6-12『誰が為』
「死んでる、ってか? お前が?」
そうは見えねえけどな、と俺は笑った。
皮肉じみていた。現にきっと、目の前にあるガストの笑みと、その質は同じだ。
彼は言う。
「ハ――予想外だってんならもう少し驚いた演技しろや。なんだよ、その棒は。笑えてきちまうじゃねェか」
「別に演技をしたつもりはねえよ。何言ってんだ?」
「そうかい。そうだろな、こんな引っかけにゃ躓かねェよな。けど察しはついてたんだろ?」
ガストは軽く肩を竦めた。
その存在感は。
今ここにこうして存在するという現実感は。
どう見たところで生者のそれだ。とてもではないが死者になど見えない。
ならば本来、それを戯言と切って捨てるのが正しい反応だろう。
だが俺はそうしなかった。
察しがついていた、というよりも、これは単なる考察だ。
「だよなァ」
ガストはただ、笑う。
「教団側にオレを生かしとく道理がねェからなァ。オレは本来、とっくに始末されているべき存在だ」
「……その考え方に共感しろってか?」
「別に。でもわかんだろ? オレは連中の言う先に残るべき存在ってのに該当しねェ。あいつらが創り出す理想の世界に、オレみてェな才能のない存在は必要じゃ、ない」
「…………」
「ま、ハナから従ってりゃ生かしてもらう目もあったかもしれねェけどな? 生憎そこまで従順じゃなかったのさ。そんな奴ァ当然、コトが終わったら情報を漏らさねェように処分する。――それを躊躇う連中じゃねェだろ」
だとしたら、今ここで言葉を放つガスト=レイヴは何者なのか。
俺はその問いを言葉にしなかった。
する必要もない。なぜなら、彼は自分から話したから。
「――オレはしっかり殺されたぜ? なんの物語もなく簡単に、あっさりさ。命ってのは儚いよなァ」
ガスト=レイヴは確かに、教団の手によって殺害された。
では。ここに存在する彼は何者なのか。
「お前ェだって覚えはあんだろ。死んでもなお、世界の裏側っつーよくわかんねェ場所に残る、なんだ――魂か?」
「……キュオのことか」
「あー、そうそう。そんな名前だったな。前例あるんじゃねェかよ。オレァ、言うならそれと同じよ」
「それは……それは、違う」
「なんでだよ? オレ如きにゃ、七星旅団の団員様みてェに死んでなお世界に刻まれる魂の強さはねェってか?」
そうではない。
心の問題が魔術の能力と直結するとは思わない。
それはプラスになるかもしれないが、結局のところ意志力なんて測る基準もないのだ。
心が強いとか精神が強いとか、何をもってそうなるというのだろう。そんなもの関係がない。
ガストには理由があった、ということなのだと思う。
死んでなお、命を失ってなお、この世界にどうしてもしがみつきたいという強靭な心の強さが。
けれど。
「キュオは確かに死んだ。もう生き返らない。……死者は絶対に蘇生できない」
「……酷ェコト言うじゃねえの。報われねェとは思わねェのか」
「思わねえよ。テメェこそ、テメェの基準で俺たちを図ってんじゃねえ」
遺るものは確かにあったのだから。
それは、あらゆる意味で否定してはならないことだ。
それこそ、死してなお俺を守ってくれた、大切な女の子に対する侮辱でしかない。
「そうかよ……ったく、恐ろしい顔しやがる」
ガストは軽く、肩を竦めて呟いた。
とぼけているようで、どこか本心にも聞こえる。
だが知ったことではない。
「挑発はいらねえよ。それよりさっさと本題に入ったらどうだ?」
そう告げると、ガストは軽く息をついた。
やれやれ、と肩を竦める。
「……だから無駄だっつったんだ」
「あ……?」
「なんでもねェよ。ただの汚ェ大人のハナシさ。それより本題だったな?」
軽く首を振ってガストは言った。
「別に言った通りだぜ。なんでお前の言うキュオネ=アルシオンの蘇生ができねェと思う? そりゃ生命を構成する要素が欠けたからだろ。端的に言えば、肉体がない」
「肉体が……待てお前、まさか――」
「オレが世界の裏側に残ってることに教団の連中は気づいたのさ」
まるで面白くないことのようにガストは言う。
言葉にはしないが、それはそれだけで尊敬に値することだと思うのに。
彼は、むしろ酷くつまらなそうに。
「ほんの残り火、みてェなモンだったけどな。真っ当に己を保てたりはしなかった、消えかけの魂さ。けどそれに気づいた教団は考え方を変えた。オレにそれだけの価値があるなら、生かしてやろうと考えてくれたのさ。ありがてェだろ?」
「……肉体はどうなる? その分じゃ保存されてたわけでもないんだろ。それじゃ戻ってはこられないはずだ」
「そうだな。精神の接続が切れて、魂魄の剥がれた肉体はその瞬間から劣化する。生命の三要素は、それぞれがそれぞれを保つための要素にもなってる。繋がってる――オレの死体なんざ、その辺に棄てられて腐ってただろうしな?」
「――――」
「だけど、なァ伝説。お前ェはもひとつ知ってんだろ。よーく知ってるはずだぜ。――腐った肉体だろうとなんだろうと、オイ。それを時間ごと巻き戻せば復元できるよな? なァ、できる奴がいるだろ、それをよ」
「……ジジイが。あのクソジジイが、それを……そんなことを、本当に、やったってのか」
だとするのなら。
俺は、それをどう捉えるべきか。
「ハ、皮肉だよなァ。なにせ肉体時間の逆行じゃあ、単体で死者の蘇生はできねェ。別の場所に魂があったからこそ、その問題点をクリアできたっつーんだから。いや笑わせる話だよ」
「なら……お前は」
息を呑む。
だがそんな戦慄を、ガスト=レイヴは鼻で笑い飛ばして。
言った。
「魔術の世界じゃ珍しくもねェだろ。死体操作を当人にやらせている――実質的なゾンビだよ、オレァ」
「……死霊魔術か」
「どっちかっつーなら魔女術の範疇だろうがな。ったく、あの女ァ恐ろしいよ。何考えてんのかちっともわからねェ」
からりと笑うガスト。
演技だとするなら大したものだ。そこに躊躇いは伺えない。
「つーわけだ。進むならきっちり壊していけよ、魔術師。今さら人を――それも死人を殺せねェなんざ言わねえだろ、お前」
直後、ガストは自らこちらへと突っ込んできた。
振るわれる拳。
顔面をまっすぐに狙うそれを、俺は咄嗟にそれを防ごうとして、だが。
「フェイントだ」
「ぐ――」
「あっさり引っかかってんじゃねェよ、間抜け」
腹部に衝撃。たたらを踏んで後ろへ下がった俺を、さらに右足の蹴りが狙う。
今度こそ左腕でガードしたものの、そのまま勢いで吹き飛ばされた。
受け身を取りつつ立ち上がる。
騙し合いで俺と渡り合うとは――いや、ガストも能力的には低い術師だ。俺と同じく、頭を使って戦うタイプだろう。
厄介だった。
「接近戦は苦手と聞いてたがよ……にしたって、なんだこの体たらくは、オイ?」
「……るっせえな。どいつもこいつもダメ出ししやがって」
「は。この分じゃ勝てちまいそうになるじゃねえの。――嫌んなるね本当」
「そいつは――」
まったく、こっちの台詞だ。
嫌になって仕方ない。
「そうかよ」
ガストは冷淡な目をして言う。
直後に投擲。予備動作はまったくなく、短刀がまっすぐ俺を狙った。
それを、俺は躱さずに素手で、いや義手で掴み取る。
ガストは驚きに目を見開いたが、こんなもの曲芸と呼ぶことさえ烏滸がましい。
別段、動体視力も巧みな技術も必要ではないのだから。
義手に当たったそれを、当たったところで掴めばいいだけの話。防御力があるからできる芸当だ。
「……オイ」
小さく呟くガスト。
俺はそれに答えることなく、短刀を握ったまま駆け出した。
それは、誰にだってできるごく単純な作業工程。
俺だって冒険者として最低限の心得はある。
だがきっと短刀の扱いで、俺はガストに及ぶべくもないだろう。
けれどそれは、それだけの話だ。
駆け寄って心臓にナイフを突き立てるくらい、作業としては誰にだってできる。
ただ、気分が悪いだけ。
――音もなく、突き出したナイフがガストの心臓を貫いた。
ガストはそれを避けなかった。
いや、避けようとはしていたのだろう。ただ俺がそれを許さなかっただけ。
自分で触れたものを相手に投げつけるなど、格上の術者を前には自殺行為も甚だしい。それに介入して繋がりを作り、魔術的に干渉することなど容易かった。
ましてルーンは、刻めばいいだけのモノなのだから。
「……ご、ふっ」
わずかに咳き込むガスト。
だが、その口の端に血液は見えない。刃が抉った肉からすら、だ。
肉体が死んでいる。
その内部に、流れるべき血液など何もない。
「く、そ――あァ、ここまでか……」
「……なんで、立った?」
だが俺は問う。
問わずにはいられなかった。
「なんでだ!? なあおい、お前ならわかるだろ!」
「……あァ?」
「お前が……本当に、俺に勝てると思ってたのかよ……!?」
自分でも驚くほど傲慢な台詞が、紛れもなく自分の口から出たことに驚いた。
だが、事実だ。
それが現実的な実力差。
たとえ百回戦っても、俺はガストに一度だって負けないだろう。
ごく客観的な問題として、仮にも伝説と呼ばれた集団の魔術師が、一介の冒険者に負けるはずがない。
殺そうと思うなら寝込みを襲う程度の不意打ちは前提だ。
尋常な果たし合いだの、一対一での勝負などを持ち込むほうが間違っている。
それでは絶対に、俺が負けることがない。あり得ない。
そんなことは連中だってわかっているはずだし。
何より、ガスト自身が痛いほどに理解しているはずだった。
俺たちはその差というものを、誰より知っているから。
それが――魔術師という存在だから。
「あァ……? バッカ……お前ェ、オレが本気で好き好んで戦ってるとでも思うのか、よ……逆に訊きてえぜ」
「……魔術的に強制されていたってことか」
「ハハ。いや……まァ、最終的には望んで戦ってたけどよ……」
ぐ――と、そのときガストは俺の服の襟を掴んだ。
酷く弱々しい力でありながら、同時に驚くほど強い力でもあった。
もう死んでいるにもかかわらずだ。ならば確かにキュオと同じだけの想いを、彼は遺していたのだろう。
そう、素直に納得できるような気がした。
「……持ってってくれや」
「お、前」
「いいだろ? なァ、お前ェ……こんなに強ェじゃねェかよ」
「俺は……、ガスト」
「おい……頼むぜ、言ってくれんなよそれ以上。オレじゃ逆立ちしたって勝てねェくらい、お前は強いんだろ……?」
「…………」
「なら、いいじゃねェか……これくらい、頼らせてくれよ……頼むぜ」
ガストは、言う。
俺はそれを聞いていた。
「――オレには、もう、これくらいしか……できねェんだ」
※
結局、初めから知っていたことだった。
七星旅団だの、七曜教団だのという怪物と関わる以前からの話だ。
ガスト=レイヴは知っていた。
自分には才能がないと。
少なくとも、才能の世界で生きる人間とは肩を並べられないと。
そんなことは彼の人生において単なる前提でしかなかった。
それで腐ったわけではない。
だって事実だ。それは単なる当然の話。
嘆くも何もないだろう。そうなっているものを、そうなっている通りに認めるだけ。
どんな人間だって当たり前にやっていることに過ぎないのだから。
重要なのは結局、その上で何を為すのか。
あるいは――なんのために、誰のために生きるかだった。
そうだ。初めからガスト=レイヴの望みはたったひとつしかなかった。
自分より才があると信じた、幼馴染みを助けたかっただけ。
その幼馴染みが、さらに自分より上だと認めた、彼女の妹を助けたかっただけ。
彼女たちの願いに――姉妹の望みに、従いたかっただけだった。
彼女たちなら描けるものがあると信じた。
ならばせめて、その道具を揃えてやることがきっと、自分のやるべきことなのだろうと思った。
そこになんの不満もない。
いや。むしろ恵まれていると思った。
だって自分は、そうしたいと思えるだけの女と出会うことができたのだから。
その繋がりがガストにとっての特別だった。
だから、その邪魔をする全てに、何を犠牲にしても相対するべきだと思ったのだ。
七曜教団に目をつけられたときですらそれは変わらない。
出番が、ようやく回ってきたと思っただけだ。
奴らはシルヴィアを犠牲にし、フェオという特別を魔人として配下に収めることを考えていた。
だがその未来に、彼女たちの願いはない。
――ならば認めない。
あらゆる手段を持って止める。
たとえ裏切り者の汚名を着せられても、ふたりを守れるなら構わなかった。
だからガストは、教団についたふりをして、ふたりが生存できる策を立てたのだ。
近隣で最も評判のいい治癒魔術師を招き、それ以外にも多くの魔術師を味方として引き込む算段を立てた。
当然だ。自分ではできないのだから、できる人間を連れてくる。当たり前の思考でしかない。
そして結果的には、偶然も相まってガストは最大の当たりを引き当てた。
託したのだ。
伝説と呼ばれる魔術師に。そのうちふたりも訪れてくれるなんて大当たり、絶対に逃すわけにはいかなかったから。
あのタラスの迷宮の裏側で、彼は七曜教団を誘引しながら、同時に裏切りを画策していた。
すでにオーステリアの町に訪れていた水星を、手引きの手順を変えてタラスに辿り着けないようにした。
――そして、全てが露見して殺された。
彼が死んだことにより、姉妹を守り切ることができたと言える。
そのあと強引な手法で半端に生き返ったことは予想外のことだったけれど。
今はもう、自分の助けなんて必要ないほどにふたりは強くなっている。
ならば役目は終わりだ。
通りすがっただけのところ悪いが、あとのことを伝説に託させるのなら悪いことなど何もない。
なぜなら、彼には――自分にはできないことができるのだから。
ならば誇ろう。
ガスト=レイヴが生まれてきた意味は、もう充分に報われているのだから。
途中退場で申し訳ないが、結果的には最高のモノを引き当てている。想像以上の大戦果だ。
――あァ……。
と、ガストは思う。
自らの成果を誇りながら。
それを、誰にも知らせず成し遂げた奇跡を想いながら。
――なァ……?
最後に、男は考えた。
初恋の女と、
その妹にとって。
――オレは、お前らの役に、立ったかよ……?
立っただろうと自惚れる。
少なくとも、自分はそれを認めている。
なら、それで充分だ。
ガスト=レイヴは笑いながら、成し遂げた者の笑みを浮かべて今度こそ逝った。
自分ではない、その想いが――たがためであったのかを言うことなく。
安らかであったことは、間違いないだろう。
※
機能を停止した死体は、砂になるように崩れ落ちた。
まったく、徹底しているものだ。
遺体を遺し、遺されたものが死者を悼むだけの些細な想いさえ許されない。
ガスト=レイヴは満足して逝っただろう。
誰にも知られず、悟られず、己が果たすべき全てを彼は成し遂げた。
そして、きっと本当は誰よりそれを知るべきふたりではなく、
たった一度、顔を見ただけに過ぎない、通りすがりのただ強いだけの魔術師に全てを託して、
逝った。
それは誇れることだろう。
全て悟った。
その強靭な想いは俺が確かに受け取った。
けれど。
「……許さねえ」
殴られた腹を押さえながら、俺は零すように呟いた。
わかっている。そんなことは言うべきでも、想うべきですらないことくらい。
それでも――そうとわかっていても俺は最高に気分が悪かった。
ありていにいって絶不調な気分だ。
それが、あの魔女がここにガストを派遣した理由だというのなら――なるほど最悪だ。
魔女の名が実に相応しい。
「ああ、クソ……本当に最悪の気分だ」
俺はヒトを殺すことが好きではない。
そうしなければ生き残れなかったからやってきただけだ。
慣れやしない。
できることならやりたくないと、未だに思い続けてしまっている。
そして何が最悪だって――俺はこのとき、確かに教団に対して殺意を抱いてしまったことだ。
もう星の名を抱く幹部を何人も殺している。
それ以外にだって、この世界で俺は何度も殺人に手を染めてきてしまった。
だけど、いつだって遺される者は、下らない後味の悪さだけ。
そしてそんな感傷すら、奴らの掌の上なのかと思うと反吐が出た。
「そんなにまでして……俺を戦わせたいのか。俺と戦いたいってのかよ……っ!」
未だに答えは出せちゃいない。
やりたいことを追っているだけで、どうすればいいのか、手段は見つけられていなかった。
迷うことはない。
俺は先へと進むだろう。
あるいはその想いさえ含めて――全て、《一番目》の思い通りなのだとしても。
※
レヴィ=ガードナー奪還戦。
第三戦。
勝者――アスタ=プレイアス。




