6-11『才能がない者の在り方』
そいつは、とても古い記憶だ。
元より自分の魔術的な才覚に期待などしたことはない。
誰がなんと言おうと、魔術とは結局が才能の世界でしかないということ。誰だって、綺麗ごとを抜かす裏側で、そんなこと理解しているのだから。
がんばればなんとかなる、だなんて。
そんなことを憚りなく言う連中は、認めたくない現実に言葉で色を塗っているか、あるいは本気で困ったことのない才能の持ち主くらいだろう。
技術が、努力が、研鑽が、――そして運が。
その全てが才能の前には覆される。
いや。それらを可能にするモノこそを才能と呼ぶのだ。
才能がなければ技術は身につかず、才能があるから努力できる。才能なき研鑽に意味などないし、運を持つということさえ、この世界では才能と呼んだ。
そして、どんなに才能がある奴だって――いつか自分より上の才能に叩きのめされる。
そう。俺は何も、才能のない自分の身を呪って言っているわけじゃない。
頂点が常に唯である以上、それ以外の全は軒並み才能が足りていないという、これはシンプルな事実の話だ。
その唯を目指そうとする意志さえ持てないような、凡百の才能しかなかったことは、むしろ幸運だろう。
なぜなら、才能を持つ者は、いつだって他の才能を蹴落として生きなければならないからだ。
才能の世界に生きるということはそういうこと。
魔術を研鑽する以上、自身より魔術に秀でた者を叩き落すことを強制される。
そして、いつか敗北して終わる。
この国で魔術師として大成したければ、冒険者として名を馳せるか、学府に名を連ねる以外にない。その時点で、競争はもう始まっているのだ。
なぜならば――魔術師の本懐とは、常に未知への探求でなければならないのだから。
もはや冒険すべき未知を失った世界で、日々の糧を求めるためだけに迷宮を探索しようと。
学府へ入学することすらできずに、個人の研究のみで喪失された未知を追求しようと。
どちらの道を選んだところで変わらない。
いずれにせよ、常人が踏破できるものではないのだから。
仮に入学の前提を突破したところで、そのあとも競争は変わらない。いくら才能を磨いたところで、どうしたって及ばない領域というものはある。まして冒険者としてならなおさら難易度は上がるだろう。
「――いやまあ。そんなコト、わかりきってるんだけどね」
たはは、と力なく彼女は笑って言った。
その表情が予想外だった。
「本当は、私にだってわかってる。自分にそこまでの才能がないってコトくらい」
「……だったら」
「でも、見たんだよ。確かに私はこの目で見たんだ。――頂点ってヤツを」
「――七星旅団――」
そう呟いた声が届いたからだろう。彼女はすっと遠くを見詰めた。
決して、彼女が離れて行ったわけではない。彼女は今だってこの場所に、この隣にいる。
けれど彼女は遠くを目指した。
届くはずのない頂に、その輝きに向かって手を伸ばした。
その時点で、自分からはもう遥か遠い。
生まれて初めて、オレは彼女を《遠い》と感じるようになっていた。
「もし、さ。もしも届かないとして――」
彼女は言う。
決してその過程を、あり得ざるものとして無視はせず。
「――それでも。それだったら、私が歩んだ道は無駄だったことになると思う?」
「そりゃ……精神論か? 届かなくても、目指して歩んだ道のりは無駄にならないって話かよ」
「そうだね。確かにこれは精神論だ。だけど人生なんて、突き詰めれば精神論を構築するためのもので、それを実行できるかどうかを試し続ける過程だろ?」
「……そういう言い方をすりゃそうだろうさ。言い方次第で、たいていのモンはどうとでもこじつけられちまう」
「はは、厳しいな」
――嗚呼。そんな笑顔を作れる時点で、彼女の中では決まっている。
生憎と俺は同意できなかった。彼女の言葉を、一面の事実と認めた上で、なお。
認めながらも納得できない。
だがそれは、結局のところオレのエゴでしかないのだ。自分では届かない何かを他者へ託つ行為。
その見苦しさを知っているから、言葉にはしていないだけの話。
違う。人生の意味を自己満足に見出すことを否定することはできなくとも。
それでもオレは、それを選ばなかったIFを犠牲にしていると考える。
彼女にならそれができたはずなのに。
届かない場所を目指して中途で斃れる必要はない。確実に届く精いっぱいを目指すほうが、きっと多くを生み出せる。
――だが。
「まァ、いいんじゃねェのか」
「いいのかい?」
「お前ェのワガママなんざ今に始まった話じゃねえだろ。どこにだって付き合ってやるさ」
「……そうか。はは、そうだったね。うん」
「ったく。忘れてんじゃねェよ」
オレは何も言わなかった。
彼女の言葉を、その態度で肯定した。
それが当然の選択だからだ。
オレは、魔術師であることをやめた人間だったから。
そんな半端な男に、我を通す資格はあり得ない。
いや。
そんなオレにも――それでも、通したい我ならあったはずで。
「まあ、心配しなくていい。私だって一応、考えはあって言っているんだ」
「……シルヴィア?」
「ガストの言う通りだと思うんだ。きっと私では届かない。そうだろうさ――そんな才覚は私にない。もしかしたら、できたはずの何かを犠牲にしてしまうんだろう。だけど……無駄にはならないんだ」
「…………」
「だって――」
※
ガストの戦法は非常にわかりやすい。
自ら定めた手法から、飛び出さないことで成立する。
一方的にイニシアチブを取り続けることができる。
「……っ!」
投げられたナイフを義手で弾く。
「あァ、厄介だよなァ。素手なら逆にできなかっただろうに」
「……まあな」
「だがまァ、逆を言えば身体能力的には、叩き落すくらいが精々らしいな?」
いくらなんでも、高速で飛来する刃物を素手で叩き落すことは難しい。
自らの腕を傷つけずにそれを為すには、最低限、ピトスレベルの格闘技能が必要だろう。ぶっちゃけ苦手分野だ。
そして、それを見抜かれている。おそらく近接格闘の技量では、ガストにも負けているだろう。
厄介なのは、ガストがその上で俺を近づかせないように立ち回っていることだ。
距離を置いての遠距離戦に終始している。
彼我の戦力差を判断した結果、それが最も勝率の高い戦法だとガストは見做しているらしい。
「……参ったな」
決定打がない。こちらが負けることもなかったが、かといってガストを倒す手段がない。
なまじ魔術に頼る術者には、これは思いつかない戦法だろう。
要は当たればいい。
人間ひとりを打倒するのに強力な破壊的魔術など必要ではないのだ。ナイフ一本、急所に刺されば人は死ぬ。
ガストは俺を殺すに足る最低限度の威力だけを持たせている。だから隙なく連続で繰り出せるのだ。
だがそれは、逆を言えばガストの側も、俺を倒そうとは考えていないということ。
牽制による時間稼ぎ。それと割り切っているからこその拮抗だ。
――だがもちろん、この状況を打倒する方法はある。
「ずいぶん悠長してくれんだなァ、伝説。オレみてえな雑魚に、ここまで付き合ってくるたァ嬉しいぜ」
「…………」
「なァ、教えてくれよ? そいつはオレを舐めてんのかい? それとも――舐めることすらしてねェってのか?」
「……どっちでもねえっつーの」
だがガストが言いたいこともわかる。
その通り。俺は、ガストを倒す方法がわからないからこうなっている。
それは――殺していいなら殺せるという意味だ。
「なっちゃねェよな伝説殿」
ガストは、それをあえて皮肉っていた。
嗤っていたと言ってもいい。
「そんな覚悟でこの先に行ったら、死ぬぜ? いやオレも、別にお前さんに恨みはねェんだけどよ」
「…………」
「どうだい、いっそこっから引き返しておウチに帰るってーのはよ? もう夜も遅ェ、いい子は布団に包まって眠る時間だと思うぜ、お兄さんは」
「……生憎と、目が冴えちまって寝られそうにないんでな」
「は、そうかい。――悪ィガキだ」
その笑みで、おおよそガストの考えることは読めた。
というより奴自身が伝えてきた。
すなわち――ガストは、俺が彼を殺せない、わけではないと知っている。
「……何を」
企んでいるのだろう。
そうだ。俺には奴の目的が読めない。それが俺をこの場に縫い留めている理由だった。
もちろん可能なら、ガストは生かしたままフェオとシルヴィアの下に連れて行きたいと思わなくもない。だがそれは、少なくとも最優先される目的を犠牲にしてまで優先したい想いではない。
必要とあらば、俺はガストを殺すだろう。
――そして、そんなことはガスト自身だってわかっていなければおかしいのだ。
決して慢心でも傲慢でもない。
純然たる事実として、ガスト=レイヴではアスタ=プレイアスに敵わない。
もちろん絶対に勝てるなどと慢心はしない。
俺のようなタイプの魔術師が実力に溺れて手を抜くとは、相手側だって考えはしないだろう。
では。
ならば。
なぜこの場に、ガストはこうして出てきたのか?
捨て石として使われたか? いや、その選択に妥当性はない。
何かしら勝ち目があると見るのが妥当だ。
しかし、その割にガストの戦法は酷く消極的なものに留まっている。
このまま行っては勝ち目がない。
時間稼ぎをする気なら、それこそ正面切って姿を現すほうがおかしい。
それこそ、無駄死にしてしまうだけだ。
何かがあると見るのが妥当だった。
その何かを、俺はさきほどから見抜こうとしている。
けれど、わからない。
どうしてもガストの思惑が読めない。それこそ本当に無駄死にしに来たようにしか思えない。
そんな俺に――ガストは言った。
「ずいぶんいろいろ、考えてくれてるみたいじゃねェの?」
「……ああ。それが俺の戦い方だからな」
「ハ――いいねェ。そいつはオレ好みの在り方だ。だけどアンタ、まだ甘ェな」
「そうかい?」
「アンタ、格上殺しは得意でも、格下と戦うのには慣れてねェんだろ? ――滅多にねェ在り方だがよ」
「…………」
いや。それはない。
というより、そんな在り方は破綻している。
だがそれでもガストは言った。
「そんなに気になるなら、教えてやってもいいぜ?」
「なんだよ。何か教えてくれるってんなら、遠慮なく聞かせてもらうけど」
「はは。ったく格上だってのにプライドの何もあったもんじゃねェな。そのほうが厄介だが――ま、いいだろ」
――教えてやるよ。
彼は言った。
そして、確かに俺に教えたのだ。
「お前さん、オレを殺さないで済ませる方法を考えてるみてェだが」
「……できることならな」
「だから親切に教えてやるよ。いいか――そいつは不可能だ」
「へえ? どうして」
「決まってんだろ」
ガスト=レイヴは言った。
実のところ、そうではないかと思っていたことを、確信に変えるように。
「――オレがもう、とっくに死んでるからさ」
活動報告を書きました。
ご確認のほど、よろしくお願いします。




