5-41『vsドラルウァ=マークリウス(再戦)』
勝機はある。策なら練った。あとは、それを為すだけだ。
たとえその道が、希望と呼ぶにはあまりにわずかな活路だとしても。
きっと、誰もに理由がきちんとあった。それは街を守るとか、世界のためだなんて壮大で手に余るようなものじゃない。たぶんもっと小さくてか細い、取るに足りない動機なのだ。
隣の人間を守りたいという友愛や親愛だったり。
愛する者に格好の悪いところを見せたくはないという見栄だったり。
負けっ放しでなどいられないという反骨心であったり。
あるいは義務感。あるいは街への恩返し。
あるいは、敵意や復讐心だったのかもしれない。
魔術師たちを戦場に立たせる想いなど、ごくありふれて些末なものだ。
気づけば街に魔物を放たれていた一般市民たちにとっても。
それよりは、少しだけ真相に近い位置に立っている、少女たちにとっても。
だから少女は声高に叫ぶ。
「やばい! やばくない? やばいよね!? やばい!!」
「すみません、もう少し頭のいいこと言ってくれませんか!?」
「だってやばいじゃん!?」
「いや確かにたぶんやばいですけれどもね!」
オーステリア学院敷地内。数少ない避難所の一角であったそこは現在、けれど戦場に変わっている。
その場所が、ちょうど魔競祭の舞台が設えられていた地点であることを、さすがに奇しくもとは言うまい。広くて魔術戦に耐えうる場所だから、そもそも会場に選ばれたのであって。
だとしても気合いは入る。皮肉な運命を笑い飛ばす活力にはなる。
かつてこの場所で暴虐の限りを尽くした魔術師が、敵として立ちはだかっている以上は。
「まあ、あの祭、ぶっちゃけわたしは一回戦で負けてるんで思い入れも何もって感じですけどねー?」
「私は二回戦まで行きましたー!」
「はぁ? だからなんですか、今そんなこと関係ないでしょう?」
「言い出したくせに!?」
ただ実際、これまでの経験は確かに形になっている。
七曜教団《水星》の分身魔術を前に、この街で最も多くの戦闘経験を持つのは今、間違いなくピトスとフェオのふたりなのだから。そのために、この場所へ配置されたと言ってもいい。
外で神獣と戦うよりは、少なくとも楽な任務だろう――ふたりはそう認識する。
教団幹部でも抜きん出て厄介な性質の魔術を操る水星を相手に、こうも余裕を見せていること自体が、その証左だった。
当然、学院を覆う結界の外側に、やばい存在が出現したことは認知している。
ふたりの言う「やばい」とはそのことであって、決して水星に対しての言葉ではなかった。
単純に、相性がいいのだ。
ピトスとフェオは、揃って水星に有利を取れる魔術師、とは言わないまでも不利を取られない。
拳と剣――その意味で振るう武器こそ違えど、単純な身体運用に優れている。一方で水星はその異質な肉体に比して、少なくとも運動性能は著しく低い。当たり前みたいに腕を伸ばしてみたり、あるいは硬質化させてみたりと異形じみた振る舞いはするものの、それを知った上で見た目の気持ち悪さにさえ慣れてしまえば、水星の動きそのものは取るに足りない。
高速で戦場を駆け回り、拳を、剣を振るうふたりにとって、水星の分身技術そのものはもはや脅威とはなり得なかった。
何よりふたりは水星の変身を直接喰らうことがない。
片や治癒魔術師――肉体干渉魔術のエキスパートであり、片や吸血種の血を引いた先祖返り――そもそも肉体構造が常人と異なっている。本来なら、あるいは分身より厄介であっただろう水星の肉体的な乗っ取りを、ピトスとフェオが恐れる必要はないのだ。
無論、今さら変心に精神を左右されるような弱さとも無縁だ。ふたりの心は、もう、折れない。
開き直った近接型魔術師ほど、水星にとっての天敵もいないことだろう。
――だが。
それでは水星に負けないというだけの話だ。
それでも水星には勝てないのだ。
水星――ドラルウァ=マークリウスの能力はごく単純なものだ。
変身と変心。そのふたつの魔術を使うことで、彼女は《自分》という概念が適用される枠を押し広げている。本来、《自分》ではないモノの肉体と精神を、水星は自分のものとしてしまう。
ゆえの群体だ。
彼女には、およそ限りというものがなかった。
だからふたりは勝てないのだ。
負けずとも、勝てない。
減らしても減らしても増え続ける水星を前にして、勝ちを拾うことが難しい。
そんな光景を目の前にしてしまうと、さすがのピトスも堪らず苦い言葉を漏らす。
「……いやメンドくさっ!」
「軽いなあ、もう」
呆れ交じりにフェオはツッコミを入れるものの、割と似たような気分だ。
広さのわからない砂漠の砂を、ひと粒ずつ回収しているような感覚になってきてしまう。
「だってそうでしょうが」
それでもピトスは言った。
実際、冗談を言っていられる状況というわけでもない。
少なくとも水星の分身の《残機》は、確かに減少しているはずだ。だが、それでもなお終わりが見えないとなると、自分たちのほうが先に魔力を使い果たしてしまいかねない。
これまで幾度となく重ねてきた水星との戦いで、常に突きつけられ続けてきた問題点だ。
「あれだけ格好つけて『数に限りがあります』とかなんとか突きつけたくせに……」
「うるさいですね! だいたい、フェオもノッてましたよね!?」
「それはそういう空気になってたからってだけでしょ!?」
「だったらわたしに文句言わないでくださいよ、同罪じゃないですか」
「でも先に言ったのピトスだし」
「……言っときますけど、これ終わったら次はそっちと決着つけますからね。例の件」
「の――のぞ、望むところなんですけど」
「まだ告白すらしてないくせに」
「くぅ――!?」
ぐだぐだであった。その間も動きは止めていないのだから、いっそ器用と言ってもいい。
そんな様子に、むしろ違和感を覚えたのは、だから水星の側である。
「……どうにも解せないな」
その小さな呟きは、水星のうちの一体からのみ発せられたものだ。
ふたりはそれを聞きとったが、けれどわずかな反応を示すのみで返答をしない。
水星も、それをわかっていたかのように言葉を続けた。
「なぜ無駄を重ねる? こんなことをしていて、本当に勝てると思っているのかな」
呟き、しかし水星は返答を待たない。
ないことは知っていたし、また自分の中でも答えは出せる。
「いや――思ってはいるんだろう。君らだって魔術師だ、勝ち目のない戦いに身を投げるほど愚かではないことはわかっている。だから君らには策がある」
「……」
「……」
「ひとつは援軍だ」水星は淡々と語った。「助けを待っている――そのための時間稼ぎ。だが現状、君たちにそれは望めまい。この街で私を相手に戦力として数えられる人間は限られる。なら別の理由――何か、切り札を隠しているということかな?」
変じ、狂いが生じた群体の中にあってただひとり、理性的な思考を見せる水星。
戦いにも加わらない、おそらくはそれが現状の本体なのだろう。もっともそれを倒したところで、別の水星が本体に成り代わるだけである以上は意味などないが。
「……だそうですけど」
その言葉を聞いて、ピトスは横目にフェオに言う。
告げられたフェオは軽く肩を竦め、それから高く剣を掲げた。
まるで、それは針のように。
「――なら、試してみようか」
学院の敷地を、稲光が走ったのは次の瞬間だった。
まっすぐに立つフェオを目がけて、天上から注いだ稲妻。けれどそれはフェオに当たる寸前に拡散し、放射状の雷の矢となって視界にいる全ての水星を撃ち抜いたのだ。
単純な、それは試しの問題。
一体ずつ減らしたところでキリがないのなら、一度に全てを潰してみるという話だ。
ここまでの戦いはその前準備である。フェオは火力はあっても魔術の扱いに劣っている。まして夜天に覆われたこの結界の中で魔術を行使するのは、通常より遥かに難しい。
だから、ピトスが補佐したのだ。
時間を稼いでいたのは、その前準備に費やしていたということ。フェオが魔力を担当し、照準や制御をピトスに放り投げる。だから一瞬で、全ての水星を撃ち抜けた。
そして、そんな行為にはなんの意味もなかった。
水星は当たり前のように復活してみせる。消耗した様子すらまったく見えない。
「――期待外れ、だね」
一体が、まずふたりの目の前に現れる。挑発や皮肉ですらない、おそらくは本心からの感想を口にしながら。
群体の長と思しき、理性的な《水星》の人格だった。
続いて、その周囲にほかの水星が増えていく。数にしておよそ百近く。当たり前の光景が、当たり前に戻ってきたというだけの話だ。
「何か策があるかと思えば……その程度で私を滅ぼせると思うだなんて興醒めだ。本当、期待外れも甚だしいよ。それでよく私の前に――」
ふたりは、その言葉を最後までは聞かなかった。
「――ピトス」
短く、フェオが言う。
その言葉に、ピトスが答えた。
「うん。――思った通り。数わかった?」
「四十九。それ以上は、水星にはない」
その端的な言葉に。
水星が、初めて自ら動きを止めた。
その言葉は、目の前の光景を見れば明らかにおかしい。どう見ても水星の数は四十九など超えているからだ。
だが水星は明らかにその言葉に狼狽えていた。
明確な隙だった。
「――じゃあ次はこうですね」
と、ピトスが呟いたことにまるで対応できていない。
だから続く打撃の一撃を、近場にいた水星の一体は躱すこともできずに正面から喰らった。
もちろん、ただの打撃では水星に通じない。たとえその一撃で心臓を砕かれようと、水星は当たり前に復活する。雷で全身を焼かれてさえ、別の水星が生まれるだけなのだから。
だが。
そうはならなかった。
ピトスの一撃を喰らった瞬間、びくん! と、まるで強い電撃を帯びたかのように、殴られた水星の身体が跳ねたのだ。
いや、まるで、ではない。実際、水星は本当に雷を受け続けている。心臓を、神経を――全てまるごと犯して焼くような強い電圧に全身を呑まれ続けている。その上で――無理やりに回復させられ続けているのだ。
そして、起こったことはそれだけではなかった。
ピトスが殴った一体だけではない。まるで連鎖するかのように、別の水星まで複数纏めて同じ症状に襲われたのだ。
「これは……、何が」
水星が、驚きのあまりその言葉を口にする。
それを聞いて、フェオは、そしてピトスは笑った。
「言いましたね? そして聞きましたね、フェオさん」
「うん、聞いた。確かに無理解を口にした」
それが、逆転の契機となる言葉だ。
わからないものが強いという魔術の絶対原則。ならば水星のその言葉は、これまで彼女がついぞ吐くことのなかった――敗北を認めるに等しい言葉だ。
「あー。アスタくんが戦いになるとカッコつけになる理由、ちょっとわかるかもです。確かにこれは気分がいいですね」
「……いや、私はそこまで歪んだ考えを持たないけど。たぶんアスタも」
「ケッ、いい子ぶりやがって!」
「ピトスはもうちょっといい子ぶったら!?」
目の前でコントじみたやり取りをするふたり。その余裕にもはや嘘はない。
実際、こうも笑われてしまっていては、水星に返せる言葉はなかった。
「――だから言ったでしょう。数に限りがある、って。それでもまだ、気づかれていないつもりでいたんですか?」
そんな水星を見て取ってピトスが言う。
こちらは全てわかっているぞ、と。何もかもを見通したような笑みを浮かべて。
「分身だとか変身だとか変心だとかなんだとか、そういうごちゃごちゃしたわからなさに踊らされたのは反省ですけどね。だとしても魔術である以上、魔術の法則には準じていなければならないんですから、要素を取っ払えば単純なことです。あなたの魔術には、ひとつだけ魔術の法則を無視している部分がありました」
単純な話、それは魔力量の問題だ。
水星の分身はあまりにコストパフォーマンスがよすぎる。一体の分身を生み出すのに使う魔力が、あまりに少なすぎるということだ。
「分身体そのものが魔力であることを除いたって、分身をするという魔術それ自体にも魔力は使うわけです。その上で分身に込める魔力まで用意するなんて――そんなの、魔人でもない人間ひとりに工面できるはずがありません。魔術の法則を明らかに無視している」
「なら、答えは単純だよね。――自分ではないどこかから工面している。それ以外にない」
ピトスの言葉を、受け取ってフェオが続ける。ピトスは一度頷き、
「フェオさん。あの、わたしの台詞を取らないでくださいよ。今ちょっといいとこなんですから。ノリノリでやってるんですから、こっちも」
「……じゃあもう勝手にして」
「惚れた男の腹の立つ顔を真似したいって乙女心がわかりませんかね」
「わかんねーよ……」
ともあれ。
ピトスは続けた。
「あなたは、自分ではない人間を《自分》にすることができた。なら、元となる分身体を構成する魔力は元の人間のものを使っていると考えられます。分身だのなんだのに囚われるから話がわからなくなるだけで、あなたの魔術の肝は――肉体を、精神を、魔力に変換できること」
そして自在に戻せること。最も重要なのはその点だった。
魔競祭の最後、アスタが見抜いた点でもある。けれどだからこそ彼は、水星を倒せなかったということでもあった。
わかったところで意味はないからだ。
むしろより絶望的ですらある。その先のことまで知らなければ。
「そう。ですが、それでも足りない。人間ひとり分の魔力を使って構成できるのは、もちろん人間ひとり分の魔力です。その全てを使わず節約しても、多くて十体程度が限界でしょう。――なら、やっぱり足りていない。一体倒せば消費される魔力があるのなら、魔物と同じように魔力が空気に融けていくのなら……やはりこの方法でも、ここまでの数の分身体は作れない」
ならば、どうするか。
その答えは、水星自身が口にした。
「そう。魔物とは違う――何体倒したところで、肉体を構成する魔力は消費されない。だから私の分身は無限なのさ」
「魔物並みに気持ち悪いんで、てっきり同じかと思ってましたよ」
「……挑発、かな? 存外に効くものだ……だがレファクールじゃないんだから。魔物といっしょにされても困る」
「その名前を出されるのも困りますけどね、わたしは」
分身体が破壊されたとき、その構成に使われていた魔力は制御を失って空気に融ける。これまではそう思っていた。
だが違う。それでは魔力がいくらあっても足りない。分身を倒しても魔力が制御下から逃れなければ、その魔力を再利用することができれば、半永久的な分身の作成が可能なのだ。
水星はそれをやっている。
ただ魔力を身体として使うだけれならば、確かにそこに使う魔力はほとんど減少しない。
水星がほとんど魔術攻撃をしないのもそれが理由だろう。
変身には《肉体を構成する魔力》と、《構成している魔力を操る、変身魔術それ自体に消費する魔力》の二種類が要る。このうち前者を、ほぼ半永久的に再利用し続けることで、水星は変身のストックを維持していた。ただ形として在るだけならば減らないわけだ。魔術として、消費してしまわない限りは。
「では、そのために必要なものとは何か。存在が死んでは、魔力を現実に縫い止めるものがなくなってしまいます。なぜなら魔力は魂によって管理されるものだから。あなたは自らが所有する複数の人格を楔にしているから魔力を留めておける。肉体が滅んでも精神が滅ばない限りは、半永久的に」
傷、という概念を克服したに等しい、痛みに対する人外的なまでの耐性があるからこそ可能な、それは人間という枠をある意味で超えている精神の在り方だ。
これならば、いくら水星が倒されたところで彼女の持つ総魔力量はほとんど減らない。
しかし、そのお陰で攻略法も自ずと知れていた。
魔力をこの世に繋ぎ止める精神のほうさえ切り離すことができれば、水星を倒すごとに魔力を削れる。
――この変身使いの怪物を、倒しきることができるということだ。
「それがあなたの弱点です」ピトスは断言した。「いくら肉体は無限でも、精神まではそうはいかない。その部分があなたの穴です。あなたは何百、あるいは何千と分身しているように見えて、実はそうじゃない。それを統御する人格の数には限りがある。――それが、四十九という数字の秘密です。数百のあなたの分身は、その全てで一種類とも、あるいは数百種類の自分がいるとも言えるでしょうが、厳密には違う。あなたの限界は四十九種類です」
「……それを、さきほどの攻撃で見抜いたというわけか」
「フェオさんは吸血種の能力を持つだけあって、魔力のわずかな差にはとても敏感ですからね。一度に全体を攻撃したのも、時間を掛けたのも、全て総数を把握するためです。まあ、ついでにタネも埋め込ませていただきましたが」
「……私の手柄だけどね」
「別に手柄取ったりしませんから! わかってますから! しーずーかーにー!」
それが今、倒れ伏した水星を襲う雷だろう。
魔力そのものに埋め込まれた《雷の種》。
血のように水星全体を循環する四十九のそれらが、魔力それ自体を焼き焦がす。
それだけでは、だが水星はすぐに変身で回復するだろう。だがそれは変身であって、本当に回復しているわけではない。
だから。
「――治癒魔術か」
「ええ。治癒魔術は防げないでしょう?」
ピトスにもフェオにも、相手の心を直接攻撃したり、肉体から切り離したりするような真似はできない。
だが、間接的に潰すことならできる。
雷で破壊されると同時に強制的に回復させられることで、その人格は無限の責め苦を受けることになる。
これも単純な話だ。
水星ならば、あるいはその責め苦の中でも自己を保てるだろう。
だが、いくらなんでも魔術は使えない。
ただでさえ難度が高く、そもそも平静でいるからこそ使える魔術を、無限に続く地獄の苦しみの中で行使し続けるなど不可能だ。
あまりにも残酷だと言えるかもしれない手法だ。けれど、ほかに手はなかった。
「――詰みです」
と、ピトスは言った。
それがふたりの出した解。
「わたしたちではあなたを滅ぼせない。ですが、その人格をこうしてひとつずつ潰していけば同じこと。制御する精神のほうがなくなってしまえば、あなたはただの抜け殻です。もしこの場にいない《水星》がどこかで隠れているのだとしても、四十九全てを潰せば、同じ人格は使い物にならないでしょう?」
だからこそ。これが、初めに宣言した通りの勝利。
たったふたりで群体を滅ぼす、これが策だった。
「さあ。こちらの解答は以上です。何かつけ足すことはありますか、フェオさん?」
「……何? もう喋っていいんですか?」
「空気読んでください。勝どきを上げるところですよ」
「黙ってろって言ったくせに……」
「ともあれ!」
ピトスは前に拳を向けて、にやりと笑うように宣言した。
「――さあ。次にマッサージを受けたい人格から、こちらに来てください。この世のモノとは思えない感覚を、味わわせてあげますよ?」
まず敵の能力を先に考えるので、倒し方にめちゃくちゃ悩みます。
……いや本当、水星さん面倒すぎてどうしようかと。




