5-06『それぞれの戦場』
目覚めた瞬間に暴れなかった自分を、心の底から褒めてやりたい。
そう、メロ=メテオヴェルヌは考えていた。少なくともかつての自分なら、感情に任せて周囲のものを破壊するくらいはしたという気がする。そんな自覚を認識できるくらいには冷静な自分に、むしろ驚くくらいだった。
「ここは……」
「気がついたかい」
寝かされていた寝台から飛び降り、呟いたところで、都合のいい返答が耳に届く。
その方向に目をやれば、どこかで見覚えのある気がするひとりの女性の姿。寝台の脇にある小さな椅子に腰を下ろして、メロに視線を向けている。
「――ごめん。見覚えある気はするんだけど、名前なんだっけ?」
「ミュリエル=タウンゼント。オーステリア学院、学生会の会長だよ。魔競祭以来、かな」
「そっか。どうも」
メロは首肯して言う。
正直なところを答えれば、名前を言われてもピンと来たわけではなかった。ただ学生会の会長、という立場さえわかっていれば、ほかのことはひとまずいいと判断しただけである。
ということはつまり、ここはオーステリア学院の中、ということになるのだろう。
「……エレ兄があたしを連れてきたの?」
すっと視線を細めてメロは問う。それだけで、心の弱いものなら震え上がってしまいかねない威圧感を醸し出す天災ではあったが、さすがにミュリエルは堂々としたものだった。
「ああ。今、この街がどうなっているかは把握できていると考えても?」
「そう訊くってことは、何も好転してないってことかな。結界で封鎖されてるんでしょ、七曜教団の連中に」
「それで正しいよ。街の中は魔物だらけ。数か所に避難所を設けて、なんとか一般人を避難させることはできたが、逆を言えば籠城する以外には何もできていない」
「……あたし、どのくらい気絶してた?」
「運ばれてくる前のことはわからないけれど、運ばれてきてからは四半刻も経ってないよ」
「ありがと」
首や腕の関節を回しつつ、メロは簡単に礼を告げる。
見たところ、どこにも負傷はない。シグウェルが上手くやったということだろう。
「…………」
思うところがないではなかった。
気を失う寸前、目の前でシグが片腕を失うところは目の当たりにしている。あのレベルの怪我を治癒できる魔術師が学院にいるとは思えなかった。この街で最高の治癒魔術師であるピトスは今、オーステリアにはいないのだから。
つまり、シグは今も左腕を千切り飛ばされたままである。
「エレ兄がどこ行ったか知ってる?」
「場所までは」ミュリエルは首を横に振った。「君を連れて来るなり、怪我をしたままでどこかに消えていった」
「……なるほど」
メロはそこで思案する。
シグは、なぜメロを強制的に気絶させたのか――いちばんしっくり来る解答を探すなら、それはメロを《消耗させないため》というのが最も妥当だろう。あの《月輪》との戦いを、自分ひとりで決着させるため。
――確かに。
ノート=ケニュクスは異次元のバケモノであった。
いくらメロを庇ったからといって、その程度でシグの片腕は奪えない。
それほどの魔術師だからこそ、《超越》シグウェル=エレクは最強の肩書きを背負えている。シグが纏う、七星旅団でも飛び抜けて最大量を誇る魔力は、それだけで驚異的なまでの防御力に返還されるのだから。生半な魔術など、シグはその身ひとつで弾いてしまえる術的抵抗力がある。
けれど、《月輪》には通じない。
ノートに相対したとき、メロは咄嗟にタラス迷宮でのことを思い出していた。
あの場所で、《三番目の魔法使い》アーサー=クリスファウストに出会ったときのことだ。
それほどの相手だということだ。いや、あるいはその異質さを問うなら、《月輪》は魔法使いさえ上回っていたとメロは思う。
魔人化。《月輪》はそう語っていた。
その意味する正確な内容を、メロは詳しくは知らない。だが言葉通り人間を辞めた《月輪》の実力が、もはや通常の魔術師のそれと一線を画していることはわかる。
だからこそ、シグはひとりで残ったのだろう。
事態の解決をメロに託し、自分は足止めのための捨て駒として働くことを彼は選んだ。
その期待には、応えなければならない。
「……よしっ、行くか!」
体調のチェックを終え、不備がないことを確認したメロが言う。
その様子を横から眺めていたミュリエルが訊ねた。
「どこへ?」
「どこって訊かれても。決まってるじゃん、迷宮だよ」
当たり前のようにメロは言う。
「迷宮?」
「それが目的だから、わざわざこの街を占拠したんでしょ、あいつらは。いやまあよく知らんけどさ。ほかに思惑が浮かばない以上、迷宮に入るのが選べる最上の手だよ。そこにいるだろう奴らをぶっ飛ばせば、それでお終い。なんか間違ってる?」
「……なるほど。そういうことか」
頷いてミュリエルは立ち上がった。
「どったの?」
「いや。そういうことなら、君に同行しようと思ってね。私たちとしても、このまま手を拱いているわけにはいかない。解決のための方策があるなら、ぜひとも手伝わせてほしい」
「……やめといたほうがいいと思うけど」
メロは軽く首を振る。別に、メロだって事態を楽観的に考えているわけではないのだから。
こちらは完全に後手に回っている。そうでなくとも、相手は魔人。人間を超えてしまった者たちだ。そのことをメロは口にはしないけれど、それでも――メロですら勝ち目は薄い。
まして学生如きでは、魔人の相手にもならないだろう。
「足手纏いにはならない」だがミュリエルは言った。「いや、足手纏いになるようなら、その時点で切り捨ててくれて構わない。そのくらいの覚悟はある」
「……気持ちはわからなくもないけど、いいの? たぶん死ぬよ」
「覚悟はしている。いずれにせよ、もはや君たちだけがこの街にとっての希望なんだ」
当たり前だが、ミュリエルは魔人などというモノを知らない。だが街ひとつを――それも学院都市と名高いオーステリアの街を――当たり前のように占拠する魔術師が相手なのだ。それがどれほど絶望的な旅路であるかくらい、悟ることはできる。
だが。だからこそ、希望を託せる相手は限られる。
この街に、かの有名な《天災》が、《魔弾の海》がいたことだけが最後の希望なのだ。
犯人の存在だってよくわかってなどいない。おそらくは、あの魔競祭のときクロノスを連れて行った連中なのだろうということくらいである。そいつらがどんな組織で、何を目的としているのかということをオーステリアの人間たちは誰も知らなかった。ただ突然に、歴史に残る規模のテロに巻き込まれたようなものだ。
「だからこそ、君たちの力を頼みにするほかない。情けない話ではあるが」
「……頼りにされようとされまいと、あたしがやることは変わらないけどね」
七星旅団と、七曜教団。それが無関係でないことはメロももうわかっている。
それらしいことは、先ほどだって《月輪》自身が言っていた。実のところ言っていることの意味は半分も理解できたか怪しいくらいだったが、それでも――聞き逃せないことはあった。
これは、いわば七曜教団による、七星旅団への宣戦布告だと言っていい。
事情なんて知らない。というか知ったことではない。だとしても、ここまでのことをやってくれたのだ。その落とし前はつけさせる――それだけの話である。
「なに、迷宮には魔物がいるだろう? そんなつまらない戦いで君に消耗されるのも困るという話だからね――露払いくらいはさせてくれ。これでも、この学院では強いほうだよ?」
「わかった」果たして、メロは頷いた。「ただ言っとくけど、もし教団の連中と戦いになったら、たぶん庇ってる暇ないから。そのときは、自分の身は自分で守るようにしてね」
「恩に着るよ」
「……外にいる人たちも、それでいいのかな?」
と、メロが部屋の出入り口になる扉のほうへ目を向けていった。ミュリエルもそちらを見る。
別に隠れていたわけではないのだろう。外の気配は、普通に部屋の中へと入ってきた。
「構わない。むしろ助かる」
入ってきた三つの人影の内、まず言ったのは副会長のミルだった。
だが彼は視線をメロではなくミュリエルに向けている。どこか厳しい視線だった。
「ただ、その役目は俺がやる――会長はここに残ってもらいますよ」
「何を言う。こんな危険な真似、みんなに任せられるわけないだろう」
「会長」ミルは視線を逸らさなかった。「いや、ミュリエル。今、お前がここからいなくなっていいわけがない。その状態で、誰がこの学院に逃げてきた連中を引っ張るんだ」
「それは……」
「俺が行く。地上だって別に安全なわけじゃない。お前には、まだここでやることがあるはずだ」
「はあ……仕方ない。わたしも行きますよ、わたしも」
ミルの言葉を受け継ぐように、嫌々ながらといった表情で続けたのは会計のシュエット=ページだ。
「あ。あのときの司会さん」
そんな風に言ったメロに、疲れたような笑みをシュエットは浮かべる。
「ええ。その節はどーもです……ま、てなわけですから会長とスクルは地上に残っててください。街のコト――学院のコト、お願いしますよー?」
「……いいのか?」
「いいってこたないですけどねー」シュエットは笑みを崩さない。「会長がこっからいなくなるわけにはいきませんし。かといって、ミルくんひとりで行かすのもどーかって話ですしね。ま、仕方ないんじゃないんですかー」
「わ、わたしは――」
書記――スクル=アンデックスの表情が、瞳が揺れ動く。
それを見て取って、シュエットは小さく苦笑しながら肩を揺らした。
「スクルは会長をお願い。あの人、放っとくとすぐ無茶するから」
「シュエット……でも」
「スクルじゃ、もしクロノスくんいたら戦えないっしょ。まあ無理っぽいなと思ったら帰ってくるから。幸い、私の魔術は割と迷宮向きだしねー」
全員、その発言に押し黙る。
わかってはいるのだろう。それが最も合理的な判断である、ということは。
メロをひとりで行かせるわけにはいかない。七曜教団を名乗る魔術師たちに勝てる人間があるとするなら、それはこの場にメロを措いていないのだ。だからこそ、メロを無傷で消耗なく、確実に敵のもとまで送り届ける人間は必要だった。それに、ミルとシュエットが向いているのは事実だろう。
「――決まったんならいい? 行くよ。時間もないし……連中が何をしに来たのか、本当のとこはわかんないけど。でも、目的を果たされたら厄介なことになることだけは、たぶん間違いないだろうからさ」
「だな。……そういうわけなんで、行ってきます、会長」
「お土産はないけど、まあ帰っては来るから、こっちのこと頼んだよ」
それは、おそらくこの街で最悪の貧乏くじだ。死にに行くのと大差ない。メロを確実に敵の元まで送り届けるための、つまるところが捨て駒役となることを選んだのだから。
だとしても。
その程度の覚悟なくして、学生会の席に座っているわけではない。
「……オーステリア学院、か。なるほどね……これも、連中の言ってたことのひとつなのかな」
「どうかしたか?」
小さく、まるで思わずと言ったふうに零したメロ。首を傾げるミルに、彼女は首を振って答えた。
「いや。ただ、都合がいいな、と思っただけ。確認したいんだけど、七曜教団には学生会の人がいたんだって?」
「……ああ。クロノス=テーロ。異様に強い奴だったが、まさか悪の組織の手先とは思ってなかったな」
硬い声音で答えるミル。ただメロは、その事情を汲んで訊ねたわけではない。
「ふうん。……偶然じゃないんだろうなあ。嫌になるねまったく」
「どういう意味だ?」
「なんでもない。行こうか――時間が惜しい。時間が、ね」
目を細めたメロは、それから表情を押し殺して歩き出す。同行を決めたふたりは慌てて後を追った。
残るミュリエルとスクルにできるのは、ただ三人の無事を祈ることだけ。もちろん、地上でできることをほかに探す必要はあるけれど。直接、三人のためにできることなんてなかった。
「早くしないと……エレ兄が、たぶん本当に死ぬ」
こうして、《天災》メロ=メテオヴェルヌと、そして学生会副会長ミル=ミラージオ、そして会計のシュエット=ページ。この三人による迷宮攻略が決定された。
それが、この街の事件にどう影響するのか。わかっている者は、まだいない。
※
時間を、そこから再び少しだけ遡る。
三人が潜ることを決めたその迷宮――オーステリア地下迷宮には、その時点で実は潜っている人間がいた。
セルエ=マテノ。
事件が起こる、直前のことだった。迷宮に向かったはずのレヴィを迎えに、セルエは地下に下りていた。
もともと、管理局への手伝いで何度も潜った迷宮だ。セルエにとっては半ば散歩のような気分で歩ける程度の迷宮でしかない。
ただ、その日は様子が少しばかり違っていた。
様子というよりは感覚か。言語化できるような差異は実のところなく、それは魔術師としてのセルエの感覚が告げる、いわば勘のようなものでしかない。たとえば普段より瘴気が少し濃い気がするとか、その割に魔物の数が妙に少ない気がするとか――そんなこと。
要するに、取り立てて気にするほどではない程度の違いということ。
それでもわずかな警戒をしながら、やがて最深部まで到達する。
果たして、目当ての人物はそこにいた。
レヴィ=ガードナー。
学院長から(その中身までは知らないが)指示を受け、ガードナーの人間だけが入れる迷宮の先まで向かっていたという話だ。消耗しているだろうから、迎えに行ってほしいと頼まれていたのである。
「あ、いたいた。おーい!」
「――セルエ先生」
軽く手を振るセルエに、ちょっと驚いた表情を見せるレヴィ。彼女は今、疲れ切った様子で脱力している。その手に持ったままの剣を見るに、おそらく何かと戦っていたところだったのだろう。
セルエが駆け寄っていくと、レヴィは小首を傾げてこう訊ねた。
「えっと。迎えて来ていただけたんですか?」
「うん」セルエは頷く。「私としても、調べておきたいことがあったしね。ついでだよ。それにしても――」
今度、目を見開いたのはセルエのほうである。
その視線はレヴィに注がれたままだ。彼女の纏う雰囲気が、変質していることにセルエは気づいていた。
「……強くなったね。見違えるくらいに」
「そうですか? ……あまり実感はないんですけど」
「魔力を見ればわかるよ。なるほど、これが本来のレヴィさんの力だったってわけだ」
「セルエ先生の仰った通りだった、ってだけなんですけどね……」
門の守護者の完成形。
そう評されるほどの才能を持っていたレヴィは、だからこそその能力の大半を生まれながらに封印されていた。封印はガードナーの最も得意とする魔術でもある。方法には事欠かなかっただろう。
レヴィがこの場所を訪れたのは、それを解く手段を母から――正確にはその残滓たる霊体から――伝授してもらうためだった。どうやらそれは、上手く運んだ模様である。
「んー……いやあ、嬉しいねえ若者の進歩は」
「先生だって、まだ三十にもなっていないじゃないですか」
「それはそうだけど、まあ先達は追い抜かれるものだからね。今のレヴィさんが相手なら、私もあの魔競祭のときみたいに胸を貸したりはできないだろうなあ」
「ところで、何か迷宮に用事がおありだったんですか?」
レヴィが問う。セルエは頷き、答えた。
「うん。この迷宮には、まだわかってないことが多いみたいだから、さ。それが問題にならないうちに、調べておきたいなと思って」
「……一応、ガードナーである私の前で言われても、という話ではあるんですけれど」
「あはは。まあ学院長に許可は貰ってるから――」
身体が反応したのは完全に奇跡だった。
いや、それを奇跡と呼ぶのはセルエ=マテノに失礼かもしれない。彼女はそれだけの実力を持っている魔術師で、それだけの鍛錬を積んできた過去があるからこそ、その不意討ちにわずかでも反応できたのだろう。
そう――それは不意討ちだった。
まったく意識していない場所からの攻撃だった。
まったく意識していない相手からの攻撃だった。
「っ――!?」
音も殺気もなく。一切の予兆と気配を感じさせない剣の一閃に対し、それでも回避を試みることができたということ自体がすでに、セルエ=マテノだったから、という以外にない。
だが、奇しくも先ほど彼女が言った通り。
今の少女は、たとえ真正面からでもセルエに牙を届かせるだけの実力を取り戻している。
結果。セルエはその一撃を、腕のガードの上から思い切り脇腹に直撃された。みしりと骨が軋むのを自覚する。
峰打ちだった。斬れていないのだから当たり前だ。殺気のない攻撃だったからこそ、反応できなかったのかもしれない。剣を通して撃ち込まれる魔力が、セルエから意識を奪っていく。
抵抗はできなかった。
「――すみません、先生」
薄れていく意識が、最後にそんな声を認識する。酷く力のない声だった。
不意打ちでセルエの意識を奪った少女は、悲しげな声で懺悔の言葉を吐いている。
「こうする以外に、なかったんです」
レヴィ=ガードナーは。
こうして、酷くあっさりとセルエを戦線から離脱さえることに成功し。
「――甘いな」
「必要なことはやった。手出しも口出しもさせるつもりはない」
「っと。いや、いいのさ別に。オレにお前を怒らせるつもりはない。そうして《自由》を奪っておけば充分さ」
振り返った先に立つ獰猛な笑みの男へ、睨むでもなく視線を向けた。
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よろしくお願いします。
活動報告もございますので、ぜひ。




