6-15『vs■■■■=■■■■■■』
――想定くらいは、しておくべきだったのかもしれない。
ガスト=レイヴの存在は、いわば伏線だった。
ある種の適性がある人間は、死後もその魂を《世界の裏側》に留まらせておくことができる。たとえばキュオがそうしていたように。
生命は肉体、魂魄、そして精神の三要素によって構成され、肉体とは魂を現世に繋ぎ止めておくための、いわば楔。
《生きている》という状態が、今いるこの物質世界での活動を意味するものである以上、肉体の死は生命としての死と同義に捉えられるものだが、実際には違う。肉体が死んでも、それは厳密な意味で魂魄と精神の消滅には直結しないからだ。
肉体が手放した魂魄は《世界の裏側》へと向かう。
通常、それは個として成立せず消えてしまうものだが、稀に強靭な精神が魂魄を守護して消滅を免れることがあった。これがキュオやガストだったということだ。つまり肉体、あるいはそれに準ずる機能を持つもの――天才エイラ=フルスティが創り出したあのペンダントなど――があれば、ある種の《よみがえり》が可能になるわけだ。
では今、目の前にいるモノはどうなのか。
アルベル=ボルドゥック。
あいつならば、あるいは死後も魂を保持していて違和感はない。それくらいのことを成し遂げる男だとは思う。
だが、実際にはおそらく違う。彼はとうに、魂の《個》を失ってしまっている。それは、目にすれば一発で理解できることだった。――アルベルにはその適性がなかったのだろう。
ここから先は仮説だ。
「……お前。死んでなお、自分を世界から隠し続けたってのか……!?」
「オァ、アァア、ァオアァァァァァァァァァァ――ッ!!」
生前の《木星》アルベル=ボルドゥックが完成させた最強術――《ただあるがままに》。
死後に魂だけで発動させたのかもしれないし、あるいはそれが発動したまま死んだせいかもしれない。
しかし魔人となることで裏側と接続した上、通常ならば立ち入りできないその裏側へ自らを肉体ごと隠す魔術を開発したアルベルならば。
あるいは次には、その裏側からさえ自分を隠してみせた可能性はある。
世界に溶け出してしまわないよう、その効果が及ばないように世界から隠れる。裏側に送られた自身の魂魄を、世界そのものから隠蔽することで、消えてしまうことに抗った
いるけれど、いない。
そんな矛盾を体現してみせた、逃走と隠蔽の天才だからこそ成し得た奇跡。俺はそう読んだ。
ただし、それには大きな代償が必要だったようだ。
ぶちぶちと膨れ上がる《肉体》が、狭い迷宮の壁に押さえられて自らの行動さえ阻害している。
こんなモノは、もうアルベルではないし人間でもない。少なくとも、俺にはそう認められる気がしない。
怪物だ。
魔物でさえない理解の埒外。《魔人》でさえ留まっていた領域を超えてしまっている。
おそらく完璧ではなかったのだろう。魂そのものに個を保つ適性はなく、それを魔術によって強引に行ったが、本来なら不可能な行いだ。少しずつ溶け出していく個を保つために、彼は。あるいは《月輪》は。
ほかの魂をエネルギーとして合成した。
正確にはその残滓。魂魄から発生した精神エネルギー、人間の意思としての魔力を呑み込んだ。それは他人の魔力を自分自身で奪い回復することに似ているが、それを世界の裏側で行ったせいだろう、意識が交ざり合っている。
自明だ。明らかにアルベルではない者の魔力を感じるのだから。
主体はまだアルベルだろうが、すでに多くの精神が混ざり込んだことで、彼は巨大な《負の感情の集合体》とでも呼ぶべきモノに成り果てていた。
アスタ=プレイアスを殺す。
生の最後に願った、その意志に従うための――死した殺戮感情体。
だが。
「――――ッ!」
魔力の膨らむ気配を感じた俺は、思考を打ち切って踵を返す。
とにかく逃げよう。今の膨大な魔力の塊だ、下手に突けば待っている者など自明……爆発である。
いくらなんでも俺では防げないだろう。
もし単一の魔力ならば、たとえば再集結のときに《竜の息吹》を地面に流したような防御も不可能ではないはずだが、こんなにも雑多な魔力が不規則に混じり合っていては、おそらく術式を計算しきれない。無理。
とりあえず、逃げるしかなかった。
「――《野牛》、《巨人》、《必要》、《氷》、《成長》、《豊穣》――!!」
大盤振る舞いだ。
停止の意味を持つ《氷》を主要素として《巨人》による荊として形成、《必要》で拘束の概念を補強し、エネルギー量を《野牛》で底上げ、氷の荊の規模を《成長》と《豊穣》で助けた六重ルーンの拘束魔術。
ぐん、と大量の魔力を消費した感触があったが、これくらいしなければ止められまい。
義手で描いたルーン。それを後ろ手に振って放った俺が見たものは、ぐんぐんと成長していく停止の拘束と。
それがあっさりと破られる光景だった。
「おい嘘だろそれは予想外……っ!?」
ばぎん、という破壊の音を背中に、俺は全力で走った。ガン逃げである。
おいマジか。まるで足止めになってねえ。そこらの奴なら停止の概念だけで下手したら死ぬレベルの拘束魔術だぞ、何をあっさりと破ってんだ……!
――あり得ねえ。っていうか完全に魔力の無駄遣いになった……!
さすがに俺も焦る事態だ。魔術の完全な無駄撃ちなんて俺がしていいことじゃない。
だが、もはや逃げる以外の手が思いつかなかった。
「く、そ……《駿馬》ッ!!」
脚力を強化して一気に廊下を駆け抜け、曲がり角を折れていく。
とりあえず広いところに出ないと対応もできない。あんな巨体じゃ最悪、潰されるだけでこっちは死ぬ。
ああもう。
「これだから力押しは嫌いなん……なんだっ!?」
全身に走る畏れ。それは直感が鋭敏に違和感を知覚したという証拠。
曲がり角を折れた俺は、その直後に振り返る。そのせいで、見なきゃよかったという光景を思い切り目の当たりにしてしまった。
迷宮の壁に――ひびが入っている。
「……おいおい。嘘だろ」
基本的に通常の手段では破壊できないはずの迷宮を。
いや、そりゃ教授レベルの埒外なら決して不可能ではないことは知っていた。だが今、目の前で起きたのは、そんな超越者による知識と技術の賜物ではない。奴は肉体でそれを為している。
そのほうが、魔術を使われるよりよほど意味がわからない。
何をどうやったって、物理的に破壊できるものではないはずなのだ。
左に折れ曲がってきた俺。
振り返った先では今、右手側の壁が削られる形でひび割れ始めていた。このまま行くと、奴は壁の一部を削る形でこちらに押し寄せてくるだろう。舐めんな。アホか。
息を呑む。
どうするマズいマズすぎる。対応策が思いつかない――。
思考の、そんな一瞬の隙を突かれた。
アルベルの腕が刹那、こちらに伸びてきたのだ。
文字通りに。膨れ上がる肉が増殖するように体積を増していた。人間にできていい真似ではない。
「ぐ……っ、お――」
その腕に首を掴まれてしまった。呼吸が止められる。
腕というより、もはや触手のようだ。近いモノを思い出すなら水星の変身魔術だが、いや、これはそれとも違う。単純に体積が増加し続けているだけだ。
首を掴まれたまま、俺はその腕をアルベルの腕に突き刺した。そこに直接、ルーンを刻み込むために。
――《火》。
「……ぐ、ふ」
その腕を焼き切って拘束から逃れる。
だがダメだ。手首(と言っていいのかもわからないが)で切り離された手が、それ単体でなお俺を殺そうと動いた。
――死ね。死ね死ね死ね殺す殺してやる死ね――。
そんな思念が、俺を掴む腕から伝わってくるような気がした。実際にそうなのかもしれない。
アルベルを構成する負の要素。それが彼の腕を動かしているとするなら。
なんとか逃れるべく抵抗しようとする俺。だが――そのときだった。
みしり、と大きな音が響いた。
亀裂が走る。床に。それは確実に、アルベルが意図して行った破壊だ。
奴は俺を巻き込んで迷宮の床そのものを破壊したのだ。
止める暇もない。気づけば俺は、そのまま床の破壊に呑まれ、できあがった大穴からアルベルごと落下する。
体が宙に投げ出される、特有の浮遊感があった。
「マ、ジか……テメェ!?」
どうしようもない。
俺はそのまま、ひとつ下の階層へと叩き落とされた。
※
広い部屋に落ちたことは、幸運なのか、それとも不幸なのか。いずれだろう。
「う、が……っ!?」
なんとか受け身を取って、落下のダメージを軽減する。
同時に魔力を飛ばす。瓦礫が巻き起こす砂煙をそのまま文字としてルーンを発動。《防御》によって防壁を張って、落石から体を守った。
立ち上がって、首に纏わりついていたアルベルの片手を叩き落とす。
それはそのまま床に落ちると、まるで気化するみたいに空気へと溶けていった。魔力に戻ったのだろう。
「……やっぱり、肉体として成立してねえ……」
魔人化の影響だろうか。
いや、違う。それはあくまでアルベル=ボルドゥックという魔術師個人に根差す性質だ。
切り飛ばした腕が自ら動いたのは、もはやアルベルの意思ではない。触れるもの全てに害意と殺意を向ける思念。もはや個人としては成立せず、ただのエネルギーとしてアルベルに呑まれた精神の残滓だ。
「ぐ、あ――お、ああああああ……!」
猛るアルベルにもはや人間らしい意思は見えない。
策も何もあったものじゃなかった。俺を落として何をしたかったわけでもなく、ただ叩き落としてたいという欲望だけで奴は動いている。
そこに思考は存在しない。感情だけの行為。
だから自分もそのまま巻き込まれていっしょに落ちている。
あるいは俺との戦いのときの意趣返しだったのかもしれないが、これではなんの価値もあるまい。
「ぎ、あ……ああ、アス、タ……プレイ……アァ、スぅぅぅぅ……っ!!」
「……お前の持ち味だった部分を、全部殺してどうすんだ」
俺は吐き捨てるように呟いた。伝わらないと知っていて。
――馬鹿が。
俺たちみたいな弱者が、思考を放棄して掴めるものなどあるはずないだろうに。
「まあ……それはそれで脅威なんだが。前ほど怖くもねえぞ、おい?」
おおむねネタは読めた。
こいつ、本当にただ無理を通してこの場所に戻ってきていやがる。
そういえば迷宮は《世界の裏側》に近い場所だ。だから無茶が通ったのだ。
あいつはただ、迸るエネルギーだけで強引に出てきただけ。要するに力尽くである。
それだって本来は不可能だが、魔人であったことと教団で培った知識がプラスに働いたのだろう。厄介なことに。
その代償が、この暴走状態と狂気と見るべきだった。
「――ふざけやがって」
ネタは見えた。俺はそのまま、蠢く肉の塊へと向かっていく。
そして、その内部へと義手の左腕をそれに突き刺す。
――これは対価だ。
アルベルの退化に支払うべき代償。
思考能力の代わりに莫大な肉の鎧を得たアルベル。その魔力の中に数多の要素が含まれているせいで、単一の魔術では効果が薄くなってしまう。だが。
それは別に、効かないという意味ではないということ。
「《贈り物》――」
腕の中に握り込んでいたものを手放した。
アルベルは暴れて、俺を振り払おうとするが、巨体が邪魔して至近はむしろ安全圏だ。それで俺を潰そうとする程度の思考能力があればまだしも、こいつはただ腕を打ちつけるしかできない。
だから。
「――《車輪》」
だから俺はルーンを起動して、その巨体を自分から離す。
起動した《車輪》の印刻で魔力の流れにアルベルを乗せ、遥か向こうへと飛ばしたのだ。
そして。
「――《雹》――」
その巨体を内側から破壊した。
※
やったことは単純だ。《贈り物》のルーンで自らの魔力を流し込み、奴の中に自分の魔力を通す。
それを基準点として魔術の効きを強化したのだ。内部に無数眠る、その全ての精神を侵すため。
本来なら単なる魔術の無駄遣い、やる意味のない魔術的行為でしかない。だが今のアルベルになら通用するだろう。
そして、魔術が効きさえすれば――あとは《雹》で散らすだけだ。
護石に加えて、魔力も大幅に消費したが、倒せない敵ではなかった。
思考能力のない怪物など、初めから冒険者の敵ではない。
無論、それは逆を言うなら、それほどの魔力を使わなければ倒せないという意味だが。
余力は削られど――俺を倒すことなどできない。
できなかった。
――あの状態のアルベルには。
だから――、
「ああ、本当にありがとう。――まったく君は計算通りに動いてくれる」
その直後、俺の義手が砕け散った。
文字通りバラバラに。ただの部品の欠片へと分解されていく。
――あり得ねえ。
あれほど強固に創られたこの義手が、こんな簡単に破壊されるはずがない。
いや――いや。
それも、俺を騙せる人間ならば可能なのか。
「なんだってんだ、テメェ。俺の左腕にどんだけ恨みがあるってんだよ」
「別に。そんな安いものに興味はないよ、僕は」
軽く答えが返ってくる。
やられた。あの状態のこいつに策を巡らせる余裕があるとは思っていなかった。いや、それは正しかった。
だが、まさかあの状態になる前に、すでに策を講じていたとは予想していなかった――この、野郎。
そこまで本気で、俺を殺すためだけに地獄を呑み込んできたってのか。
「……どんな手品だ?」
俺の問いに、目の前に立った男が答える。
「さあ? それを訊くなよ、――《紫煙》ともあろう魔術師が」
異常だった。全てが。
全てを擲って、個さえ薄めて、自分であることを辞め、内側から魂を蝕む呪いを飲み干し、――その上で奴は、そこまでした自分が俺に負けることを作戦として組み込んだ。
その倒され方さえ自分の思い通りになると踏んで。
未だに右腕と心臓を失ったままの状態で。
奴は。
アルベル=ボルドゥックは言った。
「――殺しにきたぞ。アスタ=プレイアス」
先週、そういえば連載開始から四周年が経っていました。
どうもありがとうございました(当日に言え)。




