S-10『新米魔術師ネリムちゃんの事件簿 2』
「――あー、いらっしゃい。よかったら見てってよ」
「うわ見つかった」
普通に言ってしまうネリムだった。気を悪くされたらどうしよう、という考えは、口にしてから浮かんできた。
そういう迂闊なところが、昔からよくないと両親にも言われていたのだが。生憎と、その自覚が彼女にだけはなかった。
「いや、いきなり酷いなあ……」
一方の店主は、意外にも気を悪くした様子なく苦笑する。いかにも不審者然とした容貌とは異なり、それなりに気のよさそうな雰囲気だ。
ネリムも、それで警戒を解く。たぶん、見てくれほど悪い人間ではないのだろうと。いや怪しいことに変わりはないが。
仕方がない。ちょっと見ていくことにしよう。魔術師は《縁》というものをことのほか重視する。ここで声をかけられたことも、何かの巡り合わせだろう。
道の真ん中から店のほうに寄って、ネリムは訊ねた。
「えっと、なんのお店ですか、ここは?」
「見ての通り」男は両手を広げて言う。「魔具の店です。いらっしゃい」
「魔具……ですか?」
その言葉に驚いた。魔具とは、つまり言葉の通り魔力の込められた道具である。それぞれが様々な効果を秘めており、当然だが容易に手に入れられるモノではない。値段もかなり張る。
「ああ。自作の……と言っても造ったのは俺じゃないけど、とにかくオリジナルの魔具ばかりを揃えてる。まあ、よければ見てってくれ」
「……はあ。でもわたし、魔具を買うお金なんて――」
言いかけて、そしてそこで言葉が止まった。
――なぜなら、それぞれの商品につけられた魔具が、あまりにも格安だったからだ。
もちろん、それでも今のネリムが手を出せる額ではない。ないのだが、それにしたって安すぎる。価格崩壊と言ってもいい。
それこそ一般庶民ですら、ちょっとがんばれば手を出せる程度の値段だった。
「…………」
露骨に怪訝な表情を浮かべるネリム。だって、あまりにも怪しすぎるではないか。
魔具は大抵が貴重なものなのだ。魔晶を核に量産される品ならばともかく、こういった一品物は下手な芸術品より価値を持つ。迷宮産の魔具ともなれば、多くの人間が一生かかっても稼げないほどの額がつけられる。そのほうが普通なのだ。
「……安すぎませんかねえ、これ」
「事情があってね」店主がわずかに苦笑した。「端的に言えば、誰にでも使える道具じゃないんだ」
「えーと、どういうことです?」
「使い手を選ぶんだよ、この魔具は」
なんだか難しい表情を浮かべて、店主は説明をした。
曰く、それぞれの魔具は持ち主として登録した人間でなければ効果を発揮しない、という特殊な魔術がかけられているのだという。問題なのは、その魔具の使い手として誰もが認められるわけではなく、魔具との相性がよくないと登録できない仕組みになっているのだとか。
「だから、もし使おうと思っても、その魔具と相性が悪いとどうやっても使えないようになってるわけ。値段が安いのはそれが理由だね。買い手がつかないんだよ」
「またなんでそんな面倒な仕組みに……」
「まったくだ」店主は、露骨に表情を歪めて言った。「お陰でちっとも売れやしねえ。作ったほうはそれで満足なのかもしれないけど、こっちの身にもなってほしいよ、まったく……」
ぶつぶつと不平そうに男が毒づく。そういえば、男が作った魔具ではないと言っていた。販売だけ任されたということらしい。
「そうだ、君」男が言う。「よければ、ちょっといくつか試していってくれないかな?」
「……あの、いや、わたしお金ないんで……」
「いいよ、いらない。どうせ造った側も値段なんて気にしてないし。適当なんだよ、これ。いくつかは下手したら原価割ってると思うよ? 絶対に計算なんてしてないだろうね」
「なんというか……よほどの変わり者さんが作られたご様子ですね?」
「その通りだよ。しかも売るのは俺に任せるし、もうやってらんないんだよね。一刻も早く捌きたい。ほんと。ほんとやってらんない。マジで」
「それはそれでどうかと思いますが……」
「ま、さすがに半分冗談だけど」男は苦笑。「でも言ったでしょ、魔具のほうが使い手を選ぶ、って。逆を言うと、選ばれた誰かに使ってもらえないと、もう完全に不良在庫になっちゃうわけ。もし選ばれたら、それは運がよかったと思って、まあ気軽に。ね?」
「まあ、見るだけでいいなら……」
商売の方法を根本的に間違ってないかなあ、と思いつつ、ネリムは露天の品々を眺める。
見たところ、魔具は剣や槍など武器の形を取ったものが多い。冒険者の使用が想定されているのだろう。
ネリムは武器を使った戦いが得意ではない。手慰み程度には習ったし、運動神経自体は割にいいほうなのだが、どうもしっくり来なかった。
というわけで、十ほど並ぶ品々のうち、ふたつだけあった武器ではない魔具を眺める。
片方は杖で、もう片方は……おそらく首輪か。杖はともかく、首輪型の魔具とは珍しい。というか聞いたことがない。
正直かなり気になったが、ひとまず首輪は措き、ネリムは杖のほうを手に取った。露店主の男が露骨にやる気なく「いやーお客さんお眼が高ーい」などと棒読みで宣ったが、そちらはとりあえず無視をした。
さて。その杖は、長さにして三十センチほどと短めだ。イメージ的に賢者が持つ身の丈ほどもある杖とは趣を異にするが、主に後衛の、いわゆる砲台型魔術師の装備としてはそれなりメジャーなものだ。
あまり大きい杖は、狭い迷宮での取り回しに難があるし、何より重い。同じ素材で同じ制作者なら、確かに長い杖のほうが基本的には性能がいいとされているものの、ちょっとした性能の差よりは利便性を重視するべきだろう。冒険者ならば。
「単純な、術式補助の魔具なんだけどね」
と、店主が説明を始める。ネリムは耳を傾けつつ、両手で握った杖を見つめる。
「使う魔術の――特に攻撃魔術の威力を大幅に底上げしてくれる」
「へえぇ……すごいじゃないですか!」
いったいどんな魔具が売られているのかと思ったが、どうやら意外にも性能はいい――というより破格だ。何かしらの効果を持たせる魔具より、この手の魔具はむしろ制作が難しい。どんな魔術でも一律に威力を上げる魔具など、どんな術式を刻めばいいというのか。
腕はいいが頑固な職人気質の人間が作ったのではないか、とネリムは想像した。イメージ的には禿頭のオジサンだ。
だが店主はあっさり首を振る。
「あらー……どうやら適性はあるみたいだけど。ごめん、悪いけど前言は撤回する。その魔具は君にはお勧めしない」
「あれ。どうしてです?」
ネリムはきょとんと首を傾げる。今になってお金を取らないのが嫌になったとは思えないが。
その答えを、店主はあっさりと口にした。
「その魔具さ、要は術式の粗を魔力で押さえ込んで、強引に補填するっていう効果なんだけどね。質を量で埋めるっていうか」
「……えと。すみません、よく意味が……」
ネリムは魔術師だが、そこまで熟達した腕前ではない。せいぜいが見習いか、それを卒業したくらいという程度だ。そこそこの才能は持っていたものの、ネリムより魔術の上手い人間など周りにいくらだっていた。だから知識だって誇れるレベルじゃない。
夢を追ってきたと言えば聞こえはいいが、現実だってわかっているのだ。
「あー、つまりね」と店主。「魔術師の術式には粗があって、それは基本的には技量を上げること以外ではどうしようもない、埋めようのないものだ。魔術ってのは要は法則の改竄で、要するに《嘘》なんだけど、その嘘が下手だと世界を欺くのにも限度がある。いい?」
「……ええ、そこまではわたしでも、なんとか。だから術式補助の魔具は難しいってコトですよね? 使う魔術によって全部違うのに、それを一律でカバーすることはそうそうできないっていう」
「うん。で、それをカバーするのが魔力なわけ。質じゃなく、量でこの問題を解決する」
膨大な魔力量があれば、多少の粗なら埋めてしまうということだ。魔術を《書く》ことでたとえるなら、ちょっとくらい書き損じたところで、大量の魔力で大きく濃く書いてしまえば気づかれにくい、修正されにくいという感じだろうか。
だが、それはそれで問題がある。これはネリムもすぐ気づいた。
「あの……それができれば苦労はないっていうか、無理なのでは?」
「気づいた? そう、魔術師が一度に出せる魔力には、魔術師ごとに限界がある。魔力の容量と出力は、まったく別の問題だ」
魔術師が出力といったとき、それは基本的に《一度に出せる最大の魔力量》のことだ。これは魔力を水の溜まった桶にたとえるとわかりやすい。
それを魔術師ひとりが持つ全ての魔力――容量とする。魔術を使うとき、術者はそこから必要な分の魔力を掬い出すわけだが、当然ながら一度に全てを出せるわけではない。そこには魔術師ごとに厳然とした制限がある。
大量の魔力を使って術式を誤魔化す――。力技ではあるが、それ自体は理に適った行いだ。精度も威力も確かに向上する。
だが現実問題、その《大量の魔力》とやらを出すことができないのだから、これは机上の空論だ。また仮にできたところで、今度はすぐに魔力が枯渇してしまう。1の魔力で行使できる魔術に、5も10も魔力を使っていてはガス欠も早い。これも当然の理屈。
「――だからね」
と、店主は言った。
あっさりと。肩を竦めて笑うように。
「この魔具は、持っているだけで術者の魔力を吸収する」
「えっ」
「いわば予備の魔力タンクになると思えばいいかな。術者の魔力をあらかじめ溜めておいて、魔術を使うときに追加で発する。これで出力の問題をクリアするわけだけど……ま、わかるよね。要するにこれ、持ってるだけで常に魔力を消費し続ける上に、そう何発も補助してくれるわけじゃない。ほとんど決戦用なんだ。迷宮で使うのは怖すぎるし、そもそも根本の魔力量が多い人間じゃないと意味がない」
「うっわ、使えなっ!」
まあ一発限りの大技には使えるが、連戦が前提の冒険者には確かに向かない。ネリム自身の魔力量も、平均よりは多いという程度だ。
ちなみに、と店主が続ける。
「君に適性があるとわかったのは、持った瞬間に魔力を奪われ続けてるからなんだよ。というわけで、早く置いたほうがいい」
「そういうことは先に言ってくれませんかねっ!?」
「や、まさか魔具に選ばれるとはぶっちゃけ思ってなくて」
「適当すぎます、もうっ!」
憤慨に頬を膨らませながらも、ネリムは丁寧に魔具を地面へ戻した。本当は投げ捨てたいくらいだったのだが、一応は売り物だ。弁償なんてできないという点も含めてだが、壊すわけにはいかなかった。
その様子を見ていた店主が、地面に胡座を掻いたままネリムに問いを投げる。その視線は、先程よりわずかだけ細くなっている。
「――じゃあ、ちなみにこちらの魔具は……?」
と、今度は首輪型の魔具を手に取って訊ねてみる。
赤色をした綺麗な宝石に似た鉱物――迷宮の魔物が落とす魔晶だろう――があしらわれた、デザイン的にも悪くない一品だ。
店主は軽く肩を竦め、悪戯っぽく笑ってみせる。
「つけてみればわかるさ」
「……いや正直、不安しかないんですけど……」
「大丈夫。それは勝手に魔力を吸収したりするような効果じゃないよ。相性がいいかもわからないしな」
「…………じゃあ」
怪しいのだが、店主自身はなんとなく信頼できるような気がする。
それに、これまで冒険者用の魔具なんてほとんど見たことのなかったネリムだ。実のところ、興味自体は強く持っていた。
ネリムは、魔具を首に装着する。鏡がないのでわからないが、ちょっとしたお洒落のようで気分は悪くない。軽く腕を振るようにしてから、店主に向かって首を傾げた。
「どうですか、似合ってます?」
「――――」
と。なぜか店主が、驚いたみたいに目を丸くして硬直している。
何かおかしかったのだろうか。不安になるネリムに、はっと気づいたように首を振って、
「ああ……いや、似合ってると思うよ。可愛いんじゃないかな」
「そ、そうですか……えへへ」
覚えた違和感もどこへやら、途端に気をよくするネリムだった。
もちろん、店主だって商売人だ。客に対してはそれなりにおべっかも使うだろうが、褒められること自体は悪い気分じゃない。
実際、それなりに外見は整っているネリムだ。素直な人間なら外見は可愛らしいことを否定はしないだろう。彼女自身にその自覚がないのは、育ってきた環境の問題だった。
それは決して、彼女にとってプラスとは言えない。少なくとも冒険者を志すのなら。それは危険を招き、それでいて対処の方法を知らないということなのだから。
店主も、そんなことを考えたのだろうか。少し考え込むような素振りのあと、こんな風に言った。
「君さ。見たところ若いみたいだけど、別に王都に住んでるわけじゃないよね?」
「……どうしてです?」
普通に答えかけて、それから一瞬あってネリムは警戒に言葉を濁した。
森精種であるリグのときと同じ理屈で、別にネリムは店主を疑っているわけじゃない。少なくとも悪人だとは思っていなかった。
とはいえ、これもまたリグに言われたことだ。他人を信じすぎるのはよくない。疑っているかいないかとは別に、警戒はしておくべきなのだ。
なんであれ自身の情報は、基本的には隠しておくほうがいい。
「いや、いかにも《おのぼりさん》って感じで歩いてたから。ちょっと気になっただけ。……観光って感じじゃなさそうだからさ」
「どうしてわかるんですか」
「観光なら、お金がないってことはないだろ」
「旅の途中で寄っただけなら、お金がないかもしれないじゃないですか」
「かもな」店主はあっさり肩を竦めて。「でも、そういう嘘は鏡を見てから言ったほうがいいだろう」
そしてまたあっさりと、ネリムの嘘を見破った。
ネリムはむっと視線を細める。
「どういう意味ですか……」
「旅をしてるにしちゃ、身なりが綺麗すぎるよ。それに服自体も安物じゃなさそうだ。単なる平民って感じじゃないね……金に余裕がなくても、もう少し安い服に着替えることをお勧めしよう。妙なのに目をつけられる前にな」
「妙な商売してるヒトに言われたくないんですけど……」
ジト目で言うネリム。実際、それも本心ではあったのだが、一方で店主の言っていることが図星を突いていたのも事実だ。あまり強くは言い返せない。
それがわかっているのかいないのか、店主は小さく苦笑した。
「そりゃそうだ」
「なんか、軽いですね……王都のヒトって、もっとこう、なんていうか、ガツガツしてるのかと思ってました」
「別に王都に住んでるわけじゃないし。そもそも――」
言いかけて、そこで店主は言葉を止めて視線をずらした。ネリムも同じタイミングでそれに気づく。
通りの先が、少しざわつき始めていたのだ。
見れば通りの通行が、どうも足早に街の外側へと一斉に流れ始めている。まるでそちらにある何かを、皆が見物しに行こうとしているかのようだ。
「なんだ……?」
首を傾げる店主に、ネリムも同じポーズで答える。
「さあ……なんだか騒がしいですね。何かあるんでしょうか」
「知らんけど。――なあ!」
と、店主が往来を歩くひとりに声をかけた。商人らしいその男も、どこか早足でほかの誰もと同じ方向へ進んでいたのだが、そこまで急いでいるわけでもないのか、愛想よく店主の声に答える。
「おっと。私に何か?」
「いや、……なんか通りが騒がしいだろ? 何か知ってるかと思って」
「なるほど、ご存知ない」
痩せ形の男は、どこか得意げな風に胸を張る。
そして告げられた言葉に、瞬間、ネリムは心臓が止まるかと錯覚した。
「――実は、あの《七星旅団》の一員が、この王都にやって来たらしいんだよ!」
七星旅団――。伝説とさえ呼ばれる魔術師集団。五大迷宮の一角を攻略した、史上最強の冒険者。
――本物の冒険者。
その名前に心臓が脈を打つ。強い鼓動がネリムの呼吸を止めた。
一方、店主は胡乱げに口元を歪めた。
「七星旅団ぅ? それ本当か?」
まるで信じていない様子の店主だったが、事情を話す男のほうは気を悪くするでもない。
「ああ、ほとんどが正体さえ不明だという旅団のメンバーが、ついに顔を見せるっていうんだぜ? みんな、ひと目見ようとこぞって門のほうに向かってるのさ」
「そりゃお暇なことで……」
店主のほうは、まるで興味がないという体だ。さすがに商人の男も、少し拍子抜けした風になる。
とはいえ、当然かもしれない。露店主とて一応あくまで、商売のために来ているのだから。こうして客がいなくなってしまっては商いも上がったりだ。
だから、その情報に強く反応したのは、やはりネリムのほうだった。
「――そっ! そ、それっ、それ本当なんですかっ!?」
一気に距離を詰め喰い寄るネリム。商人の男は少し狼狽え、けれど破顔してこう言った。
「あ、ああ。本当だとも。街じゃずっと、その噂で持ちきりだったんだ」
「ではではでは今こっここ、ここに、ここにあの伝説の七星旅団の一員がいらっしゃっていると!? 本当でしょうね!? 嘘だったら酷いですよ!?」
「はっはあ。お嬢ちゃん、さては七星のファンだな?」
おそらく誰でも察するだろうことを、したり顔で男は言った。
ネリムはといえば、首が取れてしまいそうなほどの勢いでぶんぶんと頷きを繰り返す。
「何言ってんですか当たり前じゃないですかっ! あのゲノムス宮をたった七人で攻略した最高の魔術師! 全冒険者が憧れるカリスマっ!! 七星旅団に焦がれない冒険者なんてモグリですよモグリ決まってるじゃないですか本当にまったくブッ飛ばしますよ!?」
「お、おう……なんか済まん」
男は普通に引いていた。ネリムは気づいていなかった。
「《辰砂の錬成師》マイア=プレイアス様を筆頭に、熟達した最高の魔術師たちの集団……ひとつの時代にひとりいるかいないかという才能が、七人も揃ったという奇跡! 特にあの《天災》メロ=メテオヴェルヌちゃんなんて、わたしより年下なんですよすごくないですかやばくないですか!? ああでもやっぱり、わたしがいちばん好きなのはあの《紫煙の》――」
「おーい。戻ってこーい。大丈夫かお前、いろんな意味でー」
トリップしていたネリムの意識を、店主のひと言が連れ戻した。
はっと気づくネリム。そうだ、喋っている時間はもったいなかった。
「こうしちゃいられません出遅れたあ畜生ッ!! 先に知っていれば徹夜で最前列を確保したっていうのに――あああっ!!」
結局、戻ってきてはいなかった。
「あ……あーと、じゃあ俺はもう行くからよ。うん」
すーっと逃げていく男。ネリムは店仕舞いの準備を始めている露店主に振り返って言った。
「なーにをちんたらしてんですか、さあ早く! もっと早く! さっさと片づけてくださいよ時間ないんですから馬鹿ですか!?」
「え、俺……?」
「ほかに誰がいるっちゅーお話ですよもうっ! 早く見に行かないと! 間に合わなかったらどうしてくれんですか泣かしますよ!?」
「いや、いいよ俺は……興味ないし」
「あぁんっ!?」
もはやドスの利いた声でガンを飛ばすネリム。店主は呆れ返っていた。
「あなたも魔術師の端くれでしょう、こうして結界で露天開いてるからには!」
「まあ、そりゃそうだけど」
「それでどーして七星旅団に興味ないとか言えますかね、あり得ないでしょ!? 冒険者なら誰もが、いや冒険者じゃなくても魔術師なら、というかなんなら一般市民だって興味を持つべきです! 持たないなんて考えられませんよ、人間ですか!?」
「そのレベルから疑われちゃうの?」
「当たり前じゃないですか!」
「当たり前じゃないと思……いや、はい、なんでもないです」
獲物を狙う野生の肉食獣みたいな視線で睨みつけられ、露店主はあっさりと抵抗を諦めた。
軽く首を振り、それから言う。
「……冒険者なのか、お前?」
「む」少しだけ口ごもるネリムだが、見栄は張れない。「いえ……まだ志望ってだけです」
「その口振りじゃ、迷宮攻略者志望って感じだな。単なる金目当てじゃなくて。今どき珍しいこって」
「かもしれませんが、いいんです」
ネリムはそう断言する。この街に、あの旅団のメンバーが来ているというのなら。
それに恥じるようなことは言えない。誰より自分を騙せない。
「わたしにとって、七星旅団は憧れなんです。わたしは七星に救われた。だから、同じ場所に立ちたいって思ったんです」
「…………」
別段、店主は何も言わなかった。
本当は何か言おうとしたのかもしれない。少なくともそんな素振りを一瞬だけ見せていた。だけど、結局は何も言わなかった。
ネリムだって、この場で言われそうなことは察しがついている。全員が全員、揃って最高の魔術師なのだ、七星旅団は。ただ憧れるだけならまだしも、そこに追い縋ろうなんて考える人間は現実の見えていない阿呆だけだと思われるだろう。
もちろん、ネリムは何を言われたって考えを変えない。店主もそれがわかっていたから、彼女に何も言わなかったのだろう。
「……まあ、別に無理強いはしません。わたしはひとりで見に行きます」
「そうか……俺もこれ以上はここにいる意味ないけど、まあ見物にも興味ないし、宿に帰るわ。――気をつけろよ?」
店主はそう言った。気をつけろよ、と。
そんなことを言われた理由がわからず首を傾げるネリムに、店主は視線を逸らして小さく告げる。
「……ああ、いや。俺みてえな一般人にこんなこと言われたくないだろうが、冒険者なんて――それも攻略系のクランに入る奴は、だいたいが間違いなく早死にするからな。そんな奴らは嫌ってほど見てきた」
重い表情で店主は言う。魔具を売る以上、冒険者との繋がりくらいはあるということだろう。だからネリムも小さく微笑んだ。
「お優しいんですね、意外と」
「……そっちこそ意外だ」店主は目を丸くする。「余計なお世話だって、怒鳴られるかと思ってたよ」
「いえ。そういうこと言ってくれるヒト、そうはいませんから。なんの関係もないわたしのために、そこまで言ってくれる方、怒鳴るなんてできませんよ」
「……止められたりしなかったのか?」
「止められましたよ、もちろん。『お前には無理だ』って。両親にも友人にも。でも――店主さん、止めないでくれましたから。無理だって言いませんでしたから」
そう。そのことがネリムにとってどれだけ嬉しい事実なのか、きっとそれを言った店主にだってわかっていない。
七星旅団を追うなどと言えば、誰もが無理だと否定する。分不相応だと馬鹿にする。それもわかる。当然だ。そう言われて当たり前なのだとネリムは誰より自覚している。
――七星旅団は、化け物だ。
真っ当な人間では一生かかったって辿り着けない場所に、全員が最初から立っている。張り合うだけ馬鹿を見るだろう。
それでも。たとえ不可能なのだとしても。その背を追うと決めたのだから。それを決めたのはほかでもない、ネリム自身なのだから。
自分だけはそれを否定しない。絶対に諦めたりしない。
だから――自分を否定しないでいてくれたヒトは、ネリムだって否定したくないのだ。悪人だなんて思いたくない。いや、悪人だって構わない。
リグも、この店主も。そういう意味では同じだった。
「――それじゃ、わたしはこれで。お話面白かったです。わたしがスゴい冒険者になったら、そのときはまた買い物に来ますね!」
ちょこん、と前屈みに敬礼を見せて、ネリムは軽く微笑んだ。
店仕舞いの準備が済んだのか、店主はことのほか乱暴に魔具の数々を風呂敷へと包むと、それを背負ってネリムに言う。
「俺も面白かったよ。久々に、面白い奴に会った気分だ」
「なんです、それ?」
「七星旅団って聞いた瞬間、露骨に性格変わったじゃねえかよ。あんな面白い変貌、そうそうないだろ」
「う、うう……」思い出すと、さすがに恥ずかしい。「ちょっとテンション上がっちゃっただけじゃないですか。忘れてくださいよ!」
「いや――」だが店主は首を振った。「それはもったいないからな。覚えとくことにするよ」
「……最初からずっと思ってましたけど、店主さん、かなりいい性格してますよね……」
「初対面からいい性格だとわかるくらいの良心が滲み出てたか……褒められてしまったぜ」
「そういう意味じゃありませんっ!」
唇を尖らせるネリムに、店主は軽く片腕を上げてこう言った。
「――んじゃ、そんな性格のいい店主さんが、ひとついいことを教えてあげよう」
「なんです……?」
ネリムはきょとんと首を傾げた。店主はすでにヒトの流れとは反対側に視線を向けている。
そして、彼は言った。
「もし本当に冒険者を目指すんだったら、噂話は鵜呑みにしないほうがいい」
「え……?」
「いや、聞くのは構わない。むしろ積極的に聞くべきだ。でも、ただの噂と裏の取れた情報は違う。情報ってのは証拠があって初めて判断の材料になる。無根拠の噂でできるのは判断じゃない。ただの憶測だ。それが悪いとは言わない。両方を使うべきだが――それでも、使い方は分けるべきだよ。噂には嘘も多い」
「それは――」
七星旅団のことを言っているのだろうか。
あの旅団は、噂通りの存在ではないと。そう言っているのだろうか。
訊ねる時間はなかった。言うだけ言うと、男は荷物を背負いさっさと通りを遡っていってしまう。
ネリムもまた、そろそろ門のほうに向かいたい。だから男の真意を問い質すことはせず、踵を返す。
「いいヒト、ではあると思うんだけど……」
もしかして――七星旅団のことが嫌いなのかもしれない。
そんな風に思案するネリムだったが、結局、その思考も《これから七星旅団のメンバーに会える》という事実の前に忘れ去られてしまう。
仕事を探していたはずだということは、今や完全に忘れていた。
――同時に。
露店の品物である首輪を、つけっ放しでいるということも。




