S-16『新米魔術師ネリムちゃんの事件簿 8』
「――許せませんッ!!」
そう言って、ネリムは立ち上がった。
立ち上がってしまった。
後悔は、もちろんあとから押し寄せてきたけれど。それでもきっと、ネリムは何度同じ状況に立たされても、同じ行動を選ぶだろう。だからやっぱり、後悔なんてしていない。してはいけない。
リグたちの裏切り――だと彼女は思っている――にショックを受けて、半ば茫然自失としていたネリム。それでも、誰かが死んだと聞いて、黙っていることなんてできなかった。
「あ? なんだお前――なんで起きてる?」
誰かの声。見渡してみれば、周囲にはリグを含め二桁に近い数の人間がいる。
その半数近くはどうやら魔術師ですらなかったが、かといって彼女の勝てるような相手ではない。
ネリムはリグに視線を向けた。
彼は、心底から驚いたという表情で、凍りついたみたいに固まっていた。瞳を見開き、その状態でさえ美男子と言える顔でネリムを見ている。
その腕の中には、横たわり、微動だにしないキュオネの姿。
「どうして……どうしてキュオさんを殺したんですかっ!」
感情のままにネリムは叫んだ。そう、それを訊ねずにはいられない。
リグの腕の中で、血の気の失せた肌の色をしているキュオネ。確認のために近づいた魔術師が、だが、このときむしろ困惑した表情で言う。
「いや、……え、殺してないけど」
「えっ」
「大事な荷物を殺すわけないだろ……」
「えっ」
目をぱちくりとさせるネリム。男のほうも、こいつは突然立ち上がって何言ってんだ、という顔だった。
嘘ではない様子である。
「……持病でもあったんじゃないのか」
しばらくして、リグが言った。
ネリムが起きていたことが予想外すぎて、さらに言えばここで立ち上がったことに至っては完全に想定外すぎて硬直していたが、とりあえず予定通りのことを言った。
確認に来た男がさっとキュオネの首筋に指を当て、それから言う。
「かもしれないな。……まあ、それじゃ商品にならねえ。早めに死んでくれて、むしろ助かったようなもんだろ」
「――っ!」
ネリムの逆鱗に触れる言葉だった。
人の命を、いったいなんだと思っている。
「で、でも貴方たちが攫ったりしなければキュオネさんは――」
「――それよりお嬢ちゃん」
思わず言い募ったネリムの言葉を、止めるような声が背後から聞こえた。
部屋の入口の側に振り返ったネリムは、そこに見る。
――《紫煙の記述師》。
七星旅団のひとりを騙っていた、リーダー格の男だった。
「なぜ起きてる? 俺の幻術はそこまで甘いものじゃねえはずだが……?」
「――そ、そんなことはどうでもいいでしょうっ!」
「いや。よくないね」
男は首を振った。その双眸には、見れば冷徹な輝きが秘められている。
実際、魔術の失敗に男はいたく傷ついていた。少なくとも術は成功していたはずで、それが想定より早く解かれたということは、ネリムには男の魔術を敗れるほどの魔力が秘められていたということだ。
実際には、もちろん違う。ネリムには確かに才があったが、いくらなんでも完全に決まった魔術をこうも早く解くほどの抵抗力は持っていない。その原因は、あくまで首に嵌めたままの魔具だ。
「ったく……眠った振りしてりゃあ、こうなることもなかったのによ」
だがネリムが勘違いしていたように、男もまたネリムの実力を勘違いした。
自分を上回る才能。その想像に、いたくプライドを傷つけられる。
下働きとして悪事に手を染める魔術師に、それは耐え難い想像だったのだろう。
――才能さえあれば。
冒険者として生きていくことができたかもしれない。研究者として名を上げられた可能性もある。あるいはどこかのクランや金持ちに雇われ、安泰な一生を過ごしていただろうか。
魔術の世界は、努力で覆せないことばかりで。
それでも、わずかでも手に入った力を捨てることはできず。
「――殺していいぞ」
偽《紫煙》が言った。その宣言に、ネリムは果たして動揺を隠せたかどうか。
男は笑う。それは酷く嗜虐的な表情だった。
「いいのか? 大事な商品だろう」
ひとりが訊ねた。それに、男は軽く頷く。
「構わん。どうせ飛び入りだったんだ、元から目をつけてた奴じゃねえ。どの道、俺の魔術をレジストできるような才能があっちゃ、売れるもんも売れりゃしねえよ」
「……了解」
対応さえ決まってしまえば、男たちの行動は早い。
彼らもプロだ。下卑た笑みを浮かべ、外見の整ったネリムで遊ぼうというような人間もいない。
その割り切った反応が、むしろネリムに恐怖を与えた。
「…………っ」
飛び出してしまった以上は、口八丁でどうにか乗り切ろうと考えていたのだ。
――だが、ネリムの足掻きなど通じそうなほどには甘くなかった。
王家のお膝元で犯罪に手を染める間抜け、では決してなかったのだから。王都から人を攫ってこられるほど組織立っている、と考えるべき相手だった。
ただこのとき、最も焦っていたのはネリムじゃない。リグだ。
ネリムは確かに震えるほどの恐怖を感じていた。けれど幸か不幸か、恐怖という感情は彼女の足を竦ませるものではない。ネリムはそういう性格ではなく、むしろ恐怖を原動力に前へと歩ける人間だ。
――まずい。どうする……。
リグは歯噛みした。この場で暴れれば、ネリムを助けること自体は容易だ。
その場合、ほかの子どもたちを人質にされかねないことが問題だった。そうなることを避けるために、潜入という道を選んだのだから。キュオネが死んでいる現状、ネリムかほかの全員かを、天秤にかけることになりかねない。それはご免だった。
不都合はさらに続く。
リグを見て、偽《紫煙》だった男が言った。
「そうだな。――新入り、お前がやれ」
「……、俺が?」
「こういう場合は、そうすることに決めている」
正体がばれた、わけではないと思う。その場合、試すような真似などせずリグを殺すだろう(殺せるような実力差ではないが、リグの実力もまた彼らにはわからない)。
ただし、何かの違和感を悟られていたのかもしれない。
キュオネとリグは知り合いで、そのキュオネが死んでいるということに、言葉にできない引っかかりを感じた可能性はある。だとしても、『そう決まっているから』と返されては詰みだ。単純すぎて、逆らうに足る理屈を出せない。
「お前の実力も見ておきたいしな。そのガキも才能はあるようだが、身寄りがねえんじゃ魔術の手ほどきなんざ受けてねえだろ」
そうではないことをリグは知っていたが、もちろん言葉には出せない。
――どうする。リグは迷う。
見捨てる選択肢は初めからない。この時点で、すでに《ネリムを助けて正体を明かす》という未来は確定していた。だが、そこからどうやって全員を助けるか、またこちらを敵だと思い込んでいるネリムがどう動くかが問題なのだ。単純に、相手の人数が多いというのは面倒なのである。
何より最悪なのが、囚われの子どもはこの部屋以外にもいるということだ。
この部屋は、あくまで初めて連れてこられた子どもを一時的に入れてあるに過ぎない。彼らは人攫いであり、ということは買う人間がいるということだが、必ずしも全員が買われるわけではない。
幸いとは決して言えないし、むしろより不運と言えるかもしれないが、売れ残りが存在しているのだ。結界に覆われたこの場所に、纏めて。
――もしもそれが処分されていた場合は、言ってはなんだが、仕方がない。そればかりはもう、どうしようもない。リグも、キュオネだってそこは割り切っている。
だが、生きている可能性は少なくない。
元より子どもを買う人間の目的は、奴隷などといった労働力ではない。というより、この国に奴隷制は存在していない。明確に違法、極刑もあり得る罪だ。表立った運営のできない人材に価値はない。
だから彼らは、彼女たちは、ある意味でそれよりもおぞましい何かのために売られていく。買い手は少ないが一度の売買における払いはいいし、そう何度も仕入れてくる危険を冒す必要がなかった。
ゆえに一度は売れなくても、別の相手には売れるかもしれない。このねぐらのどこかに、買われなかった子どもたちが残されている可能性は無視できなかった。
ただ、それがいったいどこなのかがわからない。
魔術師の隠れ家である以上、この場所は当然、結界で覆われている。問題はその質だ。
この場所は、自然にできた魔力の溜まり場だったのだ。規模は小さいが、質で言えばかの学院都市にさえ匹敵するほどの自然的な魔術要塞。リグやキュオネをして、自力では発見不可能だったほど強力な結界が張られているのだ。それは内部でさえ複雑極まりない構造をしており、もはや小規模な迷宮だ。
組織の人間から訊き出さない限り、囚われの子どもたちを見つけ出すのは難しい。
だからこそ厄介で、だからこその作戦だったのだ。
この組織は人身売買を行うためにこの結界を作ったのではない。順番が逆だった。偶然、この場所を見つけて結界を構築できたから、人身売買を行うことにしたのである。
「――いいんですか?」
そのときだった。
迷うリグを尻目にして、そうネリムが言ったのは。
「あ……?」
首を傾げる男たち。だがそれはリグも同様だ。
いいんですか、とはいったいどういう意味なのか。問われるより先に彼女は言う。
「暴れますよ、わたしは」
「……まあ、別に抵抗するなとは言わねえけどよ」
言ったところで無駄だからだ。しかし、何を言っているのだろう。
――まさか、この人数を前にして勝てるとでも言うつもりか。
「自信があるのは結構だが、そう上手くいくかな? 俺たち全員を倒せると自惚れるなら――」
「いえ。そんなことはできません。わたしが暴れても、あなたたちは倒せないでしょう」
「は……?」
偽《紫煙》は眉を顰める。恐怖のあまりおかしくなったのか、そう疑った。
だが違う。ネリムはむしろ冷静だった。
続く言葉でそれを知らされ、男の表情はそこで硬直する。
「――でも、ここで眠っている子どもたちは死にますよ?」
「な……にっ!?」
「わたしの魔術の直撃を受ければ、無抵抗なみんなはどうなるでしょうね? 少なくとも、商品にはならなくなると思いますが」
全員が絶句した。何よりリグが硬直した。端正な顔を歪め、酷く珍しいことに口をぽかんと開けてしまう。
――こいつ、なんてこと考え出しやがるんだ!?
子どもたちを人質に取られることを恐れていたリグの、それは完全なる盲点だった。
よもや、逆に自分から子どもたちを人質に取るなんて予想もできない。だが言われてみれば確かに、品数が減って困るのはネリムではなく彼らのほうだ。
ネリムは表情を伏せ、そのまま言葉だけを続ける。
「今日、取引があるんですよね。困るんじゃないですか? その場に、商品が揃ってないなんてことがあっては」
「お、前……っ」
「いや、それはそうでしょう。わたしはわたしが生き残りたいんですから。ほかのみんななんて、知ったことではありませんよ」
――嘘だ。と、そう直感できたのはリグだけだった。
ネリムにそんなことはできない。そんな性格では絶対にないし、仮に命惜しさに言い出したのだとしたら矛盾する。
なぜなら、彼女は《取引が今日行われる》なんてことは知らないはずなのだから。それを知っているということは、ここに運ばれる前から意識が戻っていたということになる。リグたちの話を聞いていたのだ。
だったらひとりで逃げればいい。
こちらは、攫ってきた子どもたちが逃げ出すことなんて考えもしていなかったのだから。彼女ひとりなら、とうに逃げることができていたはずだ。
それをしていないということは、ひとりで逃げるつもりがないということ。もちろん、可能性としてはリグと偽《紫煙》の話がなされた、ちょうどその瞬間に目覚めて逃げる隙がなかったこともあり得るかもしれない。
その場合、許せないなどと言って立ち上がったりはしなかっただろう。
少し考えればわかる嘘だ。妙手どころか悪手に近い。
だが奇しくも、その論理は犯罪組織の連中にとって説得力を持っていた。
自分を優先して他人を切り捨てる。そんな嗜好は彼らにとってあまりにも当たり前だ。
何より、まさかそんなことを言い出すとは思わなかったという衝撃が――彼らの意識の隙を突いた。
リグは驚かざるを得ない。
まさか――こんな手で逆転するなんて。
「……なるほどな。世間知らずのガキかと思いきや、いやはや。割と思い切ったこと言うじゃねえの」
やがて、衝撃から立ち直るように偽《紫煙》がそう言った。
それ自体は心からの言葉だ。洗脳や話術を得意とする彼だったが、そんなことを言うとは想像していない。
だから答えた。
「――いいだろう。確かに商品が減るのは困るな。お前は見逃してやってもいい」
当然、嘘だ。この場所を知られた以上、生かして帰せるわけがない。
だが偽《紫煙》は愉快げに笑って、ネリムに向かってこう言った。
「今回はかなり豊作だからな。ひとりふたり減っても困りゃしねえさ」
「…………」
「だから、なあガキ。これができたら見逃してやる」
「……、なんですか?」
「――ひとり殺していけ。それができたら見逃してやる」
今度はネリムが絶句する番だった。
彼女もまた、そんなことを言われるとは予想していなかったのだから。
「な――」
「お前さえ生き残れればいいんだろ? なら簡単じゃねえか。自分でやるっつったことだぜ?」
「……商品が減るのは、困るんじゃなかったんですか?」
「言っただろ。ひとりふたり減っても、困らねえよ。もともとふたり分、当初の予定より多いんだ。買いにくる側だって、いくつ商品が並ぶかなんて知らねえんだからよ」
「…………」
「そうだな、そこのガキなんてどうだ? 野郎だしな、今回の客はそっちにゃ興味ねえらしいぜ。代わりに小せえガキが好みだっつーんだから、まあノーマルとは言えねえけどよ。はっは、理解できねえわ」
ネリムの近くに横たわる少年を指差して、男はそう笑った。
同じ馬車で、少しだけ話した少年だ。知り合いの女の子といっしょに来たらしい。
ふたりで冒険者を目指して、王都までやって来たと言っていた。
その話をネリムは聞いていた。
「……意味ないんじゃないですか、そんなこと。無駄に商品が減るだけですよ」
「そうでもねえ。だって、そうしたら俺は安心できるだろ?」
「え――」
「わかってんだろ? この場所を知った奴を、そう簡単に生きて帰したりできねえんだよ。ここから逃げてお前はどうする? 俺たちからいつ追手が来るかもわからねえのに、一生怯えて暮らすのか」
「……っ」
「もし本当に、この場で殺していけるなら、それはお前が保身のためなら無駄なリスクを負わない人間だと、俺が安心できるようになるってことだ。だから、そうしたら見逃してやっていい。あとで口封じを送ったりもしねえ。お前とは会わなかったってことにしてやろう。安心だろ? ――だから、俺も安心させてくれよ」
リグには、男の言う言葉の意味がわかっていた。
当然、初めから彼に見逃す気はない。ネリムに殺しができないと踏んでいるだけだ。
それは彼女の嘘に気づいたからではない。単に知っているだけだ。
ネリムのような子どもが、保身のために誰かを殺そうと決意したところで、実際に手を下せるほど割り切れるものではないということを。
本気で殺す気だったのだとしても、いざとなれば覚悟は揺らぐ。罪悪感が走る。消えない罪を背負う覚悟を、そう簡単には背負えない。
――魔術を習えるほど恵まれたガキは、手前で喰う家畜すら殺したことがねえだろう。
そんな奴は、その時点でもう魔術師なんかじゃねえ。魔術が使えるだけの人間を魔術師とは呼ばねえ――。
それが彼の理念だった。
「……わたしが魔術で彼を殺そうとした、その瞬間に殺されるかもしれないじゃないですか。嫌ですよ、あなた方に隙を見せるなんて」
ネリムは言う。咄嗟に考えた理屈としては上出来だろう。
だが、ほとんど悪足掻きだ。
「ならナイフでも貸してやろうか。全員、手を出さねえよう壁際に寄らせてもいいぜ」
「…………」
「いいからやれよ、さっさと。――魔術師だろ? 殺す覚悟くらい持ってみろ」
「…………」
「――答えろ。できるのか、できないのか」
「できません」
ネリムは言った。ずっと伏せられていた顔を上げて。
その表情をリグは目にする。
笑顔だった。――彼女は、笑っていた。
「誰かを殺す覚悟なんていりません。それくらいなら魔術師になんてならなくていいです」
「……そうかよ。なんだ、残念だぜ――結局、甘いだけのクソガキか」
「そんなこと、あなたに言われたくありませんね。クソ野郎」
「……、……」
「わたしはここで死ぬでしょうが、あなたなんかには絶対に屈さない。最後まで抵抗してやります」
そう宣言する彼女の身体は、わずかだが小刻みに震えていた。
当然だ。死ぬことが恐ろしくない人間などいない。そんな奴は生き物として歪だし、壊れている。
それでもネリムは、自分の命を天秤に載せ――生き方を曲げないほうを取った。
恐れながら、涙を堪えながら。真っ当な恐怖を、意志の力で捻じ曲げる。
「――かかって来やがれ、ですよ」
偽《紫煙》は一瞬だけ瞑目し、それからこう言った。
「殺せ」
ネリムは魔力を集中させる。死ぬことがわかっていてもなお、最後まで諦めないために。
瞬間。彼の部下たちも、一斉に魔力を起動する――。
※
「――ごめんなさいっ!!」
※
と。そんな場違いな声が響き渡った。
それ以外の音は聞こえなかった。攻撃をしようとしていた魔術師さえ、硬直したように動かない。
それも当然ではあった。
なぜなら、いきなり死体が立ち上がったのだから。
「な、なんっ、な、なななな、な――!?」
盛大にどもるネリム。つい今の今まで死の淵にいたことを、忘れるほどの衝撃だったからだ。
キュオネ=アルシオンが。
死んでいたはずの彼女が生き返って、二本の足で床の上に立って、そしてなぜかこちらに頭を下げている。
「い、い……生き返って……え? 幽霊? ええっ!?」
驚愕に口をぱくぱくとさせるネリム。
だが驚きはほかの人間も変わらなかった。例外などそれこそリグくらいで、特に彼女の死を直接に確認した下っ端のひとりなどは、口から泡を吹かんばかりの驚愕に襲われている。
その一切を無視して、キュオネはネリムに近づくと、いきなり頭を下げて言った。
「――ごめんなさい。騙しててごめんなさい。巻き込んでごめんなさい。怖がらせてごめんなさい。本当はもっと早くに助けられたはずなのに、ここに来ないよう逃がしてあげることだってできたはずなのに、いろいろ言い訳して秘密にしててごめんなさい。捕まってる子を助けるためとか、組織にばれないようにするためとか……そんな綺麗ごと、あなたにはなんの関係もなかったのに」
「いや、あの……はい?」
なぜ謝られているのかちっともわからない。
あとなんで生きているのかも。誤診だったのだろうか。
けれどキュオネは言葉を続ける。
「――それと、ありがとう」
「へ……?」
「あなたのお陰で気がついた。やっぱりこういうの向いてないね、わたし。最初っから、真正面から行ったほうがよかったよ。そうすれば、あなたにこんな怖い思いはさせずに済んだんだから」
「いや、あの……そ、それどころじゃないっていうか、その――」
「ううん。いいの、わかってるから。――ありがとね。カッコよかったよ、すっごく」
「え、はあ……どうも。じゃなくてその、あの、ここ危ないので、あの」
「――心配しなくても大丈夫」
そこまで言って、初めてキュオネは背後を振り返った。
その視線の先にいるのは、ようやく驚愕から立ち直った男たちの姿。
それを見据えて、キュオネは言う。
「というわけで今からわたし、あなたたちをぶっ飛ばすから」
その瞬間には、すでに男たちも動き始めている。
何が起きたのかはよくわからない。だがその程度で動きを止めるほど抜けてもいない。
何よりも少女から発される膨大な魔力が、逆に彼らを冷静にさせた。
――こいつは、ここで殺さなければ、まずい。
ひとりが、キュオネの死角からすでに近づいていた。その手には、鋭利な銀の輝きを放つナイフ。見ただけではわからないが、ご丁寧に致死性の毒物が塗布されている。
魔術師ではない。だが、魔術師ではないということが脅威を意味しないとは限らなかった。
その分の時間を格闘の研鑽に充てれば、油断した魔術師を暗殺するくらいわけもない。
そう。それは暗殺者の動きだ。
低い体勢から資格を縫って繰り出された一撃は、毒物などなくても人ひとりの急所を抉り抜くくらいわけないだろう。
横合いから、心臓めがけた一撃が繰り出され――それをキュオネはあっさり受け止めた。
片手で。勢いのついた暗殺者の、ナイフを持った腕の手首を掴む。そのまま捻り上げて相手を床に組み伏せ、ナイフを奪い取るとこう言った。
「あ、危ないからネリムちゃんは下がっててね?」
「……え、あ、はい」
「ふうん……毒物だね、それも即効性のあるタイプ。遊びがないのはさすが、かな」
言うなり、キュオネはその毒刀で、組み伏せた男の頬を軽く切った。
直後にそれを前方に投擲し、動こうとしていた別の男をその場に縫い止める。当たりはしなかったが、それが毒だとわかっていたために、前へ踏み出すことはできなかった。
「――ひ、い、ぎぃあああああああああああああああああああああああ!?」
切られた男が、悲鳴を上げて苦しみ始める。
そのせいで、やはりほかの男たちは動けなかった。なぜなら、それはおかしいからだ。
そこまで苦しむはずがない。あの毒がもし体に回れば、苦しむよりも先に死ぬ。
「大丈夫だよ、死なないから」
キュオネは言う。
笑顔だった。
「ていうか死ねないでしょ? 死なせるつもりとか、ないし」
「あ、ぎ、ぃ……ぐぶっ――ぁ、っ」
「苦しい? わたし毒なんて効かないから、よくわかんないんだ」
「――――…………」
「あ、気絶しちゃったね。じゃあ抜いてあげる」
言ってキュオネは男から手を離した。
毒を塗られた彼は、完全に気を失ったのだろう、微動だにしない。
いや、生きているのかどうか。
「――大丈夫」
キュオネが言った。繰り返すように。
「わたしは治癒魔術師だからね。死なない限りは治してあげられる」
「何を、した……」
訊ねたのは偽《紫煙》だ。キュオネは軽く肩を竦め、
「わたしは治療しかしてないよ」
「な、に――」
「毒で死ぬ前に治してあげててだけ。ただ毒そのものは抜かなかったから――かなり苦しかっただろうね。でも悪いけど、見せしめのつもりでやったから」
それはいったい、どれほどの苦痛だっただろう。
呼吸すら阻害される猛毒で、けれど死ぬこともできずに苦しみ続けるなどと。
自らを悪だと自認する彼らをしてなお、その残酷さには総身が震えた。
「治癒魔術師……なのか」
「そうだよ。だからあなたたちは、どんな目に遭っても絶対に死なせないから。わたしが。どれほど痛くてもどれほど苦しくても絶対に死なせないし、死なないまま苦しみと痛みを感じ続けるようにするから。これ、そういう脅しね。脅迫。むしろ今のは手、抜いてたから。やろうと思えば、心のほうが先に死ぬまで、意識を手放せないようにもできる」
「ん、な――」
「残酷なことしてるの、わかってるけど。でも謝らないし、やめる気もない。だから全員、覚悟して向かってきてくれるかな」
ゆったりと、キュオネ=アルシオンが立ち上がる。
その姿に誰もが恐怖した。恐ろしい、と。そう心から思った。
「――来た順番に、今度こそ終わらない痛みを感じさせる。それが嫌なら投降して。向かってこなければ、何もしない」
「ただの魔術師じゃねえな、お前……どこの者だ。誰に言われて来た!?」
「そうだね。ちょっと嫌だけど、でも、これを聞いて諦めてくれる人がひとりでも出るなら、それでも構わない、かな」
そして。彼女は名乗る。名乗りを上げる。
その表情から笑みを消して。
後ろに立つネリムに、その表情は見えなかったけれど。
「――七星旅団、四番。《万象の昏闇》――キュオネ=アルシオン」
ずっと憧れていた、本物の魔術師の背中を見て。
ネリムは、ただ、こう思った。
「七星で、いちばん残酷な女だよ」
――こわい。
キュオネちゃんマジ天使()。
次回、ネリム編最終話。もう予約投降しておきます。
というわけで予告、明日の19時ですー。




