1-20『後日談/再び始まるプロローグ』
オーステリア迷宮での事件から数日が経った頃、俺はレヴィから呼び出されて酒場に出向いていた。
つい先日も、ふたりで立ち寄ったあの店だ。もはや行きつけとなりつつある。
たいていの場合、自分の金で呑む酒より、誰かから奢ってもらうほうが美味いものだが。
ともあれ、今日のところはまだ飲酒する気分になれないでいる。
まだ午前中だというのもあるし、何よりこのあと、もうひとつ約束もあるのだ。
迷宮区にほど近いこの店は、午前中から暇な冒険者で溢れている。
あの事件以来、オーステリア迷宮は立ち入り禁止の命令が管理局から下されていた。二体の合成獣を一度に殺した――つまり迷宮中の魔物を一度に殺した――ことの反動で魔力のバランスが崩れ、一時的に魔物の数が増えてしまったのだ。
結果、オーステリア迷宮での冒険活動が一時的に禁じられてしまい、仕事にあぶれた冒険者たちが現れてしまったのだ。
オーステリアを根城にする冒険者はおよ千名弱で、そのうちオーステリア迷宮を主な活動場所とするパーティは百名そこそこだという。彼らは普段は訪れない少し遠方の迷宮まで出向く以外には、こうして酒場で管を巻くくらいしかやることがなくなってしまったらしい。
そんな人波においても、レヴィはやはり目立つ客だった。彼女の亜麻色の長髪は、むさくるしい野郎が多い客層の中で明らかに浮いているからだ。
俺はいつかのように、何も言わずに彼女の対面へと座る。レヴィはなぜか苦笑を零し、とりあえずのように店員を呼んだ。
いくつかの食事と、それから水を注文する。酒の代わりに飲むものとなると、この手の店にはせいぜい檸檬水くらいのものだった。スライスした檸檬を投げ込んだだけの井戸水に金を払うのも癪なのだが、たまには酒を断ってもいいだろう。
一方、レヴィは赤の葡萄酒を注文していた。この国の人間にとっては葡萄酒など水に等しいという。その感覚は正直、理解できなかったのだが、かつてまだ地球にいた頃、父が晩酌に徳利を傾けながら『銘酒は水だ』と嘯いていたのと、感覚的には似たようなものだろうか。
――地球に残した家族や友人と会うことは、おそらくもう一生ないだろうけれど。
その手の感傷に浸るには、俺はもはや、この世界に慣れすぎていた。
「――とりあえず、お疲れ様」
レヴィが杯を傾けてくる。俺は水で乾杯に応じて、
「お疲れ。昨日、みんなと打ち上げやったんだろ。どうだった?」
みんなとはもちろん、迷宮で組んだパーティのことだ。
どこぞの料理屋で宴会し、酒を酌み交わしたらしい。
「もちろん楽しかったわよ? お酒って結局、社交の道具よね」
「そんな考えは酒に失礼だ。もっと純粋に酒を楽しめ」
「だから、楽しかったって言ったじゃない」
苦笑するレヴィ。葡萄酒をひとくち喉に流すと、
「アンタも来ればよかったのに」
そんな風に小さく呟いた。
彼女の言う通り、実は打ち上げの宴会には俺も誘われていた。
だが俺はあくまで外部の人間だ、ということで遠慮しておいた。あの冒険は彼ら四人に課せられた試験だったのであって、俺はその手伝いに過ぎなかったのだから。
実際には目標を遥か超えて、なんだかとんでもない事態になってしまったわけだが。
本来の目的はあくまで、今度の大会におけるシードの権利を得ることだった。
「……ま、いろいろと忙しかったからな」
言い訳じみた口調になったが、これは事実である。
なにせこの数日、俺は事件の後始末に忙殺されていたのだから。
今から思い返してみれば、むしろ迷宮から生還したあとのほうが大変だったという気がする。
少なくとも、忙しさという部分に限って言えば。
※
――あの日。合成獣を倒し、黒幕の一味らしき男と接触したあと。
俺たちは全速力で迷宮を逆走した。地図で罠を回避し、ときには地図にない抜け道まで使っての迷宮内マラソンだ。速度だけで言えば、歴史上でも最速だったんじゃないかとさえ思う。
まあ無論のこと、そこにはタネがあるのだが。
実際、迷宮からの脱出にはほとんど苦労しなかった。正味三十分もかからなかったと思う。
魔物が一体も現れなかったからだ。
迷宮全体の魔力バランスが確実に崩れているため、瘴気の度合いが不安定になっていた。
それでも、その不調が現実に影響を持ち始めるまでには少しの猶予がある。進行への障害がほぼ完全にゼロだったからこそ、俺たちはただ走り抜けることができたのだ。
もちろんあの枯れ草色の男や、いるはずのその仲間からの奇襲を警戒しないではなかったが、奴らとて現状の迷宮に長く留まることを選ぶのはリスクが高いはずだ。
あの男の言葉を信じるのなら、俺たち個人に対し因縁があるというわけでもないようだし。所詮は学生である俺たちにかかずらうことを選ぶよりは、早々に逃げることを選択したようだ。
迷宮の入口を外に出る。
途端、眩いばかりの光に目が眩んだ。外はまだ明るい。
考えてもみれば、俺たちが迷宮に入ってからまだ四時間も経っていないのだ。
「――アスタ!」
と、外に出た瞬間、不意に前方から名前を呼ばれた。
先頭を走っていた俺は立ち止まる。
止まり切れず背中にぶつかってきたピトスが「むぎゅっ!?」などと呻いていた。
背中がめちゃくちゃ痛かった。
が、意図的に無視して前方に声をかける。
「セルエか。――連絡は、ちゃんと届いてたみたいだな」
「みんないるね……よかった、びっくりしたよ、もう」
そう呟いて、ほっと胸を撫で下ろすセルエ。その橙色の短髪の上には、
「――?」
何もわかっていない様子の使い魔――クロちゃんが、ちょこんと大人しく座っていた。
小さな腕に魔晶を抱え、いわゆる体育座りに似た形で、団子みたいにセルエの頭の上へ腰かけているクロちゃん。
言っちゃなんだが、相当シュールな絵面である。
「昔の暗号まで使って呼ぶから、いったい何かと思ったけど……とりあえず、無事でよかったよ」
そう言って笑うセルエ。彼女とは昔、同じ冒険者パーティに所属していた。
そのときに使っていた暗号をクロちゃんに持たせたのだが、どうやら上手いこと伝わってくれたみたいだ。
「それで、何があったの?」
「俺たちも正直よくわかってないんだが――そうだな、管理局も交えて話したい。都合つけられるか?」
「……あまり、愉快なお話じゃなさそうだね」
明るく優しい教師の表情を変え、すっと目を細くするセルエ。
学生は滅多に見ることがないだろう、それは冒険者としての彼女の顔だ。
俺は首肯を返す。
「そうだな。レヴィも、できれば学院長に話通したい。俺たちが言うより、学院長の顔を借りたほうが当局にも通りがいいだろ」
「そうね。それじゃあ、私から連絡しておくわ」
「頼む。でもまあ、まずは戻ろう」
セルエと一緒に転移陣を踏んで、局の本部まで戻る。
それからセルエを通じて窓口に話をつけてもらい、レヴィには学長を呼び出してもらった。
コトの顛末を報告する。
学生だけならともかく、セルエや学院長から告げてもらえれば管理局の動きも迅速だった。
すぐさま調査の魔術師隊が結成され、オーステリア迷宮はその日のうちに一時封鎖されることとなった。
※
「あのあと、セルエと一緒に調査部隊のほうに回されてな」
運ばれてきた食事を掻き込みながら俺は言う。
長いこと冒険者なんて仕事をやってきたせいで、今ではもう意識していないと「味わって食事をする」ということができなくなってしまっているのだ。
長期間を迷宮で過ごすことが多いため、運び込める食料には限りがあるし、当然ながら悠長に食事していられる時間もない。美味くもない携帯用の糧食を、水と一緒に数十秒で流し込む――迷宮での食事なんて多くがその程度だったため、今ではそちらが自然になっていた。
せめて地上にいるときくらい、美味しい料理をゆっくりと味わいたいものだが。
「実は割と迷宮に潜りっぱだったんだよ」
肩を竦めて言った俺に、レヴィは呆れてこめかみを押さえた。
「見ないと思ってたら、裏でそんなことしてたのか……」
「まあ、お前は表のほうで働いてたわけだし。お互い様だろ」
俺は言う。レヴィもまた《ガードナー》としての役割を果たしていたのだから。
だからこそ、忙しくて行けなかった、なんて言い訳も通用しそうにないが。
「まあ、情報なんてほとんど集まらなかったんだけどね」
レヴィは視線を落として言う。もちろん、枯れ草色のローブの男の話である。
結局、奴は手がかりさえほとんど残さずに逃げ切ったのだ。
「あの日、迷宮に入ってた魔術師の名簿は確認したんだろ?」
「うん。全員、身元は確認した。結果は全部シロね。管理局も、まさか受付を通さずに迷宮へ侵入されるとは思ってなかったらしくて、ようやく重い腰上げそうよ」
「ま、転移なんて術式使われちゃあ仕方ないわな」
本人が転移できるのなら、わざわざ局を通らなくても迷宮に入れる。前提が崩れるということだ。
そりゃ曲がりなりにも《管理》を謳う局が見過ごせるわけがない。王の威信にも関わってくる事態だ。
「一応、近隣の冒険者を軒並み当たってるけど……まあ望み薄ね」
「身元はともかく、奴らの目的は何か掴めないのか?」
「それもまったく不明。現状、被害というほどの被害も出てないから、これ以上のところは難しいかもしれないわね」
俺には充分に被害が出ているのだが。
まあ、そういう話ではない。
「ったく、厄介ごとだけ残していかれたもんだよ……」
「言っとくけど、報酬なんて出ないわよ?」
「初めから求めてねえよ。つーかセルエが関わってんだ、俺だけ嫌とか言えなかっただけ」
「……セルエ=マテノ先生、か」
ぽつり、と。なんらかの意思を込めてレヴィは呟く。
「できれば一回、戦ってるところを見たいのよね」
「……まあ、少なくともこの街には、セルエ以上の冒険者はいないだろうな」
俺は小さく呟いた。
彼女は本来なら、学院で教師などしているわけがない身分の持ち主なのだから。実力を隠している、と言うのならウェリウスはまず俺ではなくセルエを糾弾するべきだろう。
まあ正直、普通の教師ではセルエと比べ物にならないのも仕方がないだろう。
学院の教師は、その大半が一線を退いた老齢の魔術師か、もしくは若手なら初めから研究畑に属している魔術師だ。彼女のように、今もなお現役の冒険者が就く職業では本来ない。
――まして冒険者と比較してさえ、最強の領域にいる魔術師が学院にいるなど。
知られていたら、そもそも満足に働くことさえできないのかもしれなかった。
「セルエ先生とアスタが戦ったらどっちが強いわけ?」
唐突に、レヴィがそんなことを訊ねてきた。
意外というか、俗っぽくて彼女らしくない問いだ。まあ興味本位なのだろう。
俺は自嘲するように笑ってから答えた。
「セルエに決まってるだろ。比較にもならない」
「それは、アンタの《呪い》がなくても?」
「……妙なこと訊くな。言っとくけど、セルエはマジで強いぞ? あの合成獣くらいなら、たぶん一秒で沈める」
ワンパンだ、ワンパン。俺如きぶっちゃけお話にもならない。
今回の調査のときも、彼女は現れる魔物全てを一撃で殴り倒して三十層まで降り切ったのだ。俺なんてもはや後ろをただついて行っただけである。
彼女がいなければ、調査には軽く数倍の時間を費やしたことだろう。
セルエはあれでかなり好戦的な性格だ。本気で戦っているときの彼女を初めて見たとき、俺の感想が『誰だ、こいつ』だったくらいの二面性を持っている。
レヴィと違って、別に猫を被っているわけじゃないのだが。
セルエの場合は両面が本性だ。どちらがどうとかいうわけじゃない。
「食い下がれるだろうけど、たぶんレヴィ、正面から戦ったらお前でも勝てないぜ」
もしかして対抗意識でもあるのか、などと考えながら俺は言った。
レヴィもまた年齢を考えればあり得ないレベルで完成された実力を持っているが、さすがにセルエ相手では荷が勝ちすぎるだろう。
両者とも同じ近接タイプの魔術師ゆえに、経験の差でセルエに軍配が上がると思われる。
もっとも才能で言えば同格だろう。数年以内には、おそらくレヴィはセルエに並ぶ。
――本当に、魔術師の世界は才能に左右されるものなのだ。
「じゃあちなみに、前のパーティでふたりは何番目に強かったの?」
なぜかさらにレヴィは訊ねてくる。どうしたのだろうか。
なんだか、彼女の様子が少し変だという気がする。
そんなことは一概に言えないし、そもそも誰が強いとか弱いとか、そういった瑣末をいちいち気にする性格では絶対にない。
「どうしたレヴィ。まさか、その程度で酔ったなんて言わないだろうな」
「どうかしらね」レヴィは微笑を湛えた。「いいから教えなさいよ」
「……ま、いちばん弱かったのは俺だ。これは満場一致だと思う」
「セルエ先生は?」
「どうだろうな。正直、誰が勝ってもおかしくない。強さなんて一定の基準ねえし、相性もあるからな。あ、俺以外は、だけど……そうだな、事前準備なしで一対一の近距離戦って条件なら、二番か三番くらいじゃないか。まあ、なんでもアリアリなら逆に下のほうに行きそうだけど、セルエは」
「一位にはなれないんだ?」
「一位だけは決まってたからな」
こと戦闘に限れば。
俺たちのパーティで、最強だけは常に揺るがなかった。実際に戦えばわからないが、それでも、七星の誰に訊いても、最強だけは同じ名前を挙げるだろう。
……今、あの男はどこで何をしているのやら。少し気になった。
まあ大方、どこかでふらっと戦っているのだろうが。
「ふぅん……なるほど。ま、だいたい一緒か」
と、俺の言葉にレヴィはそんな言葉を呟くように漏らした
「何が?」
意味がわからず訊き返す俺に、彼女は苦笑して言う。
「質問の答えが。……この質問ね、前にセルエ先生にもしたことあるのよ」
「……それで?」
「いやほら、そのとき私、あんたのこと知ったばっかりの頃だったから。いろいろあって」
「ああ。お前あのとき荒れてたもんな」
レヴィと初めて会ったのも、このオーステリア迷宮でのことだった。
もちろん同じ学院生だし、それ以前にも顔を見たことくらいはあっただろうが、正確に互いを認識し始めたのはそのときである。
あの頃のレヴィは、今より少し余裕に欠けていた。
「うるさい掘り返すな」
きっと睨みつけてくるレヴィに、諸手を挙げて降参を示す。
そのポーズに彼女は失笑して、「まあ仕方ないけど」と言葉を続ける。
「あの頃は必死だったから」
「年寄りみてえなこと言うな、お前」
「まだ若いっつの」
「さいで」
「……はあ。アンタと話してると、ほんとに調子狂うわ。なんの話だっけ?」
頭痛を押さえるようなポーズでレヴィは言う。
俺からしても、この女には常に驚かされてばかりなのだが。
いいとこおあいこだと思う。
「誰が強いか、みたいな話をセルエとしたって聞いたな」
「あー、それそれ。まあ、アンタがどれくらい強かったのか、みたいな話を聞きたかったわけ」
「そりゃ残念だったな」
「そうね。先生も、『一対一での決闘ならアスタはいちばん弱い』って」
「そうだろうな」
まあ、今さら特に傷つきもしない。それで腐るようなら冒険者などやっていないからだ。
だがそこで話は終わりじゃなかった。レヴィは苦笑して言葉を続ける。
「だから私はこう訊いたわけ。――『それなら、どんな条件ならアスタがいちばん強いですか』って」
「……どんな条件でも弱い奴は弱いと思うが。ちなみに、セルエはなんて?」
レヴィは、少し楽しそうに笑ってこう言った。
「『もし仮に全員で殺し合いをすれば、最後に生き残るのはアスタくんです』――だってさ」
※
「などと言われたのですが、これ褒め言葉じゃないよね?」
と、俺は本人に直接、文句を告げた。もちろんそのために出向いたわけじゃなく、初めから会う予定だったのだが。
ちょうどいいというか、まあ渡りに船なのでついでに文句を言う。
「ええー……? でも本当のことでしょ?」
セルエが唇を尖らせて言う。教師というには威厳のない姿だった。
まあ、年齢もほとんど離れていないのだから、そんなものだとは思うが。
「お陰でレヴィに笑われたよ。褒めるなら、もう少し格好よく持ち上げてくれ」
「いや……それはちょっと、難しいっていうか」
「どいつもこいつも。俺相手なら何言ってもいいと思ってないか?」
俺はそう、部屋の床を眺めながらぼやいた。レヴィと酒場で別れてから、およそ一時間くらいが経過している。
――今いるのは、学院にある教職員用の研究室のひとつだった。
セルエに与えれたこの部屋を、彼女は研究室というより、もっぱら私室として生活用に改造していた。
学院の教室ひとつを、自分の部屋にしてしまうとは。なんとも贅沢な話だと思う。
「まあいいや。それで、渡したいものってのは?」
セルエに問う。彼女に呼び出されたのは、何か渡すものがあるからという理由だったわけだ。
「もしかして調べ物の結果が出たとか?」
訊ねると、しかしセルエは首を横へと振った。
「ごめん、それはまだ。っていうか魔法使いの情報なんて、そう簡単に集まらないって」
そう言って苦笑するセルエだった。まったく頭が上がらない。迷惑のかけ通しだ。
彼女には、魔法使いアーサー=クリスファウストの血縁関係に関する調査を依頼した。これで顔の広い彼女のことだから、きっとどこからか情報を集めてくれるだろう。
無論、シャルロット=セイエルの申告を受けてのことである。別に問題ないとは思うが、何か引っかかりを感じるのだ。
ちなみに、シャルのこと自体は、セルエに伏せてある。
迷ったのだが、なんとなく言わないでおこうと思ったのだ。
彼女にはただ『理由は聞かずに魔法使いのことを調べてほしい』とだけ伝えてあった。
それで請け負ってくれるのだから、本当にありがたい話である。
「本当は、マイア先輩に訊ければ楽なんですけど」
セルエはそう言って笑ったが、俺は顔を暗くして首を振る。
「絶対に嫌だ。何があっても義姉さんには気づかれないようにしてくれ」
「って言われちゃったら仕方ないですね」
「いや……うん、ごめん」
でもこれだけは譲れない。
確かに、義姉にして姉弟子たるあの女に訊ねれば、何かを知っている可能性は高い。
だが俺は学院に所属している期間中は、極力あの女と関わりたくないのだ。
なにせ我が親愛なるお義姉さまは、どんな平凡なことでさえ、とんでもない厄介ごとに変えてしまうという能力を持っているのだから。
絶対ロクなことにならないのが目に見えている。
「んで、渡したいものってのは――これ」
と、セルエが俺に小さな封筒をひとつ手渡した。中に手紙が入っているらしい。
差出人の名前はない。どころか宛名さえない真っ白な便箋だった。
俺はセルエに向けて訊ねる。
「……誰からだ?」
「んー……ま、空ければわかるよ。あ、でもここでは空けないでね?」
「なんでまた……」
「たぶん、驚くと思うから」
「…………」
なぜだろう。不吉な予感しか感じない。
思わず身震いしながらも、俺は便箋をローブにしまった。
「えっと、話はこれだけか?」
「んー……。えっと。実はもうひとつ手紙があってね」
セルエは机の上に置かれていた、俺に渡したものとは別の便箋を手に取った。
ひと目でわかるのは、そちらの便箋には魔術的な処理が施されているということだ。
特定の人間でなければ開けないという封印の術式。
それだけで、俺にはその手紙の差出人がわかっていた。
「……義姉さんから?」
「そう、マイア先輩から。今回の件と、ちょうど入れ違いになる形で手紙が来てたんだ」
「そっか。……で、なんて言ってた?」
訊ねると、彼女は困ったような表情になって。
それでも言った。
「――近いうちに、《七星旅団》を再結集する、って」
――俺は。俺は、何も答えない。
確かにそれは、普通の手紙で送れる内容じゃないだろう。
どこの誰とも知られていない、伝説となった冒険者の集団、七星旅団。
そのうちのひとりが、俺の目の前にいるセルエ当人だなんてことは――確かに世間に知られれば大きなニュースとなることだろう。
セルエ=マテノ。七星旅団の五番目。
その彼女に、旅団の頭領から召集がかけられたのだ。
――マイア=プレイアス。
七星旅団の一番目から。
「アスタは、どうするの?」
セルエに問われる。
俺は肩を竦めて、
「どうするも何もないだろう。別に、俺が呼ばれたわけじゃない」
「それは、アスタがマイア先輩に連絡先を教えてないから」
「教えてても同じだよ。今の俺じゃ、足手纏いにしかならない」
元から足手纏いだったのに。ましてそこから、さらに力をなくした俺が。
今さら旅団に戻れるものか。
「話がそれだけなら、もう行くけど――」
「――七星旅団の六番目は!」
セルエが叫んだ。
俺は、立ち止まることなく扉を開ける。
「ずっと、アスタの番号でしょ……?」
「それを言うなら……っ!」
思わず激しかけ、それが八つ当たり以外の何物でもないことを悟ってやめる。
弁えろ。俺はセルエに何かを言える立場じゃない。
結局それ以上は何も答えずに、俺は部屋をあとにした。
※
部屋を出ると、窓の外が暗くなっていた。
どうやらオーステリアの街に、久々の雨が降るらしい。早いところ帰らないと濡れてしまう。
それでも、どうしてか急ぐ気にはなれなくて。
俺は煙草を取り出すと、燐寸を使って火をつける。
ひと息、紫煙を肺に溜め込み、気取るようにして空へと吐き出す。立ち上る煙は灰色の空に溶け込んで、すぐに見えなくなっていた。
その光景に、なんとなく、俺は火葬場を思い出す。
「……そうか。再結集するのか、旅団。ったくあの姉貴も、今度は何を考えてるやら……」
とはいえ、そこに俺の居場所はない。
かつて俺がいた《七星旅団》は、もう二度と存在しないのだ。
ほかならぬ、この俺が壊してしまったのだから。
「――――…………」
六番目が俺だけだと言うのなら。
四番目だって、彼女だけの数字だった。
だからこそ俺には資格がない。
七星を壊した俺に、許される言葉なんて存在しない。
そう、俺はいつだって最後まで生き残る。
誰もが言う通り、どこまでも生き汚い男だから。
たとえ仲間を犠牲にしても。
――四番目の彼女を殺してでも。
それでも俺は生き残る。
そんな俺が、今さらどの面を下げて旅団に戻れるというのだろう。
「――そういえば」
立ち上る煙を見ながら、ふと俺は地球の文化を思い出していた。
この世界には、線香の文化はなかったな――と。




