1-18『vs合成獣(後)』
それをたとえるのなら、空爆という表現が相応しいと思う。
いっそ皮肉なまでに美しい青の炎が、無差別に地上へ降り注いでいる。狙いなどつけなくても、絨毯爆撃で空間を飽和すれば逃げ場がなくなる。
合成獣は、あまりにも無造作に俺たち三人を攻撃する。
まるでこちらの命になど、なんの価値も見出していないと言わんばかりに。
「――――…………っ!」
ピトスは息を呑みながら、それでも防御の術式を展開した。
魔術の成否は精神的な状態に強く影響される。命のかかった状況下で、それでも冷静に魔術を発動できるだけ、ピトスの精神力は称賛に値した。
透明な、半球状の防壁が俺たちを包む。
その間もシャルは、途切れさせることなく詠唱を続けている。その信頼に応えるべく、俺もまた魔術を起動した。
すでに炉心は悲鳴をあげている。
過剰な魔力使用が、肉体に負帰還を起こしていた。筋肉が断裂し、内臓に負荷がかかり、口の端からは血が漏れている。
一撃も食らっていないのにこの有様だ。我ながら自嘲の笑みが禁じ得ない。
「ま、こんなもん一発でも受けたら、確実にお陀仏だろうけどな」
自嘲するように俺は笑う。視界を埋める炎を見れば、笑みも漏れようというものだ。
――そして防壁の上に、炎の雨が降り注ぐ。
一撃一撃が、人間ひとりを跡形もなく消し飛ばせるだけの威力を持つ炎弾だ。防壁の内側にいなければ、おそらく余波だけで消滅する。
ピトスの防壁は、炎弾の直撃をなんとか耐えていた。
単純な火力と硬度の比較ではない。互いの魔術、その術式と魔力の密度の戦いなのだ。
合成獣の攻撃とて、無限に続くわけではない。炎の雨が止むまで攻撃を凌ぐことさえできれば、今度は反撃に転じられる。
だが、
「く――ぅ……!」
顔を歪ませてピトスが呻く。その額には玉の汗が浮かんでいた。
いかに彼女でも、この規模の攻撃を受け止め続けるのは無理があるだろう。事実、防壁には徐々にひびが走り始めている。
もって五秒。それまでに攻撃が止まなければ、俺たちは炎弾の直撃を受けるだろう。
俺は防壁の内側から、その側面に手を触れた。
その状態でピトスへと告げる。
「防壁の維持にだけ魔力を使え! 強度は俺が上げる!」
「わ……わかった!」
議論している時間はない。ピトスもわかっているからだろう、問い返しもせず頷いた。
防壁の維持をピトスの魔力で行い、俺が術式で強化する。魔力量に乏しい俺だが、魔力を使わない援護なら得意分野だ。
五秒を十秒に、十五秒に延長する――。
「ど、どうするのアスタくん!」
叫ぶピトスに、俺は笑みで持って返答する。
というより、頬が引き攣っていた。
「今から俺が、お前の防壁を改造する」
「は――はあ!?」
「まあ見てろ!」
俺が同時に操作できるルーンは四つまでだ。何を選ぶかで生死が決まる。
俺は――《雹》に続く、ふたつ目の切り札を切ると決めた。
右手の指先に魔力を灯し、その輝きで印を刻む。
「――《故郷》」
ひとつ目のルーンで防壁を補強する。
防壁は結界へと変化し、内部の空間を《領土》として、侵犯への抵抗を図る。ひびがわずかに修復されて、おそらく数秒は寿命が延びただろう。
その代償に、俺は口から血を零した。咳き込みながら、さらにルーンを場へ刻む。
「《財産》――」
ふたつ目のルーンで結界の性質を変化させる。
受ける炎をただ弾くのではなく、魔力に変換して結界の維持に再利用させる。すでに数十度の直撃に耐えている防壁が、その寿命をさらに延ばした。
性質変化の高度な魔術。反動で、頭の奥が灼けるように痛む。
「――《軍神》」
三つ目のルーンは、《勝利》を意味する戦いのルーンだ。結界そのものの強度を上げ、大局的な勝利を呼び込む。
神の名を持ち、運命軸にさえ影響するという強大なルーンだ。その強度は、きっと上空の魔獣にさえ伝わったことだろう。
代わりに腕に激痛が走った。たぶん骨に亀裂くらいは入っていることだろう。
そして――、
「《明松》――ッ!」
最後のルーンは《松明》の逆位置。すなわち印刻を逆しまに解釈し、その意味を強引に逆転させる、俺にとって第二の切り札となる魔術だ。
本来は強い情熱や、強大なエネルギーを意味する《火》のルーン。それが反転することで、鎮火、希望の消滅――そして死を暗示するルーンと化す。
「貰った魔力、返すぜ――使い魔」
防壁の改造が完了した。
直後、降り注ぐ火炎が反転して、魔獣の元へと昇っていく。まるで巻き戻されたように天井まで堕ちていく炎の雨が、合成獣の身体を貫いた。
「反応装甲――ならぬ反射障壁だ」
自身の攻撃を、そのまま自身で身に受ける魔獣。
炎の雨が降り止んだ。
視線の先で、俺は合成獣と目を合わせた――ような気がした。どこか憎々しげな、恨みの籠もった視線を向けられたような気がする。
錯覚だとは思う。だが今、もはや合成獣は動くことができない――。
「――今だ、やれシャルロット!」
「言われなくても――!」
俺は叫び、そして彼女が答えた。
高く腕を掲げて、宙を舞う魔獣に差し向けるシャル。
直後、その掌から――豪炎の竜巻が発射された。
「――――――――!!」
うねりを上げ、強大な破壊の力を撒き散らしながら進む炎の渦が、合成獣の身体に直撃する。
青の炎を、赤の炎が上から灼いていた。合成獣さえ上回る圧倒的な火力。
全身を火炎に焦がされて、魔獣は為すすべもなく地へと墜ちた。
シャルの魔術は、それほどに圧倒的だった。
元素魔術と儀式魔術の複合魔術。明らかに学生レベルを超えたそれは、戦略級魔術と呼ばれる類いのものだ。
規模の上では、さすがに《炎の雨》には及ばないだろう。だが一転突破の局所的な破壊力としては、彼女の《炎の竜巻》が上回っている。
堪らず合成獣は墜落した。
焼け爛れ、融解し、魔獣は全身が崩壊している。青の炎が剥がれ落ち、粘性の肌を剥き出しにして合成獣は、もはや肉体を構成する魔力を留めるだけの力さえないのだろう。
再生力を失い、どころか自身の身体を保つことができなくなっていた。
魔物は遺骸を遺さない。
それはこの合成獣も例外ではなく、身体を構成する魔力が空気に還り、あとには核となる魔晶しか残らなかった。
――俺たちの勝利である。
※
合成獣の撃墜を見届けてから。
俺は、そのまま前のめりに地面へと倒れ込んだ。
「――ちょ、アスタ!!」
「アスタくんっ!?」
ふたりが慌てて俺に駆け寄ってくる。
どうも心配させたようだ。俺はふらつきながらも立ち上がり、
「いや……大丈夫だ」
「口から血が垂れてますけど!?」
ピトスがそう突っ込んだ。いや、別にボケたつもりもないのだが。
身体を支えてくれるピトスに、俺は左手で掴まった。ルーンを刻んだ右腕は、すでにほとんど使い物にならない。筋繊維がずたずたにやられ、おそらく骨も折れている。
「ぼ、ぼろぼろじゃないですか、アスタさん! いったいどうして……」
「……あー、魔術の反動。ほら俺、魔力を制限されてるじゃん?」
「いや知らないけど……なんで?」
呆れた表情でシャルが言う。
まあ、普通に生きてればそりゃ魔力を制限されることなどまずあり得ないから、驚くのも無理はないと思うが。
「昔、迷宮でちょっといろいろあって。呪われた。その反動で、魔力を使いすぎると肉体のほうに反動が出るんだよね」
「……とにかく治癒しますので、怪我してるところ出してください」
ピトスにまで呆れた表情を見せられる。
いや、俺だって別に、好きでぼろぼろになっているわけじゃないのだが……。
ともあれ、治癒してもらえるのはありがたい。稀少な治癒魔術師がパーティにいると、こういうときに嬉しかった。
俺はずたずたになった右腕をピトスに委ねる――、
「――……」
その前に、広間の奥の空間へ向けて振るった。
※
「……おっと、驚いたな。まさかばれるなんて。はは、さすがに二度目はなかったか」
※
俺の放った攻撃魔術。結果的に、それは不発に終わったらしい。
暗がりの先から、嫌に明るい声が聞こえてきた。
酷く場違いに明るい、奇妙に爽やかな響きの声だった。
「酷いじゃないか、いきなり攻撃するなんて。僕じゃなかったら大怪我だ」
「…………」
「まあ、さすがに合成獣を斃しただけはあるよ。いや本当、こんなことで計画が台なしになるとは思わなかった」
「だ、誰……なの!?」
ピトスの声が震えていた。シャルもまた身体を硬くしている。
突然現れた男の気配に、まるで気づかなかったからだろう。
「誰と訊かれてもなあ。はは、決まってるじゃないか。この段階で出てきたんだよ?」
愉快げに笑う、気味の悪い男が迷宮の奥から歩いてきた。
ウェリウスと同じ、だが明らかに色のくすんだ金髪。表情の中で、切れ長の金眼だけが笑っていない。
年の頃は二十台前半程度だろうか。痩せ細った枯れ木のような、それでいて強い存在感を纏う奇妙な男が。
「――君たちの敵に決まってるじゃないか」
怖気を掻き立てる表情で嗤っていた。




