6-22『成長と変化』
平成内での完結は、すみません。無理です。
何度も期限決めては破ってるの申し訳なさすぎるので、もう期限は決めません。
いつか終わるやろ的な気持ちでお付き合いいただければ幸いです。
「――――――――、ちっ」
メロ=メテオヴェルヌは小さく舌打ちを零す。
別段、その手で武器を振るっているわけではない。魔術で敵を貫こうと手応えがあるわけじゃなかった。
それでもメロは、持ち前の勘と戦闘経験から攻撃が外れたことを察していた。
実際に目の前の煙の向こうに、アスタの魔力は感じられない。やがて視界が晴れたそこには、誰も立っていなかった。
「……本当に、逃げられちゃうんだもんな」
小さな吐息とともに、現状を言葉にするメロ。
手を抜いたつもりはない。殺意こそなかったとはいえ、行動を封じただけではなく、武器である煙草すら使用不能にした上での攻撃なのだ。どうしてこれに対処できるというのだろう。あの男の生き汚さは本当に常軌を逸している。
最速で、かつ的確に《最適解》を選び続ける綱渡り。
それを為すのが、アスタ=プレイアスという魔術師の才能なのだとしても。
ふっと、メロは体の力を抜く。
そこに怒りはなかった。想定を覆されて、なお平静でいられること自体が彼女の成長だろう。
少なくとも、この街に来る以前の彼女にはなかったであろう、それは心の強さだ。
挫折を知らない少女が、何があっても折れなかった――同じようでいて正反対な――青年から教わった、ひとつの強さ。
「あたしを撒けるほど遠くには逃げてない……逃げられないはず。だとするなら」
さきほどとの差異。そういえば、メロをここまで案内してきた使い魔がいない。
どうやら、自分は裏切られてしまったらしい。
まあ、実質的にメロをここまで案内したシャルは、初めからそういう思惑だったのだろう。むっくりとした毛玉のようなフォルムは結構お気に入りだったから、ちょっとばかり残念な気分。
『――案内には協力するけど、アスタの邪魔はさせない』
そんな意志が、あるいは込められていたのだろうか。
今回だって使い魔だけがやって来たのを見つけたに過ぎず、シャルから直接、何かを言われたわけではなかったのだ。
別段、メロはさしてシャルと接点がない。せいぜいタラスの迷宮に向かうときに顔を合わせたくらいか。
はっきり言えばメロは、顔や名前すらあんまり記憶していなかったくらいである。
そんな相手にやり込められて――怒りではなく楽しさを感じる。
ああ。確かにメロ=メテオヴェルヌは変わった。
「いい度胸じゃん。あのときの魔術師が、よくここまでの……これもアスタの影響なのかな」
今なら戦えば面白いかもしれない。そんな風に思った。
とはいえ今は、優先すべきは離脱したアスタの再捕捉である。
怪我だって全て癒えたわけではない。迷宮の構造そのものを無視できるメロが追いつけないなどあり得ない。
そもそも、いくらキュオネの魔力と術式を用いようと、行使者がメロである時点で完全再現は不可能だ。メロという存在では、キュオネ=アルシオンの全ては引き出せない。
メロの魔術特性そのものが、他者の術式を改変/改良して、独自の理屈に落とし込むものであることも影響しているか。いずれにせよ現状、メロが自身を通してキュオネの魔術を再現していること自体が奇跡じみた裏技だ。これ以上は高望みというものだろう。
――逃げられるとは考えていなかった。
それは事実だ。あらゆる手段を潰したつもりでいたし、事実として想定外だった。
けれど、その一方で。
――アスタならば、何か想像もつかない方法で対応してくるはず。
そう考えていたことも嘘ではないのだ。
でなければ初めて戦ったあの日、メロがとっくに殺している。
きっと、それはメロにずっとわからなかった、自分にない強さの形だから。
「……まったく」
強いか弱いか。その二択でしか他者を判断してこなかった。
その、初めての例外がアスタだったのだ。
だからメロは知った。きっと、人間が持つものはそれだけではないのだと。
あるいは――その見方が必ずしもひとつだけでは、ないのだと。
「でも、それはそれだから」
かつて思いのままに、感情のままに暴虐を振るっていた《天災》はもういない。
あらゆる経験を呑み込むことで、《天災》は成長しているのだ。
誰かのために戦う強さ。外側にモチベーションを作ることは必ずしも弱さじゃない。それは、たとえるなら他人と自分がひとつの歯車のように噛み合うのと似て。
――その上で。
己が意志を躊躇うことなく貫き通そうとする者こそを――。
魔術師と、そう表現する。
※
「くそっ……さっきから敵より味方に襲われてんだよなあ……っ!!」
まあ魔術師なんて誰も彼もそういう人種だ、と言ってしまえばお終いだが。
冗談めかして吐き捨てるも、さすがに苦し紛れ感が否めない。
そんな俺を、まるで慰めるみたいにして、頭の上でクロちゃんがぴょんこと跳ねる感触。
「おー……ありがとよ、本当に助けてくれてさ」
『別に。お礼を言われるほどのこと?』
なんて製作者の意志を反映したみたいに、細い手が俺をぺしぺし叩いた。
メロに体内の魔力を荒らされた。もちろん魔術は制御できなくなるし、それ以前に筋肉や神経すら乱されてまともな行動すら難しくなる。いわば《魔力酔い》に似た状況だ。さすがに、そんな状態で魔術は行使できない。
ただし、自分の魔力を使うなら。
なんて大きなことを思ったが、要するに俺はクロちゃんの――ひいては使い魔にシャルが込めた魔力を流用することで、気配を消して逃げ去ったのである。それも、ひとつ下の階に。
魔力どころか術式も借りているため、俺の手腕というには寄与した部分が何もないが――。
「……まさか、クロちゃんにメロの《北落師門》が再現できるとはな……」
正確にはシャルに、と言うべきだろうが。
考えてみれば《シャルロット》は、もともとあの師匠が《世界を救うために》生み出した人造人間だ。その神髄は、およそ人間が行使し得る全ての魔術への適性、という万能性にこそ存在する。
周囲が周囲だからつい忘れがちだが、元より特化型より万能型こそを理想とするのが魔術というモノ。だからこそ、特化した能力で万能性を発揮できるシグやウェリウスは強いのだが、教授のような、いわば《万能だから万能》だとでも言うような人間のほうが、基本的には《魔術師》として格上だ。シャルはその極致と言ったところか。
驚くべきは、その自身の特性を使い魔にさえ持たせていることだろう。
シャルは、使い魔を通じてメロの魔術を学習するという荒業に出たわけだ。
思えば対立した特性である。
既存の魔術を即興でオリジナルに組み替えるメロと、あらゆる魔術を学習できるシャル。新しいものを生み出すメロと、生み出した全てに対応するふたりの相性は、まさに互角と言ったところ。
「つか、シャルのことだ。あのとき、いきなり攻撃された意趣返しなんだろな……」
いい性格している。今回ばかりはそれに助けられたが。
とはいえ、たった一層、下に逃げたくらいでメロを撒けるとも思え――、
「ふぅん、そういうことだったか」
「――――っ!!」
反射的な回避行動。俺は迷宮の床を転がるみたいに前転する。
メロは、そんな俺に攻撃すらすることなく、当たり前のようにその場へと現れた。
「……いいのかよ? 不意打ちのチャンスを逃しちまって」
「それをするくらいなら、最初の一撃で攻撃してるに決まってるでしょ?」
メロは冷静に、そして怜悧に笑う。
「アスタに不意打ちなんて絶対に通じない。殺意や害意の混じった速攻にアスタなら絶対、対応する。アスタを倒すなら、正面から追い込む以外ないよ」
「――、ふうん。買い被ってくれんならありがたいね」
皮肉げに俺は笑ってみせた。そんなこちらに、けれどメロは。
「ううん。……それでもまだ過小評価だったみたいだね」
「……お前がそんなこと言うとは意外じゃねえの」
「そうかな? あたしは、――今はもうアスタが強いって知ってるから」
「――――…………」
その言葉に、俺は実のところかなり驚いた。
思えば、メロにこうして正面から実力を評価されるのは珍しい。もしかしたら初めてかもしれない。
皮肉げに変人呼ばわりされたことならある気もするが、この状況では喜びづらい。
「だから勝ってみたいな、ってちょっと思ったり?」
「……お前、まさか俺を倒したいってだけで攻撃してきたわけじゃねえだろうな」
「理由ならさっき言ったでしょ」
――そうだったとしても、別に文句言わせないけどね。
なんて言って、メロは小さな肩を軽く竦める。
「アスタを死なせたくないからだよ」
「俺は……」
「や、正確にはわたしが倒す前に死なれちゃ困るから、かな? 王道だよねー。『お前を倒すのはこのあたしだーっ!』てやつ」
「……本当に襲ってきてる奴の台詞じゃねえだろ、それ」
だいたい俺とメロの勝負なんざ九割方メロが勝ってるってもんだ。
いやまあ、というかおおむね、俺とメロが戦うと最終的にキュオが勝ってた気もするが。それ意味わからんな。
キュオは怖いからな。正直に言って、七星の中でいちばん戦いたくないのがキュオだと思う。
「どっちにしろあたしは、あたしの意志を通すよ。それがたとえアスタとぶつかったとしてもね」
「……お前らしいよ」
「そうかな。そうでもないよう気が、最近はちょっとするんだけど」
「あん?」
「んにゃ――んでもやっぱ、魔術師ならみんなそうじゃなきゃね」
「……それはそうだな」
マイアが、ピトスが、フェオが、ガストが、ノートが、アルベルが――それぞれの理由で俺に立ち塞がったように。
あるいはシャルやアイリスが、俺を手伝うと、そう言ってくれたのと同じように。
たまたま立場が違うだけ。どちらにしろ誰だって、自分が為すべきと信じるものに殉じただけのこと。
「ほんじゃあ、行くよ。勢い余って、あたしに殺されたりしないでよね」
「相変わらず無茶苦茶ばっか言ってくれる奴だよ、お前は」
「へっへへ」
何が面白いのか、メロは笑い。
そして魔術を起動した。
「――この一撃で決めるから」
「何……?」
「ただの宣言。乗るなら掛かってきなよ。正面から受けて立つ」
「……なるほどな」
「どっちの一撃が勝つか。そういう勝負も、たまには面白いと思わない?」
正直、この状態でメロに勝てるとは思えない。
呪詛は今も生きている。俺はどうやってもクロちゃんなくして魔術を行使できないのだ。普通にやっても、どう控えめに表現しても互角以上の相手に対し、ここまでハンデを背負って勝てるはずがない。
だからこそ意外な提案ではあった。
「……いいのかよ?」
「いいって何が。あたし、自分に不利な提案をしたつもりはないけど」
それは、その通り。俺よりメロのほうが魔術が強い。なら一撃の削り合いならメロに分があった。
それでも――そもそもそんな条件をつけずに、時間をかけて俺を追い込めばそもそも勝ち目のない勝負だ。ほんのわずかだけとはいえ、メロは俺に、勝機を残すための提案をしてくれている。
「それに、これは賭けだからさ」
メロは言う。
「賭け?」
「そ。あたしが勝ったらアスタを連れて帰る。アスタが勝ったら、先に進む」
「……そうだな」
「でも、止めに来たのはあたしだしね。それとは別に、勝者には特典も必要でしょ? あたしがもし負けたら、アスタの言うことなんでも聞いてあげる」
「……それは――」
「戦力は残ってたほうが、そのときにいいかと思ってねー」
もしメロが負けても、戦えるだけの体力が残るのなら戦力として期待できる、と。そういうことか。
元よりこれは殺し合いではなく、勝負。駆け引きによる賭けごと。ならば勝者には勝って目的を果たす以上のメリットがあるべきだ、とメロは言っているわけだ。
「……それもキュオに入れ知恵されたのか?」
「ううん? これはあたしが、そうしよっかなって思っただけのこと」
「……そうかよ。ちなみに、もし俺が負けたらお前は何を求める気でいるんだ?」
「アスタはしばらくあたしの玩具ね」
「掛け金が高ぇ!」
「それがいいよってキュオ姉が教えてくれたんだよね」
「入れ知恵されたのはそっちだったかー……」
軽く笑ってしまう。そんな俺を見てメロもまた笑った。
ああ。まったくそれなら仕方がない。
相変わらず俺は恵まれている。これには文句をつけられそうにない。
「……わかった。その賭けに乗ってやるよ」
「乗らなきゃ負けるのアスタだけどね」
「うっせ」
「事実そうでしょー。勝ち目あげてるだけあたしの優しさに感謝してほしいくらい」
「――してるよ」
「へっ!?」
珍しく。俺からも素直に話してみることにした。
魔術師なんて阿漕なもので、いつどの会話が最後になるかなどわからない。
だからこそ一度を大切にするのか、だからこそ常に態度を変えないのか。それは個々人によるだろうが。
それでも。
「……お前には感謝してる。お前が会いにきてくれてよかったよ、メロ」
「な、なんなのさ急に……!? 調子狂うなっ!?」
「そりゃよかった。ちょっとでも勝ち目が上がるなら言った甲斐があるってもんだ」
「すぐそういうこと言うっ!」
怒るメロに苦笑した。ちょっとした、これは照れ隠しのようなもの。
俺がいない間、最後まで逃げずに街を守ってくれた彼女に、これでも感謝しているのは本当だ。
「アスタのばーか。きらいっ!」
「そうか。……俺はお前のこと好きだけどな?」
「――――~~~~っ!!」
顔を真っ赤にするメロ。まったく、意外とかわいらしいもんだ。
「……ブッ飛ばす」
「来いよ。全部受け止めてやる」
――そして。
俺たちは、お互いに一撃を繰り出した。
※
先に動いたのはメロ。というより、そもそもアスタは魔術が使えない。
元より圧倒的にメロ側が有利な状況なのだ。ほぼ万全の状態のメロと満身創痍のアスタ。そうでなくとも、魔術の起動速度で《天災》に敵うはずがない。
発射されたものは、強大な魔力の奔流。光り輝く圧力の渦。
――全天二十一式、青の魔術。
銘を、《竜星艦隊》。
メロの保有する攻撃魔術としては、火力・速度において間違いなく最強。竜の息吹を模した破滅の一撃。一度の行使で七条の破壊光線を発生させるそれは、原典の《魔弾の海》とは別の方向性で、すでに己が技として成立している。
その、迸る光の螺旋の中へ。
「お――――らあっ!!」
よりにもよって、アスタ=プレイアスは真っ正面から飛び込んだ。
「ば……っ!!」
本気で全て回避するつもりなのか。魔術を使わず。
それは、さすがに想定していなかった。
死ぬのが怖くないのだろうか。触れるだけで蒸発するエネルギー波の隙間を、生身で抜けんとする精神性そのものが常軌を逸していた。一歩間違えば即死するだろう、それは曲芸じみた肉体運用。
だが、それくらいイカれていなければアスタ=プレイアスじゃない。
天災の敵にはなり得ない。
全てを回避し、メロに決着の一撃をブチ当てることだけを目的とした、捨て身に近い特攻。
「ちょバカ、死ぬ気!?」
思わず言ってしまうメロ。
ほんの一瞬だけ交錯したアスタの視線は、だが『お前が殺す気なんじゃなくて!?』などと語っている気がした。
――いやいや。誰に訊いたってアスタのほうがおかしいって言うでしょ。たぶん。
そんな風に思うメロだったが、いずれにせよ構わない。
確かに、アスタなど軽く七百人くらい蒸発できるだろう攻撃ではある。
だが、同時に信じてもいた。
アスタが――それに負けるはずがないのだと。
「バカは――」
事実。アスタは。
「――お前のほうだろっ!」
メロの攻撃を掻い潜ったその一瞬に。
確かに、メロへ反撃をしたのだ。
――というかクロちゃんをブン投げたのである。
「な……っ!!」
うねる光線を躱しながら進み、それでも進みきれなくなった瞬間。
体勢を崩しながら、ほとんど倒れ込むように振るわれたアンダースローから飛び出す、黒い毛むくじゃら。
投擲は、そう正確ではなかった。だが投げられた側に意志があるのだから、さして問題はない。
直後、メロの足元に円形の魔術陣が浮かび上がる。
「――――ッ!!」
その性質をメロは一瞬で見抜いた。
当然だ。メロにその才能があったなんて問題ではない。そもそも、その術の開発者がメロであるからだ。
迷宮の構造を無視した簡易瞬間移動を確立させる、メロの疑似転移魔術。彼女があまりにも簡単に乱発していることが本来は異常なのであって、その性質は空間干渉一歩手前の大魔術とも呼ぶべき埒外だ。
無論、アスタにそんな魔術は使用できない。
そもそも魔術そのものを現状、彼は封じられている。
シャルの使い魔越しの魔術であった。
――やら、れた……っ!
メロは思う。ほぼ刹那にそれを理解した。
防御は、不能。間に合わない。元よりそれは攻撃魔術ではないのだ、防ぐという考えそのものがそぐわない。
メロにアスタを殺す気がないのと同様、アスタにだってメロを傷つけるつもりはない。なら決着は、単純に叩き伏せるような攻撃ではないのだ。使い魔に再現が可能なのはわかっていたのだから、想定して然るべきだった。
いや。元よりアスタ=プレイアスは、あの手この手を使い分ける手段の多さを武器とする魔術師だ。
そんな彼が、一度見せた技を二度も使ってくること自体、想定の裏を突いている。
わかりきっていたことだ。
化かし合いでは、アスタ=プレイアスに及ばないということくらい。
初撃決着なんて手法はあまりにアスタに有利すぎる。魔術の威力や速度で優っていても、必ずルールの陥穽を突いてくるのが彼という魔術師なのだから。
「く……っ!」
それでも。それでもメロは、あえてアスタの土俵で挑んだ。
その上で彼を上回ってみたかった。余裕ではない。確固たる挑戦の決意として。
だから――、
「お――――らあぁぁっ!!」
直感。メロは攻撃をキャンセルして、全魔力を足に込めながら地面を踏み抜いた。
だん! と軽い音。威力など考慮していない。体重の軽い少女が片足を踏み鳴らしたところでその程度だ。
ゆえに狙ったのは威力ではない。ただ全力の魔力を地面へ――そこに描かれた陣へ通すこと。
――ばきん!
と、ガラスの割れるような音が響き渡った。
足元の術式を、メロは魔力尽くで強引に踏み砕いたのである。
成立寸前だった魔術が、それによって強制終了される。疑似転移によって上層に叩き戻されることをメロが防いだ形だ。
かつてアスタが行っていたような、瞬間の術式解析による破戒などとはレベルが違う。それは単に、メロが持つ膨大なエネルギーを利用した破壊だ。魔術師としては実に低レベルな行いと言えるだろう。
だが、メロだって。
迷宮に数多存在するトラップを、片足で軽く解除していく意味不明な男を見てきたのだ。
舐めてもらっては困る。仮にも《天災》と呼ばれる少女が、彼の技術をいつまでも《意味不明》で放置すると思ったら大間違いだ。
シャルがメロの魔術を模倣したように。
メロだって、アスタの手管を真似ようとした。
それだけのことだった。
「――さすが」
という笑い声が、聞こえたような気がした。
これで条件はイーブン。初撃決着はお互いに通じなかったという箇所に戻った。
メロは、それを言葉に変えようとして。
「これで――」
「だけど」
「え――わぷっ!?」
直後、顔面に何か柔らかいものがぽすんと振れた。
重力に従い落ちるそれを、メロは両手でキャッチする。
なんのことはない。
それは、さきほどアスタが投擲したクロちゃんの本体である。メロの両腕でもふっと跳ねるかわいい毛玉だ。
やわらかくて好きだった。じゃなくて。
「――俺の勝ち」
にやり、と笑うアスタが地面にすっ転んだ状態で締まりなく格好つけていた。
それが格好いいかどうかはともかくとして、今のアスタの言葉には反論せねばなるまい。
「なんでよ。アスタの攻撃はちゃんと防いだんだけど」
「いや?」
だが――まあなんとなく想像はついていたけれど――アスタの余裕は崩れない。
「俺の《初撃》は、ちゃんとお前に当たってる」
「……はあ?」
「お前が防いだのは、クロちゃんが行使した魔術だろ。それ、別に俺がやったんじゃないし」
「んな……っ」
あんまりと言えばあんまりな屁理屈。
それも、ああ、思い出す。いつもアスタに通されてきた想い出を。
「俺の初撃は、あくまで《クロちゃんの投擲》だからな。確かにお前に当たってる」
「……そういうこと言うかな……」
「顔に当たったからって、顔面セーフとは言わねえだろ?」
「何それ」
「通じないか……ま、それはいいけど。とにかく、俺の初撃は、確かにお前に攻撃を通したぜ?」
そういう言い方をすれば、そうだろうか。
確かに、アスタに限って言えば、行った行動の中で攻撃と言えるものはクロちゃんの投擲だけ。だがクロちゃんに魔術を使わせることではなく、投げたクロちゃんそのものを当てることが攻撃だったとは、いかにも屁理屈だ。
――通っているかもしれないけれど。
「まったく、なんにも、ダメージなんて受けてないんだけど」
「ダメージを与えなきゃいけないなんて決まり、聞いてないからな。てか俺がお前を攻撃してどうすんだよ、損しかねえ」
「……~~っ、ああもうわかったよっ! あたしの負け、あたしの負け!!」
はあ、と息をついて、メロ=メテオヴェルヌは確かに認めた。
己の敗北を。
それは、きっとかつてのメロなら認めなかった決着だ。あるいは弱くなったのかもしれない。
だけど――悪い気分ではなかった。
だって。アスタなら、メロが何をもって負けとするかくらい当然に見抜いてくる。
七星旅団時代、何度も喧嘩を吹っかけたことはあったが、こんなに生温いことは当時のアスタは選ばなかった。それなりに痛い目を見たこともメロは覚えている。
つまり今、アスタは今のメロならば、それを敗北と認めると知っていたということだ。
少女の変化を、きちんとわかってくれているということだ。
だって――アスタは、ずっと前から、メロにそうなってほしいと願っていたから。
それがわかるから反論できない。赤くなっていく顔を背けて、恥ずかしさを誤魔化すのが関の山だ。
やり込められた。上回れなかった。その悔しさ以上の嬉しさに包まれていることが何より腹立たしくて仕方ないのに、どうしてかまるで怒る気になれない。
どころか嬉しくて嬉しくて、崩れてしまう顔を隠すほうに全霊を向けなければならないというのだから始末が悪い。
――アスタの、ばか。
「うし」
立ち上がったアスタが小さく呟く。
「そういうことだ。そろそろこの呪いを解いてくれると嬉しいんだが」
「……ああ、まあそうだね。あたしは負けたもんね」
クロちゃんを逃がして、メロが言う。
ひょこひょことこちらへ跳ねてくるクロちゃん。懐いているのか、あっという間にアスタの頭に収まった。
だが。
アスタが受けた呪いは、解かれていない。
「こうなるって、やっぱりわかってたのかな……なんかな」
「……あの。メロ、さん?」
「でも約束だし仕方ないよね。これ、あたしが悪いんじゃないもん」
「ねえ。ちょっと? なんの話してるの? ねえ!?」
何かが不穏だ。嫌な予感がしてならなかった。
だが。思えば予兆はあった。
いくらメロが変化したとは言っても、だからってアスタとの決戦にまで不利な方法を持ち込むことはない。
不利な条件で、それでも勝ちたがったことは嘘じゃないだろう。メロがそれを選んだこと自体に不思議はない。だがアスタを引き留めるという目的があった以上、どうしてもそれとは食い違う。そちらを優先するなら手段は選ばなかったはず。
ここまでアスタを追ってきたのだ。
いくらメロだって、何も気紛れで彼の邪魔はしない。いや、するかもしれないが、それでも冗談が通じない状況くらいわかる。今はそれだ。
アスタに相対する以上、アスタに対し通したかったメロの《我》があったのだ。
魔術師は、それを何より優先する。
手段と目的を取り違えて混同するほど《天災》は愚かではない。
ならばなぜそうした。
決まっている。そうするように提案されて、メロがそれを受けたからだ。
たとえ彼女が敗北したとしても、目的を達成できるだけの条件が整っていたからだ。
――この《天災》が。
たとえほんのわずかでも、自身の意志を曲げてまで言うことを聞く相手など限られている――。
「確かにあたしは負けちゃったけど」
「あの……」
「でも――ああ、うん。――わたしは、また別の話……だよね?」
「……………………」
「あ、あ――――あーあーあー。うんっ! オーケーオーケー、いい感じ。さっすがメロってところかなっ!」
メロの口から。メロの声で。
絶対に彼女のものではない声が聞こえてくる。
「……、メロさん?」
「えー? 酷いな。もう違うってコト、アスタならわかってくれると思ってたんだけど」
あえてたとえるならば、それは《日向の狼藉者》セルエ=マテノの、人格の切り替えに似ているだろうか。
顔も声も変わらない――にもかかわらず、何か決定的に違うものが話しているかのような。
いや、それでもやはり違う。
彼女の人格切り替えはシームレスだ。魔術的に切り離されたふたつの人格であろうと、元がひとつの存在であったことに変わりはない。
だが今のメロは、まるで魂ごと別人に切り替わったかのような変化だった。
変貌、というより変質に近い。そもそもメロは、セルエのような多重人格者ではないのだから、それも当然だが。
「……さすがに。それは、予想してなかったわ……」
呟くアスタに――メロではない誰かが答える。
その外見の一切がメロだというのに、アスタにはわかった。メロではないと。
「そう?」
と。本来のメロならば滅多に見せることのない、花の咲いたような笑みを浮かべる誰か。
愛らしいその表情が、なぜだろう、メロの普段見せる勝ち気な笑みよりむしろ恐ろしくてならない。
「忘れられちゃってたなら悲しいなあ。だって、わたしだよ? それくらいするよ。当たり前でしょ?」
「……お前だもんな」
「わたしはアスタが大好きだからね。こんなに想ってるんだもん。男の子なら、きちんと受け止めてくれなくちゃ」
「……無茶を、仰る……」
「女ってわがままなものだよ。男の子に都合のいい存在だと思われたら困っちゃうな。でも仕方ないよね。今だって、こんなに愛してるってこと、ちゃんと知っておいてもらいたかったし」
「……いやあ。知ってたつもりなんだけど……ね?」
「本当にそうかな? わたしがいないのをいいことに――最近はほかの女と遊んでるみたいだけど」
「…………………………………………」
「なんて、ねっ。うそうそ、ほんの冗談だよ。別にそこまで、アスタを縛りつけておくつもり、ないって」
そんな言葉がメロの外見からもたらされていること自体がいっそホラーだった。
始末の悪い怪談。相手が霊魂である事実を思えば、なるほど的を外した感想ではないのかもしれない。
ただ、それが実際に肉を得ているとなれば、話も変わってこよう。
「ま、用件はそんなトコ。メロには感謝しないとね。だいぶわがまま言っちゃったし」
――アスタ=プレイアスは。
これまで、死の危険を感じ取ったことなんて幾度となくある。
その全てを潜り抜けてきたからこその伝説だ。「死ぬ」と思ったくらいで死ぬなら、今ここには立っていない。
だが。
「久し振り、ってのも変だけど。おっす、アスタ」
「……………………」
そんな彼であっても。
「昔の女が――会いにきたぞ?」
――あ、これ死んだわ。
と。戦う前から確信したのは、たぶん生まれて初めてだった。
※
レヴィ=ガードナー奪還戦。
第五戦。
選手変化。
vs《万象の昏闇》キュオネ=アルシオン(inメロ=メテオヴェルヌ)。
アスタにとって(ある意味で)過去最大の修羅場、到来。




