6-24『セカンドインプレッション』
自身の肉体、その調子を精査する。
魔力を通せば簡単だ。心身の状況を常に把握するのも、魔術師の第一義と言っていい。
――万全には、程遠いと言うべきだろう。
もっとも呪われてからこっち、俺が万全だった瞬間などないも同然だが。そういう意味ではなく、単純に体力や魔力の問題として考えて、消耗したものはどうしようもないという話。
費やした分は必ず減る。等価交換などと大袈裟なことを言わずとも、当たり前の理屈ではあるのだろう。
少なくとも、同等の迷宮を同じだけ潜る以上の消耗を強いられたことは事実だ。
マイア戦から始まり、ピトスとフェオから逃げ、ガストや《月輪》との邂逅――何より《木星》アルベル=ボルドゥックとの決戦。魔物の影も見えない今のオーステリア迷宮だが、あんな魔術師どもを相手取るくらいなら、普通の迷宮をひとりで突っ走るほうが遥かに楽だろう。
いや、それは通常、楽だなんて言葉で表現される行いではないのだが。
さておき。
結果としてキュオネのお陰で、俺は体力/魔力の両面を回復することに成功した。
アルベル戦では実質、自分を死者としてカウントすることになったのだ。思えば一度気絶し、目覚めた段階で、キュオが俺を治療してくれていたに決まっている。でなきゃ動くことすらできないほど重傷だったのだから。
――ならば少なくともキュオネinメロには治癒魔術を行使する能力があり、だとするなら初めから俺を回復させるために来てくれたという点には気づいていてもよかった。
キュオが来た時点でショックが大きすぎて頭が回らなかったのだ。
本当、やってくれる。あの戦いは実質、俺の負けのようなものだろう。メロもそれを含んでいてくれたのだとするなら、あのふたりはただただ俺を助けるために来てくれたようなものだった。
初めから、俺ひとりで全ての関門を突破すること自体、不可能だったわけだし。
それでも突っ張った俺を、仕方ないなあ、と手伝ってくれたのだ。いつになっても敵いそうにない。
だったら初めから、そう言ってくれればよかったのに――と思わなくもないけれど。
メロのほうは、まあわかる。
キュオに肉体を貸すことは承服しても、彼女自身の立ち位置は、キュオと違って止めにきたほうだろう。なら妥協点として、俺とキュオを会わせる前に戦っておきたい、とメロが考えても不自然じゃない。
ただキュオのほうは、初めから治療すると言ってくれてよかったように思う――というかキュオなら、むしろそのほうが自然な気がした。
治療するからさっさと座れ。ひと言そう告げれば、自分で言うのもなんだが俺は素直に従っていただろう。
いや、断る理由自体ないのだが、でなくとも逆らえなかったし。
実際、さっきも戦い終わったあとは似たような流れだった。キュオはあれで理性的というか合理主義的というか。感情がないのではなく、持っている上でそれを無視してその場のスタンスを選べる人間だ。
冷酷でなくとも冷酷な行いはできるし、優しくなくとも優しくできる。それが人間だ、なんて以前の彼女は言っていた。
……どういうつもりだったのだろう。
彼女も、今日くらいは戦いたかったのかもしれない。でも、どうにもやはり、そこにはなんらかの――まだ俺ですら気づいていない意図が隠れているような気がしてならなかった。
疑っているわけではなく、そういうふうに信頼していると思っていただきたい部分だ。
ま、考えたところでわからないのだが。
とりあえず回復できた。それで充分すぎることも事実。
もちろん全快とはとても言えないが、動くことに支障がないだけですでに最高だ。
何より肉体以上に、消費したはずの魔力が戻ってきていることが凄まじい。
本来、そんなことは治癒魔術師にだって不可能なはずなのに。ぶっちゃけ理屈がわからなかった。
キュオの奴、まさか死んでから技量を上げたとでも言う気だろうか。
――キュオならあり得なくない気がするのが恐ろしいところだ。
もともと、キュオが教団に狙われたのは、その治癒の能力がやがて《蘇生》にすら届きかねない素質を秘めていたからである。
この王国における《魔法使い》の定義とは、その術者当人にしか起こせない結果を起こすこと。
もしキュオが《死者蘇生法》を確立していたら、四番目の魔法使い認定を受けていた可能性がある。……そういう理解であってるよな?
「……魔法使い、か」
魔法使いに魔法は使えない――。
それはわかっている。その称号はあくまで畏怖と尊敬とを込めてのものなのだ。魔法とは理屈を超越して奇跡を起こすことであり、完全に理屈がある魔術とは原理から異なるモノ――わかっている。
だが、どうなのだろう。それでも、何があっても、ほかの誰にも真似できないというのなら、それは魔法と何が違う? 魔術も魔法も――決して魔術師の言うことではないが――実のところ大差がないのかもしれない。
それとも、これは俺が、あくまで地球生まれの異世界人だから思うことだろうか。
――誰だって、きっと不可能に挑んでいる。
そう思ってしまうのは――。
※
「っ――は、ぜっ、はあ……っ!」
戦いは熾烈を極めた。現役時代を思い返しても、こんな形で追い詰められたことはない。
現実、それは俺のほうが勝手に縛りプレイをしているからではある。いや、俺だって好きでやっているわけではないが、《呪われて戦力が下がり》《ブランクがあり》《相手を殺すわけにはいかず》《できれば傷つけもしないで》《学生とはとても思えない実力の》《しかも魔術剣士を》《無力化する》という多重縛りを強制されては必死にもなる。
――つーか、この女……。
強い。目の前の、亜麻色の髪の戦乙女から視線を逸らせない。
レヴィ=ガードナー。
実務ではなく伝統としてオーステリアを統べる、ガードナー家の長女。次期当主。その才能は歴代でも最高位に位置するとされ、法制度から身分制が喪われた現代でもなお力持つ《貴族》ギルヴァージル家すら超える歴史を持った家系――その最高傑作であるとか。
剣の技量だけでも、騎士として充分に天才的と言っていい相手が、しかも魔術師を兼ねている時点で反則気味だ。
どうやら相手にも殺意はないらしいが、手加減されているということは、言い換えればこちらから行動を制限しにくいという意味でもある。
ぶっちゃけた話、めちゃくちゃにやりにくかった。
「……強いわね」
こちらを見据える彼女が、ふと言った。
そりゃどうも、ってなところだ。通常それは自分が上という自負なくして、出てこない言葉である。
ただ、彼女の言葉はそこで止まらなかった。
「いえ……巧い、と言ったほうがいい。正直かなり驚きよ。本当に学生?」
一瞬、俺は答え淀んだ。
別に隠したかったわけじゃない。
会話に乗るべきか乗らざるべきかを迷ったのだ。
だが、結局答えた。
「嘘じゃねえよ。まあ正式な入試は受けてねえんだけどな。あとでいくらでも学院に確認取ってくれ」
「……入試は受けてない……? 何それ」
「あー……まあ推薦枠っつーか、なんつーか。お前、そういう話は聞いたことないのか?」
「……ある、わね」
あるんかい。
いや、ならより好都合だ。
「もともと現役の冒険者だった男子学生がひとりいるって。あとで紹介してくれるってお婆様が言っていたけれど――なるほど、それがアンタってわけね」
「そういうことだ」
「……それなら納得できない話じゃないわね。入学者の情報なんて、当人以外はまず知らないでしょうし」
と、そこでようやく彼女は、剣を鞘に納めてくれた。
よかった、どうやら信用してくれたらしい。俺もほっと息をついて警戒を緩める。
「改めて、アスタ=セイエルだ」
俺は笑みを見せる。
彼女もそこで初めて笑った。
「レヴィ=ガードナー」
「よろしく。――セルエに言われてお前の救助に来た。つっても、そこまで実力があるとは思ってなかったが」
「……お前って呼ばないでくれる?」
と、フレンドリー(当社比)に接した俺に、彼女が睨みを利かせてきた。
「……あー、なるほど。んじゃ、レヴィって呼んでも?」
俺は訊ねる。彼女――レヴィはその片手をこちらに出して。
「よろしく、アスタ。悪かったわね、こんな形で巻き込んじゃって」
「……仕事として請けた依頼だ。気にするな、レヴィ」
俺もまたその手を取ることで答えとした。
なるほど、こういう奴か。――嫌いじゃない。
「さて。俺としちゃさっそくいっしょに出たいわけだが……変なこと訊くぞ。ここ、どこだ?」
お互い挨拶も済んだところで、さっそく問いかけてみる。
レヴィは軽く肩を竦め、なかなか絶望的なことに。
「……正直、そう訊かれると答えに窮すわね」
「草原……だもんな、ここ。とてもじゃないが迷宮の中とは思えねえ」
辺りは一面の草原で、それが地平線の先までだだっ広く続いている。果てがないようにすら見える光景。
太陽はなく、にもかかわらず真っ昼間のように明るい。迷宮の中じゃない以前に、国内にこんな景色が実在するかという点から疑わしかった。なんらかの結界空間の中、と見るのが自然だろう。
「オーステリア迷宮の内部……と決めつけるわけにもいかん。さっきから探知が働きゃしねえ」
「探知? ……迷宮の中で」
「得意分野でね。大抵の迷宮なら数層纏めてマッピングするくらいなら余裕なんだ」
「……そんな簡単に?」
「簡単……ではないんだが別に。ただ範囲判定が今、この空間にしか機能してない……ここはここで、ここだけで独立している空間っぽいんだよな」
「範囲判定って」
あるいは純粋に地上か、だ。
景色的には現実味が薄いけれど、この世界なら絶対にあり得ないというレベルではない――かもしれない。
「どっちかっつーと、地上に放り出されてるほうが厄介だな。もし一方通行式のトラップなら、世界のどっかからオーステリアまで純粋に歩いて帰らなくちゃならんくなる。破りゃ戻れる結界のほうがマシ――」
「ちょっと待って。そんな簡単にこの場所のこと把握できるわけ?」
「ん?」
説明のために呟いていた俺を、レヴィが止めた。
「いや。把握っつーか、ただの推測だぞ? 要は現状わかんねえってことしか言ってないんだが……」
「だとしても驚きよ……なるほど、そっちのほうが本領ってわけなのね。ね、どうやって調べてるのか教えてよ」
俺はきょとんと眼を見開いた。
ツンケンした奴かと思えば、術式に関してあっさり訊いてくる。
普通、魔術師は自身の魔術の秘密を簡単には喋らない。
「……俺は印刻使いだからな」
ま、俺の場合は答えても支障ないのだが。
「ルーン魔術師! へえ、会うのは初めてだな……私も手を出したことあるけど、もうぜんぜん」
「……あるのか。ああ、そう……」
訂正。だとすると少し支障が出る。
教えても真似できないし、誰もしない。だから教えても構わない。
ただし――《本当に誰にも真似できないこと》がわかってしまう相手に言うのは少し厄介だ。
超マイナー魔術であるルーンを知っているとか、予想外だ。
「ま、いいか。ちょっと下がっててくれ」
言って俺は懐から煙草を取り出す。
それに火をつける俺を、素直に下がったレヴィが興味深げに覗いていた。
「煙草? ……まさか一服したいからってわけじゃないわよね?」
「見てりゃわかるさ。――《成長》」
直後、起動した《成長》のルーンに従い、足元の雑草がニョキニョキと育っていく。
そいつはそのまま長さを増していくように、上へ上へと茂っていった。
「……ルーンを、え……どうやって。まさか煙草の煙で……!?」
その反応はルーン魔術が本来、煙草の煙で簡単に発動できるようなものではない、と知っている者の態度。
俺は、それを意図的に無視したまま呟いた。
「これで確定、だな。――ここは結界空間の中だ。しかも……これは確定じゃないが、人為的なものかもな」
「……どうしてそれが確定するわけ?」
「《成長》のルーンで、こんなニョキニョキ草は育たん。強制生長には無理があるからな。普通の植物なら、まず途中で枯れる。そもそも、低い雑草が高く伸びる、なんて自然法則を無視した発現はしないんだ」
「……つまり、これは実際の植物ではなく、あくまで結界空間の中にある魔力物質ってことがわかる、と」
「ああ、そういうことだ」
最後まで説明せずとも理解できる辺り、察しも悪くない。
なるほど、神童と言われるだけのことはある。個人的な印象だが、才能ってのはこういうところに出る気がした。
「でも人為的っていうのは? 私は、その可能性は低いと考えてたんだけど」
それに話が早いのが何よりいい。何より、自力でもしっかり周囲の解析を進めている。
「逆に聞かせてくれ。人為じゃないという根拠は?」
「悪いけど、普通にそうは思えない――その可能性が低いからという以外にないわ。迷宮に私が入ってくることを読んで、罠を張っていて待っていたとしても。ここまでの異空間を成立させ続ける結界術師なんて心当たりがないし、私を誘い込む理由だってない」
「術者が近くにいるとは限らないだろ? 結界だけ残してあるだけという可能性は?」
「どれほどの術式がいると思ってるの、それ? 人間に賄える魔力量じゃない」
「……いい線だ、同感だな」
「なら、どうして人為だと?」
「勘だよ。いや……というよりは経験かな。言ったろ、元冒険者だって」
俺は《成長》を止め、目の前で風に揺れる草をぷち、と千切った。
「成長と強化は違う。ルーンで生長を促したところで、植物はこんな風に育たない――そう言っただろ?」
「ええ。そのルーンは植物が本来、生長する形に沿った発現の仕方しかしない。そういうことでしょ」
たとえば花の芽に《成長》をかければ、いずれ咲く。
つまり、芽そのものが大きくなるわけではない。
この雑草の育ち方は、どちらかと言えばそういう発露だ。この背の低い植物は何年生きても巨大化はするまい。たぶん。
「そのことから、この植物は魔力が元になったものだということがわかる。言うなら結界そのものの一部であることがだ。結界の一部であるがゆえに、この植物に《枯れる》という機能がない――だから生長して、言うなら老いるということがないんだ。初めから、そういう機能は持っていない。この植物は生きていない――ゆえに結界空間であると断定できる」
「それで?」
「ここからは経験則なんだがな。迷宮みたいな、世界そのものと一体化している結界は、その内部の植物を育ててもこういう風にはならないんだ。なんか、こう……予想を離れた変な植物になったりする」
「……結界内の、別の法則に従った生長ってコト?」
「そう。異界には異界の法則があり、その異界の法則通りに生長する。なんならたまに襲ってくるからな」
「どういう経験してるワケ……」
「で、人為的な結界だろうと法則があることは変わらない。問題はその法則なんだが……こういう、ただ大きくなるだけ、みたいな法則性は、割と人間の考えっぽいんだよな。自然すぎて逆に自然的じゃない」
「つまり……人間が作った結界の法則だから、人間が普通に想像するような生長をするってコト?」
「そういうこと」
たとえば、この植物かいきなり花を開かせるとか、なぜか草同士が絡み合っていきなり植物性ゴーレムになって動き出すとか。
人為ならざる異界であればあるほど、そういう理解の範疇を越えた《生長》をすることが多いのだ。経験的に。
「まあ確定じゃないんだけどな。統計というか経験上、割と信頼してる判断方法ではある」
「……面白いわね」
結論づけた俺に、レヴィはそんな言葉を呟いた。
「そうか? 俺はむしろ、厄介ごとの匂いがしてきて困ってるが」
「そうじゃなくて。――貴方のことよ、アスタ」
「……俺?」
きょとんと首を傾げた俺に、小さくレヴィは苦笑して。
「そ。だってそうでしょ? 貴方はずっと、それがわかるだけの経験を積んできたってことになるんだから」
「…………」
「すごく面白そうな人生じゃない。生まれてからずっとあの街にいた私には、わからない経験」
「……まあ、いろいろあったからね……いや本当に」
「そっか。なんだかな……そういうのって、少しだけだけど……羨ましいと思う。いいえ、素敵だと思う」
嫌な経験ばかりしている事実を突きつけられて、思わず目を細めてしまった俺に対し。
レヴィは欠片の嫌味もなく、素直な本心として《羨ましい》と口にした。
――思えばこれが、俺が彼女に興味を持った初めての部分なのかもしれない。
「それよりさ」
そんな思考は、レヴィの言葉で封印されて。
「お、――あ、ああ。なんだ?」
訊ね返した俺に、レヴィは問う。
「それだけの経験をしてきた、優秀な冒険者の貴方に訊きたいんだけど」
「嫌に持ち上げるなよ……。なんだ?」
「――アスタ。貴方、確かセルエ先生の紹介で、この場所に来たって言ってたわよね?」
「あ、ああ……そう言ったが」
「それに今、煙草を使ってルーン魔術を描いたわよね」
「…………そうだが」
「セルエ先生の知り合いで煙草を使う印刻使い――そうなると、私はひとつ、とても有名な名前を思い出さないわけにはいかないのよ」
「……………………俺には予想もつかないが」
「――アスタ。貴方、もしかして《紫煙の記述師》?」
俺は冷静にひと呼吸する。
何、落ち着け。レヴィにそれを判断する方法なんてない。
いや別にバレても構わないことなのだ。広く知られるのは困るが、個人が知る分には問題ない。
ただ、やっぱりリスクを避けるには隠すべきだし、俺みたいな呪われた奴が伝説の名を傷つけるのも心苦しい。
何より――それを彼女に知られることに、言い知れぬ嫌な予感を感じていた。
だから。だからこそ笑顔で、慌てることなく、冷静に対応するのだ。
大丈夫大丈夫。
誰かを騙すのはとても得意なアスタ=セイエルさんである。
俺は言った。
「ははは。そんなまさか。あの紫煙の、えー、何さんだったっけ? 俺がそんな、そんなわけないに決まってるだろう? まったくおかしなことを言い出すぜ、参っちゃうね」
「――ぷっ。あ、あはは……あっははははははははっ!!」
俺の言い訳を聞いたレヴィは、その瞬間に思い切り、心底から楽しそうに大声で笑った。
それこそ空間中に響き渡るような笑い声。俺は茫然と目を見開く。
「あはは……っ、もう……なんだかなあ。こんな年も変わらない相手が、世界に名前を轟かせる伝説だなんて。私、もっと嫉妬すると思ってたんだけど……くくっ。ああ、おかしい」
「……えーと」
「アンタ、――嘘つくの下手すぎ。笑わせないでよ、バーカ」
どうやら、俺の正体はバレてしまったようだが。
しかし、なんだろう。俺は俺でまた、彼女のことがひとつわかったように思う。
レヴィ=ガードナーとは、なんだか友達になれるような気がしたのだ。




