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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第五章 学院都市陥落
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5-14『指宿錬』

 はっきり言って、彼らを表現するときに《異常》以外の語彙など見つけられない。

 少なくとも地球人――指宿錬はそう思う。彼は自分が地球にいた頃、どちらかと言えば《異常》の側に分類されることには自覚的だった。だが、どう考えたってここまで(丶丶丶丶)じゃない。

 所詮は一介の珈琲屋に過ぎないレンから見た異界の魔術師は、その全員が例外なくバケモノにしか見えなかった。そこに向ける感情を選ぶなら、恐怖以外の何が浮かぶだろう。それを隠し、普通に振る舞えるのは、単に彼がそういう性格だったからというだけ。恐怖は確かに感じていたし、だから隔たりを、自ら意図的に作ってもいた。


「…………」


 もっとも。そんな抵抗(丶丶)に意味がないことは、さすがに学習せねばならなかった。あるいは、諦めが悪かっただけとも言えるだろうか。

 単一の個体でありながら、同時に群体として自己を成立させる魔術師――《水星》。

 バケモノだ。どう見たって怪物だ。だが彼が何より恐ろしいと思うのは、そんな小手先の魔術でもたらされた光景や結果ではない。自己の同一性を軽視どころか完全に無視し、増殖という異常に耐えているその精神性だった。

 まして今し方現れた人物は――それを上回るほど怪物的な気配をその身に纏わせている。

 この世界は、個人の力にあまりに差がありすぎた。


 敵だけじゃない。味方だってそうだ。むしろ認識の問題を語るなら、レンは今、自分を守るために駆け回っている人間たちを味方だと考えたことはない。敵ではないというだけに過ぎない。


 生来の色とは違う紅髪をたなびかせながら、雷速とも見紛う勢いで戦場を駆ける吸血種の末裔も。

 超人的な身体能力と戦場観察力を駆使し、その身ひとつで全体のフォローに回る治癒魔術師の少女も。

 その背後で、瞑目したまま魔力を練り上げている、明らかにひとつレベルの違う元素魔術師も。

 無論、すぐ横で理論さえ理解できない結界の解除を続けている、伝説と呼ばれた魔術師集団一の魔術の使い手も。

 その技術や能力ではなく、レンにはその精神がわからない。

 だって、レンは仮に自分に同じ能力があったとしても、同じように戦場に立てるとはまったく思えないのだ。


 それは劣等感ではない。レンは戦闘能力などまったく欲していない。こんな怪物が相手でなければ最低限、自らの身を守れる程度の能力ならむしろ持っている。

 だからといって、それを振るえるかどうかはまったく別の問題だと考えているだけで。

 だってそうだろう。武器を手渡されたからといって、それを喜んで振り回せる人間なんて頭がいかれている。その力が確実に誰かを傷つけるとわかっていて、抵抗なく使える人間は、誰しもどこかが壊れていると思うべきだ。

 殺したいほど憎い相手でも。手に持ったナイフを、その心臓に突き立てることができるかどうかは別の問題だ。仮に復讐心が倫理観の抵抗を上回ったとするのなら、それはその時点で、その人間が壊れたことの証明でしかない。

 きっと、それが違いなのだ。

 力を身に着けられることを才能と呼ぶのなら、それを振るえる意志を指して天命というべきだ。

 それはひとつ間違えば、身に触れるあらゆるものを傷つける害悪となる。どれほど強い意志であろうと、それが腐り落ちないなどと決めつけることは誰にもできない。


 ――だから、力を振るえるモノを指して悪人と呼び。

 それを倒す者を、きっと英雄と呼ぶのだろう。


「どうすんだよ、アレ」

「どうしようもないだろう」

 小さく呟いたレンに、答えたのはユゲルだった。《月輪》が現れてなお、彼はまったく動かない。

「あの三人では、どう足掻いてもノートには敵うまい。三人揃って引き分けることができれば奇跡……その程度か」

「……なあ、ユゲルさん。アンタいったい、どこまでわかってるんだ?」

 近く遠い戦場を眺めながら、レンは小声で男に問うた。

 全理学者――大層な二つ名を持った魔術師は、視線さえ寄越さず端的に訊ね返す。

「悪い問いだな。頭のいいお前に、そんな要領を得ない質問をされたところで、空気を呼んだ気遣いはできんぞ」

「性格……っつか意地が悪いな、アンタ。意外と」

「よく言われる」

「――まるで、物語みたいだと思うんだよ」

 そう呟いたレンは、まるで空を仰ぐように視線の行く先を上に向ける。

 ユゲルはやはりそちらを見ない。ただわかっていた。レンがその空の先に、ここではないどこかを見ているのだということを。

「地球に大した未練はないんだ」レンは言う。「いや……そう言い切るのも欺瞞って気はするけど。でも俺は、そうなってしまったものなら受け入れられる。どうしようもないことなら、それをどうするかを考えるより、そこでどうするかを考えるべきだ。そうだろ?」

 帰る方法を模索するのではなく、そこで生きていく方法を探す。

 そうして見つけた答えが、レンにとってあの喫茶店だったということなのだろう。

「異世界転移……っつーんだっけか、こういうの。ま、だからって物語の主人公みたいに、戦いの場に出向いてやる必要ないわな。喫茶店の店主くらいが、性に合ってると思ったわけだ」

「それはお前が賢く、そしてその賢さが出した答えに従えるだけの強さがあるからだ。もっとも往々にして、強く賢い人間は、総じて不幸だと相場は決まっているが。それでもお前は、幸せを見出せる側の人間だろう」

「アンタにそこまで買ってもらってる意味が割とわかんねーんだけど、俺……」

 苦笑するレンだった。実際、そう長い付き合いがあるわけでもない、というかほとんど初対面みたいなこの男に、そうまで持ち上げられるのは割と意味不明だ。

 別に悪い気はしないが。そういう問題でもないだろう。なんなら《わかったようなことを言うな》と怒ってもいいくらいに思えるが、目の前の男の場合、きっと本当にわかっているのだろう。

「そう考えると、アンタに賢いなんて言われるのは、むしろ嫌味みたいに思えてくるぜ」

「俺は一般に世辞は言わんぞ。言わなくてもいいことならよく言うが」

「マジでよく言うよ、アンタ……」

 ユゲル=ティラコニアは恐ろしくぶれない。それもまた英雄の資質なのかもしれない、とレンは思った。


「――ここから先は独り言だ」

 レンは言う。それにユゲルが答えを返さなかったのは、つまり独り言だからだろう。

 こういうときばかり、嫌に空気を読む男だ。辟易するぜ、と内心でぼやきながらレンは言葉を作る。

「この世界がひとつの物語なら、その主人公はきっとあの煙草屋――アスタなんだろう」

「…………」

「かといって別に、奴のために用意されたわけじゃないだろうが。この世界には、初めから《七曜教団》とかいう奴らを排除するための仕組みが準備されていたように思えてならないんだよ、俺は」

 いわば、彼らは敵役だ。倒されるべき悪。

 ならばそれに匹敵する善として登場人物が必要とされる。

「あまりに都合がよすぎる。この状況だってそうだ。アイツらがいて、アンタがいて、俺がいて――そのどれかひとつでも欠けようものなら、もう成立なんてしない。だから俺は、あの煙草屋と距離を置きたかったんだよな」

「…………」

「どちらが先かはわからない。たぶん、敵の成立だと思う。ただ世界を滅ぼしかねない奴らがいて、それをまあ、世界そのものでも運命とやらでも、神様とかでもいい。そいつらが止めようとした。だから、それを阻止することのできる駒を配置した。それが俺らで――その最も重要なピースがあの男だった。異世界からわざわざ呼ばれるほどな」

「異世界から呼ばれたというのなら」そこで、初めてユゲルが返答を作った。「お前だってそうなんだろう」

「俺が来たのはアイツのあとだ。たぶん、俺はあいつに足りない能力を埋めるために呼ばれたんだ。アイツのせいで俺は異世界なんぞに送り込まれたと言ってもいい」

「足りない能力、ね。むしろあの馬鹿に足りているモノを探すほうが難しいと思うが」

「――俺は魔術師だった」レンは、ユゲルの言葉に答えない。「地球にも魔術師はいる(丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶)――だが少なくとも煙草屋は違った。だからアイツには、決定的に魔術の知識が欠けていた」

「それを、だからこの世界で学んだんだろう」

「それじゃあ、だから足りなかったんだろ。お前は知らないだろうが、この世界は、あまりに地球に似すぎている。最初はそれこそ未来の地球だった、みたいなオチを想像したけどな……まあ、それは違う。異世界であることに変わりはない。だが似ている。偶然じゃ済まないレベルだ。――でもまあ、それはそれでいいんだ。だからどうしたって話だしな。あんま関係ねえ」


 考えてもわからないことは考えなくていい。それがレンの方法論だから。


「俺は、地球人の視点から、この世界の魔術を読み解ける、たぶん世界でただひとりの人間だ。それをアスタに与えるためだけに、俺はこの世界に呼ばれた――そう思ってる。もちろん、現実にそうなのかはわかんねえよ。んなもん調べる方法ねえし。神様がやったっつーなら、そうですかとしか答えようがねえ。ただまあ、結果論としてそうなったって話だ」

 少なくともレンは、同じ地球出身の人間をアスタ以外に知らない。アスタもそうだろう。

 ほかに存在するかもしれない、ということはわかる。ただ少なくともこのふたりが、オーステリアで出会うなんて奇跡を偶然で済ませていいものだろうか。いや、済ませるほかないことはわかっている。ただ、レンにはそう思えないというだけだ。

「――それで?」

 ユゲルは訊ねた。だからどうした、そう問うている。

 だからレンはこう答える。

「別に? だからどうこうって話じゃねえ」

「そうか」

「それならそれでよかったんだ。運命ってのが本当に世界だの神様だの、そういうどうしようもねえもんに縛られてるんならな。俺はそれを受け入れることができたと思う」

「……本当に敏いな、貴様は」

 それがユゲルなりの称賛であることに、果たしてレンは気がついただろうか。

 どちらと取れる反応もせず、ただレンは小声で語る。

「ただ俺は――あの煙草屋にまったく共感できねえんだよ」

 そのときレンが零した笑みには、どこか自嘲らしき色があった。

 そのことに、もちろんユゲルは言及しない。ただ黙って言葉を聞くだけだ。

「だってそうだろ。アイツ、どう考えたっておかしいだろ。魔術も知らねえただの異世界人のガキが、今じゃ伝説の魔術師と呼ばれて、世界の命運をかけて戦ってる――アホか。普通は無理なんだよ、そんなこと。誰にもできることじゃない。少なくとも俺には絶対にできない。能力のあるなしの問題じゃなく、そんな役目を背負わされても逃げるだけだ。立ち向かったら死ぬだけだ。――でも、アイツにはできる。実際できてしまった。これまでは」

 それがどれほど異常なことなのか、アスタ本人はまるでわかっていない。

 どんなに強い能力があっても、それだけで英雄になれる人間なんていないのだ。まるで物語の主人公のように、正解だけを引き続けられる人間は酷く限られる。それを英雄の資質と呼ぶ。

「だから俺は、アイツを避けたいんだと思ってたんだよ。関わったら面倒ごとになるのはわかってた。そんなことに巻き込まれたくなかったし――何より、アイツのせいで(丶丶丶丶丶丶)俺が苦労してるんだ、なんて情けない逆恨みはしたくなかったんだ。そんなん俺のキャラじゃねえしな。アイツのせいじゃないってことくらいわかってる」

「……賢く、そして強い選択だ」

「ああ。そう思ってたよ、自分でもな。――でもさ、ユゲルさん。俺、やっぱそんな賢くねえし、強くねえんだ。俺だって人間だ。魔術師だろうと異能者だろうと、それでも普通に現代の日本っつーとこで生きてた人間だよ。切った張ったなんざ縁遠かったし、関わりたくなかった。それだけの人間だ。――そのはずだった」


 それだけ言うと。レンは一歩をユゲルから離れた。

 ユゲルは何も言わない。引き留めようとなんてしなかった。


「――意地が悪いぜ、アンタ、やっぱ。何が『丸一日はかかる』だよ。お前の力が必要だ、だよ――大嘘も甚だしいじゃねえか、嘘つきめ」

「嘘は言ってないさ」ユゲルは悪びれない。「普通に俺ひとりでやったら一日かかった。そうならないための取っかかりとして、お前の力が必要だったことも事実だ」

「あ、そ。じゃあそういうことにしといてやるよ」

「――結局、今のはなんの話だったんだ?」

「単なる想像……いや、妄想かな。仮定の話だよ。ただの仮定だ」

「仮定の話、ね」

 ユゲルは小さく溜息をつく。

 そして、そこで初めてレンへと視線を投げた。

「――それで? お前はどうする」

「その仮定を、本当だということにする」

「……行くのか」

「本当、馬鹿な話だけどな」

 レンはがしがしと頭を掻いた。これから自分がやろうとしていることが、ほとんど自殺に等しいことは、誰より彼が理解している。

 こればかりは、きっとユゲルにさえわからないだろう。たとえそう仕向けたのが彼だったとしても。


「――結界の解除。あとどのくらいでできる」

「正確な約束はできない」だが、とユゲルは続けた。「邪魔がなければ、あと四半刻程度で終わるだろう」

「三十分か。妥当なところだ――それで、このまま何もせず事態を解決できる可能性は?」

「俺の見立てでは、まあ、ゼロだろうな」

「だろうな。わかった、なら、それは俺がどうにかする」

「――なぜだ」


 その問いはきっと、本当に珍しいものだ。

 この賢人に、わからないことなんてきっとほとんどない。何かを誰かに問うことなんて、だから滅多にあり得ないのだ。

 そのあり得ないを、自分が作りだせたことにレンは小さく微笑んだ。だから、満足感とともに答える。


「言ったろ。俺はアイツを嫌いたくないから、距離を取ろうと思ってた、って」

「…………」

「それは半分が本心で、でも半分はきっと間違ってた。――俺は、アイツに同情したくなかった。共感したくなかっただけなんだよ」

「……そうか」

「そうだ。俺は、俺だけが不幸だとでも思ってたかったのかね。さすがにそれはねえか――でもまあ、幸不幸なんて他人が決めつけることじゃねえけど、それでもアイツ、まあ普通に不幸だろ。運がないにもほどがある。そりゃちょっと、俺でも、思うところくらいあるわな」

「同郷のよしみか?」

「そんなんじゃねえよ。あんな奴、別に友達でもなんでもねえし。せっかく異世界転移なんてレアな体験してんだ、ちょっとくらい楽しまないと損だろ?」

 苦笑が止まらない。ああ、本当に自分は馬鹿なことをしようとしている。レンの笑みはずっと自嘲だ。

 ――だが。それでも、気分はあまり悪くない。

 要するに自分は、アスタに感情移入してしまうのが嫌だった。もし情が湧けば、たとえそれが厄介なことだと理解していても、関わってしまう可能性があるから。

 馬鹿な話だ。そう考えている時点で、きっと自分はすでにそうなっている――そんなことにも気づかずいた。


「ただまあ、なんだ。この街にはモカとか、ノキとか。ウチの店員も閉じ込められてる。アイツらを守ってやるのは店主である俺の仕事だし――あとまあ、そうだな」


 怖い。異世界の魔術師なんて怪物は全て恐ろしい。

 取るに足らない自分の力が、この世界で通用するとは思えない。

 それでも。


「――常連客の注文オーダーだ。少しくらい、融通利かせてやってもバチは当たんねえさ。

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