1-16『幻獣級(偽)』
魔物は、その名前に反して、魔術を行使してくるモノがほとんどいない。
戦闘における魔物の行動はそのほとんどが物理的な攻撃に終始しているのだ。牙や爪、腕力や武器で直接の攻撃を行う。中には強い酸や火炎を放射する種類もあるが、それらの攻撃は魔術ではなく、あくまでその魔物が肉体の機能のひとつとして持っているものに過ぎない。
魔力で身体が構成され、魔力を感知して襲ってくるとはいっても、魔物自身が魔術を使ってくる事態は非常に稀だった。
迷宮の外ならば、知能の高い亜人系の魔物の中には魔術を用いるモノもあるが、これら《亜人系》と称される生物は、分類として迷宮の魔物とはまた別の種とされている。彼らは集団を作り、独自の社会を持っている。一般には《魔物》とひと纏めに称されるが、実際には大きく異なっていた。
そして迷宮内に限って言えば、魔術を使う魔物など、ほぼ存在していないと言っていい。
それでも、完全に存在しないわけではなかった。
――魔術を扱う魔物。
それらは総じて知能が高く、一説にはヒトを超えているとすら言う者もある。例外なく強力な魔術の能力を持ち、並の魔術師ではまるで歯が立たないと言われている。
彼らは迷宮の最深部や、あるいは世界において《霊地》、《龍穴》などと称される、神域とも呼ぶべき特別な場所にのみ現れるという。
本来的に全身を魔力で構成されているからこそ、彼らの魔術適正は人間のそれを遥かに凌駕しているのだ。肉体に縛られる人間とは違い、魔物は魂魄の力をそのまま表に出せるのだ。
そういった、魔術を操る魔物を総じて――幻獣種と称する。
幻獣種の用いる魔術は千層クラスとまで言われていた。
もちろん比喩表現だ。この世に千層も続く迷宮など存在しない。少なくとも発見されてはいなかった。
ただまあ、世間で一般的に強者とされる魔術師が迷宮換算で約五十層弱クラスの強さ。世界最強クラスの魔術師――たとえば七星旅団の魔術師ひとりの強さがおよそ百層クラスを少し超える程度だと言えば、そのバケモノ具合が理解できるだろうか。
ちなみに中堅冒険者の平均値がおよそ十五層から二十層クラスだと言われている。
もちろんこれはあくまで目安で、単純に強さを数値で表したものではない。数が倍になれば倍強いという風に単純計算できるものではないが、それでもおおよその指標にはなると思う。
――要するに。
人間の魔術師如きでは、幻獣に到底太刀打ちできないということ。
それさえわかれば、充分だった。
※
不死鳥。フェニックス。
その威光を目の前にして、俺は思わず言葉を失った。
幻獣種。ヒトの《幻想》が形になったと言われる魔物。
その中でも不死鳥と言えば、火炎を纏う鳥の神にして永遠の命を持つ再生の象徴として有名だ。
その伝説は地球でも、この異世界でも変わることなく謳われている。
ヒトの想像の原風景に現れる火炎鳥。世界を超えて共有される不死の体現。
だからこそ、不死鳥が持つ幻想の凄まじさがわかるというものだ。
青の炎を、まるで雪のように散らせる空の幻獣。
――勝てるわけがない。
そんなことは初めからわかりきっていた。なぜ炎が赤ではなく青なのかは不明だが、目の前のそれが不死鳥だと言うのなら勝ち目はゼロだ。そも戦いにすらならない。
つーか、なんでこんなところに不死鳥がいるんだという話だ。
オーステリア迷宮に幻獣がいるなんて、街どころか世界を揺るがすレベルの大ニュースだ。街そのものからヒトがいなくなる。
なんでいるんだ、本当に。
――いやだって考えてみろよ、ここ迷宮のいちばん奥だぞ。普通に考えて鳥が住む場所じゃねえだろ。まあ確かにそこそこ広い部屋だけどそういう問題じゃないよね。こんなところにいないでもっと大空を飛んでくればいいのに。ていうか本当マジなんでいるの。ゲームじゃねえのになんでボスが設置されてんだよ誰の仕業だふざけるな。しかもラスボスより軽く強い裏ボスが普通に一面から出てきたみたいな感じじゃねえかそりゃ死ぬわ――。
……って、うん……?
思わず現実逃避してしまう俺だった。が、その現実逃避の途中、俺は何か奇妙な引っ掛かりを覚えて意識を取り戻す。
またこの感覚だ。
さきほど、五人で話していたときと同じ感覚。喉元まで出掛かっている違和感が、けれど最後のところで詰まってしまったような。
「――ちょっと、アスタ! ぼっとしてる余裕あんの!?」
背後からシャルの叱咤が飛んできた。
「いや、ない。すまん」
「……しっかりして」
俺はシャルに心中で感謝を告げた。
まったくその通りだ。迷宮に慣れている、などと偉そうに語った俺がこのざまでは世話がないだろう。
ふたりでピトスの元に駆け寄る。
幸いにして、青の不死鳥が動き出す様子はない。
ただこちらを観察するように、高みから見下ろしているだけだ。
「……ピトス。大丈夫か?」
俺はピトスの身体を助け起こした。
「だいじょうぶ……です。それよりも――」
「待て、頭から血が出てるな。ヤツにやられたのか?」
「……吹き飛ばされ、ました。肩に少し傷を受けましたが、それは治癒したので平気です」
「頭の怪我は?」
「見えないので治癒はできませんが、多少切れただけかと。今のところ支障はありません」
存外、しっかりとした口調で言葉を返してくるピトス。彼女の言う通り、傷自体はそこまでの深手じゃないのだろう。
事実、彼女は左肩の傷をいとも容易く治していた。ピトスが治癒を使う瞬間を見るのは初めてだったが、その難易度を知るだけに、彼女の技術の高さには驚かされてしまう。
この治癒の腕前があれば、あらゆる組織から引く手数多の勧誘を受けることだろう。
「ま、ひとまずは大丈夫そうだな」
とりあえず胸を撫で下ろし、それから俺は頭上の不死鳥を眺めた。
ヤツは動かない。余裕なのか、そもそも俺たちを敵とさえ看做していないのか。理由は不明だが、こちらを襲ってくるようなことがなかった。
できれば、このまま見逃してくれると嬉しいものだが。
「それより、聞いてくださいアスタさん!」
と、抱きかかえたピトスが、腕の中で切羽詰ったように叫んだ。
「どうした?」
「結界です! この部屋は、結界に覆われてるんです!」
彼女の言葉に、俺は背後を振り返った。
見ると、この空間と通路のちょうど境目となる辺りに、わずかだが魔力の揺らめきが見て取れる。この開けた空間の全域を覆っているらしい。
「……あー。つまり」
「罠です。一度入ったら、魔力の供給元を断たない限り外へは出られません」
「なるほど」
そう呟くほかになかった。目の前の魔物を倒さない限り、逃げることさえ不可能らしい。事態の詰みっぷりが完璧すぎる。
……だが、それはそれで妙な話ではないだろうか。
魔物が、それも幻獣ともあろう相手が、そんな狡い罠を張るような真似をするだろうか。そんなことをする必要性がないはずだ。
やはり引っかかる。
俺はピトスへ向けて問うた。
「さっきまで、あの魔物とひとりで戦ってたのか」
「ええ……はい、そうなります」
「……どうだった?」
「あの青いフェニックスは、こちらから攻撃しない限り反撃してきません。それは助かったのですが、かといってひとりで勝てるような相手では……」
「俺たちは、悲鳴が聞こえたからここに来たんだ。あれ、ピトスの声じゃないよな?」
「そう……ですね」
ピトスの言葉はなぜか歯切れが悪い。何か奥歯にモノが挟まっているかのようだ。
ただ、彼女の都合を斟酌できるほどの余裕が今の俺にはなかった。重ねて問い続ける。
「一撃与えたのか、アレに」
「……そうなります。もっとも、すぐ再生されてしまいましたが」
そういうことか、と俺は口に出さず納得する。
さきほどからの違和感に、ようやく答えを見出した。
「なるほど。……どう思う?」
俺は、さきほどから背後で黙り込んでいるシャルに訊ねた。
口元に手をやり、難しい表情で考え込んでいたシャルは、やがて小さく言う。
「……そういうことか。なるほど、確かにおかしいね」
「ああ。たぶん――アレは幻獣じゃない」
「だと思う。問題は、ならなんなのかって話だけど――」
魔物が襲ってこないのをいいことに、考え込む俺とシャル。
ピトスは一瞬、きょとんとした表情になって、それから驚いたように言った。
「え、えっと、ちょっと待ってください。あれ、フェニックスじゃないんですか!?」
目を丸くするピトスに、俺は軽く答える。
「だって青いじゃん、あれ。不死鳥っつったら普通は赤だろ」
「いや、そうかもしれませんが。でも幻獣種なんて、そもそも確認した人間がほとんどいないわけで……」
「でもピトス、アレに一撃与えたんでしょ? ならピトスがいちばんわかってるはず」
と、これはシャルが言った。
その言葉に、ようやくピトスも思い至ったようだ。
「あ――ああ、そういうことですか。わたしにもわかりました。あり得ないんですね、そんなこと」
「そういうこと」
そう、普通に考えてそれはあり得ない。
それが本物の幻獣ならば、魔術師に勝ち目など存在しないのだ。ちょっとばかり才能のある学生如きが相手取れるような存在なら、伝説などとは呼ばれていない。
なまじ見た目が幻獣そのもので、命を賭して必死に抗っていたからこそ、ピトスは逆に気づかなかったのだろう。
――本物の幻獣が、そこまで弱いわけがないということに。
曲がりなりにも戦いになるという時点で、相手が幻獣である可能性はほぼ零だろう。
そもそも、やはりこんなところに幻獣がいるわけがないのだ。
そのことに思い至れば、自ずとこの罠のような結界の存在にも、反撃以外の能動的な行動に及ばない理由にも想像がついてくる。
俺は言った。
「……あれは、使い魔だな。おそらく合成獣だ」
「キメラ……ですか?」
怪訝に眉を顰めたピトスに、俺は推測を語る。
――合成獣。複数の生物、素材、あるいは魔物を掛け合わせることで創り出す、文字通りの合成生物。上手く合わせれば元となった素体の能力を引き継ぎ、複数の能力を獲得することがある。
シャルのクロちゃんも、原理的には一種の合成獣に相当する。もっともクロちゃんは魔物ではなく、複数の魔晶の掛け合わせだが。
これは本来、弱い使い魔の強化などに用いる手法だが、問題は《複数の魔物を合成して生み出す》というその作成方法にある。
「ほら、迷宮の魔物が少なすぎるって話しただろ? たぶん、この迷宮の魔物は、ほとんどがこの合成獣を生み出す材料に変えられたんだ」
「そんな……ことが」
「でも、そう考えれば大抵のことに説明はつく。要するに、アレは魔物というより、むしろ使い魔の類いだな。だから命令されたであろう反撃にしか力を使えないし、魔力を結界なんて狡い罠に費やしてる」
「でも、再生能力を持つキメラなんて聞いたこと……」
「俺もない。が、合成獣はその素体になった魔物の能力を引き継ぐらしいからな。大方、材料に粘状魔物でも使ってるんじゃないか」
本来、使い魔としても扱いの相当に難しい種類である合成獣を、ましてこんな使役方法で用いることのできる魔術師なんて、俺は聞いたことさえなかったが。
ここから戻ったら、全てを学院と管理局に話し、早急な対応に出てもらう必要があるだろう。
それこそ、何か途轍もない計画が進行している可能性も否めない。
「まあ、アレが何かなんて今はいいでしょ」
と、シャル。上空の偽フェニックスを睨みつけ、彼女は言う。
「問題は、これからアレをどうやって倒すかよ。アレが幻獣じゃないのは朗報だけど、どっちにしろ倒すまで出られないことに変わりはないわ」
「そうだが、まあ幻獣じゃないなら勝ちの目もあるだろ……たぶん」
「どうだかね」とシャルは鼻を鳴らした。
それだけ強気なら、まあ戦うのに問題はあるまい。作戦の立てようもあるだろう。
ピトスもまた治癒を終えたらしく、自力で立ち上がって宣言するように俺へ告げた。
「わたしも戦います」
「ああ。悪いけど頼らせてもらう。派手にやってれば、そのうちレヴィやウェリウスも気づいてくれるだろ」
それはほとんど希望的観測というか、もはや願望に近い言葉だったけれど。
とはいえ、このパーティならば戦いを成立させることも不可能ではないはずだった。
――ただ俺には、あえてふたりに告げなかったことがある。
相対する魔物の強さを、慣れた冒険者なら経験でだいたい判別できるものだったりする。この辺り、知り合いの《天災》なら凄まじい精度で対象の強さを測るのだが、俺はその手の感覚に鈍感だった。臆病すぎて、むしろ鋭敏だとも言えるが、使えない以上は大差ないだろう。
だが今、その貧弱な勘がしきりに警鐘を鳴らしている。俺としたことが、これを幻獣と見間違えてしまったのも、きっとそれが原因だろう。
確かに、幻獣よりはマシなのだろう。だがあくまで比較としてだ。
言うなれば無理ゲーが難ゲーに、裏ボスがラスボスに変わった程度の違いでしかない。
正味な話、俺の勘が告げるところを言うのなら。
――この合成獣でさえ、たぶん、軽く八十層近いクラスの強さがある。




