EX-5『アスタとキュオネの四年目2』
2で終わると思ってたんだけどな……(小声)。
目の前には無防備に立つ男の姿。暗がりに潜むそれは痩せ型で、どこか幽鬼を思わせる。
もっとも俺は魔物はともかく、幽鬼などさすがに見たことがなかったため、これは単なる印象論だ。
それは、けれど決して馬鹿にはできない。
余裕が見られること自体、ハッタリではない、目の前の男の魔術師としての質を物語っているのだから。
「……まずったな」
届かないほどの小声で、俺は小さく呟く。
こんなことなら煙草に火をつけておくんだった。いくらなんでも、いきなり戦いに流れるとは想定していなかったのだ。
この男が、俺がこの世界に訪れてからも上位に位置する魔術師であることは間違いない。
「あの、ちょっと、いくらなんでも剣呑すぎません?」
だから――だからこそ俺は言葉を紡ぐ。
それは本来、弱者に許される振る舞いではないのかもしれない。
ぺらぺらと言葉を弄し、余裕を偽装して立つ。それは確実に隙を作るものだ。
だが俺は、弱者であるからこそ逆に、使えるもの全てを使い切らない限り生き残れない。力が足りないなら持ってくる、隙がないなら作り出す、どんな手を使ってでも生き残ることを優先する――。
勝てなくてもいい。
負けない限りは勝機が残る。
俺の戦いとは、いつだってそんな小細工の重なりだ。
「――悪いがこちらにも事情がありまして」
男は言った。おそらく、それは言わなくてもいいことだった。
問答無用で戦いの場に乗せたのだ。
そのあとで問答に乗ること自体が誤りだろう。
会話に乗ってくれる事実そのものが、巡り巡って、俺にとってはつけ入る隙になる。
「事情って。その前にこっちの事情も聞いてほしいもんだけど……」
「そちらの事情が、こちらの事情に優先されるわけではないでしょう」
男は俺の言葉をバッサリ切る。聞く耳なし。
丁寧で淡々とした口調は、慇懃であるというよりも、ただ感情を押し殺すものに聞こえる。
「申し訳ありませんが、ここに来てしまった時点で貴方の対処は決定しています。目的があって来たにせよ、単に迷い込んだだけにせよ、そこに違いはない」
「察するに、お前を殺す、って言ってるみたいだな?」
「恨むなら自分の無知か不運を」
「勝手な物言いだ」
「……ええ、かもしれません。では、貴方の恨みと無念は、私の側で背負わせてもらいましょう」
「どっちにしろ、勝手なことに変わりはないだろ」
「ええ。ですがそれも、我々の役目を果たすためなれば」
なるほど……実に不味い。
何がって、向こうさんは完全に覚悟が決まってしまっている。
たとえ迷い込んだだけの一般人であろうと、ここに来たからには殺すという覚悟が。それを、しかもおそらくは使命感に似た思いから決め込んでいることが最も不味い。感情論で、それは揺るがせない。
だとしても。
その罪悪感は――俺にとってはやはり隙だった。
「……ったく。なんか、強そうな奴に目をつけられちまったな」
俺は懐に手を入れ煙草を取り出そうとする。
ぴくり、と男は反応した。それを俺は、視線で強引に制する。
「……何を」
「別に武器を出そうってわけじゃない。単に一服しようってだけだ。ここ禁煙じゃないだろ?」
「…………」
そもそもこの世界、禁煙という概念自体があまり浸透していないのだが。
さすがに幼い子どもの前では控えよう、という意識がある程度で、吸っちゃいけない場所のほうが少ない。
まあ、そんなものなのだろう。地球とは違うわけだ。
煙草は体に悪いんだが。俺の場合は吸ったほうが寿命も延びる辺り、なんかいろいろ始末に負えない。
ともあれ俺は、燐寸で煙草に火を灯す。
武器を出したわけではありません、という思い切った大嘘が、どうやら通じたようだった。
もちろん武器である。
「……アンタら、えーと……アレだよな?」
探りながら俺は言った。
これは賭け。というか俺の行動など、基本的には全てが賭けだ。
それも概して分の悪い類いの。
「クラン《深奥儀団》。この辺りに来てるって噂になってたぜ」
「それを、知った上で来たのですか」
「それを知ってても、来ただけで殺されそうになるとは思わないでしょ普通」
「……なるほど。ではなんのためにここへ?」
「いや。もしかしたら知り合いが来てるんじゃないかと思ってな。それを調べに。違うんなら帰るんだが――」
「――ああ」
と。男は小さく、息をつくように頷いた。
「貴方、あの三人の連れですか。そういえば仲間がいるというようなことを言っていましたね」
「……知ってるのかい?」
「ええ、まあ」
「今は?」
「まだここにいらっしゃいますよ」
「そうか。できたら連れて帰りたいところなんだが――」
「――それはできません」
いいと答えるはずもないが。
それでも男は、あえてのように告げる。
「そもそも――連れて帰れるような状態には、ありませんから」
「……なんだと?」
目を細める俺。男の様子はあくまで淡々としていた。
「言葉通りの意味ですよ。それ以上ではありません」
「それは……実験材料に使った、って意味か?」
「その通りです。それを強要したということも認めましょう」
「潔し――とは言えないがな。あっさり認めるもんだよ」
「当然でしょう。我々は、初めから決裂している」
だとすれば奴には初めから会話に乗る必要がなかった。
それをしてしまっている時点で、徹底できていないことの証左でしかない。
何か理由があるのだろう。きっと奴には何かしら崇高な目的があり、俺に理解できるかできないかは別としても、奴はその大義のために殉じようとしている。言葉でそれを語っているのは、自身の正義を言い聞かせるため。
俺にではない。それは自分に対する宣誓。
そんなことを――この期に及んで行っていること自体が悪い。
「んで、あいつらは生きてるのか?」
俺はそう訊ねた。
男は答える。
「一応は。……あの状態を生きていると表現するのなら、ですが」
「ああ、そうかい。――それを聞いて、安心したよ」
ニヤリとした笑み。
その不可解さが、ほんの一瞬だけ隙を生み出す。
「何――? 待て……これは!」
気づいたときにはもう遅い。奴は俺に煙草を取り出させるべきではなかった。
煙草の薄い煙が、今はもう部屋中に充満している。それは意識しなければ気づかない程度のものではあるが、その拡散が通常のそれではないことには意識すれば気づけるもの。
ほんのわずかな魔力を含んだそれが、瞬く間に空間の支配権を奪う。
全てではない。この屋敷に張り巡らされた結界は非常に高度で、俺程度では破壊も乗っ取りも不可能。せいぜいその効果が、戦いに向いたものではないと確認するだけ。せいぜい支配権の二割そこそこを取り戻せたかどうかのレベル。
それだけでも充分すぎた。
ここはもともと敵地であって、地の利の分のハンデを俺は背負っている。
それが戦いに直接影響するものではないとわかることが、どれほどの有利を俺にもたらすだろうか。
「まさか、く……っ!?」
目を見開く男。同時に回された瞬間の魔力操作が、奴の技量を物語っていた。
目の前の男は俺の遥か格上だ。まともに戦って勝てる相手じゃない。
だとしても。魔術師の戦いが必殺の応酬である以上、先手さえ取れれば勝ちの目はある。
「――《雹》!!」
「《盾よ――》」
詠唱は、互いに一瞬。だがほんの一瞬、俺が先んじる。
刻まれたルーンがもたらすは災い。破滅を意味する強大な天の力。煙が意味を持つ魔力となり、風が渦を巻いて氷とともに襲いかかる。局所に集中した膨大なエネルギー量は、この程度の省略詠唱で防げるものではない――、
――はずだった。
「驚いた」
それはこちらの台詞すぎる。
男は、無傷ではないにしろ軽傷の範疇で、俺の攻撃を防ぎ切ったのだ。
「嘘、だろ。マジかよ……っ!?」
「こちらの台詞、でしょう……よもや印刻とは。しかも発動の寸前まで文字が読めない」
「普通なら、寸前でも読めないようにやってんだけどな……!」
俺の最高火力の攻撃を、あの程度の呪文で防がれてしまった。しかも不意打ちで。
まずい。まずいなんてものではない――強すぎる。しかもこの地力の高さは、つけ入る隙のない強さだ。
「……これは反省ですね。貴方のほうが覚悟が強かった。だからこんな不意打ちを許した」
「テメ――」
「――炎柱よ」
会話ではない。それは単なる自己暗示。
たったひと言でもたらされたのは、足元から立ち上る火炎の柱だった。渦を巻くその火力は、人間ひとりを消し炭に変えて余りあるだろう。
「――《車輪》――」
衣服の足に縫い付けてあったルーンを起動。強引に自分を効果範囲から離脱させる。
後ろへ吹き飛ぶ形に動いた俺だったが、体勢は崩さない。けれどかすった炎が左腕の袖を焼き――、
「――うおっ!?」
それはあり得ない速度で、あっという間に広がろうとした。
消えない火。術式を呼んだのではなく当たりをつけ、勘に従って魔術で消火を図る。
「水ッ!!」
「転べ」
「――っ!?」
直後、俺はあっさりと床に転倒する。
水で滑った――いや、そんな馬鹿はやらない。魔術の効果だ。
しかも同時に、魔術の発動を無効化された。回避に使おうとした魔術が――発動できない。
それはただ転ばせる魔術ではない。魔術師を無力化する術式だったのだ。
「……っと」
追撃を試みようとしていた男が、けれどそれを取りやめる。
どこか感心したような口調で奴は言った。
「実戦経験が豊富なようで。座学型の私とは違いますね――印刻は防ぎづらくて困ります」
「言ってくれる……!」
「なるほど。弱点である発動速度が補われた印刻魔術師は、こうも強力なのですか。参考になりました。いずれ、機会があれば印刻の研究も行いたいくらいです」
「……このやろ。お前こそ、なんだ今の魔術。発動速度が尋常じゃねえぞ」
「私など。単に神の遣いの力を借りているに過ぎません」
神の遣い――天使。そういえば、奴の呟く言葉は確か天使の名前だったはず。
いや、ぶっちゃけほとんど知らないのだが。この世界に、地球と同じ天使の名が伝わっているということ自体が初耳だったし、その名前の意味するところなんて俺はひとつたりとも知らない。何をどう解釈しているのやら。
おそらくは対応する天使の名を詠唱することで、魔術を発動させるスタイルの術式。ある意味でルーンと似ているが――俺の使うルーンの意味がバレているのに対し、俺は天使の名前の意味などさっぱりわからない。
だいたい何をどうすれば天使の名前が魔術師殺しの術式になるっつーんだ。意味がわからん。
「ルーンほど自由な術式ではありませんよ。縛りも多い――《癒やせ》」
呟くなり、男は自らが《雹》で負った傷を治し始めた。
俺は瞠目する。まさか、といった思いだ。
「治癒魔術……か。絶望的だ」
「まさか。私には治癒魔術の適性はありません。ですが使えないのなら、使っていただけばいいだけのことですから」
「はは……同感だね。嫌になるぜ」
「天の災い、を攻撃に使ったのが裏目でしたね。同じ天の力なら、上回るほうが勝つのは道理です」
「意味わかんねーよ。――ったく」
俺は手に持っていた煙草を棄てた。
男は目を細める。だがこれは伏線ではなく、もう使えなくなったから投げ捨てたに過ぎない。
消火に水を用いたこと。それを転倒によって再利用した奴の手腕を見ればわかる。煙草は手に持っているが、今の俺は魔術無効化の魔術によって足を使えなくされた――それが手に及んでいないと言い切れるだろうか。水で火を消せるというイメージを逆に利用されたのだ。炎で攻撃してきたこと、それ自体が奴の術中にあった。
火を使う→水で消す→その水で煙草を消し、滑らせて転ばせる→結果的に魔術を無効化する。
解釈の流れが美しすぎた。
……やべえな。マジで、勝ちの目がほとんど見えない。
こいつは、ちょっと本気で覚悟を決める必要がありそうだった。
「では、敬意を表して名乗るとしましょうか」
奴は言った。それは、最初に俺の話に乗ってきたときとはもはや意味が違う。
迷いから会話に臨んでいるわけではない。これは単なる勝利宣言だ。
「――《深奥儀団》団長。《魔導師》ヴィマ=プロティアーラ」
「アスタ=プレイアス。所属はねえよ、第一位階」
そして俺は。
この世でたった十人だけの、教授と並ぶ最上位の魔術師を前に。
絶望的な抗いを始める。
「――《収穫》――」
「――《雷光》――」
発動は同時。だが奴の攻撃は雷撃だった。
何をしてきてもおかしくない。そう予測はしていたものの、まさか元素魔術師でも滅多に適性者がいない雷の攻撃をしてくるなんて読めるかこのクソボケ畜生。
速度は圧倒的敗北。俺の胸を、刹那すら下回る一瞬のうちに雷撃が貫く――寸前。
「……?」
魔導師――ヴィマの表情が疑惑を浮かべる。
俺が攻撃を防いだこと、ではない。口にした魔術が別の効果を発揮したことにだろう。
防御だけなら、一撃は防げる。俺の身体にはあちこちにルーンを刻んだ護石が隠してあるし、身に纏う衣服それ自体にも、いつでも発動できるよう文字が刻んであった。
その防御印刻を総動員して、全身の《防御》、《保護》、《水》を全て同時に起動した。別に口に乗せなくても発動だけなら可能なのだ。お陰で全ルーンがお釈迦になったが、一撃防げばそれでいい。
体の正面に発生した不可視の防御力場が雷を防ぐ。
「――っ!」
その刹那の反撃に勝機を見出したと悟ったのだろう。
ヴィマは口を開いた。
「――印」
直後。防いだはずの雷が、軌道を変えた。
それは防壁を迂回するように上へ移動し――そのまま俺の脳天へと突き刺さる。
「が――っ、あ」
即死を免れたのは、《保護》や《水》を同時に起動してあったから。
その術的な守りがなんとか俺を繋いでいた。
そして――これでよかった。
わかっていた。俺ではこの男に勝つことができないと。
どう防いでも絶対にこの攻撃は喰らう。だから一瞬だけ時間が欲しかった――。
「へっ……」
「――っ!!」
それに、ヴィマは気づいたのか否か。いずれにせよ、俺の呪いは発動した。
「――《一日》――」
直後。空間から収穫しておいた魔力と煙が、俺とヴィマにパスを繋ぐ。
俺の喰らった一撃が、そのままヴィマにも通電するように――。
――報復は、最も根源的な呪詛のひとつ。
それを、俺はキュオネ=アルシオンという不世出の天才呪術師から習っている。
※
「……ぐ、あ……」
「――っづ……!」
痛み分け。攻撃が途中でやんだのは、おそらくヴィマが術式をキャンセルしたから。
だからここから先は、精神の戦いになる。俺はさらに追撃を試みようとして、
「――ぶ、」
直後。巻き起こされた鎌鼬に、全身を切り刻まれて床に倒れ伏した。
血が流れ出ている。体を起こすことができない。なぜ――。
ヴィマの攻撃ではない。ならば答えは明白だ。それを警戒していなかった俺の甘さのツケだった。
「おいおい、団長。何を負けそうになってんだよ。ったく、危ねえな」
その声は空間の奥から。警戒を、していなかったわけではないのに。
この状況まで、隠し通されたこちらの負けだ。そういえば結界の効果は確か、内部の事情を探るものだった。
――仲間が助けに来たというだけの話。
「……強かったよ。本当に、あと少しで負けるところだった」
「ああ、みたいだな。珍しいこともあるが……まあ、結果はこれだ。問題ねえだろ」
声が、遠い。耳がかすんでしまっている。
「ず――、ぁ……」
床に沈んだ。もう、体が動かない。
それでも手を前に出そうとして、できなくて――俺は、自分が死ぬのだと悟った。
これが結末だ。
勝てるはずのない戦いに挑み、その達成を目前に、しょうもない失敗で命を落とす自然の摂理。
それでも足掻くことだけはやめなかった。
嫌だ。ここで終わるのは嫌だ。
死ぬことがじゃない。俺の価値を、みんなに証明できなくなることが俺は怖くて――。
だから。
「――ああ、やっぱりここにいたんだ、アスタ? まったくもうっ、探しにこさせないでよ!」
その声が聞こえた瞬間に。
安堵してしまった自分が――俺は、憎らしくて仕方がなかったのだ。
次回、『キュオ姉、キレる』の一本です。うふふふふふ。
 




