1-17『vs合成獣(前)』
「さて、役割を分けておこう」
俺は言った。戦うのなら、初手から全力を出さなければ、俺たちでは命さえ繋げないだろう。
目の前の魔獣が、それほどの相手であることは認識しておく必要があった。
「――俺が前衛に回る。囮役としてヤツの注意を引きつけるから、シャルはその隙に、とにかくデカいのを叩き込んでくれ」
「大丈夫なの?」
シャルは眉根を寄せて言う。だがまあ、この面子で誰が前に行くかといえば、それは俺以外にないと思うのだ。
単なる消去法であって、別に好きでやるわけじゃない。もしレヴィがいれば全部投げてた。
「なんだよ、心配してくれんのか?」
冗談めかしてそう訊ねると、シャルは心外とばかりに鼻を鳴らす。
「前衛が落ちたら後衛も終わりでしょ。私は私の心配しかしてない」
「あっそ。まあ、任せておけ。これでも生存力には定評がある」
「何よ、それ」
「戯言だよ。つーか、お前こそ攻撃の要なんだ。通じなかったとか言わせねえからな」
「……それこそ、任せておいて」
自身ありげに笑うシャルだった。まあ、彼女の火力ならば合成獣にも通用するだろう。
翻って俺はピトスにも指示を告げる。
「ピトスは中衛で、特に指示とか出さないけど、状況見て援護頼む」
「……わかった。やってみる」
「頼んだぜ――お前にかかってる」
弱気そうでいて、いざという事態に躊躇いを持たないピトスは戦力として信頼できる。
彼女の状況判断力の高さは迷宮でも幾度か見せてもらっていたし、何より単身で合成獣に一撃を与えた、という実績がある。
というか、どうやってダメージを与えたのだろうか。直接戦闘は苦手だと聞いていたのだが、合成獣に届かせるだけの攻撃魔術は持っていたらしい。
まあ、魔術師は俺のような特化型より、万能型のほうが遥かに多い。苦手とはいえ、使えないわけではないのかもしれない。
――まあ目下のところ、いちばん不安なのは俺自身だ。
彼女たちから失望されないよう、とにかくがんばってみるとしよう――。
「さて――」
呟き、懐から煙草を取り出した。それに火をつけ、俺は合成獣の元まで歩く。
術式の命令に縛られた魔獣は、たとえ至近距離にまで近づこうと自ら攻撃してくるということがない。強大な魔力を持ちながら、それを限定されてしまっている。
規模がだいぶ異なるが、それは俺と似たような状況だと言えるだろう。
俺もまた《呪い》で魔力を制限されている身だ。使い魔に堕した、いや、そうして産み落とされた存在に対して、どこか憐憫のような思いを抱かないこともない。
とはいえ、そんな感傷に身を委ねようとまでは考えない。
初手を譲ってくれるというのなら、遠慮なく貰っていくことにしよう。
「――――行くぜ」
言葉とともに吐き出した紫煙を、そのまま開戦の狼煙とする。
俺の魔力を滲ませた煙が、自ら文字の形を取って暗い迷宮に漂った。
――刻むルーンは天災を意味する一字。数あるルーンの中でも特に強力な意味を持つモノだ。
無論、強力な分だけ扱いは非常に難しい。だが今回、俺には初めから制御しようという気がなかった。
《天災》をイメージする。予測不可能で理不尽な、抗いようのない破壊の象徴。農作物にダメージを与え、日々の実りを無に帰す甚大な破滅と破壊の力。
俺はある知り合いの魔術師を思い出す。俺にとって天災のイメージといえば彼女だった。突発的に発生する避けようもない暴虐。
――その幻想を形にしよう。
現状の俺に使い得る、これが最強の攻撃魔術――。
「《雹》――!」
――その瞬間。
降り注ぐ幾重もの巨大な氷塊が、渦を巻いて魔獣に襲いかかった。
※
「――――――――!」
耳をつんざくような音で、鳥型の合成獣が不快に嘶く。
現状、俺にとって最大の規模と火力を発揮する《雹》の一撃。だがそれも、魔獣の全身を覆う羽毛の如き炎に融かされて見た目ほどのダメージになっていない。
それでも、合成獣が纏う炎の鎧を剥ぎ取る役には立っている。その防御を貫けば、ヤツの身体に直接攻撃を当てられるはずだ。
「――、っ」
ふと身体がよろめいた。
直後、無理に魔力を絞った反動で身体の内部に痛みが響く。
「ぐ――ぶ、」
口元から血が流れ出た。内臓に影響が出たかもしれない。
それを悟られる前に拭ってから、俺は背後に声をかける。
「援護は頼むぜ、ふたりとも!」
それだけ告げてから、俺は返事も待たずに次の魔術を準備する。
天災の小規模再現たる《雹》を嫌い、魔獣は全身を振るって炎を撒き散らす。
その余波のひとつでも軽く死ねるほどの火力が舞う中を、今度は地面から巨大な茨が生えてくるのが見えた。さきほども使っていたピトスの束縛術式――その大規模版だ。
魔力で創られた無色の茨は、動きだけでなく魔力の流れそのものを阻害する。全身それ自体が魔力で構成されているからこそ、魔獣には厄介な術式だろう。
降り注ぐ火の粉さえ散らして、ピトスの拘束魔術が合成獣の身体を締め上げる。またその横では、シャルが圧縮詠唱による魔弾を連射していた。高い威力を持つそれが、間断なく殺到して合成獣の身体を削いでいく。無色の魔力が乱舞する様子は、もはや機関銃のそれだった。
まったく、驚くほど頼りになる味方だ。
――とはいえ、この程度では決定打に至らない。
炎を削がれた合成獣の体表は、まるで粘性魔獣のようにぬらぬらとした光沢を放っている。炎の下はほぼ不定形らしい。青い粘液上の物体が、ただ鳥の形を取っているだけ。
それがダメージを受ける先から気味悪く増殖して、その肉体を再生していく。
この様子を見ていれば、きっと初めから不死鳥でないことは理解できただろう。
「シャル! いちばんデカいヤツ、何秒あれば撃てる!?」
俺は訊ねた。隙を作り、決定打になる一撃をシャルに放ってもらわなければ、現状を打破することはできないだろう。
「詠唱から十五秒あれば、確実に落としてみせる! ただ当たるかどうか――」
「それはこっちでなんとかする、準備しろ!」
「わかった!」
「ピトスはシャルの防御! 全部任した!」
「了解ですっ!」
直後、合成獣がついに茨の戒めを破ってしまう。もう数秒持ってくれればよかったのだが、そう上手くはいかないようだ。
合成獣が身体をよじるだけで、身体から火の粉が飛び散っている。まるで羽毛が抜けるかのようなものだったが、それでも炎だ。当たれば火傷は免れまい。
詠唱を始めるシャル。ここからしばらく彼女は無防備になってしまう。
俺は攻撃でさえない炎の余波を、掻い潜りながら前へ進む。
防御にはなるべく魔力を注ぎたくなかった。
あらかじめ用意する魔具と違い、煙草を媒介にする魔術は自身の魔力を消費するのだ。魔力を制限されている俺は、使いどころを考える必要があった。
魔力自体は、まだ充分に残っている。だが俺の場合、それを外に出す蛇口のほうが壊れているのだ。無理に捻って魔力を流せば、肉体のほうが壊れるだろう。
感覚から言って、たぶん《雹》はもう使えない。
精神論ではどうにかなる問題じゃないのだから。無理に使おうとすれば、不発の上におまけで死ぬ。さすがに選択肢には入れられなかった。
煙で描いた《駿馬》を足に纏わせて、走る速度を加速する。
合成獣が空へと逃げる前に、なんとかして足止めする必要があった。
いくら巨大といってもせいぜい二、三メートルの合成獣に対し、迷宮の最深部たるこの広間は数百メートル四方はある。当然、天井も高く、逃げに徹されては厄介だ。
舞い散る青の火の粉をかわしながら合成獣へと肉薄する。
茨を断ち切り空へ逃げようとする魔獣へ向けて、
「――《氷》、《巨人》!」
煙草の火で描く軌跡が、二重の文字を作り出す。
それは数本の氷の棘に変わり、合成獣の身体へ直撃した。
だが――威力がまるで足りていない。
「やべ……ッ!?」
咄嗟に叫ぶも、そのときには全てが遅かった。
合成獣はよろめくことさえなく、まっすぐこちらを見据えている。完全に俺を敵として認識しているのだ。
その青白い嘴が、俺の目の前ですっと開かれる。――刹那、
「――《防御》、《保護》、《水》、《栄光》――!」
俺は持てる魔術の全てを防御に全開で傾けた。
物理、魔術の両面に水の属性を加え、かつ成果を満たす喜びのルーンで術の綻びを強引に覆う――咄嗟に使う防御としては、俺にこれ以上はなかった。
直後、身体を覆うように創り出した防壁が、盛大な衝撃に包まれた。
合成獣が、口から青い炎を吐き出したのだ。
視界が青に染められる。俺はふと、地球で見た怪獣映画を思い出していた。口から熱線を吐き出す怪獣だ。
今、それと似た一撃に必死で耐えている。
水の加護が軋み、たわみをあげていた。威力が高い。防御にどんどんと魔力を吸われ、肉体が悲鳴を漏らしていた。
「ご――ふっ」
喀血する。致命傷を防ぐために、傷を薄めて受けているような気分だ。
それでも魔力を注ぐことをやめるわけにはいかなかった。
体感で実に一分近く――実際にはほんの数秒後だろう。
みしり、と防壁にひびが入った。
――これはまずい。俺の表情も、さすがに歪みを帯びてしまう。
だが瞬間、合成獣の攻撃が唐突に止んだ。
見れば魔獣の足元に、魔術の陣が浮かんでいるのが見えた。おそらくピトスだろう。俺を助けてくれたようだ。
けれど、それでも。
だからこそ状況は最悪だった。
合成獣が空に逃げたということは、その位置からこちらへ一方的に攻撃できるということだ。
天井近くまで飛び立った合成獣は、その背後に魔術陣を描き出す。
それは魔弾だ。ウェリウスやシャルも使っていた、攻撃魔術としては最もメジャーで簡単なもの。
だが、それもこのクラスの魔物が使えばレベルは段違いだ。
ぽつぽつぽつ――と、揺らめく炎の塊が、暗い天井を埋めていく。十、二十、三十と。炎弾は次第にその数を増やしては、見上げる空間を青く明るく照らしていく。
まるで地面から、高い摩天楼の電飾を見上げているかのような光景だった。
きっと不死鳥には及ばない、それでも合成獣に可能な最大の火力。ヒトの領域を超えた魔術。
空気を震わせる熱量が肌まで届く。その暑さに汗が吹き出た。
青く輝く焔の塊。それは神話に語られる、炎の雨の魔術だ。開闢の時代、天から地にへと降り注いだ、命を絶やす流星群。
そんな奇跡を幻視した。
――魔獣が嘶く。最後通牒を示すように。
俺は走った。これはもう、個人で受け止めきれる規模の魔術じゃない。ピトスと二人がかりで……いや、それでも防ぎ切れるかどうか。
けれど、ほかに選択肢もない。
「ピトス、防御! 来るぞ!!」叫んだ。
直後――炎の雨が、地面めがけて一斉に降り注いだ。




