5-48『奪還完了』
――要するに、魔竜とは世界法則側の生命なのだ。
生物ではなく生命。試練と言い換えてもいい。
七つ首を落とせるほどの人間に、さらに試すための障害として在ろうという概念。
神はいつだって自分を超えられるモノを待っている。
そういう話だ。
確かに魔竜は人を憎んでいる。
それは魔物としての絶対的な本能と言っていい。
魔竜だからこそ、むしろその憎悪を抑えることができていると言ってもいいだろう。それはたとえば、この街に訪れた純粋鬼や銀狼、不死鳥がそうであったように。
魔竜は思う。――ヒトを殺そうと。
だが同時に魔竜は願う。――それをも超えよと。
この黒竜が積極的に襲いかかってこない理由はそれだ。襲ってきてはいるが、同時に出方を見てもいる。それは六人――いや、七人の魔術師への警戒というより、むしろ尊敬に近い。
敗北するなら敗北するで構わないのだ。
そのときこそ、本来の暴虐の化身が成立してしまうのだとしても。
そう。魔竜はこの状態でなお幾重もの――七重もの殻に覆われているようなものだった。
それでも魔竜としての実力は持っているのが厄介だが。
いわば精神的な理性の枷だ。その枷が外れることで魔竜は、異界から破滅の化身としての自己を召喚する。強さが上がるというよりは、神としての情けがなくなるというほうが近いか。
よって魔竜は睥睨する。
今、自らの目の前に立つ七つの魂を。その輝きを。
その中で、自らに近づいてきたふたりを。
シグウェル=エレク。
セルエ=マテノ。
七星旅団のメンバーにおいても、魔竜のその文字通りの膝元で戦っていられる近接格闘的な能力を持つのはこのふたりだけだ。次いでキュオネとマイアだが、このふたりには劣る。
ふたりは、囮だった。
最大の近接戦闘力と最高の火力を持つふたりだからこそ囮として機能する。
彼らの役割は、後衛の準備が整うまでの時間稼ぎ。
魔弾が、拳が――走った。
魔竜はそれを悠然と受けて立つ。挑まれた戦いからは逃げられない。
あらゆる権能でもって、それを正面から打倒せしめんとする。
邪視が。瘴気が。その強靭な肉体が。高度な知性からもたらされる魔術が。あらゆる全てが魔竜の武器だ。全ての神獣の中で、魔竜が最も《戦い》という概念に適合している。
ゆえに黒竜は、その拳が自らの巨体さえ揺るがすものと知っていながら、躱しはしない。数多が空を埋められようと、その魔弾を受け止める。それは傲慢や慢心ではなく、竜が竜であるために必要な要素だから。全身を覆う瘴気さえ弾いて、ほんのわずかに揺らされるとしても。
これは賭けだ。
一分か、あるいはそれ以下の時間か。シグとセルエのふたりをもってしても、単身で稼ぎ出せる時間はその程度が限界だろう。
彼らがこれまで順調に、七つ首の魔竜から首を奪うことができていたのは、あくまでも彼らが七人だったから。どの攻防においても彼らはひとりでなど戦っていない。
彼らは伝説を刻んだ魔術師だ。その攻防のひとつひとつで、複数の魔術を走らせている。
たとえば強靭な黒竜の鱗さえ貫くマイアの対竜兵装があったり。
たとえば在るだけで世界を揺らがす魔竜と、似た影響を空間にもたらし魔術を散らすシグの魔弾があったり。
たとえば術式演算を補佐することで、味方の魔術の技量を自らに近い位置まで立っているだけで引き上げるユゲルの存在があったり。
たとえば混沌魔術における精神干渉を用いて、魔竜の反応をほんの一瞬だろうと逸らし、偽っているセルエの奮闘があったり。
そういった言外の連携があったからこそ彼らは魔竜と戦えている。
個々人の力では魔竜に及ばずとも構わない。それらは問題ではあり得ない。
なぜなら彼らは七人揃って、七星旅団という一丸のチームとして伝説になったのだから。
だが今、シグとセルエは味方からの援護を一切受けていない。
本当にふたりだけで魔竜と相対している。
もちろんふたりに連携がある以上、それは一対一で戦うのとは意味合いが違う。ふたりになるということは、戦力が倍になる以上の意味を持つからだ。
――だとしても、それが魔竜に及ぶかと問われればまた話は別だった。
だから、それは限界のある時間稼ぎだった。
あとのことなど考えていない。たとえ成功したところで、その後、全力を使い果たしたふたりは必ず戦線から離脱する。もはや抗う力さえ残ることはないだろう。
だから、どうした。
家族に命を預けることなど当たり前だ。
そんなことは――これまでずっとやってきた。
何ひとつ言葉を交わすことなく。
シグも、セルエも、命を賭場に上げられる。
――そして、一分が経った。
セルエが膝を突き、その肉体から力が失われていく。
たとえ一撃たりとも攻撃を喰らわずとも、魔術によって減少していく余力を鑑みずとも、あるいは魔竜と相対する緊張感や精神的な疲労さえ無視しても。
竜に対うとはそういうことだ。
その瘴気に、邪視に、抵抗し続けているだけで体力を奪われ続けるのだから。
くずおれたセルエをシグが拾った。
背に向けて放った魔弾を推進力として、高速移動するというシグウェル=エレク固有の戦闘方法。すぐさまセルエを抱きかかえ、直後に離脱しようとしたシグを――。
魔竜の尾が襲った。
「――――!!」
刹那。叩き伏せられたシグとセルエが弾かれる。
シグは無傷だった。抱えられたセルエが、抱えられたままの体勢で襲いきた魔竜の尾を蹴り抜いたからだ。
もちろん、その抵抗はわずかに命を永らえさせた程度でしかない。ほんの一瞬の抵抗。だがその隙を逃さずシグが魔竜の尾に魔弾を撃ち込む。
彼らはその反動で飛んだのだ。
魔竜の巨体を鑑みればほんのわずかな距離。窮地を脱したというにはあまりに儚い位置。
そこで、残る三本の首が光を溜めた。
――ドラゴンブレス。
オーバーキルにも限度があるだろうその一撃で、確実にふたりを滅ぼしにくる。
セルエは。
そしてシグは。
その、命を奪うだろう閃光を真正面から眺めていた。
信じていたからだ。
――その一撃で死なないことを。
いや。必ず、家族が助けに来るだろうことを、だ。
そして――彼らは聞いた。
「――間に合ったぜ。シグ、セルエ。あとは任せろ」
アスタが。光を溜める竜の、その額の上に立っていることを。
賭けに勝ったのだ。
残る五人が必ず竜を倒す方策を見出してくると。
その背後にはメロの姿もあった。旅団では最も若く、けれど頼りになるふたりの姿が。
「……なにカッコつけてんの?」
「やかましい!」
「あー、うっさいな! ほら、ここまで運んできたんだから、あとはちゃんとやってよ、アスタ!」
「わーっとるわ! そんじゃ教授、やったれ!!」
直後、地面が輝いた。
まるで光の線が迸るように。
それは最初、アスタが地脈に逃がしたドラゴンブレスの魔力だった。ユゲルとアスタだけが扱える、この惑星そのものを魔力の貯蔵庫とする魔術。
アスタは呪われている。フェオやキュオネの協力で、その呪いも半分ほどは解呪されているが、まだ全力というわけではない。
だが。それはアスタが大量の魔力を操ることを不得手としていることを意味しない。
もともと単純な魔力の保有量で言うなら、シグやメロに次いでアスタは多かったのだから。単純なルーンでは、迷宮や戦場で使えるような大火力の殲滅魔術を使えないからこそ、準備に時間をかけて、別の場所から大量の魔力を用意して運営する、ということは得意分野なのだ。
確かに竜の息吹は必殺の一撃だ。
だが、それは同時に大量の魔力を内包した攻撃であるということ。そんなエネルギーの塊をただ散らして満足するでは、印刻使いを名乗れまい。
「ま、教団の魔人どもからヒントを貰ったってんだから癪な話ではあるが――」
遠巻きに離れているユゲルの制御によって、地脈に流した竜の魔力が戻ってくる。
そこに、マイアによる属性付加。地面に手を突く彼女は今、惑星そのものを通る魔力それ自体を武器に変えている。
「――惑星を流れる地脈の中を循環し、最大まで加速されたお前の魔力。自分で耐え切れるなら受けてみろ」
竜殺しの性質に染色された光の奔流が、再び地面から突き上がる――。
黒竜の反応は速かった。
彼は、首の一本をその犠牲に投げ出したのだ。息吹を放つために魔力を収束できるということは、つまり口元に魔力を集める機能があるということなのだから。
さらにいえば、この黒竜は首を失えば失うほどに本来の力を取り戻していく。最大の一撃で首を一本奪ったという事実は、むしろ文字通り、自分たちの首を絞めているに等しい。
はずだった。
残った二本の首のうち、アスタが乗っていないほうが、乗っているほうの首を見据える。メロはすでに《北落師門》で離脱しているが、なんなら黒竜は小生意気なガキを、残る首ごと撃ち抜こうとでも思ったのだろう。
だから――見た。
首の上に立ち、残されたアスタが。
途轍もなく厭らしい表情で笑っている姿を。
「素直だな、お前。――計算通りすぎる」
アスタ=プレイアスは弱い。少なくとも単純な戦力で彼を上回る魔術師ならば、七星旅団の外にだっているだろう。
だが、それでもアスタ=プレイアスは強かった。もしなんでもありの殺し合いになれば、最後まで生き残るのはアスタであると、旅団の全員が例外なく認めているほどに生き汚い。
彼には弱者の気持ちも、強者の気持ちも両方がわかるのだ。
生まれついて初めから強かったほかの六人では、どうあっても真似のできない性質。
策を練り、計算を働かせ、その上でどこまでも強欲に目的へと邁進する精神。それこそが、アスタ=プレイアスの持つほかの誰にもない武器だ。どんな窮地だろうと、どれほどの死地であろうと、弱くて強い彼だけが、笑ったまま全てを見通している。
頭がいいのではない。それは賢さではなく臆病さの発露だ。
諦めることを考えられない、無知であって無恥だった。
だからこそ、彼だけは死んでも諦めない。
どんな状況でも考えることだけは絶対にやめない。
最後まで手を伸ばし、足掻き続ける。
それはきっと、強者には持ち得ないはずの精神性であって。
それを理由に――彼は伝説の魔術師になった。
そう。忘れてはならない。
今はただの学生でも、強固な呪いに実力を制限されていても。
それでも彼は七星旅団の一員だ。
六の数字は彼のだけのもの。
《紫煙の記述師》アスタ=プレイアスは――間違いなく伝説の魔術師なのだから。
「つーわけで、やっちゃえ。メロ。キュオ。姉貴」
「――無茶ばっかやるよ。本当に……ばかなんだから」
小さく笑うメロが、その瞬間、アスタの目の前に現れた。
その両手には燃え盛る一対の剣がある。メロが創り出しマイアが改良した、《牙焔》双式武装形態・対竜バージョン。
それは、武装でありながら同時にひとつの魔術であり、生きた生命でもある。
振るうメロの腕の動きすら超えて、あるいは鞭の如く無尽に動く牙が、魔竜の首を狩り散らす。六本目の首が散らされる瞬間を見据えて――アスタは。
「……さすが」
笑って。
そして――残る最後の一本の首に。
喰われた。
※
当たり前の話だ。畏れ多くも神と並び称される獣の頭を、いつまでも足蹴にしていられると思うほうがどうかしている。
首をちょっと動かすだけで、黒竜にしてみれば俺などいつでも呑み込めたのである。
当然の帰結として、ごくりと丸のみにされる俺。噛まれなかったら平気だなどという理屈はない。通常の生物ではない魔竜の体内は、それそのものが膨大な魔力のプールである。
文字通り、溺れて融かされて死ぬのが関の山だろう。
だが今、俺の身体をほのかな防御膜が包んでいる。
それは濃厚などというレベルではない瘴気に汚染され続け、今にも消えてしまうだろう。
今のキュオネが、現実に干渉できることなどせいぜいこの程度だ。なにせ死んでいる。生き返ることも、もう絶対にない。
だとしても――死してなお彼女は、俺たちをこうして守ってくれている。
その意気に応えられずして、何が伝説の魔術師だろう。そんな肩書きに価値はない。あるのはただ、それを成し得るに足る実力でいい。
決意ならもう胸にある。
だから迷わない。
その願いを、叶えるために歩くと決めたのだから。
――さあ、格好つけていくとしよう。
「――《運命》――」
この場で切ったその印刻は、魔力を消し去る空白文字。
だが当然、俺ひとりで魔竜などという強大な魔力体そのものを消し去ることなどできない。そのための伏線はきちんと張ってあった。
さきほど使った、まあ命名して《地脈砲》だ。
あれは、何も単に黒竜の首を奪うためだけに放ったのではない。むしろ攻撃を当てることで魔術的な繋がりを構築し、黒竜が出てきた異界に、惑星を通じて道を繋ぐためだった。
出てきたのだから叩き返せる。
そういう運命を、黒竜に直接叩き込む。彼が生物ではなく生命であって、この世界に定められたシステムそのものだからこそ使える裏技みたいなものだ。
要するに、魔竜はそれ単体でひとつの魔術としてこの世界に現界する。
メロの使う《牙焔》と少し似ているだろうか。質も量も比較にならないが、まあ小規模版と言って間違いではない。魔竜とは生きた魔術現象だ。
異界にいる本体を、この世界に投影しているのに近い。
――だが、魔術は永続しない。
これはあらゆる魔術に例外ない絶対の原則だ。効果の長い呪術だとしても、かけられた当人が死ぬことで終わるのだから。
ならば、道さえ繋げば送り返せる。
魔竜が現象である以上、世界の定めた運命に彼は逆らわない。
何より黒竜自身、全ての首を失うと同時に異界から本体を呼び寄せようとしているのだ。繋げる力が二重になっているということ。
呼び出すために開いた扉を、あとは送り返すことに使ってやればいい。全て魔術の原則に、魔物の性質に則って行われている理論だ。勉強しておいてよかった。
普通に戦っては勝ち目のない神獣を相手に、これがただひとつ街を守る秘策だった。メロに向けられた竜の息吹を防いだ時点で、こちらの作戦は決まっていたようなものだ。
ともあれ。そういうわけで。
「――俺たちの、勝ちだ」
黒竜の身体が魔力に戻り、教団が集めたこの街の魔力全てを異界へと持ち帰って消えた。
もうこの街が、魔物に襲われることはない。
魔竜が消え去ったことで自然、俺の身体は真下へと落下していく。
それを、待ち構えていたようにキャッチする少女がいた。
メロである。
いわゆるお姫様抱っこ的な体勢で、年下の少女に抱きかかえられている俺だった。
「……ねえこれ普通は逆じゃない?」
「第一声でバカ言う辺り、やっぱりアスタだね」
「おい、どういう意味だそれ」
ああもう、まったく締まらない。どうして俺が戦うと、いつもこうやってオチがつくのか。
ギャグキャラ化はピトスだけで充分だと思う。
まあ、それでも悪い気分ではなかった。オーステリアの街そのものを占拠される、という非常事態は、これでついに終息を迎えたはずだからだ。
おそらく誰ひとりの力が欠けていたところで、成し遂げられない事態だった。俺たちだけではない、街を守ろうと願う全ての人間が、同じ意志の許に戦った。
集団として組まれながら個々人が勝手に行動した教団と。
全員で一丸となった俺たちとの、それが、きっと違いなのだと思う。
それでよかった。俺はひとりでは生きられないし、それは俺だけじゃなくみんなそうだ。
なら、この上ない結果を呼び寄せることができたのだと、そう誇っていいはずだ。
この街の奪還は完了した。
――オーステリアは、守られたのだ。
というわけで、いや長かった! 本当に長かった!
第五章『学院都市陥落』編、完結です。
ありがとうございました! くぅ疲とか茶化せないくらい疲れた……!
といっても最後、エピローグはございますが。じゃあまだ終わってないじゃない……。
お付き合いくださいませ。よろしくお願いします。
感想も待ってるぜ!!




