5-07『世界最悪の罪』
ひと月近く更新を空けて申し訳ありません。
ゆっくりとですが再開していきます。
「……完っ全に想定してなかったんだよなあ」
「なに……を?」
「いや。食料問題っていうかなんていうか」
頭を抱えた。まさか、こんなどうでもいいことで躓くとは考えていなかった。
冷静に考えれば、考えておかなければならないことだったのだが。身体を揺らしたその勢いで、胸元に提げたネックレスの鎖が、ちゃらりと乾いた音を立てる。まるで呆れを示しているみたいに。
「どし……たの、アスタ?」
縦に首を動かした俺と違い、目の前では横に首を傾げるアイリスの姿。
王都を発ってから一日。まだ目的らしい目的など何も果たしていないというのに、すでに詰みかけているというのだから笑えない。
いやまあ、別にそう大した問題があるわけではないのだが。
話の骨子は単純で、要は食事だ。ほとんど手ぶらで旅立ったのは、それくらいどうとでもなると考えていた――というか何も考えていなかった――からなのだが、実際、俺ひとりならどうとでもなる事案だ。
問題はアイリスだ。
俺ひとりなら、粗末な携帯食料でも、その辺の野草でも好きに食べる。しかしアイリスにそんな粗末な食事をさせるというのはいかがなものだろうか。
だってほら成長期だし。お転婆でも健やかに育ってほしいみたいな気持ちがあるし。ぜんぜんお転婆ではないけれど。
「…………」
過保護だろうか。いや実際、過敏になってしまっている自覚はある。
アイリスが長くは生きられないことを、俺は教授――ユゲル=ティラコニアから告げられている。
その見立てに疑う余地などない。教授の間違いを期待するのは無理筋だろう。教団によってあらゆる過去を奪われたアイリスが、今もなおこうして生きていることのほうが奇跡的なのだ。俺が知らないだけで、彼女のように教団の実験材料として扱われ、その命を落とした人間が何人いたかさえわからない。
本当に。今この場で倒れたとしても、おかしくない身体なのだ。
――わかってはいる。
アイリスは、食事が多少粗末になった程度で文句は言わない。
そんな、言ってしまえばどうでもいいようなことさえ気になってしまうのは、アイリスの残り少ない命を、せめて幸せな思い出で埋めてあげたいと思う俺のエゴだ。そして、そう考えてしまうということ自体が、どこかでアイリスが死んでしまう未来を受け入れているからにほかならない。
そんなことを考えてしまう自分が、殴り飛ばしたくなるほど嫌だったけれども。
「……詮のないことだ。なんでもない、そろそろ行こう」
「わかっ……た」
こくり、と頷くアイリス。俺は笑顔を作って立ち上がる。
正午を過ぎて、日も傾き始めている。体力的には強いアイリスといっしょならば、この分だと日が沈む前には目的地に着けるだろう。王都近くの広い平原を、俺とアイリスは徒歩で進んでいる。
背後から刺さるアイリスの視線に気がつきながら、何も言わずに歩き始めた。
この旅の大きな目的のひとつ。
それは、存在するかもわからない《アイリスを救う方法》を見つけることだ。
※
結局、予定からは少し遅れて目的地に到着した。完全に夜になってしまっている。
そこは広い荒野の真ん中。街道から少し外れた先の場所。取り立てて変わった目印もない、せいぜい細い木が一本だけ生えているという程度の場所だ。仮に行商人や旅人が通りかかったところで、気にも留めることはないだろう。
けれど、俺が目指していたのはまさにこの場所だった。
「――ここ、は?」
こてん、と可愛らしく首を傾げたアイリスに、頷いて返事をする。
「見てればわかるさ。ちょっと待ってて」
「ん」
相変わらず素直な義妹に思わず微笑しながら、俺は地面に手をついた。
土を指でなぞり、文字を刻んでいく。知らなければ察することもできないだろうそれは、この場所に存在する、いわば《秘密基地》の入口を開けるための暗号に近かった。
それほどに完璧な隠蔽だ。空間ではなく時間によって隔絶されたその場所を、見つけられる魔術師など存在するまい。仮に見つけることができたとして、入り方を知らなければ入れない。それは完全な隔離空間だ。
直後、起動された魔術によって《道》が開かれる。
薄く漏れ出す光。まるで地面が鳴動するかのように軋んで、目の前に入口を現していく。
「わ……!!」
薄く驚きの声をアイリスが漏らした。感情表現の希薄なこの少女には珍しい表情。
とはいえ、本職の魔術師でもそう滅多には見られない光景だ。このくらい驚いてくれなければ、秘密にしていた甲斐がない。表情変化に乏しくても、アイリスは決して無感動な人形ではないのだから。
やがて、俺たちの目の前に姿を現したのは、荘厳な屋敷だった。
そう、屋敷だ。
荒野の真ん中に建つ、周囲の光景からは明らかに浮いて出た巨大な建造物。貴族の邸宅のように広く豪奢だが、決して悪趣味にはならない程度の配慮がなされた一軒の屋敷。三階建てのその場所は、いずれ未来、この場所に建つことになるもの。時間の魔法使いが接続した、未来に位置する隠れ家である。
――ビンゴだ。
この場所は、きっと教団の連中に知られていないと思っていた。俺でも入れるよう、設定されたパスコードがルーンのままになっていたのも、おそらくアーサーの仕込みだろう。
アーサーが使っていたねぐらは、その大半がすでに教団の手に落ちている、と思われる。けれど奴なら、ひとつは必ず隠しきると信じていた。奴は本来なら、教団と――というより一番目の魔法使いと敵対していたはずだから。
「いくら連中でも、まさか現在の時間軸に存在しない隠れ家なんて捜し出せないだろうしな」
たとえその場所に気がついたとしても、だ。
アーサーが言わなければ問題ない。方法まで考慮に至ったとしても、《時間》の領域には絶対に手が出せない。というよりあのクソジジイは、ここまで計算してやっていたのだろう。
ただ、俺が何も知らなかったというだけで。
もはや知らないでは済まされないことを、調べるために俺は来た。オーステリアの窮地さえ無視して、わざわざ時間を使ったのはそれが理由だ。
「ここ……は?」
首を傾げるアイリスは、どこか目がきらきら輝いているみたいだった。
秘密基地なんてものに憧れるのは男子くらいだと思っていたが、幻想的なその光景はどうやらアイリスの心も掴んだらしい。確かに、何もない荒野に突如として現れる豪邸――なんて、なかなか見られないものだろう。
まあ、浮いていることは浮いているのだが。それはともかくとして。
「――アイリスは、なぜ時間の魔法使いが《世界最悪の犯罪者》と呼ばれるようになったか知ってるか?」
「知ら……ない」
「ま、そりゃそうか。それはな、《時間》の魔術がアーサーにしか使えないから――というより、時間の魔術をほかの誰も使えないように奴がしてしまったから、というべきかな」
魔法使いとは尊称だ。
彼らは魔法使いと呼ばれるが、魔法が使えるわけではない。魔法なんてものはこの世に存在しない――というよりも、存在しないもののことを魔法と呼ぶ。
それでも彼らが魔法使いと呼ばれるのは、扱うその魔術が彼らにしか使えないものだからだ。
《運命》、《空間》、そして《時間》。この三種の号を冠する魔術を、完全に扱えるのはそれぞれの魔法使いのみ。ほかの魔術師が逆立ちしたところで扱えないその魔術を、当たり前のように為すから魔法使いと呼ばれている。
ここまではいいだろう。
だが、それにはまだ続きがある。
すなわち。逆を言えば。
もし同じ魔術を扱える人間がこの世に存在するのなら、彼らは魔法使いとしての資格を失ってしまう。
ひとりしかいないから。その価値が、代替不可能な奇跡としての稀少性を持っているからこその魔法使いなのだ。
その人数が二より上になったその時点で、奇跡は稀少性を失い技術に成り下がる。その意味で、魔法使いの使う魔術はエウララリア王女や珈琲屋、そしてアイリスのような異能者の能力に近いとも言えよう。
自己自身者。超越者。
未だかつて誰も到達したことのない場所に立つ者。
ゆえの魔法使い。
場所の遠さは関係ない。どれほど近い場所にあろうと、その場所に立つ者がひとりしかいないということのほうが重要な要素なのだ。だから、たとえ本人が存命で、その能力に一切の衰えがなかろうと、同じ魔術を習得した者が現れた時点で魔法使いはただの魔術師に成り下がる。努力が結んだ成果だろうと、才能が生み出した恩恵だろうと、到達の方法は一切問われない。ただ《為せる》。必要なのはそれだけだ。
だから、魔法使いになろうと思うのなら方法は単純だ。
自らの魔術で《喪失魔術》を現代に再現すればいい。
――これらの前提が、アーサー=クリスファウストを犯罪者に変えた。
いや、正確に言えば奴は別に法を犯したわけではない。法則を、魔術師としての理を奴は犯したのだ。
その罪状こそが、《時間魔術の専有》。
運命干渉や空間干渉は、確かにそれぞれ一番目と二番目しか使えない魔術である。だが別に、ほかの人間に使える可能性がないとまでは言わない。彼や彼女に匹敵する魔術の才能を持つ者がもし生まれれば、あるいは一番目や二番目が魔法使いの座から引きずり落される可能性はある。
アーサーは、その可能性を完全に消し去った。
彼の使う時間干渉魔術は、アーサー=クリスファウスト以外には絶対に使えない。才能や技術の問題ではなく、その権利を奴は奪い取り、自らだけのものに限定したのだ。
だからそう、奴は厳密な意味での犯罪者ではない。だって、そんなことを規制する法律は存在しない。そんなことが可能であるということ自体、奴がいなければわからなかった。そして今も、奴がどんな手段をもってこの世界から時間魔術を消し、自らだけの異能に変えたのかは一切わからない。
けれど、それが為されたことだけは間違いなかった。
それまでに存在した時間に関係する文字列が、世界の記述から全て喪われてしまった以上は。
あらゆる魔術師にとって、それは赦すことのできない罪だ。
理屈ではない。もし理屈で語るなら、アーサーがそんなことをしなくとも、時間干渉に至る魔術師など数百年単位で存在しなかっただろう。本当に出てこないかもしれない。
だが、可能性が希薄なことと、完全にゼロにされるのでは意味がまったく異なってくる。
そもそもの話、あらゆる魔術師の最終目標は《全能》――神に至ることなのだから。それこそ不可能だと、およそあらゆる魔術師が理解していたとしても。魔術というものの存在意義が、本来的に《不可能をなくす》ことである以上、全ての魔術師の最終目標は変わらない。
だが奴が、アーサー=クリスファウストがそれを変えた。不可能をなくすための魔術に、その定義の上に、不可能を作り出してしまった。
理論上は不可能のない魔術の上に、《時間に干渉することはできない》という前提を生み出してしまったのだ。
ただひとり、奴本人を除けば。
あのクソジジイが、《史上最悪の犯罪者》と呼ばれているのはそれが理由だ。
奴は、遍く全ての魔術師の夢を、価値を、目標を――粉々に破壊してしまったに等しい。
届かないことがわかっていながら、それでも目指していた遥かな頂。そこへ続く道を奴が破壊したのだ。
ヒトは、神にはなれない。
そんな当たり前を、アーサー=クリスファウストは、全ての魔術師へと突きつけた。
「――行こうか。早くしないと、この建物、すぐこの時間軸から消えるから」
そんなような内容を、俺は噛み砕いてアイリスに教えた。
アイリスは魔術師ではないけれど、多少の知識ならば持っている。理解力も悪くないし、だから俺の説明をおおむね理解したようではあった。
もっとも、そんな話をアイリスにする意味があったかと問われれば怪しい――というより別にないのだが。
これは単純に、俺が誰かに話しておきたかったというだけのことでしかない。誰でも知っていることではあるが、誰でも知っていることだからこそ、誰かに説明する機会なんてそうそう訪れない。
「ん。わかった」
そう頷いたアイリスは、あるいはなぜ俺がそんな話をしたのか、わかってくれているのかもしれない。
要するに、頭の整理をしたかったというだけ。俺は考えを纏めるとき、同時に口も動かすタイプだ。そのことはメロやキュオたちなら知っているし、だから俺が考え出すと話し相手になってくれる。最近ならレヴィやピトスもそうか。オーステリアやタラスの迷宮に潜ったとき、思えばそうやってくれた気がする。
それも懐かしい気がしてきた。割と最近のことなのに、ずっと昔のことのような印象がある。
アイリスもまた、何を言わずともそれを察してくれているのだろう。
――ああ。俺は本当に、周りの人間に恵まれた。それがどんなに幸せなことなのか、今の俺にはよくわかる。
だから俺は、そうして貰ったものを、今度は周りに返さないといけない。そうすることが、ピトスやキュオネとの約束であるように俺は思う。
とりあえずはアイリスに。
続いてきっとシャルにも。
ひとつずつ、ゆっくりでも、伝えられるものがあればいいと思った。
「――死なせたくねえなあ、みんな」
「アスタ……?」
「ん。がんばろうって、そういう意味だよ」
小首を傾げたアイリスは、さすがにこの言葉の意味はわからなかったのかもしれない。
けれどそれでも、彼女は頷いて、小さな握り拳を作ると俺に見せて言う。
「ん。わたし、も……がん、ばる」
「……ありがとな」
それから俺たちは、魔法使いの秘密基地へと足を踏み入れていった。
※恒例の茶番
アスタ「ところでアイリス、好きな食べ物は?」
アイリス「……ん。わかんない、けど」
アスタ「けど?」
アイリス「ピトス……の、ごはん、とか、おいしい……よ?」
アスタ「わかったピトスと結婚してくる」
アイリス「そういうことばっかり言ってるから痛い目を見るんだよ」
アスタ「!?!?!?」
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