5-32『天災の物語』
お久し振りです、再開いたします。
長いような気がするかもしれませんが気のせいです。
二万字切っているので短い。いいね?
天災の物語の、その最初の一ページはこう語られる。
メロ=メテオヴェルヌにとって、生きることは戦うことと同義だった。
実の両親のことは何ひとつ覚えていない。物心つく頃には、彼女はある男の元に引き取られていたからだ。
老いた魔術師だった。
血が繋がっていないことは年齢からも明らかだったし、彼自身が隠すことなくメロに告げていた。
――お前は両親に恐れられ、棄てられた。
お前の才能が役に立つと踏んだから、私はお前を買い取ったのだ――。
その事実に対して、思うところなど特にない。
正直、というより明け透けに言いすぎな嫌いはあったが、そんな無関心さすら、実のところ幼いメロには心地よかった。
その歳から達観していたからかもしれないし、あるいは逆にそんな環境だったからこそ今の人格が形成されたのかもしれない。どちらかなんてわからないし、どちらだってよかった。
むしろその老魔術師に引き取られたことは、メロにとってプラスだったと言っていいだろう。環境としても、単に精神的な意味においても。
男は、言葉ほどメロに何かを求めることはなかった。
せいぜい生活の世話をさせるくらいで、それにしたって生きていく上では普通に必要なことだ。ひとり分がふたり分になる程度のこと。
山奥の田舎暮らしに必要な、最低限のことさえやっていればあとは自由だった。冒険者として独りで旅をしていたメロが、身の回りの最低限のことは自分でできたのはそれが理由だったし、のちに結成された七星旅団に所属したとき、身の回りのことにまるでやる気を見せなかったのは男の影響だろう。善し悪しではあった。
いずれにせよ自由な、あまりに自由すぎる生活を営んでいたことは事実だ。
だからメロは、魔術に傾倒することになったのだ。
男は、メロに魔術を教えたりなどしていない。
才能という面では明らかに自分を上回っていたメロを、憎く思っていたということではないだろう。そんなことは初めからわかりきっていたことで、それくらいなら初めから引き取っていなかっただけの話だ。
魔術師らしい合理性。
というには、少しばかり過ぎていたかもしれない没交渉。
お互いそれで充分だった。幸い、魔術を訓練する環境としては、ひと気が少なくだだっ広い山奥は向いていたと言える。男が所有していた魔術書の類を閲覧することも自由だった――もっともメロは、あまりその手の本から何かを学ぶことはなかった――し、空間の魔力量も多い土地だった。
魔術師――冒険者としてメロが早熟した要因のひとつに、この環境があったことは否定できないだろう。
そうして、メロは魔術に明け暮れた。
大した勉強をせずとも、メロは魔術を使うことができていた。そもそもそれが理由で棄てられたのだ。メロにとって、魔術とは研鑽するものではなく、ただ行使するものに過ぎない。
なぜできるのかと問われても、説明ができないほど当たり前に。歩く方法や喋る方法を説明できないのと似たような理由だろう。
それは、メロにとって呼吸同然に当たり前として備わっていた機能なのだから。
戦闘の相手にも事欠かなかった。
魔力に満ちた山の森は、言うなれば自然の《迷宮》に近い。そこには獣以上に危険な、多くの魔物が潜んでいた。それらを相手にメロは一歩も引くことなく、齢が十を越える頃には山で最強になっていた。
この頃になると、メロは本格的に山を降りることを考え出していた。
もちろん、天嶮というほどの深山幽谷に住んでいたわけではない。食料や衣類といった生活必需品から、魔術の研究や実験に必要とされる学術書や魔術媒介を手に入れるために、麓の村や、そこから離れた大きめの街に繰り出すことだって定期的にあったわけだ。
さもなければ、それこそ野生児と化していたかもしれない。
メロは娯楽を知らなかった。
だから必然、それに最も近いものを本能で求めた。
それが《戦い》というものだった。
戦って、勝つ。幼いメロは、そのことに最大の価値と歓喜を見出した。
自己の力が常人のそれと一線を画していることは理解している。
彼女は年齢に比してあまりに強く、それに溺れるほど愚かではなく、けれど唯一の快楽に抗おうとするほど無欲でもなかった。それだけの話だ。
戦うことは楽しい。
戦って勝てればなお楽しい。
ならば、それを目的に生きることを選ぶのは――当然の成り行きだったと言えるだろう。
幸い、それにうってつけの職業がこの世界にはある。
冒険者になればいい。
戦うことが仕事になって、金まで儲かるとなれば最高だ。なんの文句もない。
だからメロは、それがあらかじめ定まっていた運命であるかの如く、ごく自然に冒険者の道を志した。おそらくほかの道などなかっただろう。そう確信するほど当たり前の選択だった。
そうと決まれば、もはやこんな片田舎でやることなんてない。
メロはあっさり自立を決意した。もともと、ひとりで生きていたようなものだ。
老魔術師は、メロのその選択に一切の異論を挟まなかった。
異論どころか意見すらしなかった。
「――冒険者になる。だから、ここを出て行くよ」
そう告げたメロに対し、男が告げたのはたったふたつの言葉だけだ。
「そうか」
一度目に、まずそう言って頷いた。
そして二度目に、こう訊いた。
「――なんのために?」
「なんのって」
快とも不快とも思わず、ただ問われたから返すとばかりにメロは考えた。
老魔術師がそんなことを訊ねてくるのは意外だったが、少なくとも世話になったし、生かしてもらった相手であることは事実だ。彼に向ける感情が好悪どちらかと問われれば、まあ前者と言えるだろう。
「別に。ほかにやることもないし、それがいちばん楽しそうだと思ったから」
「それは目的ではない。質問の答えになっていないだろう」
「……いったい何言ってんの?」
メロから返されたその問いに対し、男は何も答えなかった。
それきり何も言わなかった。
少し考えて、反対はされなかったのだろうとメロは見做すことにした。反対されたところで出て行っただろうが、あと腐れがない分には好都合だ。恩がないわけではない。
「んー。ま、なんてーか、世話になったね。……ありがと」
――そうか、とだけ老魔術師は答えた。
それだけを別れの言葉として、メロは住み慣れた山荘を旅立った。
別段、それが生涯の別れとなったわけではない。以降、各地を転々としたメロは、稼いだ金の一部を老魔術師の元へ持って帰って渡した。一応の恩返しとして、メロなりに考えたのだ。
彼はそれを断らなかった。山荘にはメロが運んできた高価な魔具や金銭が溜まっていった。
そう。彼は、その一切に手をつけることがなかったのだ。
それならそれでいいとメロは思った。別に使えとまで強制する気はない。それは自由だ。ふたりの関係は、そもそもそういうものだったのだから。
そのまま劇的なことは何ひとつなく。
一年後、男は老衰によって息を引き取った。死体は戻ってきたメロが見つけた。
それを埋葬して、結局最後まで手をつけられることのなかった財宝ごと山荘と別れた。
以来、その場所にメロは一度も帰っていない。
その理由はすでに失われている。
さしたる物語もなく。特別に近づくことも、ことさら険悪になることもなく。
メロと、育ての親だった老魔術師の物語は終わった。
――最後まで、彼の残した質問に答えられなかったことだけを、少女は今も覚えている。
※
「……っ、ぁ――ぐ」
自らの口から意図せず零れた、呻き声のか細さに笑いたくなる。
これで意外と、メロ=メテオヴェルヌは痛みに対して耐性があった。決して最強でも無敗でもない彼女は、これまで幾度となく負傷や敗北を経験している。
無論、どこかの六番目と比較すれば、だいぶマシな程度だが。
吹き飛ばされ、打ちつけた背中や頭よりも、撃ち抜かれた腹部のほうが痛む。
経験上、それがまずいことはわかった。たいていの場合、殴られた衝撃よりも、そのあと地面に叩きつけられるダメージのほうが意外と大きいものなのだ。
それが逆だということは、それだけ致命的なダメージを受けているということである。
咳と共に、口の端から赤が迸った。
おそらく内臓を痛めた。これはその影響だろう。
致命傷ではない。だがこの状況自体は充分に致命的だった。
「――っず、ぃ……!」
体内を循環する魔力が、麻酔代わりに痛みを誤魔化していく。
メロは蹴り抜かれた腹部に手を当てた。腹を肉ごと突き破られたかと思うほどの衝撃だったが、さすがにそこまでのダメージはなかったらしい。
無論、手を当てたからといって傷は癒えない。いくらメロでも治癒魔術だけは使うことができないのだから。
それでも気休めにはなった。
手当てという言葉があるように、掌を患部に当てるという行為は、それだけで治療を暗喩する儀式的行為に繋がる。魔術師にとって、その手の自己暗示の重要さは今さら説くまでもないだろう。
「さすがに、一撃で倒すとまではいかなかったか……さすがの魔力量だ。肉体の防御力も、並じゃあねえよな、そりゃ」
観察するように呟いたのは、離れた位置に立つ《火星》――クリィト=ペインフォート。
余裕、というわけではないのだろう。むしろ、それはメロに対する正当な警戒から生じる隙のなさと評するべきだ。クレバーな判断力を持つ戦闘狂が厄介なことは、メロ自身がそうであることからもわかる。
とはいえ、大勢は決したと思っていることも事実なのだろう。
火星が浮かべている笑顔には、明らかに勝者のそれとしての色があった。
別段、それは間違った判断ではない。
魔術師同士の戦いにおいて、初撃を奪った側の勝率は逆より圧倒的に高いからのだから。
要は格付けだ。それは先に認識を超えたという意味なのだから。でなくとも、魔術を喰らうということはほぼ同義で負傷するということとであり、あるいは直接ダメージを負わせる魔術でなくともなんらかの干渉を受けるという意味だ。――あとに響く。
怪我をすれば魔力の操作は雑になるし、場合によっては魔術を構築できなくなる可能性もある。そもそも一撃目が致命傷という場合だって多い。
たとえそうではなくとも、圧倒的に不利になっていること自体は揺らがないだろう。どんな素人にだってそれくらいわかる。
「……寂しいもんだなァ。そう思わねえか、オイ?」
火星は言う。一歩ずつメロのもとへと近づいていきながら。
メロは答えずに顔を上げた。
乱雑な口調に反し、火星の表情は無に近い。獣じみた嗜虐的な愉悦などそこにはなく、言葉通りの空虚な喪失感を本当に抱いているようだった。
「なにせオレは、戦い好きなのに戦闘の才能に恵まれなくてよ。むしろ研究者として評価されるばかりだったわけだ。だがオイ、適性なんぞに阻まれて道を決めるなんざ、そんなん選択とは言わねえだろ。自由じゃねえ」
「……だから?」
メロは静かに問い返す。
――いいや、ただの意味のない感傷さ、と火星は言った。
おそらく、それは嘘ではない。
「だから魔人になったのさ。けどまあ、そうなったらそうなったで、今度は相手のほうが消えちまったわけだ。いや、悪いね。俺もこうまで青いことを考えるたあ思わなかった。これじゃアルベルの野郎を笑えやしねえ」
「……、……」
「お前みたいに初めから開いてる奴に追いつくにゃ、あとからひとつでも開くしか方法はないと知っていたんだが……まあ、そんなもんなのかもしれねえな」
呟きながら、火星は徐々に近づいてくる。
その目的は言うまでもない。とどめを刺すつもりだろう。
小さく、メロは息をつく。火星にも届いていないだろうほど静かに。
ここに至って、それでも彼女は冷静だったのだから。
――死の恐怖を感じたことはあまりない。
敗北はあった。それでも大事な、それこそ勝敗が命に直結するような戦いで彼女は敗北したことがなかったから。
矜持はある。自覚も自負も持っていた。それを振るうことに躊躇などなかった。
ただ、それは類稀な才能を持っているにしては、あまりに中身のない事態だったのかもしれない。
何もかもが思い通りにいくから、本当に目的なんてものを持ったことがない。
彼女にとって人生とは戦いの連続であり、それは初めから勝利の決まった面白みのない生活だ。挑戦、ということを本当の意味で成し遂げたことがないのかもしれない。最強、などという言葉にすれば安すぎる地位を目指したのも、ほかにすることがなかったというだけの話。それを本当に自分が求めたのかと問われれば、メロ自身でさえ疑わしかった。
火星と、それがメロとの違いなのだろう。
あまりに大きすぎた才能が。
彼女を、あまりにつまらない存在に変えてしまっていた。
「……なこと、わかってるっつーの」
「何?」
ふと呟かれたメロの言葉に、火星は首を傾げる。
もうメロまで数歩の位置に来ている。
「別に。なんでもないけど」
「……ああ、そうかい」
会話を断つようなメロの態度に、火星は頷くことで応じた。
これで終わりとばかりに。
火星も、それで構わなかったのだろう。未だに警戒は怠っていない。むしろ妙に諦めのいいような態度を見せることが不可解ですらあった。
だからだろう。火星の顔は笑っていた。
それは勝利に酔う歓喜ではなく、むしろ続きを求める期待の色。
こんなところでメロが諦めるとはまったく考えていない。
どうせ、何かやってくるに決まっている。たとえその《何か》がわからずとも、いや、わからないからこそ楽しみに思えるのだ。
ゆえに火星は、その通りにとどめを刺そうとした。
このままではメロは死ぬ。それに抗う方法などあるはずもない。
ないとわかっていながら期待する、そんな自身の愚かさを火星は狂喜で受け入れるのだ。
そして。
男の腕が少女を捉える、
――その直前のことだった。
「……《起動》」
メロが、そう小さく呟いたのは。
※
「全天式――《流火炉心》」
何が起こったのかを瞬間、火星は判断することができなかった。
だから、得たのはあくまで思考ではなく直感。見たものを見たまま現実として受け止める、それだけの行為だった。
「……驚いたぜ」
そう呟いたのは、けれど火星にとってただ事実を口にしただけのこと。
目前に立つ天災は小さく俯いている。その表情を窺い知ることはできなかったが、決して出し抜いたことを喜んだり、死を回避したことを誇る様子には見えなかった。それはわかる。
端的に、火星は周囲の様子を把握する。
野性的な獰猛さの裏に、研究者然とした理知を秘めているのがクリィト=ペインフォートという男の特徴だ。彼の本質は決して獣ではなく、あくまでヒトの側に寄る。
だが理性がもたらした判断は、ただ《あり得ない》というひと言だけ。
その新鮮な驚きが、既知ではない未知が彼には心地よかった。
「…………」
今、火星とメロは数メートルほどの距離を互いに開けている。
さきほどまで目の前にいたメロが、今は離れていた。
いや、違う。それでは判断を違えている。
位置が変わったのは決して天災のほうではない。
――変わっているのは自分の位置だ。
強制的に、そして一瞬のうちに後退させられた、と言えばいいだろうか。少なくとも視覚的に確認できる情報からは、そういった判断がまず下される。
だが、その程度ではないと火星はすぐに理解した。
変化は決して、火星と天災、その三次元的な位置関係だけではなかったのだから。
「……おかしいな。いくらお前でも、治癒魔術は使えないはずなんだが」
「使えないんなら使ってないんじゃないの。あんたも魔術師なら、理屈でモノを考えなよ」
「手厳しいねえ。だが実際、妙さ――お前の傷が、こうして癒えているんだから」
言葉の通り、メロの傷がいつの間にか治っている。
いや、もともと目に見える傷を負っていたわけではない。けれど、口元や衣服を汚していた血がどこかに消え、まるで何ごともなかったかのようにメロが立っていること自体は不自然以外の何物でもなかった。
あまり修辞的な表現には秀でていない火星だ。だからこの状況を言い表すためには、残念ながらありがちな慣用表現を引用してくる以外になかった。
――まるで時間が巻き戻ったかのようだ。
と。言うなれば、この状況はまさにそれだった。
そうだ。ただの治癒魔術なら、辺りを汚した血の痕跡までは消えたりしない。
位置関係が変わっていることも含めて、時間がほんの一分ほど巻き戻っているような。
そんな状況だった。
――だがそれはあり得ない。
火星は知っている。火星でなくともそれくらいは知っている。
時間の領分に手を出せるのはこの世でただひとり、三番目の魔法使いだけ。いかな天災といえど、そればかりは不可能だ。彼女では時間に干渉できない。
それは前提だ。決して覆ることのない法則。
法則を書き換えるのが魔術だが、その魔術自体に定められた法則であるからこそ、そのことだけは揺るがない。
未来人である火星だからこそわかることだ。彼をこの世界に連れてきたのは三番目の男。その男が未来においても魔法使いであった以上、過去であるこの歴史に、天災が時間の魔術を操るという結果は起きない。
ゆえに、これは少なくとも時間逆行といった類いの奇跡ではない。
「なるほど――そういえばお前は、あの迷宮で三番目に会っていたんだったか」
「悪いけど時間がないんだ」
軽口を叩くような火星に、もはや天災は応えなかった。
全身に迸る魔力を見れば理解する。彼女はここで決着をつけようというつもりだ。
それでいい。
そうでなくては面白くない。
過去の世界までわざわざ訪れて、歴史に干渉している理由なんて、つまるところそれだけ。
――自由な戦いがしたいだけなのだから。
「決める。たとえあたしが終わっても、あたしはあんたを終わらせる」
「いいね――最高だ。お前ならきっと受けてくれると思っていた」
「なら死ね、火星」
「最高だぜ――天災ッ!!」
叫びと同時、火星の視界を光が埋め尽くす。
「――《竜星艦隊》」
「いきなり全開かァ天災ィ!!」
七条からなる光の帯。
狙いなどまったくつけられていない。ただ全てを埋め尽くせば、それでいいという破壊の奔流。竜の息吹を模した七撃は、たとえそのひとつでも通り抜ける全てを消滅させる。
破壊力。規模。連射性。速射性。
その全てが一流だが、そのどれを取ってもこの攻撃の本質には及ばない。
なぜなら、その全てが本家には劣るから。
それを理解していたからこそ、メロが追及したのは別の部分だ。
ただの模倣では意味がない。
それを固有になるまで改造するからこその即興魔術師だ。
ゆえに彼女の全天式《竜星艦隊》は、その見た目ほど射程を持っているわけではない。敵ひとり、確実に滅ぼし得る力として彼女はそれを求めたからだ。
その最も優れた点は――貫通力。
どんな防御も許さない。当たりさえすれば、確実に相手を打倒し得る火力。
それが、この魔術の最も厄介な部分だと言えた。
「――だが足りねえ! 足りねえぞ天災ィ――!!」
その事実を、火星は理性で判断する。
そして得た情報への対処を本能へと一任した。
彼の選んだ行動は実に単純だ。
ただ、目前に迫り来た光線を殴る。それだけ。
それだけで、火星はメロの魔弾を防ぎきってみせたのだ。
防げないのなら防がない。拳でもって相殺する。
論理的なようでいて、それは獣じみた本能なくしては決して導き出せない野性の理屈だ。だが、どんな魔術さえ《引き分け》に持ち込んでみせる火星の特性が転機を生んだ。
元より自動防御などに頼ったのが間違いだったのだとばかりに。
自らの手で打ち崩すからこそ意味があるのだというように。
術式としての完成度は、いっそ下がっていた。だがその分だけ強く働く火星の意志が、破壊の本能が、その力を大きく向上させていた。その矛盾を、魔人の能力が肯定した。
「おら、どしたァ! その程度じゃまったく足んねえ、足りねんだよ!!」
直撃の一発を打ち崩し、あとの六発は迷宮を揺るがした。
結界に振動が走る。もちろん、いかなメロの最大火力でも迷宮そのものが壊れることはない――揺れが起きた時点で異常なくらいだ。
けれど、その六発は結局が無駄撃ち。直撃分の射線さえ崩せば、メロと火星の間を阻むものは何もない。
本能のままに火星は駆け出す。目の前の天災を、ただ打倒するがためだけに。
「竜星艦隊、二陣――」
メロは、けれど小さく呟くだけだ。一歩を動くこともない。
それが魔術師の戦い方だ。獣じみた火星とは違う。
魔術師でありながらその戦い方を捨て去った火星と、天災でありながら魔術師としての戦い方に立ち戻ったメロ。
いっそ立場が逆転したかのような光景だ。
「――水先」
その短い呟きで、呪文としては充分に十全。
火星は足をその場に縫い止められた。
「ぬ……!」
何も拘束を受けたわけではない。
ただ彼は悟った。
外れたはずの六発が、まだ生きているということを。
迷宮の壁に直撃した魔弾が、炸裂して幾筋もの光条となって広がった。迷宮の暗がりを宇宙とするなら、青白く流れる弾丸は闇を裂く流星。その全てが狙いを研ぎ澄まし、再び火星のもとへと襲い来た。
一撃一撃は小さくとも、その貫通性はさきほどと変わらない。いや、高い貫通能力を本領とするのなら、このカタチこそがむしろ艦隊の本領か。
流星の豪雨となって降り注ぐ息吹に、火星の全霊が呼応するよう喚起された。
「――《風火》」
その言葉は、彼が初めて口にした略式詠唱。
呪文に従って、火星の肉体を風と火が纏い始める。
「《散らせ》、オラァッ――!!」
降り注ぐ魔弾が矢ならば、それを焼き、払う火炎は矢除けの神風。
その通り、おそらくそれは矢除けの魔術なのだろう。
最も多く使われる攻撃魔術が魔弾である以上、最も多く使われる防御魔術はそれを防ぐためのもの。たいていは障壁が使われるが、こうして魔術としての防御も数は多い。
防げない魔弾である以上、単純な防御など愚の骨頂。あくまで《払う》ことで相殺する。だからこそ力を持つ。
詠唱の隙を突いて突き立った幾筋かの魔弾が、火星の肉体を抉り、貫通した。
魔術師が持つ抵抗力などないも同然の、降り注ぐ星の矢は殺意の表れ。肩から腕から脇腹に大腿まで。何本かの矢が貫いたが、その程度で火星は止まらない。
成立した扇ぐ炎が、まるで天幕のように広がって降り注ぐ矢を弾き飛ばす。魔力そのものを焼き散らすそれは、獣では扱えない高度な概念魔術だった。
――根幹は元素魔術。でもアレンジが入ってほとんど別物だ――。
目の前で行われている魔術の内容を、天災は頭の片隅で冷静に判断する。
炎を風で操り、肉体そのものに鎧として纏わせる術法。
それは単なる衣ではなく、いわば肉体機能の延長としての魔術だ。ゆえにこそ器用に操ることが可能であり、また魔術であるからこそ《焼く》、《払う》といった概念を魔弾にさえ適用できる。いっそ凄まじいまでの高等魔術だ。
火星の本質が、あくまで獣ではなく魔術師――それも教授や《月輪》といった魔導師級の実力者であることを突きつけるかのような。そんな魔術だった。
「――竜星艦隊、三陣」
もちろん、それがわかっていてメロも策を練っている。
ただ力を力のままに振るうのではない。次を考えての魔術行使。
常人と違うのは、そのひとつひとつが必殺に足り得る攻撃であることであり。
そのひとつひとつを防ぎきる相手が、敵であるということだ。
そして、その思考は火星もまた共有して理解していた。
――この次がある。
火星はそれを知っていて、メロがどんな手段に出るのかもおおむね読めている。ならば、自分のすべきはそれに応えることだ。これだけの交歓、次に味わえることがあるかわからない。
火星とメロは本質的に似ている。
お互いに高い知性と魔術への適性を持ちながら、同時に抗いがたい戦闘の本能を両立させている。
それはひとつの矛盾だ。
本来的に、魔術師とは戦闘者ではなくあくまで研究者。学者であり哲人。その本質は戦い、滅ぼすことではなく、あくまで思考し、理解すること。
理性と本能は両立しない。いずれ見境なく食い合う両の特性を、それでも揃って飲み込んでいるという点において、ふたりは奇妙に似通っていた。
ならば。
そこに差があるとするのなら。
片や魔人で、
片や人間だということだろうか――。
「突き崩せ、――奔流!!」
魔弾の雨を防ぎ切った火星が、その両腕を正面に向ける。
まったくの同時。メロもまた片腕を火星に向けていた。
「――死出」
そして、両者の腕から必殺の一撃が放たれた。
魔術師の戦いが必殺の応酬ならば、これ以上に魔術師らしい戦いはないだろう。
その一方、あまりに過剰すぎるその攻撃力は、どこか魔術師らしくない戦いだとも言えた。
放たれたのはお互いに魔弾。
だが、ただの魔弾というにはあまりに火力がありすぎた。
メロが放ったのは、竜星艦隊の最大火力。全霊を一撃に込めた、文字通りに超越的な破壊の一条だ。
それを受けて立つ火星も、また渾身の一撃を放っていた。うねる火炎が、渦を巻きながらまっすぐに突き進む。それは風に煽られることで進むごとに規模を増し、破壊的なまでの攻撃力を獲得している。
正面からぶつかり合ったふたつの攻撃が、お互いを殺し合いながら魔力を散らしていく。
そして直後。
その線が真っ二つに裂けた。
「――《牙焔》」
火炎の刃が、上から二対の魔弾を切り裂いたのだ。
そして、現れた道をメロが走り出す。その手には二対の火炎の剣。
「双式武装形態」
「――それでこそだァ!!」
必殺の攻撃さえ、次の攻撃のために偽装に。
勝つためになりふり構わない、その自由を火星は歓喜でもって受け入れた。
火炎を纏った拳が、火炎の剣を受け止めて弾く。互いに射程などあってないようなものだ。
自在に伸びる二刀一対の剣が火星を襲う。火星は炎を纏った拳でそれを弾いていた。
伸びるように直進してきた火炎を、火星が真下に弾き落とす。地面を貫いた火炎の剣。それは地面に突き刺さったまま今度は長さを短くして、それに乗ったメロが飛び込んでくる。もう一方の火炎が、横薙ぎに部屋中を振り抜いた。火星は、それを屈むことで回避し、近づいてくるメロに拳を放つ。メロは、その拳を刀身で受けた。
まるで一流の剣士のような身のこなし。
だがメロに、そんな技術があったとは思えない。
「なるほど! そういや前回やられたそいつぁ、生きた魔術だったなァ!!」
「――……」
「それが本来の使い方ってわけじゃねえだろうが、ハハァ! なるほど、そいつが天災の戦い方か! ここに来て完成させたか、なァ、即興創作者!!」
メロに技術がないならば、別の何かにやらせる。
剣に技術があればいいという話だ。
単純すぎるがゆえに狂った結論。その天災的|《丶丶丶》発想も火星になら理解できる。
生きた魔術である《牙焔》が動くままに、メロが体を貸している。そうすることによって、メロに火星と渡り合えるだけの実力を発揮させる。そういう理屈だ。
だが、驚くべきはそこではない。
本来は使い魔であったはずの魔術を、まったく違う武器を創る魔術として使っていること。
ひとつの魔術に対し多くの活用法を見出す――それこそがメロの持つ力だ。
だが火星は、すでにメロの弱点を見抜いていた。
「そんなに飛ばして平気か、天災!」
一瞬の隙を突き、火星の拳がメロを捉える。
「ぐ――」
呻くメロ。彼女の意志とは無関係に動く剣が、メロに火星から距離を取らせた。
床に向かって伸び、弾く形で跳び上がって後ろに下がるメロ。
その口からわずかに血が零れていた。
「か――ごほっ」
「傷は、完治したわけじゃねえらしい――いや、そもそも治ってないのか」
「…………」
「時間切れは近そうだな」
「……なんだ。もう、バレちゃったか」
メロは、わずかに笑うように呟いた。
もっとも初めから、隠す気があったわけではあるまい。
「――全天式《流火炉心》。その効果は――」
「疑似時間逆行。時間自体を巻き戻すのではなく、周りのモノの状態を一定時間前に戻すことで結果論的に時間が戻ったのと同じ状態にするという魔術」
「……正解」
火星とメロの位置関係を、
受けた傷や吐いた血を、
強制的に元の状態に戻してしまえば、時間が戻ったのと見た目上は変わらない。
メロの魔術は、つまりそういう力技での時間逆行だ。
だが、
「長続きはしねえだろう。そんな魔術、お前の魔力だけじゃ不可能だ。だが空間ごと魔術で偽装したとしても、それは一定のこと。元の時間に戻ってくれば、魔術の効果は切れる」
「……それも正解」
「あと、もう一分くらいってとこか」
そうだ。それは時間そのものを巻き戻したわけではない。
巻き戻ったように見えるというだけ。三分の時間を戻したとするなら、三分立てば再び元の状態に帰ってこなければならない。
傷も、位置も、全て元通りに。
世界に対する偽装が解けたのなら、そこに修正が入るのは決まっている。
「いいのかい、天災。盛大な揺り返しがあると見るが?」
「……獣みたいな奴のクセに、そういうトコだけ察しがよくて嫌だね」
「疑似的にでも時間に干渉してみせたんだ! だが運命は必ず揺り返す――それを覆せない限り、お前が死ぬことは決まったようなもんだぞ!」
時間逆行。当然、それは嘘のものだ。それが可能な存在は三番目以外にいないのだから。
時間を遡ったのではない。ただ遡ったかのように演出しているだけ。
結果論、時間が戻ったかのように見えているというだけの話だった。
いや、正確にはそれすら逆だ。いくらメロでも、位置や傷、魔力まで自分の魔力で誤魔化すことはできない。メロに転移は厳しいし、治癒に至っては不可能だ。そもそもそんな魔力を工面できない。
ならばこの魔術を成立させているのはメロではなく、世界そのものということになる。
元より魔術とは世界を騙すこと――世界を偽装し、法則を書き換え、神秘で現実を彩る技術を言う。その意味で、メロほどそれが巧みな魔術師もいないだろう。
メロは世界を騙している。
時間が戻ったと、世界自体が錯覚しているからこそ周囲の光景が一定時間前まで遡っているのだ。それを行った主体はメロではなく、あくまで世界それ自体。
ゆえに――限界がある。
戻った時間を、世界は再び進んでいく。
そこで定まった運命は確定していた。
火星に、メロが殺されて死ぬという――その運命が。
「とはいえ――もちろん時間稼ぎなんぞしねえ。いや、付き合ってやると言うべきか?」
それでも火星は答えた。応えたのだ。
元の時間に至るのと同じだけの時間が過ぎれば、運命の揺り返しによってメロは死ぬ。それは決まったことだ。時間では運命に抗えない。
ただ逃げ回っていれば勝てる。なるほど、そうかもしれない。
けれど、それは火星にとって負けにも等しい。
魔人たる自分が、この程度の魔術に屈するという意味だ。そんな選択を選んだ時点で、それこそ本当に敗北してしまいかねない。
万全を期すからこそ、ここで勝負を決めたいのは火星も同じだった。
「――ラストダンスと行こうぜ、天災」
「意外とロマンチックなこと言うね、火星」
火星が笑い、
メロが笑う。
あるいはその交歓は、お互い自らの仲間に対してさえ抱いたことのない共感で。
殺意を交わすふたりの間には、おそらくそれ以上の情報がやり取りされていたのだろう。
それこそ来たるべき終わりを――もったいないと思ってしまうほどに。
メロは、両手の剣を地面に落とした。
それが形を変え、ひとつに固まると巨躯の狼じみた炎の獣に変わる。
「行っておいで。――アレは、餌だよ」
「言ってくれるぜ!」
凄絶なまでの狂喜を糧として、火星が獰猛な笑みで応じる。
駆け出した火炎の獣を、獣として迎え撃つ火星。その視線の先で、メロが小さく言葉を発する。
「――全天二十一式――」
牙が。
そのあまりに巨大で鋭すぎる牙が、火星に向かって突き立てられる。
それは――けれど火星には通じなかった。
一度敗れた魔術に対し、対抗手段を作っておかないなど火星にはあり得ない。
そのひとつが今、こうして使っている鎧だった。およそ火の属性を持つ魔術に対し、この鎧は絶対的な優位性を持っている。片腕に噛みついた牙焔の獣は、その炎に逆に焼かれる形で消滅していった。
「――黄の魔術――」
そして、火星は駆け出した。
メロが何をしようとしているのか。興味で言えば見てみたかったが、全力で戦うと決めたからには余分は挟まない。それを為される前に潰すことこそが勝ちのある行為だ。
けれど、その足が一瞬だけ止まった。
「ず、――ぐ……クソ犬が……!?」
体に纏った焔が、一瞬だけ火星に抗ったのだ。
それは一瞬ではあったが、裏を返せば一瞬だけとはいえ火星から魔術の操作権を奪ったに等しい。身体を守るはずの火炎に逆に焼かれ、その進行が刹那だけ止まる。
意志を持つ焔。
それが、自ら同化することで火星を足止めしたらしい。
本当にとんでもない魔術だった。
「天災ィ……!」
もちろん直後には再び自由を取り戻す。
火星は駆けた。
だが、稼ぎ出されたその刹那で、メロには充分だったのだろう。
「――《愚者の反逆》」
そして。
――魔力の支配権が奪われる。
「これは……!?」
それは酷く単純な魔術だ。
その場に存在する魔力の支配権をただ奪う。それだけの効果しか持っていない。
だが――その絶対権限こそが魔人に対する必殺と変わる。
世界から魔力を汲み上げる魔人。だが、その組み上げる魔力の所有権がメロにあるならば、手に入れたところで使えない。無限に等しい魔力を、メロの色に染め上げられた以上、魔人の持つ《限りのない魔力》という絶対的な優位性は崩されたも同然だった。
それは愚かな権力支配を象徴する魔術。
ユゲルをイメージして創り上げた、メロの切り札の内のひとつ。
だからこそ。
「――すげえよ、お前は」
火星の口から零れたのは、素直な賞賛の言葉だった。
魔術の技量で、火星が及ばなかった人間なんてほとんどいなかった。しいて言えば月輪くらいのものか。あるいは七星の《全理学者》にも劣るかもわからない。
だが魔法使いよりは少なくとも上だった。
未来の世界で、彼は紛れもなく最高の魔術師だった。
魔導師に相当すると言われた男だ。
そんな彼をもってしても、こと才能と言う意味でメロに及ぶとは思えない。それがゆえの、これは素直な感嘆と感心の言葉だ。
だからこそ思う。
そんな相手を、打倒し得た事実を誇りに思う。
一歩が、遅かったのだ。
場の魔力の支配権を全て奪われたとしても、まだ火星自身の魔力は残っているのだから。
あるいはほかの魔人たちならば、突然の管理権限強奪に対応できなかった可能性は高いだろう。魔力の出どころが本来の自分なのか、それとも汲み出した魔力かなんてことを、そもそも気にするはずがないからだ。どちらも自分で使える以上は、同じものでしかないということ。
魔術自体が使えなくなっても不思議ではない。
だが火星は違う。巧みに魔術を操り、自己の弱さを弁える火星であるからこそ、それが通じなかったのだ。
メロは詰めを誤った。
支配権を奪うのではなく、それこそ攻撃に賭けるべきだった。そのほうがまだ可能性はあっただろう。最後に稼ぎ出した一瞬の使い方に、メロはここに来て失敗した。
よって火星の選ぶ行動は単純だ。
ただ、最後のとどめをメロに加えるだけ。
これほどの大魔術を起動したメロに、新しく魔術を使う余地なんて残っていない。
火星のほうが確実に速い。
だから、その手を伸ばして火星は魔術を起動した。
その名残を惜しむかのように、彼は小さく、こう呟く。
「――楽しかったぜ、天災」
メロは、答えなかった。
「《終了》」
直後。決着となる一撃が、心臓を貫き、完全に破壊した。
※
「ぐ……が、がは――っ!? っ――!!」
その痛みにメロは噎せ込んだ。
だが、それをなんとか抑え込んでみせる。
この程度の苦痛、いつものように受けている男がいるのだから。それを知る自分が泣き言など言ってはいられないだろう。そんなの、あいつに負けてしまうようなものだ。
だから、もはや力のない体に残された気合いで、相手の顔を見上げてやった。
すぐ目の前には火星。
その心臓は穿たれ、赤い血を流している。
「……ああ、くそ」
火星が呟く。表情を歪め、けれどどこか愉快そうに。
「負けたか……ここまで来て負けるか。ああ、悔しいもんだな、これは……」
「……そりゃそうだよ」
と、メロは答えた。
当然の帰結だと、そう告げるかのように。
「魔人なんかになるからだ。人間であることを辞めちゃ、魔術師なんて終わりでしょう」
「かも、しんねえなあ……ああ!」
心臓を穿たれ即死しない存在など、確かに人間とは呼べないのかもしれない。
だが重要なのはそこじゃない。これは単に意識の問題なのだから。
単なる感情論だった。
「つーか、おい。最期に説明していけよ、天災。なんで、オレぁ負けたんだ?」
「――《流火炉心》は、アンタを倒すためだけに改良した魔術だから」
結果論的時間逆行魔術。
その本質は、けれど外見上を時間を戻してみせることではない。
本来、それは一定の空間そのものを偽装するという大魔術だ。いかなメロでも個人の魔力だけで補うのは難しい。治癒が使えないメロの傷を、どころか仮に相手が傷を負っていたら、それすら治癒してみせなければならないのだから。世界そのものを騙すしか方法はない。
ゆえに、メロは空間の魔力を汲み上げてそれを成立させた。
だがそれは解けると同時に反動があるということだ。
「いくらあたしでも、まともにやってちゃ魔人には勝てないから。相手があんただからこそ、この魔術は必殺になるんだ」
「…………」
「引き分けの術式に介入した。あれも要は世界の偽装の結果でしょう? なら、魔術としての仕組みは似てる」
「……なるほど。お前、俺にこの魔術の反動を引き分けさせたのか」
「アンタの魔力も使わせてもらったってだけだよ。言葉おかしいでしょ、それ」
疑似的とはいえ時間の概念を掠める魔術だ。当然、その反動は迷宮の中ですら大きいものになる。
メロはその責任を、火星ひとりに押しつけたのだ。
無尽蔵といっていい世界の魔力が、狂った現実を修正するために逆流する。それをひとりで受けてしまえば、心臓ひとつ軽く潰れて当たり前と言えるだろう。魔人であるからこそ、世界との接続の窓口としては優秀だったというわけだ。
「その魔力を使って、あたしは最後にあんたの心臓を潰した。修正によって起きた全ての矛盾を清算させるために」
「因果を矛盾させた代償を俺に押しつけたな……一定空間とはいえ時間軸の偽装だ。魔術が終わるということは、その清算を押しつけられるということでもある。ったく、常人の発想じゃねえよ、そんなもん」
簡単に言ってしまえば、それは《使えば自滅するとわかっている魔術》を使った上で、その《自滅という結果だけ相手に押しつける》と言っているに等しい暴挙だった。
死ぬはずだった運命を変えることは、どんな手段をもってしても不可能だ。
だから、メロはその運命を、火星に対して押しつけた。
蠍の心臓。
元よりこれは、ただそのためだけの魔術。それに気づかれないようにするためだけに、メロは戦っていたのだから。
「……誇りなよ」
もちろん、その代償はメロも分け合っている。
死ななかっただけだ。身体についた傷は大きかった。
魔人と戦えば魔術師は死ぬ。
だが強力な魔術師を相手にすれば、魔人とて無傷では済まないだろう。
その結果が、入れ替わった形だということ。
メロが死ぬ運命が決まっている以上――誰かが死なない結果を運命は許さない。
それを、メロは相手に押しつけることに成功したのだ。
メロが死なずとも、火星が死ねば差し引きの計算は揃うことになる。
――ただの一瞬。
それだけを、狙いに定めた格上殺し。
「戦う相手のために、即興魔術師が初めて魔術を準備しておいたんだ。そんなことは、アンタ相手にしてくらいしかやったことがない」
「ああ……なら、つまりお前は――初めから、オレを敵として認めてくれてたってわけか」
「――――…………!」
まるで、それで充分だとばかりに。
火星――クリィト=ペインフォートは静かに微笑んだ。
それから、そんな表情をメロに見せたことを悔やむように背後を振り返ると、小さく言う。
「……こっから先は土産だ。持って帰れ、勝者」
「何、急に?」
「オレは未来人ってヤツだからよ。未来のことを知ってるのさ。お前らは有名だぜ――なにせ世界を滅ぼした元凶だ」
「…………」
「ま、正確には違うんだがな。世界を救えたはずなのに、救わなかった。だから罪人ってことになってるわけさ。ま、そんな歴史はすでに消えたようなもんだが」
懐から、クリィトは煙草を取り出した。
それに火をつけて、すでに潰れた心臓に構わず吸い始める。
「……うめえ」
「もう死ぬんだからさっさと話してくんないかな」
「鬼かテメェ……いや、いいけどな」
後ろを向いたまま軽く肩を竦めるクリィト。
それから続ける。
「ま、そんなわけで七星旅団つったら未来でも有名さ。表向きは英雄だがな。――そのうちのひとりが、時間を超えて会いに来たっつーんだから驚きってなもんよ」
「そのうちのひとり……?」
「アーサー=クリスファウスト。俺の知る歴史じゃ、奴は七星旅団の創設者にして筆頭。七人の中でいちばん有名だったよ――魔法使いだしな」
「……それじゃ八人じゃん」
「いなかったんだよ。――アスタ=プレイアスなんて魔術師は、俺の知る歴史には登場していない」
「……何言ってんの?」
「別に。ま、違いはもうそれだけじゃねえし、こんなもん余談だわな。訪れない未来だ――ああ、こうなってくると、未来で俺が生まれるかどうかも怪しいぜ、まったく」
自嘲するようにクリィトは呟き。
そして、再びメロのほうへと振り返る。
彼は言った。
「――魔人化はさきがけだ。終わりじゃない。日輪の目的はその先にある」
「…………」
「魔人の上だからな。そりゃまあ――言ってみりゃ魔神だな」
「……てことは」
「ああ。日輪の目的はそのもの神になること。単純明快だろ? 実に魔術師らしいことじゃねえの。あいつほど魔術師やってる人間、ほかに見たことねえよ」
「それで……そんなことして、どうする気なの?」
「敏いじゃねえの。嫌になるぜ。だが――んなこと決まってんだろ」
神になる。だが、それは目的ではないはずだ。
それさえ手段だとするのなら。
ならば――その先に見据える日輪の目的とは何か。
「――神になってこの世を支配する。悪の秘密結社の目的は、世界征服と相場が決まってら」
驚くような話ではなかった。
そんなことだろうと、どこかで思っていたのかもしれない。
「もっとも、それが奴にとっての人類救済なんだから。正義の味方のつもりだろうけどな。奴は、今でも」
「……そんなこと、あたしに言ってどうすんの?」
「別に。そりゃお前の自由ってヤツさ。俺が何を言おうと俺の自由であるようにな――ああ」
両手を下げて、天井を仰ぎ見るようにクリィトは視線を移す。
まるで、届かなかったどこかを見上げるように。
「――悪くない人生だった」
そして。
七曜教団幹部《火星》――クリィト=ペインフォートは。
満足のいく戦いを最後に手に入れて、
笑ったまま、立ったまま、その命の灯火を消した。
「……勝ち逃げかよ」
メロは小さく呟き、――そのまま床に倒れ込む。
彼女も限界には変わりなかった。
魔人を倒すということは、彼女にとってさえそれだけのことだ。
いや、彼が正々堂々の戦いに固執しなければ、勝てたかどうかも疑わしい。
本来のふたりには、それだけの格差があったということだ。
そこに。違いがあったとするのなら。
それは人間か魔人かなんて下らない要素ではない。
単に――戦いに賭ける思いの差だったということだろう。
ただ自分の欲求のために力を求めた火星と。
信念を譲り、
準備を整えて、
力の差を認めて、
それでも――自分以外の誰かのために戦ったメロとの。
「……ほら見ろ。勝ったぞ、ばーか……」
そのことに満足して、メロは力なくそう呟いた。
聞く者がいたわけではない。そもそも無意識の言葉だった。
そもそも七曜教団なんて連中は、メロにとって敵ではなかったはずなのだから。
それでも、彼女は火星を自分の敵として認めていた。初めからずっと。
火星のように最強を求めての戦いではなかった。
弱くてもいい。
劣っていても構わない。
それでも、――勝利だけは譲らない。
メロは初めから、その覚悟をきちんと定めていたのだ。
だって、そうだろう。
自分のことなんてどうだっていいと本気で思えた。
火星はアスタの敵なのだから。
アスタは、七星旅団の仲間なのだから。
――ならアスタの敵は、自分の敵に決まっている――。
メロが決めていた覚悟なんて、結局のところそれだけのこと。
自分を一度も捨てなかった火星に、自分を捨てたメロが勝った理由はそれだ。
「……あとで、絶対、いっぱい、恩を着せてやるん、だから……」
たぶん、それは想像できないほど幸せな想像で。
だからその夢だけを見て。
――少しの間だけ、休むことにメロは決めた。
※
かつて問われた、なんのために生きるのかという問いに。
少女は未だ、答えを出せてはいなかった。
けれど、それは単に少女が自覚していないというだけのことでしかなく。
本当のところはわかっている。
見つけて、手に入れたものが確かにあったのだ。
ひとりで生きていた少女を、
受け入れてくれたものがあって。
ならば、それに恩を返したい。
そのために戦いたい。
そう思うことになんの異常があるだろう。
それはとても当たり前のことでしかないのだ。
だって、それは心地がよく、
甘く、
優しく、
溶けるように暖かで、
ともすれば自己を見失いかねない緩やかさがあって、
にもかかわらず刺激的で、
優しさがゆえに厳しく、
何ひとつ思い通りになんてならない。
そのことが――きっと、何よりうれしかったから。
誰も知らない、けれどそれは、ただの当たり前の事実だったのだろう。
求めていたことすら自覚のなかったものを、
きっと――知らないうちに、たくさん、無償で、いつまでも与えてもらっていたから。
だからこれは、単純な、誰も知らない物語。
天災と呼ばれたひとりの少女は、
――ただの幼い、人間の女の子でしかなったというだけのお話。
■おまけ《全天二十一式》解説
・牙焔
疑似人格搭載型攻撃魔術。マイアをイメージして創られている。
それ自体がひとつの攻撃魔術でありながら、同時にメロの意志とは独立した別の個として動く使い魔でもある。
剣やその他の武器として振るうことも可能であり、近接戦闘技術を持たないメロの代わりの、いわば《別の脳》として動いてもくれる。
マイア曰く「武器が強けりゃわたしが弱くてもオッケーじゃね?」的なアレ。
・竜星艦隊
魔弾。メロ最大火力を発揮する《竜の息吹》の限定再現。元ネタはシグ。
貫通性に最大の重きが置かれており、「防御を破壊する」という一種の概念魔術でもある。よって盾や障壁で防ごうとするのは悪手(本来、魔力が同量なら魔弾は障壁に負けるのが魔術理論にもかかわらず)であり、地味に悪辣な初見殺し――だが火星や月輪級の魔術師には余裕で見抜かれる。
基本は七本の極太ビームだが、枝分かれさせて細いグネグネ貫通ビームにしたり、雨のように降らせたり、天から注がせたり、ひとつに纏めたりと意外にバリエーション豊か。
シグさんが「最強の一撃を最大規模で最速で撃てばなんでも倒せる」とか平気で言ったのがいけない。
・愚者の反逆
切り札三つ目。ユゲルイメージの魔術。限定空間内における魔力所有権の完全掌握。
要は空間にある魔力を「これ全部あたしのだから」ということにして、自分以外には使えないようにしてしまうというモノ。アイリスのように、もともと個人が持っている魔力を奪うことはできないため実はあんまり意味ないが、魔人に対しては割とカウンター効果が強い。特にクロノス辺りは、これ使われたらおそらく一方的に負ける(使われる前にブッ飛ばせばワンチャンくらい不利)。
ユゲル曰く「腕力など下らん。権力と財力のほうが役に立つぞ馬鹿めが!」というアレ。
・流火炉心
ただ火星を倒すためだけにメロが開発した、結果論的時間逆行魔術。
タラスでアーサーにやられたアレを、結果論的に再現した。
時間は戻せない。けど、数分前の状態に周りのものの位置とか状態を誤魔化せば、知らない人には時間が巻き戻ったみたいに見えるよね、というドッキリみたいな魔術。
戻せて五分前が限界。しかもそれから五分経つと反動で大ダメージを喰らうので驚異的に無意味。
メロは《愚者の反逆》と合わせて火星の《引き分け術式》を応用することで、反動ダメージを相手と分かち合う+負ける運命を相手に押しつけるという概念魔術として使った。迷宮ないとかでもないと使えないため、ほぼ対火星専用。
元ネタの星は《アンタレス》。赤き火の星であり、《火星と似たもの》という意味を持つ。それが勘違いで《火星に対抗するもの》という意味だと誤解されていた歴史がある。
まあ、そういうこと。
 




