S-15『新米冒険者ネリムちゃんの事件簿 7』
違和感には、目が覚めた瞬間に気がついた。
ネリムは周囲を見渡して、そこが見知らぬ場所であることに気づく。
「――ん、あれ……んぇ?」
きょとん、と首を傾げるネリム。
なんだか揺れが感じられる。まるで馬車に乗っているかのよう。
でも、そんなわけがないことは知っている。だって、昨夜はあの村の宿で寝たはずだから。
《紫煙》さんに報酬を頂いて、「今夜はここに泊まっていくといい」と告げられたことまでは覚えている。できればもっと話したかったし、冒険の物語なんかをいっぱい聞かせてもらいたかったけれど、生憎とそれは断られてしまった。
残念だけれど、七星旅団だってお仕事で来ているのだから仕方がない。ひとりとはいえ本物にも出会えたのだし、その辺りで満足しておくべきだろう。
――などと考えていたところまでは、完璧な記憶が残っていた。
問題はその先だ。部屋に入ってひとりで寝たはずが、なぜこんなところにいるのやら。木張りの床みたいなところに、寝っ転がるほどボケてはいなかったと思うのだけれど。
ていうか、どこだここ?
なんだか馬車の中みたいに思えるけれどっていうか。
「馬車……ですよね、どう考えても」
辺りは薄暗い。月明かりすら、幌が完全に隠している。揺れもあって、足下すら覚束ないくらいだ。
だが、どうやらここにいるのが自分だけでないということは、わずかに聞こえる息づかいから判断できた。
ネリムはゆっくりと這うように、いちばん近い息のほうへ向かった。横たわるその身体を覗き込んでみれば、至近距離でようやくわかった、ここまでいっしょに向かってきた若い冒険者見習いのひとりである。
眠っているみたいだ。息遣いからもそれがわかる。
よくよく感覚を凝らしてみれば、周囲には複数の人が眠っている気配。たぶんみんな、ネリムと同じ立場の人間だろう。
「……ちょっと。起きてください。ねえ?」
いちばん近いひとりの身体を、ネリムは軽く揺さぶってみる。それを静かにやったことは、状況から考えれば賢明だったろう。
同じ馬車でやって来た女の子は、けれどまったく目を覚まさない。ただ眠っているだけでないことが、ネリムの知識でもわかるほど深く意識を絶たれている。
そう、これは自然の眠りじゃない。
間違いなく、魔術によって昏睡させられていた。
その上で拘束されていなかったことが、果たして彼女にとって幸運だったのかどうか。起きた以上、自由に動けることは間違いない。
動けてしまうとも言える。
それはそのまま、この場における判断がネリムの肩にのしかかることを意味していた。全てが自己責任だ。
自分だけが目覚めた理由は一瞬でわかった。
言ってしまってはなんだが、魔術における生来の才能は、この場に集められた子どもたちの中でネリムがひとり突出している。もちろん七星旅団のような伝説に謡われる人間とは比較にもならないけれど、それでも一般的に見れば、ネリムは充分に天賦の才能を持っている魔術師だ。
持って生まれた魔力的な適性は、そのまま魔術に対する抵抗力に直結する。ネリムは無意識のうちに、全員にかけられた昏睡の魔術をレジストしてしまったのだろう。
おそらく、この場にいる人間の中では、生来の魔力でこの術式に抵抗市得るのはネリムただひとりだ。
そしてネリムには、持ち前の魔力で術に抵抗することはできても、他者にかけられた魔術を破壊するようなことはできない。そんな魔術は使えない。
昏睡状態で、馬車に乗って運ばれているこの現状。
これを端的に理解するなら、その答えはひとつ。
――あれ? これ、わたしたち、人攫いに遭ってませんかね……?
答えはなかったが、答えなど必要としていなかった。
実際に、その通りであったのだから。
※
「ど、どう、ど……どうしましょうどうしましょう!?」
焦るネリムである。だって、こんな窮地は想定していない。
仕事先で、まさか人攫いに遭うだなんてことは考えてもいなかった。考えていたらそもそも仕事を受けないので当たり前だ。いや、それでも七星旅団のメンバーと関われるならやっぱり受けたかも。なんて言ってる場合ではない。
思考が纏まらない。焦っている証拠だ。
落ち着かなければならないことはわかっている。だが、それを強く意識するほどに焦燥感は強くなって、ネリムから冷静さを奪っていった。
どうしよう。どうすればいい?
今、この場で動くことができるのはネリムだけだ。それはそのまま、辺りで昏睡する全員の今後が、ネリムの双肩に懸かっているということで。
責任の意識が強くなるほどに、ネリムは苦しくなっていった。呼吸の仕方さえ、わからなくなってしまうほどに。
「……ひ、」
息を、呑む。身体が震えているのがわかった。
こんな精神状態では、きっと簡単な魔術さえ満足に使えないだろう。
「――ん、……ぅ」
そのとき。吐息が、聞こえた。
すぐ傍で横たわる少女が、苦しそうに喘ぎを漏らしたのだ。
その様子が、偶然にもネリムを冷静にさせた。根本的に生真面目で、他人との共感能力が高い彼女の性質が、奇跡的に上手く働いたのだ。
それは一歩間違えば、今よりずっと危機的な状態へネリムを誘ったかもしれない。責任感の強さは場合によって、プラスにもマイナスにも働く。
――見捨てようだなんて、思いつくことすらなかった。
けれど。確かに魔術の適性は生来の素質に強く左右されるが、それがそのまま魔術師としての才能まで決めるわけではない。
その意味でいえば、ネリムには確かに魔術師としての適性があった。
状況に左右されず冷静に自己を統御し、自らの意志を過不足なく現実に反映する――どこまでも理性的に全てを思考する。
それが、魔術を扱う人間の第一要件だ。
ただ同時に、その状況でなおひとりで逃げるという考えを一切思い浮かべない人間性は、魔術師として失格だっただろう。
ともあれ、すんでのところでネリムは冷静さを取り戻した。
まずは周囲の状況を冷静に判断する。
ここは馬車の中――それはいい。ということは、動かしている人間がいるということだ。
どうする? 御者は、ネリムが目を覚ましたことに気づいていない。拘束されていないということは、魔術をレジストして目を覚ます人間がいないと判断したからだろう。だからネリムの覚醒に気づかない。
仮に気づいたとしたら、その時点でこちらに顔を出すはずだ。
だから、まだ気づかれていない。今は、まだ。
「…………」
案は、ふたつ思い浮かんだ。
ひとつはこのまま、ひとりで抜け出すこと。眠っているみんなを起こす魔術が使えない以上、協力して抜け出すのは不可能だ。だいたい、さすがに気づかれる。
だが今なら――ネリムひとりなら抜け出せる。その隙に助けを呼んでくることを考えて、だがその案は一瞬で棄却せざるを得なかった。
当たり前だ。何を考えている、とネリムは自分を呪う。
仮にネリムが抜け出して、運よくそれに気づかれなかったとしよう。その場合、馬車はそのまま進んでいってしまうのだ。
ここがどこかもわからないのに、いったいどうやって助けを呼べばいいというのだ。仮に救援が見つかったとして、その頃には馬車もどこかに消えてしまっている。
ならば、ふたつ目の案。
気づかれていない今ならば、御者を不意打ちで強襲することができる。
相手の実力はわからない。少なくとも犯罪者であることは確実だ。
果たして、ネリムの攻撃が通用するだろうか。みんなが昏睡させられている以上、相手方に魔術師がいることは間違いない。
多少の実力差があっても、不意打ちで魔術を使えば気絶させるくらいはできる――と思う。だが絶対じゃない。
失敗したときのリスクが大きすぎる。
勝負は一瞬だ。時間をかけて魔力を練る暇はない。気配でばれる。
瞬間に出せる威力の魔術で、御者台の誰かを昏倒させることができるだろうか――?
それとも、何かほかに手があるだろうか。
「……っ」
わからない。だが考えている暇もない。
――やってやる。
意を決し、ネリムが魔弾を放とうと掌に魔力を集中させようとした――直前だった。
馬車が、停車してしまったのは。
――まずい。
ネリムの顔が青褪める。馬車が止まったということは、目的地に着いたということだろう。
人攫いがねぐらに着いたのなら、そこには間違いなく仲間がいる。ネリムの作戦は、あくまで相手がひとりだから成立するものだ。
そして。その意味でいえば、初めから成立さえしていなかった。
気配を感じて、ネリムは咄嗟に寝たふりをした。もともと這っていただけだったのが功を奏したのだろう、次の瞬間に御者台側から幌を覗かれたものの、ネリムが起きていることは気づかれなかったらしい。
「――よし、運べ。ただし丁重にな、大事な商品だ」
「そこの四阿の中でいいのか」
「ああ。今日、この日に集まることになっている」
男がふたりいるらしい。声でそれがわかった。
つまりネリムの講じていた作戦は、初めから破綻していたということだ。たとえひとりを倒しても、隣のひとりに負けてしまう。
だが、このときネリムを驚愕させたのは、相手がふたりいたことではない。
その声の両方に、聞き覚えがあったことだ。
「…………ッ!!」
叫び出さなかったのは奇跡だったか、あるいはショックすぎて叫べるはずもなかったか。
いずれにせよ、このときネリムは完全に硬直した。考えていた作戦なんて頭から抜け落ちてしまったし、このあとどうなるかなんて想像さえ不可能になってしまう。
「……で、お前はどうする――《紫煙》さん?」
片方の男の声。それに答えるよう、もう一方が言った。
「ここに来てまで、そんな呼び方はしなくていいぞ、リグ。……って、お前に名前は教えてなかったか」
「……白々しい。警戒していただけだろうが」
「悪いな。だがまあ、そう言うな。この仕事が終わったら、晴れてお前も俺たちの仲間入りだ。今後ともよろしく頼むぜ?」
嘘だ、と思った。いや願った。
だが声だけならば自分を騙せても、名前まで合わさっては不可能だ。
紫煙。そしてリグ。
彼らは互いをそう呼んだ。ということは、つまり。
「……しかし、お前も酷ぇ男だな。知り合いだったんだろ、あの女。いいのかよ、こんな組織に売っちまって」
「知り合いってほど知り合いでもねえよ。下らねえこと言ってる暇ねえだろ、行くぞ」
「はいはい。そんじゃ、人を呼んでくるとしますかね」
その会話は、もはやネリムのもとに届いていない。
ただ、ショックだった。
自分が騙されていたことが、ではない。見習いとはいえ魔術師なのだ、自分だって、嘘をつく生き物であることは自覚している。
ネリムがショックに思ったのは、その相手がこのふたりだったからだ。
伝説と憧れた魔術師が。
友人になれた魔術師が。
こんなことに手を染めていた事実が、ただ悲しい。
……幸運ではあったのだろう。
ショックで身動ぎさえ取らなかったことが、奇跡的にネリムの覚醒を周囲に伝えなかったのだから。近づいてきたリグに担がれて、運ばれていく間でさえ、ネリムは眠っている振りを完遂した。
今の精神状態でなければ、あるいは気づかれていたかもしれない。
そうして、ことのほか丁重に運び出されたネリムは、そのままどこかの建物の中に投げ出される。
相変わらず暗く、辺りはまるで見えなかった。
※
さて。当たり前のことではあるが、リグは人攫いの組織の一味――などではまったくない。
完全に勘違いしたネリムの思いとは違い、事態はまったく差し迫っていなかった。
それは七星旅団を騙っていた男のほうであり、リグはその一味に入り込んで情報を探っていただけだ。
旅団だと嘘をつけば、馬鹿な子どもが簡単に騙されて自分から巣に飛び込んでくる――実際、その手口はこれまで上手くいっていた。杜撰ではあるが、身よりのないガキの数人程度、何があろうと追ってくるような人間はいない。その頃には別の土地にとんずらしているだけだった。
それで、上手くいっていた。
本物のひとりに、目をつけられてしまうまでは。
ここまで一切動かなかったのは、彼らのアジトの場所がわからなかったから。そこに別口で捕らえられている人間もいるとわかっていたため、また実態の掴めない組織をこの夜で一網打尽にするため、囮捜査よろしく入り込んでいたわけだ。
キュオネ=アルシオンの、それが計画だった。
七星旅団の名を騙り、悪事に手を染めていることが許せないから。もちろん彼女に責任はない。そこまで手を出す理由なんてない。
――でも許せないものは許せないし関係者全員纏めてとっ捕まえてやるつもりだから協力してねしてくれるよねっ!
という彼女の言葉に脅され、もとい絆されリグが協力した形だ。
コトが人身売買ならば、商品である子どもたちに手酷い真似はしないだろう、と。それが欺瞞であると知りながら、この犯罪に携わっている組織を根本から撲滅するための芝居だった。
上手くいっていた。組織の人間は完全にリグを信用していたからだ。
話術に魔力を込めることで、自らを信用させる魔術を偽の《紫煙》は使っていた。彼が本物だとあっさり信じ、また会話の前後の記憶がわずかに飛んでいるのは、その魔術の影響である。
だから逆に気づかない。
同じ魔術を、自分より遙かに高い練度で扱えるリグの存在に。
そう――上手くいっていたのだ。
子どもたちは眠らされたまま、何も知らないままに元の生活に戻れるはずだった。たとえ敵の組織が何人いようが、キュオネひとりで余裕で片がつく。なんならリグひとりでもどうにかなったし、ましてふたりいる以上は万全の布陣と言ってよかった。
まかり間違っても人質にされないように、わざわざ潜入などという手段を使ったのである。そのせいで時間はかかったが、これで終わり。
しいて言うのであれば、このような手段を使ったもうひとつの理由に、キュオネが「七星の仲間の助けは借りない」と決めたこともあった。
これはあくまで、自分のわがままでやることだと。
頼まれて仲間になったリグだが、たとえ頼まれていなかった場合は自分から手助けを申し出たことだろう。
この時点で、本来なら偽《七星旅団》の犯罪組織は完全に詰んでいた。
ここで終わりのハッピーエンド。あとは何も起こらない。
そのはずだったのだ。
だが、誰もにとって予想外だったのは、このときネリムが目を覚ましていたことだろう。
偽《紫煙》は、自らがそうやって身よりのない子どもを集めたように、精神系魔術の使い手だった。戦闘力自体は低いものの、専門に限ればそれなり程度の実力は持っている。
要するに。
まかり間違っても、ネリム程度が素でレジストできる魔術の使い手ではないのだ。だから誰ひとり、ネリムの覚醒に気づいていなかった。
彼女がつけている首輪に、高い魔術抵抗があったことなんて、誰ひとり知る由もないのだから。
※
「――おい。こいつ……死んでないか?」
そう言ったのはリグだ。その言葉に、集まった組織の人間たちが反応する。
見れば、集めてきた子どもたちの中でひとり、確かに呼吸を止めている者があった。――キュオネだ。
先ほどのリグと偽《紫煙》の会話の中にあった『身内を売った』とは、ネリムのことではない。彼らはリグとネリムが知り合いである事実を知らないのだから。
もちろん、これもふたりの作戦の一環だ。
リグはキュオネを売ったのだ。「こいつは金になるはずだ」と。売られたキュオネは、魔術によって自らを仮死状態にした。治癒魔術師として肉体系魔術に造詣の深いキュオネならば、さして難しいことではない。危険ではあるが、助けられるにもかかわらず、ここまで騙された子どもたちを無視していたのだ。
持病でも悪化したんだろう。ばれると不味いから埋めてくる。
とでも適当なことを言ってキュオネを連れ出し、仮死から復活したリグと別動で連れ去られてきた子どもを逃がし、あとは全員ぶっ倒す。そういう台本だった。
ゆえに。これは誰にとっても予想外だったのだ。
そのひと言を聞いたネリムが立ち上がり、
「――許せませんッ!!」
まさか、組織の面々に立ち塞がってしまうなんてことは。
※
そして。このとき、《予想外》はふたつあった。
建物の外側。この場所に集まっているのは、偽《紫煙》以外にも別口から身よりのない子どもを集めてきた同じ組織の複数人だ。
そのうちの何人かは、こうして外側の見張りに携わっている。
とはいえ、追ってくる者もなし。この場所は本当に限られた人間しか知らないのだ。だからキュオネたちも、仲間の振りをするしかなかった。
リグならば、いざとなれば拷問して訊き出すことくらい辞さなかっただろう。だが、それではほかの場所から連れ去られた子どもたちを助けられない。こうして一挙に集まる日でもなければ、ほかの連中には逃げられてしまう。
手口は杜撰ながら、保険は万全なのが厄介だったのだ。
それでも、やはり気は抜けてしまう。元より敵などいないのだから。連れてくる子どもは一応、厳選しているのだから。
だが。果たして警戒していたところで、それを防ぐことなどできただろうか。
突然だった。
月明かりの下で見張りをしていた男たちが、一斉にばたばたと倒れていく。音もなく同時に気を失った彼らの存在に、中の仲間は誰ひとり気がつかない。
それほどに鮮やかな、それは昏睡を誘う魔術だった。
レジストなど不可能だったし、ほとんど呪いにさえ近い強度の術式。見るものが見れば、その異常な手際には畏怖さえ覚えたことだろう。
あとには、ひとりの青年が立っているだけだ。
今し方、見張りの全員を気づかれさえせず眠らせた下手人である。
彼は静かに建物に近づくと、小さく、誰も聞いていないことを知りながらも独り言ちた。
「……疲れた。こんなに走ったの久々なんですけど……メロじゃねえんだから、《駿馬》とかあんま使いたくねーよ、もう……つか何? どうなってんの、これ? 明らかに空気が堅気じゃねえし……」
男は片手に煙草を持っている。その煙は、空気の流れを無視して、まるで建物を取り囲むかのごとく広範囲に流されていた。
「……はあ。ていうか、なんでこんなとこに姉貴の首輪が移動してんだよ……あの子がここにいるとしたら……わー、笑えねー」
それが王都で魔具の露店を開いていた男だと、当然知るものはこの場になく。
また彼が、王都から数十キロメートルの単位で離れた魔具の位置を魔力だけで完全に知覚し、そこまで足で走ってきたなどという、あらゆる魔術師を正面から舐めきったかの如くふざけた行為をしていたことも、やはり誰も知らない。
ただ夜空に浮かぶ月だけが、立ち昇る紫煙を眺めていた。
最後に現れた謎の男……敵か味方か、その正体とは……うごごご。
いったい何スタ=プレイアスさんなんだ……。




