶対防御》を身に宿している。これはかつてアーサー自身から聞いたことで、ともすれば《魔法使い》は必ずその特性を所持しているのかもしれない。
そう、これは能力というより性質に近い。
能動的に身を守る必要はなく、本人の特性が無条件に発動した、その発露の形でしかないからだ。
一番目であれば《運命》による防御。
彼には攻撃が届かない。敵の放つあらゆる攻撃は、なぜか偶然、必ず外れる。
二番目であれば《空間》による防御。
彼女は位置を自在に操る。ここではないどこかに存在し、三次元的な位置に縛られない。
あるいは最新の魔法使いも、いずれその特性を会得するのかもしれなかった。
さしずめ、奴ならば《世界》に愛され、どんな属性だろうとそれに害されることがなくなる――といった感じだろうか。
まあ、俺にはわからないことだが。
話を戻そう。三番目であるアーサーの防御特性とは何か。
奴は《時間》によって守られている。どんな攻撃も奴のいる《時間》に辿り着かない。アーサーが纏う《時間の鎧》を、なんらかの方法で破らない限り、攻撃が到着する時間にあいつは存在しない。そういう無法をまかり通す。
その意味では《二番目》の手法と似ている。
目の前にいるはずのアーサーは、けれど概念上、今ではないいつかに存在しているのだ。現在で放った攻撃は、そうであるという時点でもう、アーサーには通用しない。
必ずしも魔術師としての位階が高いわけではないとされる魔法使いの、けれどこれが、最強たる所以と言えるだろう。
幸い、これはあくまで自動防御の範疇に属するため、絶望するほどの絶対性はないのが救いだ。
たとえば同じ魔法使い同士であれば、お互いに攻撃を届かせることができる。《運命》による防御は《空間》や《時間》支配で覆せるし、それは別の組み合わせでも然り。それ以外にも、単純な自動防御は通常魔術で貫けないわけではない。
シグの魔弾のような高密度の魔力による攻撃なら、それだけで相手の魔力を散らし、防御を貫通する。アーサーが「オレにも有効だ」とかつて言っていたため、真似ることで最低限、通用する攻撃は撃てるだろう。シグほどアホみたいな連射はできないが、まあ手段のひとつだ。
問題は――問題がそれだけじゃなさすぎるところである。
俺は懐から煙草を取り出す。
煙草屋の親父さんから貰った七つ星の銘柄。
アーサーが口を開きかけたが、それに先んじるように俺は言った。
「脇に倒れてるフィリーさんが心配だ。迂闊に攻撃できねえよ。人質は解放してくれてもいいんじゃねえの?」
「あァ? 何を言い出すかと思や、なんだそりゃ。バカも極まれりだぞ、テメェ」
「俺はフィリーさんを救出しに来たんだ。うっかり巻き込みました、なんて冗談にもならん。それこそ今度はマジでウェリウスに殺されるっつーの」
言いながら、俺は煙草に火をつける。
意図を察したアーサーが、露骨に顔を顰めて呆れながら言った。
「火ィつけるための時間稼ぎの言葉かよ、下らねえな。狡い真似しやがる」
「時間の魔法使い相手に時間が稼げりゃ、普通なら自慢話だろ。それに嘘言ったつもりもねーよ」
「……そうかよ」
「テメェこそ余裕のつもりか? 言っとくが俺は、舐められて見下されても普通に歓迎する男だぞ。つけ入る隙になる」
言い切った俺に、アーサーは呆れた様子で。
「そんなダセェこと、さも自慢げに主張してんじゃねえよボケ。何も格好よくねーよ」
「うるっせえな。なんでそんなこといわれなくちゃなんねーんだよ」
「教えたろ。――魔術師は格好つけてナンボだってな。何度言やぁわかる? だからお前はダメなんだ」
「……、……」
「まあいい。まあいいさ。お前の言う通り、場所だけは移してやろうじゃねえか――いや」
にやり、アーサーの口元が歪む。
直後、集い出す強大な魔力。
否。それは今初めて形になったものではない。初めからずっとあったもの。
それに気づける力が、まだ俺にはなかったというだけのこと。
「オレが変えるのは、場所じゃねえ――《時間》だ。そうだろ?」
言葉と同時、世界が一変する。
――魔法。
そう、これが魔法だ。
ただの魔術とは一線を画す神秘の最奥。
この世に魔法など存在しない。
だからこそ、魔術でありながら魔法と称されることの異常性。
それが、ひと目で突きつけられるかのような変化だった。
「……っ!」
「驚くな。それでも魔術師か、テメエは」
景色が流れていく。一方向へ。
早送りされるテープのように風景が加速していく。何もなかった白光の空間が、徐々に色を、形を帯びていく。
気づけばフィリーの姿はなくなっている。だがそんな変化は実に些細だ。
そうして。
気づけば周囲は、一面の赤土が埋める荒野に変わっていた。
赤黒。植物など生えるはずもない、死んだ土砂の大地。
それは空も変わらない。夕焼けを通り越し、《天》という概念そのものが灼かれたような景色。星はなく、にもかかわらず、どこから発生しているのかもわからない光源がある。
地平線まで見渡せそうなほど広大な空間。
そのところどころに、小高い丘や、あるいは谷が見受けられた。
「こ、れ……は」
「遥か昔、この大地はこういう姿をしていた」
呟いた俺に、アーサーが答える。
いや、これは答えたのか。ただ単に口を開いただけか。
おそらく。彼はただ、話しているだけだ。
俺のほうが――答えるべきなのだ。
「オレどころか、あの《日輪》すらまだこの世界に発生する以前の世界。直で見たことのある奴がいるとしたら――は。あの鬼くらいのもんだったろうよ。いや、あいつは引き籠もりだったんだったかな」
「ここは……迷宮の中じゃ、ないのか」
「忘れたのか。迷宮はそもそも人為――かつての魔術師の結界が、長い年月の中で異常発達したものを指す。迷宮ってのは新しいのさ」
そういう意味で問うたわけではない。俺はただ、周囲の風景が明らかな屋外に変わったことを指して呟いたつもりだった。
が、考えてみれば、迷宮内で迷宮らしからざる光景を見たのは初めてじゃない。
たとえば、レヴィと初めて会ったときに見た草原の景色とか。それを思えば愚問だった。
「ま、より正確に言えば、迷宮ってのは入口なのさ。本来はそれこそ死にでもしなきゃ入れねえ《世界の裏側》に接続する、現代にも遺る稀少な入口。お前らが攻略した《五大迷宮》も、要はその接続の深度が直で裏側に通じてる迷宮のこった」
「……世界の裏側」
「適当なネーミングだがな。で結局、それらは太古、そもそもは世界の表側にあったのさ。そっちが本来的な世界のカタチなんだ。それらが徐々に裏返っていったに過ぎねえ」
「…………」
「ゆえにここは地上なのさ。地上でありながら地上ではない場所なんだ。詩的だろ? 古の時代、星の表面にはまだ《魔》が遺っていた」
「それが、裏側に引っ込んだだけ……」
だから迷宮は、地上から消え去った魔力空間への、現代における唯一の扉なのか。
いや。問題はそこじゃない。
では今、なぜ俺がそこにいるのかだ。消え去ったはずの地上になぜ、俺とアーサーが存在しているのか。
「……時間、旅行……いや、その逆か」
「正解だぜアスタ。ハ、花丸をくれてやろうか?」
「俺たちが時間移動したわけじゃない……。周囲の空間のほうを過去に戻した……そういうこと、なのか」
「時間旅行なんざそう簡単にできねえ。ましてそんな術式、さすがに同意もなくお前にかけられねえさ。だがここは概念空間だ。俺たちではなく周りの空間そのものの時間を巻き戻すことなら――これなら容易だ。そうだろ?」
フィリーの姿が消えたのも、これなら説明がつく。
移動したわけじゃない。俺たちも、フィリーも、あの場所から一歩も動いていない。
ただ《周囲の空間》が丸ごと過去に戻ったから姿を消したのだ。今も、現代の同じ場所にフィリーはいるのだろう。それは俺たちも同じ。移動はしていない。変わったのは周囲だ。
気を失っているフィリーは、アーサーに周りの空間の一部として処理されたのだろう。
「…………」だが。
なぜだ。なぜ、そんなことをする?
その意図が読めない。
いや、少し違う。単純に意味があると思えないのだ。
そして実際に意味がない。
意味がないことをするはずがないのに、この行為には意味がない。意味がないことをした意味がわからない、とでも言えばいいだろうか。
戦場を移すよう言ったのは俺の側だ。
それに応えて、アーサーは《空間の時間》を過去に戻した。
だが、そんなことをする必要があっただろうか。
少なくとも俺には――ほんのわずかとはいえ――無駄に魔力を消費したとしか思えない。それがアーサーの敗因に直結するとは俺だって思わないが、一方でメリットも何もない。
――それがあまりにも不可解だ。
「おう。ビビってんな、アスタ?」
そして、そんな俺の内心を的確に読んだアーサーの言葉。
思わず舌打ちが漏れそうになるのを寸前で堪えた。そして言う。
「は――うるせえ。時間魔術のご高説は拝聴させてもらったが、そんなパフォーマンスに、それこそ時間割いてていいのかよ?」
「お前こそ。さっさと攻撃してくりゃいいのに、なぜしない? それがビビってるっつーんだろ? そら、お前の番だ。なんでも足掻いてみたらどうだ」
……この野郎。
いやその通りですけど? 悪い?
警戒しないほうがバカだろうが。
「……そうかよ」
「いや、悪いとは言わねえがな。そうだろ。なにせお前は、オレの魔術を――ほとんど知らねえ」
「だから……どうした? んなこたわかって来てんだよ、俺は!」
こっちだって、準備はとうにできている。
確かに、無防備でいるアーサーに攻撃しない、なんて選択肢は馬鹿げていた。慢心しているのなら、つけ込むのが俺の方法論だろう。
ゆえに俺は、煙草の煙に文字を見出し――。
「望み通り、こっちから攻撃させてもらう――」
ぜ、と――印刻を起動した。
それと同時に、違和感に気がついた。
やはりおかしい。
なんだ、この拭いきれない強烈な違和感は。
何かが妙だ。だがもう俺は攻撃のモーションに移ってしまっている。
これを止めることはできない。
このまま攻撃するしかない。
いや、待て。
おかしい。
そもそもなぜ、
俺は、
こんなにも長く思考を――。
「ああ。言い忘れちゃいたが」
その瞬間。
俺は――荒野の空に光を見た。
走馬灯の奥の灯火を。
「オレの攻撃は、千年前に終わってるぜ?」
光は空から降り注ぎ、俺の体を呑み込んだ。
※
其は、時間の概念を統べし者。
その男を前に、時間などというものは意味を持たない。
彼の目の前に立ったときが敗北か。
否。敵対者は全て、空に相対する前から敗北が決まっている。
彼の攻撃はとうに放たれている。
彼の攻撃はとうに終わっている。
攻撃を済ませたという過去を、彼はすでにして所有しているのだから。
空間ごと過去に戻した理由とはなんだ。
決まっている。
それは、すでに攻撃を設置した時間に敵対者を連れ出しただけの行為に過ぎない。
ゆえにこそ彼は無敵なのだ。
其は、時間の概念を統べし者。
アーサー=クリスファウスト。
三番目の自己自身者。
時間の魔法使い。
いずれも、すでに敗北が決定づけられた過去から逃れ得る者はなく。
もう終わっている光景を、ただ眺めるのみに過ぎない。
「――――」
天より降り注ぐは光弾の嵐。
それ自体は、純粋な高密度の魔力塊にほかならない。掠めるだけでエネルギーを流し、肉体を破壊する性能がある。
とはいえそれ自体は、同等の防御魔術で防ぎきることのできるものだ。
だが、それが千年前という現在に放たれたものであれば話は別。
予備動作はない。――それは過去に済ませてある。
魔力は必要ない。――それは過去に支払ってある。
照準はいらない。――それは過去に合わせてある。
術式は制御せず。――それは過去に終わっている。
ゆえにその結果は、単なる答え合わせに過ぎない。
着弾。赤茶けた大地が、爆撃によって抉り取られて舞う。
砂埃の向こうには揺らめきがあった。直後、矢のように飛び出したアスタが、弧を描くような軌道で地を蹴り、アーサーへと肉薄する。
寸前で攻撃を察知し、防ぎながら回避するように最速で駆け出したのだ。
「主神、保護に水、車輪に駿馬……」
呟くようなアーサーの言葉。彼はアスタが切っている札を的確に見抜いていた。
当然だ。
そもそもアスタに印刻魔術を教えた張本人、それがアーサーである。
「火に秘密、人間……下らねえ」
そして右足を振る。乱雑な、拗ねた子どもかのような適当極まりない動き。アスタを狙ってさえいない。
それが直後、何もないところから現れたアスタに直撃する。
そして気づけば、さきほど爆撃の下から飛び出してきたアスタの姿が掻き消えていた。
「ご、――ぁ……っ!!」
アスタは咄嗟に防御しようとして、けれど間に合わない。
失った片腕。その分の死角では防御もできない。
「そんな三流の幻覚に嵌まるか、タコ」
「っせえ、だら……あっ!」
脇腹を容赦なく蹴りで打ち抜かれ、けれどアスタもその程度では狼狽えない。
伸ばされる左腕。二の腕から先がないはずのそれを、けれどアスタは動かしていた。
アーサーがその挙動に片眉をわずかに揺らす。
意味のない行い。防御を捨ててまでない左腕を動かしたのだとしたら、それは。
「巨人を仕込んだか」
左腕。その切断面から、《架空の左腕》が魔法使いへ伸びる。
白い光。だがアーサーの光弾とは違い、バチバチとその輪郭を揺らめかせている。
それは雷でできた腕だった。
「そして野牛に栄光」
「ぐ――く、そ……っ!」
だが、それさえ完全に読み取られている。
否。これでは、もはや未来を読まれているかのよう。
アスタは咄嗟に敵を抑え込む選択肢を諦め、腕型の雷をそのまま射出する。五指を開いた手が伸長するように飛来し、アーサーの首元を掴んで切り離された。
直後、それはバチリ、と音を立てて破壊される。
「財産」
破壊はアーサーではなく、アスタが自ら行ったもの。
首元へ雷が飛べば、当然その対処に追われる。アスタはそれで勝負が決まるとは思わず、むしろ伏線に変えたのだ。次の魔術をより高い効果のものへと変える、その前段階。攻撃力は、初めから込めていない。
撃ち込まれた雷撃が周囲へ均等に拡散し、地面へと吸い込まれていく。
「故郷」
同時に距離を取るアスタ。人差し指と中指に煙草を挟んだ右腕を地につく。
「防御、――そして一日」
「……っ!」
攻撃に見せかけた伏線張りは、攻撃に対応しようとした者――それができた相手にこそ隙を作る。雷撃を防ぐ魔術を間に合わせるほどの強者ほど、次の一手が遅れる。そのはずだ。
だがアーサーは、初めから雷撃の腕を防御しようとすらしなかった。
挙句、その対応力は魔術ですらない。
彼はただ当たり前に、アスタの攻め手を読みきっているだけのことなのだから。
ごく単純な、それが経験値の差。
いかな伝説であれ、魔法使いほどの《時間》を持っていないことの証左。
「収穫、成長。そして必要」
言いつつアーサーは、だん、と片足で地を強く踏み込む。
赤土が、流れた。
彼の足元――その周囲に散った《雷の荊》が、ただそれだけで掻き消える。
いや、消えたのではない。
その空間一帯の時間が、ほんのわずかに過去へと戻ったのだ。
わずか一部、世界の時間を巻き戻した。
「――っ、らあっ!!」
「豊穣」
そのときにはもう、それを読んでいたようにアスタは次の行動へと移っていた。
読んでいた――そうなのか。あるいは単に、彼にはもう波状攻撃をしかけるほかないだけなのか。
いずれにせよ、攻め手を休めている暇のあるはずもなく。
彼の持つ煙草の先端が、熱量を急激に高めていた。
「太陽、軍神」
熱量が、渦を巻きながら放たれる。
「贈り物」
片腕を、渦を止めるように前へ。アーサーは攻撃を正面から受け止める。
それと同時、炎がその色を急激に変えた。
高温は反転し極低の世界へ。運動を停止させる霜が、纏わりつくようにアーサーを侵食する。
「氷」
「――行っ、け……!」
それが拘束として、どれほどの意味を持つものか。
効果時間は、ほんの一瞬。けれどその一瞬があればアスタには充分なはずで。
「雹」
竜巻く氷雪。一点に圧縮された天災が、アーサーの頭上に叩き落とされる。
それは巨大な風と氷塊でできた巨大なドリルが、天から落下してくるかのような一撃だった。
間違いなく最大火力。
それを防ぐ暇も、たった一瞬、霜によって止められるはずだった。
そう。アーサーが、腕を前に伸ばしてさえいなければ。
「…………っ」
アーサーが軽く手を振るう。ただそれだけで、アスタの攻撃は打ち消されていた。
アスタは、歯噛みする。
攻撃が通じなかったわけではない。
策が及ばなかったわけでもない。
ただ、読まれた。
アーサーは自ら手を伸ばした。それだけ。たったそれだけの行為。
自分から拘束に触れただけなのだ。
それは確かに効いていたのだ。
ただ、その発動がちょっとだけ早くなっただけのこと。
だから、その終了もわずかに早くなっていた。
――だから、防ぐのが間に合っただけ。
高度な魔術で防がれたわけではない。
時間という領域で奇跡を起こされたわけでもない。
それができる男に、
それすら必要とさせなかった。
手を伸ばし、自分から拘束を受け入れることで発動のタイミングをずらした。
彼がやったのは、そんな、魔術ですらない行いだったのだ。
「誰がお前に戦い方を教えてやったと思ってる、なあ?」
「――っ」
「そんな戦法、七年前でも知ってるぜ。間抜けめ」
返す言葉すらない、隔絶。
絶望には充分すぎるほどの力の差を見せつけられて。
「返すぜ」
そして直後、今度はアスタがはっと顔を空に上げた。
そこから感じた強大な魔力。
それが自分のものであると気づいた瞬間――アスタに残された選択肢はほとんどひとつだった。
「っ――、く!」
「運命」
氷雪の嵐を、その魔力を完全に無効化する。
おそらくアスタの魔術は、ほんの数秒後の未来の、アスタの頭上に飛ばされたのだ。
当然、彼にはその程度のことが可能だ。
それが魔法使いにとって難易度の高い切り札なのか、ごく簡単にできる魔術なのかさえ定かではなくとも。
予想していて然るべきではあっただろう。
そして無論、自らの頭上に降り注ぐ攻撃を防いだということは。
その視線を、アーサーから切ったということでもある。
「お前は速い」
アーサーの顔が、すぐ耳元にある。
加速。時間を圧縮するかのような接近。これも時間魔術なのだろうか。
アスタにはわからない。
「だがオレのほうが、早い」
アーサーの右手の人差し指が、アスタの額をとん、と突く。
いつだったか、それはやられたことのある行いだった。
それは、この世界にまだ来たばかりの頃。初めてアーサーと会ったときの記憶。
頭に直接、ルーンを刻まれるという苦い経験。そのお陰で異世界の言語を覚えられたとはいえ、笑って思い出したい記憶ではない。
「つまりお前は――手遅れ、だ」
そして。時間魔術が発動した。
何が起こったのか、アスタにはわからない。
ただ蹴りを腹部に喰らい、思い切り吹き飛ばされたと気がついた。
地面を跳ねる。赤土を巻き上げながらバウンドする。
痛みが、全身を襲った。
この程度で音を上げてしまうほど、柔な鍛え方はしていない――そのはずが、全身を襲う耐え難いほどの苦しみ。
「ぎぃあ……っ! が、げほ……っ、ぅ――え」
胃の中のものが全て飛び散った。何も入っていないから、それはほとんどが体液だ。
肋骨がいくつかへし折れているのがわかる。
呪われたみたいに全身が痛い。苦痛という苦痛がアスタを襲う。涙を耐え切ることができない。
「な、ぐぅ……えほっ、ぶ――げほっ!」
「そりゃ効くさ。なあお前、鏡がないと気づけねえか?」
「な……に、言って……」
「懐かしい姿じゃねえかって話だよ。この頃、お前はいくつだった? まだ十四だったか、確か。そりゃ体もできてねえし、強大な魔力に耐えられるほどの器もねえよな」
「う――、ぶ」
吐き気と眩暈が止まらない。輪郭のぼやける視界で、アスタは自分の掌を見た。
その大きさの、なんと頼りなく小さいことか。
まるで七年くらい一気に若返ってしまったかのように――。
いや。まるで、ではない。
それは確かにアスタ=プレイアスが、初めてこの世界に来た頃の姿。
まだ、一ノ瀬明日多だった時間の肉体。
蹴りの一発でヘタレるのも当然。大の大人の、魔力で強化された一撃を、子どもが喰らえばそうもなる。
体調の異変も単純な話。
この頃の肉体の、魔力の制御力があまりに低すぎるからだ。これは純粋な、素人が陥るような魔力酔いだ。
迷宮の内部は瘴気に満たされており、一般人が立ち入ると侵蝕され、肉体に支障をきたす――。
誰でも知っている、それはこの世界の理屈だ。
出力も魔力も、一切合切が《まだこの世界に来たばかりの頃》まで一気に戻っている。この頃のアスタが耐えられる魔力の空間ではない。
「俺……を、若返らせた、の、か……!」
「気が効いてんだろ? 今見ると意外にかわいらしいな。本当、すぐに死にそうだ」
「…………っ」
「いや、実際もう手詰まりかね。だってよ、お前。ルーンなんざひとっつもオレには通じてねえじゃねえか!」
そうだ。ただでさえアスタの攻撃は、アーサーにひとつも通じなかった。
その腕で肉体が若返っている。
技術は、記憶は戻っておらずとも、器そのものが未熟なままだ。今のアスタ制御したところで、どうしても越えられない部分が必ずある。この肉体は、まだ伝説の素養を受け入れらるほど成長していない。
「とんだ見込み違いだ。ああ――ったく、やるせねえぜ」
一歩。地面を転がったアスタに、アーサーが近づく。
彼は片腕を天に上げた。
「これで終いか?」
魔力が集っていく。なんとか抵抗しようにも、体がまるで動かない。
「お前にできる、これが全てか?」
問い質すかのような言葉。
このまま行けば、ほんの数秒後にアスタは死ぬだろう。
アーサーを前にして、その時間のいかに重いことか。
「どうなんだ。答えてみろ、なァおい?」
「……、……ぅ」
「あ?」
「る……せえ。違う、っつてんだよ――クソジジイ」
それでもアスタは折れていない。
ぼろきれのように転がって、その上でなお敵を睨んでいる。
「――ああ」
と。果たして、魔法使いは小さく呟いた。
――そうだ。それでいい――と。
「見せてみろ。覆してみろ、アスタ――行くぜ」
そして、次の瞬間。
集った光が、アーサーの頭上で圧縮される。
「時間を加速させて魔力を集めた。率は空間魔力にしてざっと十年分ってとこか――内情はただの魔弾だが、ここまで来るなら威力もわかるな? 言っとくがお前、シグウェル程度じゃ比較になんねえぞ」
状況は絶望的。
体はボロボロになり、肉体年齢は若返り、こちらの魔術は一切通じず、すぐ目の前には十年単位で圧縮された破滅的な魔弾が発射寸前。こんな埒外、いったいどう覆せというのだろう。
その答えを、しかもこの期に及んでアスタは持っていない。
「――でも、ぜってえ諦めねえ」
考える。思考を回す。無様でもなんでも勝ち筋を探す。
殺意で向かってくる魔法使いを相手に、無傷の勝利など馬鹿げた話だ。
こんな窮地は最初から想定済み。
いや、そもそもアスタ=プレイアスという魔術師は、窮地になって初めて煌めくタイプだ。
はっきり言って、それは御免被りたい特性だと自覚しているけれど。
それでも単純な話、勝ちを確信した相手ほど隙ができるのだから仕方がない。
そういうところを突くのが、アスタの方法論なのだから。
「は」
と、師が笑う。
弟子もまた笑った。
「超えてみろ、――オレを」
そして。
魔弾が発射された。
主人公は盛られないのに、敵ばっか盛られていく……。




