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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第五章 学院都市陥落
202/308

5-05『特異点』

 ――そのとき、メロ=メテオヴェルヌとシグウェル=エレクは街の外側にいた。

 先まで見通せる一面の平野で、ふたりはずっと修行を続けていたからだ。といっても、ふたりの言う《修行》とは結局のところ殴り合い――もう少し穏当に表現しても実戦形式の魔術勝負――でしかないのだが、ふたりにはそれで充分だったし、むしろそれ以上なんてあり得なかった。

 アスタとは――いや、ほかの多くの魔術師とふたりは違う。おそらくは《七星旅団セブンスターズ》という区切りの中でさえ、ある意味でふたりの魔術は異質だった。

 才能を持っている、なんて肩書きに証明はない。それらは目に見えないものだから。才能とはあくまでも結果が伴うから認められるものであって、天才が為した功績の理由づけにただ《才能》と名づけられるだけのことだ。本当はそんなもの、存在さえしていないのかもしれない。


 けれど。だとしてもふたりは天才だ。間違いなく――これ以上ないほどの意味において。

 なぜならシグもメロも、努力なんて行為をまったく必要としていなかったのだから。

 少なくとも魔術を扱うという一点において。《魔弾》と分類される魔術以外の、あらゆる適性に欠如するシグウェル=エレクと、あらゆる魔術を固有オリジナルのものとして生み出し扱うメロ=メテオヴェルヌとでは、やはり違いはあっただろう。だが、だからこそ彼らにとって、その魔術は初めから備わっている機能のひとつでしかなかった。このふたりにとって、それらはできて当たり前(丶丶丶丶丶丶丶)のものでしかなかったのだから。

 ヒトが地面を歩くのと同じように。鳥が空を飛ぶのと同じように。魚が水中を泳ぐのと同じように。

 訓練するまでもなく、あって当然の技能でしかなかった。

 あとは単純に、その使い方を磨けばそれでいい。

 シグとメロがただ戦いの中にその向上を見出すのも、だから当然のことと言っていいだろう。


 ――そして、それは実際に一定の成果を結実しようとしていた。


「メロ」

「ん。わかってる」


 正面に互いを見据える形で立っていたふたりは、そのとき街の側へと目をやった。

 ただ、そのことにはあまり意味がない。ふたりはそのとき、街をはみ出す形で覆う結界の内側に取り込まれていたのだから。境界を見ようとするのなら、むしろ外壁とは逆の側に視線をやるべきだっただろう。

 だから当然、ふたりはすでに自分たちを取り込んでしまった結界など意識してはいない。

 シグとメロが見ようとしたのは、その結界を創り出した魔術師のほうである。


「……教団、とやらの連中だろうな」

 呟くシグの視線は上に。それまで昼間であったはずの空が暗やみ、辺り一面が夜に覆われている。

「なんであたしたちがいるとこにばっか来るかねー……正直、面倒でしかないんだけど」

「俺が知るわけないだろう」

「知ってるよ。だから別に訊いてないし」


 そんな会話を交わすふたり。

 警戒していない、というわけではなかった。余裕を持っているのは、焦る意味がないと知っているからで、自分たちふたりに一切気づかせず魔術を為した結界の作り手に、警戒しない理由はむしろなかっただろう。

 それがどれほど難しいことなのか、ふたりは知っているからだ。

 ――自分という存在が、世界にとってどれほど異質なのかをこのふたりは知っている。

 この点は、初めから強かったふたりのほうが、アスタたちのように努力して強くなったほかの仲間よりもむしろ自覚的だろう。シグやメロにとって当たり前の能力が、ほかのあらゆる人間たちにとって当たり前ではないと。


「……だから、なのかもしれないがな」

 シグは小さく呟いた。その言葉にメロは首を傾げて問い返す。

「なんか言った、今」

「いや。連中は《世界を救う》ことが目的なんだろう?」

「らしいけど……そんなん信じてるの?」

「信用云々の話じゃない」シグは小さく首を振る。「ただ俺たちのような能力を持つ人間が、何もしていない(丶丶丶丶丶丶丶)ということそのものが、奴らは気に入らないのかもしれない――と思ってな」

「何それ」メロは目を細めた。「知ったことじゃなくない、そんなの。そもそも《世界が滅ぶ》ってどういうことなのさ。ゲノムスで見たアレのコト言ってんなら、それ単なる勘違いじゃないの?」


 ゲノムス宮――五大迷宮の一角とされ、七星旅団セブンスターズによって踏破された迷宮。

 シグとメロを含めた七人は、そこで迷宮が世界そのものと繋がっていることを知った。この世界の裏側には、魔力そのものが渦となってうごめく場所が存在し、迷宮がその場所への、いわば入口に近いという事実だ。

 確かに、アレがもしそのまま広がるようなことになれば、世界は滅ぶと言っても過言ではないだろう。ヒトも、その他の生き物も、どころか土地も何もかも遍く全てが、魔力の中に呑まれるのだとすれば。それは確かに――ひとつの世界の終わりではある。

 だが、そうはならないことをメロは知っている。

 あるいはいずれそうなるのだとしても、それは気も遠くなるほどの遥か未来においてのことだ。

 これはユゲルの見立てでもある。メロたちが何かをする必要はないし、それが逆効果を生むとさえ限らない。そもそも何をすれば世界そのものの在り方(カタチ)を変えられるというのか。


 ここはそういう世界なのだ。

 と、そう受け入れる以外にない。


「うん、確かにその通り。――だから私たちは別に、そんな理由で君たちを敵視しているわけじゃあないんだよ」


 声がした。よく通る澄んだ女の声だ。

 そのことにふたりは驚いたが、驚きを露わにするほどではなかった。ただ静かに目を細め、声の主へと視線を向ける。

 いつの間にか、少し先に女が立っている。メロとシグより少しだけオーステリアに近い側だった。

 結界が張られたのだ、それを為した魔術師がいることは明白だったし、だからそいつがこの場所に現れること自体は驚くようなものじゃない。ただ、その前触れを一切、シグにもメロにも気づかせなかったということだけは、少し驚異的だったかもしれないが。


「――ノートか」

 シグが小さく名を呟いた。その名前はメロも知っている。

 注がれる二対の視線を前にして、けれど《魔導師》は一切の動揺を見せずに軽く頷いた。

「ああ。《月輪》――ノート=ケニュクスだよ」

「ということは、この結界はお前が張ったものだな」

「そうなるね」嫣然と《月輪》は笑う。「君のことは一度、招待したことがあったっけ」

 細い体躯に白衣。鈍い銀髪が特徴的な《夜の魔女》。

 およそこの国の魔術師ならば、少なくとも彼女の名前を知らないということはあるまい。

「街ひとつ覆うほどのものとは知らなかったがな。なるほど、ユゲルにああ言わせるだけのことはある、か」

「……彼の話はあまり聞きたくない――って、これも前に言ったっけ。まったく、君と話してると調子が狂っていけない」


 気取ったところのない、どこまでも自然体の女だった。少し変わったその口調でさえ、彼女が口にするだけで様になって見えてしまう。

 それ自体が、彼女の魔術師としての実力を物語っているかのようだ。

 およそ《魔導師メイガス》の位に位置づけられる魔術師は、大半が老齢の者で埋まっている。ユゲルやノートほど若い《魔導師》は酷く珍しい。その位置には、少なくともメロやシグのような特異な才能を持つというだけでは絶対に至らないのだから。魔術に習熟するための、長い年月と経験が不可欠になる。

 その過程を、一足飛びに越えていったのがユゲルであり、そしてノート=ケニュクスである。


 言い換えるならば。


「……その魔力。どう見ても普通じゃないな――何をした?」

「わかっているんだろう? 魔人化だよ」

「ヒトであることを辞めたのか」

「辞めたんじゃない。超えたんだよ」

「…………」

「それが必要なことだからね。ヒトであるということ自体に、別段の価値はないだろう」

「なるほど。それはそうかもしれないが……恐ろしいものだな」


 彼女は教団の中でも、数少ない初めから七星旅団に匹敵し得た魔術師である。

 魔人。ヒトを越え、魔に適合した者。

 それはいわば人間の進化形、新たな形だと言っていい。ヒトを越えている以上、戦って勝つことの難しさは説明されるまでもない。

 その実力は、今や世界でも群を抜いている。

 最強と呼ばれた《魔弾の海》さえ、おそらくは上回っているだろう。


「――それで?」

 それでもなおシグは表情さえ動かすことなく、ただ静かにノートへと訊ねる。

「それで、とは?」

「いや。いったいなんの用があって、俺たちのところに来たのかと」

「もちろん足止めさ。これも二回目かな」

 ノートは小さく微笑んで言う。身に纏う白衣が軽く揺れた。

「前回よりしっかり作ったつもりだけどね……それでも君のことだ、もしかするとこの結界を破ってしまうかもしれないだろう? それは困るんだ。この街で、僕らのやることが邪魔されるのは少し苦しい」

「さて。俺でも、この結界を破壊できるかと問われると自信がない――というより普通に無理だと思うが」

普通に無理(丶丶丶丶丶)程度じゃ安心できないんだよ。いや、むしろ君たちなら、それが不可能であるほど(丶丶丶丶丶丶丶丶)やってしまいかねないからね。君らはそういう集まりだろう?」

「買い被ってもらったものだ」

「買い被りじゃないよ。だって知っているんだから――君らが選ばれた存在であるという事実を」


 ――まったく厄介だね、とノートは言う。

 その言葉に、わずかな同情(丶丶)の気配があったことにシグは気づいていた。


「君らだって別に、好きでその力を持っているわけじゃないだろう。でも、そうであるという事実は周りの人間には関係がない。どうあれ君らが世界を左右する資格を持つ以上、排除に動くのは自然だろう」

「要領を得ないな――何が言いたいのかまるでわからない」

「君たちが世界を滅ぼし得る存在(丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶)だという話さ」

「――――」

「あるいは救い得る(丶丶丶丶)と言い換えてもいい。いずれにせよ世界に干渉する権限を持っている。そう、権利さ。世界の行く末を個人で決定し得る権利……たとえば物語の主人公が世界を救うように。悪役が世界を支配するように。そう、それらは使い方次第で英雄にも魔王にもなれる。そら、困りものだろう? ――そういった存在を、僕らは《特異点》と呼んでいるわけだがね」

「……何が言いたいのかまるでわからんな」

「一国の王を考えてみればいい。アルクレガリスの王は、その指先だけで国家の行く末を自在に左右できるだろう? いや、まあそれは当たり前の話さ。だって国王なんだからね。その規模を、今度はひとつの世界に当て嵌めて考えてみればわかる」


 一国の王の権限は、個人が持つにはあまりにも大きすぎるものだ。

 その国に住まう全ての人間は、多かれ少なかれその個人の意思に未来を左右される。

 それが、必ずしも悪いことだとは限らない。そんなことを言っていたら、社会という仕組みそのものが成り立たなくなってしまうだろう。


「英雄譚なんて、ありふれているだろう? 君らがそれに謳われているのと同じことさ。考えてみたまえ、もしあるひとつの物語の主人公が、その世界に存在しなかったら(丶丶丶丶丶丶丶丶)という仮定を。その過程を。その場合、間違いなく物語の結末は変わっていただろう? そういうことさ。たとえば三人の魔法使いがそうであるようにね」


 世界から未来を奪った三番目も。

 自身の性能を自覚し、あらゆる干渉を諦めた二番目も。

 かつては英雄と謳われ、世界を救った一番目も。


 彼らは個人でありながら、その動向が世界に影響する。

 その資格を持っている。

 それを彼女は《特異点》と呼び、そして警戒しているのだった。


「寝耳に水、という感じではあると思う。いや実際、同情するくらいだけどね。だが現実、君たちはある未来においてこの世界を滅ぼす(丶丶丶丶丶丶丶丶)。個人の意思に世界を巻き込む――前科、とは言えないかもしれないけれど。それは困るんだ(丶丶丶丶丶丶丶)

「……アーサーから聞いたのか」

「察しはつくかい? まあ、そういうことだ。だから彼は、世界からある未来を奪った。だがそれは許されないことだ――時間への干渉権限を自分という個人に限定した。この世界から時間魔術を消し去り、自分だけの者とした。彼が《世界最悪の犯罪者》と呼ばれる原因になった事件だね。――結果的に、それで彼がこの世界を救ったのだとしても」

「俺たちは、未来において世界を滅ぼしたのか」

「君らがそのつもりだったかどうか、なんてことが問題じゃないのはわかるだろう。規模が規模だ、たとえ起こり得ない未来でも。結果論で語るに充分なんだよ。実際、その未来の存在はリィが――《火星》が証明している」

「…………」

「だから僕らが、代わりに世界を救おうというのさ」

「――言いたいことはわかった。いや、わからないが、まあ理解はした。俺らは未来において世界を滅ぼすと。それを避けるためにお前たちが動いていると」

「そうだね。やってもいないことで責められる気持ちは不愉快だろうけど――でもまあ、それは僕らが斟酌することじゃあない。無論、僕らだって自分の行いを正当化するつもりはないよ。刃向かうなら好きにしたまえ」

「いくつか訊かせろ」


 静かに問うシグ。彼と《月輪》との会話を、メロは黙って聞いていた。

 別に納得したわけじゃない。あらゆる意味で《何言ってんだ》という気分でしかなかった。

 メロが黙っているのは、単にシグが話しているのを邪魔しないようにしよう、というだけのことでしかない。

 シグはシグで結論を出すだろう。それは邪魔しない。

 ただ、それにメロが従うかどうかは、また別の話というだけだ。


「答えられることならね。――この話をしたのも、できれば引いてもらいたいからなんだけれど」

 ノートは軽く肩を竦めて言った。

 実際、それは本心ではあるのだろう。

 今の彼女は強い。力尽くで従わせることができる可能性を、もはや否定できないほどに。

 けれど彼女はそれをしない。

 魔人となった今でも、なお彼女は七星旅団セブンスターズを――そこに属する人間を警戒しているように。

「まず、なぜ俺たちは未来に世界を滅ぼした? そんなことをする動機が俺たちにはない」

「……まあ、そうだね。それはもう、この段階で起こり得ない未来になっている」

「なぜだ。そしてどういう方法を使った? いくら俺たちでも、世界どころかこの国を敵に回して勝ち目があるとは思えないが」


 実際、旅団では最大の火力を誇るシグとメロならば、街ひとつを一方的に破壊し尽くすことくらい不可能ではないだろう。やろうと思えば。

 だがそれには時間もかかるし、魔力だって大量に消費する。そんなことをしてひとつひとつ街を潰していっても、国どころか世界より先に、シグたちがほかの魔術師に殺されておしまいだ。

 何より彼らには、そんなことを選ぶ理由がない。


「……そうだね」

 ノートはその言葉に首肯した。彼女だって、たかが七人程度の人間が世界なんてものを滅ぼせるとは考えていないからだ。それがたとえ、どんな力を持っていたとしても。

「厳密に言うなれば、君たちが世界を滅ぼしたわけじゃない。世界が滅ぶことは決まっている。それは君たちも知っているだろう? あの迷宮で知ったんだろう? 君らの行いは――その時間を極限まで短縮したということだ」

「なぜ?」

「君の身内を助けるため、だね。その彼女が犠牲になれば世界は救われた。だが君らはそれを否定し、彼女を助け、そして別の手段を模索する中で失敗して、結果的に世界を滅ぼした」

 ――はは、とノートは小さく笑う。

 嘲笑ではなかった。

「出来の悪いバッドエンドだ。なんの救いもない。だが現実、未来においてその可能性は存在した――それだけは事実だ」

「……まあ、ありそうな話ではあるな」

「ほかに質問は?」

「いくつかあるが――これだけは訊ねておくとしよう」


 そのとき、シグは一瞬だけメロに視線をやった。

 その意味がわからずメロは首を傾げる。だがそれも一瞬。彼はすぐ視線をノートに戻し、問う。


「――その未来における《七星旅団セブンスターズ》とは、具体的に誰のことを指す(丶丶丶丶丶丶丶)?」

「ああ――」


 その問いに、ノートは小さく頭を抱えた。

 それから笑う。悲しげに。その考えに至ってほしくはなかったと。


「気づくか。気づくんだね――そこに。まったく、だから君たちは嫌いなんだ」

「答えろ」

「――名前を挙げればいいかい? といってもほとんど一緒だよ。君、シグウェル=エレクと、そちらのメロ=メテオヴェルヌ。マイア=プレイアスにユゲル=ティラコニア、キュオネ=アルシオン、セルエ=マテノ――」

 そこでノートは言葉を一度だけ切って。

 続けた。


「――そして、リーダーのアーサー(丶丶丶丶)クリスファウスト(丶丶丶丶丶丶丶丶)。この七人が、本来の(丶丶丶)七星旅団セブンスターズのメンバーだ」


 シグも、そしてメロも。

 何も言わなかったし、答えなかった。

 ノートだけが言葉を続ける。


「……まあ、違和感はそりゃあ、あるわけだ。七星に対抗して作られたはずの教団は、魔法使いが幹部を六人集めている。七人じゃない(丶丶丶丶丶丶)自分を中に含めている(丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶)。なら逆も然り、と考えるほうが自然かな。――ああ、そうだよ。本来、七星だって、魔法使いが六人の仲間を集めた集団だったわけさ。その未来に、アスタ=プレイアスなんて人間はそもそも存在していない(丶丶丶丶丶丶丶)

「現実こうして今いる以上、そんな話をされても知ったことではないわけだが」

 シグは無表情のままそう返して、ノートもまた頷いて受けた。

「まあ、それを言ってしまえばそうだけどね。――ともあれ、それが理由というわけさ。その未来がもう起こり得ないということのね。アスタ=プレイアスというズレ(丶丶)は確かに、起こり得るはずだった未来を変えた」

「起こらない可能性で命を狙われていたわけか、俺たちは」

「そうだよ。理由が充分であることは言ったはずだと思うけれど」


 ――で、どうする?

 ノート=ケニュクスは静かに問うた。


「戦うかい? これで引いてくれるなら、僕としてはありがたいことなんだけれど」

「訊く意味がないことを訊くな」

「意趣返しかい? いや、参ったな」

「お前の説明は説明になっていないんだよ。――どうせ殺すつもりだろう」

「なんだ」ノートは笑った。「バレてたのか」

「悪びれないな、お前は」

「僕らは悪いことなんてしていないからね」

「よく言う。――救った後の世界(丶丶丶丶丶丶丶)の話を、伏せているのは意図的だろう?」

「そうなるかな。まあ、それでも何も知らずに死ぬよりは、ほら。慰めになると思って」

「……しかし、となると参るのはこちらだな」

 シグはやはり淡々と言う。

 彼は常にそうで、だから今も変わらない。

「お前には、どうも勝ち目がなさそうだ」

「……ならどうする?」

「逃げる」


 言うなりシグは駆け出した。

 ただし、ノートに向かってではない。彼はメロに向かって走り出したのだ。

 虚を突かれたのは、だからむしろメロのほうである。そのせいで彼女は抵抗できなかった。

 自分を攻撃してくるシグに対して――だ。


「な――んっ!?」

 驚きに目を見開くメロ。

 だがそのときには、すでにシグの一撃が首を撃ち抜いていた。意識が遠くなっていくのをメロは自覚する。

 いかな天災も、その不意討ちには耐えられない。

 抗う間もなく意識を失ったメロ。その耳に、最後に届いたのはシグの言葉だった。

「悪いな。だがお前をここで失うわけには絶対にいかない――そもそも俺は、そのためにオーステリアに留まっているわけで」

「……エレ、兄……っ、腕――」

「気にするな」シグは静かに首を振った。「あとは任せる。お前ならできるだろう」

 その言葉を最後に、メロは意識を手放さざるを得なかった。

 だが、彼女は最後に確かに見ていた。その、鮮やかなまでの赤の色を。

「……思い切りがいいね、本当」

 ノートが言う。シグは頷きもせず静かに答える。

「お前を前に腕一本なら、交換としては安いほうだろう」

「さすがは特異点。その思い切りのよさは脅威だけど――まあ確かに、腕一本なら満足していいかもしれない」


 今の一瞬。

 メロを気絶させることに――無傷で消費なく逃がすことに全力を傾けたシグ。

 だから彼女は、ノートの攻撃を躱すことができなかった。

 腕の一本を魔術によって千切り飛ばされ、それをよしとしてでもメロのほうを優先したのだ。


「――僕を殺すと、世界を救えなくなるよ?」

 ノートが言い、シグが答える。

「誰に向かって言っている。俺たちは、身内を優先して世界を滅ぼすんだろう?」

「…………」

「それに、お前らはどうせ世界など救わない。お前に託すくらいなら、まだしもメロやアスタに任せるさ」


 シグウェル=エレクの絶望的な逃避行は、その瞬間から始まった。

活動報告がございます。

書籍版3巻の書影や特典情報など。

よろしければお目通しください。

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