2-03『学院の才女たち』
部屋を出て少し歩いたところで、背後から追ってくる足音を聞いた。
とととっ、と駆けてくる歩幅の小さな音だ。振り返る前に、誰なのかはわかっていた。
「――アスタくんっ」
「よう、ピトス。もう戻るのか?」
追いついてきた小柄な少女が、上目遣いに俺を見上げる。
「はい。午後の講義もありますから。途中までご一緒しても?」
「……もちろん」
俺は頷いた。思うところがないではないが。
まあ、こういうのはたいていの場合、俺のほうが気にしすぎているだけなのだろうが。別に自分がコミュニケーション能力に欠けているとは思わないけれど。
試しに少し、雑談でも振ってみることにする。
「ピトスは今日、なんの講義取ってるんだ?」
「次は《普通魔術上級》の講義ですね」
あっさりと言うピトスだったが、俺ら二年で上級を取る学生はほぼいない。
俺に至っては初級講義さえ単位を貰っていなかった。
こういうところで、才能の違いみたいなものを感じてしまうが……まあ特に思うことはない。メロという例外を知る俺が、今さらこの程度で腐るはずもなかった。
「アスタさんは、今日は講義を受けないのですか?」
「いや、受けてくよ。午後一で《魔術史学》を」
実践講義は《行く→教わる→使う》の三ステップで単位が来る。そこで教えている魔術を使えるようになれば終わりだ。以降、授業に出る必要さえない。
一方、俺の取っている座学系の講義は違う。毎回の講義に出席し、筆記試験やレポートで単位の認定を受ける。まあ、こちらのほうが地球人から見れば普通だが。
そういえば、ピトスと二人きりで話すのは、これが初めてではないだろうか。レヴィは言うに及ばず、あのシャルとでさえ迷宮内で多少の機会があったのだが。
正直、割と絡み薄いし、話すことなんて特にないと思うのだが……。
なんとなく、俺たちはそのまま連れ立って歩いた。ピトスはしきりにこちらを気にしている様子だし、俺も「じゃあこれで」と別れる踏ん切りがなかなかつかない。
そのままセルエの部屋がある研究棟を抜けた。
真昼の日差しが注ぐ校庭。明るい場所は人の姿が多くなる。
魔術学院とはいえ学校は学校だ。当然、カップルの数もそれなりにあったりする。
こんなところをふたりで歩いていて、「恋人だって誤解されたら嫌なんで離れてください」とかピトスに言われたらどうしよう。
卑屈なことを考える俺だった。それ以前に、先ほど校庭で目立ったことだし、「あの野郎、さっきと違う女を連れてるぞ!」などと周囲に思われることをまず避けたほうがいいのかもしれない。
地球時代のような回りくどい陰湿さにはやや欠けるが、異世界の学院だって、それはそれで独自の社会を形成しているのである。
とまあ、そんな風に俺が文化人類学(絶対違う)に思いを巡らせていると、隣を歩くピトスがふと言った。
「アスタくんは、お昼もう食べましたか?」
「ん? ……いや、まだだけど」
「ではご一緒しませんか? あ、学食になっちゃいますけど、よければ」
「…………」
「少し、お話したいこともありますし」
……さて、なんと答えたものだろう。俺は少しばかり迷った。
別に受けてもいい。顔見知りの学生同士が、一緒に昼を食べるくらい普通だろう。いちいち気にするほうが馬鹿げている。
だが一方で、ピトスの提案が純粋な好意から出たものだと捉えるには、俺は少し捻くれすぎていた。
まあ、とはいえ取って食われるわけでもなし。俺は言う。
「それじゃ、一緒に行こうか」
「はい!」
頷くピトスの表情が、心から嬉しそうに見えたことは救いだったと思う。
※
学食についたところで、「あ、嵌められた」と俺は悟った。
無論、ピトスにそのつもりはなかったのだろうが。言うなれば運命に裏切られた的な。
「――やあ、ピトス。珍しいのを連れてるじゃないさ」
なんだか珍妙な色をした麺を啜りながら、軽くこちらへ手を上げるひとりの女。
明るく派手な金髪と、対照的に鋭く怜悧な翡翠の双眸。地味目の銀縁丸眼鏡がまるで似合っていない、絶妙なアンバランスさを成立させている女だ。
――エイラ=フルスティ。
自身を《研究者》と割り切っている、学院でも稀有な研究畑専門の学生だ。
その横にはレヴィの姿まで見える。どうやら、三人で約束でもしていたのだろうか。
……え? 俺そこ入ってくの?
「久し振りだね、アスタ。最近見ないと思ってたけど、たまにゃアタシの研究室にも顔を出してくれよ」
「……久し振りで悪いがな、エイラ。お前の実験に付き合うと、命がいくつあっても足りないんだよ。隣を当たれ、隣を」
「レヴィはこれで忙しいからねえ。アタシもあまり頼るワケにゃあいかないさ。そうだろ?」
「俺は暇だって意味かテメエ」
「そうは言わないけどね。それでもレヴィよりはましだろうさ」
くつくつと笑みを噛み殺すエイラ。まあなんて腹の立つ言い分だろう。事実だけに否定できないが。
横に座るレヴィもそれに乗り、猫被りの顔の奥で、嗜虐的な輝きに瞳を染めていた。
「そうね、エイラ。アスタくんは男の子ですから、女性の頼みを無碍に断ったりしないわ」
「いやあ紳士だねえ」
「お前ら覚えとけよマジで」
苦々しく吐き捨て、俺は元凶たるピトスに恨みを込めた視線を送る。
彼女はこちらに気づくと、きょとんと首を傾げて言った。
「……あれ、食べないんですかアスタくん?」
これ天然で言っているなら、かなり始末に負えないのだけれど。
もう、深くは考えないことにした。
※
オーステリア学院の学食は、これでそれなりに豪勢だ。
この世界の文明が地球に比してどれくらいなのか、ということはいまいちわからない。魔術という無視できない要素が加わる上、そもそこまで歴史に詳しくないからだ。
ただ、少なくとも義務教育なんてシステムは存在していない。
学院に通えるのはほぼ例外なく金持ちだけだ。
ましてオーステリア学院ともなれば、もはや王国の威信を懸けた最高の施設である。
むしろ、そうでなければならない、と言うべきか。
いずれにせよ、その力の入れっぷり、もといお金のかけっぷりは尋常でなく、それは学食においても遺憾なく発揮されていた。
安い美味い早い、を地で行く学食。下手に豪勢な食事を出さず、安さと質を両立させようという辺りに王国の本気具合が伺えた。貴族や王族は、なかなかその発想に至るまい。
そもそも《学食》なんてシステム自体、国内でもオーステリア以外にはあと数校くらいしか、成立させているところがないだろう。
ま、そんなわけで、ここのメシは割と気に入っていた。
料理人の中に魔術師が紛れているのか、中にはたまに創作珍料理が紛れることもあるのが玉に瑕だが、それ以外はおおむね評判がいい。
ゲテに関してさえ、ごく稀にエイラのような熱心な信奉者がいたりするし。
いちばん安い定食メニュー(《定食》という文化自体がほぼ学院限定で、普通は一品料理しか普及していないのだが)を注文し、俺は席に着く。
周囲の視線が、ちらちらとこちらへ突き刺さっているのは決して錯覚じゃないだろう。
レヴィ=ガードナー。
ピトス=ウォーターハウス。
エイラ=フルスティ。
学院きっての三大才媛が揃い踏みとなれば、注目を集めないほうが難しいのだ。まして全員、見た目も整っているとなれば、噂話好きはもう垂涎だろう。
生憎と俺は、こんなことで優越感に浸れる精神性は持ち合わせていないが。
むしろ針の筵もいいところだ。
「それにしても、アスタとピトスが一緒とは意外ね。どうしたの?」
レヴィがそう訊ねてきた。
ちら、と俺が視線をピトスに向けると、彼女が頷いて答え出す。
「ちょっと用事があったので、セルエ先生の研究室にお邪魔していたんですけど。そこで会いました」
「なんだい、アスタ。また悪さでもして呼び出されたかい?」
からかうように言うエイラだったが、「お前が言うな」とはまさにこのことだ。
そもそも俺は、セルエに呼び出されて説教を受けたことなど一度もない。
「一緒にするなよ、マッド。俺は人を案内してただけだ」
「案内? セルエに客人とは珍しいさね。誰だい?」
驚きながら訊ねてくるエイラに、俺は舌打ちせんばかりだった。口が滑った気がする。
相変わらず、奇妙に勘がいい奴だ。レヴィもそうだが、人の弱味に対する嗅覚が尋常ではないのだ。
本当に、俺の周りには面倒な女しかいない。
と、隣に座るピトスまで、興味ありげな視線を向けてくる。
「そうです。わたしもそれが訊きたかったんです。お知り合いなんですか?」
「……あーっと、うん。まあ、ちょっと。わずかに?」
「学院にご入学される、という話でしたけど。確か――メロさん、でしたっけ?」
――あー言っちゃったよー。俺はもう誤魔化しを諦めた。
どうせ早いか遅いかの違いだ。いずれ話題にはなる。
真っ先に気づいたのはレヴィだった。彼女だけが、この学院では俺が元《七星旅団》であった過去を知っている。
その上で知人の《メロ》と来れば、気づかないほうがおかしいだろう。
「――まさか、メロってあの……? 彼女、学院に来るの?」
「そうだよ」
俺はあっさりと頷く。もう知ったことじゃない。
レヴィの隣で、エイラは首を傾げていた。
世情に疎いため、名前だけではピンと来ないのだろう。
「有名人かい?」
訊ねたエイラにレヴィが答える。
「いくらエイラでも、名前くらい知ってるはずよ。なにせ元《七星旅団》なんだから」
「じゃあ、まさか――!」
ここでピトスも悟ったらしい。目を丸くして口を押さえていた。
「――あの《天災》メロ=メテオヴェルヌが学院に来るなんて」
瞬間、学食中が静まり返る。周りの奴らも聞き耳を立てていたのだろう。
レヴィは猛禽の笑みを零しながら、心底愉快げに唇を歪めた。
「これは――面白くなってくるわね」
今日の日替わりの揚げ物うめえな、油替えたのかも。
俺は、そんな風に現実逃避をしていた。何ひとつ面白くなかった。
 




