5-34『オーステリア事変』
状況は逼迫していた。
それは、ある意味で軟禁に近い。誰に拘束されているわけでも、脅されているわけでもないにせよ、結果的に自由がないという意味では同じこと。いや、理由がわからなければ終わりも見えない、そんな状況はむしろ精神を削いでいるのかもしれない。
つまりは、それが現況だった。
「だからって、どうしようもないものはどうしようもないですからね……」
疲れた様子で呟いたのは、オーステリア学院学生会書記――スクル=アンデックスだった。
彼女が巡らせる視線の先には、多くの学生たちがいる。中には一部、近場にいた街の住人や商人、冒険者たちの姿も確認することができた。
避難所となっている学院の雰囲気は、控えめに言っても最悪の数歩手前といったところ。まだ《最悪》に猶予があることを歓迎する気持ちは、けれどスクルにはなかった。改善の兆しが見えない以上、それはこのまま最悪へと着実に進んでいく、という意味でしかないのだから。
「まあ、マシなほうではあるだろう」
スクルの言葉に、小さくそう返す声。彼女の隣に立っている、学生会会長――ミュリエル=タウンゼントのものだった。
避難所としてのオーステリアを、教師陣に代わって実質指揮しているのは彼女たちふたりである。多くの教師や実力のある生徒、あるいは冒険者たちが、街を闊歩する魔物たちの討伐に駆り出されている以上、この場の管理権限がミュリエルにまで下りてきているということだ。
「もともと魔術師の多い街だ――たいていの住人は、その影響で荒事に慣れている。パニックが起きず、初期段階でほぼ全ての住民が避難を完了できた時点で、奇跡みたいなものだろう」
「……ガードナー学院長の尽力あって、ですね。本当、幸運でした」
ミュリエルの呟きに、スクルは軽く頷いて答える。
突然の、予期せぬ襲撃だ。その被害を、ほぼゼロに近い値まで抑えられていること自体が奇跡に等しい。
この場所がオーステリアでなければ望めなかったことだろう。
もっとも、この場所がオーステリアでなければ、そもそも襲われることすらなかったのかもしれないが。
その最大の功労者は、やはり街中の避難所の防御結界を一手に管理しているオーステリアが学院長――ティアヌ=ガードナーであろう。
街を結界で覆われるや否や、管理局と合同で住民に避難勧告を出し、以降はずっと結界を維持し続けている。オーステリアの守護者、防人と呼ばれるガードナーの秘術が、その魔力を裏技によって工面しているらしい。
「知っているか?」
ことのほか明るい口調で、ミュリエルがスクルに問う。
なんです、と首を傾げた書記に対し、会長は冗談めかすように続けた。
「いや、学院長の……ガードナー家の噂さ」
「噂……ですか?」
「もともとアルクレガリス王家の命でこの場所を守ることになっている――というのは、実は嘘らしい、という噂だ」
「いえ、初耳です……というか、そもそも前提の時点で初耳なんですけど」
「ん、なんだ。それも知らなかったのか」
ガードナー家が代々オーステリアという街に強い影響力を持っていることは周知の事実だ。
だが別段、そこに制度としての権力があるわけではない。歴代のガードナー家当主が街の有力者足り得たのは、あくまで歴代の当主が有能だったからというだけ。
もちろん長く街を守ってきた家系だ。そうでなくとも一定の立場は保持しているが、少なくともこの学院都市はガードナー家の土地ではないし、そうであった歴史すらない。この街を領地としていた貴族は、実は別にあるのだ。
無論、現在ではあくまで国王の――ひいては管理局の所有する土地である。
にもかかわらず、ガードナーは常にオーステリアと共に在り続けた。
「だから言われていたんだよ。アルクレガリス王家が、ガードナー家にこの土地を守るように言ったのではないか、ってね」
そんなようなことを説明するミュリエル。
一方、スクルのほうはあまり興味を惹かれなかったらしい。軽く答えた。
「それ自体が噂じゃないですか」
「スクルは、あれだな」ミュリエルは憮然として言う。「書記なのに噂話に興味がないのか。怠慢じゃないか?」
「それ、書記関係ないでしょうに」
「むぅ……」
つまらなそうに唇を尖らせる同級生に、知らず苦笑を零すスクル。
お互いに理解した上での、それは支え合うためのやり取りだ。
彼女ら学生会の負担は、ほかの生徒と比較にならない。今のところ前線に出ずに済んでいる――それが可能な実力者が少ない中でも――とはいえ、気苦労は絶えない。むしろ外に出て、魔物に八つ当たりできるほうがまだしも気楽だとすらミュリエルは思うほどだ。
「……まあ、いてくれたら楽だったかな、とは思いますが」
弱音ではなくスクルは言う。
繰り返すように。
「本当。いてくれれば……な」
「――――」
それは誰のことを言っているのか。
そう訊こうとして、けれどミュリエルは思い直す。
訊くまでもないと思ったのではなかった。訊く意味がないと思ったのだ。
その誰かが、今ここにいないことだけは事実なのだから。
「まったく。卒業を前にして、こうも厄介な事態に巻き込まれてしまうとはね。ツイてないものだ」
だから、何も問わずに彼女は言った。
それも本心ではあろう。責任とは問われない限りにおいて、背負っておくだけで評価の対象になるのだから。
その考え方は危ういものだが、学生会にこの事態に関する責任はなくとも、この街に、学院に対し負う責任はある。それがオーステリア学院の学生会だ。
「歴代でも優秀な世代だという評判だったんだがね」
「……それ自分で言いますか、会長」
「君も含めてだよ?」スクルの言葉にミュリエルは笑みを返した。「スクルだって、その自負くらいはあるだろう」
「どうでしょう。いえ、わたしも確かに会長は優秀だったと思いますけれど」
ミュリエルの代の学生会は、その魔術師としての能力もさることながら、ひとつの《学校の代表》として高い評価を受けていた。
土台、魔術の才能という点においてひとつ下に及ばないから、というのもあるだろう。ガードナーの最高傑作として名高いレヴィを筆頭に、元素魔術の天才とあだ名されるウェリウスや、誰より多くの魔術を修めたシャルなど、引けを取らない学生が多い。ピトスのレベルの治癒魔術師を輩出するのは、この学院ですら数年振りという話だった。
その世代は文字通りに次元が違う。
もはや《才能が集まった》などという言葉では表現できないほどに、だ。
ミュリエルたちがどれほど魔術の研鑽に励もうと、おそらく将来的に――下の世代に敵うことはないだろう。それほどに、絶対的な格差があったのだ。
もっとも才能とは、ありすぎても問題だとミュリエル自身は思う。
あれほど《魔》に適性があっては、もはや別の道など選びたくとも選べまい。それを不自由とは言わないまでも、大きすぎる才能は必然的に波乱の《運命》を呼び寄せてしまう。
好むと好まざるとにかかわらず、だ。
そしてミュリエルは――この事態がその一環であるという考えさえ秘していた。
無論、それは責任を問えることではないのだけれど。
「……まあ考えようによっては好都合だ。もしこの事態を切り抜けることができれば、就職活動にも大きくプラス査定だぞ? 何ごともポジティブに考えなくてはな」
「それはポジティブ思考とはまた違うと思いますけども……」
あえて軽く言ってのけたミュリエルに対して、スクルも笑みを返す。
「だいたい会長、確か就職先もう決まってますよね?」
「ん? そんなこと言ったかな」
「噂ですよ? 王都の統一研究所に行くんじゃないかって話。セルエ先生が、確かコネがあるんだとかないんだとか」
「また中身のない噂だなあ。私に研究者はあまり似合わないと思うんだが」
統一研究所とは王都ある国内最大の魔術研究機関だ。
この国において《魔導師》の位階にある魔術師の半数が所属しており、魔術研究の最先端を走っている。
もちろん高給。だがオーステリアの卒業生であってもそう簡単には就職できない場所だ。
「まだそんな時期じゃないだろう。だいたい、そういうスクルはどうなんだ?」
「どうですかね。あまり先のことは考えてないですから。……ましてこんな状況じゃ」
疲れを癒すかのように、ふたりは未来のことを話す。
現状を切り抜ける方法はまだわからない。
けれど――いや、だからこそ思考だけは停止させてはならない。
そのために、あえて言葉に変えているのだろう。
事態の好転を示唆する情報が飛び込んだのは、ちょうどそんなときだった。
――街の外から入ってくることのできた者がいる、と。
※
「君たちだったか。……そうじゃないかとは思っていたところだ」
学院を訪れた面子を見て、ミュリエルはそう口にした。
ウェリウス=ギルヴァージル。
ピトス=ウォーターハウス。
フェオ=リッター。
少なくとも、戦力としてはこれ以上ないほどの相手と合流できたと言える。
「どうも、ミュリエル会長。さっそくで申し訳ありませんが、事態はどれほど把握を?」
現在、スクルを含めた五人は学生会室にいる。
ほかには誰もいない。これはミュリエルの判断で、まだ外部との連絡手段が確保できたとは言えない以上、情報を封鎖しておく必要があった。
代表して口火を切ったウェリウスに対し、ミュリエルの判断を仰いでからスクルが答える。
「……正直、何もわかっていないに等しいです。《七曜教団》を名乗る面々にオーステリアを街ごと封鎖されている、という事実以外は。何か要求があるでもなし――ただいたずらに閉じ込められて、街に解き放たれた魔物に対処しているだけですね」
「そうですか」
ウェリウスは端的に呟く。およそ想定していた返答だったらしい。
それに続いて、今度はミュリエルが口を開く。
「七曜教団というと、魔競祭のときに介入してきた変身魔術師が確かその所属だったな」
「ええ。ドラルウァ=マークリウス――教団で《水星》を名乗る幹部です。さきほど交戦しましたが、取り逃がしました。というか、逃げてきたと言ったほうが近い有り様ですが」
「この街を、おそらくは少数で占拠できるほどの魔術師だ。仕方ないだろう」
「とはいえ対処しないわけにはいきません。情報共有といきましょう。実際問題、今この街で戦力として数えられる魔術師はどれくらいでしょう?」
「敵のレベルによる、としか言えんな。街に溢れた魔物と戦える人間なら数百は期待できるが――」
「――あ、すみません。会長」
と、ウェリウスの問いにミュリエルが答えるよりも早く、スクルがふと声をあげた。
「どうした?」
「副会長と会計が戻ってきたようです。――天災もいっしょですが、どうやらだけ三人です」
「彼女がいるのか。ちょうどいいな、ここに呼びましょう。最大戦力になる」
「戦いになるんだな」
当たり前のことではあろう。
それでも、ミュリエルはあえて確認する。
ウェリウスは頷いた。
「ええ。とはいえ相手は魔物です。教団の連中との交戦は絶対に避けてもらわないといけない――というより、それは僕らで請け負うしかないでしょう」
「どういうことだ?」
「この街から魔物を駆逐します。数がいるので、街のみんなに協力してもらわないと」
そう言って、ウェリウスは小さく笑う。
それは戦いの意志を表す、どこか獰猛な笑みだった。
見ればピトスも、フェオも表情はそう変わらない。
事態解決の鍵を持ち帰ってきてくれた後輩たちを見据えるミュリエル。
彼女に対し、そして――ウェリウスが言った。
「――オーステリア奪還作戦といきましょう」
この街を。
再びその手に取り戻そうと。
――魔術師たちが立ち上がった。
どうあっても主人公ムーヴするウェリウスさん。
アスなんとかさんもちょっとは見習って!
※補足※
現実的に対魔物の戦力として考え得る人間は、
冒険者――100人弱。
学生――3学年で150~180人くらい。
教師――合計で20前後。
一般市民――30人ちょい。
ってなもんです。
この中にメインメンバー級の戦闘力が望める人間は、いて10人とかです。
魔術師だけならもっとぜんぜん数いますが、中には深層クラスの魔物もいることを考えると、死亡率が高すぎて前線には出られません。要所の防衛くらいですかね。




