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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第一章 はじまりの日
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1-01『オーステリア王立魔術学院』

「――なんだコレ、おい……」


 呆れの声が口から漏れた。意識して発した言葉ではない。

 いったい誰の許可があって、こんな下らない本を書いたというんだろう。ていうかそもそも、まず誰がこんな頭の悪い本を買うというんだ。

 まあ実際に買ってしまった俺が言うのも説得力に欠けるが、それでもあえて言わせてもらえれば、こんな本を書く奴も買う奴もどうかしているとしか思えない。

 よって判決――禁書指定だ今すぐ焚書しろ。


「……はあ」

 狭い部屋の端へ、溜息交じりに本を投げ捨てる。序文を読むだけで頭痛に襲われる本など、さすがに俺も初めてだった。

 本気で燃やしてやりたいくらいだが、火事になっても困ると自分に言い聞かせる。

 俺とて一応、魔術師の端くれではあるのだから。この部屋には魔術関係の歴史書や研究書も多い。火種には事欠かないし、そも高価な書を燃やすなど以ての外だ。

 仕方なく、俺は代わりに机の上に投げてあった煙草を一本取り出し、そこに火をつける。

 紫煙を肺に溜め込んで、それから大きく息を吐いた。

「はあ……」

 二度目の溜息が漏れる。それと同時に、気力までどんどんと減っていくような気がした。

 ――それもこれも、全て何もかもあの馬鹿姉貴が悪いのだが。


「…………」

 一本を吸い終え、その火を完全に消す。煙草の始末は喫煙者が守るべき最低限の心得である。

 狭い下宿だ。板張りの壁は薄く、隣の部屋まで音を軽く通してしまう。床は踏むたびに軋みを上げ、お世辞にもいい部屋だとは言えないだろう。

 まあ、学生の下宿などこんなものだ。俺は備えつけの粗末な寝台ベッドに向かい、そこに投げてあった薄紫のぼろい外套ローブを着込んでから部屋の外に出た。

 途中で洗面所の鏡を確認する。少し灰色がかったぼさぼさの黒い乱髪に、死んだ魚みたいな黒茶の瞳を持つ、見るからにうだつの上がらないダメ学生がいた。それが自分だという事実に、なんとなく世界の厳しさを感じてしまう。

 この部屋は、俺が下宿している寂れた煙草屋の二階にある。店主の親父さんが、ほとんど道楽で開いている店らしく、この店に客が訪れているのを見た回数は多くない。

 その割に部屋貸しの賃料で儲けようという気もないらしく、家賃は割とお手頃価格。まあこんなぼろ部屋で高い貸し賃など取れるわけもないだろうが、それでも安い。俺の義姉と、この店の親父さんは古くからの知り合いらしく、その伝手で部屋を貸してもらっているわけだ。

 俺とはひと回りどころか三回りくらい歳の離れた親父さんだが、今となっては、俺にとっても気の置けない友人といったところである。


 階下へ降りると、親父さんが手持無沙汰に店番をしていた。

 禿頭直前の薄い頭髪に、柄の悪いごつめの顔。この店が繁盛しない理由のひとつに、親父さんの外見が威圧的だという理由もあるのではないかという気になる。

 もっとも確かに口は悪いが、話してみるとこれで案外、気のいいオッサンではあるのだが。

 これで結構、知り合いも多いらしい。


「――おうアスタ。なんだ、出かけんのか?」

 おそらくは商品であろう煙草を平然と吸っていた親父さんが、顔を上げて俺に言う。

「あー。ちょっと学院に行ってくる」

「あ? お前、今日は休みじゃなかったっけか」

 まあそうなのだが。首を傾げた親父さんへ、溜息交じりに俺は答えた。

「いろいろあって。ちょっと呼び出しくらってんだよね」

「はあ? 今度は何しやがったんだ、オメー」

「普段から問題起こしてるみたいな言い方しないでほしいんだけど」

「そりゃ悪かったな。――で、何した?」

「話聞いてた?」

 悪びれない親父さんに苦笑する。

 まあ、なぜか嫌な気分にはならないのだが。

「でも実際、なんで呼ばれたのかちっともわかんないんだよね。本気で心当たりがない」

「理由聞いてねえのか」

「うん。セルエからいきなり『明日、学院長室に来てー』って」

「なるほどね……暇なら、店のほう手伝ってほしいもんだが」

「手伝うほどやることないだろ、この店じゃ」

「なに、座ってりゃいいんだ。楽なもんだろ。その間は俺も出かけられるしな」

 うわばみの親父さんは、しょっちゅう近所の酒場で知り合いたちと酒盛りをしている。

 まったく羨ましい人生を送っているものだ、などと未だ学生の俺は思うのだった。

「ま、酒もほとほどにね。親父さん」

 それだけ言って、俺は下宿をあとにする。「うるせえよ」と笑う親父さんの言葉を背に聞いて、まだ明るい午前の街へと繰り出していく。

 今日の天気は、腹立たしいくらいの快晴だった。



     ※



 ――オーステリア。

 それがこの円形都市の名前であり、今の俺が住んでいる土地の名前だ。

 国内でも有数の繁栄を誇るこのオーステリアは、特に魔術師の街として知られている。呼んで曰く、《魔術都市》とも渾名されるくらいに。

 このオーステリアを魔術の方面で有名にしているのは、街に名高い《二大施設》が主な要因だった。


 そのひとつが、俺の通っている《オーステリア王立魔術学院》である。俺がこれから目指す場所もそこだ。

 王国内では最大規模を誇る、魔術師のための養成学校。魔術研究における最高学府。

 研究と訓練――つまり魔術を座学と実践の両面から解剖しており、集まる学生は誰もが将来を嘱望された若きエリートたちである。当然、講師も高名な魔術研究者や、歴戦の魔術戦闘者が揃っていた。

 その末席に自分が名を連ねている、という事実に、俺は入学から一年が経った今も慣れていない。

 魔術の才能には先天的、遺伝的な資質が大きく関わっているとされ、学生には貴族や名門家の出身者が多いからだ。もちろんそれが全てではないが、生まれという要素の大きさは否定できる部分じゃないだろう。

 親なし孤児という立場の俺では、義理の姉の紹介がなければ、おそらく入学が許されることはなかったと思う。


 まあ、この辺りは俺が勝手に劣等感を抱いているだけなのかもしれない。

 別に背景事情の違いで衝突する、なんてこともなし。魔術師の世界は、いっそ残酷なまでの平等を標榜する実力主義社会なのだから。貴族だろうが王族だろうが、そんな肩書きは入学した瞬間に意味をなくす。

 妬み、やっかみ、人脈作りや派閥争いなんてものもないわけじゃない。

 とはいえ、一応は国内でも最も優秀とされる学生の集う学院だ。通常、入学するときには年齢も十九になる年だし、子どもじみた諍いを繰り広げるよりは、少しでも実力を伸ばそうとする人間のほうが多かった。賢い奴は繋がりを断つより、むしろ人脈を広げることのほうに力を費やす。

 俺のような人間は、実際のところ、見向きもされていないというのが実情だった。


 ともあれ、その学院があるからこそ、オーステリアは魔術師の街として有名になっている。

 だがそれだけじゃない。この街にはもうひとつ、その知名度を上げる要因となるモノが存在していた。


 それが――《オーステリア迷宮》である。



     ※



「――失礼しまーす」

 ノックをして、そう告げてから扉を開いた。重厚で威圧感のある扉が、わずかに軋む音を立てる。

 オーステリア魔術学院の一階。学院長室と呼ばれる部屋である。

 名門校だけあって、学院の校舎は古めかしくも美しい。敷地も広く、この外観だけで充分に観光地として通用するだろう風情がある。

 もちろん《魔術施設》かつ《教育施設》かつ《研究施設》と、排他的性質の三大要素が揃い踏みしたこの場所は、外部の人間など滅多なことがなければ入ってこれないが。


 室内へ入ると、そこには思いのほか多くの顔が揃っていた。急な呼び出しだったため、誰が来るのかは知らされていなかったのだ。

 室内の人数は、俺を除いて六人。そのうち二人は教師側だから、学生として呼ばれたのはどうやら四人いるらしい。たぶん俺が最後だろうから、総計で五人になるようだ。

 俺の顔を見たときの、それぞれの反応はまちまちだった。

 素直に顔を綻ばせる者、驚きに目を見開く者、来るのが遅いと睨んでくる者、なぜこんな奴がとばかりに顔を歪ませる者、まるで無反応かつ無表情な者、見透かすように微笑む者――。

 その全てをひと通り眺めてから、俺は正面の机に座る、老齢の女性に声をかけた。


「おはようございます、学院長。アスタ=セイエルです」

「おはよう、アスタさん。よく来てくださいましたね」


 朗らかに微笑む、白い頭の背の低い女性。彼女がこの部屋の、ひいてはこの学院自体の主である――ガードナー学院長その人だった。

 現役の頃はやり手の魔術師だったと聞いているが、今では後進の育成を命題に、この学院の長を引き受けている。

 その事実が、すでに彼女の実力を物語っているようなものだ。

 家柄や伊達では、この学院のトップなど務まらない。


「申しわけありませんね、急に呼び出してしまって」

 済まなそうに告げる学院長へ、俺は首を振って答える。

 あまり礼儀を重んじるタチではないが、とはいえ学院長ともなれば別だ。

 むしろ、ここまで目上の相手に丁寧な対応をされると、それはそれで戸惑ってしまう。

 俺は根っからの平民だった。

「いえ、大丈夫です。それより、これはいったい――?」

 首を傾げて俺は訊ねる。呼び出されたはいいものの、未だに用件がわからない。

 てっきり説教でもされるのかと怯えていたのだが、面子を見る限り、どうやらそういう感じではなかった。

 なぜなら並んでいる学生たちの顔が、同学年でも特に優秀な魔術師のものだったからだ。

 そのほとんどと関わりのない俺でさえ知っているほどに。


「ええ。では全員揃いましたし、もう一度説明しましょうか。――セルエ先生」

「はい!」

 学園長に声をかけられ、その傍らにいたひとりの女性が口を開いた。

 薄い橙に近い明るめの短髪に、灰色の瞳。優しく明るい笑顔を浮かべた女性。だがこれで、学院でも突出して抜きん出た実力を持つ魔術師なのだから、ヒトは見かけによらないものだ。

 セルエ=マテノ。

 この学院に勤務する教師のひとりで、俺にとっては以前からの友人でもあった。義姉がこの学院に通っていた頃の後輩で、その関係からいろいろと世話になっている。

 セルエはこの場に集まった学生、五人全員の顔を見回すと、明るい笑みを見せて言う。


「端的に、結論から言いますと――ここにいる四人の皆さんが、来月に行われる《魔術大会》におけるシード権候補者、ということになります!」


 ――俺を入れたら五人なんですけど?

 などという野暮な突っ込みが、できる空気ではなかった。

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