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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第四章 王都事変
166/308

4-56『記憶』

 五大迷宮が一、《地》のゲノムス宮。

 それは王都から遥か東、王国の外れに位置している。

 諸々の準備――と言っても主に食料品の調達など、それは迷宮攻略というより旅の支度というほうが近い――を済ませた七人は、その場所を訪れていた。

 それでも装いの大半は、普段着とそう変わらない。セルエとキュオだけが多少、軽めの皮鎧などを外套ローブの下に着込んでいるが、あくまで魔術師らしい装備で整えられていた。

 とはいえ全員分の装備が、錬金魔術師であるマイアによる製作か、あるいはシグや教授ユゲル、メロが伝手やコネを総動員して集めた高価で希少な魔具である。

 彼らが装備を集めている間、アスタとセルエ、そしてキュオの三人で支度を調え、これ以上は無理というところでマイアによる出発が号令された。


 そして、王都を発ってから七日。

 七人はゲノムス宮の前に立っている。


「いよいよ……だね!」

 笑うマイア。強大な困難に立ち向かうときこそ、彼女は最も笑顔を見せる。

「ここから先は、文字通りに前人未到の領域。何が起こるかわからないけど――心の準備は、もちろんとっくに済んでるよね?」

「初めから準備なんていらないさ」マイアの言葉にシグが答える。「お前の行くところなら、それがどこだって俺は行く。今までもそうだしこれからもそうだ。そして、それは俺だけじゃない――だろ?」

「……ですね!」とセルエが苦笑した。「先輩に引きずりまわされるのなんて、いつものことですから。むしろついて行かないと心配で……」

「心配し過ぎて一回グレたからな、セルエは」ユゲルが肩を竦めて呟く。「実のところ、俺はお前がいちばん怖いんじゃないかと思ってる。それこそ恐ろしい考えだが」

「そ、そのことはもう言わないでってお願いしたのにっ!!」

「いいじゃないか、人望があって。お前の舎弟、あのとき百人くらい集まってたろ。たった七人で限界のマイアには勝ってる。よかったな」

「別に舎弟とかじゃないですってばっ!」

 慌てるセルエに全員が笑った。これから死地に向かうにしては、なんとも気の抜けた集団ではあろう。

「まあでも、いいんじゃないかなー!」メロが愉快そうに笑う。「この七人なら最強だって、少なくともあたしは思ってるし。まー、アスタがどうかは知らないけどー?」

「……俺に一回負けたくせに」ギリギリ聞こえる小声で、アスタは嘯く。「お前、すぐ油断するからな。力押しだけが魔術師じゃねえ。今日はそこんとこ、お前に教えてやるよ、メロ」

「うわ、言ったな!? 一回じゃん、一回だけじゃんっ!!」

「実際そういうところはあるな。気をつけろメロ」

「シグまで!? いいもんっ、あとで泣きついたって助けてあげないんだからっ!!」

「お前になんか死んでも泣きつかねえよ」

 淡々と言うシグ。むくれるメロ。肩を竦めるアスタ。

 その全員に、集中は見えても緊張はない。

 益体もない雑談がもたらす、その程よい脱力が、魔術師には重要な要素だと知っている。

「まあまあまあ。メロが強いこと、みんな知ってるよ」キュオネが微笑む。「アスタもあんまり、いじわる言わないの。ね?」

「別に意地悪言ったつもりは……」

「そうだね。大丈夫、アスタが泣きついてきたら、わたしがちゃんと助けてあげるって! だからメロもみんなを助けてね?」

「キュオ姉が言うなら仕方ないなあ……」

 宥めるキュオネの顔を立て、メロはあっさりと引き下がった。

 元よりこの程度、単なるじゃれ合いでしかない。ここから先の迷宮では、それが望めないことを知っているから。こうして話しているだけだ。

 もちろん、最後にするつもりなんてない。その会話を、最初にするつもりで向かうのだ。

「それじゃあマイア、最後の号令、お願いするよ!」

 キュオネの言葉に従って、全員がマイアに視線を向けた。

 マイアはうん、と一度だけ頷き、ただ前を向いて皆に告げる。

「……いや、改まって言うこととか実はないんだけど」

「おい」

 突っ込むアスタ。マイアは軽く笑って、それから続けた。

「んー……いや、私も一応、いろいろ考えてはあったんだよ? なんかこう、士気を上げるような、かっちょいい演説とかさ。でも、飛んじゃった。ここ来てわかったから。ああ、そんなのいらなかったんだな、って。――ある意味で、私の望みはもう、叶ってたんだなって」

 マイアは右手を軽く握り、それを開いて掌に視線を落とす。

 その中に、果たして何を見ているのか。

「結局、師匠に言われた通りだったんだよね。昔からずっと、やりたいことだけやって生きてたつもりだったけどさ。そうじゃなかったんだよね。私は、ひとりで遊んでても楽しくなかったんだよ。私が本当に欲しかったのは……一緒に遊んでくれる友達だったんだね」

「……マイア」

 彼女に呟きに、アスタが小さく答えた。

「うん。だからさ、改まって言うこととか、実はないや」

「マイア」

「だからみんな、行こ――」

「マイア。……みんな、もう行ったぞ」

「あれえ!?」

 見ればすでに、アスタ以外の全員が入口に向かって歩き出している。

 割とショックを受けたマイアは、よよよ、と崩れ落ちた。

「な、なんたること……っ!」

「いや、だって今の台詞、全部考えてきてただろ。台本作ってたろ。誰も聞かねえよ」

「ばれてるっ!?」

「作ってるとこ、キュオが見たってよ」

「あやつ、いつの間に!? ていうかそれ知ってて『号令お願い』とかなんとか言ったわけ!? ヤダあの子、黒いっ!」

「その場で考えたことなら、みんな聞いたかもしれないけどなあ。考えてたくせに『考えてたことは飛んじゃった』とか小芝居挟むから」

「ぐぅ……。一応、本心ではあるんだけどなあ……」

「――知ってるよ」

 小さく、アスタが噴き出した。それを見てマイアは目を丸くする。

 この可愛げのあまりない義弟おとうとは、いつも斜に構えていて、実のところあまり笑顔を見せない。空気は読めるから、場に沿った表情は見せるけれど、本心から笑って見せることが少ないと気づいていた。――お義姉ねえちゃんだから。

「言われなくても知ってんだよ。だって、みんな感謝してんだ。マイアが……姉貴が、俺たちを集めてくれたこと。この場所を作ってくれたこと」

 そのアスタが今、こうして素直に言葉を作ってくれている。

 彼の言う通り、知っていてくれたからだろう。マイアもまた本心を口にしていたのだと。

「……あ」ぽかんと口を開くマイア。「アスタがデレた……」

「デレたとか言うんじゃねえ」

「死なないでね……」

「縁起でもないこと言わないでくれないマジで!? 死亡フラグみたいになんだろが!」

 くそ、と視線を逸らすアスタ。がしがしと頭を掻く彼の耳がわずかに赤いことに、マイアは気がついていた。

 気がついていたけれど、言わないであげることにした。

「――ふたりとも遅ーいっ! 早くしないと置いてっちゃうよ――っ!!」

 前方から、こちらを振り返って手を振るメロの声。

 ふたりで顔を見合せて、義理の姉弟きょうだいは軽く笑う。

「――行こっか」

「ああ」


 七人の、歴史に名を刻む挑戦が始まる。



       ※



 お世辞にも、攻略が順調に進んだとは言い難い。

 七人の実力をもってしてさえだ。それほどの迷宮で、それほどの死地だった。

 優に百層を越えて下に下に続いていく迷宮。日の光が届くこともなく、周囲の環境全てがただヒトという概念を殺すためだけにある場所だ。蓄積する疲労、ストレスは並じゃない。

 けれど、どんな窮地に陥ろうとも、七人は決して諦めなかった。帰ろうと言い出す者はひとりもいなかったし、きっと全員が成功を疑っていなかった。


 マイアが創り出した魔具がなければ、七人はここまでのパフォーマンスを発揮できなかっただろう。実のところ、単純な戦闘の技量では、アスタと同じく下から数えたほうが早いマイアだったが、それでも全員が一切の異論なく自らの団長リーダーだと認めている。そのカリスマ性に対する信頼が、彼らを奮い立たせた。彼女が「できる」と口にするだけで、本当にできるのだと信じられた。

 シグウェルの強さを、その力を、疑う者もまたいなかった。おそらくは本人以上に、彼が最強であることをほかの六人が信じている。彼の火力で撃ち抜けない敵などいないと思っていたし、実際に五大迷宮の中にすら、そんな魔物は存在しなかった。時にはいちばん前に立ち、格闘術と魔弾を組み合わせて戦うシグがいるからこそ、誰もが安心して前に出られるのだ。

 ユゲルの知識と魔術の技量は、五大迷宮にも通用した。現存最古の迷宮とは、すなわちその情報を誰も知らない、全てが未知の空間ということ。それはユゲルでさえ例外ではなかったのだが、彼の判断ならば誰もが疑わない。どんな罠でも、どんな謎でも、彼が出した答えならば全員が信じた。最年長である彼はまた、マイアとは違った意味で精神的な支柱にもなってくれている。

 それでも傷つく者がいれば、キュオネが全てを癒していた。肉体だけではない。どんな状況でも笑顔を絶やさない彼女の存在に、きっと全員が助けられていた。また唯一の治癒魔術師、つまりパーティの生命線である彼女は基本的に後衛に立っていたが、時にはシグと揃って前に出ることもあった。治癒魔術師であるということは、つまり肉体活性の技術に長けているということで、旅団ではセルエとシグに並んで前衛で戦える実力を彼女は持っているのだから。

 それでも最も先頭に、戦闘の場に居続けたのがセルエだ。凡百の魔物ならば、いや、五大迷宮に棲む強力な魔物でさえ、彼女は拳ひとつで蹴散らしていく。だが彼女が何より信頼されているのは、それだけの能力を持ちながら、決して筋力だけの存在ではないことだ。術者の希少な混沌魔術を用いて、時には魔物の精神にさえ干渉するセルエの力で、避けられないはずだった戦いを避けることが可能だった。

 変わって避けられる戦いならば、その全てをアスタが避けた。戦いの場ではあまり目立たない彼だったが、どこよりも濃い瘴気に満たされている迷宮の中でさえ、あらゆる罠を、魔物の動きを、内部の構造を感知できるのは彼を措いてほかにいない。まるで未来を予知しているかのように、あるいは決められた未来さえ書き換えているかのように。アスタの言葉に従えば、この広い迷宮で迷うことなど一切ない。実のところ、何もない状況で旅団を引っ張っているのはアスタだったのだから。安全に生き残る、という能力において、彼の右に出る者はない。

 そして、メロ。本当を言えば、彼女は自分ひとりで戦うより、誰かと一緒にいるほうが遥かに強かった。孤独ではなくなった天災を、天才を、抑えられるものなどあり得ない。普段ならひとりでも敵に向かっていく彼女が、頭を使い、空気を読み、遊撃的に機能したとき、彼女の言う通り旅団は最強を体現する。元より彼女の持ち味とは、ユゲルにさえ伍する魔術の万能性なのだから。もちろん、強大な敵に立ち向かう際の突破力は言うまでもなかった。


 死線だった。全員が、持てる技能の全てを、最大限に活用しなければ、おそらく七人纏めて死んでいただろう。

 それを逆に言うのであれば、この状況で最適な行動を選択し続け、常に最高のパフォーマンスを発揮できたということが彼らの強さだということ。単に《強い》というだけでは、生き残ることはできないからだ。

 どれほど肉体を鍛えても、毒を盛られれば死ぬように。

 どれほど魔術に精通しようと、体調を崩せば思うように発動できないように。

 自らの最高の状態を維持し続け、常に正解を引き当てなければ生き残れない場所で、彼らは生き残っていた。


 そうして。実に十五日近い時間をかけて。

 そろそろ食料も底を尽き、失敗さえ見え始めてきたところで。


 彼らは、最下層目前まで辿り着いた。



       ※



「――ついに来たね、アスタ」


 キュオネの声が背後に聞こえた。

 アスタは言葉では答えず、ただ頷いて正面だけを見ている。


 最下層、その直前。少しだけ開けた空間で、七人は最後の休息を取っていた。

 結界を張り、焚き火を囲んで交代で休む。本来ならこんな閉鎖空間で火を熾すなど自殺行為だろうが、そこは魔術の炎、どうとでもなる。

 揺らめく炎は、ユゲルが熾したものだった。周囲の瘴気をある程度まで緩和し、休息に向いた場所を作り出してくれている。瘴気を吸収し、代わりに新鮮な空気をもたらしてくれるわけだ。

 今はアスタが火の番、というか見張りだ。最後を前に、少しだけ長めの休息を摂ることに決めていた。昼も夜もない迷宮では時間の感覚が希薄になるが、持ち込んだ時計によれば夜。

 最後の挑戦は明日、外で陽が明ける頃になるだろう。


「よっしょ……後ろ、座るね?」

「座ってから訊くなよ」

 寝ていればいいのに起きてしまったキュオネを、アスタは苦笑とともに迎えた。

 どうせ、言ったところで聞かないだろう。なんでかこう、七星の女性陣には立場的に勝てないのだ、例外なく――とアスタは思った。ていうか男性陣んも別に勝てないけど。彼らはそれなりにアスタの意志を尊重してくれるため、とりあえず考慮に入れていない。

 ふたりで、炎を眺めていた。

 揺らめきが目に優しい。そんな気分。夜のように暗いところだが、別に星空が見えるわけでもなく。ロマンチックには程遠いな、とアスタは内心で思っていた。

 右手に炎を眺めながら、その背後に座り込むキュオが言う。

「……ね、アスタ?」

 ふたり背中合わせに座り合う。

 触れ合った背中越しに、相手の存在を感じていた。

「タバコ、吸ってみてよ」

「……そんなリクエストを受けたのは生まれて初めてだな」

 地球にいたままなら、喫煙者にはなっていなかったんじゃないかな、とアスタは思う。

 半ば師匠の真似で――加えて言えば、ただ炎が、死者を弔う何かが欲しくて――吸い始めただけだった。線香の代わりのつもりだった。霊を慰める方法なんて、ほかになんにも思いつかなくて。

 まあ、たまたま自分の魔術との親和性も高かったし。今では普通に愛煙家だ。地球より遥かに喫煙者の多い世界だが、それでも女の子には好かれないだろうな、なんて考えている。


「キュオは、煙草嫌いじゃなかったっけ?」

 首を傾げるように、軽く後ろを見てアスタは問う。

 きっといつも通りの表情なのだろう少女は、こちらを見ないまま答えた。

「治癒魔術師だからね。体に悪いモノは、あんまり好きではないかなー」

「ならどうして?」

「んー。ふふ」悪戯っぽく少女は言う。「タバコ自体は、あんまり嫌いじゃないんだよ。匂いとかむしろ結構好きかも。そりゃ、自分で吸おうとは思わないけどね」

「……変わってるな、キュオ」

「どーかな。もしかしたら、アスタだからなのかも」

「――……」

「なーんて、言ってみたりしてね。どきっとした、アスタ?」

「……そうだな。体に悪かった」

「あ、その切り返しはいじわるだなー」

 くすくすと、愉快そうにキュオは笑った。その様子に、なんとも言えない据わりの悪さをアスタは感じてしまう。

 なんだか妙な塩梅だ。キュオといることはもちろん苦痛じゃないが、なんだろう、少しだけ気恥ずかしいような感覚がある。


 そんな感覚を誤魔化すみたいに、アスタは煙草に火をつけた。

 目の前の焚き火が、煙草の煙すら吸い込んでいってしまうのが見える。それはそれで、なんとなく風情がない感じでアスタは微妙に思ったけれど。


「――ね、アスタ」

 そのとき、ふと自分の後頭部にに、何かが触れる感覚があった。

 視線を移さずとも、キュオネが自分の身体に、体重を全て預けてきたことくらいわかる。見なくてもわかるのだから、見る必要はないだろう――なんて、アスタは自分を誤魔化した。

 動いたら、彼女も背中を預けにくいだろうし。

「ここから帰ったらさ、アスタは何したい?」

「……そういう話は死亡フラグだ。やめとこうぜ」

「んん……?」

「物語の中だと、戦場でそういう未来の話とかしたキャラは割と死ぬ場合が多いって話。ここ入る前にマイアにも言ったけど」

「あー……ちょっとわかるかも」

「だろ?」

「でも現実は違うんじゃない? 絶対に生きて帰ってやるー、って目的を持ってるひとのほうが、ちゃんと帰ってくると思うな、わたしは」

「それは――まあ、そうかもしれない」

 小さく笑った。ふたり揃って。


 背中に感じる重さが、温かさが心地いい。さきほどまで感じていた据わりの悪さなんて、それだけでどこかに消えてしまったかのようだ。

 こうしていることが、何より自然なことのように思えて。そんな時間を、アスタは尊く思うのだ。

 いろいろあった――そういう風にしか言いようがないくらいに。

 異世界に来て、初めての友人を喪って。それから魔法使い(アーサー)の弟子になって魔術を覚えて。才能のなさを埋めるため、文字通りに死ぬような思いで足掻いて、足掻いて、足掻くことをやめずにいたら、気づけば五大迷宮の中にまで来ていた。


 よくも悪くも、変わったんだなと、そう思う。

 この世界に来るまでの一ノ瀬明日多なら、きっとどこかで挫けていた。

 どこにでもいる、なんの取り柄もない、頭の悪いただの中学生。そんな奴が本当に、言葉通りに血反吐を吐く思いで魔術の訓練を乗り越えるだなんて、普通ならたぶん無理だった。どこかで負けて、死んでいた。

 いや、今だってきっとひとりでは無理だ。

 パンに救われて。マイアに拾われて、アーサーに師事して、キュオネに出会って。シグウェルにユゲルにセルエにメロに、出会った全てのひとに助けられて生きてきた。

 けれど。


「んと、訊き方が悪かったかな。わたしが言いたいのはそういうことじゃなくってさ」

「……じゃなくて、何?」

「なんかさ、やりたいことはないのかな、ってこと。アスタが、だよ?」


 ずっと必死だった。苦労しただなんて主張はしないけど、これまでの努力に対する自負は、それでも持っているつもりだった。

 そうでもなければ生きてこれなかったのだから。自分が今も生きていることが、それだけでひとつの成果なのだ。もがいて、苦しんで、それでも足りないものを、いろんな誰かに埋めてもらって。だからここまで歩いてこられた。

 そう、だから。

 だから、それを――ずっと返そうと思っていたのだろう。貰ったものを、受け取ってきたものを、渡されてきた思いのひとつひとつを。


 その分だけ、誰かに返して生きたかった。


 だって、そうしなければ嘘だろう。魔術師になって――魔術師という生き方を選んで、アスタはいろんな終わりを見た。世界の残酷さをまざまざと教えられた。

 いろんな終わりを目の当たりにして、それでも、終わってしまった誰かから、貰ったものが確かにあって。それを、ただその場所でなくしてしまうなんて、そんなことは赦せない。

 ああ、そうだ。確かに世界は残酷だ。下手な慰めみたいな、先のない諦めみたいな、そんな使い古された下らないフレーズでも、それが真実である以上は受け入れるしかない。

 けれどその中に、それだけじゃない(丶丶丶丶丶丶丶丶)ものがあると知っているから。

 背中を押してくれたひとに。手を引いてくれたひとに。抱き締めてくれたひとに。笑顔を見せてくれたひとに。居場所を与えてくれたひとに。そこで待っていてくれたひとに。

 そうして終わっていった誰かの想いを、意味がなかっただなんて切り捨てたくなかった。

 たとえそのひとが終わってしまったのだとしても。せめて受け取った思いだけは、嘘にしてしまいたくなかった。


「――うん。別にやりたいことって、だから具体的にはないんだよ」

「そう……なんだね。やっぱり」

 キュオネが小さく呟いた。でも、それでいいとアスタは思っていた。

「せっかくさ、ここまで一応、強くなったから。それで今度は、ここまで俺を育ててくれたものに、何かひとつでも返せればいいな、って。それくらいしか考えてないかな。……つーか、要するに何も考えてないんだけど。どうやってって訊かれたら困るし」

「……もう、充分だと思うけどな。わたしは」

「うん……?」

 どういうことかと首を傾げた。と、そこでキュオネが、


「――とりゃっ」


 と呟き、背中からおぶさるみたいにして、アスタを軽く抱き締めた。

 背中から抱えられ、肌の温もりが服を隔ててなお、強く明確に感じられる。


「……ど。ど、どうし、どう、どうした、キュオ」

「動揺しすぎでしょアスタ」

 くすりと笑うキュオネ。その息が耳元にかかり、背筋を何かが貫いていく感覚をアスタは味わう。

 無様に混乱するアスタを後目に、キュオネがその顔をアスタの背中に埋める。

「んー。ふふ、やっぱいい匂いだなー」

 お前のほうがいい匂いするわ、とか思いながら、なんとか答えた。

「いや……もう結構な間、風呂にも入ってないんだけど」

「その辺は魔術でどうにかできるでしょ」

「そりゃそうだけど」

 禊ぎの魔術。実はそれなりにメジャーである。

 ――というか、なんか間違った。そういうことを言いたかったわけじゃない。

 盛大に狼狽するアスタだった。とはいえ、いきなりだから――それも相手がキュオネだから驚いたという部分が大きい。少し間を開ければ冷静にもなるし、だからこそ不思議にも思う。

「……本当にどうした?」

「甘えてるだけ」キュオネが言う。「入る前、言ったじゃん。何かあったら頼っていいよ、って。だからわたしもその分、アスタに頼りたいかな、みたいな」

「まあ、そのくらいいいけどさ」

「じゃあ、お言葉に甘えるね。ありがと」

「……、……」

「こういうことだよ」

 背中で、キュオネがそう言った。アスタにはやはりわからない。

「……どういうことだよ」

「アスタは、わたしたちをちゃんと助けてくれてるってこと」

「いや、そりゃこのくらいのことは――」

「そうじゃなくて」

 小さく、首を振る気配があった。アスタの言葉が止められる。

「そういうことじゃなくて。アスタはさ、自己評価が低いわけじゃないけど、それでも、どこかで前に出ないようにしてるでしょ」

「そうかね」

「そうだよ。負い目、なのかな?」

「……」

「でもさ。アスタはみんなに助けられてるって思うかもしれないけどさ。アスタだってちゃんと、みんなのこと助けてあげられてるよ。みんなの力になってるよ。知ってる? アスタがいちばん強いのは、いつだって、誰かの背中を押すときなんだって」

「……手を引っ張ってくれる奴がいるからな」

「そうかもね。でもわたしは、いっつもアスタに背中を押してもらってるって思うし、だからもしアスタにやりたいことがあるなら――今度はわたしが、その背中を押してあげたいって思うよ」


 ――だからさ。

 と、少女は告げる。


「もっと、やりたいことやっていいんじゃないかな。七星旅団わたしたちは、初めからそういう集まりでしょ?」

「やりたいこと、やって来たつもりだけどな」

「それじゃあ、もっと、だよ。アスタが何かをやりたいって言ったら、絶対みんな力を貸してくれる。――そのことをさ、重荷に思ってほしくないよ」

 だって。

「だってそうでしょ? それは、わたしたちがやりたいからやってることなんだから。みんなアスタが思うより、きっとアスタのこと、好きなんだよ」

「…………」

「わたしだって、それくらい、アスタのことちゃんと好きなんだから。――だから、それがわたしからのお願い。頼らせてね……頼ってね」

「……そろそろ離れろ、キュオ。さすがに恥ずかしくなってきた」

「わたしだって結構、恥ずかしかったんだけどなー……」

「いや、だってさ。――ほら」


 がしがしとアスタは頭を掻く。煙草の火は、いつの間にか消えてしまっていた。

 代わりに横目に見えるのは、揺らめく炎と――その先にいる仲間たち。

 その全員が、こちらをがっつり見ていることだった。


「あいつら、みんなこっち見てんぞ」

「え――ええぇっ!? みんな起きてたの!?」

 珍しく、本当に珍しく、盛大に狼狽えるキュオネ。

 マイアが途轍もなく厭らしいニヤニヤ顔で、


「いやー……いいねえ。いいものを見せてもらったねえ。おねえちゃんは感慨深いよ、うん」

「ちょっ、先輩。あんまそういうこと言うものじゃないですよ、もう」

「そういうセルエだって、めっちゃ見てたじゃん?」

「それは……いや、だって……ねえ?」

「俺に振られても知らん」

「以下同文だ」

「あらー……冷めた男性陣ですこと。ていうかメロ? なんか静かじゃない?」

「だって寝てるもん」

「いや、思いっきり返事聞こえてるけど」

「うるさいマイ姉。あたしは寝てるもん知らないもんうるさいばか」

「ありゃ。アスタとキュオがいちゃつくから、メロが拗ねちゃったよ。大丈夫だよー、仲間外れじゃないよー」

「拗ねてないし!」


 ぎゃあぎゃあと喧しく叫ぶ仲間たち。とても迷宮の中だとは思えない。

 そんな様子に、アスタは苦笑を堪え切れない。

 だから、それに免じて、黙って見ていたことは許してやるとしよう。

 実際のところ、キュオネに言われたことに、自分の中で答えを見つけられたわけじゃないけれど。それがどういうことなのか、本当のところ、わかってなんていなかったけれど。


 ――顔を真っ赤にしているキュオネなんて、珍しい姿も見れたことだから。


 まあ、今のところはいいだろう。

 考える時間なら、きっとこれからいくらでもある。

 だからまず――この迷宮を超えていこう。


 そう、思った。



       ※



 翌朝。七人は迷宮を踏破した。

 最後の部屋に待ち構えていたのは、これまで戦った中でも最強と言っていい魔物だった。

 死闘だった。ここまでの道のりさえ前哨だったかのような、それは最強種との戦いだった。

 なぜなら――相手は竜だった。

 幻獣。あるいは神獣と呼ばれる神秘の頂点。最強の概念。

 それを、彼らはたった七人だけで、数時間にも及ぶ激闘の末に下した。その顛末を、ここで語ることはしない。


 いずれにせよ。

 来た道を倍以上の速度で戻り、晴れて地上に生還した。

 七人で王都に戻り、迷宮を踏破した証として持ち帰った竜の首を王国に献上する。


 ――そして。

 七星旅団セブンスターズの名が、伝説として永久に王国史に刻まれた。


 だが。彼らは実のところ、そうまで誇り高い気持ちになっていたわけじゃない。

 その後にあった隣国との戦争に、七星旅団セブンスターズは駆り出されることとなる。その中でも力を発揮した彼らの名は、そう長い時間をかけずに王国中へと広まった。

 けれど彼らには、まだやることがあったのだ。

 そう。実はそのとき――迷宮の攻略は、まだ成し遂げられていなかった。


 それから、何ヵ月かの期間が経過したのち。

 再び集結した七人は、もう一度、迷宮へと挑むことになる。

 その最下層で知った真実と、そこから類推される答え。それを確かめるために。


 ――七星旅団セブンスターズが解散する、およそ七日前のことだった。

失うまで、気づかない。

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