1-19『迷宮から出て迷宮入り』
「あー……っと」
酷く余裕げに構える男へ、俺はとりあえず声をかけた。
といっても、この状況で何を話せばいいのやら。わからなかったりするのだが。
――不吉な男だった。
表情は笑みなのに、酷く怖気を掻き立てる。身に纏っている、くたびれた枯れ草色のローブもその印象を強めていた。
「よくわかんないんだけど、今回の件を仕組んだのはアンタってコトでいいのか?」
「はは」
枯れ草色のローブの男は、死んだような眼で笑っていた。その深さに思わず、ぞっとする。
顔だけで言うのなら、ウェリウスにも匹敵する美男だろう。だがその表情が死に絶えている。
笑っているのに、感情の気配がまるでない。
「仕組んだのは僕じゃないよ。実際に手足として動いたのは僕だけど、いいトコ下っ端さ」
「組織なのか、アンタらは」
「個人でここまでのコトをやるのは、実際かなり手間だろう?」
「……それは確かに」
素直に首肯する。事実、その通りだ。
迷宮ひとつ分の魔物全てを一箇所に集め、それを合成獣へと変貌させ、俺たち五人の誰ひとりに気づかれることなく忍び寄り、魔術で強制的に転移させる――。
操作、形成、隠蔽、転移のどれもが魔術師として最終地点のレベルに至っている。そんなものは、もはや魔術師ではなく魔法使いの所業だ。
だがこの世に魔法使いは三人――いや、ふたりしかいない。目の前の男はただの魔術師だ。
なら奴にも当然、仲間がいるのだろう。
「――で、アンタらは何が目的か、とか訊いたら教えてくれんのかね?」
一応、俺は訊ねてみる。駄目で元々だし、仮に答えがあっても事実とは限らない。まあ単なる引き延ばしというか、時間を稼いでわずかでも情報を得ようという足掻きみたいなものだ。
視線をさりげなくシャルとピトスに向ける。いざというときのために、警戒だけはしておいてくれ、と。
あるいはこの時間稼ぎが、上手い方向に働くかもしれない。
奴が――いや《奴ら》が――なんのつもりで俺たちのことを陰から観察していたのかはわからない。それ以前、そもそも迷宮の最下層に、合成獣を創り出した理由からして不明だ。
確実に理解できることは、決して真っ当な理由ではないということだけだろう。
なんらかの実験のつもりだった、というのが妥当なところだろうか。
俺たちは、絶妙のタイミングでそのときに訪れてしまった、と。
「うーん……別に答えてもいいんだけどね」
問いに、男は意外な返答をした。大仰に両腕を広げ、舞台役者のように言う。
「その代わり、こっちの質問にもひとつ答えてほしいなあ」
一瞬だけ逡巡して、それから俺は頷いた。
「……まあ、聞くだけ聞こう」
「じゃあ言うだけ言うね。――君、なんで俺の存在に気がついたんだ?」
含みなく、ただ心底から不思議だというように男は首を傾げる。
俺は軽く肩を揺らした。それだけで全身が軋みを上げるが、もちろん表情には出さない。
「なんで、と訊かれてもな。索敵に気を払うのは、冒険者なら当然だろう」
「そういうことじゃなくてさー。僕、これでも《逃げる》コトと《隠れる》コトにだけは自信があるんだよね」
「それは気が合いそうだな」
枯れ草の男は軽口に取り合わない。
「実際、君ら最初のときは気づかなかっただろう? だから簡単に転移させることができた」
最初のとき、とはおそらく俺たち五人が分断されたときのことだろう。
やはり見られていたらしい。
「まあ、そうだね」
「ならどうして二度目は気づいたのかな。鎌かけた、ってわけじゃないみたいだし。参考までに教えてほしいんだけど」
「……別に、大したことじゃないんだがな」
なぜなら二度目は、《こちらが感知できない誰かがいる》ということはわかっていたのだ。
ならアプローチを変えればいい。
「アンタを感知できなくても、アンタを隠してる術式のほうなら感知できるだろ」
矛盾するようなことを言うようだが、それが真実だ。
この手の技能など、結局はいたちごっこでしかないのだから。
「……なるほど。聞いてた通り、メチャクチャだ」
呆れ半分、感心半分という感じで謎の男は嘆息していた。
まあ、こいつにどう思われようとどうでもいい。勘違いしているなら好都合なくらいだ。
それよりも、今度はこちらが質問をする番だろう。
「んで、アンタら何者? なんで俺らに攻撃した?」
俺は男にそう訊ねた。男は苦笑して、「またいきなりだなあ」などと言う。
「もう少し駆け引きを楽しもうとは思わない?」
「何言ってんだ、お前。犯罪者との駆け引きなんか楽しまねえよ」
「犯罪って。僕ら何かしたかな? まさか迷宮で攻撃したことを言ってるわけじゃないよね?」
「迷宮でほかのパーティに干渉するのは普通に犯罪だろ、実際」
「おいおい、笑わせないでくれ。そんな建前上の法律、誰も守ってやしないだろう? 迷宮の中でのことは全て自己責任だ。それが《冒険者》の流儀ってモノじゃないか」
これは、男の言葉のほうが事実だった。
――迷宮の内部でも、《人類》を魔術で攻撃することは法律に反する。
だが、迷宮の中で何が起こったかなんて、そんなことは基本的に証明できない。
死人に口なし。冒険帰りのパーティを皆殺しにして、宝を横取りするという事件は、歴史を紐解けば何度となくあったことだ。この条文に建前以上の価値などない。
無論、オーステリア周辺の冒険者たちのように、確固としたコミュニティを築けている地区は話も変わってくる。冒険者という人種は総じて、仲間意識が強いのだ。
度を越した無法者は、この街で暮らしていけなくなるだろう。悪評はすぐに知れ渡る。
ただまあ、その辺りの是非など今はどうでもよかった。
重要な言葉なら、男はほかにも漏らしていた。俺は口角を歪めて訊ねる。
「そうか――冒険者か、お前。所属はどこだ?」
「……どうも、喋りすぎたみたいだね」
張りつけたような男の笑みに、初めて亀裂らしきものを見た気がした。
冒険者の流儀を語るのは冒険者だけだ。のらりくらりとしているようで、重要なことは話すまいとしていた男の油断を突いた。
一瞬だけ表情を崩した男だったが、すぐに取り繕って俺に言う。
「まあ、とにかくご協力に感謝するよ」
「なんの話だ?」
「あの失敗作の合成獣の話さ。望むモノには至らなかったけど、処分するのもそれはそれで手間だからね。君らが処理してくれて助かったよ」
「負け惜しみのつもりか? 俺らを殺す気だったんじゃないのかよ」
「違うよ。君らが奥まで降りてこなければ、実験の邪魔さえしなければそれでよかった」
「最下層まで飛ばしておいてよく言う」
「ま、死んだら死んだで構わなかったしね。正直、どっちでもいいんだ。もうオーステリアでやることもなくなった。僕は帰るだけさ」
「……帰すと思ってるのか?」
俺は掌に魔力を込めて、その照準を枯れ草色の男に合わせる。
もちろんただのはったりだ。今の俺にはもう、戦う力なんてほとんど残っていない。
そして、それは男にも筒抜けだった。
「無茶はしないほうがいい。いくら君らが強くったって、あの合成獣と戦った上で僕と連戦なんてできないだろう? 見逃すと言っているんだから、素直に受け取りなよ」
「いや、そうしたいのはやまやまなんだけどね。俺もオーステリアの善良なる一市民として、明らかに怪しい連中を放っておくのもどうかと思うんだよ」
「……そこまで状況が判断できていないのかい? 買い被りだったかな、今の君じゃ僕には勝てないよ」
「いやいや。お前はまだ俺を買い被ってるよ――」
意味深に告げて、俺は薄く微笑んだ。隠れることだけ考えるから、相手もまた隠れるということに思い至らない。
男はわずかに眉根を寄せ、それからはっとしたように目を見開いた。
彼もようやく気がついたらしい。
だが――もう襲い。
「誰も、俺が自分で戦うなんて言ってないけど」
――刹那。
亜麻色の流線が、稲妻のように踊り出た。
「く――!?」
枯れ草色の男が、咄嗟に魔術を試みる。
だが、亜麻色の稲妻は止まらない。振り被った長刀を、目にも止まらぬ速さで下ろす。
――袈裟懸けに一閃。
刃が、男の身体を断ち斬った。
通路からの距離を一瞬でゼロに戻し、瞬くうちに男を屠った亜麻色の髪を持つ少女。その両手に握る長い刀は、彼女の持つ切り札のひとつだ。つまりは――それを切るレベルの事態だった。
俺は片手をひらひらと振って、彼女に明るく声をかける。
「よう、レヴィ。ちょいと遅刻が過ぎるぜ、これは?」
レヴィは、小さく微笑んで俺に答えた。
「ハイ、アスタ。女を待つのは男の甲斐性でしょう?」
※
彼女はウェリウスも引き連れていた。
ウチのトップツーが、どうやらともに行動していたらしい。
「……なんだい、それ?」
開口一番、ウェリウスがそう疑問した。
その視線は今、レヴィが斬り飛ばした男に注がれている。
正確には、男だったモノ、と称すべきだろうか。
「……見ての通り。使い魔の類だろうな」
俺は言う。
そう、枯れ草色のローブの男は、人間ではなかった。斬られた瞬間に身体が溶け、どろりとした粘性の物質に変貌したのだ。
外見も、その能力さえ人間とほぼ変わりのない使い魔――おそろしい技術だ。
人形遣いか傀儡師か。なんと呼ぶにせよ、魔物学方面の専門家が、向こうの組織とやらには所属しているのかもしれない。
とはいえ、
「さっきまで話してたの、あれ絶対に人間だったよな……」
「斬られる直前に入れ替わったんでしょうね。逃した感覚はあったわ」
俺の言葉に、レヴィが頷いて同意する。
少し悔しげだが、あれで逃げられるなら俺たちにはもうどうしようもない。
「――結局、わけもわからない奴らに、わけもわからないまま襲われただけって感じだな……」
俺は肩を竦めて呟いた。まあ、そう簡単に真相を掴めると思うほうが間違いか。
俺たちは探偵でも警官でもない。ただの学生なのだから。あとは管理局にでもまかせるとしよう。
まあ、探偵や警官という職が、この世界にも存在しているのかどうかは知らないが。
「ともあれ、みんな無事でよかったよ」
と、ウェリウスが言った。ピトスも再会を喜んで、
「はい! もう一時はどうなることかと思いましたよ……」
「つーかお前ら、どこで何やってたんだよ? こっち大変だったんですけど」
俺はレヴィとウェリウスを睨めつける。
もちろん冗談だが、合成獣と戦うとき、このふたりがいればどれだけ楽だっただろうかと思うとあながち冗談でもない。
レヴィはしかし、少し怒ったような風を装って答えた。
「うるさいわね――仕方ないでしょ、合成獣に襲われたんだから」
「そ、そっちにも合成獣がいたんですかっ!?」
「そっちにも、ってことはこっちにもいたのね?」
「ええ……不死鳥を象った合成獣でした」
ピトスの言葉に、レヴィは口元へ手をやって考え込む。
「偽の幻獣……こっちもよ。もっとも種類は鬼種だったけど」
「なんだ、そっちにも出てたのか」
「そうよ? 心配した?」
からかうように言うレヴィに俺はひと言、
「いや、こっちだけ面倒な目に遭ってたら嫌だし」
「あんた、本当にロクなコト言わないわね」
放っておいてほしい。少しやさぐれたくなるくらいには、俺も久々に死を覚悟したのだ。
今も魔術の反動であちこちが痛むし。うやむやになってしまったが、そろそろピトスに治癒魔術を使ってもらいたいところだ。
そんな心境を視線に込めてピトスへ送ると、
「で、でもアスタさんすごかったですよ! よくわからないこといっぱいしてましたしっ!?」
何を思ったのか、俺のことを庇うようにピトスは言った。
違う、そういうフォローが欲しいんじゃない。
しかも《よくわからないことしてた》では結局なんのフォローにもなっていない。
「まあでも、ふたりが無事でよかったわ」
レヴィはほっとしたように胸を撫で下ろす。
「今、意図的に誰かひとり抜かれてなかった?」
「はいはい。アスタもがんばったわね」
「だからそういうフォローいらねーんだよ、がんばったけどな!」
「アンタ、あの手の力押しがいちばん苦手だもんね」
「そういうお前らは得意だろうな……」
口角を引き攣らせて俺は言った。基本、小技と搦め手に終始する俺は、合成獣のように純粋な高魔力生命とは酷く相性が悪い。なまじ性能が高く、こちらから術式干渉しづらい相手など俺にとっては鬼門に等しかった。魔術という土俵で、格上に挑んだのだから仕方ないとは思いたいが。
一方、単純に隙がなく、個人として戦闘能力の高い魔術師であるレヴィやウェリウスは、あの手の大技で倒し切れる相手とは相性がよかった。せめてどちらかでもいてくれれば、あそこまで合成獣に苦労することはなかっただろう。まして膂力に頼る鬼種を模していたのなら、レヴィの敵ではないだろう。ウェリウスまでいたとなれば、もはや憐れにさえ思えてくる。
こちらにシャルがいたのが、不幸中の幸いだっただろう。
ひとりなら百パーセント死んでいた。
「――あ、そうだ。アスタ、これの意味わかる?」
言うなりレヴィが、ひょいっ、と俺に何かを投げてきた。幅数センチほどの、陶器か何かの欠片のようなモノだ。
投げられたそれを片手で受け止める。
「なんだよ、これ?」
「私たちが倒した鬼の、核になってた魔晶っていうか……まあ見てみて」
言われ、俺はその灰色の破片を目にする。
――瞬間。
息が止まった、ような気がした。
「……これ、合成獣の核だったのか?」
「うん。アスタも一応は文字使いの一角だし、読めるかなって」
石版の欠片じみた灰色の破片。
そこには、こんな文字が記されていた。
曰く、
――《封縛/大江山酒呑童子》。
と、そんな言葉が、漢字で刻み込まれていた。
この世界には存在しないはずの、俺がいた地球の文字であるはずの漢字でだ。
俺は慌てて、不死鳥が消えた辺りへ向かう。
だが捜してみてもそれらしきものは見つからない。どうやら、あの枯れ草色のローブの男に回収されてしまったらしい。
「どういうことだ……」
この世界に《漢字》が存在しないことを、俺はすでに確認している。
歴史書や魔術書を腐るほど漁ったのだ。見落としがあったとは思えない。少なくとも、一般に認知されていないことは間違いないだろう。
この世界と地球では、当然ながら言語が違う。
西洋っぽい言語だとは思うが、その程度の認識でしかなかった。少なくとも俺はこちらの世界に来てから――魔術の補助を借りて、とはいえ――言語を一から習得し直している。
地球と異世界の文化に、共通点がないわけではない。
たとえば俺の使う、ルーン文字自体がまずそうだ。地球でも、小説や何かで聞いたことは何度かあった。さすがに文字そのものなんて覚えていなかっため、本当に地球のそれと同じ文字なのかは定かじゃないが、名前自体は聞いたことがある。
ただ、その程度の偶然なら――いや、もはや《偶然》なのかどうかも怪しいが――いくつも存在した。
たとえば属性に適応する精霊、火精霊や風精霊などの名前は、これも地球の創作物でよく聞いたものだ。
ただ俺はそれを、なんとなく《そういうもの》なのだと思っていた。
地球でだって、まったく異なる国同士が奇妙に共通した文化を持っていることはある。
その延長なのだろうと考えていたのだ。
でも、これはそれとは違いすぎる。
大江山は、どう考えても日本の地名だ。この世界にはない。
まして酒呑童子の伝説がこの異世界にあるわけがない。
この世界で語られている鬼種の神話とは根本的に出自が違う。
いったい――いったいどうなっているのだろう。
「……いや」
俺はかぶりを振った。思索の坩堝から意識を浮かせる。今は考えるのは止そう。
それより、一刻も早く迷宮を抜けたほうがよさそうだった。
「行こう、みんな。合成獣を倒した以上、迷宮の魔物が近いうちに復活する」
「……そっか。抜けてたわね、確かに。それはまずいわ。急ぎましょうか」
合成獣に勝てたから、それより弱い魔物には負けない――なんて理屈は迷宮じゃ通用しない。
その理由なんて、それこそいくらでも挙げられるだろう。
第一に合成獣は強引に使い魔化されていた影響で能力の大半を束縛されていた。第二に全員、合成獣戦で体力と魔力の大きく消費している。俺に至っては完全に怪我人だ。右腕がいかれている。第三に、そもそも三十層の魔物だって充分に脅威なのだから。
魔術師はその火力に比して、肉体の防御力が非常に貧弱だ。まあ人間なのだから当然だが。
それはつまり、どんなに強い魔術師でも、死ぬときは不意打ち一発であっさり死ぬということ。
早いところ逃げ出しておくべきだろう。
俺たちは地上に戻るため、迷宮を逆向きに駆け戻り始めた――。




