EX-4『アスタとセルエの五年目4』
その願いは、あえて言うなれば課せられた命令に近く、湧き上がる衝動が如くして、為さねばならぬと自らを律するべき命運に似た――けれどそのいずれでもないナニカだった。
理由も因果も定かではない。生まれついてのものなのか、どこかで歪んだのかもわからない。
ただ壊し、殺し、犯し、失くす。
純粋な破壊願望と呼ぶべきそれに、本能ともなく理性ともなく従っているだけのこと。
いや。従っているのではなく、単に逆らってなどいないだけと言ったほうが、あるいは実情に近いだろう。
――けれどもそれは、本来なら目覚めるはずのないものでもあったのだ。
※
役割分担など、特に言葉にせずともいい。それぞれがそれぞれに理解しているから。
最初に走ったのはキュオだ。この三人の中では唯一、彼女だけがセルエに対し格闘能力で食い下がれる。
それは、セルエを敵に回す際の最低条件だ。彼女が持つ埒外の身体能力は、魔術など構築する前に潰すだけのものが実際にあるのだから。まして魔術そのものにさえ理解を持つ彼女に、生半な魔術師では戦いを成立させることも不可能だろう。
ゆえにセルエを前線で食い止める、食い止められるだけの前衛がいない場合、いわゆる砲台タイプと呼ばれる――たとえばメロのような――魔術師は、圧倒的な不利を強いられる。それこそシグ並みの埒外を用意しない限りは。
だからキュオなのだ。
俺も、メロも、セルエの間合いで戦うことなんて無理の二乗にも等しい暴挙でしかない。回復役を使い潰すという、本来なら絶対に採らない選択肢でしか、そもそもセルエとは戦うことさえできなかった。
だからキュオは前に出た。
治癒魔術とは、大別すれば肉体干渉に分類され、ゆえに身体性能の底上げにも効果を持っている。ただ振るうだけで上半身をこの世から消し飛ばしかねない威力を持ったセルエの拳。
それを躱し、あるいは防ぎ、時にはいなし――時間を稼ぐキュオ。
だが、それでも無謀だ。キュオは肉体を相当な鍛錬で鍛えてはいるが、本領はやはり魔術師。格闘者としてセルエに肉薄することはできても、勝ることなど絶対にできない。百回やって百回負けるほどの実力差が厳然と存在する。
そしてこの場合、敗北とはすなわち死を意味した。
強引な強化魔術でキュオはセルエに肉薄する。
それは諸刃の剣だ。一瞬先の死を先送りにする代わりに、数分先の死を数秒先まで早送りするような。
振るわれた拳を、首を捻って躱す。髪が房で持っていかれる拳圧は、それこそ漫画みたいに冗談じみていた。
キュオはそのまま倒れ込むように体を回転させ、勢いを乗せた足で偽セルエを払う。偽セルエはそれを片手で無造作に引っ掴んだ。防ぐどころか完全に見切られている。
右足を掴まれたキュオは、そこで強引に左足を使って偽セルエを蹴った。その反動で自由を取り戻した代わりに、無造作に地面へ投げ出される。無論、受け身を取って地面を転がり着地の隙は殺しているが、それだけ。
刹那の攻防は当然、キュオの肉体に強力な負荷をかけている。
筋繊維が断裂し、骨が軋み、神経そのものが悲鳴を上げるかのような痛みがキュオを襲っているだろう。魔力で麻酔をかけ、痛む先から力尽くで癒し、それでようやくセルエの前で数秒の命を繋いでいる。それほどの戦力差。
これでようやく数秒。
稼ぎ出した時間の果てに、キュオの目前に死が迫る。
セルエが地を蹴る。駆け出すという意味ではない、文字通りに地面を蹴り飛ばし、巻き上げられた小石が、地面に片手をついていたキュオの右眼に直撃した。蹴り飛ばされた小石が眼球を潰したのだ。
当然。キュオは反射的に自分を癒す。
それを隙にしないために、さらに右腕を上げて顔を庇っていた。死角となった右の視界に防御を嵌めたということである。それこそ、まるでパズルを直感で解いていくかのような、曲芸じみた綱渡り。
その防御が功を奏した。顔の横を庇うように振り上げられたキュオの右腕が、偽セルエの蹴りを喰らってへし折れていく。骨の砕ける音が、俺のところまで届いてきた。
その勢いに逆らわず、キュオは吹き飛ばされていく。
セルエならば。物理法則さえ捻じ伏せ、吹き飛ばしたキュオに足で追いついてみせるだろう。
だが、追撃はない。
まず一手、キュオの反撃がセルエに入ったからだ。
無論、魔術だ。キュオは魔術師であり、格闘だけでセルエと戦う理由はない。
直後にまず起こったことは、セルエの右腕が砕けたことだ。
おそらくキュオによる呪術だろう。感染による報復。原初の呪い。自分が腕を折られた分のダメージを、セルエに対して魔術で反射した、と言えばわかりやすいか。
いきなり折れた腕に、ほんのわずかとはいえ偽セルエがバランスを崩す。
そして、その一瞬に偽セルエは吹き飛ばされていた。
――メロだ。
彼女の魔術攻撃を、偽セルエはどてっ腹に食らって吹き飛ばされる。
空気砲、とでも言えばいいだろうか。圧縮され、回転の勢いを加えられた目に映らぬ空気の砲弾が偽セルエを穿ったのだ。わずかな隙さえ見出せば、いつだってメロの狙撃が偽セルエを撃ち抜けた、――けれど。
「……チッ」
そのうねる空気の砲弾を、偽セルエは残った左腕で軽く圧壊させる。
握り潰したのだ。腕力ではなく、混沌魔術の術式破戒だ。圧倒的な矛盾を叩きつけられ、メロの魔術が霧散する。
だがメロは、舌打ちをせよ冷静だった。
潰されたことにより空気が消えたということは、その場に真空ができるということだ。
もちろん実際には違う。そんなものは、仮にできたところで刹那にも満たない一瞬のことだろう。だが魔術とは元より拡大解釈の押し付け合いを言った。
直後。潰された魔術の砲弾が、今度は大爆発を起こした。
そして――それにさえ偽セルエは反応した。
彼女は咄嗟に、巻き起こされた爆風のエネルギーを、そのまま自身の運動エネルギーに転用したのだ。
風に乗る、と言えばわかりやすいか。爆風を体そのもので踏みつけるみたいにして、それこそ紙切れのように偽セルエの体が上空へと躍り出る。それで距離を稼いで、メロに近づき叩き伏せる心づもりだったのだろう。
――だからこそ、今度はそれをキュオが止める。
舞い上がったセルエの体。その上に彼女はすでにいた。
傷は癒えている。少なくとも眼は。腕は、呪詛の関係上、あえて治療せず残したのかもしれない。
いずれにせよ爆風に舞い上げられた風乗りの、そのさらに先で待ち構えていたキュオが。
「――痛かったなあ、もう」
偽セルエの背中を蹴り貫いた。
「おかえし」
地面へと叩きつけられる偽セルエ。これはさすがにダメージだろう。
とはいえ、決定打になるレベルではない。このままでは逆に落下するだけのキュオが偽セルエの餌食になるところだが、それはメロが助けた。中空のキュオを、風で操ることで自らの下へと引き寄せたのだ。
そして――それと入れ替わるように。
「だあっ、疲れた! バトンタッチねっ!」
「あいよ――キュオ」
俺が前に出る。
そう。何も俺は女子陣に全てを任せてボコボコにされるのを後ろで眺めていただけのクズではない。
それはふたりも理解してくれている。
「今までサボってたんだー! 働けー!」
「そーだそーだー! はたらけー!」
いないかもしれない。おっと悲しくなってきたぞ?
まあキュオとメロの言うことは完全に間違いなくたぶんきっとおそらく冗談だといいなと思うので大丈夫。大丈夫ではないかもしれないが大丈夫。
俺の役割とは、この偽セルエを打破する切り札としてのそれなのだから。
だから、お願いだからあんまり責めないで。泣きそう。
「――――――――」
偽セルエは何も言わない。彼女はひと言だって言葉を発さない。
ただ動きもせず、こちらをまっすぐ見つめていた。無防備に前へ出た俺を警戒しているのだろう。
……キュオとメロに戦いを任せ、観察を続けた結果。
わかったことがある。
俺は、火を灯した紙巻き煙草の先端を、少し離れた位置に立つ偽セルエへすっと向けた。
ほんのわずかだけ、それに合わせて偽セルエの体勢が沈む。何をやられてもいいように様子を窺っていた。
そう。まずひとつわかったこと。
それはこの《セルエ》が、間違いなくセルエであるということだ。
だから厳密には偽セルエという表現はおかしいのだが、それはさておき。
「――《火》」
すっと、煙草の灯火で文字を描く。軌跡が火を意味する文字となる。
直後に火炎が生じた。何倍にも増幅された炎が、意志を持つ蛇のように渦を巻きながらセルエを襲う。
さきほどのメロの魔術――それがこの場で使われたという事実そのものを媒介として再利用した攻撃だ。さきほどのメロの空気砲と、同じ軌跡を追うように。空気の道を火炎が走る。
魔術では大した攻撃力を出せない俺の、こいつはいわば小細工だ。
そして――。
「――――!」
偽セルエは、その攻撃を完全に無視した。
その程度の火力は、脅威として認識することすらないと言わんばかりに。
もちろん俺も、そこを見誤ったりはしない。
――これは、賭けだ。
果たして分がいいのか悪いのか、その判断さえつかないような賭けにベットするものは命ときた。
だが構わない。この程度はいつものこと。
元よりこんな世界では、命を賭ける以外に生き残るすべなどない。絶対的な弱者たる俺に、それ以外の手段はない。
だって俺は、命のほかに何も持ってはいないのだから。
ただの日本人が、異世界に飛ばされる物語なら、俺だっていくつか知っている。
別に詳しくはないけれど、それでも、まあ王道の物語だろう。そうした主人公たちの活躍に、心を躍らせたことがなかったと言えば嘘になる。
だけど同時に、俺は嫌というほど現実を知っている。
それらは物語であって、つまりは現実じゃない。俺は主人公にはなれない。
そんなことはこの世界に来た当初から知っていたことだ。
勇者として召喚されたわけではない。何か強い能力を貰えたわけでもない。初めは言葉すらわからなかった。
どころかむしろ、普通の魔術を一切使えないというハンデまで喰らわされている。
そんな俺にとって――この世界は休む場所のない死地なのだ。
無残に死んで当たり前。いや、生き残っているほうがおかしいと言っていいほどの地獄。
それでもこうして生きているのは幸運で、単に周りに恵まれたに過ぎない。
魔法使いのジジイに拾われ、パンに救われ、義姉の仲間たちが助けてくれた――。
俺は弱い。
キュオたちが俺を持て囃すのは、いつも必死で生き残ってきたから。強いと言われるのは能力ではなく単に結果。
本当の俺は酷く脆弱な、ただの地球の中坊だった。
戦う相手は、だからいつだって格上だ。
けれどそれなら、俺は俺の全霊を、いつだって余すところなく発揮できる。
「――……」と。
隠し持っていたルーンの護石を、手から零れさせるように落とす。
そして俺は、ニヤリと笑った。
同時に前へと駆け出す。それこそ自分を、自ら窮地に投げ出すように。
炎を貫いて向かってきたセルエは当然、それを俺が捨て鉢によって起こした行動だとは捉えない。
俺はセルエを知っている。
つまりそれは、セルエも俺を知っているということ。
俺がこの状況でなんの策もなく前に飛び出したりしないとセルエは知っている――。
だから、セルエは俺ではなく、落とした護石を優先した。
近づきがてら、それを左足で踏み潰す。砕いてしまえば文字は崩れ、その効果を発揮しない。
俺はそれを阻止するようにセルエの下へと駆け寄った。
――そして、させるがままにした。
一瞬の、わずかな猶予。
その隙に俺は、セルエ本体を狙ったのだ。魔術による目くらましもなく、俺はセルエに接近戦を挑んだ。
――その選択は確実にセルエの意表を突いただろう。
当然だった。セルエは俺が、そんな手段を絶対に選ばないと知っているから。
言い換えるなら、たとえ予想外の接近戦を挑まれても、そうなったら勝てるから。
俺の身体能力の上限を知っているセルエなら、どれほど意表を突かれようと倒しきれる。彼女はそう知っている。
だから彼女は、一瞬の間を塗り潰す速度でこちらに近づく。
そして、決着となる拳を放った。
直撃すれば肉体そのものが砕けかねない剛腕。本来なら絶対に躱せない一撃。
それを、俺は――身体能力だけで躱す。
「……!」
「甘いぜ、セルエ――!」
顔のすぐ横を拳が通り抜けていった。
目を見開くセルエ。それは躱された驚きではなく、自らの腹部に膝を叩き込まれた痛みによるものだろう。
だが、これで決着だった。
読み合いは――賭けは俺の勝ち。初めからセルエが回避しないことを前提で放った火炎は、そもそも物理的に延焼させるものではない。速度という概念を焼くための魔術だった。
それは、空気が焼けて灰になり、肌に纏わりつくような矛盾。
けれど魔術なら概念にだって干渉できる。でなければ効率の悪い元素系など使うものか。
ほんのわずかに。動きを阻害されていたセルエ。
けれど、おそらく彼女ならそれにさえ気づいていただろう。それを見逃すセルエではない。
初めから彼女は火炎が本命ではなく、そのあとに罠があると――俺ならそれを用意すると知っていた。
だから何も書かれていない、その辺に落ちていた石を適当に放り投げて罠としたのだ。初めから俺は魔術ではなく、格闘戦で決着をつけるつもりでいた。
それを砕く一瞬の隙。
炎によって魔術的に落とされた身体運用の速度。
それでもなお高速で動く、セルエ自身の動きが乗った威力の反動。
そして――会わなかった時間の間、ずっと体を鍛え、セルエに教わった動きを反復していた俺の成長。
セルエが俺を知っている、ことを俺は知っている。
だから俺は、それを見抜かれていると計算して罠を張った。
そしてセルエが知っている俺は、会わない間に身体を鍛えた俺ではない、昔の俺なのだ。
セルエを驚かせようと思って鍛えていたことが、結果的に功を奏したと言えよう。
「――――は」
と。そこで初めて、セルエが口を開いた。
彼女らしくない、それは皮肉に笑うような吊り上がった笑み。けれど声音はセルエと同じだ。
「やるじゃん。まさかそんな風に来るとは思わなかった――ここまでかあ」
「お前は……誰だ?」
「あたしはセルエ=マテノだよ。その中で、ずっといっしょに過ごしてきたんだ、少なくともほかの名前はない」
偽セルエ――いや、彼女は言う。
俺はその意味がわからない。が、
「……そうか。お前、セルエじゃないのか」
その言葉に彼女は驚いたらしい。
「ふうん。あんたはあたしが、そうであると信じて策を張ったんじゃないのかい」
「そうだな。だけど同じ記憶と経験を持ってても、別人だってんなら違う風に認識すべきだろ。お前に失礼だ」
「……言うねえ。そっか、それは……ちょっと嬉しいなあ」
彼女は俺にもたれかかっている。
抱き締めるような形。それは彼女がその気なら、最後の力で俺に攻撃ができる位置だ。
けれど彼女に、そのつもりがないことはなんとなく伝わっていた。
「なんせセルエにすら、あたしは認識されていないもんだったからね? 話すのはあんたが初めてさ」
「……そうか。光栄って言っておくよ」
「別にいいんだぜ? ま、あたしもあんたとは話してみたかった。嬉しいねえ、ご同輩」
「何……?」
「あたしはそういうもんだからね。暴れて回って、壊すもんだ。止められるまで止まりゃしねえのさ」
「おい、待て待て待て、そこじゃなくて」
「おっと、時間だ。あたしは戻る」
セルエみたいな彼女は、それ以上を語るつもりがないらしい。
いや、本当にその時間がないのだろう。彼女は笑った。
「――受け止めてくれてありがとうよ。楽しかったぜ、お兄ちゃん」
ふと、軽く頬に触れる感触があった。
彼女の唇が当たったのだと。そう認識する頃には、セルエの形をした彼女は影も形もなくなっていた。
魔力に戻り、おそらくはいた場所に帰っていったのだろう。
……なんだったんだ?
戦いが終わっても、結局その点はわからないままに終わった。
メロとキュオが近づいてくるのが見える。まあ、とりあえずは生還だ。
俺はほっと息をつき、駆け寄ってきたキュオが俺の首根っこを掴んで言った。
「……最後の、あれ、何?」
なんかこわい。
「え。いや何もなんも作戦通り――」
「よーしわかってないな折檻だ。治療するから覚悟しろー?」
「何が、ちょ、痛い痛い痛い痛い痛いなんで!?」
「自業自得でしょー」
キュオの治癒魔術、という名の折檻を受ける俺。
なんで怒っているんだろう。俺がボロボロになるなんていつものことなのに。
というか、むしろ今回は結構がんばって生還したのではないだろうか。
別にわざと痛めつけているわけではないだろうが、それでも厳しいキュオの治癒を受ける俺。
そんなこちらの耳に、ふと呻くようなゾンビっぽい声が聞こえてきた。
「……ごめん、終わったんなら……助けて……」
こちらに這い寄ってくるセルエ(本体)の声だった。
体の傷はともかく、元に戻ってはいるらしい。
「わー。ぼろぼろだー」
軽く呟くメロ。なぜか、つんつんセルエを指で突っついている。楽しんでいるようだ。
そんなセルエに、俺はそもそも伝言を持ってきたのだということを思い出し、こう告げた。
「あ、そうだセルエ。伝言」
「……な、に?」
「姉貴が呼んでるよ」
「――――」
その言葉を聞いた瞬間。
まるで、嫌な現実から逃げ出すみたいに、セルエがぱったりと気絶した。
「あら。これは背負って帰らないとじゃない?」
メロが言う。
「……誰が?」
「それはもちろん」
「アスタでしょ」
「嘘ぉ……」
けれどふたりに言われてしまっては、従わざるを得ないだろう。
なんだかんだ優しいはずだし、途中で交代くらいはしてくれるはず――。
そう信じながら、俺はふと、気づいたことを言葉にする。
「……え、今回コレ、こういうオチ?」
お久し振りです。
まだちょっと更新再開までは時間がかかりますが、もう少しお待ちください。
ストックを作っておりますので、来年中には再開します。
っていうか完結させます。最後までよろしく!
 




