EX-4『アスタとセルエの五年目2』
――指定禁域ドーバ山。
王国全土を地図で俯瞰すれば、それは中央より少し北西にズレた辺り、という感じか。もう少し西へズレると大連峰が存在する。それを考えれば、まあ割と低めの山ではあろう。
しかし現在、その山は魔境と化していた。
「……………………」
無言で、山の内側に築かれた山――そう表現するべきものを見る。
そいつは驚くべき光景だった。
膨大。そう表現していいだろう魔物の群れ。これを死地と呼ばずしてなんとしよう。
もしも迷い込む者があれば――そうならないための指定禁域とはいえ――きっと即座に命を落とす。
ある意味では、各地に点在する迷宮以上に原初の命のやり取りを要求される、大自然。
その中で俺たちは――。
「あーあ、面白くないのー。こんなんだったら、やっぱり麓に残ってればよかったよ」
「もう、そう文句を言わないでよ。少なくともわたしたちは、メロにの力に助けてもらってるし」
「……まあ、キュオ姉がそう言うならいいけどさー」
「ふふっ。ありがとう、メロ」
たったひとつの《天災》が、大自然の脅威を蹂躙していく様を目撃していた。
魔物としての、生命の限界を超えた力。そこに、大自然の厳しい環境が加えた野性としての本能。
それらを併せ持つ強大な魔物たちの大軍を、たったひとりで打ち滅ぼしていく小さな少女。
魔物の死体が小山となって積み上がる。迷宮ではない自然の土地で、肉体を獲得しているがゆえに、死体が魔力となって大気へ霧散していくことがない。
ほら、完全に死地じゃないですか。魔物にとってのね。
「……なーに、こいつ。強すぎなんですけど、マジで……引くわ」
改めて、メロ=メテオヴェルヌという少女の異常性を目の当たりにし、俺は小声で呟いていた。
もちろん当人には聞かれないように。麓でのやり取りからもわかるよう、この少女は不機嫌の理由を我慢で放置することなどあるまい。キュオがいるからまだマシだが、下手なことを言って機嫌を損ねるつもりなど毛頭なかった。
この若さでこの強さ。死ぬほどの(必ずしも比喩じゃないレベルで)訓練を重ねて、最近はようやく一端の魔術師、冒険者として身を立てることができ始めた俺だったが、こうも圧倒的な才能の差を見せつけられるとさすがに凹んでしまう。
今さらではあるのだが。
マイアやシグ、ユゲルにセルエ、そして前を行くキュオネ。
この世界でできた友人たちは、軒並みがこの世界の中でも異常とか特殊とか、そう呼ばれるタイプの魔術師ばかりだ。俺の中に、この程度でへし折れるようなプライドがまだ残っていたことに、逆に驚いてしまうくらいである。
あまりその手の創作物には詳しくないのだが、基本的に異世界とかに行く物語の主人公は、だいたい強いもんじゃないのだろうか。
そりゃバッタバッタと並みいる悪漢を相手に無双して回る主人公ばかりだとは俺も思わないし、むしろ大半は苦労しているとは思うけれど。にしたってこう、もうちょっと、主人公らしい何かしらの個性とか才能があってもいいだろう。
現実はそんなに甘くない、というか。才能なんて人並みもない、どころか普通の魔術は一切使えないと来たもんだ。
そして今、目の前には俺と違い、魔術の才能に愛されまくっている天才もとい天災少女。
「……なーに落ち込んでんの?」
と。いちばん後ろをのらくら歩いていた俺の下に、歩調を緩めてキュオが並んだ。
目の前ではメロがサクサク歩いている。襲ってくる魔物が減ったのは、メロの脅威が伝わったからか。迷宮の魔物ならば力の差も考えずに突っ込んでくるところだろうが、こういった場所だと魔物にも動物性的なものが芽生えるのだろう。
「別に、落ち込んでるわけじゃない」
俺は軽く首を振って答えた。嘘や強がりではない、と思う。
「メロが俺より強いことくらいわかってるしな。お前らの同類だと思えば、そんなもんなんだろう」
「お前らの同類って……アスタだってわたしたちの仲間だよ?」
「そういう意味じゃなくて、もっと単純に才能とかの話。ないものねだりしても意味ないってわかってて言うけど、やっぱキュオやメロほどとは言わなくてもさ。もうちょい魔術の才能がありゃよかったなあ、なんて思うよ」
「それは、誰のために?」
「うん? そりゃもちろん自分のため……か? まあ魔術って普通に憧れだったし。使えるなら使いたいし、強くなれるならなりたいでしょ、そりゃ。――ああ、まあ足引っ張ってるのは悪いと思ってるから、そういう意味ではお前らのためでもあると言えばあるけど……」
「うーん。そういうこと言わせたかったんじゃないんだけど。ま、いっか」
軽く肩を竦めて、キュオはそんな風に呟く。なぜだかちょっと不満げだった。
つまり、言わせたかったことがあるということなのだろうか?
しかし今の会話の流れで、いったいほかに何を言えというのだろう。ちょっと想像がつかない。
いずれにせよ「ま、いっか」とキュオが言った以上、この話はここで終わりだ。ある意味じゃ誰より頑固なキュオが一度やめた話を、あとから訊き出すなど不可能と言っていい。それこそ、どんな魔法を使ったって。
「……今なんか、失礼なこと考えてない?」
じとっとした目でキュオに睨まれる。俺は狼狽えず、軽く肩を竦めて答えた。
「いや別に。強くて羨ましいなあ、と思ってるだけですよ」
「……割とそれ、アスタに言われたくないと思うけどね、みんな」
「なんでよ」
「アスタだって充分すぎるくらい強いからだよ。それこそないものねだりっていうか、自分の持ってないものだから羨ましく見えるだけで、アスタだって誰も持ってないものを持ってるわけだし」
「……それは俺のどこを見て言ってるの? ルーンのこと言ってるの?」
「うーん」少し考え込んでから、キュオはこう告げた。「たとえば、強い人が戦いに勝つのは、まあ当たり前でしょう? 細かいことを考えなければ」
「まあ、そりゃな」
「じゃあ弱い人が自分より強い人に勝つのは、それってすごいことだよね? 強い人が弱い人に勝つよりも」
「それもまあ、そうだろうな。そういうほうが燃えるといえば燃える」
「そういうことをわたしは言いたいんだけど……」
「キュオにもメロにも勝てない俺にそれを言われても、ぜんぜん場合が違うとしか」
「……さっき勝ってたじゃない」
「あんなもん適当に騙くらかして、キュオに手ぇ借りて煙に巻いただけだろ。煙に巻くのだけは得意なんだよ。喫煙者だからな」
下らない冗談を言った俺に、処置なしとばかりの呆れ顔でキュオが頭を振っていた。
解せない。そりゃ、言わんとせんことはわからないでもないのだが。
「そんな苦労しないで普通に勝てる実力があれば、それがいちばんいいんじゃないですかね、普通に」
「うーん……ある意味、それがいちばんすごいっていうか……伝わんないかなあ」
「……そんなに無理してフォローしてくれなくても大丈夫だよ。言ったろ、別に今さら落ち込んだりしてないって」
「そんなつもりはまったくないよ」
「あ、そっすか……」
別にお前のことなど励ましていないと断言されてしまった。
……いや、俺がしなくていいって言ったんだけど。なんだか釈然としない気分。
そのキュオのほうは、俺がちょっと落ち込んだことになど気づきもせず。
「うーん……まあ確かに周りがおかしいからなあ。どうしてもそれと比べちゃうせいで、基準がズレちゃってるってことなんだろうけど……うーん」
などと、もうなんの話かもわからないことを呟いていた。
一方で前方からは、「おーい、何してんのさー! おーそーいーよーっ!!」というメロの声まで響いてきて。
俺は小さく溜息をついて、それからキュオに向き直って告げる。
「行こうぜ。メロがなんか言ってるし」
「……そうだね。早いとこセルエを見つけないとだし」
そう言って互いに頷き合う。
ともあれ。
魔の山とさえ呼べるほどの異郷にさえ、俺たちはほとんどピクニック並みの気楽さで進むことができていたのだ。
――ここまでは。
※
状況が変わったのはそれからまたしばらくが経った頃。
木々さえ生えない、ただ大量の石だけが視界を彩る山頂の手前で、セルエを見つけたときだった。
セルエは、呆然と上を向いて立っていた。
「あ、いたね」
キュオネが言い、
「はー、ようやくついた。疲れた。おいアスター、帰り道はおんぶしろよー」
メロが言う。こいつはどうでもいい。
キュオが片手を挙げ、少し先に見えたセルエに手を振った。
「おーい、セルエー! 迎えに来たよー!」
だがセルエは、こちらの呼ぶ声になど一切反応を返さない。
まるで聞こえていないかのように、ただまっすぐ空だけを見つめ続けている。
……どうにも様子がおかしい。
「なんだ? 聞こえてないのか? ……てか何見てんだ」
小さく呟いた俺に、隣のメロが答える。
「さあ? 上見ても別になんもないし。聞こえてないだけじゃない?」
「でも、ふたりとも。それにしては確かにセルエ、なんか妙だよね……いつもと雰囲気が違う」
「どうしたんだろうな、いったい。……おーい、セルエー? 聞こえてないのかー?」
今度は俺が、大きな声でセルエの名を呼ぶ。
それでようやく聞こえたのか。
かくん、と首が頭の重さに耐えかねて落ちたみたいな動きで、セルエの顔がこちらを向く。
感情がひとつとして宿っていないかのように、どこまでも透徹した表情で。
「――う、ぁ……これ、やば……っ!?」
直感が働いたのは、それだけ俺が魔術師として鍛えられてきたからか。
五年も暮らしていれば、今やこちらの世界のほうに俺も順応してしまっているということなのか。
とにかく、自分を生かそうとする本能が金切り声をあげたのだ。
それは俺だけでなく、きっとキュオとメロも同時に。魔術師としての本能が警笛を鳴らす。
次の瞬間。
セルエの体が、ふっとぶれるように消えた。
俺はその直前に叫んでいた。
「――《防御》……っ!?」
体のあちこちに隠している護符や護石。そのひとつを本能が起動する。
――だが、間に合わない。
いや。間に合いはした。単に効果がなかっただけで。
そのことに気づいたのは、自分が上空へ高く飛ばされたと気づいてからだ。
――蹴り上げられた。
「っ――づ、ぁ――」
内臓が完全に破壊されている。遅れてきた痛みを、もはや自分でも知覚できていない。
意識を保っていられたこと、それ自体が魔術によるものだった。知性を司る《主神》と、生命力を司る《太陽》のルーン。そのふたつが自動発動したことによって、《気付け》の魔術として働いているのだ。
「……かはっ、」
喉の奥から漏れ出るナニカ。まるで洒落になっていない。
それでも、魔術によって意識そのものを操り人形のように支配している俺は、冷静に自己の状況を分析する。
防御を抜いて直撃した蹴りの一撃が、自分を空高く打ち上げたこと。
それは肉体ではなく、むしろ魔術的な一撃だった。おそらく命中性を高める系統の魔術を使用していたのだろう。振り抜かれた襲撃者の脚は、人体構造的に絶対にあり得ない軌道を描いて俺を高くへと射出した。……こんなことなら《防御》ではなく《保護》を使っておけばよかった。
ただ逆に、それが肉体を基盤とした魔術攻撃であったことは幸いでもあった。もし本当に物理ダメージで蹴り上げられていたら、たぶん即死だっただろう。《直撃した対象を高く空へと飛ばす》攻撃であったからこそ、俺は今も生きているわけだ。
「――《車輪》、多重起動――」
射出が終わり、今度は地面へと落下していく。
効率的な殺しの魔術だった。肉体攻撃と見せかけることで防御を封じ、蹴りのダメージで死なずとも落下で死ぬ。
ただまあ、そうとわかれば対処方法はあるものだ。
発動したルーンの護符が、落下の速度を落として軌道を変える。宙に浮かんだ魔力光の車輪。その円の中を五回通過しながら、俺は避難するように地面へと不時着した。
直後、後ろから背中に手が当てられる。
「……さすが。よく今ので生きてるものだよ」
「死んでたほうがいいみたいに言わないでほしゲブァッ!?」
「治すまで喋らないのー。ほれ、《贈り物》と《成長》を借りるよ」
キュオの治癒魔術が、高速で俺を癒やしていく。相変わらず冴え渡るような技量だ。いつの間にかルーンすら治療に応用できるようになっているのだから凄まじい。
また眼前では、すでにメロが行動を終わらせているところだった。なんらかの即興魔術を用いたのだろう――おそらくはたった今、目にしたばかりの敵の魔術に即興改変を挟んだものと見える――高速接近してきた敵を、そのまま逆に遠くへと吹き飛ばしたようだった。
……敵、か。
「なあ。なんだったと思う、今の?」
「――見た目はセルエだったね」
問いに、そのまま見たままのことをキュオは答える。
襲撃者を振っ飛ばしたメロも、こちらに戻ってきていた。
「とりあえず山の反対側までブッ飛ばしてきたよ。戻ってくるかしんないけど、しばらく時間稼げたんじゃない?」
「とんでもないことを当たり前みたいに言うよなお前は……」
なぜかメロは、ちょっと不機嫌そうにじとっとした目を俺に向けた。
それに眉を顰めていると、ちょっと苦笑気味にキュオが言う。
「まあまあ。気持ちはわかるけど、アスタにそういうこと言っても仕方がないから」
「え? キュオまで俺を裏切るわけ?」
「見た目の派手さだけでいろいろ考えるよね、アスタは。細かく考えれば、アスタのほうがおかしいって思う人もそりゃいるよ」
「どうしてそういう話になるんだ……」
生まれ持っての才覚がぶっ飛んでいる人間は、弱者が必死に足掻くことを驚くのかもしれない。
どう考えたって、メロやキュオのほうがおかしいと思うんだよな、俺は。
「で? なんでこっち襲ってくるわけ? それに、なんか雰囲気違いすぎなんだけど」
メロが言う。俺は頷いて、そしてふたりに訊ねてみた。
「確かにな……いや、想像がつかないわけじゃないが……あれ、本当にセルエなのか?」
「セルエじゃないと思うよ」
しれっと。そう答えたのもキュオネだ。
俺とメロが視線を向ける。
「なんかわかったのか?」
「わかるも何も。だって襲ってきたじゃない。セルエはそんなことしないよ」
――信頼の言葉だと、そう思えればどれほど楽だろう。
だが知っている。俺も、メロも、キュオネ=アルシオンという優しい少女が、実のところどれほど恐ろしいのかということを。
「じゃあ、襲ってくるならセルエじゃないんだよ。どんな格好してようと。だったら殺すしかないんじゃない?」
彼女にとって、それはどこまでも当たり前の事実でしかないのだ。
体を乗っ取られているだとか、たとえばそういう可能性だってあるかもしれないのに。彼女は今、ここにいる身内以外を一切斟酌しない。それを守るためならば、鬼にも悪魔にも平然と変わる――いや、それこそがキュオなのだろう。
セルエは襲ってこないから。
殺そうとしてくるならもうセルエじゃないから。
だったら守るのは今ここにいる俺とメロで。
――なら目の前に立つのは殺すべき敵でしかないのだと。
彼女は、当たり前の価値観で口にする。
「戦うのは賛成だけど……割り切り早いね?」
メロですら、ちょっと引いたみたいにそう言った。
だがキュオは、むしろなぜ当然の理屈にそう返されるのかがわからないと首を傾げるのみだ。
「え? いや、そりゃそうでしょ」
「……いや、でもお前、あれがもし本当にセルエだったら……」
「――でもアスタを殺そうとしたし」
即答。殺されかかった俺がなぜ殺しに来た奴を庇っているのかわからなくなってくる。
「まあでも生きてるからね? ほら」
「それはアスタが頭おかしいから生きてるだけで普通なら死ぬし、わたしがいなかったらそれはそれでやっぱ死んでたでしょ」
「頭おかしいはおかしくない……? いや、治療はありがたかったですけども」
「関係ないよ」
やはりキュオネは
それでも、笑顔のままで言う。
「――わたしの身内に手を出す奴を、わたしは敵に定義する。敵はね、アスタ。殺すものだよ」
つーか、いや、これ。
あの、キュオネさん……もしかしてめちゃくちゃキレてる?
な、なぜだ。なんでこんなに怒っているんだ。
とにかく説得しないといけない。状況がまだ掴めていないからだ。
仮に、なんらかの理由でセルエが乱心しているのなら、殺すのではなく止めて治すことで対処したい。
どうやらブチ切れてしまっているらしいキュオネさんを、どうにか説得しようと考え込む俺であったのだが――。
「いや。だから、アレはセルエじゃないんだって」
キュオネは言った。
「いや……だから、それがまだわからないから言ってるんであって」
「――だってセルエそこに倒れてるし」
「へ?」
と。キュオネが、山の上のほうを指差していた。
そこには、なんかボロボロになってぶっ倒れている――探し人の姿。
「――ってセルエが死んでる――!?」
叫んだ俺に、背後からキュオがひと言。
「大丈夫、大丈夫。生きてるって。あの程度でセルエがどうにかなったりしないよ」
「いや、そういう問題じゃないのでは、これ!?」
この世界に訪れてから、すでに五年が経っている。
けれど、それでもやっぱり異世界人の価値観ってちょっとよくわからない俺だった。




