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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第四章 王都事変
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4-49『鼠がその地を這う理由』

「――馬鹿が」

 一方、外に残されたガストは、シルヴィアの選択を見て興醒めしたように罵倒を零す。

 シルヴィアの取った行動は悪手だ。根拠のない推測に頼りすぎている。

 ――確証がないなら信じるな。

 そう教えたのは、ほかでもないガストであったはずなのに。


 冒険者の武器は情報だ。ほかの何物でもなく。

 饒舌だ、などと間抜けなことを。戦闘中に敵が話すことなどが、本当だなんて確証がどこにあるだろう。

 当たり前の話ではあるが。

 先程、ベラベラとガストが語ったことはほとんどが大嘘だ。本当のことなど言うわけがない。

 そして当然、あの程度の攻撃しかできないわけでもない。溜め(丶丶)に多少の時間はかかるものの、大規模な攻撃が不可能というわけではないのだから。


 そう。魔具の効果は魔力流の阻害じゃない。

 指定座標への攻撃のほうが、《夜の指環》の効果だった。

 ――魔力流を阻害しているのは、魔具じゃない。

 この街に張られた、結界の副作用(丶丶丶)だ。


「馬鹿が……」


 もう一度、同じことをガストは呟いた。

 結局、その程度なのだろう。シルヴィアが、という意味じゃない。シルヴィア=リッターにとって、ガスト=レイヴという男の価値が、その程度だったということだ。

 笑い話、と思っておくべきだろう。


 ――ガスト=レイヴとシルヴィア=リッターが初めて会ったのは、彼女がまだひと桁の年齢だった頃。

 別段、何かしらの大きな出来事イベントがあったわけじゃない。

 たまたま同じ街に住んでいて、たまたま歳が近かったから。ガストもシルヴィアもお互い外に出て遊び回るのが好きだったから、そんな前提の上における必然として、いっしょに遊ぶようになったというだけ。そんなものは偶然とそう変わるまい。

 そう仲がよかったわけでもない。会わなくなったら、そのままだ。

 大した身分差もなかったが、それでも魔術師の家系に生まれたシルヴィアと、一般家庭の子でしかないガストの間に、特別と呼べるものは何ひとつなかった。

 ふたりの道は別れており、お互い、その通りに進んでいく。

 魔術に多少の適性を持っていたガストはその後、冒険者としての道を選んだ。継ぐべき何かがあったわけでもなく、かといってほかに目標があったわけでもない。かつてならばいざしらず、ここ百年は王国もかなり裕福になっている。冒険者に身をやつさずとも、生きていくことはできただろう。

 ただ、それでは面白くないと思ったから。せっかくの人生なら、好きに生きてやろうと思ったから。

 ガストが冒険者になった動機など、結局はその程度のものである。


 ゆえに、その再会もまた偶然ではあった。

 成り行きから所属していたパーティを抜けたガストが、流れてきた南方の迷宮――その近隣に位置する町。国境近くの、果ての都。

 その管理局に、シルヴィアが姿を見せることなんて想像してなかった。

 いや、知ってはいたのだ。シルヴィアが騎士になったことは。町に来てから、風の噂で一団を率いていることも聞いていた。

 とはいえ、まさか管理局にやって来るだなんて考えていなかった。それも仕事ではなく個人的に。


「――実は私は、冒険者になろうと思っているんだ」

 その上、こんなことを宣うのだから笑わせる。

 確かにシルヴィアは強い。子どもの頃からそうだ、町のガキどもの中でシルヴィアが最強だった。その才能が成長した結果、世間にも通用したことを彼女は証明している。騎士団長の身分ともなれば、この上ない大出世と言っていい。

 そんな彼女が、いったい何をトチ狂ったのか《冒険者》になりたいときた。

 どんな決意があるのか知らないが、馬鹿げている。昔馴染みのよしみとして、止めてやろうとガストは思った。

 彼女の顔を見るまでは。


「お前――」


 何が笑わせるって、彼女がものすごく呆けた表情をしていたことだ。

 どんな決意があるのかと思えば、驚いた。彼女は決意なんてしてはいなかった。自分で言った言葉に、自分で驚いていたのだから。

 それで撤回するのかと思いきや、彼女はなぜか難しい顔をして、「うん……? いや、そうなのか? そうか……私は冒険者になりたかったのか」ときたものだ。堪えきれなかった。

 あの強かったシルヴィアが。ガキの頃のみんなの憧れで、誰よりも美しく成長して、ガストだって一度として敵わなかった女が。

 まるで子どもみたいに、そんなことを言うのだから。大笑いだ。


「む、な……何も笑うことはないだろう!」

 顔を赤くして言うシルヴィアに、ますます笑壺を刺激される。

 聞けばあの七星旅団セブンスターズに会ったとか。あの災害どもに当てられたらしい。それで冒険者か、とガストはまた笑った。

 なるほど、シルヴィアは気づいていないようだ。

 自分の中に、新しく芽生えたものに。それがいったいなんなのか、彼女はわかっていないのだ。それを持て余してしまっている。

 誰にだってわかるはずなのに。それを、あのシルヴィアがわからないなんて。それが、なんだか、酷く痛快だった。

 それを、自分ならば教えられるということが――嬉しかった。


「なら、本気でやるなら――俺が手伝ってやるよ」

 だから気づいたときには、そんな風に言ってしまっていた。

 止めてやろうと思っていたはずが、なぜか背中を押してしまっている。もう取り戻せなかった。

「なァに、これでも冒険者として生きてきたからよ。その流儀を、お前に教えてやることくらいはできらァ」

「いい、のか……? 迷惑じゃないのか?」

「つれねェこと言うなよ、昔馴染みじゃねえか」

「……」

「面白ェことやろうとしてんだろ? なら、俺にも一枚噛ませろよ。――仲間外れは酷ェだろ?」


 こうして、クラン《銀色鼠シルバーラット》は創設された。

 冒険者に憧れた騎士と、そんな騎士に希望を見た冒険者のふたりで。


「――だって、言うのによォ」


 その彼女を今、ガストは自らの手で殺そうとしている。

 魔力の溜め(丶丶)はすでに充分。落下地点を目の前の建物に。

 シルヴィアがどこにいようと関係がない。この一撃ならば、建物の全域を一度に破壊できるだろう。


「じゃァな――シルヴィア」


 そして、ガストは指環に魔力を込めた。

 刹那、天からの光撃(丶丶)が建物の全体を包み込む。あの中にいる者など全て、光の攻撃によって蒸発するだろう。


「――――」おかしい。


 と、ガストが思ったのはその瞬間だった。

 そして、建物が光に包まれる直前、最上階からシルヴィアが身を踊らせたのも同時だった。

 震われる剣。指環での対応は間に合うまい。舌打ちをする間さえ惜しんで、ガストは短剣を抜き放つ。


 防御が間に合ったのは、直前で感づいていたからだ。

 そうだ。冒険者としての戦い方をシルヴィアに叩き込んだのはガストである。ガストならば、シルヴィアのようには決して戦わない。

 それがわかっていたはずだった。

 シルヴィアがガストの教えを破ったのは、対抗心か、その程度に弱くなってしまったのか――そういう理由だと思っていた。

 だが違う。いくらなんでも、シルヴィアはそこまで馬鹿じゃない。

 ガストがシルヴィアの手の内を知るように、シルヴィアもまたガストの手の内を知っていたということ。


 ガストは正確性を重んじる男だ。相手が建物の中に逃げ込んだのなら、決して追おうとはせず、外から攻撃するに違いない。

 だからシルヴィアは、中から外を窺っていた。最上階に移ったのだ。

 攻撃の予兆がわからない術式でも、それを発動しようとするガストの思考は、動きは読める。事実としてシルヴィアは、それで初撃を躱している。

 ガストが攻撃の挙動を見せた瞬間に、シルヴィアは外に躍り出たのだ。


「うォ――らアァッ!!」


 短剣を防御に回すガスト。だがいくらなんでも、空から振り落とされた一撃を、こんな剣で防げるはずもない。

 ガストの獲物は、まるで脆い氷のようにあっさりと砕け散る。

 だが。


「舐めんじゃねェぞ、シルヴィアァッ!!」


 ガストは引かなかった。防げないのはわかっている。

 それでも一歩を前に出たのは、その追撃を躱すためだ。短剣が破壊された瞬間、ガストは身を捻って体を前へと動かした。

 前転。武器を犠牲に位置をずらす。

 ほとんど弾き飛ばされたようなものだ。それでも自分から動いた以上、ダメージ自体はほとんどない。

 シルヴィアもまた、空中で器用に前転しながら着地――こちらを振り返った。

 最初と位置を交換したかのようになる。だが、指環があるとわかっていて、身を現すなど愚かなことだ。今の一撃で決められなかった以上、先手を取るのはガストである。目で見て、ただ魔力を通せばいい。

 にも、かかわらず。


 ガストには、それができなかった。

 身体がまったく動かなかった。


「――そうだよ、ガスト。私にだってわかっていた」


 シルヴィアは言う。ガストは答えない。

 答えられない。身体が凍えるように寒かったが、震えることさえできないのだから。

 いつの間にだろう。

 ガストの身体が凍っている(丶丶丶丶丶)


「お前なら、必ずそちらに向かうと思っていた。だから、私は初めから罠を張っていた」


 要するに儀式魔術である。

 簡易な魔術が防がれるのだから、大がかりに仕掛けるほかにない。ごく当たり前の考えだ。

 それを、魔術が使えないとわかった時点でシルヴィアは仕込んでいた。

 ――ガストは知らないが、それは魔競祭でアスタと戦ったときの行為の逆だった。

 あのときシルヴィアは、アスタが地面に仕込んでいたルーンを剣で刻むことで破壊していた。

 その逆に、今回は自らの剣で地面を斬ってあったのだ。それは、それ自体が儀式となる。

 三カ所も傷をつけておけば充分だろう。完成した点は線で結ばれ三角形となり、つまりその内部を結界として成立させる。


 ――そしてシルヴィアは、もともと氷属性の使い手だ。

 それが二つ名の元になるほど。ガストでなくとも知っているほどに。

 熱量の低下はつまり運動の減少であり、結界に立ち入った者を停止させるくらいはワケなかった。

 驚くべきは、それをガストにさえ気づかせず、相手の指環に気づく前から罠として張っていたことだろう。

 騎士として戦っていた頃ならば、それは思いつきすらしない戦法だったと言っていい。


「…………」もちろん。


 そう長い時間、動きを止めていられるわけがない。モノが氷なのだ。長々と止めていられる魔術なら、それ以前に冷気でヒトは死ぬ。

 時間にすればせいぜいが二、三秒。

 ――それで、充分ではあったのだが。


「――じゃあな(丶丶丶丶)、ガスト」


 シルヴィアは剣を振り被り。


「私も、今まで楽しかったよ」


 そして、振り落とした。

 ガスト=レイヴのモノだった肉体が、粉々に砕け散る音がした。



     ※



 記憶の奥底の原風景に、子どもの姿がいくつかあった。

 ちゃちな縄張り争い。お気に入りの遊び場を、誰が使うかという下らない揉めごと。

 けれど、子どもにとっては大事件で。

 彼のグループと、そのとき対立していたもうひとつのグループが、一大決戦を迎えていたのだ。


 けれど。結論から言えば、その戦いはなあなあで終わった。

 町の大きなお屋敷の、子どもがやってきて言ったのだ。


 ――仲間外れはずるいじゃないか! わたしもいっしょに遊びたい!


 彼女にしてみれば、対立するふたつのグループですら、一緒に仲良く遊んでいるようにしか見えなかったのだ。

 結局、彼女も混ぜてグループはひとつになった。

 町の全員で組んだところで、彼女ひとりのほうが強かったというのもある。

 ただ、それ以上に。

 みんなで遊んだほうが楽しいよ、と。

 そんな彼女の言葉が、本当であることを知ったのだ。町の悪ガキはひとつに纏まって、ついでに人数をひとり増やした。


 別れ際。片方のグループのリーダー立った少年が、彼女に言った。


 ――楽しかったぜ、また遊ぼう!


 と。少女もまた、そんな言葉が何より嬉しかったのだろう。

 満面の笑みで、少年に大きく手を振ってみせる。


 ――うん! また明日!


 以来ふたりは、一度だって別れの挨拶をしなかった。

 今日はお別れでも、明日にはまた一緒に遊ぶのだと知っていたから。

 またね。また明日も遊ぼうね。

 それがふたりの合い言葉だった。


 大人になっても、きっと、一緒に遊べると信じながら――。






















     ※



 ――こふっ、

 と小さく咳き込んでから、シルヴィアは自分が血を吐いたことに気がついた。

 なぜか、なんてことは考える意味がない。攻撃を受けたのだろう。気づかぬうちに、どこからか。

 しかしいったい誰が、どうやって――。

 そう考えるシルヴィアの目の前に、いったいいつ現れたのか。ひとりの女性が立っていた。

 先ほどまでガストの――その死体があったはずの場所に。まったく同じ位置に。


「――まあ、時間切れですかね」


 その女性が言う。彼女はシルヴィアを一瞥すると、その視線を通りの先へとすぐに剃らした。

 見るまでもないという風に。


 その銀眼に――鈍色の鼠など映らない。


 当然だろう。シルヴィアはもはや動けない。戦うことなど不可能だ。

 その女性にとって、もはや脅威たり得ない――いや、それは初めからそうだった。


「一応、説明はしておくけれど」


 その女性が言う。視線どころか意識さえほとんど向けずに。

 感情もない。ただ説明が義務であるかのような形で。


「もう察してるかな。君が戦っていたのは僕であって、ガスト=レイヴではない。本物の彼はとうに死んでいる(丶丶丶丶丶丶丶丶)。君とは何も関係ないところで、なんの物語もなく、無駄に、無為に、ごくあっさりと死んでるんだ」

「――――」


 考えてもみれば、それは当たり前の話だった。

 結界の効果を、ピンポイントでシルヴィアに適用するなんて、少なくとも張った本人が近くにいなくては不可能だ。

 そうでなくとも、ガストにこんな結界は作れないし、他人の結界効果を彼女だけに運用することもまた不可能だろう。

 初めから、シルヴィアはガストとなど戦っていなかった。ただ再現された残滓に踊らされていただけ。

 自分の記憶と戦わされていたようなものだ。

 勝って当たり前だし、単に時間稼ぎのお遊びに巻き込まれていたに過ぎない。


「だから、もし君が僕に対してなんらかの感情を、感動を、感慨を抱いていたというのなら。断言しよう。――それは全て偽物だ(丶丶丶丶丶丶丶丶)。運命は君如きのために物語を用意していない。君と幼馴染みとの間に特別なモノは何もないし、因縁の相手に対する復讐劇なんて、君には求められていない。絶望したかい?」

「――――」

「絶望したようだね。なら(丶丶)さようならだ(丶丶丶丶丶丶)


 瞬間、シルヴィアの足下にどろりとした光が広がる。

 光――なのだろうか。それもわからない。わからないがほかに表現のしようがなかった。

 それはそのままシルヴィアを引きずり込むと、その存在を完全に世界から消失させた。


 それでも女性は、シルヴィアに視線など一切向けない。

 なぜなら、そんな余裕がなかったから。彼女はシルヴィアから視線を逸らしたわけじゃない。シルヴィア以外の誰かに、視線を向けておかなければならなかっただけだ。

 彼から目を離すことなど、いかに彼女でもできるわけがなく。

 そんな隙を見せた瞬間に死ぬ。


「――久し振り、と言うべきなのかな」

 女性は、比較的に明るい感じでそう告げた。

 その目の前には、藍色の髪に褐色の肌を持つ女の子。けれど彼女は、その存在に一切意識を向けていない。

 彼女の視界に存在しているのは、ただひとり。

 くたびれた白衣を纏った、不健康そうなひとりの男だけだった。

「まあ、そうだな。かつての同業としては、久闊を叙すのもありだろう」

 男は答える。隣の少女は黙っていた。

 ――何もできないからだ。いや、何もしていない少女を、何もしないという判断を取った彼女を、ここは誉めるべきだろう。

 その英断は、どんな行為より英雄的だ。

 なにせ今、ふたりの《魔導師メイガス》の間で交わされている魔術的なやり取りは、常人に理解できる域を越えている。このレベルともなれば、もはや魔法使い(イプシシマス)にさえ不可能だろう。

 それも当然。

 世界にただ十人の魔導師とは、つまり魔法使いより魔術が上手い人間のことを言うのだから。


「――しかしまあ、相変わらずデタラメだな、お前は。この強度の結界を街ひとつに、それも術的な防御で固められきった王都に張るなんざ、お前以外には不可能だろう。魔導師だろうと魔法使いだろうと。この世に、これができるのはきっとお前だけだ。褒めてやる」

 白衣の男が言った。

 女性が答える。

「その結界からこの街の住人の八割以上を、王城にいたまま(丶丶丶丶丶丶丶)逃がした君に言われたくないかな。まあ、予想の範囲内ではあったけどさ。もう少し上手く行くものだと思ってたよ、僕でもね」

「ふん。街の外まで逃がせたわけじゃない。そういう意味では状況は最悪のひと言だな。ただ隠しただけだっていうんだから」

「この結界の中で、この結界を張った僕に隠しごとをできる時点でおかしいんだけどね。――本当、同僚だった頃から、君には驚かされてばかりだよ。いや、君らには、と言うべきかな」

「そういえば、シグウェルに会ったらしいな」

「ああ。彼もまあ驚かせてくれるよね。あんなに魔術が下手なのに、力押しだけで最強だって言うんだから馬鹿げてるよ。その点では、理解が及ぶという意味で、君のほうがまだ共感できるな」

「俺はお前に共感したことなどない。お前ほどの魔術師が、こんな道を選んだことが――そうだな、正直言って残念だよ。まったく悪い考えだ」

「君ほどの魔術師に惜しんでもらえているとはね。それが知れただけで、うん、甲斐があったって思えるくらいだ。まあ、はは。それはそれとして、君のことは嫌いだけどね、僕は」


 笑う女性。男は、いや、シルヴィアだって、彼女の名前は知っていた。

 かつて《月色の魔女》の二つ名を持ち、魔術師として最高の位階である《魔導師メイガス》の称号を得ながらも、その全てを捨てて失踪した女性。


「――ノート=ケニュクス。今は、それとも《月輪》と呼ぶべきか?」

「どうかな。君のことも、今さら《明色の叡智》とは呼べないだろう?」

「呼び名になど興味はない。好きに呼べ。お前だって、魔女と呼ばれたくはないだろう」

「そうだね。なら」


 かつて世界でただひとり、魔女と呼ばれた女性が言う。

 同じ魔導師を。教授とあだ名される男の名を。


「――《全理学者インフィニティ》の、ユゲル=ティラコニア。今はあえて、七星旅団セブンスターズ三番目サードと、そう呼ぼうか」


 男――ユゲルは答えず、さりとて月輪ノートから視線も逸らさず。

 言った。


「いい考えだ、悪くない」

「……」

「さて、アイリス。悪いが俺も、この女を相手にしながらとなると、お前の足手纏いになる。先に行け――言っておくが、あとで追いつくとは言えんぞ」

「……わかった」

「ああ、シルヴィアなら心配するな。彼女なら、むしろあの中にいたほうが安全だろう」

「……そうならないようにするために、わざわざ心を折ったんだけどね」


 苦笑するノートは、けれどアイリスを止めようとはしなかった。ただユゲルだけを見ている。

 アイリスは逆らわない。疑問さえしない。

 今、もしユゲルが隣にいなければ、アイリスは何ひとつの理解さえ得られず、自分が死んだということにさえ気づかずに――死んでいた。

 そのことが、わかっているから。

 この場にいて足手纏いになるのが自分だと知っているから。それでも、ほかの場所でなら役に立てるかもしれないのなら、移動することを厭わない。


「……」


 何も言わずにその場を離れた。ふたりは、それを見送りもしない。

 月輪は手を出せない。ユゲルも手を貸せない。


「……できた子だね。いや、ある意味では当たり前なのかな」

「まったくだ。ほかの奴も見習ってほしいくらいだね。もっとも、お前がそういう風に作ったんだろうが」

「どうだったかな。覚えていない……と言っても、まあ、君は信じないか」

「さてな。さて――ノート。お前と戦うのは初めてだが、お手柔らかに頼もうか。俺にはシグウェルほどの強度がないからな」

「その約束はできないね。僕も今回は悪いけれど本気なんだ。七星から消えるふたり目は(丶丶丶丶丶丶丶丶)、君だよ――ユゲル」

「は。――面白くもない考えだ」


 そして。おそらくは史上において。

 最巧(丶丶)の魔術師戦が、ここに始まる。


 否――始まっていた(丶丶丶丶丶丶)

 ×銀色シルヴィアvs鈍色ガスト

 ○銀色ノートvs鈍色シルヴィア

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