EX-2『アスタとシグウェルの二年目 6』
「――……」
と。セルエ=マテノは自ら張った防壁の内側で、周囲の様子を確認する。
彼女は魔術師として、あまり真っ当なタイプではない。とはいえ、ひと通りの普通魔術は当然に修めており、たとえ力任せに作り出した防壁だろうとかなりの強度を持っている。透明な半球の内側で、セルエは背後に庇う四人の様子を確認した。
生きてはいる。そのことは、ひと目見た段階で気づいていた。死者と生者の区別など、たとえ遠目でも間違うことはない。
ただ、それでも不思議といえば不思議だった。この場所に来た当初からずっと、引っかかっている違和感がある。
まず四人がほとんど無傷だったことだ。
殺さないように手加減された、などというレベルではない。明らかに、彼らは意図的に傷ひとつつけないよう配慮されて倒されていた。
周囲の状況を見て、セルエは彼らがかなり手酷く倒されたと思い込んだのだ。強引に殴り飛ばされたみたいな形で、壁にめり込んでいるところを見れば、誰だって普通はそう思う。そいつに怪我がないなど思うものか。
実際のところ、キュオネ=アルシオンは割と強く殴ってはいたのだが。
負わせた負傷を、負わせたと同時に治癒していたに過ぎない。いくらセルエでも、いや、セルエほどの魔術師だからこそ思い浮かばない点だ。相手が治癒魔術師で、かつ敵対する相手を治そうとするなんてことは。
これがひとつのすれ違いだ。
ふたつ目。そもそもセルエは、ここにシグがいるなどということはまるで知らない。どころか、この場所を訪れたこと自体が初めてだ。
彼女は単純に、「ここに知人である四人の魔術師が来ている」という件だけを知らされて訪ねただけ。四人は彼女の知り合いであり――言うなれば、まあ、舎弟だった。
今でこそ荒れに荒れているものの、元々の性格自体は温厚なセルエだ。自分を嫌に持ち上げてくる舎弟たち――それが何人いるかは言及を避けておこう――の存在に辟易していないと言えば嘘になるが、かといってまっすぐに慕ってくる馬鹿どもを邪険にもできない。
殴り倒されているのを見れば、報復くらいはやってやる――という程度には面倒見のいい女性だった。
それが多少――あくまで多少――過剰になってしまったことは否めない。それは否定しない。
だが理由がないではないのだ。
まずひとつに、そもそも舎弟たちに怪我を負わせた連中に加減する理由がないこと。
そしてふたつ目に――この場で出会ったふたりの人間。
アスタ=プレイアスと、キュオネ=アルシオン。
このふたりが、セルエ=マテノという怪物の目から見てさえ、明らかに異常だとわかる魔術師だったことだ。
このふたりは、なんだ。
おかしい。明らかにおかしい。絶対に普通じゃないし、いっそおぞましい。まるで異形のバケモノに、下手くそな人間の振りを見せられているかのような気分にさせられた。
異常だったことが問題なわけじゃない。魔術師なんて多かれ少なかれ、どこか異常な部分があるものだ。自分だってその例に漏れないことに、セルエ=マテノは自覚的だ。のちに「《七星旅団》でも最も理性的な女性」と呼ばれたのは伊達じゃない(ほかがおかしかっただけとも言えるが)。
問題だったのは。
見た瞬間に「こいつらはおかしい」と、セルエが思わされたということである。
何が、と問われたって困る。感覚だとしか言いようがない。
身に纏う魔力とか、その質だったりとか、あるいは量であったりとか、そこから伝わってくるふたりの人格であったりとか。そういう要素を諸々ひっくるめて、セルエはふたりを「おかしい」と思った。
何が最高におかしいって、その異常さにセルエが嫌悪感をまるで抱かなかったことだろう。そんなものは矛盾している。
異常だということは、そのもの違うということだ。差異は隔たりで、その違いは必ず隔意を生じる。人間は本能で「違うモノ」を厭う。
だがセルエは「違う」とは感じても、それを「嫌だ」とは感じなかった。それが最高におかしかった。
問答無用で攻撃を加えたのは、本能が違うと感じながら受け入れた異常を、理性で排除しようとしたから。
敵か味方かはわからない。
でも、もし敵であった場合、何を措いても最優先で排除しなければならない対象であると。そう、セルエは理性的に判断した。
――まあ。
ぐだぐだ理屈を唱えたところで、それがセルエの早とちりであった事実はまったく変わらないのだが。
その感覚が、たとえば知り合いであるマイア=プレイアスや、シグウェル=エレクたちも持ち得るものだと思い出していれば。あるいは自分でさえ、傍から見れば大差ないということを自覚していれば。
そもそもキュオネ=アルシオンとは面識があるという事実さえ記憶に残っていれば。
話は変わっていたのかもしれない。
ただ現実、そのような展開にはならなかった。ならなかったとはいえ、それは誤差でしかないのだが。
少なくともセルエが責められるべきことではないのだろう。
ならば誰が悪いのかといえば、そんなものはたいていの場合、あるひとりに決まっている。
「――っ!」
視界の端で、何かが動き出すのをセルエは視認していた。
キュオネである。彼女が隙を突くように、半壊した建物から抜け出してもうひとりの少年――アスタのほうへと駆けていくのをセルエは見た。
――あの攻撃を無傷で凌いだんだ……。
半ば戦慄とともにセルエは思う。それは何もキュオネに驚いたわけではない。迷いなく駆けていくその姿は、それがあらかじめ示し合わされた作戦であることを物語っていた。
彼女は気絶していたにもかかわらず、だ。
言い換えるなら、なんらかの方法でアスタがキュオネを覚醒させ、攻撃の意思を伝えておいたということである。一歩間違えばキュオネを巻き込み、彼女を傷つけてしまっただろうことは想像に難くない。
だが、彼らはそれを信頼で成し遂げた。
セルエは知らぬことだが、これは当然、アスタが魔術で行った仕込みだ。
主神。
血文字で描いたそのルーンは、《口》という意味も持っている。意思を伝えるその文字で、彼はキュオネを起こすなり攻撃すると伝え、あとは自力で防いでこちらに戻ってこいと確認もせず魔術を使った。
彼女ならばできると。
作戦と表現するのは馬鹿らしいレベルの行為。それでもふたりは成し遂げた。そこには素直に感心する。
だが。セルエには不可解だった。
隙を突いて起こしたのに、そのキュオネに自分を攻撃させなかったことが、だ。
アスタはともかく、キュオネの実力は相当に高い。歳を考えれば、間違いなく天才と呼ばれるべき魔術師だろう。場合によっては、セルエに傷を負わせることだって不可能ではなかったはずだ。
けれどふたりはそれを選ばなかった。どころか逃げるように駆け出している。
報復に来たセルエが、それを見逃すはずがない――とふたりならば考えるはずなのに。そもそも負傷したアスタでは、セルエから逃げることなどできないだろう。
――逃げる……?
ふと、セルエは違和感に気づく。
そもそもこの場所は、あのふたりの拠点であるはずだ。戦うならこの場所が最も適している。
見ればキュオネは、かなり必死な様子でアスタの許へと駆けていた。セルエから逃げているというより、この場所自体から逃げ出そうとしているかのように。
セルエは知らず空を見上げた。彼女の直感が、何かを悟ったかのように。
直後。
半ば廃墟となった小屋の上空に、濃密な魔力が渦を巻いて現れる。
その気配には、セルエもよく覚えがあった。
「――え? シグ先輩……?」
「ぬ?」
声に反応するよう、崩れかけの二階からシグが飛び降りてきた。小屋の二階から地面に飛び降り、一階部分にいるセルエに視線を向ける。
セルエはもうワケがわからない。なんで彼がこんなところにいるというのか。
なんであの魔弾とは名ばかりのイカレた威力をした破壊光線を、この場所に撃ち落とそうとしているのか。
「え……え? あれ? ちょ、え? 何してんですか、こんなとこで?」
「久し振りだな。セルエこそなぜここにいるんだ」
「なんでって……あの、マイア先輩から、ベルたちがここに捕まってるって聞いてきたんですけど」
もはや普段通りの喋り方に戻ってしまっているセルエ。
ベルたち、というのは舎弟である四人のことなのだろう。そちらを見たシグは小さく頷き、
「俺はそいつらに連れられて来て、さっきまで上で寝てたんだが」
「あっれえ? ちょっと予想外の展開だぞー?」
セルエは目を白黒とさせた。なんだか嫌な予感がひしひしとしてならない。
「あの、えぇ……? ちょっとわたし、いろんなことがわかってないんですけど……?」
「俺もよくわからん」
「まあ先輩はそうでしょうね畜生」
「ふむ。どうやらアスタたちと一戦やったらしいな」
「知り合いだったー! そうじゃないかと思ったけどそうだったやらかしたあ――!」
「気にするな。奴らにもいい経験になっただろう」
「思考が脳筋!」
「ちなみに俺はユゲルに呼ばれてな。体質の治療をするからこの場所に来いという話だった」
「わたしはマイア先輩に、悪の実験が行われてベルたちが巻き込まれてるっていう風な感じで聞いたんですけど!?」
「だいたいあってる」
「外郭以外の何もかもがあってない!」
「まあ気にするな」
「気にするわ! どーすんだよ割と本気でボコボコにしちゃったよ! 冤罪じゃん!?」
吠えるセルエであった。
教訓である。
だいたいいつもマイアが悪い。
「ていうかシグ先輩、あの、どうしてわたしだってわかったのに未だに魔術を動かしてるので……?」
「いや。アスタに叩き起こされてな、この建物を完膚なきまでに壊してくれと」
「オーバーキルすぎる! しかももういらないじゃん!! むしろどんどん威力が上がってるっぽいんですけど!?」
「俺も溜まりすぎた魔力を発散する場所が欲しくてな。ちょうどいい」
「何が!?」
「お前なら相殺できるだろ。ここで発散させてくれ」
「馬鹿じゃないの!?」
「行くぞ」
「いや、え、ちょ、待っ、本気で、嘘ぉ!? 撃つの? マジで!?」
「えい」
「いや待てええええええええええええええええええっ!?」
手加減は、それでも一応されているのだろうが。
次の瞬間には、シグによって頭のおかしい威力の破壊光線が、空から降り注いできた。
セルエは思いっきり拳を握り締めると、これまた魔力の輝きが迸る突きでもって魔弾に対抗する。
「――お前らホントにマジで覚えてろいつかぶっ飛ばしてやるんだからうわああああああああああああああああああああんっ!!」
とまあ、そんな泣き言を喚きつつも、セルエは魔弾に拳ひとつで本当に抵抗してみせた。
――この一件が、のちにセルエが舎弟を掻き集めてマイアに戦争を吹っかける《仁義なき抗争》の発端になった、かどうかはともかくとして。
傍から見ている分には、どっちもバケモノとしか言いようのない光景。
それを遠くから眺めていたアスタは、隣まで戻ってきたキュオネに小さく訊ねる。
「よくわかんねえんだけど。結局さ、これってどういうこと?」
「そうだね。わたしもよくわかんないけど、ひとつだけ言えることはある、かな」
「……言ってどうぞ」
「アスタはまた、骨折り損の血を吐き損ってこと、じゃない?」
「もうやだ!」
――夢オチのほうがまだマシだコンチクショー!
アスタは地面に倒れ込んだまま、もうやってられるかという心境でそう叫んだ。
来なきゃよかった。ていうか来ないほうがよかった。
当たりどころのないもやもやに苛まれながら、アスタは大きく溜息を零す。
背後から声がかけられたのは、ちょうどそんなときだった。
「――ふん。まあ及第点としておくか」
「な――!?」
気配もなく。いつの間にか、男がひとりそこに立っていた。
線の細い、白衣を着た無精髭の男。声をかけられるまで気配にさえ気づかなかった。
驚くアスタを尻目に、キュオネが普通に言う。
「ああ……やっぱり教授の仕業か。こんな高度な結界、そうそう張れる人いないと思ったんだよ」
「キュオネか。お前は今回まるで駄目だったな」
「うっ」
なぜかダメ出しをする男だった。
「お前は才能もあって判断力や決断力にも優れるが、それを全て簡単に投げ出すのが最悪だ」
「というか、誰? 知り合い?」
話に割って入るようにアスタは問う。白衣の男はアスタを見下ろし、
「お前もだ。一応は及第点をやるがいちいちが遅すぎる。もう少し経験を積め」
「……あ、はい……」
「俺の名前はユゲル=ティラコニアだ」
「はい」
このヒトも、他人の話を聞かないタイプなんだな。
と。もう慣れたアスタは受け入れた。
「――マイアに頼まれてな。しばらくお前たちを鍛えることになった。そんな面倒な真似、本当なら断るところだが仕方ない。俺もお前らには興味が湧いた。付き合ってやる」
「もしかして、さっき聞こえてきた声って……」
「俺の声だろう。なんだ、気づいてなかったのかお前」
「……はは」
アスタは考えるのをやめた。
ともあれ。
これがのちに四人の舎弟を通じて多くの人々の耳に届き、そのうちに伝言ゲーム的な変換を経て《悪の秘密組織を壊滅させるためにたまたま集まった五人の魔術師が運命的な出会いを果たした》という文脈で、なんと本になるというのだからいろいろと狂っている。世間に膾炙する伝説など、大半が脚色されているということであった。
結局のところ、結果的には似たようなことをしているのだが。
その辺りは余談として――ともあれ。
――こうしてアスタは、セルエ=マテノ、そしてユゲル=ティラコニアと出会ったのである。
夢も希望もない。
※
なお後日談として。
土下座してアスタとキュオネに謝罪するセルエと、ふんぞり返って悪びれないユゲル、そして食事に精を出し全て無視状態のシグウェルから事情を聴取したところ。
どうやら以下のような経緯だったらしい。
一、マイアがユゲルにシグの体質改善とアスタたちのコーチングを依頼する。
二、その助手として、ユゲルがセルエの舎弟を四人借り受ける。
三、それを知らなかったセルエが四人を探していたところ、マイアに出会って「四人は秘密の実験に協力者として連れ去られたよ」などと絶妙に嘘ではないがニュアンスの違うことを言う。
四、セルエ、場所を聞いて小屋に向かう。シグは四人に呼び出されて小屋で寝る。
五、ちょうどユゲルがアスタたちを呼び出しに外出していたところで、アスタとキュオネ、セルエに遭遇する。
六、途中で帰って来たユゲル、ひと目で事情を察するも、「まあ今のうちに実力でも見ておくか」と放置。
以上だった。結論すればだいたいマイアが悪い。
勘違いからふたりを攻撃してしまったセルエは恐縮しきっていたが、《マイア許さねえぶっ飛ばしてやる》という点においてお互いに共感し、アスタは一瞬で打ち解けた。
その後、ふたりでマイアのところへ逆襲に向かうのだが、その結果がどうなったかまでは語る必要もないだろう。
――この時点で。
のちの七星旅団の七人中、六人までが出会っていた。
また、その伝説に曰く。
互いの第一印象については全員が――あとから合流した七人目まで含めて――同じ感想を抱いていたという。それがこれだ。
――こいつら、自分以外全員、頭おかしいな。
シグ編でした。シグ編でしたって作者が言ってるんだから誰がなんと言おうとシグ編なんです(暴論)。
次回、『アスタとユゲルの三年目』。お楽しみに。
たぶん一話で終わると思います(フラグ)。
なお活動報告が御座います。よろしければお目通しをば。
それでは。
 




