5-37『奪還作戦Ⅲ』
怒涛のネタバラシです。
がんばって……ついて来てくださいね……。
迷宮は、オーステリア迷宮の地下にある。
――という表現は、厳密に言えば間違っている。
たとえば道具などを手にオーステリアの街を地下へ掘っていったとしよう。
それでは迷宮に辿り着けない。
まあ魔術で穴を開けるなどすれば話は別(迷宮は内からより外からのほうが破壊しやすいという性質がある)だが、それも難易度が高く基本的には不可能だ。
要は二重構造になっているということ。
街の下は確かに地面だが、それと異相構造としての迷宮が重なって存在している形だ。
何が言いたいかと言えば――だ。
地面を掘る、というごく単純な行為で迷宮に入れる人間は限られているという意味だ。
※
「――まあ、なんだ。久し振りだというべきかね、これは」
「ああ。そうだな。……普通に言えばいいと思うが」
「気にするな」
「そうか」
あっさりとした再会の挨拶を繰り広げるふたりの男がいた。
オーステリア地下迷宮。
その中を歩いていての再会ということだが、もちろん偶然ではない。
「さて。ここに来ているということは、おおむね同じ目的だと判断するが?」
「知らん。俺は呼ばれたような気がしたから来ただけだ」
「よし、それでいい。いるんだから手伝え。それがお前の役割だ」
「わかった」
「――いい考えだ」
噛み合っているのかいないのか、その辺りから疑わしい会話であるが、ふたりは大概こんなものらしい。それで充分だとばかりに、ふたりは揃って歩き出した。
歩き出しながらも会話がある。
片や白衣を纏った学者然とした男。片や古びた外套をなびかせる冒険者らしき男。
旧知と思しきふたりは、けれどあまり似通ったところがない。
多くの場合、白衣のほうがまず話しかけ、外套のほうが合っているんだかいないんだかわかりにくい答えを返す。そんなやり取りが続いていた。
「ところで、その腕はどうした。視るに死ぬ寸前のようだが」
「蜥蜴の尻尾のようなものだ」
「よくわかった。――ついでだからな、診せておけ」
「ああ」
白衣の男は、傍目に見ただけで外套の男の片腕がおかしいという事実に気がついたようだ。背後に回ると、背中側からその肩の辺りに手を触れる。
「……ああ。これなら問題ないな。治る範囲だ」
「治せるか?」
「なんだその問いは。俺には無理に決まっているだろう。できて応急手当くらいだ。ここを出たら治癒魔術師に当たれ。治療は管轄外だよ――時間を延ばすくらいはできるが」
「わかった。頼む」
「もう終わっている」
「そうか。さすがの腕だな」
「そうだろう」
これを聞いている者があるとすれば、その会話の埒外さに苦笑を通り越して真顔を浮かべたかもしれない。あっさりと交わされる会話の断片、そのひとつひとつが、ふたりの魔術師としての立ち位置が途轍もない高位にあることを示していた。
やがて、ふたりはちょっとした広間に辿り着く。
今、迷宮の内部の魔物はその全てが地上に押し出されている形だ。
瘴気すらなく、すなわち一般人ですら普通に歩ける程度の空間になっているということ。
ふたりは、その広間に入ったところで足を止めた。
奥。ふたりの魔術師の視線の先に、もうひとり魔術師が立っているのが見えている。
そちらは女性だった。
「……まったく。聴いていればずいぶんと無茶苦茶ばかり口にしてくれる」
どこか呆れたように、それでいて少し楽しげに女は言った。
答えたのは白衣の男のほう。彼は軽く肩を竦め、透徹した無表情で女性に声をかける。
「勝手に盗み聞きしておいて、そちらこそずいぶんな言い種だな。独身男ふたりの雑談なぞ、傍から盗聴するものじゃない――女が下がるぞ」
「この街は僕の結界の支配下にあると知っているだろう。それは迷宮であっても例外ではないというだけだ。三次元的な位置が違っても、認識としてここは地下迷宮だ――なら、結界の内側と定義できる。それだけの話だね」
「お前が言っていることも滅茶苦茶だと思うが」
「お互い様すぎるよ」
――それに。
と、女――《月輪》ノート=ケニュクスは続けて言う。
「してやられた、という話なんだろうね。本来なら、ここで君らを受け持つのは《火星》の役割のはずだった――ああ、認めよう。これは完全に想定外だ。少なくとも僕にとっては」
「いや、なんの話をしているのか意味不明だが」
「ということは、これを為したのは君じゃなく――そちらか。《天災》に訓練を積んでいることは知っていたけどね。やられたよ――アレは、この段階でここまで完成するはずじゃなかった。天災はここで脱落し、君らふたりを《火星》が受け持つ。そう……今の彼なら君らにさえ遅れを取ることはなかったはずなんだ」
小さく、悲しみを湛えるような表情を女は見せる。
事実――彼女は悼んでいるのだろう。
同志の早すぎる脱落を。それが悲しみでなく、あるいは羨望だったとしても。
「だ、そうだが。言いたいことはあるか?」
白衣の男が外套の男に水を向けた。
外套の男は小さく、「うん? ああ、俺の話だったのか」と抜けたことを言ってから、正面に向き直って女に答える。
「何か用か?」
女は苦笑し、
「別に用件はないけれどね――まあ、そうだな、せっかくだし訊いておこうか」
「そうか」
「特異点としての《天災》を、この段階で覚醒させられるとは正直、思っていなかったのさ」
「何を言っているのか意味がわからんが」
「ならわかりやすく言おう。本来、今の《天災》では、魔人になった今の《火星》に勝ち得ないはずだった。そういう運命だった――と言い換えてもいい」
「…………」
「なにせ《日輪》――エドはずいぶんと自由を許すからね。まあ、さもなければ木星や金星はともかく、火星なんかは付き従わなかっただろうけれど。水星も、今となっては怪しいな」
「誰だ、それ?」
「愛すべき僕の仲間たちの名前さ。そう――皆の協力なくして、この計画はここまで来ることはできなかった。日輪の先見と月輪の技術だけでは、決して。木星の異相干渉能力、魔物使いとしての金星の技量、数を引き請け雑事に走り、その裏で教団の地位を確立した縁の下の力持ちとしての水星の変身と変心、魔人化の鍵を握る混血存在としての土星。そして未来を知る火星の知識と戦力――僕らは初めから、欠かすことのできない必要な存在として集まっていた」
たとえ、それが。
今ここに至っては不要になったものだとしても。
培われた仲間意識は否定されるモノじゃない。
ある意味で、女の言葉は魔術師らしくない――どこまでも人間的な感傷だった。
「必要で、充分で――ゆえに十全。そのはずだったのさ。ふたりの魔法使いがそれぞれ用意した手駒も、僕らなら封殺できるはずだった。はは、君にならわかるだろう――ユゲル?」
白衣の男――ユゲル=ティラコニアは、静かに答えるだけだった。
「ウェリウスと、メロだな」
「ああ。二番目の用意した手駒と三番目の用意した手駒。それがあのふたりだ――彼らはそれぞれ魔法使いに至り得る魔術師だ。こればかりはどうしようもない――後天的な努力に意味はなく、代替手段も用意できない。僕や君がどれほど魔術を研鑽しても、その場所には届かない。《全理学者》と呼ばれた君ですら、だ。魔法使いより魔術に長ける君ですら、それでも魔法使いにはなれない。もちろん、《魔弾の海》――《超越》の二つ名で評される君が、どれほど強かろうと同じ話だ」
「治癒魔術と似たものだからな。本質は違うが――魔法使いになるということはすなわち、運命への直接干渉権限を持つということだ。その発露の仕方の違いはあれ、いわば魔術で異能を再現しているに等しい。一番目が《運命》と呼ばれる理由はそれだろう――あまり本質を突いたネーミングではないな、実際のところ」
「だとしても。――届かないはずではあったのさ。そうさせないために僕がいた」
「《日輪》が全てを許すのは、もうすでに全て塞いでしまったあとだから、ということだな」
「はは。まあ物語の敵役が、ほら。英雄が育つまで放っておくとかあり得ないだろう? そうなる前に芽を摘んでおいて当たり前……って、まあ失敗したんだけどさ。だから訊いておきたいんだよ。《超越》。いったい君は、どんな手管で天災をあそこまで押し上げた?」
外套の男――シグウェル=エレクは、当たり前のように答えるだけ。
「俺が何かをしたと思っているなら見当違いも甚だしい。確かに後押しはした。だが変わったのはあいつ自身で、そこに俺は関与していない。それは本人の問題だし――いや、仮に変えた人間が存在するとしよう。だとするなら、それは――もちろん俺ではないさ」
「……なるほどね。ああ、なるほど、だ。それは実にわかる話だね――今となっては」
――まったく、上手くいかないものだなあ。
月輪――ノートは小さく呟く。
それは、そのこと自体に楽しみがあるかのような声音だったし、同時にそれを虚しく思うかのような諦めを湛えているようでもあった。
月輪は語る。
「本来の運命において。――二番目は拾った子どもが魔法使いに至り得る器と知ってウェリウス=ギルヴァージルを育て上げた。しかし、奴は魔法使い以前に魔術師として――冒険者として才能がありすぎたからね。やがて最強にさえ至る可能性を秘めながら、結局、青年は魔法使いには至らなかった。そう――彼は放っておけば魔法使いにはならない。まして今回、二番目は全てを投げ捨てたからね。問題にはならないはずだった」
語る。
「三番目はメロ=メテオヴェルヌを鍛えるための器として、ただそのためだけに《七星旅団》を結成した。まあ彼は厳しいからね。内に閉じ込めた過保護な二番目と違い、外に出すほうがいいと思ったのだろう――実際、メロ=メテオヴェルヌは魔法使いになったんだ」
語る。
「四番目の魔法使い。《力》の魔法使い。のちに彼女はそう呼ばれる――だが、四人目以降の魔法使いは邪魔だ。こちらの歴史には必要がない」
語る。
「だとしても手は出せない。魔法使いを殺せるのは魔法使いだけだ――当然、三番目が阻止する。一番目は、だから三番目を支配下に置いた。中立に立った二番目と違い、明らかに敵対することがわかっている三番目を。《運命》と《時間》――両者は、いちばん最初に最終決戦を行ってしまっていたということさ」
語る。
「結果として一番目が勝った。だが時間さえ超える三番目を完全に支配下には置けない――だから一番目は、三番目から運命干渉権限を奪った。七星旅団のリーダーだったはずの男は、七星旅団に所属していないことになった。これによって、メロ=メテオヴェルヌは命を救われ――同時に、魔法使いに至る運命を失った。そういう契約さ。いくら一番目でも、同位存在である三番目を完全に押し留められるわけではない」
語る。
「あとは単純だろう? この局面で、オーステリアは精いっぱいの反抗もむなしく魔物の波に呑まれる。それを契機に発生した神獣群が街そのものを完全な異界と変え、あとはガードナーの力でそれを安定させる。開かれ、閉じられ――各地に散らばった教団の賛同者たちによって世界が固定化される。わかっているだろうから言うけど、隣国との戦争があるだろう? 王都の兵が大半で払っているが――あれらも僕らの仕込みでね。結果的に世界は滅ぶが、ヒトは滅ばない世界の完成だ。日輪が王として君臨する、新しい世界ができ上がるはず――だった。そう。だったのさ」
――語る。
「その三番目が――彼女とは違う弟子を取る、なんてことをしなければの話だけれどね」
※
「理解できなかったし、悪足掻きにすらなっていない――そのはずだった。実際、話にもならない存在だった。なにせ《日輪》が直接、確認に出向いたんだ。その上で取るに足らない存在だった。いや――その場で死ぬと、日輪はそう思ったんだ。彼と三番目が雌雄を決する、その直前での話だよ。だが彼は少しずつ未来を変えていった。些末な足掻きだ。けれど意味はあった。彼自身に力がなくとも、彼は周りを変えたんだからね。結果、死ぬはずだった彼は生き残り――代わりに死ぬ存在がいたものの――こうして今も生きている。なにせ、《木星》と《土星》から連絡が途絶えている。過剰戦力、のはずだったんだけどなあ……この分なら今回も、当たり前みたいに生き残ったんだろう。相手は純粋鬼の混血と、異相存在として現実に一方通行の干渉ができる魔術師だぞ? そんなふたりを相手にして、それでも生存されちゃあどうしようもないよ。あのふたりを一度に相手取ったら、はっきり言って僕だって死ぬ。いや本当、こんなのどうしろっていうんだ、実際。バケモノかよって話だね」
長い語りを聞かせるノート。
その言葉に、ユゲルは小さく笑みを零した。
「そんな過剰な評価を受けては奴も驚きというものだろう」
「驚かされっ放しなのは、だから僕らのほうなんだけどね――本当。彼の能力と環境を考えるなら、今日までに軽く千回は死んでてもらわなきゃ困るレベルさ」
「なるほど。――そいつは共感があるな」
「彼さえいなければ。――彼さえいなければ天災は火星に勝てなかった。木星も土星も金星もこの場にいた。水星が今もなお足止めされていたはずがない。日輪が二番目に捕まることもなかったし、だから僕も今、別のことができていたはずだった――いや、それすら含んで、こうして対応は取っていたんだけれどね。……本当、木星くんの脱落だけは、完全に予想外だった」
「それでも止まらない癖に、泣き言とはらしくない」
「……まあ、ガードナーは手の内にある。計画は順調でなくとも、まだ君らにどうこうできるレベルではない。それは確かさ――けれど。けれどね。僕らは別に人間を殺そうなんて考えているわけじゃないんだ。救おうとしているんだ、当たり前だろう? 確かに、全てが上手く運んでいても、この街の人間は大半が犠牲になっただろう。だが、死なずに済んだ人間のほうがよほど多いはずだった。――彼のせいで、殺さなければならない人間が増えてしまったことは、本当に残念なことなんだよ。その大半が、きっと新しい世界に生き残る人間のはずだった……それなのに、計画の邪魔になったら殺さないといけない。彼はむしろ、僕らからすれば、死ぬ人間を増やしたようなものなんだ」
「勝手な言い分だな。殺すのはお前らだろうに」
「勝手な言い分を続けさせてもらうなら。――大事の前の小事ということさ。多少の犠牲は、含んでもらわないと困る」
さて、と。
ノートは呟く。長く続けられた言葉を切るように。
「話すことも尽きてきた。結果のわかりきった盤面遊戯に付き合ってもらうことにするよ?」
「お前ひとりで、俺たちふたりを止めると?」
「僕が自信過剰みたいに言わないでほしいところだよね。たったふたりで、魔人となった僕を止められること自体がおかしいんだって、実際。戦力的には二対一でも僕が勝ってるけど、僕はふたりいないからね。こういうときだけは、水星が少し羨ましい」
「――まあ。間違いなく、ノート。お前は最強の魔人だろうしな?」
「どうだろうね。膂力では土星に及ばないし、技術力なら実は火星も、沿う僕とは大差なかった。木星なんか本当に強くなったんだけど――いやはや。本当に、こればっかりはままならないね。全てを知るのは、やっぱり日輪だけだから」
「ともあれお前が、俺たちふたりを止める、と」
「僕からすれば逆だけどね。幸い、ここは天井がある。夜でも昼でもない、ってことだから、まあ、どちらの僕にもなれるわけさ」
「だから死なないし、強い――ね。言ったもの勝ちだな」
「魔術ってのはそういうモノだろう。あとは金星の仕込みが生きれば、地上は神獣に任せておけばいい話――なんだけど。さて、どうなることやら。保険はかけてるけど、正直、怪しいという気分にはなっているんだ。いずれにせよ、君らふたりに参戦してもらうわけにはいかない――お互いここで、お互いを留めておく以外に道はないわけさ。ガードナーの協力でセルエ=マテノも封殺できてるし、二番目は日輪がどうにかする。地上で神獣を殺し得るのはウェリウス=ギルヴァージルとメロ=メテオヴェルヌのふたりだけ。それも二対一で勝てるかどうか、だろう。死んでほしくはないんだけど、死んでもらったほうがいいのかなあ、この場合――どう足掻いても、それじゃあ、足りない」
「足りない、ね――」
「そりゃそうさ。こういうこともあろうかと――だね。金星はなにせ、ほら、魔物が大好きだったから。呼び出す神獣は、三体いる」
「――……」
「天災と天才がひとつを受け持つ。それはいいだろう――地上の連中も、まさか三体出てくるとは思っていないわけだからね、当然の策さ。さて、それじゃあ、あとの二体はいったいどうする? このまま無様に負けるのか、それとも奇跡が起きるのか。僕も悪魔じゃない――後者を祈っておくとしよう。いい人材には、できれば先の世界に残ってもらいたいから、さ」
オーステリア奪還作戦――番外戦。
ユゲル=ティラコニア。
シグウェル=エレク。
vsノート=ケニュクス。
七星旅団最強と最巧が組んだ、七曜教団最強最巧の魔人との戦いが。
密かに、その幕を切って落とされる――。




