5-03『無限なる個』
前衛のフェオ、火力要員のウェリウス、そして後衛のピトス。
この三人のバランスは非常にいい。およそ魔術師のパーティとして完成形と言っていいバランスと練度を誇っている。その殲滅力たるや、あるいは七星旅団に肉薄するレベルのものがあった。
初手から血統覚醒により吸血種の能力を引き出したフェオ。紅髪になった彼女は、持ち前の《雷》の適性をフルに振るって戦場を駆け回る。後詰めのウェリウスが乱れ飛ばす元素魔術――打ち合わせさえ皆無の爆撃の中を、彼女はただ身体能力と反射神経だけで無傷のまま走った。間隙を縫うように駆ける彼女は、まさしく雷速の鼠と言えるだろう。けれどその牙は、窮鼠と評するにはあまりにも鋭い。魔術師が備える魔力抵抗など、その威力を前には紙片にさえ等しい。一体一体を確実に潰していきながら、彼女は同時に囮としても優秀だった。
一撃だ。速度と鋭さを両立する雷獣の牙は、もはや斬撃を超越して鉄槌の振り落としに等しい破壊力を兼ねる。神話に謳われる雷神の一撃を模したそれは、もはやひとつの《天災》に近づいていた。
ただ、やはり最大の戦果を挙げているのはウェリウスだ。集団でありながら個人として成立する《水星》――その最も恐ろしい能力は、全体が完全に統一制御下に置かれていることだろう。ひとつの魔術を、集団でまったく同時に放つことで、彼女は火力と質を併せて備える。単純に魔術を放っただけでは、防御に回った複数体の《水星》によって魔術ごと破戒されてしまうだろう。――相手が、八重属性という奇跡の適性を持っていなければ。
扱える属性がひとつ増えるというだけで、戦術の幅は倍以上に膨れ上がる。それが八つも備わっては、雨霰と降り注ぐ単純な攻撃魔術でさえ、威力以上に防御が困難だ。元素魔術の単純さ、簡単さは利点でもあるが、同時に防御されやすいという弱点でもある。その欠点を、ウェリウスは才能ひとつで完全に克服していた。
要するに、ふたり揃って火力馬鹿ということ。互いに神経を攻撃一択に注いでいる。駆け回るフェオはともかく、ウェリウスに至っては完全に棒立ちだ。逆に相手の攻撃を一撃でも受ければ、戦線離脱は免れまい。そう、この戦術はウェリウスひとりでは成り立たないのだ。ここに、ピトスさえ存在しなければ。
彼女は補助魔術師だ。それを忘れてはならない。彼女が学院でトップ4に数えられる実力を持っているのは、治癒魔術ではなくあくまで補助魔術による評価なのだから。それは単純な防御に始まり、火力のバックアップや術式構築速度のバフ、果ては全体の行動方針の決定まで。実のところ、その全てを担っているのはピトスである。この戦場は彼女の指揮によって構築されている。群体たる《水星》を前にして、フェオとウェリウスが全力を振るえるのは、ほかでもなくピトスの存在によるものだった。もちろん、隙さえあれば彼女も攻撃に参加する。
完璧だった。これ以上はないと断じていいだろう。
ならば。それでも。
それでもなお倒せぬ《水星》の異常さを、果たしてどのように表現すればいいのだろう。
三人が倒した《水星》の数は、とうに三桁を越えている。
文字通りに跡形もなく、一切の容赦なしに《水星》を殺している三人だったが、それでも終わりは見えなかった。
もはや無限だ。
ドラルウァ=マークリウスはすでに、無から自己を創り出すことに成功している。
その材料は魔力さえあればいい。そして教団の幹部は、この《世界》そのものから魔力を供給されている。文字通りに無尽蔵――《水星》は、もはや一種の不死身を体現している。
彼女たちの攻撃は散発的だ。もちろんそのどれもが致命の魔術、あるいは変身による異形めいた肉体による攻撃であり、つまるところが当たれば死ぬ。
だが、それだけだ。裏を返せば《水星》は、ただの一撃たりとも三人に攻撃を当てることができていない。その間にも《水星》の分身体は、何人も何人も殺されていくというのに。
それが違和感というわけではない。むしろ《水星》からすれば当たり前の選択だろう。
三人にはわかっていた。要するにこの女は、まったく本気ではないのだ。
この膠着が有限だということを彼女は理解している。当たり前だ。
無限の魔力バックアップを獲得している彼女とは異なり、三人の魔力は有限なのだから。ましてここまでの全力攻撃、そう遠くない内に息切れが来てしまうことは目に見えていた。当然、丸一日も続くわけがない。一時間も無理だろう。
――とはいえ……っ。
ピトスは思わず歯噛みする。そう、このままではいけないということくらいはっきりとわかっている。
わかってはいるが――どうするべきなのか。その答えが見出せない。
なにせ相手は、文字通りに無限の命を持っている。いくら使い捨てても構わない。もはや彼女に《自己》という概念はないのだろう。どれもが本体。要するに、ひとつでも残していれば無限に復活できる。数を増やせる。
おそらく。いや、たぶん間違いなく。
――わたしたちでは、《水星》を殺しきることはできない。
ピトスは断じた。あるいはウェリウスの全力ならば、周囲一帯の《水星》を纏めて消滅させることも不可能ではないだろう。
だが、そんなことに意味はない。いや、無駄どころか消耗するだけマイナスだ。なにせ《水星》は、ただの一体でも残っていれば復活可能なのだから。ここに全員が出てきているとは限らない――少なくともピトスなら出さない。
悪い点はもうひとつある。
それは、ユゲルとレンを庇わなければならないという点だ。
位置が悪いのだ。戦闘が開始されたとき、ピトスたちは結界の境界線すぐ傍にいた。おそらく、以下にユゲルでも結界に直接触れていなければ、これを破戒することはできないのだろう。
そして《水星》は、結界の内側に姿を現したのだ。
ひとつだけ幸運だったことは、いくら《水星》でも結界の内側から外側に攻撃を通すことはできないらしいということか。つまりピトスは、結界の外側に出てきた《水星》の攻撃だけ警戒していればいい。結界がオーステリアを中心として円状に広がっているとはいえ、ほとんど正面(というかオーステリアを背後にした反対側)だけを警戒していれば済む。それだけが唯一の利点だった。
だが《水星》は、魔術を通せなくても本人は結界を通れる。それは言い換えれば、ひとりでも外にいれば外側に自分を増やせるということだ。今やピトスたちは、多数の《水星》に周りを囲まれる形になっていた。
結界の内側へはお互いに手を出せない。だからなんとかなっている。
だが終わりは見えていた。少なくともこのペースで一日を持たせるのは不可能だろう。
問題は、たとえ丸一日持ち堪え、結界を破戒できたとして――その場合は今度こそ完全に囲まれた状態で《水星》を敵に回さなければならないということだ。
「――っ。覚悟は、していたつもりですけどね……っ!」
零れたピトスの呟きに、隣に立つウェリウスが答える。
「まずいね……いや、まずいなんてものじゃないか」
「ええ。なにせわたしたちは、迷宮で言うならまだ往路にすら入っていない。当然、この先の障害は《水星》だけではないということです」
迷宮において、冒険者が片道で全力を出しきってしまうなど愚策中の愚策だ。行きはよくても、帰って来られないのならなんの意味もないのだから。
これも似たようなものだろう。ここで打開策を持つとすればおそらくはウェリウスだが、もし彼が《水星》を倒しきることができても、そこでウェリウスという戦力が離脱してしまうのは無視できない痛手だ。
「一応、念のために訊いておきますが……余力を残したままこの状況をどうにかする手段とか持ってないですか?」
「絶対にできない、とは言わないでおこうかな」そう言うウェリウスだが、表情は暗い。「でも賭けだ。絶対とは言えないし……魔力ばかりはどうにもならない」
「加えて言っておくが、俺も結界の破戒だけで相当消耗すると思っておけよ」
「言うまでもないと思うが、俺のことはそもそも戦力だと思うなよ」
「なんでそういう情報だけ仲よく伝えてきますかね……」
口々にそんなことを言ったユゲルとレンに、ピトスは皮肉に苦笑するしかなかった。笑えないが。
ウェリウスもまた小さく笑う。そして直後に視線をピトスに向けると、すぐにそれを逸らしながらこう言った。
「いずれにせよ、このままジリ貧だけは避けたいね。どうする、賭けに出るかい?」
「……まあ、そうするしかありませんか――っと!」
「後ろだ!」
すぐ真横に現れた《水星》が、肉体の質量を無視して腕を伸ばしてきた。
これも厄介だ。《世界》という概念そのものを魔力源とするためか、《水星》が自分を創り出す場所に制限が見えないのだ。もちろん、この世界のどこにでも出せるというわけではない――と思いたい――が、まったく予期せぬ場所から、いきなり湧き出るように現れる《水星》は心臓に悪かった。
しかも、もはや異形の魔物のように水星は身体の形を自在に変えている。肉体そのものが完全に魔力からできているせいだろう、もはや質量も性質も一切無視だ。時には小さな小石や、あるいは砂にさえ彼女は姿を変える。ピトスはほとんど直感と、ほんのわずかな魔力の揺らぎからそれを認知しなければならなかった。
ただ、これに関しては幸運な要素もひとつあった。
レンの存在だ。さきほど、「後ろだ!」と叫んだのはレンである。魔力を視覚に捉える彼は、水星がどんな姿をしていようと完全に把握できているらしい。結界の読み解きに助力する傍らで、彼は《水星》の位置をこうして教えてくれていた。
これは大きかった。蛇のようにしなりながら伸びてきた腕を、ピトスは躱しもせずに迎え撃つ。両手でそれを握り締めると、彼女はそのままゴムのような腕を握力と腕力だけで捻り千切った。容赦などするはずもない。
もちろん《水星》は《水星》で、腕が千切られた程度の負傷からは一瞬で再生する。治癒ではなく変身。傷を負った肉体を、傷を負っていない肉体に変身させるというふざけた手法で回復してしまうのだ。攻撃するのなら、即死させない限り無意味という勢いである。
無限なる個。
群体を為す変身魔術師――《水星》ドラルウァ=マークリウス。
「あははははっ! あはっ、あははははははははははは――」
「――うるさいよ、悪いけど」
と、その再生の隙を突いて、ウェリウスが片手間に攻撃を加える。発射された氷の槍が一撃で《水星》の胸を抉り貫いた。自己を構成する魔力を保てなくなった《水星》は、まるで魔物のように魔力へと還って弾け死んだ。
それだけのことだった。
群体としての《水星》にとって、そんなものはダメージですらない。
「ああああもうっ!!」
ピトスが叫ぶ。頭を抱えたい気分だった。
「アレ本当に人間ですか!? 気持ち悪いし強いしキモいし、なんなんだよもうさあっ!」
「荒れないでほしいなあ……いや、わかるけどね」
頷くウェリウス。実際、本当にもう、どうすれば倒せるのかさっぱりわからない。
「……手ならあるだろう」
そのときだ。ユゲルが、そんなことを言い出したのは。
「奴だって結局、魔術師であることに変わりはない。そしてどんな魔術でも、術式さえ破戒できれば破ることはできるわけだ。幸い奴は、少なくとも《月輪》ほど魔術に優れているわけではないだろう」
「そりゃ理屈ではそうですけどね!」
ピトスは唸る。そうだ、それくらいは言われなくてもわかる。
変身を使われている以上は勝てない。ならば、その変身魔術それ自体を使えなくさせてしまえばいい。なるほど、道理ではあるだろう。確かに。
それができれば苦労しないという話だった。
「悪いですけど、わたしには変身魔術の破戒なんて不可能ですよ。ウェリウスくんならできますか?」
「無理だね」
「言っておくが俺にも無理だ」ユゲルはあっさり言った。「というか、そんなもんは七星でもできてアスタくらいだろう。それも全盛期の」
「アスタくんならできるんですか……」
「術式の解体に必要なのは《読解》と《改変》だ。どんな魔術も絶対の法則――計算式に従って動いている。ならば式のほうを間違いに変えてやれば、魔術はそれだけで成立しなくなる。が、変身なんてわからんからな。相手の制御力を上回るほうが不可能だろう。適当に書き換えてもすぐに修正される。術式の解体は、ただ間違いを書くのではなく、間違っているけれど成立はする――そんな風に書き換えなければならない。だから変身は崩せない」
「絶望しか出てこない説明!」
「アスタなら――印刻ならば、そちらの術式で強制的に上書きできるからな。魔術の質としてルーンより上はない。アレは完全な正解だ――ゆえにどんな魔術でも、アイツにかかれば解体できる。少なくとも可能性がないということはない」
「前から思ってましたけど、アスタくんも充分にバケモンですよね!」
「そりゃそうだ。七星でまともな魔術師など俺くらいだよ」
「どの口が言うんですか!?」
「俺なんぞ、結局は誰にでもできる魔術を普通に修めているに過ぎないよ。単にその数が、ほかの誰にも真似できないほど多いというだけだ。適性に左右される魔術は、俺には普通に使えない」
だが、とユゲルは言う。
その視線はウェリウスを向いていた。
「――お前にならできるだろう、ウェリウス。お前の強みは八つの属性に適性を持っていることなんかじゃない。そもそも元素魔術自体の天才であることだ」
「いいんですか?」ウェリウスは言う。「懸念はあります。ひとつ、できるとは言い切れない。ふたつ、準備に少し時間がかかる。三つ、それを僕はすでに一度失敗したことがある。四つ、仮にできても魔力を大量に消費してしまう。五つ、どころか下手すれば自爆する。六つ、おそらくそれでも《水星》を殺しきることはできない。そして七つ――もし全てが上手く運んでも、そのとき《水星》に、援軍が来ないとは限らない」
懸念だらけだ。賭けというには、あまりにも分の悪いレート。
だが、その言葉にはピトスがすぐさま頷いた。
「やりましょう」
「いいんだね? ……準備に時間がかかるよ」
「どうせこのままでは敗北です。それに、わたしは信じてますから」
「……何をだい?」
「ウェリウスくんなら、これくらい余裕だってことをですよ」
ピトスは、そう言って朗らかに微笑んだ。
その笑みを受けてウェリウスは、どこか呆れたような表情で肩を竦める。少しだけ微笑みを浮かべながら。
「――わかった。そこまで言われちゃやるしかないね」
「ウェリウスくんなら、そう言ってくれると思ってましたよ」
「そう?」
「ええ――だってウェリウスくん、プライド高いですし。あと意外と血の気も多いですから」
「……ピトスさんこそ」
ウェリウスは軽く笑った。首を傾げるピトスに、彼はこんなことを告げる。
「アスタの影響、ちょっと受けすぎじゃない?」
「いいからさっさと準備しろってんですよ」
フェオ「(なんか知らないけど、またわたしの知らないところで作戦会議されてるや……)」
あ、活動報告が御座います。
続キャラデザ公開。ぜひ見ていってくださいな!




