5-17『フィリー=パラヴァンハイム』
突如現れた謎の魔術師。
いったい何ィリ―=パラヴァンハイムなんだ……。
(ヒント:サブタイトル)
「――これだけは、やるべきじゃなかったんだろうけどねえ」
その声は高みから届いた。
おそらく、それは物理的な意味だけではなく。けれどウェリウスは、ある種の確信とともに空を見上げる。
そのときの感情を言葉にするのは難しい。自分が喜んでいたのか悲しんでいたのか、嬉しく思ったのか悔しかったのか、ウェリウス自身にさえわからなかった。
ただ――こう思ったのだ。
――ああ、まったく仕方のない母親だ、と。
そんなことを思っていたから。
「浸ってんじゃねえ馬鹿!」
「――っ!?」
直後、空から降ってきた童女姿の魔法使いによるドロップキックは、回避することができなかった。
《月輪》とは反対方向に吹き飛ばされるウェリウス。
蹴りをくれた張本人は、その目の前にゆったり降り立つと、呆れたように告げる。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、ここまで馬鹿になるとは思ってなかったよ」
「……いきなり出て来たかと思えばそれですか。変わりませんね」
「会ったばっかだろうが。この短期間で何が変わるっていうんだ、ええ?」
現れたのは童女だ。齢にして十にも満たないだろう。外見に似つかない不遜な口調は、けれどどこか似合っている。
だが、そうでもなければ、誰も彼女の正体には気づかないかもしれない。
「――さーて。ま、やっちまったもんは仕方ねえっちゅーことで」
どこから現れたのかなど、ことさら問う必要はないだろう。
彼女を前に、距離という概念は意味を持たない。その全てが支配下なのだから。
――魔法使い。
世界にただ三人だけ、あらゆる魔術師の頂点に立つ存在。その一角。
空間を支配する超越者。
フィリー=パラヴァンハイム。
中庸を標榜する彼女は、決して教団の為すことに関わらないと宣言していた。
手助けはしないし、かといって邪魔もしない。その結果どうなろうと、それが結末ならば受け入れる。
隠遁した賢者の在り方を崩さなかったフィリーが、ここに来てどうして参戦したのか。
その理由がわからないほどウェリウスは間抜けではなかったし、それがわかるからこそ、問わずにはいられなかった。
「どうして、師匠がここに」
「もうお前の師匠じゃないっつーの」
フィリーは心底から嫌そうな表情を浮かべた。
それも、小さな女の子がやるものだから、どこかかわいらしい雰囲気になってしまうが。
そのことに自分で気づいたのか、フィリーは一瞬だけさらに表情を歪め、けれど諦めたように溜息をつくと、それから言った。
「クソ、童女姿で固定されてるときに出てくるんじゃなかったな。まあ老女姿よりマシだろうが」
アスタが聞いていたら、お前はロボットか何かかと突っ込ん(で、そして攻撃されていたこと)だろう。
外見年齢がころころ変わるフィリー。それが、かつて時間の魔法使いに為されたいたずらだというのだから、いろいろなところがぶっ飛んでいる。
「……はあ。ま、何を言っても言い訳だな。私が出てこないことで、それを条件に出てこない奴もいた――それがわかってたからあえて引っ込んでたんだが。私が出てくるとなれば、それで動き始めるかもしれない。……もうどうでもいいが」
「あの……師匠?」
「だから師匠じゃねーっつに。まあ、なんだ」
フィリーはウェリウスから顔を背けた。
珍しいその様子に、弟子はきょとんと目を見開く。その視線の先で、童女は煩わしそうに頭を掻いて、視線を合わせないままで言った。
「せっかく手塩にかけて育てた弟子が、結果も残さず死ぬのはもったいねーと思っただけだよ。かけた労力が無駄になっちまうだろーが」
「……ご迷惑をおかけしました」
「本当だよ。ったく、この馬鹿息子めが」
フィリーの態度の意味がウェリウスにはわかったが、あえて突っ込むような野暮はしなかった。
いや、単にこれは機嫌を損ねないためだ、とウェリウス自身も言い訳をしていたのかもしれない。いずれにせよそのやり方は、確かに親子のそれだった。
「――っと」
そのときふとフィリーが呟き、軽く視線を動かした。
その結果、何が起こったのかはウェリウスにさえ完全には把握できない。ただ、視線の先で忌々しそうにこちらを見つめる《月輪》を見るに、おそらくは彼女がなんらかの攻撃に出て、それをフィリーに防がれたのだろう。
「つーか、アレで生き残るとはな。お前も難儀な人生を送ってる」
「死んだんだけどね、普通に……生き返っただけだ」
《月輪》は答える。
さきほどフィリーが行った攻撃は、宇宙空間を進む小さな隕石を呼び寄せるという破格の魔術だ。攻撃それ自体には魔力さえない普通の物理攻撃――とはいえ、躱しようのないそれを喰らえば魔術師だろうとなんだろうと死ぬ。
ならば。
「死ぬべきときに死ねない人生なんぞ、難儀と呼ばずになんていうんだよ」
それでも、本人の意志さえ無関係に生き返ってしまう《月輪》もまた、真っ当な人間として生きることは不可能だったのかもしれない。
同情に値するとは思わない。ただウェリウスは思った。彼女自身は死んだことがないとは言っていたが、それでも、生き返るとわかっている命の使い方は、常人のそれとは変わってくる。
「……貴女がいるとなれば、僕ではもうどうすることもできないね。完全に予想外だ」
「あまり下らない、意味のない嘘をつくなよ」
《月輪》の言葉をフィリーは笑い飛ばす。
「別に、嘘をついたつもりはありませんが」
「そうかな。お前だけは、私が出てくる可能性を考えていたと思うが。でなけりゃ、ここまでの結界なんぞ張るまいて――ったく、見事なもんだ。こりゃ私でも入るには骨が折れる」
フィリーにしてみれば、それは最大級の賛辞だっただろう。
空間の魔法使いを前に空間を隔離する。そんな結界を作ることがどれほどの無理難題か、わからない魔術師などいない。
「これは皮肉じゃない。魔術の技量だけなら、認めてやる――私より遥か格上だよ、お前。まったくアイツも、どこでこんなのを見つけてきたんだが」
「だとしても、実際に向き合った以上はどうしようもない。どうします? ここで僕を殺しますか」
「いやお前、昼間は死なねーんだろ。じゃあ殺せねーじゃねーか」
「貴女なら昼ではない空間くらい創れるでしょうに」
「あまり侮るなよ、後輩」
後輩、と。フィリーはノートをそう呼んだ。
「言っただろう。私が意志を曲げて出てくるのは今回限りだ。やっぱり何もしやしないし、私には何もできないよ。――するべきでもない」
「いいえ、先輩――僕はまだ貴女を買い被っていた。魔術師が意志を譲るなんて、そんなことはあってはならないんだ」
「ならどうする? お前こそ、ここで私を殺さなくていいのか」
「不可能なことを言わないでいただきたいな……魔術で貴女を殺せるわけがない」
ウェリウスにもそれは同感だった。強い弱いとか勝ち負けの問題ではなく、《月輪》ではフィリーを殺せない。というより、そんなことをできる人間がこの世にふたりしかいない。
フィリー=パラヴァンハイムは空間の魔法使いだ。
そして、あらゆる魔術は、どれほど異常に見えたところで、三次元的な《位置》に必ず縛られる。だからウェリウスはレンの力を借りて、魔力を見ることで《月輪》に対抗した。どんな魔術も魔力の存在する位置以外に神秘を発揮できない。
畢竟――フィリーに魔術は通じない。
その特異性は、攻撃力ではなく何より防御性能にあるとウェリウスは思っていた。彼女の空間支配を超えて魔力を当てられる人間など、ウェリウスの知る限り、時間を超越して攻撃できる人間と、運命を改変して攻撃できる人間のふたりだけだ。
「――ここは引きます。さようなら、はじまりの魔女」
言うなり《月輪》の隣に、唐突に《水星》が現れるのをウェリウスは見た。
当然、フィリーはそれを知っていただろう。だが彼女はふたりに対し何もしなかった。ほかの全員も何もできない。
ただ黙って、《水星》が《月輪》を連れて消え去るのを見送るだけだ。
その直後、街を覆っていた結界が揺らぐ。
ユゲルによる結界の破壊が、どうやら完了したらしい。予定よりだいぶ早かった。あるいは《月輪》のほうが、自ら結界を解いたのかもしれないが。
いずれにせよ、これで街に入るウェリウスたちを抑えるものは残っていない。
――オーステリア外周の戦い、決着。
※
「結界の解除は完了した。これで中に入れるだろう」
《月輪》と《水星》が撤退したことで、ウェリウスたちを集めてユゲルが言った。
フィリーだけは、少し離れたところで干渉しないように黙っている。ユゲルもそれに対しては、特に何を言うでもなかった。
「まあ、とはいえ問題はむしろここからだ。悪い考えだが――結界を解いたところで、趨勢には何も影響しない。向こうだっていつまでもオーステリアを隔離しておけるとまでは考えていなかっただろう。こんなものは時間稼ぎで、俺たちはそれとわかっていて付き合う以外になかった。後手に回っていることは事実だ」
「だからこそ、急いで行かなければなりません」
受けてピトスが答える。ユゲルも首肯した。
彼らがなぜ、オーステリアという街を占拠したのか。問題はその点に終始する。
「フェオ、お前は俺と一緒に来い」
突然に指名されて、フェオは盛大に狼狽えた。
「え――ええ? 私……ですか?」
「ほかに役に立つ奴がいないんだから仕方ないだろうが。ピトス、お前はウェリウスを見ていろ。そいつは完全に魔力切れだ」
「俺は?」
と問うたレンに、これまたあっさりユゲルは答える。
「お前は好きにしていろ。これ以上、付き合う理由もないだろう」
「……まあ、そうさせてもらう。足手纏いだろうしな」
頷いて答えたレンは、すでに眼帯を元に戻している。
実際、対《月輪》戦においてウェリウスが勝てたのはレンがいたからだ。その貢献が少なくなかったことは誰もが認める点だろう。
とはいえレンの魔眼が、そう酷使できるものでないこともわかる。でなければわざわざ封印用の眼帯などつけてはいないだろう。
ウェリウスは消費が激しい。少なくとも丸一日程度は休まない限り魔力は戻るまい。
ピトスは治癒魔術師としてそこについていたほうがいいだろう。街の内部の様子次第では彼女の能力が求められることになる。
「――で、どうします。どこに向かいますか?」
訊ねたピトスに、ユゲルはあっさりと、当たり前とばかりに答えた。
「オーステリア学院に決まっているだろう」
※
街に向かっていく面々を、フィリーはその場で見送った。
彼女が街の中に入るわけにはいかない。運命への干渉は同時に、相手側からの干渉をも許すことになるのだと、彼女は誰よりよく知っていた。
それを言うのなら、そもそも彼女はこの場に出てくるべきでさえなかったのだ。
彼女が出てきてしまったのは、単に息子の――ウェリウスの命を救うため。それだけだ。
「……老いた、というべきなのかね。これは」
呟くフィリー。その独り言に、答える声はない。
本来なら、そのはずだった。
「いや。むしろ若返ったと言ってもいいんじゃないのかな」
けれど現実。答えは背後からあった。
フィリーは驚かない。振り向くことさえしない。
彼女にとって向く先など大した問題ではないのだから。
「――まあ、来るとは思ってたよ」
「久し振りだね、フィリー。いつ以来だったか」
「今のお前に会ったことがあったか、それも覚えてないくらいだけどね、私は」
「酷いな。昔は仲よくしていたと思ったんだけど」
「どの口が言う」
そこでようやく、フィリーは振り返った。
その男の姿を正面から捉え、ゆえに彼が変わっていないのだと彼女は知る。
「正直、君が出てくるとは考えていなかったんだけれど。最後の日まで、君はずっと独りでいると思っていた」
男が言う。その言葉をフィリーは鼻で笑った。
「ま、だろうね。アンタにはわからないだろうさ」
「酷いな」
「アンタは人の考えが読めても、感情なんて露ほどもわからない。世界を救うその前から、アンタはずっとそうだった。だから今、そんな様を晒しているんじゃないか」
「……かもしれないね」
疲れたように溜息を漏らす男。
それを見て、確認をするようにフィリーは問う。
「――止まる気はないんだね?」
「止める気もないんだろう」
「てっきり、これを機に殺しに来たんだと思ったけれど」
「そのつもりだったけどね――なんだろう。君の顔を見たらその気がなくなった。どうせ、意味がないことなのは変わりない。これが感情っていうやつなのかな」
「お前のそれは単なる癇癪だ」
「子ども扱いか。いつかとは立場が逆だよ、まったく」
「――世界はお前の玩具箱じゃない」
「そうだよ。これが玩具箱なら、きっともう少し楽しかったはずなのに」
「何もなくなった場所に立つことに意味があるのか」
「なくなりはしないさ」
「お前になんの権利がある」
「権利ならあるさ。そう、僕だけがそれを持っているんだよ。そうだろう、フィリー」
なぜなら、と。
彼は笑顔で、彼女に語った。
「僕だけがただひとり、世界を救った人間なんだ。ほら――そんな僕が世界を滅ぼしたとしても、そのいったい何が悪い?」
かつて憧れた、救世の英雄の変貌に。
少女は、静かに目を伏せることしかできなかった。
最近ちょくちょく活動報告を更新しております。
セブスタにも触れておりますので、是非お読みくださいませー。




