2-05『マッド・インベンター』
深夜、早々に眠ったメロを部屋に置いて、俺は外へと出かけた。
星空の下、煙草屋の正面で俺は寝静まった街を眺める。オーステリアは大都会だが、それでもあくまで異世界においては、だ。深夜にもなれば明かりはほとんど消えてなくなる。
電飾に満たされた地球と違い、異世界の夜はどこだって暗かった。代わりに星だけは、少し地球よりも明るく感じられるけれど。
外の空気を吸う代わりに、俺は煙草に火を点す。
立ち昇る紫煙を眺めるともなく眺めながら、ふとここ最近の自分を省みる。
このところ、どうにもペースを崩されている気がしてならない。
行動のいちいちが自分らしくない。周りに流されて、目的を見失ってしまっている。
そもそも自分が、なんのためにこの学院へと入学したのか。今一度、それを自覚したほうがいいだろう。
そう――目的はあくまで呪詛の解呪だ。
魔力の放出を制限する束縛。迷宮で受けたその呪いを、どうにかして解くために俺は学院の門を叩いたのだから。
確かに学院での生活は、俺にとって新しい刺激と安らぎの両方に変わっていた。いつの間にか自分が、この日常を大切に思っていたことは否定できない。
でも、それではいけないのだ。
俺にそんな資格はない。その事実を忘れてはならない。
もともと呪いを解き次第、すぐにでも学院を去るつもりでいたのだから。その意思は今でも同じだった。
初めから決めていたはずのことだ。今さら変えるわけにもいかないということ。
学院は――あくまで借り宿だ。
その事実を、俺は忘れてはいけなかった。
「――おう、アスタじゃねえかよ」
と、ぼうっとしていた俺は、不意打ち気味にかけられた声で跳ね上がるほど驚いた。
見れば通りの向こうから、少しだけ千鳥足気味に歩いてくる人影がひとつある。
煙草屋の親父さんだ。
真っ赤な耳を見るにどうやら出来上がっているらしく、至極上機嫌な様子でこちらへと歩いてくるのだった。
「なんだ? なんでわざわざ外で吸ってやがる?」
親父さんに訊ねられた。当然、普段は室内で吸っているからこその問いだ。
さすがにうわばみというか、酔ってはいても判断力までは失っていないらしい。
そういえば、『俺の部屋に住む』と言い張っているメロだったが、果たして親父さんに許可を得た上で言っているのだろうか。
きっと、絶対に何も考えていないだろう。その確信があった。
「中でメロが寝ててね」
誤魔化せばきっと親父さんは追及してこなかっただろう。
それでも、俺はあえてそう言った。聞いてほしかったのかもしれない。
親父さんは笑った。
「なんだ、あの嬢ちゃんはお前の女か?」
「そういうのじゃないなあ。妹みたいなもんか」
そう――七星旅団のみんなは、家族だ。
少なくともこの世界で、俺にとって。
「あいつ、これからここに住むとか言ってんだよ。もし駄目なら、親父さんから話してくれないかな?」
一縷の望みを懸けて頼む。いくらメロでも、管理人には逆らわないと思いたかった。
だが親父さんはあっけらかんと、微塵の引っかかりもなくこう言った。
「あん? いや、別にいいんじゃねえのか」
「あっさりだね……いいの、本当に?」
「どうでもいいわ。まあふたりに増えることだし、その場合は家賃も倍だけどな」
「え、あれ? マジで? 家賃増えるの? えっ!?」
「当たり前だろうが」
――確かに。そりゃそうだ。
嘘……どうしよう、俺あんまり貯金ないんだけど。
「あいつ、金持ってるのかな……」
「知らねえけど。なきゃお前が出してやれ」
「ええ……なんで俺が」
「そんくらいの甲斐性見せろや、兄貴なんだろ?」
――自分で言ってたじゃねえかよ。
と、そんな風に笑う親父さんに、俺は小さく肩を竦める。
それが返事の代わりだった。
※
その翌朝。俺はメロを連れて学院へと向かっていた。
酷く寝不足だった。
ベッドをメロに占拠されていたため、硬く埃っぽい床の上で寝る以外なかったからだ。
なぜ家主のはずの俺が、後から来た居候にベッドを奪われているのだろう。朝になって問い質した俺だったが、
『――なら一緒にベッドで寝ればよかったじゃん』
というメロのひと言で、もう何も言えなくなってしまう。
絶対にそういう問題ではないと思うのだが。俺が間違っているのだろうか。
なんというか、俺とメロでは、世界を測る基準が完全に異なっているらしい。
完全に別の常識で生きているというか。
ともあれ、そのメロを引き連れて俺は学院を歩いていた。
なんでも手続きの関係上、正式な入学はもう少し先になるらしい。立場上、彼女はまだ見学者という扱いだった。
まあ、ならば家で大人しくしていてくれたほうが俺としてはありがたいのだが、もちろんメロが部屋で静かに待っていてくれるなどあり得ない。絶対にない。
とはいえ、放っておいてはどこかで絶対に問題を起こすに決まっている。
連れて歩く以外の選択肢は存在しなかった。本当に面倒臭い。
「それで、これからどこ行くの?」
俺の苦悩など微塵も考慮していません、という顔のメロに問われる。
胃薬と頭痛薬を買いに行くんだよ、と答えたい気持ちを押し殺して言った。
「仕事を貰いに行く」
「仕事? 何、アスタもしかしてお金ないの?」
「ああ。貧乏学生でね、だから早急に金が必要なんだ」
自嘲するでもなく呟いた。だがまあ実際、馬鹿みたいだとは自分でも思う。
本来の目的に戻ろうと、決心した翌朝にはもうこれだ。
とてもじゃないが、解呪の方法を探している余裕なんてない。
「つーか、お前の家賃なんだけど」
「あー、あたしも今はお金ないからねー」
ものすごく普通に言ってのけるメロだったが、ぶっちゃけ笑いごとではない。
だってこれからの生活が懸かっているのだから。
いや、普通に考えて、お金がないわけがないのだ。貯蓄は当然あるはずだ。
なにせメロは押しも押されぬトップクラスの冒険者なのだから。俺なんかより遥かに稼ぎがあるだろう。なければおかしい。誰も冒険者になどならない。
ただ彼女自身が基本的に、金銭というものに無頓着なのが問題だった。
宵越しの金は持たない主義――というか単に考えなしというか。基本的に現金を持ち歩かないのだ。それでもどうとでもなるくらい、顔が広いのもきっと問題だった。
それでも最低限の貯蓄はしているだろうが、持ってきていない以上は意味がない。どこからでも自由に金を引き出せる銀行なんて、この世界には存在していないのだから。
『お前、今はいくらくらい金持ってんの?』
今朝方、そう訊ねた俺に、メロは平然と答えた。
『銅貨一枚も持ってないけど』
『馬鹿だろテメエ』
反射的にそう罵倒した俺だが、責められる謂われはないと思う。
だって馬鹿じゃん。どう考えても馬鹿じゃん。
それを許してる俺がいちばん馬鹿かもしれないけれど、そこは考えないことにして。
ともかく、早急に現金を作る必要があった。
「お金がいるなら、あたしも働くけど?」
と、メロは俺に言った。事実、彼女なら簡単にやるだろう。
もちろん、と俺は頷いた。
「誰が俺ひとりで働くなんて言ったよ。お前もやるに決まってるだろ」
「いやー、アスタと一緒にお仕事なんて久々だねー?」
「嬉しそうにするな、好きでやるんじゃない。誰のための家賃を稼ぐと思ってんだ」
「あたしでしょ?」
「わかっててそれなんだな、お前。もう逆にすげえわ」
「うん、知ってる。あたしはすごい」
「まったく褒めてないからね」
「ね、せっかくだから危険度超級の迷宮にでも」
「話を聞け。あとそんなところには行かねえ」
なぜ生活費を稼ぐために致死レベル超えのダンジョンに行く必要がある。本末転倒すぎるだろう。
とはいえ、家賃のほかにも食費、生活費諸々が一気に倍必要なのだから。ちょいとばかり仕事に精を出す必要があるのは事実だ。
冒険者的危険手当は、手っ取り早く稼ぐのに必須の要素だった。
「――でもさ、仕事探すのにどうして学院?」
疑問に思ったらしく、首を傾げて訊ねてくるメロ。その視線は、しかし俺ではなく周囲の風景に向けられている。
彼女も彼女で、きっと学院というものが興味深いのだろう。まあ、それ以上に彼女は周囲からの視線を集めていたのだが。素性以前に、単純に彼女の外見が興味を集めている。
本当なら、メロには仕事なんてさせず、学院生活を楽しんでもらったほうがいいのかもしれない。
彼女が学院に憧れる気持ちが、手紙に『アスタばっかりずるい』と書いた理由が――わからないわけではないのだ。これまで彼女の人生に、そんな機会はなかっただろうから。
連れていくべきか、それとも置いていくべきか。
果たして俺は、どちらを選ぶべきなのだろう。
「仕事を探すんなら、普通は管理局とかに行くんじゃないの?」
と、彼女の言葉で思索の海から舞い戻った。誤魔化すように俺は答える。
「……ま、普通ならな。でも今はあんまり、それを選びたくない」
理由はいくつかある。
まず第一に、そもそもオーステリア迷宮の封鎖が未だ解かれていないことだ。
正直、これが最たる理由だろう。迷宮が開いていない以上、冒険者の仕事は当然なくなる。
もちろん、ならばオーステリア以外の迷宮に潜ればいいという話だが。
ここで第二の理由――近隣の迷宮の中で、オーステリアがいちばん危険度が低いのだ。
逆を言えば、近郊に数箇所ある迷宮は、オーステリア迷宮よりも危険度が高い。ほとんど未踏破迷宮、すなわち完全に地図化されきっていないはずだし、中にはほとんど手つかずに等しい迷宮もあったと記憶している。
もちろん危険度が高いとはいっても、それらの迷宮の一層とオーステリアの最下層を比較すれば、後者のほうが危ないことに変わりはない。深く潜らなければいい、と言えばそれまでなのだが――ここで第三の理由。
基本的に、いい狩場は競合する。
オーステリアが封鎖された結果、普段その場所を主戦場としていた冒険者たちは当然、ほかの迷宮まで足を運ぶ必要が出てくる。
だが冒険者同士、暗黙の了解として縄張りを持っているものだし、そうでなくともいい狩場は当然、競争率が高いものだ。人が増えれば魔物が減り、結果として儲けも減ってしまう。
効率が悪く危険度の高い階層まで潜れば話は別だろうが、正直それは嫌だった。
「まあ今回は、そもそも迷宮で稼ぐつもりはあんまりない」
「ああ――なるほどね。わかった」
呟いた俺に、メロが納得顔で頷く。
彼女は答えを口にした。
「――《依頼》を請けるつもりなんだ」
「正解」
と俺は首肯を返す。そう、何も冒険者の稼ぎ口は魔物の落とし物に限らない。
むしろ、こちらを稼ぎの主軸にする冒険者も多いのだ。
それが《依頼》というものである。
内容はまあ、言葉通りだ。
たとえば有名どころでいえば魔晶の蒐集だろう。市場に出回る魔晶は、質の悪い生活必需品としての魔晶がほぼだ。質の高いそれは多く出回らないし、たとえ出回っても管理局によって押さえられてしまう。
だから中には必要な質と量の魔晶を冒険者に入手してもらい、それを直接買い取るという手法を取っている者もいる。依頼主は必要な物品を確実に手に入れられ、冒険者も市場に回すより高値で取引が行える。双方にとって都合のいいシステムだ。
もっとも、これは稀有な例だ。管理局もあまりいい顔をしない。
冒険者に回る依頼といえば、要人の護衛や迷宮外における魔物の掃討などが主だった。いわば傭兵のような感じだと言えばわかりやすいだろうか。
冒険者の実力は、管理局のライセンスによってある程度まで保証される。だからこそ、依頼する側も安心して冒険者へ仕事を頼めるというわけだ。
多くの冒険者にとって、《どんな依頼も、迷宮の深部に潜るよりはだいたい楽だ》というのが正直なところであるという。
人生で一度だけ、危険を冒して許可証の到達度を上げ、あとは外部依頼を請けて喰っていくという冒険者も、決して少なくはなかった。
まあ、依頼だってそう数が多いわけじゃない。競争率が高いことは変わりはなかった。
「学院でも依頼って出てるんだ?」
少し驚いた様子でメロが言う。
確かに、普通は管理局の仲介か、あるいは個人交渉で請けるものだが。
「学院と管理局は、この街じゃ割と懇意にしてるしな。少し回してくれるんだよ」
「へえ……管理局が外に仕事回すんだ?」
「まあ仕事の難易度によるけどな。でも、高い金払って冒険者に頼むよりは、学生を安く雇ったほうがいいって依頼者は意外と少なくない」
「なるほどねー」
「ただ今回はそういう仕事を請けるわけでもない」
「あ、あり?」
ちょっと躓いたみたいなリアクションを取るメロだった。
意外とノリがいいと見るか、余計なものに毒されていると見るか。まあ後者だろう。
周りに碌な大人がいなかったせいで、《天災》が完成してしまったのだ。
いったい誰が責任を取ってくれるのやら。
「いや、そういう仕事だと稼げないからな。当局に仲介手数料抜かれるし」
「んじゃ、どんな仕事するのさ?」
「知り合いから直接、請けるつもりだ」
「知り合い?」
「そう、同級生。――いるんだよ、ひとりだけ。学生の癖に依頼出してる変わり者が」
「へえ……誰なの?」
言ってもわからないだろうに、そう訊ねてくるメロ。
だから俺は名前の代わりに、その人物の属性を伝えることにした。
実際、そのほうが通りがいいと思う。
なにせ戦闘者でもないのに二つ名をつけられている魔術師など、学院広しといえど彼女くらいのものなのだから。
敬意を込めて、その二つ名を呼んでやるとしよう。
そう、かの魔術師は人呼んで――、
「――《魔学発明狂》だよ」
「何それカッコいい」
いや、悪いが俺はそう思わない。




