2-02『セルエとメロ』
「へえー、ここがオーステリア学院か。案外広いんだね」
金色の双眸を、まんまるに見開いてメロが言う。一見すれば好奇心の旺盛な仔猫のようだが、猫は猫でも猛獣の類いで、なんというか俺の周りにはそんなのばかっりだ。
その事実さえ知らなければ、可愛らしい子どもが都会の大きな建物に興奮しているだけの図に微笑ましさを感じることもできただろうに。
彼女の笑みが、俺の目には新しい玩具に愉悦する狩猟者のそれにしか映らない。
「……きょろきょろと辺りを見回すな、注目を集める。恥ずかしいだろ」
「えー、なんで? ていうか、そんなに注目されてるかな?」
「お前みたいなのが学院の中を跳ね回ってたらそれだけで目立つんだよ。頼むから、ちょっとだけ大人しくしててくれ」
身悶えせんばかりの懊悩に苛まれながら、俺はメロにそう懇願する。
どう転ぶかは彼女の機嫌次第だったが、幸運にも今回は「わかったー」とあっさり頷いてくれた。
それを幸いと思ってしまう、自分が心底、嫌だった。
今、俺たちがいるのは学院の校舎へと続く校庭の途中だ。俺がメロまでの案内を買って出て、下宿先から出向いてきたという流れである。
ちょうど昼の時間帯だからか、ここには少しばかりひと気が多い。
なまじ衆目を惹きやすい整った外見な上、実年齢よりかなり幼く見えるメロは、上機嫌に歩いているだけで周囲の視線を集めるのだった。
ただでさえ最近、学内で少し微妙な立場になっているというのに。ここでさらなる悪目立ちをしては、もう真っ当に学院を歩けなくなってしまいかねない。
……もう、早めに諦めたほうがいいような気もする。だがそれでも俺は、平穏な日常というものを諦めきれなかった。
この異世界が、俺にとって優しい場所であったとは言いづらい。この世界へと転移させられてからの記憶など、その大半が戦場の思い出に終始している。好むと好まざるとに関わらず、だ。
俺にとってオーステリアでの暮らしは、この世界に来てから初めて手に入れた《普通》なのだ。だからこそ、それを簡単に捨てるのは惜しい。
ある意味ではこの学院が平和の象徴だったのだ。
その正反対というか、騒動の象徴みたいな人間たる天災は、だからこそ俺にとって侵略者たり得るわけで。
人としては決して嫌いじゃないのだが。せめて、ここが学院でさえなければよかったのに。
やはり案内など買って出なければよかったか。少し後悔し始めている俺だった。
だが急に『俺の部屋に住む』などと言い始めたメロには話が通じなかったし、いずれにせよ学院へ通うという結論は確定である以上、せめて手綱は握っておきたかった。
目の届かないところで暴れられるほうが困る。
結局のところ、初めから俺に選択肢などなかったということらしい。
「……とりあえず、これからセルエのところに行く」
俺はメロに向けて言った。この女を任せられる当てなどほかにないからだ。
先日、セルエとは多少の言い合いになったばかりだが、この状況でその程度のことは気にしていられない。
というか、セルエは今回のことを知っていたのだろうか? 少し疑問だ。
七星旅団では稀少な、(普通にしていれば)常識人側の彼女のことだ。メロの襲来を知っていたなら、俺にも教えてくれていたと思う。
まさかメロがサプライズを気取って口止めした、なんてこともないだろうし。この女がそんなことに気を回すなどあり得ない。義姉ならやるだろうが。
まあ、知らなかったなら是非、セルエにも俺と同じ頭痛を共有してもらうとしよう。
「そっか。セルエはここの先生だもんね。会うの久し振りだなー。元気にしてる?」
俺の気分など露知らず、メロはあっけらかんとそう言った。
これで仲間意識の強い奴ではあるし、セルエとの再会は純粋に楽しみなのだろう。
俺はわずかに、肩を揺らしてこう答えた。
「ま、今のところはな」
「……どゆこと?」
「別に。大した意味はねえけど――ああ、セルエの研究室は、あっちの研究棟の一階にある」
「いつもそこにいるの、セルエは?」
「そうだな、ほとんど自室状態だし、そこに住んでるようなもんだ」
「あー、それはセルエっぽいねー。意外と面倒がりだし、セルエ」
「ま、そういうわけだから、何かあったらこれから案内する場所に行くといいぞ」
――俺のところじゃなくてな。
という意味を、言外に込めて俺は言った。無論、そんな誘導にメロは気づかない。
「そうするよ」
と、焔色の少女は楽しそうに笑った。
※
「――セルエ、いるか?」
こんこん、と軽く扉をノックした。セルエの研究室の前だ。
しばらくして、中から声が届いてくる。
「あれ、アスタ? どうしたの?」
声でわかったのだろう、少し意外そうなセルエの声が聞こえた。
「ちょっと用があって。今、平気か?」
「……わかった。いいよ開けて」
許可を得たので扉を開けた。メロにはちょうど、死角になるところに隠れてもらう。
俺は死ぬほど驚いたのだから、彼女も驚かなければ不公平だろう。
中に入ると、散らかった部屋の奥にふたつの人影があった。
片方は当然ながらセルエだ。本や書類、実験器具なんかで山積みの机の奥にいる。相変わらずだが意外とだらしない。
そんな、正直あまり他人は招きにくいだろう部屋に、もうひとつの人影。タイミング悪く、どうやら先客があったらしい。
その意外な姿に、俺は少し驚いていた。
「こんにちは、です。アスタくん」
驚きの隙を突き、先んじて為された挨拶に片手で応じる。
「ああ、おはよう――ピトス」
――ピトス=ウォーターハウス。
先日、迷宮で共にパーティを組んだ、治癒魔術使いの少女である。
薄橙の髪の彼女は、こうして見ると明るい橙の髪を持つセルエと少し似ていた。
まあ別に、だからここにいたわけではないだろうが。
「悪い、邪魔したみたいだな」
鉢合わせを謝罪した俺に、ピトスは小さく首を振って答える。
「いえ、大丈夫ですよ。わたしの用事はもう済んだので」
「急かすつもりもないし、なんなら外で待ってるけど」
「本当に大丈夫ですよ。もともと、大した用事ではありませんから」
「……ま、ならいいけど」
微妙に釈然としないものを感じていたが、食い下がることはできなかった。
なんだか、今のピトスの様子は少しばかり不自然だ。声が硬いし、表情も笑顔ではあるが動きがない。どこか俺に対する隔たりのようなものが感じられた。
何か聞かれたくない話でもしていた、といったところだろうか。どこか引け目のありそうな様子を見たところ、ともすれば俺に関連した話題だったのかもしれない。
嫌悪を向けられている様子はないし、陰で悪し様に罵られていたという感じじゃなさそうだが。彼女自身、そういう陰湿さを持つ性格ではないだろう。相手のセルエはなおさらだ。
まあ、ピトスが隠したいということを、無理に暴こうとは思わない。俺は気づかない振りをする。
代わりに視線をセルエへと投げ、
「セルエに客だよ。連れてきたから会ってくれ」
「……お客さん? わたしに?」
セルエはきょとんと首を傾げた。これは本当に知らなそうだ。
確信しつつ、俺は廊下へと声をかけた。
「入ってきていいぞ」
「もー、遅いんだけどアスタ。なんであたし待たされたの?」
呼ぶなりぶつくさ文句を言いながら入ってくるメロ。
その姿を見て、セルエは大きく目を見開いた。
「――メ、メロ!?」
「そうだよ、久し振りだねセルエ!」
メロは心から嬉しそうに、とてとてとセルエへと駆け寄っていく。本当に、こういうところだけ見ていられれば、メロも可愛らしい少女なのだが。
一方のセルエもまた、すぐ嬉しそうに相好を崩していた。驚きよりは、まだ喜びの比率が高いようだ。
近くでそれを見ているピトスは、わけもわからずきょとんとした表情になっている。退出するタイミングを逃してしまったらしい。
とはいえ今、この場所には伝説たる《七星旅団》の元パーティメンバーが、俺を含めれば三人も存在していることになる。
仮に俺のことを別にしても、割と貴重な光景をピトスは見ていると思うのだ。
天災――メロ=メテオヴェルヌ。
日向の狼藉者――セルエ=マテノ。
特に熱中傾向な冒険者なら、見ただけで卒倒しかねない組み合わせではあろう。
もちろん、ピトスの知る話じゃないだろうが。
「本当に久し振り、メロ。こっちに来るなら、連絡くれればよかったのに」
セルエは優しく微笑みながら、メロの頭を撫でていた。まるで仲のいい姉妹のような構図だ。
まあ実際、このふたりも仲はいいのだ。仲は。たぶん相性は悪いけれど。
「うん? だから手紙出したよ? マイ姉に頼んで送ってもらったけど」
「あ――そっか。あの手紙に書いてあったのか。アスタ宛だったから、さすがに中身は見なかったし。先輩も自分の手紙には、メロのこと何も書いてなかったから……」
察するに義姉は、セルエ宛に出す手紙と一緒にメロの手紙を送ったのだろう。
メロは書いてすぐオーステリアへと経ち、結果的に手紙と同時に着いた。それが読めていた義姉は、あえて驚かせるために全てを黙っていた――という辺りか。
これはおそらく、メロの入学に関する手続きも義姉が行った可能性が高いだろう。奴ならガードナー学院長に直で連絡できる。そうすればセルエにも隠し通せるというわけだ。
その推測を裏づけるように、セルエがメロに向かってこんなことを言う。
「それで、こっちには何か用事? この辺にメロが挑戦できるような迷宮はないと思うけど」
「うん。だから迷宮じゃなくて、学院に入ろうと思って」
「そっか、学院に――――えっ?」
セルエが凄い声を出していた。『えっ』に濁点がついて、もはやコントみたいな感じだ。
無論、聞いた本人にとっては冗談じゃ済まないことだろうが。
その気持ちはよくわかる。決して同情はしないし、むしろ犠牲にするつもりだが。
「ごめん、ちょっと聞き取れなかったんだけど。今なんて言った?」
「『だから迷宮じゃなくて、学院に入ろうと思って』」
まったく同じ言葉を、律儀に繰り返すメロ。
それをゆっくりと咀嚼して、セルエは次第に顔を青くしていった。
「……メロ、学院に入るつもりなの?」
「もう入ってるよ?」
首を傾げてメロは言う。敷地の中にいる、なんて言葉遊びでは当然ない。
そのことは俺以上に、おそらくセルエがわかっている。
「マイ姉が全部やってくれたから」
「うん、だろうね。先輩が裏で動いてるなら、そのくらいの手回し終わってるよね」
セルエはぎちぎちと、錆びたブリキ人形より緩慢な動きでこちらを見た。
本当に、気持ちだけはよくわかる。この《天災》が、《学院》というモノといかに合わないかということは、俺たちが最もよく知っている。
――メロが他人から魔術を習う、などということができるわけがない。
性格的な問題以上に、能力的にそれは不可能なのだ。だからこそ彼女は《天災》と呼ばれている。
ほかの二つ名はどうかしらないが、俺は七星旅団の中で、彼女のその二つ名だけは評価しているのだから。これ以上なくメロの本質を言い表している。
彼女という魔術師は、学院と致命的に相性が悪い。
問題が起こるのは目に見えていた。最悪、数人の学生が潰されることだってあり得る。
だからこそ俺は、少なくとも学院の中でだけは、メロと関わりたくなかったのだ。
手に余る。そんな《天災》の対応は、教師へ任せるに限るだろう。
「そういうことだから。じゃ、あとは任せたよ――先生」
「ちょっ、待っ……! アスタ、それはずる……っ」
最後まで聞かずに俺は逃げた。
転入生の世話は、学生じゃなく教師の仕事だろう。俺には一切関係ない。ないったらない。
閉めた扉の向こうから「お、覚えてろっ」という声が聞こえた気がしたが。
……まあ、たぶん気のせいだと思う。




