5-45『神殺し(真)』
その戦いは茶番だった。
決着などつかないと初めからわかっている、舞台上での演技に似ている。
ユゲルも、シグも、それとわかっていて乗る以外にない。あるいは相対するノートでさえ、盤上に配置された駒のひとつでしかないのだから。
「二体が……やられたようだね。本当に」
小さく。幾度ともわからぬ攻防を経てからノートはそう呟いた。
それは確信を、確固たる答えとして提示する言葉だ。たとえそうと知れていても、言葉にして証明されていなかったものは未定なのだから。
ゆえにユゲルは、かつての同僚に向けて、同じくらい小さな答えを返した。
「ということは、やはり、お前らは初めからそのつもりだったわけか」
「わかっていることを確認するのは人が悪いよ、ユゲル。ぼくは君のそういうところに、何度となく困らされてきた気がする」
わずかに苦笑して答えるノート。その姿はユゲルの知る、かつてのそれとなんら変わりなく見えた。
「その意趣返しがこれだというのなら、こちらもずいぶん困らされているからな。多少の反撃くらいは大目に見ろ、魔人。それがいい考えというものだ」
「まあ、かもしれないね。君も、超越も――ぼくでさえ、配置されたように踊るしかない運命の歯車なんだから」
「――やはり、神獣は撃退されることが前提か」
答え合わせのその言葉に、月輪は薄く笑って答える。
「言っておくけれど、ぼくらは――少なくともぼくは本当に、この街に三体の神獣を撃退するだけの能力はないと踏んでいたよ。奇跡でも起こらない限りは絶対に不可能だと」
「――――」
「だって、仮にも神の獣だよ? 魔人になったぼくらでも、一対一で相手取るのはまず無理な相手さ。できるとしてもぼくか、あるいは木星くらいだったろうね……彼の魔人としての能力は、かなりの反則だったから」
「死を超えた魔女に反則と言わしめる相手とはな。アスタも苦労する」
「うん。まあ、そんな彼だからこそ、あえて《紫煙》に当てたのだけれど――本人の希望もあったからね。それでも、やっぱり失敗したみたいだ」
述懐するノートを見て、ユゲルは懐から取り出した一本の煙草に火をつけた。
いっそ魔人を舐めていると言ってもいいような行動だったが、それもらしいとノートは笑みを浮かべた。
彼女は確かに、同僚であったユゲルを苦手としていたが、決して嫌っていたわけではないのだから。それはおそらく、お互いに。
「言っておくけれど、本気で予想外なんだよ? なにせ頭目が日輪だからね――あの人は予想外が大好きだから、下につく人間が苦労させられる」
「まだ神獣は一体が残っているだろう?」
「どうせ、どこかの誰かに負けてしまうんだろう。殺せずとも、倒せずとも――勝つだけなら確かに不可能とまでは言わないからね。奇跡が三度起これば、あるいは、ってところかな」
魔導師ふたりの会話を、シグは静かに聞いていた。
彼は無口だ。クロノスとはまた違った意味で、道具として徹しようとする嫌いがある。違いがあるとすれば、シグのほうは自らの持ち主を選ぶことくらいだろうか。
まあ、どうせ会話には入れないのだが。単純な魔術師としての技量は三流もいいところであるシグは、知識面もそう大差ない。魔導師級の会話になど、そもそも介入する余地がなかった。
「そう、こいつは奇跡だ。そして奇跡ってのは、起こらないから奇跡と言われるのさ。実現した奇跡は価値を失してただの事実に成り下がる。なら、奇跡の価値をただの現実にまで貶めた人間がいた、ということになるね」
悔やむでも、憎むでもなく、ノートは淡々と言葉を吐く。
ユゲルは何も答えなかったが、それはあえて言うなれば肯定の表明なのだろう。
異世界から訪れた青年は、街にいさえせずして街を救った。彼に影響された人間が、こうして当たり前のように奇跡を起こし続けたというのなら――その大元は間違いなくアスタ=プレイアスなのだから。
「それは魔法使いの素養だ。本当なら、こんな結果になるわけがない」
「だがお前らは、そのあり得るわけがない事態にも、備えをしていたわけだろう?」
「あり得ないと思っていたことを、何度となく起こされたんだからね。だから今回も、あり得ないはずの展開になると踏んでおくさ。さすがのぼくらも学習するよ――だから」
「――だからお前らは、初めから三体の神獣が敗北する前提で動いていた」
「言ったろう? 別にぼくらは街の人間を虐殺したいわけじゃない」
ノートの言葉は否定でも肯定でもない。
だがユゲルには、あるいはシグにも、その言葉は肯定を意味するように響く。
「神獣の喚起は、あくまで異界と人間世界の接続のためだ。なにせ彼らはただ在るだけでこの世界を歪めるのだからね。その影響を固定することでしか、世界は救えない」
「だが、三体の神獣を呼んでなお、歪みは最小限に抑えられた。それさえお前らの想定の内だというのなら――」
「――そう。三体の神獣でさえ、ぼくらにとっては呼び水でしかない」
明言されていないなんらかの前提の上で、言葉を交わすユゲルとノート。
だがシグにも、ここまで言われれば意味はわかる。ユゲルがどうやってその発想に辿り着いたのか、ノートがいつからその悪辣な発想を持っていたのか。それはわからずとも、到着する結論は同じだった。
「――教授。つまり――」
「ああ」短く呼んだシグに、ユゲルは答える。「神を呼ぶために必要なのは生贄だ。では、神そのものを生贄とすれば何が呼べる、という話だ」
タラス迷宮で、シルヴィア=リッターを――ひいては銀色鼠という冒険者組織そのものを生贄として神を呼ぼうと企んでいたように。
今、この街にいたはずの二体の神獣が打倒されている。
ノートは確信を持って、三体目まで敗北すると予期しているようだ。
つまり今、オーステリアは三体の神が死んだ土地だ。
――ならばその三体の神を犠牲とすれば。
神とは、言うなればそれより上の存在がない、という概念だ。だが神が複数である以上、同じ神の中にならば序列は存在する、という矛盾を孕む。
ならば教団は、三体の神を犠牲にすることで別の神を――最上位の神をこの地に降誕せしめようと目論んでいることが推察できる。
「地上に戻るなら急ぐといい。いくらなんでも、四度目の奇跡は起きないよ」
ノートは、結論に至ってふたりの魔術師へと静かに告げた。
そう。だからこの戦いは茶番だ。それまでの時間稼ぎに過ぎないのだから。
これはお互いに、最善手を打ち合う以外にない、決まりきった展開の盤上遊戯だ。
「――魔女め」
と、ユゲルは小さく、笑うように言った。
それが皮肉や罵倒ではなく、むしろ賞賛であると気づいた上で。
ノートは答える。
「悪辣さならどっこいだろう? まったく、こんな茶番でさえ――君はぼくを殺すための布石を打っていたわけだからね。これ以上、ここにいるわけにはいかないんだ」
ノートは、このときユゲルでもシグでもなく、まったく別の方向を向いていた。
まるでその方向から、何かが迫っていることにでも気づいたかのように。
「そして君らも、もう最速で地上に戻らないと間に合わない。ぼくらはここでお互いに引く以外、やれることなんてないというわけさ」
「杜撰なようでいて要点は掴んだ計画、というわけだ――いや」
「そう。関係がない。誰を敵に回したと思っている?」
月輪――ノート=ケニュクスは。
夜の魔女と呼ばれた女は、ただ静かに当たり前を告げる。
「――相手は運命の魔法使いだよ? どんな道を辿ったところで、どうせ全てが都合よくいくに決まってるんだ」
「シグ」ユゲルは、もはやそれに答えない。「地上に戻るぞ。こいつら、世界を救うために、世界を滅ぼす気でいやがる」
「わかった」
シグの返答は端的だった。
それ以上、会話さえ待つことなく踵を返して走り出す。
ユゲルもまたそのあとを追った。これ以上、ノートに時間を渡す理由はない。
ただ、その背に最後、かけられた言葉は確かに鼓膜を揺さぶった。
「――さて、名高き伝説の七人よ。敵は神獣の頂点、世界を滅ぼす終わりの怪物だ。もしその打倒に成功したのなら、そのときは、今度こそぼくが相手になろう。今度こそ決着をつけるとしよう。そのときを楽しみしているよ、――ユゲル」
※
炎熱の雨を、炎で防ぐ。
あるいは水で、あるいは土で。
八種の属性を支配下に置く男ならば、理論上、ひとつの武器しか持たない獣に負ける道理はない――はずだった。
違いを生むのは質だ。
その炎は、概念すら焼く原初の火炎――世界の本質に最も近い記述。
ゆえに、その炎は全てを焼く。
水を焼き、土を焼き、炎さえ焼き焦がす。
そんな場当たりの防御など意味がない。
殺すつもりで攻撃して、それでも殺せないのが神獣だ。
「――――」一瞬。
ほんの一瞬だけウェリウスは考え込んだ。
そして、行動を決める。
時間稼ぎをやめると決めたのだ。乾坤一擲の、全力の一撃を構成する。
「――天網弐式。炎霊。其は全てを焦がす神の怒りにして、全てを育む命の源流――」
原初の炎のに対するは原初の炎。
天網弐式。
精霊の力を借りた、それはこの世で最も正しい、正解としての火炎の姿。
「その在り方をここに表せ。その役割を思い出せ。そして――全てを始まりに還せ」
詠唱の直後、わずかな灯りが世界を照らした。
その炎は、不死鳥のそれに並ぶ原初の炎。火という概念の始まりのカタチ。
物質を、概念を、現象を――あらゆる全てを焼き払う力。
「不浄を祓え、火の御霊。我が名において全てを赦す! ――焼け、火の真精ッ!!」
火炎が、火の鳥の全身を覆い尽くした。
それは炎さえ焼き払う、この世で最も力強い炎。元素魔術の粋にして、あまりに強力すぎるがゆえに意味を失った原始魔術。
その真意はもはや喪失術式にさえ匹敵する喪われたはずの奇跡。
この世界でただひとり――八つの法則全てを支配する男、ウェリウス=ギルヴァージルにのみ許された固有魔術。
十人の魔導師にも、三人の魔法使いにさえ再現不可能な、文字通り神域の魔導である。
「――――――――!!」
高く、つんざくように響いた音は、炎の肉を焼かれる痛みに神獣が呻く悲鳴だろうか。
不死鳥。それは言葉通りの不死を体現した存在。
だが死なないということは、苦痛から逃れられないということだ。
本来、原初の火炎で肉体を構成された不死鳥が焼かれることなどあり得ない。その強靭すぎるほどの魔術抵抗力を無視しても、そもそも火は燃えないのだから。
けれど――襲い来るものが同じ原初の火ならば話は別だ。
それは不死鳥にとってさえ、初めて味わう終わらない死の苦痛。再生するが矢先に肉体を、その魂ごと焼いていく火炎は、不死鳥自身が火であるからこそ融け合うように同化する。
――しかして。
その程度では神を殺せない――。
次の瞬間、目の前に迫っていた魔力弾をウェリウスは躱せなかった。
直撃が確定する位置に至るまで、その攻撃に気づくことさえできなかったのだから。
――それは炎ではない。
無色の魔力。なんのカタチも取らない、凡百の魔術師でさえ容易に扱える程度の魔弾でしかなかった。
だがそんな基礎的な攻撃も、込められる魔力量次第では必殺に相当する。少なくとも、無防備に直撃すれば、人間ひとりなど簡単に消し炭に変わる。
――魔術を、普通に使ったのか――。
思い込みがあったのだろうか。
いや違う。不死鳥が魔術を行使できることなど初めから含んでいた。
あるいは不死鳥ならば、この終わりなき苦痛の中でさえ反撃に出るかもしれないという警戒を、ウェリウスは当たり前に持っていた。
つまり――これは単純な実力差の問題ということ。
あるいは性能差の問題か。
考えてもみれば、神獣は肉体そのものが魔力なのだ。たとえ不死鳥が、その属性を火によって染色していても、そもそもが魔力の塊であるという事実に変わりはない。
ならば、不死鳥は単に体の一部を切り離しただけのようなものなのだろう。魔術、という域にすら至っていない――それは人間でいうのなら、苛立ち交じりに腕を無闇に振るうのと似たような行為でしかなかった。
ただ、圧倒的すぎる性能の格差が、そんな癇癪さえ必殺に変えているだけで。
なまじ攻撃に全霊を注いでいたがゆえに、ウェリウスの反応は間に合わなかった。魔術を使うという警戒を超えて、不死鳥の攻撃はあまりに静かで、速すぎたのだ。
ゆえにウェリウスは、その魔弾が直撃する直前に覚悟を決めた。
それは回避や防御の諦めであり、同時に生存のために全てを擲つ覚悟である。もう当たることは避けられない――なら採るべき手段は当たった上で生き残る以外にない。
即死さえしなければいい。
死にさえしなければ望みはあるとか、ピトスも似たようなことを言っていた。
――走馬燈と、確かアスタは表現していただろうか。
引き延ばされる時間意識の中で、ウェリウスは生存本能に全霊を注ぐ。ただ《死なない》こと、それだけに全てを賭けて直撃を覚悟した彼は。
けれど、その魔弾に当たることはなかった。
「――ぼうっとしない!」
直後に鼓膜を揺さぶった声に、聞き覚えを認めてウェリウスは再起動する。
目の前。円状に広がる防御障壁が、ウェリウスに直撃するはずだった魔弾を完全に防いだ。
それだけではない。それは魔弾の魔力を吸収し、障壁内部で循環させることでベクトルを変更、威力を倍加させて不死鳥に向かって魔弾を跳ね返したのだ。
自らの攻撃を、さらに増加した威力で喰らい、不死鳥の身体が弾け飛ぶ。
――死んだということだ。
無論、不死鳥は死んでも死なない。すぐさま再生を始める、その過程を目にしながらウェリウスは再び魔術を作った。
それは時間稼ぎの魔術だ。
八つの属性を操れるというウェリウスだが、その八つにも得意と不得意が無意識にあることは魔競祭での戦いでアスタに指摘されている。
その弱点を、そのまま放置しておくことなど彼はしない。幸い、実戦訓練なら愛すべき師のスパルタによって、文字通り死ぬほど経験できたのだから。
ぐっ、とウェリウスがその右手の拳を握る。
その儀式に呼応する形で、再生過程にあった不死鳥の全身が凍結した。
氷の元素魔術によって停止させられたということだ。
「……ふう」
と、覚悟したダメージを受けずに済んだ、その実感を噛み締めてウェリウスは息をつく。
背後から歩み寄ってきた人影が、彼の隣に並び立つ。その心強さは、これまで何度かの戦いをともに切り抜けてきたときとは比較にもならない。
それだけ、強くなったということなのだろう。
元より魔術適性は、あのオーステリア迷宮に挑戦した五人の中でも、彼女が群を抜いていたのだから。閉じ込められていた才能の全てが、発露した結果ならば驚きはしない。
「やあ。久し振りだね――シャルロットさん?」
――少女は。
シャルロット=プレイアスは。
かつての美しかった白髪に、黒を半分ほど交えた妙な姿でその場に立っていた。
「……シャルでいい」
「じゃあシャル。――用事はもう済んだわけだ。いや待ってたよ」
「待ってた? いや……」
口籠るシャル。ウェリウスだって、シャルがなぜ離脱したのかくらい知っているはずだ。
それがのこのこ現れたことを、こうもあっさり受け入れられては逆に面食らう。
「待ってたさ。アスタが連れ戻しに行ったなら、必ず戻ってくる――必ず間に合わせると僕は信じていた。でなきゃ、こんな無謀な戦いにひとりで身を投げたりしないって」
「いいのね、それで」シャルも、今さら弁解はしない。「一度は裏切った私に、信じて背中を預けられるの?」
「ちょっとグレただけだろう? 大丈夫。その髪、意外とイカしてるよ。かわいいじゃない」
「――――」
「おや? 僕はこれでも、割と女の子は素直に褒めないほうなんだけどね。ほら、いろいろと面倒が起きるから。もう少し喜んでもらえると思ったんだけれど――睨まれるとはね」
「……アンタ、意外とアスタと似ててムカつく……」
「わー。それは嫌だなー」
これでウェリウスは、学院では意外とシャルと仲のいいほうだったのだ。
アスタを避けまくって授業を取っていた、そのシャルとだいたい同じ授業をウェリウスが取得していた、という繋がりで。
目の前では、氷が炎によって少しずつ融かされていく。
それは自然の摂理だ。留めておける時間はほとんどないだろう。
この時間稼ぎは、その間にシャルと作戦を合わせておくためのものだった。
「しかし、よくこの結界に入ってこられたね。てっきりアスタが来ると思っていたから、割とがっつり結界を張ったつもりだったんだけれど」
アスタなら、そんな結界でも当たり前みたいに破るだろうと。
間に合うと信じて、この結界に飛び込んだウェリウスも相当ではあったが。
シャルは、当たり前のように答える。
「八重属性の結界全ては破れないけどね――そのひとつを消すくらいなら私でもできる。前提が八重結界なんだから、七重になったら意味を失うでしょう。なら入れるよ」
「おっと。言ってること滅茶苦茶だぞ? 誰に似たのやら」
「――そんなことより。どう倒す?」
「何、シャルは僕を支えてくれていればいい――防御はいらない。制御だけでいいよ」
「死にかけてたくせによく言うよ。――何かあるのね?」
「ああ。だからあとは、君が僕を信じてくれるかどうかの問題だね」
「――――」
それは、信頼の言葉だった。
ウェリウスは、シャルに対して命を預けると当たり前に口にしている。
その信頼の意図がわからず口籠るシャルに、果たして、ウェリウスは当たり前に答えた。
「なんだろうなあ。どうして僕はこうも信用がないんだろうね?」
「いや……」
「僕が学院に来た理由は、ずいぶん前に言ったと思うんだけれども」
「……理由って、単に卒業の証を取りに来ただけじゃ」
「うん。まあ、そうなんだけどね。ほら、この国で魔術師としてやっていくには、やっぱりオーステリア卒業の肩書きは大きいじゃない? でも、それだけでみんな来るわけじゃない。人が集まる理由は、人が集まるから、だろう?」
「――アンタ」
「まあ、要するに。――僕は友達は信じるタイプだよ? 友達からは、なぜか信用してもらえないタイプなんだけれど」
ある意味で、それはウェリウスもシャルと同じだったのだろう。
お互い、友達などほとんどいなかったのだ。
社交性がなかったシャルと、社交性ばかりがあったがゆえに同じ場所に立てる人間を見失ったウェリウスとでは、あるいは意味が違うのかもしれない。
――けれど。
「そういえばアンタが王都に行くって言い出したときの理由。仲間外れが嫌だったから、とか言ってたっけ。……あれ、本心だったとは思わなかったわ」
「だって、僕はタラスには連れて行ってもらえなかったからね。あれは寂しかった」
「意外すぎる……」
「うーわ、やっぱり酷い。学院に来る理由なんて、みんなコネを作るためって割と前提だと思うんだけどなあ」
「コネとか言ってるからダメなんじゃないの」
「ぼっちに指摘されてもね?」
「――この野郎」
友人同士の、それは軽口の交わし合いだ。
そう。命を預けるに足る理由なら、それだけできっと充分だった。
シャルはウェリウスを信じ、ウェリウスはシャルを信じる。
――それが、ここで勝てるという理由だった。
直後。不死鳥が完全に復活する。
その姿を見届けて、ウェリウスが小さく、こう言った。
それは秘奥。元素の粋。
あらゆる術者が机上の空論と片づけたハイエンド。
元素魔術の頂点に位置する三種の術の、最後のひとつ。
「天網参式――」
すなわち。
ある可能性において。
彼を――《世界》の魔法使いたらしめた技法。
「――《全界統御》」
※
ウェリウスから発せられた、渦を巻く水流の槍が不死鳥の羽を貫いた。
真霊の水は、火に対して圧倒的に有利だ。その肉体を魔力ごと穿ち鎮火する。
――これは……精霊召喚、融合……いや違う!
だが、シャルはそのとき悟っていた。
あらゆる魔術に適性を持つ彼女だからこそ理解できた、ウェリウスの切り札の意味。
それは強制覚醒させられ、実力の底を大きく上げた彼女から見ても、あり得ないとしか言いようがない術式だ。
理解できないわけではなかった。
その術式の意味を、シャルは余すところなく理解できている。
理解できているからこそ――理解できないこともあった。
これは、それだけの話だ。
ある意味で、その魔術は魔人化に近い。なにせウェリウスは水の魔術を放ったのではなく、ウェリウス本人が水になっているのだから。
――自分の存在を、押し上げたんだ……!
――精霊に、異界に届く概念にまで存在そのものの底を上げた……!
生きた魔術のように。
自立する元素の如く。
さながら自身を精霊そのものに進化させたかの領域で。
それが、ウェリウス=ギルヴァージルの最後にして最大の魔術。
――だけど……!
ウェリウスが防御を考えなくていいといった理由は、すぐに理解できた。存在そのものが元素になっている今のウェリウスには、もうあらゆる攻撃が通用しない。
剣で断たれようと、魔術に撃ち抜かれようと、元が不定形の元素に対してはなんら効力を及ぼさない。
だが、それは諸刃の行いでもある。
ひとたび制御を間違えば、ウェリウスという個は本当に水に変わって溶けて消える。そして彼は未だ、その制御を自力では完全にこなせていなかった。
ぐにゃり、と。
ウェリウスだったカタチが揺らぐ。人格さえ元素に溶かしたウェリウスが、徐々に個を保てなくなっているからだ。
「無茶振りにも……限度があるっての!!」
シャルは、だからウェリウスがその《個》を保てるように制御に回った――というか回らざるを得なかった。
普通の魔術師にそれは不可能だ。それこそアスタ並みの制御力と汎用性、魔術の質を同時に要求される行いである。シャルにそれが可能だという確証を、ウェリウスは果たして持っていたのだろうか。
だとしても、ウェリウスは自分を擲った。
シャルを信じて命を預け、その制御の手綱を完全に委ねてしまっている。
――その信頼は、死んでも裏切れない。
シャルは全ての集中力、全ての魔力と全ての神経を、ただウェリウスの保存のためだけに回す。
当然、もはや不死鳥を意識している暇はない。恐怖や警戒なんて余分を、回していられるはずがないのだから。
シャルもまたウェリウスに全霊を預け、彼が不死鳥を打倒することを信じて背中を支え続ける以外にはなかった。
不死鳥は――そして、高く嘶いた。
それは、あるいは銀狼がクロノスを見たときと同じように。
自分と同じ領域に、脅威として立つ存在を認識したがゆえなのだろう。
だが遅い。その警戒は致命的に遅かった。
不死の存在の命を脅かすほどに。
もしも不死鳥が全力ならば、この状態のウェリウスとシャルでも勝ち目はなかっただろう。
だが、呼び出されただけでは彼らは全権能を発揮できない。もともと人間世界にとって異物でしかない彼らが、この世界に適応するためにはどうしても時間がかかる。
鬼を相手に、人間は縛る鎖であった術式を逆利用することで押し返すことに成功した。
銀狼を敵に、人間はその拳を意志と願いの力によって届かせ叩き返すことを達成した。
――そして今。
人間は、これまで誰も到達し得なかった地平に立ち。
その魔術の力で神を押し返す。
不死鳥が魔術を作った。
最初の一撃。それを今持ち得る全ての魔力で構成した火炎の爆撃。
降り注ぐそれを、水流が飲み込み、消していく。
熱と爆風とをその肌で痛いほど感じながら、シャルはそれでも自身を一切気遣わない。
そして。
ウェリウス自身と言える、強大な水の奔流が不死鳥の肉体を包み込んだ。
火によって再生する神獣を、火を消す概念で殺す。魔術的には当然の行いを、それに足るレベルで行う。
これは理屈だ。いかな不死鳥も、その火なくして再生は叶わない。
本来なら水さえ焼く炎も、全力ではない力が、そして全霊を賭したウェリウスの魔術が、力で押し勝つことで抑え込んでいる。
火を消そうとするウェリウスに対し、その水さえ焼こうと抗う不死鳥。
その水は今やウェリウスの肉体にも等しい。水になってなお焼かれていく肉体を、シャルの制御によって抑え込む力技。その、たった数秒の――神域の交錯。
奇跡は起こらない。
現実は、備えられた環境が因果となるだけだ。
――ならば、その勝利は決して、運がもたらした奇跡ではなく。
「づ――は、あ……っ、く……!」
荒れた息を吐き、ウェリウスがその場に膝をついた。人の形を取り戻した彼の肌は、ところどころか焼け焦げていた。
同時に、シャルもほとんど地面に倒れ込む形で息を吐いた。逆流した魔力によって、その白い肌に傷がついている。
だがどちらも、神を相手には軽傷と言っていい程度のものでしかないだろう。
「……あん、た……やっぱ、頭、おかしい……っ!」
魔力のほとんどを数秒で使い果たしたシャルが、同じく魔力の大半を失って地面に座り込むウェリウスに向かって不平を告げる。
こんな荒業、当たり前みたいに信用して使われては言葉がなかった。
ウェリウスの張った結界が破れ、通りの景色が戻っている。空には輝く太陽があり、街の脅威を打倒することに成功した、ふたりの魔術師を照らしていた。
「神殺し――か」
「ああ。これでようやく――伝説に、手をかけてやった……!」
シャルの呟きに、ウェリウスは笑みを見せた。
それは彼にしては珍しい、皮肉な色のない満面の笑みだ。
最強と。
ただそれだけの、なんの価値もない、それでも欲しいもののために足掻いた、その頂へ。
ウェリウス=ギルヴァージルは名乗りを上げた。
伝説の領域に。
最強という称号に。
彼は、挑戦する権利を得たのだ。
「つか、あの状態のアンタなら……どう考えてもアスタより強いでしょ……マジバケモン」
「……いやあ。シャルなら大丈夫だと、思ったからね……人間に戻れてよかったよ……そうそう使えないって、アレは」
「いつの間に……そんな、アンタ……言葉通りに人間やめてんのよ……」
「いやいややめてないってば。これは人間の勝利だよ。――な、そうだろ?」
「あー……もうそれでいい、かな。しばらく何も考えたくないや……」
地面に座り込んだままのウェリウスが、握った拳を軽くシャルに突き出した。
それを、シャルは自分の拳で受け止めて答える。こつり、と軽く打ち合わされたふたつの拳が、お互いの健闘を称える唯一のものだった。
――そして。
そのまま、ふたりは突っ伏すように通りの真ん中で気を失った。
全ての魔術を操れる人形として生み出された少女の、それは人としての初めての勝利で。
全てに見捨てられ、それでも野望を見出した青年の、それは最強の階に手をかけた勝利。
そう。たとえ権能の全ては発揮できない、劣化した状態であったとしても。
このオーステリアの三戦において、彼と彼女は初めて正面から、叩き返すのではなく打倒することで神獣に打ち勝ってみせたのだ。
たったふたりで。
オーステリア事変、対神獣第三戦。
vs不死鳥。
勝者――ウェリウス=ギルヴァージル、シャルロット=プレイアス。
アスタ「あの」




