S-14『新米魔術師ネリムちゃんの事件簿 6』
旅は順調だった。
いっそ順調すぎるほどで、少しくらい波乱が起こってくれないと仕事にならない、なんて不謹慎な嘆きを抱く人間が出るほどには順調で、だから結局、ネリムたちはなんの問題もなく目的地まで辿り着くことができた。
もちろん、だからといって報酬が減るわけでもない。何も起こらなかったのなら、それはむしろ歓迎すべきことなのだ。元より王都に近いこの場所では、ちょっと街道を進む程度のことでそうそう危険には行き遭わない。この辺りの治安は、国内で最も優れているのだから。
辿り着いた小さな集落で、ネリムたちは一度、解散と相なった。
「……それでもなんか、ちょっとだけ拍子抜けという感じはありますね。いえ、別に夜盗とかに襲われたかったわけじゃないんですけれど」
「なら、それでよかっただろ。こういう仕事は、基本的に保険のために金をかけてるんだ。襲われても大丈夫なように護衛を雇うんじゃない。護衛がいるから襲われない、という形を作るために雇ってるんだ。襲う側だって馬鹿じゃねえんだ、魔術師が何人もいる集団を襲うより、もっと効率のいい獲物を狙うさ」
ネリムが漏らした言葉に、リグが答えた。
夜に話して以降、彼は以前のようにネリムの言葉によく答えてくれるようになった。相変わらず小難しげな表情は崩していないものの、そんなことは関係なしにネリムはただ嬉しく思う。
もともと、口数自体は多い男なのだ、リグは。説教好きな嫌いはあるが、それは長生きしているからなのだろうとネリムは思っている。素直に訊ねれば、彼はいろいろなことを教えてくれた。
「そういう意味じゃ、若い人間を雇うってのは案外、間違った方法じゃねえんだよ。――お前、俺たちの集団と、武装したゴツい男が同じ人数いる集団、襲うならどっちだ?」
「え……いや、それはわたしたちのほうじゃないんですか、普通は?」
「いや、外から見た場合は必ずしもそうじゃない。若い人間が多いってのは、魔術師じゃない人間から見ると不気味なんだよ。魔術には年齢や外見が必ずしも関係ないからな、見た目にそぐわない強い力を持つ人間なんて、あの《天災》を例に取るまでもなくよくあることだ。一方、武装しているってことは、まあ絶対じゃないが魔術師ではないという可能性が高い。なら数にモノを言わせて襲ってくる連中がいないとも限らないわけだ」
「なるほど……そう言われてみれば、確かにそんな気もしてきますね」
根が善良だから、というのもあるのだろう。襲う側の視点に立つ、という考え方はネリムになかった。
けれど考えてみれば、襲う側にしてみればメリットが少ないのは確かだ。どんな低位の魔術師でも一般人よりは基本的に強い。そもそもこちらが何を運んでいるかもわからないのだ、襲う側からしてみれば、ネリムたちがただの旅人だった場合、身ぐるみ全てを剥いだところで大した金銭にはならないだろう。
わざわざ襲いかかってくる人間が、そうそういないのは普通なのだった。それ以前に、そもそも見つかることすらなかったのだけれど。
「ま、相手が魔物だったり魔術師だったりした場合は、必ずしもそうとは限らねえんだがな。高位の魔術師なら、相手の力量くらいひと目で見抜く。それに結局のところ、どんな魔術師だって剣で斬られりゃ死ぬんだ。追い詰められた人間は怖ぇぞ、憶えておけ」
「はい! ありがとうございます、リグさん!」
「――――…………」
心中では半ばリグを師と仰いでさえいるネリムは、素直な笑みを向けて彼に答える。
対してリグの側は、そもそも偉そうに何かを教示してやろうというつもりすらなかったわけで。説教臭いのは単に歳のせいだ(と思っている)から、そんなことでお礼を言われるとどうにも反応に困ってしまう。
いや、そもそもそれ以前に。リグの胸中は複雑だ。
――彼は今、ネリムを騙しているのだから。
彼女が思っているほどに、この仕事は綺麗なものじゃない。
「…………」
告げるべきだろうか。
そんな思いが脳裏をよぎる。リグは自分が、想像以上にネリムへ肩入れしている事実に気づいていた。
そうしないように、またネリムが過度に自分へ肩入れしないように、振る舞おうと思っていた。だがそれは、彼女が夜、自分に声をかけてきた時点で崩れてしまった。
特別な会話があったわけじゃない。ネリムとはただ雑談をしていただけだ。
この街に来てからこんなことがあったとか、憧れの魔術師に会えて嬉しかったとか、そんな、言ってしまえば益体もなく、どうでもいい自分の話を、彼女はただ楽しそうに語っただけだ。またリグが街に来てから何をしていたのかとか、それより前はどんな風に暮らしていたのかとか、これまた聞いたところで意味のないことをいろいろ訊いてきたに過ぎない。たった、それだけのことだった。
けれど、たったそれだけのことに、価値がないなんて誰に言えよう。誰だって、それだけのことを守るために生きているのだから。否定することなんてリグにはできない。
森精種の掟を破り、生まれ育った自然を捨ててしまった彼であるからこそ。
「それにしても、まだなんですかね? もうそろそろ日が暮れちゃいますけれど」
「――なあ、ネリム」
かけられた声で意識が浮上し、そのせいで反射的に言葉が口をついて出た。
言ってしまってから後悔するものの、今さらだろう。ひとりくらいなら、きっとどうにか誤魔化せるはずだ。
だが。
「お前――」
「あ、いたいた。おーい、ふたりとも、そんなとこで何してんのー?」
その言葉は、すんでのところで割って入った声に止められる。
のんきに振り返ったネリム。その視線の先には、こちらに手を振って駆け寄ってくるキュオネの姿がある。
「あ、キュオさん! どうもでっすー」
きりっ、と笑顔で敬礼を返すネリム。こいつ本当にコミュニケーション能力高いなあ、とリグは思った。
キュオネもまた真似するように敬礼で返し、ふたりの前までやって来る。
「お疲れ、ふたりとも。そろそろ集合だから呼びに来たよ」
「――ということはっ!」
「うん。さっき到着したってさ」
「すみませんちょっとお先に失礼しますーっ!」
言うが早いか、弾丸のような速度で飛び出していくネリムだった。ご丁寧に魔力で身体強化まで使っている。
七星旅団の信奉者、というのは事実なのだろう。別口で動いていた《紫煙》が到着したと知るや否や、その姿を見に向かってしまった。
「うわあ……早いなあ、ネリムちゃん」
ちょっと呆気にとられた風に呟くキュオネ。その姿を横目に、リグは小さく溜息をつきながら頭を掻いた。
結局、告げるタイミングを逃してしまったらしい。それでよかったのだと、リグは自分に言い聞かせる。
「……あそこまで真っすぐに好意を向けられちゃうとなあ」その姿を見ながら、キュオネが言う。「確かに申し訳なくなってくるよね。……そんな気持ちに、値するかどうか、わからないから」
「《本物》としては、まあ……複雑か」
「終わったら、ネリムちゃんには謝らないといけないね。いや、リグさんにも、かな」
「お前……」一瞬、驚いたように目を見開いてから、リグはかぶりを振ってキュオネに問う。「わざと、か」
どこか声音が固くなっていた。だが、責めるようなつもりはなかったのだ。
元より、そんな資格があるわけでもない。
「別に、嘘じゃないよ」キュオネは軽く肩を竦めた。「リグさんの気持ちはわかるつもり……なんて、魔術師が言うことじゃない、か」
「いや……構わないけどな。でも」
「でも駄目だよ」
リグの言葉を、キュオネは聞く前に封殺する。
それ以上を言わせるつもりはないし、言われなくとも理解していた。
「それは駄目。確かにネリムちゃんひとりくらいならどうとでもなるだろうけど、そこに差をつけちゃ駄目だよ。それをやるならわたしの仕事で、だからこそわたしはそれをしない。でも、リグさんにも背負わせない」
「……背負うなんてつもり、ねえけどな」
「嘘だよ。だって、リグさん、優しいから」
キュオネは笑った。どこか悲しげな色の笑みで。
だって、魔術師に優しいなんて評価、欺瞞でなければ罵倒に近い。そんな評価に価値はない。
それを恥ずかしげもなく言える魔術師を、たとえふたりが知っていたとしても。
「魔術師の世界なんて、どうせ綺麗なものじゃない。ここで挫けるようなら、それは初めから魔術師なんて道を選ばないほうがいいってことだよ。――だから、そんなところまでリグさんが背負う必要、ないんじゃないかな」
「お前は……どうなんだ」リグは言う。「お前だって、本当はこんなことする必要ないだろう。お前らの名が売れた時点で、こうなることは予期できていた。でも、それはお前らが背負う責任じゃない」
「んー……そうだね。実際、みんなそう言ってたよ。だから、わたしひとりでやってるんだしさ。マイアもシグもその辺りは無頓着だし、メロなんかむしろ喜んじゃいそう。教授くらいかな、その辺、気を使ってくれてたのは。もともと教授がいちばん顔広いし、権力もあるからいろんなとこに融通利くんだ。でも、ここまではやらないよ」
「……そうか。そうだろうな」
「でも、別にいいんだよ。強制されてるわけじゃないし、それに悪いけど、別に誰かのためにやってるわけでもないんだ。これはわたしが気に食わないから――だから、理由なんてそれだけなんだよ」
ん――っ、と伸びをするように、キュオネが空へと両腕を伸ばす。
その姿からはわからないかもしれない。だが魔術師ならば、それも敏感な森精種ならばわかる。
目の前の少女が、いったいどれほどの怪物であるのかということが。
正確な認定など受けていないが、リグの魔術師としての実力を表すならば、おそらく《被免達人》――すなわち第三位階に相当する。これは通常の魔術師が到達し得る段階としては最高峰と呼べる位置だ。類稀な才能を持つ術者が、その才能の全てを開花させてようやく至れる場所。ここから上となると、もはや常人では何をどうやっても不可能な段階に至る。第二から第零までの三位階、総称して《第一団》と呼ばれる位階は、もはや肉体の概念に捉われない怪物の領域だ。人間を辞めるくらいのことをしなければ絶対に到達できない。
いや、それでもリグならば――魔力に高い親和性を持つ森精種の中でさえなお抜きん出た才能を持つ彼ならば――あと数十年ほどで、ひとつ上の第二位階《神殿の首領》にならば到達し得るかもしれない。増長も謙遜もなく、理性的な判断としてリグはそう自己分析する。
さらに言えば、彼は魔術師としての才能を持ちながら、同時に戦闘者としての経験を持ち合わせている。彼の経歴は魔術師というよりむしろ冒険者的で、それはつまり戦いの中で生きてきたということ。
戦いならば、格上さえ殺し得る力をリグは持っていた。
今の第一位階、十人の《魔導師》の中には森精種がふたりいるが、そのふたりが相手でも、一対一ならば勝ちを拾える可能性があるだろう。
それでも。
目の前の少女ひとりに、おそらくリグは敵わない。
たとえ眠っているところを強襲しても、返り討ちに遭って殺される。
それほどの実力差が、おそらく存在していると思う。
確かに、魔術師としての位階は、必ずしも戦闘力に直結しない。これはあくまで《魔術の技量》を示す指標であって、《戦いの強さ》を表すのものではないのだから。それを判断するのなら、まだしも冒険者のランク判定を基準にしたほうがマシというものである。
――だが、そういう次元じゃねえんだよな。
リグは思う。キュオネは、魔術師としても戦闘者としても本来なら格下だ。治癒魔術という稀有な技法への適性はあるものの、それ以外の魔術の技量は特化型で万能性がなく、つまり魔術師としての位階は低い。というか魔術師として上の位階にいる七星旅団のメンバーなど、ユゲルとセルエ、そして例外的な意味合いでメロくらいのものである。あとは論外だ。
戦闘経験で比べても同じことだろう。長い年月を生きる彼と、所詮はまだ十代のキュオネを比較するほうが間違っている。魔術の世界では経験を才能が凌駕することは少なくないが、それは経験に意味がないということではないのだから。子どもより、大人のほうが強いに決まっている。
でも勝てない。
そんなものは、もう才能でもなんでもない。運命だ。
リグは思う。七星旅団を指して時代最高の才能を持つ七人だなどという向きがあるが、それほど的を外した表現もないと彼は考えていた。才能があるくらいで、たった七人で五大迷宮を攻略できるわけがない。してはならないとさえ言っていい。
彼らより卓越した魔術師は存在する。彼らより強い魔術師だって、いないことはないだろう。
だが。
彼らに勝てる人間など、この世に存在していない。少なくともリグの認識では。
彼らは天才なのではなく、ただ異常だというだけだ。世界の不備と言ってもいい。
まるで物語の主人公であるかのように。勝つことを世界から決めつけられているとでもいうかのように。逆を言うのであれば、それ以外の全てを許されていないかのように。
彼はただ、彼らであるというだけで、あらゆる奇跡を当然に変える。
その異常性を、リグは羨ましいとも憎いとも思えない。どころかいっそ哀れですらある。
だって、彼らは確かに異常だけれど。
それでも普通の人間なのだから。
「――というわけで、あとは大詰めだね」
キュオネが言う。その言葉に、リグは何も言わずただ頷く。
「ここまで面倒だったけど、こうなっちゃえばあとはむしろ楽そうだから、それはそれでオッケーかな。ごめんねリグさん、いろいろと手伝ってもらっちゃって」
「……いや」リグは首を振り、それから最後の確認をする。「いいのか、それで?」
「ま、確かに突き合わせた子には恨まれちゃうかもしれないけどさ」
キュオネは悲しげに目を伏せる。
確かに、彼女は悲しそうにしたのだ。リグはそれを見ていた。
「それでもわたしは、《何を優先するのか》を決めてるから。それ以外のことは、全て切って捨てたっていい」
「……案外、不器用な奴だよな、お前も」
「器用に生きられるなら、こんな面倒くさいのばっかりいるトコ、入ってないって」
「かもな。少なくとも俺はごめんだ」
「あっはは、リグさんならみんないいって言いそうだけどなー。七人じゃなくなっちゃうけど」
「……お前らは、七人くらいでちょうどいい。できればそのまま揃っててくれ。減るのも増えるのも俺は困る」
「そうだね。うん……少なくとも、わたしにとっては大事な名前で、大事な場所だから」
だから、とキュオネは笑う。
彼女は笑う。いつだって。
「――ほかのみんなが気にしなくても、わたしはやっぱり許せない。《七星旅団》の名前を汚す奴らを、わたしは絶対に許さない。だから、わたしが動かないと」
その言葉には、寒気がした。
キュオネは優しい。ただ甘いだけの自分とは違い、彼女は優しい人間だとリグは思っている。
だが。だからこそ。優しさとは決して、ただ柔らかいだけのものではなくて。
彼女が持つ《万象の昏闇》という二つ名の由来を知るリグだからこそ、いっそ哀れに思うのだ。
――七星旅団で、最も敵に回してはならない女を怒らせたことを。
「……よりによって《紫煙》を騙るなんざな。馬鹿にも限度がある。おい、殺すなよ? 王都に渡りはつけてあるんだから、捕らえたら向こうに任せりゃいいんだ」
「殺さないよ。やだな、わたし、そんなに血の気が多いほうじゃないのに」
「偽物には同情するぜ……お前を敵に回すくらいなら、俺はむしろ死にたいんだが」
「うわー……酷いこと言うなあ、リグさん。これでも温厚で通ってるんだけど。治癒魔術師だしさ、命は大事なんだからね? わたし、滅多に怒ったりしないもん」
滅多に怒らないからこそ、一度怒らせると誰より怖いのだが。
そんなことを言う勇気はリグにない。それ以上に、続く彼女の言葉に戦慄したせいもあった。
「――だって、死んじゃったら後悔してもらうこともできないじゃない?」
「…………」
「だからちゃんと地獄を見て、反省してもらわないと――ね? 二度と、こんなことをしないように」
死んだほうがマシなんじゃないかと、リグは思った。
ま、まさかあの《紫煙》が偽者だったなんて!(ジャジャーン)
これはみんなも予想外だったに違いない!(デデドン)
次回、「なんか感想でキュオネちゃんのことメインヒロインの風格とかみんな言うから、彼女が戦うところちょっと見せてあげますよドン引きだから」の巻。
お楽しみにっ!!




