表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第四章 王都事変
163/308

4-53『伝説の領域』

 不気味な迷宮だな、とシャルは思った。

 もっとも、不気味でない迷宮があるとも思えないけれど。見た目で言うのなら、それは他の迷宮とそう大差ない。地下通路風の、普通の迷宮だ。

 問題は、そこに魔物が一体も現れないことで。

 シャルはあの、オーステリア迷宮でのことを思い出していた。あのとき覚えた違和感と、今の感覚はどこか似ている。

 違うのは、瘴気さえほとんど感じないことか。いや、あるにはあるが、それは瘴気と称すには清純すぎる魔力だった。毒になるどころか、まるで深い森の空気を吸っているみたいな心地よさがある。


「…………」


 目の前には、ひと言たりとも言葉を発さず、黙々と歩くピトスの姿。その様子にはアイリスも違和感があるのか、彼女は不思議そうな表情でピトスを見上げては、何かを問うようにその視線をシャルに移す。

 そんな無垢な表情で見られても困る、とシャルは思った。

 この場所までは、ピトスの案内でやって来た。というにはいささか暴力的すぎる方法だったけれど。

 彼女が提示した方法は、至極単純なものだった。

 地面を、迷宮の結界ごとぶち抜いて、その中に入るという考えだ。

 荒っぽい方法だが不可能ではない。本来、迷宮の結界を破壊することは不可能なのだが、今は違う。迷宮の側が、ヒトを受け入れようとしているのだから。

 意識を失った人間が、軒並み飲まれている以上。

 入ろうと考える人間を、迷宮が拒むはずがない――という理屈である。


「……ねえ」


 ふと、気づけばシャルは訊ねていた。

 言葉を発してから、口を開いた自分に気づいたようだった。


「ピトスは……どうして知ってたの?」

 何に対して、その質問をしているのか。シャルは自分でもわからない。

 ピトスもまた、何に対して答えているのかわからない答えを返す。

「フェオさんに聞いたんですよ」

「……そう」

「ええ。アスタくんもここにいるそうです、早く合流して、この事態をどうにかしないといけませんね。王都の街がこんな風になっているなんて思いもしませんでしたが、乗りかかった船です。がんばりましょう」


 美しい、それは非のつけどころない解答だった。

 ひとりの国民として、事態の中心に近い位置にいる魔術師として、当たり前のことをピトスは言っている。

 それが不可解で仕方ない。シャルは、そんな返答を期待していなかった。

 言っていることはわかるのだ。それは綺麗な答えだったし、たとえそんな正義や善性を気取らないにせよ、この状況に至ってはもう解決への道を自力で探り出すしかない。

 結界の中に、ほかに頼りになる人間はいない。もちろん魔法使いの力なくして、この結界から逃れることもできない。

 王都に来てしまった時点で、戦う以外の道はないのだ。

 それくらいは、シャルも初めから覚悟していた。


 とはいえ、シャルは別段、そう強い目的意識からここまで来たわけじゃない。魔術師としては失格と言っても過言じゃないが、ほとんど流されて来たようなものだ。

 まあ、あの兄弟子の近くにいれば、戦う機会には恵まれるだろうと考えはしたけれど。そのくらいだ。結局のところシャルにとっては《魔法使いに至ること》が全てであり、ほかのことは考えていない。

 あるいは、考えないようにしているのか。

 気づいてはならない何かから、目を背け続けるみたいに。

 いずれにせよ、こうして戦いの場に身を投げ出していることが、強くなる最短経路だと考えているだけだ。それで死んだら、自分はそれまでの人間だったということ。そんな人生には未練がない。

 一方、ウェリウスには何か目的があるらしい。こうして今も単独行動を取っている辺り、裏で何を考えているのかわかったものじゃない。

 とはいえ、それも悪いものではないのだろうとは思う。彼の秘密主義は今に始まったことじゃないし、それはほかの人間だって大差ない。魔術師なら当たり前ですらある。


 問題はピトスだ。

 彼女にも、何かしらの目的があるのだとシャルは思っている。

 ただアスタを追いかけてきただけだなんて言葉、これっぽっちも信じていない。そんなわけがないと信じているのかもしれない。

 思えば、彼女ほど背景のわからない人間は周りにいない。

 ウェリウスは魔法使いの弟子だったし、アスタが元七星旅団員だったこともすでに知っている。

 なんのために学院に来たのか、わからないのはピトスくらいだ。


「……二手に別れましょうか」


 そんなとき、ピトスがふと言った。


「え……?」

 思わず訊ね返したシャルに、ピトスは再び繰り返す。

「二手に別れましょう、と言いました。このまま三人で探すのは骨ですからね、手分けしたほうがいいでしょう」

「…………」

「アイリスちゃんをひとりにするわけにはいきませんから、シャルさんにお任せします。わたしはひとりでも大丈夫ですから」

「それは……」

「大丈夫ですから」

 有無を言わせない口調だった。ひとりにさせろ、と彼女は言っている。

 少し迷った。それが正しい判断だとは思えなかった。

 だが、結局シャルはその提案を受け入れる。受け入れなければ逃げ出してでもひとりになりそうな気配がピトスにはあったし、それに抗ってまで強く引き留めるほどの動機を、そもそもシャルは持っていなかった。


「……わかった」

「では、そういうことで。アスタくんかフェオさんを見つけたら、合流することにしましょう。地上で」


 それだけ言うと、ピトスは脇目も振らずに駆け出した。

 もはやなりふりさえ構っていない。取り繕うことすらせず、どこかを目指して走り出す。それを追うことは、シャルにはできなかった。

 残されたシャルはしばし考えてから、ふとアイリスとふたりで残されているという状況に気づく。そちらを見れば、少女の透き通るように無垢な瞳が、今もシャルを見上げていた。

 だから、小首を傾げられても困るというのに。


「……えっと。アスタがどこにいるか、わかる?」

「わから……ない」

 アイリスは首を横に振った。だが続けて、

「でも……におい、なくなったとこ、なら……わかる」

「……におい、なくなった……?」

 単純に、言っていることの意味がわからなかったから繰り返しただけなのだが、アイリスはこくりと頷いて、

「うん。こっち」

 ピトスが走り去ったのとは、逆の方向へとシャルを誘った。

 まあ、このままここにいても仕方がない。アスタのように迷宮の広い範囲を索敵するような魔術、シャルは覚えていないわけだし。

 それくらいなら、アイリスの感覚を信じてみるのも悪くないだろう。


 白と黒のふたり組もまた、迷宮を一直線に駆け出した。



     ※



 いつ以来だろう。

 追いつめられて声を上げるのなんて。


「む、ぐ――ッ!?」


 波状に放たれる火炎を、剣に見立てた手や足で斬り払う。

 フェオの魔力喰いとは異なり、グラムは純粋な武の技量でもって、迫り来る魔力を斬っていた。

 だが。


「……意味ねえよ、そんな綱渡り」


 火星が、哂いもせずにただ告げる。事実をそのまま口にする。

 彼は――何もしていなかった。

 ただ立っている。もはやグラムを見てさえいない。魔術を起動する素振りすら見せないのだから、グラムにはもう止めることも叶わない。

 このまま行けばジリ貧で、対処の方法も浮かばなかった。

 結果として、未来は当然の運命に帰着する。ついにグラムを火炎が捉えると、その肩口を焼き払った。暴力的な高熱が肉を侵す。


「――ぐ……ぅ」


 呻くグラム。焼け爛れたその右腕は、見るも無惨な有様だった。

 火傷程度で済んだことを、むしろ幸運に思うべきだろう。グラムは魔術をほとんど扱えないが、魔力を持っていないわけじゃない。生来の抵抗力が、魔術攻撃を減衰してくれたお陰だった。

 とはいえ。もはや、その右腕は動くまい。


「どういう……ことだ」

 それでもグラムは口にする。口にせざるを得なかった。

 訊ねたのは、火星による攻撃についてじゃない。火星の姿そのものを、グラムは疑問しているのだ。敵に向かってさえ、訊ねざるを得ない姿。

 魔術師らしい理解の拒否を今、火星は体現している。

「どうもこうもねえ。見ての通りだよ、ご老体」

 火星は言った。答える必要などなくて、だからこそ火星は答えている。

 理解されないことは力だが、理解できないことならば、答えたって構わない。それはそれで、むしろ無理解を突きつける結果になるのだから。


 今、火星は膨大な魔力を帯びている。

 それは人間ひとりの限界を明らかに超越していた。一体の、途轍もなく強大な魔物の域に達している。

 事実、その肉体は変質していた。奇しくもその少し前、フェオが吸血種としての力を覚醒させ、肉体を変質させたのと同じように。

 火星もまた、肉体の一部が魔力で構成されている。そういう存在に変わっている。生まれ変わっている。生き変わっている。


「――俺は、《魔人》だよ。見りゃわかるだろう」

「魔人……だと。馬鹿、な……」

「目の前にあるモンを否定すんじゃねえ。見りゃわかんだろうが。そもそも教団の目的は――初めから人造の魔人を生み出すことにあったんだからよ」

「よもや、本当に完成させるとは……っ!」

「そのための人材だろうがよ、教団の連中ってのは。《月輪》が持つ魔術師として最高の技術力も、《水星》が持つ変身魔術の能力も、《金星》の魔物に対する知識と干渉力も、《木星》が誇る肉体の位相を歪めるすべも、鬼種である《土星》が持つ唯一無二の魔人のプロトタイプとしての価値も、そして《火星オレ》の概念干渉能力も。全てが、人類を人為的に魔人へと進化させる――ヒトという種を新しい次元へと押し上げるために必要とされた能力だ。《日輪》が描いた運命だぜ? 達成できねえはずがねえんだ。俺たちは、もう、――人類種ヒトを超えている」


 全てが、そのための実験だった。合成獣キメラも、アイリスも――全てはそのための犠牲だった。

 人と魔を掛け合わせ、人類を新たな段階へと押し上げる。人為的に、上の次元へと進化するために教団は活動してきた。

 その成果はこうして実を結び、火星は今やヒトの領域を超越した。逸脱したのだ。


「苦労したんだぜ? ここに至るまで、いったい何年かかったかわかんねえぜ、オレにはよ。《三番目》だけが持っていた人造人間ホムンクルスの製造に関する知識がなきゃあ、まだ悩んでた頃合いだろうなあ」

「……、……」

「でも仕方ねえんだよ。こうして人間であることを捨てなきゃよ、届かねえ次元があるんだ。先天的にヒトを超えていた七星の連中に――あの異常な天才どもに太刀打ちするには、後天的にヒトを超えるしかなかったってわけだ。才能のねえオレらはよ」


 確かにこれは、語られたところでどうしようもない。対処のしようがなかった。

 人間を超えてしまった相手に、人間でしかないグラムでどう太刀打ちしろというのか。上位種に淘汰されるのは自然の摂理だ。

 ただの人間でしかないグラムには、それを超えることが叶わない。


「まあ、いい実験台にはなったぜ、ご先祖様よ。アンタほどの相手にも、とりあえず勝てる程度の成果は出たらしい。朗報だったよ」

 人間と魔物の合成。フェオもそうだし、アイリスもまたその実験過程で生まれた存在だ。

 だが、それらとは明確な違いが火星にはある。彼は、人間としての特性を進化させることで魔人に至ったのだから。人間を超えて――それでもなお彼は人間だった。魔物ではない。

「――しかしまあ、つまらねえもんだな。強くなろうとして、実際にこうして強くなって。自由になりたくて――その結果がこの不自由なら、なるほど笑わせるモンだよ。笑えねえけどな」

「お前は……何者なんだ。なぜ、俺を先祖と呼ぶ」

「何者でもなかったさ、ご先祖様。少なくともこの時代ではな」

 グラムの問いに、同じ姓を持つ火星が答える。

 その答えは、けれどもうわかっていた。グラムは火星を知らない。自分の一族にこんな人間はいないはずだ。

 にもかかわらず、彼はグラムを先祖と呼ぶ。ならば。


「そう。オレは未来から――滅んでしまった世界の未来から来た、ペインフォートの末裔にして、末代だよ。いわゆる未来人ってわけだ」

「未来……人」

「その通り。七星に滅ぼされ(丶丶丶丶丶丶丶)、腐れて自由のなくなった未来から、過去を変えに来た救世主ってヤツだ」

 淡々と。つまらなそうに。

 火星はそう口にした。


「サヨナラだ、ご先祖様。世界あとのことはオレに任せて、ここらで引退しておけよ。あんたまで、強さなんて不自由を背負う必要はねえさ」


 刹那。盛大な火炎が、グラムを焼き払おうとその身に迫り。

 ――そして。


「大丈夫。貴方は不自由なんかじゃないさ――なぜなら僕がここにいるから」


 その紅蓮の火炎全てが、別の(丶丶)炎に焼き払われた。

 火星は目を見開く。炎を炎で焼かれるという異常は、術式の制御力において完全な敗北を喫していなければ起こりえない矛盾だ。

 ならば。それを為した存在とは。


「――誰だよ、テメエ」

「通りすがりの一般貴族さ。名乗るほどの者でもある。――覚えて帰るかい?」

「いいぜ、名乗れよ優男。お前が死ぬまで覚えておこう」

「――ウェリウス=ギルヴァージル」

 金髪に碧眼の青年――ウェリウスが、優美かつ優雅に笑って言う。

 目の前の青年が、尋常な魔術師でないことは火星にも充分に理解できていた。だからだろう、吐き捨てるように彼は言う。


「おいおい、ふざけんなよ魔法使い。こんな役者ヤツが舞台に上がるなんざ聞いてねえぞ」

「いくら魔法使いでも、同格の魔法使いまでは抑えられないだろう? 魔法使いの運命だけは――魔法使いにも読めないはずだ」

「ああ、そうかい。テメエ――二番目の関係者か」

「その通り。《空間》の魔法使い――フィリー=パラヴァンハイムの、一番弟子を名乗らせてもらっている」

「そりゃ結構だ。で、何しに来たよ、色男」

「強い相手と戦いに来た――それじゃ不十分かな?」

「充分だ。ああ、完璧すぎるほど充分だ――!」


 そのとき、その瞬間。

 火星――クリィト=ペインフォートは確かに笑った。

 酷薄に。凄惨に。それでいてどこか愉快げに。

 敵の存在を歓迎していた。


「なら、吠えた分は魅せろよ色男――ッ!!」


 刹那――いっそ雷と見紛う速度で放たれたのは、火炎でできた槍だった。威力も速度も申し分ない、一流といっていい攻撃魔術だ。物理的な貫通力さえ持つほどに圧縮された魔力が、狙った相手に防御も回避も許さない。

 およそほとんどの魔術師が、その不意打ちには対処できまい。

 だが、ウェリウス=ギルヴァージルには通じない。雷の化身さえ、ついに一撃たりとも与えられなかった男を前に、元素で対抗しようなどという考えがそもそも誤りだ。

 ウェリウスは躱さなかった。防ごうとさえしなかった。

 その雷炎は、確かに青年の心臓を貫く。反応さえできなかったかのように。

 だが青年は笑ったまま。余裕の笑みは崩れない。


「天網参式――悪いけど初手から全力だ。貴方を相手に手は抜けない」


 炎が、まるで効いていない。

 攻撃はウェリウスの肉体を素通りし――その背後へと消えていく。

 彼の肉体が、揺らめいていた。炎のように。陽炎のように。

 まるで実体を持たない概念のように。


「グラム=ペインフォートさんですね。お噂はかねがね」

「君、は……」

「言った通り、単なる通りすがりに過ぎません。まあ意図的に通りすがったわけですが、それはいいでしょう。……その傷だ、あまり動けないでしょうが、できれば避難していてください。あとのことは、僕に任せて」

「……忝い」


 受け入れざるを得ない。無傷ならまだしも、今の自分では、おそらく青年を足を引っ張ることしかできないのだとグラムは理解していた。

 それは火星にもわかっている。わかっているからこそ、無駄にグラムを人質に取ったりなどしない。そんな余分は、すぐに致命傷になる。


「ふざけやがって……本当に。こんなのがいるなんて、聞いてねえよ」


 思い出したのは、かつて対峙した《超越》だ。

 その脅威を思い出させるほど、目の前の青年もまた異常な存在であることがわかる。わかってしまう。

 違うのだと。後天的に、人為的に人間を超えるしかすべのなかった自分とは違う。

 彼は――先天的にその位置に立てるだけの素養を持っていた。選ばれている人間だ。運命に。


 もちろん、たとえば《日輪》なら、そんな言葉に肯ずることはない。

 ウェリウス当人も、きっと否定することだろう。

 人間は、努力で運命を変えられるのだと。そんな皮肉を、きっと真顔で口にする。そういう類の人間なのだと。

 それが事実かどうかは関係ない。この際もはやどうでもいい。


 ただ、それが運命だとするのなら――果たしてどこで決まったのだろうか。

 彼が生まれたときなのか。それとも魔法使いに弟子入りしたときか。魔術学院に入学したときか。敗北を経験したときか。試練を乗り越え、竜を殺したときだったか。

 いずれにせよ。

 ウェリウス=ギリヴァージルは、このとき、すでに。


「……認めるしかねえな、マジかよ――完全に七星旅団セブンスターズ並じゃねえか」

「そうかな? それは光栄な評価だね、嬉しいよ」


 ――魔術師として、伝説と呼ばれる領域に、その足を踏み入れていた。

※注意※

 彼は主人公ではありません。

 連続不在記録十三話を成し遂げたほうが主人公です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ