6-01『これまでのことと、これからのこと』
「――さて。どうだい、塩梅のほうは?」
あくまで軽い調子の問い。
その様子にこそ、天才エイラ=フルスティの自負が窺える。
「そうだな……」
俺は失った左腕を動かしながら答える。
動作は万全。多少、金属的な見た目が気にかかるものの、魔術によらず長袖と手袋で誤魔化せる範囲だ。
むしろ性能だけで判断するのなら、生身だった頃より戦力的には向上したと言っていい。
「……うん、完璧。動きに不備はなし、さすがだね」
「接続に関しては義手の性能とは別の話さね。ともあれせっかくの褒め言葉だ、受け取っておこうじゃないのさ」
軽く笑うエイラだったが、実際その技術力には舌を巻く。
こと魔術的な道具制作に関して言えば、エイラはマイアすら遥か凌ぐ。オーステリア学院に入学できる、ということ自体が天才性の証明であるとはいえ、やはりその中でも彼女の才能は圧倒的にレベルが違う。
ウェリウスやレヴィと並ぶ本物――彼女がその名を歴史に遺すことは疑いようもない。
発明狂、なんて冠を二つ名に戴いていながら、実のところこの学院でもトップクラスの真人間ではないだろうか。
「ありがとう。これ以上はこの世にないってくらいの出来だ」
あの《木星》アルベル=ボルドゥックとの戦いで、俺は左腕を失った。
戦力的な損失は大きい。それを埋めるべく、俺はエイラに魔導義手の製作を依頼していた。
それが今日、五日間の製作期間を経てついに完成したと聞き、こうして彼女の研究室を訪ねたわけである。仕事が早い、というか……ここまで来ると、もう考えるのも馬鹿らしくなってくる技術力だ。
「この性能で文句言ったら罰が当たるな。いや実際、マジでなんの違和感もねえわ……」
「機能に関しちゃ、あとで確認しといておくれよ? そっちのほうが本題さ」
「うん。――ありがとうな、マイアが『ドリルをつける』っていったの止めてくれて。それは本当に」
「材料が足りなかったからねえ」
「いや止めたわけじゃなかったんかい」
やっぱマッドだわこいつも。
しかし、ここに来るのもずいぶんと久し振りな気がした。
大した時間は経っていないはずだが、なにぶんいろいろとありすぎたからだろう。
「報酬のほうだが――」
「いいよ、今回に関しちゃね」
言いかけた俺に、エイラが首を振る。
それから横合いを見て、珍しく心から楽しそうに彼女は笑った。
「アタシとしても、かのマイア=プレイアスとの共同作業は心が躍ったからね。対価には充分さ」
「うんうん。私も楽しかったよ! 本当、エイラと会えただけでも、オーステリアに来た甲斐があるくらい!」
珍しくも疲れた様子のマイアが、ここで元気を取り戻した。
かなりの突貫作業だったためだろう。エイラは……まあ工作に関しちゃ無限の体力があるような奴だし、例外としても。
「そう言ってもらえるなら光栄さね。貴女の助力がなければ完成しなかったからね……でもお陰で、アタシの最高傑作になったよ」
「重要な箇所はほとんどエイラがやってくれたからね! 私はちょーっと手を加えただけだもん」
「……つか、エイラにはもうひとつ、礼を言っとかなきゃいけないことがあったな」
完全に打ち解けているふたりの製作者に割って入るのも心苦しいが、ともあれこの辺りは通す筋として。
義手だけではなく、もうひとつエイラには助けられている。そのお礼もしておきたかった。
「お前が作ってくれたペンダント、すげえ役に立ったわ。アレなかったら死んでた」
実際にはあっても普通に死んだのだが、アレがあったお陰で生き返れたようなものだし、まあ間違っちゃいないだろ。
魂魄の情報を保存しておける、エイラ謹製の魔晶を素材とした首飾り。あの中に、《裏側の世界》に残っていたキュオの魂魄を、呪いを通じて現世まで引っ張り出して保存する。もうなんか暴挙も甚だしいが、……できちゃったしな。
あらゆる意味で木星戦は、エイラに救われている俺だった。
「そうだね。それは私からもお礼を言わないと。――ありがとう、エイラ。貴女のお陰で、もう一度、キュオに会えた」
「礼は受け取っておくさね。……ただ、まあアスタにはアタシも借りがあるからね」
小さく、苦笑とともに呟くエイラ。何か貸していただろうか?
首を傾げる俺に、彼女は笑いながら言った。
「街を――命を救われてるだろう?」
「だとしたら、その礼は俺だけが受け取るもんじゃないし、お前だけが払うもんでもねえだろ」
「なら個人的な話にしておこうかね? フェオも世話になってるんだ。これでも、親戚のお姉ちゃんとしては助かったよ」
「……俺はむしろフェオの人生をむっちゃくちゃ歪めた気がしないでもないんだが……」
「責任取って娶ってやったらどうだい?」
「なんでだよ。そんなこと言ったらフェオもキレるぞ、たぶん」
「……。まあアンタにはピトスがいるからね」
「……………………」
どうしようね、その話ね。
俺、告白の件を未だに保留にしちゃってるんだよなあ……。
さすがに、そろそろケリをつけないと、ピトスに対して失礼ってもんだろう。
むしろ愛想を尽かされていない意味がわからないレベルかもしれない。
「ま、とにかくそういうことさ。この先もアンタに任せるしかない以上、報酬なんて受け取れないね」
「……悪いな」
「なーに、金なら余ってるのさ。それでもほかに言うことがあるとすれば――そうさね」
エイラはそこで一度、言葉を切って。
それから、少し落とした声で、わずかに言った。
「――レヴィを、よろしく頼むよ。アスタ」
※
「街の復興状況は悪くないみたいだよ」
というシャルの言葉を聞きながら通りを歩く。
エイラの研究室を出てからの話だ。すぐに現れたシャルと、そのまま合流したのである。
このところ、彼女といる時間がいちばん長いように思う。
新しいこの義妹ちゃんは、俺を見張れという周囲の指示を律儀に守っているらしかった。
「らしいな。……まさか、あの珈琲屋のコネが役立つとは思わなかったが」
「モカちゃんだっけ。アイリスと仲よかったみたいだよね。……まさか街の権力者のお家とは」
「考えてみりゃ、元手なんてなかったはずのアイツが店を開くのに、パトロンがいないわけもなかったな」
「……どう転ぶかわかんないもんだね、おにいちゃん」
「やかましいぞ妹ちゃん」
「照れちゃって、このこのー」
シャルに肘で突かれた。
どしたのこの子。キャラ変わりすぎでしょう、ちょっと。
……まあ、いい変化だとは思うけれど。
なまじ見た目が超美少女なだけに、ボディタッチで結構ドキドキする俺であった。
中身はポンコツだけどね! 今も変わらず、そこはシャルのアイデンティティなんですよ。
大丈夫。こいつはポンコツ義妹。俺が何を思うこともない。
「なんかムカつくこと考えてない、おにいちゃん?」
「なんなの。みんな妹になると兄の考えてることが読めるようになるの?」
ツッコみながら歩みを進める。
無論、元通りというには、壊されてしまった部分が多すぎる。犠牲だってあったのだ。
それでも未だ力強く進んで行けるのは、この街の強さなのだろう。王都に残ったシルヴィアを通じて、エウララリア王女殿下からの支援もバッチリ約束されている。その辺り、あのふたりなら上手くやってくれることだろう。
少なくとも精力的だ。活気は、以前のそれと変わりない、あるいは強くなっている。
ただ、足りないものがあるのも事実で。
たとえば、姿を消した残る旅団や、崩壊した街並み。
いなくなった人間。
レヴィと、そしてウェリウス。このふたりは、あれ以来一度もこちらに顔を見せていない。
――その理由は、少なくともレヴィに関しては単純だ。
崩壊するこの世界を救うために、彼女は自らを犠牲にすることを決めている――。
「義手も手に入って、傷も癒えて……アスタはこれからどうするつもり?」
そんな考えを、やっぱり読み取られてしまったのか。
それとも偶然なのだろうか。ふと、シャルがそんな風に訊ねてきた。
俺は、歩みを止めることなくそれに応じる。
「どうするって?」
「――このままでいいと思ってるのか、ってこと」
「そう、言われてもな」
がしがしと頭を掻く。
だって、この世界は滅ぶのだ。誰も何もしなければ、どこかの未来で、必ず。
魔力に呑まれて、そのまま終わる。
人間のいるこの地表が、いわゆる《世界の表側》。
迷宮を含めた、魔力の塊とも言うべき概念空間が《世界の裏側》。
この裏側が、やがて表側を呑み込むことが、教団の言っていた世界の終わりである。
魔力の渦に呑み込まれては、人間など解けて魔力に還る。
耐えられるのは――魔人となった者だけ。ゆえに実質の世界滅亡というわけだ。
それを防げる人間は、この世にただひとりしか存在しない。
レヴィだ。彼女の持つ鍵の剣で、崩壊点を閉じることで滅びを捻じ伏せる。それはガードナーにしかできないことで、だが当然、世界を閉じ続ける彼女は、実質的な犠牲者となる。
死と変わらない――いや、死ぬより酷な話だ。
世界の裏側にただ存在し続けることさえ、強靭な精神力を持つキュオがギリギリ可能だったことなのだから。それでも、もう限界に近づいていた。
仮にレヴィが世界の裏側へ向かい、崩壊点を閉じたとしよう。だが開こうとする力に抵抗し続けるためには、自分自身がその裏側にい続けなければならない――キュオにさえ、それは不可能だったことだ。
だがレヴィにはそれができてしまう。
閉式と対になる開式。それを自らに使い続けることで、レヴィは概念となって存在し続ける。
もはや精霊、神の領域だ。魔人とは話が違う。
――そんなもの、人間の精神が耐えられる次元ではないだろう。
それでも開式で強制的に耐えられてしまうからこそ、彼女の未来は悲惨なのだと言えた。
まるで初めから――そのために造られた存在であるかのようではないか。
「……わたしにはもう、できそうにないからね」
シャルは呟く。あるいは彼女は、罪悪感を覚えているのかもしれない。
彼女は、その目的のために三番目――アーサー=クリスファウストが作り出した存在なのだから。
レヴィを鍵とするなら、シャルはいわばスペアキーだ。可能性としてあらゆる魔術を再現可能なシャルだけが、世界でただひとり、ガードナーの扱う《鍵刃》の術式を再現できたかもしれないということ。
シャルロットとは、いわばそのための保険だったわけだ。
だが彼女は、自らその可能性を捨てた。俺が捨てさせたということでもあるが、結果論もはやシャルでは世界を救えなくなっている。
「まあ、お前が気にすることじゃねえよ」
俺は言った。慰めにもならない下手な台詞だ、兄として以前に人間として不甲斐ない。
だが選択肢がないのも事実だった。今までの話は結局のところ、裏を返せば、レヴィ=ガードナーひとりの犠牲で世界を救えるというだけのことでしかないのだから。
そして何より彼女自身、そのことを自覚して受け入れている。今さら俺に何が言えるというのだろう。
「別にわたしは気にしてないけど」
「よく言うぜ」
強がりなのは相変わらずで。
そんなシャルの頭に、俺はぽんと手を乗せようとした――その腕を、シャルに掴まれて止められる。
「え、ちょっとやめてくれる、髪触ろうとすんの。キモいんだけど」
「…………ごめんなさい、もう、二度とやりません……すみませんでした……」
心をブチ折られる俺だった。
いや。なんか、ほら、一応は兄だし、だから、こう、慰めるっていうか、別に変なつもりじゃなくて……うぁあ。
なかなか泣きそうになった俺から、シャルは「ふんっ!」と視線を切って歩き出してしまう。とぼとぼ後を追ったところで、シャルは前を向いたまま言った。
「そういうのは、わたしが『やって』って言ったときだけだから」
「……」
「そのときだけは、わたしも、抵抗……しないし」
「……」
「な、なんだよ……なんか文句ある、おにいちゃん?」
「――いや」
素直ではないその様子に、思わず苦笑しながら。
俺はこう答えるのだ。
「かわいくねえな、お前」
「やられて」
「うおぉい、いきなり殴ろうとするな危ねえな!」
「ちょっと! 頼んだんだから無抵抗で受けてよっ!」
「さっきと話が違いすぎる! 頼まれたからって攻撃受けるわけねえだろ!!」
「そのくらいの甲斐性見せてよね、おにいちゃんなんだからっ!」
「妹なんだから、ちょっとくらい兄の言うこと聞けや!」
やいのやいのと喧嘩する、俺たちは相変わらずアホな兄妹だった。