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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第五章 学院都市陥落
219/308

5-22『vsアルベル=ボルドゥック』

「…………」


 ――結局のところ。

 七人は全員、なんのかんの言ったところで、例外なく魔術師であったわけで。

 そして、魔術師である以上は戦って強くないとダメみたいな風潮があって。

 だから話をしたことがなかったわけではないのだ。


 切り出したのは、さて誰だっただろう。意外とキュオ辺りだったような覚えがある。

 あいつアレで意外と喧嘩っ早いところがあるというか、話して駄目なら殴って言い聞かせればいいよね的な、セルエもびっくりの肉体言語トーカー的な向きがあったから。

 まあ、それを言ったら全員そんな感じだった気もするけど。


 ――俺以外は。


 ともかくとして、まあ誰しもがそうであるように、それぞれがそれぞれの戦闘哲学的なものを持っていたことは間違いない。

 たとえば錬金魔術師だった姉貴マイアは、こんな風に言っていた。


『勝つためには、勝てるだけの道具を作っておけばいいんだよ!』


 と。どこまでも無茶苦茶な我が姉君は、魔術師としては実はそんなに強くない。

 俺とどっこいくらいだ。いや、まあ精神的に勝てないんだけど。

 この辺り意外とシビアとでもいうか、抜け目ない姉貴は、道具のほうが人間より強いということを知っていた。自分の能力を超えた機能を、創ったものに持たせるのは人間の進化として当たり前の話ではあったし、現に姉貴はそれが個人でできた。道具というか、ほとんど兵器みたいなものを単身で作り上げるのだから、説得力はあっただろう。真似はできないが。


 一方で、シグなんかは完全に正反対の意見を持っていた。

 姉貴や俺と違って、シグは強い。それはもう、最強などと呼ばれるくらいなのだから、その強さはどう考えても個人という一線を越えてしまっている。


『勝つためには、相手より強ければいい』


 それだけのことを言い切って、説得力があるっていうんだから恐ろしい。

 最大火力を最高速度で放てば終わり。

 それを本当にやってのけてしまっているのだから、野暮な指摘はできるはずもなかった。


 一方で、ユゲルはこんなことを言った。

 単純な戦力で見ればシグに次いだ教授だが、彼は戦いそれ自体を特に好まない。

 むしろ面倒だと思っていただろうし、その意味でいえば、一般的な冒険者といちばん意識が離れていたのだろう。教授にとっての《戦い》は、俺たちとは考え方のステージが違った。

 彼は言う。


『勝つためには、何で競うのかをまず考えろ』


 力には種類がある、と教授は言う。

 腕力で負けているのなら、知力で勝てばいいとか。まあそういう話だ。じゃんけんで言うなら、グーに対してはパーを出すという感じか。まあ当たり前だろう。

 グーを切れるチョキを作ればいい派のマイアや、グーをぶっ壊せるグーをぶつければいい的なシグよりは、少なくとも真っ当なことを言っていたと思う。

 いや、シグの場合、そもそもじゃんけんなどという運任せに持ち込ませないタイプと言ったほうが近いか。彼は言っていた。


 ――オススメの力は権力だ。あれはいい。次点で財力もいいぞ。


 身も蓋もないのだが、教授は両方持っていて、実際上手く使っていた。

 少し残念な感じもするが、ある意味で最強だったのは教授だったのかもしれない。


 セルエはその点、言い方は悪いが、身の程を最も知っていた。

 条件さえ揃えればシグにさえ一方的に競り勝てる強さを持っていたのがセルエである。あれで彼女は魔術と格闘の両面に隙がなく、俺たちが得意分野で競う戦い方をするのとは異なり、相手に合わせて様々な戦法を選ぶことができた。


『勝つためには、相手の弱みを突くことじゃないかな』


 だからセルエは言う。グーに対しパー、に最も近いのは、やっぱりセルエかもしれない。

 彼女は自分の力や戦い方に固執しなかった。貧弱な相手なら殴り飛ばし、強い力のある敵なら魔術を弄する。徒党を組む数の強さを持っていたのもセルエだけだっただろう。

 ひと声かければ、かつての舎弟が集まってくるのだから。

 ……まあ、そのセルエがマイアに弱みを突かれまくっていたのは、笑い話の範疇だろうが。

 強みをぶつけるのではなく弱みにぶつける。

 セルエから教わったその戦い方は、俺にとっても大きな参考になっている。


 参考になったと言えば、キュオの意見もそのひとつだ。


『戦って勝つだけが勝利じゃないよ』


 キュオは言った。勝てないなら戦わなければいいじゃない、と。

 誰より優しかった彼女は、勝利なんてものを目的に置いたことがない。目指すのはいつもその先で、だから勝とうと負けようと、目的さえ遂げられれば過程なんて問わない。

 割と脳筋なほかのみんなとは違って、戦わずに済むのならそれがいちばんだと、キュオはいつも言っていた。


 ――うん。

 怒らせてしまったときは、その限りじゃなかったけれど。


『勝つためには、勝つまで戦えばいいんだ』


 なんて言うメロとは、ほとんど正反対の意見である。

 彼女は勝利に強く固執する。負けたことがないわけじゃない――なんならシグを相手に数えきれないほど負けている――メロだが、けれど彼女は決して諦めない。止まらない。死ぬまで歩みを進め続ける。それがメロの、天災たる所以のひとつだったわけだ。

 勝つまで戦えばいつか勝てる。

 理屈が通っているのか違うのか、微妙なラインだ。いや通っていないと思うけれど、それを通すからメロはメロなのだと言うこともできた。千を越す敗北を重ねたシグを前に、未だに勝つことを諦めていないことからもそれがわかる。一発で諦めた俺とは天地の違いがあった。


 そのせいで、未だに俺との再戦を目論んでいるのには辟易するが。

 間違いで一回勝っちゃったのが運の尽きというか。次やったら絶対に負けることがわかっているため、俺は奴と再戦してやろうと言う気がない。小競り合いは数えきれないほどあったけれど、本当に雌雄を決するような戦いは最初の一回だけだ。このまま勝ち逃げさせてもらう。


 ……その俺の意見?

 そんなものは決まっている。


 自分が勝てないなら、勝てる奴に戦ってもらえばいいんだ。


 ただまあ、これは今は役に立たないので放っておいてほしい。

 いや、思い返したはいいものの、ほかのみんなの考えも今は役に立ちそうにないのだが。


 まあ、以上が七星のメンバーの意識のようなものだ。

 たった一度話しただけの会話だけれど、今も強く記憶に残っている。

 だからだろう。こんなときに、それをも思い出してしまっているのは。


「――なあ、みんな」


 小さく俺は呟いた。聞いている人間があるとすれば、ペンダントの中のキュオの魂くらいだろうが。


「そのどれも選べそうにない場合、いったいどうしたらいいんだろうな……」


 ちかちかと、胸のペンダントがわずかに明滅する。

 放たれる魔力光がキュオの声なら、果たして何を言っているのか。大方、情けない俺に対する文句の類いだろう。

 いや、そう責めないでほしい。

 俺としては、今こうして生きていることのほうが割と奇跡に近い気がするわけで。


「――逃げ足だけは早いな。まったく、僕でも勝てそうにない」


 ふと、そんな声が正面から聞こえてきた。

 つまり見つかったということだ。

 壁に背を預けて息を整えていた俺は、それでも気張って皮肉を飛ばす。


「いやいや。いくらなんでもお前には負ける。いったい何度逃げられたんだったかな、お前には……」

「だから、それもここで終わりだ。今回は決着をつけようというのに、今度はその君が逃げるんじゃ話にならないな」

「逃げるに決まってんだろ……」


 姿を現したひとりの男。

 七曜教団幹部《木星》――アルベル=ボルドゥック。

 時空の歪んだ魔法使いの秘密基地で、俺は奴と戦闘に入った。


 そしてまったく勝てる気がしないので、今は無様に逃げ回っているのである。


 いや。だってあいつの能力、ほとんど反則なんだもの。

 命の危機はここ最近だけで何度も感じているが、毎回その最高値が増している気がするのは気のせいだろうか。たぶん事実だ。ふざけんなマジで。


「くそ……魔人になって、勝てるようになってから襲ってくるとか卑怯だろ、お前」

「それこそ当たり前だと思うが」

「……だろうな。でもお前、これで勝ってもイーブンだからな」

「次があると思っているのか?」


 時間稼ぎにボケてみる俺だったが、全てばっさり切り捨てられるため意味がない。

 広間の端。壁に背を預ける俺の視線の先で、無感動な無表情を晒している枯れ木の男。アルベル。

 真ん中に巨大な長テーブルが設置された、食堂然とした部屋だ。その奥と入口で、俺たちは互いに向き合っている。

 奴が入ってこないのは、余裕のつもりか、魔人としての強さを持ってなお油断していないことの表れか。前者であることを祈るが、奴ならば後者だろう。


「……お前と戦うのは何度目だったかな」

 答えは期待せず、俺は小さく呟いた。

 過去に会っていたことを覗けば、明確に敵対して初めて出会った教団の人間がアルベルということになる。オーステリアで一度、タラスで一度。それ以外は……まあカウントしなくていいだろう。

「三度目の正直ってわけだ」

「三度なものか」俺の呟きにアルベルは首を振る。「ここで何度、君を殺したと思ったことか――そのいずれからも逃げ延びるとはね。その生き汚さにはほとほと呆れるよ。僕よりよほど逃げ隠れが上手い」

「お褒めに与り恐縮だが……力の差は歴然だろ? そろそろ俺もネタ切れだ。どうだ、今なら簡単に殺せんじゃねえの?」

「それで僕が油断するとでも?」

「思ってないけど。言う分にはほら、タダだからな」

「部屋の入口に罠があるとか、どうせそんなことだろう」

「わー。ばれてるぅー」


 印刻ルーンが罠めいた設置式の魔術に向いていることは、アルベルも先刻承知らしい。

 まあ、今さらという話ではあったが。それでも警戒して入った来ない辺り、まだまだ俺に隠し種があるとアルベルは読んでいるらしい。


 結論から言おう。

 ――そんな都合のいいものはない。

 俺が今、アルベルに勝つ方法がまったく思い浮かばない。

 奴の術式はそれくらいの反則だった。思えば、その片鱗はタラスの迷宮でも見せていたわけだが。魔人となって、膨大な魔力を手にしたアルベルは、ついに術式を完成させたらしい。


 逃げて、隠れる。


 奴が何度も言うその言葉の通りの魔術を。

 それが、奴にとっての力の全てだということらしい。


「まあ――何があったところで同じことだが。そろそろ決着を急がせてもらおう」

 アルベルが言い、俺は笑った。

「なんだよ……急ぎの用事か? つれない奴だな、因縁の対決なんだぜ? もう少し楽しんだらどうだ」

 その言葉に、アルベルは強く表情を歪める。

 圧倒的に有利なのは奴なのに、それでも感情を強く乱して。

「――癪に障る」

 とアルベルは呟く。

「ここまで絶望的な状況で、それでも君は一切の絶望を見せない。それが不愉快でならない」

「いや、充分に絶望してんだけど……なんだよ、あれ(丶丶)。反則にも程がある」

「僕は弱い」

「嫌味か」

「七星と比べての話じゃない。魔法使いどころか、教団でも最も戦闘に不向きだった。――それが、ずっと気に喰わなかった」

「…………」

「僕は絶望した。絶望してなお足掻いた。だがどうあっても才能の差は絶対的で、持たざる者が持つ者を打倒するには、外法に手を出すしかなかった。たとえそれが人間としての自分を否定する道でも――それでいい。あの人のお役に立てるのなら、僕は満足だった」

「それが、一番目か」

「あのお方は僕の恩人だ」


 強く、アルベルが俺を睨む。

 そこには言葉以上の強い恨みが、不満が、敵意が込められていた。

 奴は確かに、俺という個人を強く忌み嫌っている。


「あのお方に救われた。だから僕は日輪の輝きに付き従おうと決めたんだ。世界を救おうという、あのお方の理想に共感した。その手伝いができるなら、僕は僕などいらなかった」

「……よくそこまで心酔できるもんだよ。お前くらいじゃないのか、教団でも」

「だから僕は君が気に入らない」

 会話はもはや噛み合っていなかった。

 どこまでも交わらない、永久に距離の変わらぬ平行線。

「僕と同じく、魔法使いに救われた身でありながら。君は魔法使いを否定した。いや、君は自分を肯定したんだ。それがほかならぬ全てへの裏切りであると考えることもなく」

「……お前」

「本当は期待していたんだ。ずっと君を見ていた。君を思っていた。僕と同じ弱さを持っていながら、歩みを止めず足掻く君に。どう足掻いても同じ場所には立てないはずの、選ばれた人間と同じ場所にいようとする姿に――そうだ、僕は憧れさえ抱いていた。だって君は、君だけが、非才の身ながら僕と同じ(丶丶丶丶)魔法使いの弟子(丶丶丶丶丶丶丶)という立場にあったから」

「…………」

「だから君だけは――僕が殺さなければいけない」


 一歩、アルベルが部屋の中に入る。

 状況は最悪のひと言。それでも俺は、諦めることだけはできない。

 ここにはアイリスもいて、俺のことをキュオが見ている。

 だから。


「――足下には気をつけたほうがいい」

 呟いたひと言に、アルベルが一歩目で足を止める。

 小さく溜息をついて、それから言った。

「なんのつもりだい?」

「聞いての通り、忠告だが」

「……君の攻撃は、僕には一切通じない(丶丶丶丶丶丶)のに?」

「どうとでも好きに解釈しろよ。だったら、恐れることなんてないはずだろ?」

 胸元のペンダントを握る。

 頼むぜ、キュオ。

 相変わらず、俺って奴はひとりじゃ何もできねえ凡才だ。

 だから、また俺を手伝ってくれ。


「――確かに。僕はもう、君を恐れる必要はないはずだったね」


 二歩目を、アルベルが踏み締める。

 それと同時に、俺はテーブルの裏に刻んであったルーンを起動した。


「――《(Hagalaz)》!!」


 馬鹿な、という呟きが聞こえていた。

 驚きではなく、それは単に事実を告げただけの言葉。意味のない足掻きに対する、高い視点からの哀れみに近い。


 部屋の中心に、強烈な勢いで風と氷片が舞い踊り始める。

 天災を意味する単独最強格のルーン。

 ハガラズ

 それを、いくら広いとはいえ室内で起動しては、自分すら傷つける諸刃の剣になる。

 相打ち覚悟――だとするなら、確かに間抜けな選択肢だ。なぜなら、


「意味がないと知っているはずだ!」


 命を摘み取る天の禍。その体現たる雹の中を、アルベルはまっすぐ歩いてくる。

 俺の魔術による影響や干渉を、何ひとつ受けることなく平然と。

 まるで、肉体そのものが透けているかのように。普通なら立つこともままならない風の中を歩み、精神を削る寒さをものともせず、肉体を抉る氷片すら当たらない。


 ――これだ……!


 これが今、俺を窮地に落とし込んだアルベルの切り札。

 魔神として開花させた権能。

 物理魔術を問わないあらゆる影響の一切を無効化するという埒外。刃はすり抜け、銃弾は貫通し、魔術の一切が当たりすらしない――攻撃が何ひとつ通じない。

 にもかかわらず、アルベルからの攻撃は俺に当たるのだから馬鹿げていた。


 奴の扱う逃亡と隠蔽の極致。

 逃げ隠れすることだけが能と嘯く男が、その全能を完全に発揮した姿。

 その能力の全容を、ここに来て俺は把握しつつあった。

 言ってみれば、キュオもある意味で似たような状態になっている。それがヒントだった。


 ――世界そのもの(丶丶丶丶丶丶)からの隠蔽逃亡。

 奴は今、この世界に《存在する》状態と《存在しない》状態を、両方同時に保っている。

 受ける影響を取捨選択し、自らは一方的に世界へと影響できるという矛盾。それを成立させる魔術。


 いるけれど(丶丶丶丶丶)いない(丶丶丶)


 隠れるとはそういうことだ。隠れた側は見つけられない――すなわち干渉できない――が、確かにそこにいて世界を見ている。だから、干渉することはできる。

 こちらからは攻撃できないのに向こうからは攻撃し放題とか、クソゲーにも程があった。

 魔術師の傲慢さを、強く反映した魔術らしい魔術だが、その効果は劇的だ。


「《ただあるがままにハイド・アンド・シーク》」


 ゆっくりと歩いてくるアルベルが、俺に言った。

 彼は部屋の中央で立ち止まると、透徹した視線を俺に向ける。

 吹雪の威力で部屋が崩れるみたいにして、床にひびが入っていく。


「世界の外側に隠れた僕を、世界の内側にいる君が捕らえることはできない」


 片鱗は、タラスの迷宮でも見せていた。

 当たるはずだった俺の攻撃を、直前で躱したときのことだ。

 あのときから、術式自体は練ってあったのだろう。ネックとなった魔力量の問題が、魔人となったことで解決され――奴は今、《最強》と言ってもいい能力を手にしている。


「悪足掻きは終わりか? それで、君は後悔してくれているのか?」

「――いや」

 俺は首を振る。

 ああ確かにクソみたいな状況ではある。つーかどうしようもない。どうしろっていうんだ。本気でそう思う。

 だが、どうしようもない程度のことで諦められるのなら、初めから俺はこんなところに立っていないだろう。

「別に《最強》なんて称号に興味はねえけどな――いや、確かにシグは半分もう引退したみたいになってるけど、それでも、お前なんかに継がせたくはねえな」

「なんだと――」

「次は、誰だろうな。メロはまだ早いだろうし、意外とウェリウス辺りがどさくさで持ってくんじゃねえかと俺は踏んでるんだ。いや、俺は知り合いからひとりだけ天才を選べって言われたら、メロでもレヴィでもなくウェリウスを推すね。知ってる? アイツも魔法使いの弟子らしいぜ? まあ、俺らと違ってあいつはマジモンの天才なんだけど」

「――何を」

「俺は天才じゃねえし。とりあえず、やれることから試していくわ。勝つまでやれば、ほら、案外勝てるかもしれないし? 勝てなくても――目的を果たせれば充分だし」

「何を――言って」

「行くぜクソ馬鹿野郎って言ってんだよ!」


 言うなり俺は、荒れ狂う吹雪の中に自ら突っ込んだ(丶丶丶丶丶)

 我ながらとんでもない行為であるため、さすがのアルベルも驚いたらしい。


「馬鹿か君は!」

 アルベルが叫んだ。俺は答える。

「馬鹿はテメエだ!」

 俺は吹雪の中を突っ切り、アルベルに向かって跳び込んだ。

 勢いのままに、優雅さの欠片もないタックルをアルベルにぶちかます。とはいえ当然、それでアルベルに干渉できるわけもない。俺の体は、まるで幽霊か何かと衝突したかのようにアルベルをすり抜け、その向こう側へと飛び出て行った。


「《ハガラズ》は――フェイクか!」

 叫ぶアルベル。だが気づくのが遅い。

 もちろん奴は知っていた。そのルーンが俺にとって切り札のひとつであるということを。何度も使ってきたし、何度も奴はそれを見ていたことだろう。

 ――だから切り札にしない。

 どころか無駄打ちする。

 俺は、《ハガラズ》にほとんど威力を込めなかった。魔力を込めなかったわけではない部分がミソだ。見かけだけ威力を持たせることに魔力を使い、実際には部屋を崩す程度の威力すらない。床のひびは俺が仕込んだもので、攻撃の影響とは関係ない。

 奴が生身ならそれに気づいたかもしれないが、一切の影響を受けない奴は、それゆえに、この吹雪が見かけだけで大した威力がないということに気づかない。魔力自体は込めたため、その量から察することもできなかったわけだ。


「だから言ったろ――足下お留守かテメエは!」


 叫んでさらに魔力を起動。

 王都でのキュオの協力がなかったら、この時点でもう使いすぎて血を吐いてぶっ倒れていただろう。キュオネ様々である。

 ひびが魔術による仕込みだと気づいたのだろう。

 アルベルが一瞬、真下に視線を向ける。いくら影響がなかろうと、床が崩れれば下に落ちるからだ。

 ――ということは少なくとも、奴は《床を踏める》ということは間違いないわけで。

 さて。

 ともかく奴の意識は下に向いた。俺は叫ぶ。


「そら、――床が崩れるぞ!」

「っ――!」


 ひび割れた床が崩れるのを避けるため、アルベルが後方へと飛んだ。

 そして、その頭上に――天井から崩落してきた瓦礫が直撃する。


「――上の階の床が、な」


 俺は煽った。やーいばーかざまあー。

 などという余裕が当然、俺にあるわけもなく。


「頭が回る……!」


 というアルベルの捨て台詞を聞きながら、今度こそ本当に崩れた入口付近の床から、俺は下の階へと降りた。

 というか落ちた。

 むしろ逃げた。

 下の階に着地し、そのまま走り出してとにかく逃げる。

 こんだけ翻弄したところで、奴がノーダメージであることに変わりはない。あの反則術式を破らない限り、今のところ俺に勝ち目はなかった。

 廊下を駆けながら俺は、胸元のペンダントに向かって叫ぶ。


「くそ、あいつマジあり得ねえ! どうする、どうすんだこれ、本当にどうやって勝つ!?」


 世界と接続する。

 世界から隠れる。

 攻撃は通じず、けれど向こうは攻撃し放題。

 だが全ての干渉を弾くわけじゃない。

 床は踏んでいた。だが俺の腕はすり抜けていった。

 考えろ。

 どういう仕組みでどういる理屈でどういう効果でどうすれば破れる。

 それが魔術であることはわかっている。

 ならば。


「キュオ。もしかして――これは」

「――そうか。それでも君は、まだ勝てると思っているわけか」


 無論。

 返答はキュオからのものではない。

 足がもつれた。バランスを崩した俺は、そのまま前のめりに廊下へ倒れ込んでしまう。


「づ――っ!!」


 痛み。それが下半身から来ていることに気づき、視線を向けた。

 果たして。


 左足に、小さな穴が空いていた。


 レーザーで撃ち抜かれたかのように、焼け焦げた空洞が血を流している。それはふくらはぎから脛にかけてを貫通し、そのせいで俺は走ることができなくなったというわけだ。

 痛みを堪え、転がるように俺は仰向けになる。

 とはいえ、背後に立っていた男の姿は、確認する前からわかっていたけれど。


「……っ、追いついてくるの早すぎだろお前、空気読めよ……」

「魔人になって解決したのは、何も魔力量だけじゃないというわけだ」

「――――」

「世界と接続した僕に、距離という概念はない。世界の外側に隠れられるとはそういうことだよ」


 世界を巡る、血管のような魔力の流れ。

 自由に行き来できるのは、いくら魔人でもアルベルくらいだと思いたかった。

 ほとんど空間魔術――転移の域にある技法だ。過程は違っても効果が同じなら意味はない。


「さっきまでは、どこに逃げたかわからないから使えなかったけどね。それさえわかっていれば、追いつくのに苦労はない」

「……、マジかよ。これ言うの何人目かもうわかんねーけど、バケモンかテメエ」

「君には劣る。この期に及んでまだ笑っている精神性は――もう人間のモノだと思いたくないね。君は痛みに強すぎる」

 アルベルがゆっくりと腕を上げた。

 照準は俺。発射された細い光線のような魔弾が、上体を起こした俺の右肩に突き刺さる。

「ぎ、ぁ――ぐ」

「これだ」アルベルは言った。「どんな屈強な兵士でも、痛みを受ければ泣き喚き、死を前にすれば恐怖で竦む。それは訓練で克服できるものじゃないと聞くよ」

「……っ」

「そう考えれば、諦めたときが死ぬときだというのは存外、単なる精神論じゃないのかもしれない。君がこれまで生きてきたのは、どんな痛みにも絶望にも負けず、生きることを決して諦めなかったから――というのはどうだい?」

「どん……だけ、俺を絶望させたいのか知らねーが」俺は言う。「それが正しいなら、俺はまだ死なないらしいな」

「いいや」


 アルベルは小さく首を振る。

 俺は見た。

 下げた視線の先に、赤い色が溢れているのを。


「ご――、ぶ」


 壊れたポンプという表現が浮かんだ。

 陳腐だ。でも近い。

 吹き出す血は致命を表していた。

 血。

 そう、血の赤だった。見慣れたそれは、けれど量があまりに夥しい。

 そりゃそうだ。

 だって、心臓を貫いているのだから。


「――それで?」


 アルベルが言った。

 それを正しく聞き取れた自信はない。

 だから本当は違うことを言ったのかもしれない。

 わからなかった。


「死んでもなお、まだ君は絶望してはくれないのかな――?」

「――あ、あ……」


 朦朧とする意識の中で、俺は言う。


「助、け――」

「……命乞いなど、聞きたくなかったな」


 違う。お前になんぞ言ってない。

 俺は別に、死ぬことなど恐れてはいない。

 元より一度となく死んでいる。先に待っている奴がいて、後を任せた奴がいる。

 何よりこれは、初めから計画通り(丶丶丶丶)の展開だ。

 魔人を相手にした時点で、命くらいとうに賭けている。


 大丈夫。俺の友達には、心臓ぶっ潰されて生き返った奴もいたんだから。前例はある。

 あいつなんか自力で返ってきたんだ。

 協力があって、戻ってこられないわけがない。


「……あと、任……せた」


 だから。

 俺は、生まれて初めての死を経験した。



     ※



 ――仕方ない。わたしが、助けてあげなきゃね――。

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