5-01『作戦会議(喫茶店にて)』
「――というか、さ」
おずおずという風に。
両手で抱えたカップを下ろしながら、そう口火を切ったのはフェオ=リッターだった。
カウンター席に座ったまま、横側をちらと見つつ彼女は言う。
「わたしたち、こんなところで時間を無駄にしてていいのかな……」
「こんなところとは失礼な」
半ば独り言のようなフェオの呟きに答えたのは黒髪に眼帯をつけた青年。
レン=イブスキ。またの名を《珈琲屋》――指宿錬である。
この場所は、王都にある一軒の喫茶店だ。コーヒーの文化を広めることに腐心するレンのノウハウを応用し、別の人間がこの場所に店を出すことになっていた。彼が王都を訪れていたのは、その開店準備の手伝いのためである。
アスタと同じ地球人でありながら、レンがオーステリアに店を構えることができたのは、さる街の有力者が出資やその他諸々の援助を行ってくれたから。彼のコーヒーをいたく気に入ったその有力者の伝手とか無茶とかお茶目とかが相まって、こういう事態になったのだという。
まあ、だから厳密にはここはレンの店ではないのだが、それでも内装から何までいろいろと口を出した身。こんなところなどと言われては、不服に思うのも無理はなかった。
「ご、ごめんなさい……」
委縮するフェオ。根本的に人見知りの彼女は、眼帯がかけられていないほうの目に射竦められていた。
このところ加速度的に実力を伸ばしているフェオだったが、元の性格まで変わったわけじゃない。というより、周りが割とバケモノばかりであるため、そのことにあまり自覚がなかった。
客観的に見れば、彼女はすでに学院でもトップクラスの実力者といっていい。近接戦闘に限れば、あるいはレヴィさえ上回る実力者――充分に一流なのだが。
「……いや、すまん。アンタに当たるべきじゃなかった。一応はお客さんなんだから、ゆっくりしていってもらって構わない」
そんなフェオを見て、レンはバツが悪そうに頭を掻いて視線を逸らした。
カウンターの奥にいる彼は、それでも「くそ……あの疫病神の煙草屋め……俺を巻き込みやがって畜生……」などとぶつくさ呟いていたが。厳つい眼帯をしてはいるが、本人は細身だし意外と童顔だ。そんなに怖い人じゃないのかもしれないな、とフェオは甘くしたコーヒーを啜りながら考えた。
「あはは……まあ、いきなり押しかけて『店を貸せ』ですもんね。怒られるのも無理はないです、ごめんなさい」
フェオの隣に座る少女が言った。
ピトス=ウォーターハウス。厳密に言うと学院生かどうか若干怪しいフェオにとっては、優しくていちばん取っつきやすい相手ではある。ほかは男だったり年上だったり身分が高すぎたりと、そうじて対応しづらかった。人付き合いのほとんどが《銀色鼠》の内部に終始していたせいだろう。あのクランは子どもが多かった。
「いいんだよ。……つーか、王女様に言われて店開けないとか出るわけないし」
「あはは……」
さらっとやって来たアスタ、そして連れられてきたユゲルと王女様に「店を貸せ」と唐突に言われた、というのが今回の経緯であった。断れるわけがない。
「そういやアンタ、何度か店に来てくれてたよな?」
レンは軽く微笑んで話題を変える。普段、アスタなど限られた相手以外には敬語で話す男だったが、今は開き直っているせいか、言葉遣いが割と砕けていた。
ピトスは少しだけ両目を見開いて答える。
「覚えててくださったんですか?」
「常連で持ってるような店なんでね。新しい客の顔は、なるべく覚えるようにしてるんだ」
「オーステリアに戻ったら、また通わせてもらいますね」
「そうなるといいが」苦笑するレン。「向こうは大変らしいからな。でもまあ、ぜひまた来てください。今度はあの馬鹿がいないときにでも。サービスさせていただきますよ」
「ありがとうございます」
にっこりと笑うピトスに、レンも肩の力を抜く。
それを「オトナなやり取りだなー」と見ているフェオには、さすがにふたりも気づかない。
コミュ力ゼロ系少女・フェオは、妙なところに憧れを持っていた。
一転。そんなフェオと違い、本来はコミュ力の塊のような男は、さきほどから無言を保ち続けている。
本来なら何を言わずとも口を開くくらいの金髪碧眼が、なぜかやたらと静かなのだ。ピトスは強く疑問を持って、それとなく声をかけてみた。
「……どうしたんですか、ウェリウスくん? なんかさっきからまじまじお皿を眺めていますが」
「え? あ――ああ、ごめん。ぼうっとしていた」
弾かれたように顔を上げた青年――ウェリウス=ギルヴァージルが、少し照れたように微笑んだ。
その珍しい反応に、ますますピトスは首を傾げる。自分でもおかしかったと思うのか、ウェリウスは軽く首を振ってこう言った。
「いや。少し懐かしい味がしてね。ちょっと驚いてた」
「懐かしい味、ですか?」
「いや、味っていうと少し違うかな。こっちのほうが美味しい。ただ作りがね……昔よく作ってもらったのに似てるんだ」
「……へえ? その話は少し面白いな」
と、これに反応したのはレンだ。店を開けるのだからということで、彼はコーヒーといっしょに軽食――サンドイッチを提供していた。こちらの世界でも、パンに具材を挟んで食べるという発想はあるらしく、サンドイッチも(もちろん名前は違うが)普通に存在していた。要するに、そう珍しい食べ方というわけではない。
「それ、レシピは知り合いの森精種から聞いたんだ。その森精種も知り合いから作り方を聞いたと言っていたな。この街の住人らしいが」
「ん……いや、まさかでしょう」ウェリウスは小さく首を振り、誤魔化すように言った。「それよりこのコーヒー、とても美味しいですね。気に入りました」
「……ありがとうございます」
お世辞と受け取ったのか、レンは笑った。ただピトスは、それを言うウェリウスの瞳が割と輝いていることに気づいている。あ、これマジっぽいな、と。
ウェリウス=ギルヴァージル。コーヒーの洗脳を受け、あっさり陥落。
レンの野望がまたひとつ前進した瞬間だった。
そんなやり取りを傍目に眺めながら、フェオは心中でまた思う。
――いいのかなあ、と。
オーステリアが危機的状況にあることを聞いたのだ。そしてその情報はどうやら意図的に流されたものらしく、現在は内部と連絡を取ることが不可能だという。街全体に結界が張られ――王都が同じことをされたようにだ――中に入ることさえできないらしい。学院とも管理局とも、完全に連絡が途絶えている。
犯人は《七曜教団》。
それがわかっているのも、やはり向こうがあっさりとそれを名乗ったからだ。
だからフェオたちは、オーステリアを奪還するために乗り込む予定だ。そのはずだった。
かと思えば、こうして喫茶店でコーヒーを飲んでいる。一刻も早くオーステリアに戻らなければならないはずなのに。
とはいえ、自分たちより明らかに格上である魔術師――《七星旅団》の三番目《全理学者》にして《魔導師》級――ユゲル=ティラコニアに待機と言われてしまえば、意見すら封じられてしまう。
彼には彼の考えがあるのだろう。そして、おそらくそれはフェオにはわからないことだ。
その自覚はある。だが、それで感情を納得させられるかといえば違った。
あの街には、《銀色鼠》の仲間もいるのだから。逸る気を抑えることは難しい。少し前までのフェオならば、それこそひとりでも飛び出して行ってしまいかねないくらいだった。
店に来客が訪れたのはそんなときだった。
噂をすれば影というか。正確には噂などしていないが、「戻ったぞ」と現れるひとりの男。女性をふたり連れているのをフェオは見た。
ユゲルだった。背後にいるのは姉のシルヴィア=リッター、そして第三王女エウララリア=ダエグ=アルクレガリス。
「……いらっしゃいませー」
心底「嫌だ」という気持ちを隠そうともせず、レンが出迎える。
恐縮したのはシルヴィアだけで、あとのふたりには微塵も堪えた様子がなかった。特にユゲルには。
「ああ。いきなりで悪いが人数分なんか出してくれ。あるものでいい」
「畏まりましたよ、まったく」
「悪いな。だが、こういうときこそリラックスするべきでな? 作戦会議はこういうところでやる限るというのが俺の持論だ。いい考えだろう」
「生憎と無学でね。賢い人間の言うことはわからん」
「アスタよりは賢いだろう」
「アレより馬鹿な人間がこの世にいて堪るか」
「道理だ」
アスタの罵倒で盛り上がるふたりだった。実は仲いいんじゃないのかとフェオは苦笑する。
ユゲルは横並びにカウンターに座る三人を一瞬だけ見て、そこからいちばん近いテーブル席に腰を下ろす。エウララリアとシルヴィアもそれに従った。
やがてコーヒーと軽食――フェオたちに出されたものと同じだ――をレンが運んだ。彼は言う。
「なんなら席は外すが」
「構わない。……というか、いや」
ユゲルが一瞬、レンの顔を真正面からまっすぐ見据える。
表情の変わらないユゲルに、レンは押されることもなく顔を見返していた。なぜか見つめ合う形になるふたり。
やがて、少し経ってからユゲルは言った。
「――イカした眼帯だな」
「嫌味かよ」盛大に顔を顰めるレン。「このせいで客が来なかったんだぞ畜生」
「まさか。本心だよ」ユゲルはあっさりと答える。「それほどの魔力封じ、生半な職人には作れまい。あるいは迷宮産の流用かな」
「…………」
「内側ではなく外側を封じる魔眼封帯などそうはないだろう。少なくとも俺には作れんな」
「……だから嫌なんだよ、お前みたいな規格外は」
もはや相手が客であることなど完全に知るかとばかりに、レンは思い切り舌を打つ。
はっきり言って、フェオにはなんの話をしているのかわからなかった。だが逆にわからなかったのはフェオだけらしく、見れば周りの人間は驚き半分、納得半分といったような表情を見せている。
――あ、これ訊きづらいヤツだ。
フェオは流れに身を任せることにした。
「わたしのお仲間だったんですね。知りませんでした」
エウララリアが笑う。レンも、さすがに王族相手に毒づくのは難しいらしく、少し狼狽えながらも答えた。
「……王女殿下の魔眼ほど高位のものではありませんよ。――ああ、一応は店なので、膝を折るのは勘弁してもらいますよ、衛生的に」
「大丈夫です、わたしマゾなので。ドンと来い不敬です」
「……………………」
「冗談です」さらりとエウララリアは笑った。「なるほど、しかしさすがはアスタ様のお知り合いですね」
「……どういう意味でしょうか」
「変わり者が多い」
――王女じゃなきゃ殴ってる。
そういう顔のレンだった。
「君は魔眼持ちだったのか……なら、その眼帯は魔眼封じということだな」
シルヴィアが言う。ちら、とフェオのほうを見た辺り、単にフェオに説明をくれたのだろう。
――ありがとうお姉ちゃん。内心で感謝するフェオ。
一方、その事実をあっさりと指摘されたレンは、複雑な表情でこう答える。
「言っときますけど、戦力として俺を期待するのは間違ってますよ。俺には魔術は使えない」
「惜しいものだ」ユゲルが言う。「その才能、もしこの世界の魔導に適合すれば、ひとかどの術者になったものを」
「…………嘘だろ」
「ところで異世界人」あっさりと。「オーステリアの店は心配じゃないのか。向こうに残してきた従業員もいるだろう」
「――最悪だよ、アンタ」
がしがしと、レンは頭を掻いて溜息をついた。
こうも簡単に見抜かれては、もはや堪ったものじゃない。
「アイツから聞いたわけじゃねえんだろ?」
「見ればわかる」
「普通わかんねえんだよ」
「俺だって何もかも知っているわけじゃない。魔法使いとは違ってな。俺にわかるのは、誰でもわかることだけだ」
「……何をすればいい?」
レンは言った。
それは実質、ユゲルたちともにオーステリアへ同行するという宣言に等しい。
ユゲルは小さくこう答えた。
「ついて来ればいい。戦えなどという無茶は言わん。――お前だって、本心はついて来たいんじゃないのか?」
「そりゃ、店のことが心配じゃないと言えば嘘だ」
「……ここにお前が配置されている辺り、まったく世界とは皮肉なものだな。悪い考えだ」
そう呟き、ユゲルはコーヒーをひと口飲んだ。
――美味いものだ。
言ってから、カップを置いて彼は言う。
「さて。作戦会議とは言っても、確認することはそうはない。――まずお前たち」
ユゲルが、カウンター席の三人に視線を向ける。それからこう続けた。
「――本当に来るのか?」
「どういう意味です?」
そう問うたのはウェリウスだった。小首を傾げて、真意を確かめるように。
ユゲルは軽く肩を竦め、「いやなに」と口角を歪めてみせる。
「相手は魔人だ。普通の魔術師が敵う相手じゃないからな。そんなものが、アスタが倒した《金星》を除いたとしても、あと四人は最低でも存在する。――そのひとりでも、俺たちが倒せる相手じゃない。アスタが勝ったのは、単に相手が慣れていなかったというだけのことだ。なんの証明にもならない」
魔人。人間を超えた人間。
世界という情報媒体――魔力の大渦としてのそれに接続した人類種の進化体。
王都という特大の霊地を使うことで、七曜教団の魔術師たちは実質的に無限の魔力を手に入れたようなものだ。
そんな相手と、これから必ず避けられない戦闘が起きる。
その覚悟が本当にあるのかと、ユゲルは問うているのだった。
「格好つけて行くことを宣言していたがな。そんなノリを俺は信用しない。よく考えろ。自分が死ぬ可能性のほうが高いということを。命を天秤の上に載せてでも、奪還の意志のほうに重きが傾くかどうかを」
「……ユゲルさんでも、魔人には勝てないんですか」
訊ねたのはピトスだった。声音が震えることもなく、彼女はまっすぐにユゲルを見据えている。
ユゲルもまた、彼女をまっすぐに見返しながらそれを言った。
「――まず不可能だろう」
この中では、明らかに抜きんでて最強の魔術師が、魔人を相手には勝てないと断言する。
その意味がわからない人間など当然、この場所にはいなかった。
そして。
その上で彼らは答える。
「行きます。それ以外はあり得ません」
「……わかった」ユゲルはこれまたあっさり頷く。「よし、これでお前らが死んでも俺の責任じゃないな」
「え、そのために訊いたんですか……?」
「当たり前だろう」
しれっとユゲルは頷いた。
さすがに表情を歪めるピトスたちだが、ユゲルは平然として言う。
「だいたい、俺ひとりでは無理だとわかっているのに、なぜ戦力をわざわざ減らす必要がある。気遣うわけないだろう。やっぱり行かないとか言われたら詰んでたな」
「えー……」
「こんなものはただの意志確認だ。あるいは愛とか勇気とか友情とかで、奇跡を起こせるやもしれん」
「そんなこと絶対思ってないでしょう」
「さてな。いずれにせよ、行くなら俺の意見に命を預けてもらうことになる。それでいいというのなら、こちらから協力を願い出るさ。向こうにはシグやセルエ、メロもいる。奴らなら生きているだろう。戦力になるのはこれくらいだろうが」
その言葉を聞いてピトスは思った。
もしかすると、ユゲルは本当に意志の力による奇跡を信じているのかもしれないと。
だって。仮にピトスが教団の人間だったとするのならだ。
――絶対に、七星旅団の三人だけは最優先で殺す。
どうあっても邪魔になるのだから、放置できるはずがない。あるいは魔人化して余裕の構えなのだとしても、おそらくあの三人ならば自ら敵の前に乗り出すだろう。であれば必ず戦いになる。
実際、どうなっているのかはわからない。少なくとも三人が学院都市の奪還に成功したという知らせはなかった。あれば管理局を通じて王都に情報が入ることだろう。
普通に考えるなら、それはもはや三人の生存が絶望的だというようなものだ。
だがユゲルは、三人の生存を確信している様子だった。疑いさえ持っていないかのように。
信頼、ではあるのだろう。だが決して妄信しているわけじゃない。ユゲル=ティラコニアはきっと賢すぎるくらいに頭がいいから、仲間の生存を祈ったりはしない人間だ。
それでも彼は、三人が潜伏していると信じている。
なんだかんだ言っても、かつての七星旅団のメンバーたちは、お互いを信頼しているらしい。
そのことに、ピトスは疎外感を覚えない。そんな思考は間違っていることを知っている。
ただ、やっぱり思うのだ。
――少しだけ、その絆が羨ましいと。
「さて。というわけだ」ユゲルが言う。「向こうに向かうメンバーは俺、ウェリウス、ピトス、フェオ――そしてレン。以上になる。本当はグラム老の手も借りたかったが、彼が負傷してしまった以上は仕方がない」
「え!?」
と、その言葉に反応したのはエウララリアだった。
彼女はユゲルの正面から、テーブルに身を乗り出さんばかりにして叫ぶ。
「わたしは!?」
「王女を死地に連れて行けるわけないだろう」
「ええっ!?」
「馬鹿か」
「ああんっ!?」
「ちょっと嬉しそうにするな」
仮にも王女を正面から平然と罵倒するユゲルと、その言葉に状況も弁えず身悶えして喜ぶエウララリア。
カオスな状況だったが、それよりフェオはメンバーの中に姉の名前がなかったことに驚く。
視線を向けると、シルヴィアは目尻を落として小さく笑いながら答えた。
「――すまない。本当は私も行きたかったんだが……」
「シルヴィアにはほかにやってもらうことがある。まあ第一はグラム老が離脱した以上、王女殿下に護衛をつけないわけにはいかないという点だが」
「その点、仮にも元騎士の私なら、王国にも多少は顔が利くからな。適任だったというわけだ」
「王女殿下とシルヴィアには、王都にいてもらわないと困る」
その会話に、エウララリアもさすがに観念した様子だった。
というより彼女も、自分が行けないことくらいは初めからわかっていたのだろう。
「……まあ、父王が臥せ、兄も国外に向かってしまった今、この国の舵を切れるのはわたしだけだから。仕方ないですよね……はあ」
――嫌だなあ、とエウララリアは呟く。
オーステリアに向かいたいというよりは、ここに残りたくないというニュアンスだ。
「ほかのきょうだいは、だいたい変態なんですよね……まともなのはわたしと兄くらいで」
誰も突っ込まなかった。王女だから。これ。一応。
ともあれ、それで話は決まった。
現状では望み得る最高のメンバーだと言っていいだろう。今、この王都で戦力になり得るほぼ全員だ。
アスタとアイリスは、すでに王都を発っている。
残ったメンバーが奪還組として、これからオーステリアに向かうという手筈だ。
「問題は、奪還に関して作戦を組みにくいことだな。向こうの情報がほとんどわからない。ただ、とりあえずやることは、オーステリアに張られた結界の破壊だ」
ユゲルが言う。あの街は今、外部からの侵入が不可能な状況だ。
「向こうでまずやってもらうことだが、とりあえずお前ら三人は俺の護衛だ。シグが出てこれない以上、結界を攻撃魔術で破壊することはほぼ不可能だと思ったほうがいい。なら、魔術そのものを解体するしかない――できるとしたら俺くらいだろう」
「……でしょうね」受けてウェリウスが頷く。「では僕たちの仕事は」
「その間の俺の護衛だ。どれだけ時間がかかるかわからんが、そう簡単ではあるまい。そして教団の連中も当然、俺が結界に介入するのを見逃したりはしないだろう」
「では、できるだけ急いだほうがいいですよね?」
ウェリウスはウェリウスで、待機に焦れていたのかもしれない。
ユゲルは頷き、それからふと小さく笑った。
「当然、これから向かうさ。なに、すぐに着く。俺は時間を計っていただけだ」
「時間……ですか?」
首を傾げるウェリウス。彼にもユゲルの言う意味はわからなかった。
ユゲルは頷き、その視線をレンに向ける。
「当たり前だろう。まさか歩いて向かうわけじゃないんだ。早く着くに越したことはないに決まっている。いや、その点でもこの場所がちょうどよかった。レン、この場所を選んだのはお前だな?」
「そうだが……それが?」
「いい場所だ。魔力が上手く巡っている。その周期はちょうど今がジャストだ。――そうだな、おいピトス。お前、立て」
「……はあ、わたしですか」
「別に誰でもいいがな」
わからないながらに立ち上がったピトス。
ユゲルもまた立ち上がると、彼は隣のテーブルをいきなり両手で押してどかし始めた。
意味がわからない。
眉根を寄せる全員の視線を受けながら、やがてテーブルをどかし終わったユゲルは、それまでテーブルの置かれていた床を差して言う。
「そこに立て」
「……説明が欲しいんですけど……」
「見たほうが早い」
ピトスは、ユゲルが指差す場所まで歩いて移動した。
その正面に立ったユゲルが、にやり、と小さく笑って言う。
「この術式ばかりは、この国で使えるのは俺だけだろうな。貴重な体験ができるぞ」
そして言いながら彼は、右手の人差し指を立てた。
目を細めるピトス。ユゲルはその額を、立てた指で軽くトン、と突いた。
その瞬間にピトスが消えた。
「はあ!?」
驚いたのはウェリウスだ。それはもう、思わず叫んでしまうほどの驚愕である。
人を消す――いや、おそらく移動させたのだ。その魔術は彼の師匠を彷彿とさせる。
だが空間魔術は二番目の魔法使いの専売特許。いかなユゲルとて使えるとは思えない。
「もちろん空間魔術じゃない。これは転移ではなくあくまで移動だ――だが、馬車など使うよりよほど早い」
「……地脈の流れに、人間を通したのか……」
ユゲルの呟きにレンが言う。彼には今の現象の一端が掴めたらしい。
「なんだ、わかったのか。やるな」
「……理論はな。世界を血液のように巡る魔力の流れ――それに人間を乗せたんだな」
「東では龍脈とも言うらしい。その噴出点の間だけなら、どうやら移動が可能なようだ――いや、教団の連中に教わることもあるらしい。世界ってのは、魔力なら通れるようだからな」
「ほとんど遁甲だな。お前、この世界の東洋魔術になんて手を出してたのか。妖怪かよ……」
「何を言ってるかわからんが。まあ、空間魔術は魔法使いの専売特許――というのも癪な話だからな。ほかで再現してみただけだ」
魔導師。ユゲル=ティラコニア。
その二つ名を《全理学者》。
七星旅団最巧と謳われる実力に恥じない、魔術の一端を目の当たりにして。
思うのは、その心強さか。そんな彼ですら勝てないと言わしめる、魔人の恐ろしさか。
いずれにせよ、奪還組の戦いはここから始まる。
珍しく、ユゲルは楽しそうに笑いながらこう宣言した。
「――さて。学院都市の奪還といこう」
ピトス「どこだここー!?」
五章は四章より、というか三章より短いです。予定上。
そして一話からギリギリ一万文字を切っていくこの短さよ(短さとは)。
これは第五章が予定通りに終わるフラグですねっ!
あ、前回も言いましたが活動報告ありますー。
書籍版第三巻のキャラデザなんぞ公開しているのでどうぞ。
 




