2-01『突然の侵略者』
読み終えた瞬間に、俺は手紙を焼却処分した。
ルーン魔術で紙片を完全に灰へ変え、灰皿の中へ叩き込む。
「読んでない。俺は何も読んでない。手紙なんて貰ってない」
ぶつぶつと呟く俺だった。
煙草屋の二階、間借りしている部屋の中で、死んだ表情の男が手紙を燃やしている図だ。
もうなんかいろいろと終わっている。
呟いてからそれを自覚して、俺はかぶりを振ることで冷静さを取り戻した。
それからさらに独り言つ。
「……嘘だろ。え、マジで? マジでアイツ来るの?」
駄目だ、ぜんぜん冷静になれてない。なれるわけがない。
俺は――この手紙の差出人が、物凄く苦手なのだった。
「……ああ」
呻くようにそう零す。なんだか気分が悪かった。その理由はいろいろあるが、最たるものはやはり手紙だ。
先日、セルエから手渡された俺宛ての手紙。こいつを読んだ時点から、俺は人生終わったみたいな気分になった。
不幸の手紙を通り越して、もはや死刑宣告の手紙って感じである。デスペナルティレターだ。
「…………」
もう何を言っているのか自分でもわからない。
差出人は、かつての仲間。七星旅団の七番目。
その名を――メロ=メテオヴェルヌ。
世間において、《天災》の二つ名で呼ばれている魔術師だ。
「あいつが来るのか……この学院に。マジかよ……」
別に、彼女が嫌いというわけではないのだ。むしろ人間としては好きだと言ってもいい。
人格的にはいろいろとブッ飛んでいる奴だが、かといって厭うほどでもない。
ただ、なんというかこう――メロは、俺の義姉に非常に似ているのだ。性格や外見ではなく、その性質というか、厄介ごとばかり引き起こす気質みたいなものが。
魔術の天才であり、かつ若くして《天災》の二つ名で呼ばれている事実は伊達じゃない。
事実、あの短い文面だけで、俺を絶望の底へ叩き込めるのだから畏れ入る。
「ちょっと一服するか……」
少し頭を冷やすとしよう。俺は自室の机の上にある、煙草の箱を持ち上げる。
だが悲しいかな、生憎と中は空だった。そういえば、最後の一本を吸い切ったのを忘れていた。
「……仕方ない。下から貰ってこよう」
呟いて俺は立ち上がる。
こういうとき、下宿先が煙草を売っていることがありがたい。出かけることなく調達できるからだ。
今日は祝日で学院も休みだし、せっかくだから煙草屋の親父さんと呑みにでも行こうか。
なんてことを考えながら扉の前に近づいたところで、
「――ん?」
唐突に、扉が二度ほどノックされた。
親父さんだろうか、と思って俺は扉を開ける。
「ちょうどよかった。今ちょうど下に――」
「やっ。アスタ、久し振、」
ばたり。
と俺は扉を閉めた。何やら幻覚を見た気がしたが気のせいだろう気のせいに決まっている。
……え? ええ? いや、なんか見覚えのある女が扉の外にいたような。でもおかしい、そいつがここに来ているはずないんだ。そんなことがあり得るはずがない。
だって、さっき手紙を読んだばかりだぜ……? 確かに来るとは言っていたが、それはまだ先のことだと思っていたのに。
俺はこめかみを押さえながら、自室の扉をおそるおそる再び開いた。
「――ちょっと! なんでヒトの顔見た瞬間閉めんのさ?」
そこにはやはり、先ほど見たのと変わらない少女の顔がある。
……やっぱりか。もう認めざるを得ない。
天丼ネタなど御免だし、何より俺が彼女の顔を見間違えるわけがないのだから。
――特徴的な紅色の短髪。まるで燃える炎のようにエネルギー溢れた色だ。表情もまた意志の強さを湛えさせ、金色に輝く双眸は強い硬度を帯びている。
体格は華奢で、見た感じはかなり幼いが、これで確か十七だったはずだ。この世界では充分、成人の域である。
もっとも――その精神性は外見相応だったりするのだが。
「もう。行くって言ってあったよね。あれ、手紙読んでなかった?」
「読んだよ、ついさっきな!」
「そうなの? 思ったより手紙着くの遅いな。……ま、いっか」
「何もよくねえ……」
俺はその場で頭を抱えて座り込んだ。この展開は、受け入れるのにしばらく時間が要る。
確かに手紙は受け取った。近いうちに姿を見せるのだと、覚悟を固めるべきだったのだろう。
――だったらせめて、それが固まってから来てくれという話である。
こんな事態は完全に想定外だ。心の準備が何ひとつできていない。
別にできていれば問題が解決されるわけでもないのだが、そういう部分とはまた別の話しなわけであって。
盛大に狼狽える俺。
と、赤い髪の少女の後ろから、親父さんが顔を覗かせてこう言った。
「おうアスタ。お前に客だぞ」
「ったく、言うの遅いよ、親父さん……」
「いや、知らねえけど」
そりゃそうだが、そういうことじゃないだろうに。
受け入れられないでいる俺へ、親父さんは淡白に告げて階下に戻った。冷たい。
「……入るわよ?」
残った少女が、首を傾げながらそう言った。
俺はしゃがみこんだまま小さく答える。
「とりあえず。久し振りだな――メロ」
「うん。久し振りだね、アスタ」
それが、かつての仲間との再会。
実に一年振りとなる――メロ=メテオヴェルヌとの邂逅だった。
※
――この世界には、《二つ名》と呼ばれる文化がある。
抜きん出た実力を持ち、優れた功績を残した人間に与えられる異名だ。
魔術師の場合、おおむね戦場などで自然と呼ばれるようになることが多い。その由来は外見からであったり、あるいは得意とする魔術からであったり、またはなんらかのエピソードから名づけられるということもあるが、基本的には自然と呼ばれ出すものだ。
まあ、よくある話といえばそうだろう。
だが例外もあった。二つ名が、王の名の許で正式に授与される場合だ。
多大なる国益をもたらした魔術師には、王が正式に二つ名を下賜するのだ。魔術師としては間違いなく最上級の名誉であるし、実際多くの魔術師が《二つ名持ち》を目指すとされている。
魔術において、ある一定の実力が証明されたということなのだから。
当然、元《七星旅団》の俺にも二つ名はある。というか、七星のメンバーは全員が二つ名持ちだった。
身の上は隠していたのだが、立場上、完全に姿を見られないということは不可能だった。たいていは首領たる義姉のマイアが矢面に立っていたものだが、戦場で戦う姿は割とよく見られていたため、そこから二つ名をつけられてしまったのだ。
本来なら、まあ、名誉なことではあるのだろう。魔術師なら喜びこそすれ、悲しむことではまったくない……のだが。
地球出身の俺からすると、正直少し恥ずかしいものがある。
なんの因果で、なんかこうイイ感じの二つ名で呼ばれなければならないというのか。
実際、本名はひた隠しにしていたため、二つ名で呼ばれることは多かったが、俺はそのたびに言い知れない恥ずかしさを感じていたものだ。
一番目――辰砂の錬成師。
二番目――超越。
三番目――全理学者。
四番目――万象の昏闇。
五番目――日向の狼藉者。
六番目――紫煙の記述師。
七番目――天災。
とまあ、こんな二つ名だけが先行して世間へと知らしめられてしまっている。
これは果たして格好いいのだろうか。統一感がまるでなくて、俺には正直、よくわからない。
やはり異世界人の価値観を地球人が理解することはできないのか。
そんなことを、実は未だに悩んでいる俺だった――。
※
「ふうん……意外と狭いトコ住んでんだね、アスタ」
「うるせえな。いきなり来て早々、ヒトの城に文句つけてんじゃねえよ」
「別に、そんなつもりないけど。ただちょっち都合悪いかなってだけ」
「はあ……?」
「ま、いいや別に。大した問題じゃないし」
自分の中だけで自己完結するメロ。相変わらず勝手な奴だった。
名は体を表す、という言葉が日本にはあったが、二つ名でもそれは変わらないらしい。彼女は《天災》という異名に違わず、常に予測不可能な損害を他者へもたらすのだ。
義姉が意図的に他人を巻き込む女なら、メロは天然で他人を面倒に呼び込む奴と言えよう。
どちらが厄介かといえば……まあ、どっちもどっちと言うほかないが。
「んで、何しに来たんだよ、お前?」
「手紙読んだんでしょ? 学院に入学しに来たんだって」
「お前まだそんな歳じゃねえだろうが」
学院は、地球で言うのなら大学に近い。入学は十八以上となる。
十七の彼女では、だから本来入学できないはずなのだが、
「そんなの、飛び級するに決まってるじゃん」
「いや、飛び級ってお前……」
メロはあっさりと言ってのける。そんな簡単にいくものか。
確かに飛び級も制度としては存在するが、そういうのは紹介などがあって初めて成立するものだ。
教育機関になど通ったこともないだろうメロに、そんな伝手があろうはずもない。
……にもかかわらず。
メロは、まったく余裕の表情だった。
「大丈夫だよ。――だってあたし、元《七星旅団》だよ?」
その通りだった。彼女はかつて、最強とまで言われた冒険者の一角なのだ。学院からしてみれば、喉から手が出るほどに欲しい人材だろう。
実際、俺だってその肩書きがあったから学院に入学できたのだ。世間にはその事実を公開しておらず、さらに現在では魔力の大半を制限されているにもかかわらず、だ。
ましてメロは俺と違い、その存在が広く世間に知られている魔術師でもある。その実力は、今現在ソロで活躍する冒険者の中で最強とさえ評されていた。
そう、メロは知られている。
七星旅団の人員は基本的にその肩書きを隠していたが、例外として一番目と七番目――つまり首領のマイア=プレイアスと、《天災》メロ=メテオヴェルヌだけはその所属を明らかにしている。
要は、物凄い有名人なのだ、メロは。魔術師/冒険者として、おそらくこれ以上ないほどに。
その話題性を、学院側が見逃すはずがなかった。
多少の無理くらい軽く通して、彼女を学院へ入学させることだろう。
……ほんと、あり得ねえ。
「くそ……お前、学院なんざ通ったって学ぶことねえだろ」
噛み殺すように俺は言う。ほとんど負け犬の遠吠えだ。
メロは気にも留めずに軽く笑った。
「そんなことないよ。いくらでもある」
「何がだよ……」
「ま、いろいろだねー。ていうか、そんなことよりさ」
メロはきょろきょろと部屋の中を見回しながら言った。
「――この部屋、ベッドひとつしかないの?」
「……え? いや、はあ……?」
思わず大口を開ける俺。質問の意味がわからない。
だが、嫌な予感だけはひしひしと感じていた。
彼女はやはり、あっけらかんと、さも当たり前の確認だとばかりに続ける。
「いや、だからベッド。ひとつじゃさすがに狭いよね?」
「……何言ってんだ。ひとりで使うんだから、ひとつで充分だろうが」
「アスタこそ何言ってんの? 床で寝るの、アスタは?」
嫌な予感は、次第に確信へと移り変わっている。
それでも、否定したい最悪の想像を、俺は言葉にして訊ねた。
最後の望みだった。
「お前……まさかとは思うが、俺の部屋で寝泊りするつもりじゃねえだろうな?」
「だから、さっきから何言ってるの?」
メロは笑顔で答える。
綺麗な表情で――俺の希望を打ち砕く。
「――当たり前じゃん、そんなの」




