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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第四章 王都事変
162/308

4-52『血の覚醒』

 ――ああ、駄目だな、これ。


 と、シャルロットは冷静にそう判断した。幾度かのやり取りを、雷の化身たる魔物と繰り広げた頃だった。

 駄目だ、というのはこのままでは負けるという意味じゃない。ただ保たせるだけならば、まあ、小一時間くらいは行けるだろう。魔力次第ではあるけれど。

 その理由の大半は、ともに戦っているウェリウス=ギルヴァージルにあった。およそ放出系の魔術ならば、彼がほぼ完全に無効化してしまうからだ。まあ、彼とて無限にそれができるわけではないだろうし、涼しい顔をしているようで、その額にわずかな汗を浮かべていることには気づいていた。

 他者の魔術に介入するというのは、ほとんど不可能に近い技術だ。ほぼ同じことをアスタは余裕でやりきるが、あれは印刻ルーンの質的強度に頼った力技だ。魔力量的に心許ない彼が力技に頼るというのもおかしな話だが、こと魔術の理論においてルーン文字は最も世界の正解に近いのだから。その書き換えに抗うことは難しい。

 一方、ウェリウスは、それをほとんど自力で行っている。ルーン文字という媒介に頼ることなく、ただ自分の脳内だけで術式を制御しているのだから驚かされる。

 ――実際には、いくらウェリウスでもそんなことはできないため、彼もまた一種の裏技を利用してはいたのだが。その事実をシャルは知らない。


 ともあれ、それは綱渡りだ。

 ほんの少しでも術式の制御を間違えば、魔物の雷が全員を貫くだろう。

 それでもシャルは、おそらくウェリウスならやり遂げるだろうと思っていたし、むしろそんな信頼を自分が抱いていることのほうが不思議だった。

 彼女はウェリウスを疑っていない。

 駄目だと思ったのは、つまり自分のほうだった。


 有効打がないのだ。

 元素魔術はほとんど通じない――またそもそも隣に自分以上の制御力を持つウェリウスがいる以上、どうしてもその影響を受けてしまう――ため、シャルは攻撃を魔弾に切り替えている。

 元素魔術よりはマシだが、それでも効きは悪かった。実態を持たない雷を相手に、有効打を与えるには物理的な威力ではなく魔術的な対抗が必要となる。

 だが、そんな魔術を構築する暇がなかった。

 結局は、シャルがやっているのも攻撃というより防御に近い。放出攻撃はウェリウスが防ぐが、直接殴りかかられたらさすがのウェリウスもどうしようもない。シャルはそれをさせないために、魔弾で動きを牽制しているだけだった。

 身体が雷そのものである――つまり、どこからでも雷を放てる――以上、放出攻撃までは防げない。物理攻撃はシャルが、魔術攻撃はウェリウスが防ぐというのが形だった。

 ひとりだったら、とっくにやられていることだろう。


 ――こんなに強い魔物が、こんなところにいること自体がおかしいんだけど。


 シャルは思う。それこそ五大クラスの迷宮の、それも最深層近くでもなければ、ここまでの魔物は現れないだろう。普通なら、それこそ魔術師の一部隊が揃ってようやく抑えられるかどうかという相手だった。

 それを、たったふたりで抑えていること自体は誇っていいのかもしれない。

 だが、それだけだ。それだけではこの魔物を倒せない。

 結局はジリ貧である。いくら魔力量に優れたふたりとはいえ、魔力そのものである目の前の敵よりは容量が少ないのだから。いずれ確実に敗北する――そんな未来が見えていた。


 ――その意味で言えば。


 疑問なのは、ウェリウスが何もしないことだった。

 このままでは駄目だということを、この男が理解していないはずがない。にもかかわらずほかの手段に打って出ないことが、不思議だといえば不思議だった。

 防御で手いっぱいなのかもしれない。普通に考えればそうだろう。

 だがシャルは、もはやウェリウスを《普通》の範疇に当て嵌めて考えたりはしない。二番目の魔法使いの直弟子であり、元素魔術の天才たるウェリウス=ギルヴァージルが、この状況で何も考えていないなどあり得ない。

 だから、逆にこう考えたわけだ。


 ――ウェリウスが何もしないんなら、このままでいいってことなんだろう。


 と。そこまで考えたところで、ふと背後から声が飛ぶ。

 戦闘中に、そこまで余裕を持ってほかのことが考えられる自分に苦笑しながら、シャルは背後の声を聞いた。

 その声の主は知っている。初対面では、ずいぶんと険悪だった仲だ。


「……わたしが、やる。少しだけ下がってもらっていいかな?」


 フェオ=リッター。確かそんな名前だったか。

 ちら、と後ろを振り返り、そしてシャルは驚いた。思わず攻撃の手を、一瞬だけ止めてしまうくらいには。

 それが隙になったのだろう――致命的というほどではないにせよ、確かに一瞬、魔物に自由を許してしまった。巨体を持つ雷の化身が、一歩をこちらに近づいてくる。

 刹那だった。

 フェオが――弾ける。真っ赤に染まったその足で。真紅の剣(丶丶丶丶)をその手に持って。


 魔物の片足を斬り飛ばした。



     ※



「――無茶です」

 フェオの提案を受けて、ピトスはそう断言した。

 自分でも、まあそう言われるだろうとは思っていたけれど。フェオは苦笑する。

「そうだよね……でも、ほかに手段がないから」

「そんなものを手段とは呼びません」ピトスは首を振った。「無謀すぎます。可能だという保証だってない」

「自信は……えと、どうかな。割とあると思うんだけど」

「確信がないならやるべきではありません。そんなものは魔術師の思考じゃない」

「そうだね。でもわたしは魔術師じゃない――冒険者だから」

 その発言にピトスが目を見開く。

 そこまで驚かれるような発言だっただろうか。フェオにはわからない。

 だから、ただ説得を続けた。


「アスタがあのとき、わたしだけを逃がした理由が――あのとき言ってたことがわかったんだ。なら、わたしにはきっとできるはずだよ」

「……あの男の影響を受けすぎるのは、よくないと思いますよ」

「それは同感だけど」

 思わず笑ってしまう。無理無茶無謀無軌道を、そのまま形にしたような男だ。

 口ではいろいろと言う癖に、それを自分ではまるで守っていない。

 とはいえ。それで何人もの人間の背を押してきたのがあの男なのだから。その分、今度は自分の足で歩かなければ嘘だと思う。

「今ならできる――わたしならできると思う。やらなくちゃいけないとも思ってる」

「……そういえば、貴方からはアスタくんの匂いがしますね」

「え」

 一瞬、割と本気で狼狽えた。顔から火が出るかと思った。

 だがピトスは妙な視線でフェオを見ると、

「魔力の話です。アスタくんから供給を受けているのでは?」

「あ、うん……貰った分があるから、その辺りは心配ないと思うけど」

「……わかりました」

 諦めたようにピトスは言った。フェオはほっとひと息つく。

「ありがとう。ごめん、無理言って」

「いえ。――ですが、やるなら速攻で決めてください。あの化身には魔晶のような核がありませんが、本体との繋がりを断ち切れば倒せるはずです。普通の魔物とは違う」

「……よくわかったね、そんなこと」

「わかったわけじゃありません」ピトスは淡々と言った。「知ってただけです」

「知ってた……?」

「やるなら早くやりましょう。時間がありません」

 言うなり、ピトスが自分の服の袖を引き千切った。

 目を瞠るフェオに構わず、そうして作った布で彼女はフェオを足を縛る。


「――覚悟はしてくださいね」

「わかってる。――時間かけると決意が萎えるから、やっちゃおうか」


 それは血止めだった。欝血するほど強く結ばれた足の先に、フェオは落ちていた刃の一部をそっと当てる。刃だけでも切れ味は充分だ。

 ピトスが、露わになった腕をフェオの顔先に差し出した。

「噛んでください。何か入れてないと舌を噛みます」

「いや……でも」

「ついでに血を飲んでも構いませんから。早く」

 時間が惜しい。言われた通り、フェオはピトスの腕に噛みついた。そして自分の袖越しに刃を握って、

 ――ひと息。

 フェオは、自らの足の先を切断した。


「―――――――――――――――――ッ!!」


 叫び出したくなるほどの痛みを、ピトスの腕に噛みつくことで堪えた。そのせいでピトスも出血したが、遠慮さえせず、そんな余裕もなく血を飲み込む。

 血が。焦げついて止まっていた血が足の先から噴き出す。アイリスが信じられないものを見るような目でこちらを見ていたが、フェオは無理やりに笑うことで大丈夫だと伝える。

 やがて付近には血溜まりが。

 必要な分だけの血を流したところで、ピトスがフェオの足の血を止める。

 治癒魔術で、傷口だけを癒してもらった。


「……オーケー。やれる」

 刃物を投げ捨て、フェオは自分が流した血に手を触れた。

 そこに通すのは魔力だ。アスタから借り受けた分も含めて、膨大な量で血に魔力を通し、操る。血液さえ、自分の肉体の一部だというように。

 血が、まるで意志を持ったかのようにうねり、彼女の足に纏わりついた。それは肉を補填するように足の形を為す――フェオは自分の血で、義足を作り出したのだ。

 残った血で彼女は剣を作る。

 血を自在に操る――それは吸血種に特有の魔術。

 痛みは治癒魔術で誤魔化した。赤色の義足を支えに、フェオは立ち上がる。

 大丈夫。ぶっつけ本番だが、これならきっと走れるだろう。場所が夜なのが幸いした。夜と血は吸血鬼に相性がいい。

 ピトスはやはり感情のない視線で、あっさりと自らの腕を治療する。


「血を通じて、補助の魔術はかけておきます。吸血種じゃなくてもそれくらいはできますから」

「……ありがとう」


 血の義肢で、血の刃を握って前を向くフェオ。

 ――どれくらい保つだろう。

 わからないが、そう長くは続かない。その間に勝負を決めなければならなかった。


「――行ってくる」



     ※



 駆け出したフェオの斬撃は、魔物に確かに通用した。

 血の刃。概念刀。吸血鬼の血の援護を受けて、フェオの刃は今、形のない魔物に有効打を与える。

 魔力喰いの刃――魔競祭でも見せたそれは、吸血種の血の覚醒でもって能力を大幅に向上させている。元より吸血種は、流体を通じて魔力を奪う種族なのだから。


「シャルさん援護!」

「わかってるっ!」


 一瞬で事態に判断を下し、ウェリウスとシャルが叫んだ。

 身体を霧にする、という伝説さえ持つ吸血種は、自身の血液を武器に変える。

 それは実体のない相手を殺す――同族を屠るための手段だ。だからこそ、雷の化身にもそれが通じる。

 魔物の足を切り飛ばし、姿勢を崩させたところで、その足下をフェオは駆け抜けた。体勢を崩した化身に立て直す暇を与えず、フェオは血液の足で奥の建物を駆け上がり、それを蹴った反動でまた化身に向かった。

 そして、両断。

 化身の腕を斬り落とす。


 本来、この魔物はそれでも倒せない相手だ。

 実体がない以上、仮に腕や足を斬り落としたところですぐ復活する。内蔵する魔力は大幅に減るが、それだけだ。一撃や二撃では倒し切れない。

 だが今、この場にいるのはフェオだけじゃない。

 一撃目に斬り飛ばした足は、ウェリウスがすぐさま魔力に還す。接続が切られれば、本体から独立すればウェリウスでも介入できた。

 二撃目に切断した腕には、アイリスが飛びかかった。魔力を略奪する彼女の能力ならば、これもまた化身に通用する。

 直後、ずん、と化身が地面に倒れ伏した。無色のエネルギー、強大な重圧をシャルが上から魔物にかけたのだ。拘束できる時間はわずかだが、それでも魔物に隙を作り出す。


「フェオさん!」

 叫ぶピトス。いつの間にかこちらに近づいていた彼女とアイコンタクト。

 フェオが彼女に駆け寄ると、ピトスは体勢を低くして、両手を皿のように差し出す。その手にフェオは飛び乗って、

「投げます!」

 一閃。両腕を大きく振り上げたピトスと、その勢いで射出されるように空へ跳ぶフェオ。

 月を背にする少女の姿を、魔物は為すすべもなく、ただ見上げた。

 そして。


「――落ち、ろぉ……っ!!」


 天から地へと、血の刃が縦に振り降ろされた。

 流体たる血の刃が刃渡りを伸ばし、強大な刀となって化身を縦に叩き切る。

 雷を――斬り落とす。


 ず、と化身の全身が歪むようにぶれた。

 魔力の結合そのものを切断され、その巨体を保つことができなくなったからだ。

 一瞬だった。

 化身の身体の雷が、魔力に還って霧散する。

 着地すると、その衝撃もあってか、フェオは義足を維持できなくなった。びちゃり、と水音を立てて赤い義足が弾け、その場の地面に血溜まりを作る。


「まだです――まだ終わってない!!」


 だが、ピトスは叫んだ。彼女だけがわかって、いや、知っていた(丶丶丶丶丶)

 散った化身の中から、そのとき、人間の右腕が飛び出したのだ。

 それは糸で操られているかのようにまっすぐフェオに飛び、その喉元へと握りついた。フェオは反射的にその手首を右手で掴んだが、異常に力が強い。放すことができない。

 それが《金星》――レファクール=ヴィナの右腕であることを知っているのは、この場でピトスとフェオだけだ。

 だがフェオも、核となっていたこの右腕が、自分を殺しに来るとは思っていなかった。

 反動と、そして喉を絞められたこともあっただろう。こふっ、とフェオがわずかに血を吐いた。その口元を赤が汚す。

 とはいえ――それだけ(丶丶丶丶)だ。


「……!」


 フェオを助けようと動き出した四人の動きが、押し留められたように停止する。

 彼らには見えていた。フェオが、膨大な魔力を放っている――否、肉体そのものが半ば魔力と化しているかのように、文字通り変貌していることを。

 最も顕著なのは、その髪と瞳だ。

 その色が――赤く、紅く、朱く染まっている。血のように。酷薄に。魔力を帯びた彼女の長髪が、そのエネルギーで逆立つように揺らめいた。

 そして。

 ぎちぎちと、フェオが両手で、ただ腕力だけで喉元に食らいついた腕をはがしていく。どこにそんな膂力があったのか――それが吸血種としての覚醒によるものだと、果たして誰が気づいたのか。

 魔力に、肉体そのものを改変されている。もはや遺伝だけでは説明がつかない。

 まるで別の生物に一瞬で変化、いや、進化しているかのように。


 人と、魔の、融合。

 それを指して、魔人と呼ぶ。


 わずかに、けれど明確に伸びた鋭い犬歯を見せて、フェオが小さく笑みを作った。どこか妖艶とも言える仕草で、口元の血をフェオは舐め取る。

 血を食うように。


「――血杭」


 直後、足下の血溜まりから杭が生えた(丶丶丶丶丶)

 引きはがされたレファクールの右腕が、その血の杭に貫かれる。右腕は痺れたみたいに一瞬だけびくんと動くと、そのまま活動を停止した。

 血の杭が消え、右腕が地面に落ちる。

 そして、そのまま灰になったかのように崩れて消え去った。


「―――――――――」


 そのまま、糸が切れたみたいにフェオは倒れ込む。

 気絶したらしい。それと同時に、肉体改変による赤が消え、目と髪の色が元に戻った。犬歯の長さも戻っている。


「……まさか」


 茫然と呟いたのはウェリウスだ。しかし、何を考える暇もない。

 事態はそれで終わらなかった。

 直後、地面から唐突に光が溢れ出し、フェオの身体を飲み込んでいったのだ。

 一瞬だった。前兆もなく、ゆえに対処のしようもない。

 フェオの身体は地面に吸い込まれるみたいに消え、あとには四人だけが残された。


「今、のは……」

 呟いたのはシャルだったが、答える声はない。

 当然か、と考えて、改めてシャルは周りに問う。

「……どうする?」

「わたしは彼女を追います」

 すぐに答えたのはピトスだった。三人の視線を集めて、それでも淡々と。

「生き先には心当たりがありますから」

「……わかった」ウェリウスは深くを訊ねない。「今のが、たぶん街の人間がいないこととも関係してるんだろうね。気になるところだけど、僕は地上に残るよ」

 地上に(丶丶丶)、と言う以上、彼もおおよそは気づいているらしい。

 今見えた光が、ある意味では世界そのものであるということに。

「まだ戦っている人間がいるみたいだからね。そっちの援護に回る。だから君たちは、彼女を追ってくれ。きっと、アスタもそこにいるだろう」

「……ウェリウスは来ないの?」

 訊ねたシャルに、彼は言う。


「僕は僕で、やることがあるみたいだからね。行き方はわかるかい?」

「この街の地下には、迷宮があると聞いたことがあります」

 ピトスが言う。それだけを。

 誰から聞いたとは、言わなかった。

「そこからなら、行けるでしょう」

「わかった。全部が終わったら、また会おう」


 王都地上におけるひとつの戦いが、こうして幕を下ろした。

 ウェリウスは三人と別れ、ひとり地上に残る。

 シャル、アイリス、そしてピトスは、消えたフェオとアスタを追って、地下に潜ることを決めた。


 王都事変が、その終わりに向けて近づいていた――。

 フェオが 吐血を おぼえた!


 ……そんなところまで真似しなくていいんだよ?

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