4-48『銀色vs鈍色』
シルヴィア=リッターとガスト=レイヴの付き合いは、彼女がまだ王国所属の騎士だった頃に遡る。
シルヴィアの生家は魔術師の家系で、貴族のような権利や伝統は持っていなかったけれど、それなりの歴史がある一族だった。特徴があるとすれば、初代の当主は吸血種の女と血を混ぜたと言われているくらいか。
純粋な吸血種は、今はもう世界に残っていないと言われている。ただ、かつての名残か、リッター家にはときおり吸血種としての能力を持つ子が生まれることがあった。類い稀な身体能力と、吸血――つまり血を媒介にする魔力の吸収能力。人類種としての特性と、吸血種としての特性の両方を併せ持つ者。
今代のリッター家に生まれたふたりの姉妹――シルヴィアとフェオ。そのうち、吸血種としての特性を持って生まれたのはフェオのほうだ。シルヴィアには引き継がれなかった。
とはいえ、大した問題ではない。吸血種特性の有無で冷遇も厚遇も特にされない。リッター家の中だけではなく、世間においてもだ。それに比べれば、男子が生まれなかったことのほうがまだしも重視された問題だと言える。
まあ、別に貴族でも領主でもなし。男子が生まれなければ、女子が当主の座につくことも普通にある家系だった。比較論であって、結局のところ大した問題というわけじゃない。
リッター家に特有の水色の瞳に、流麗な銀髪。それを持つからというわけではなく、単に長子であるからという理由で、シルヴィアは次期当主に選ばれた。まあ、当主だから何があるというわけでもなかったのだが。
だから姉妹仲は悪くない。妹のフェオは、吸血種の特性が出たからだろう、姉とは違う色の髪で生まれたが、その程度の違いはお互いにお互いを羨むくらいだった。自分の持っていないもの、大した理由なく欲しがっただけだ。
やがてシルヴィアは騎士になる。当主といっても領地やら何やらがあるでもなく、食べるためには仕事がいる。
その中で、王国騎士という仕事に就けたのは、まあリッター家の力の影響がないとは言わないにせよ、ひとえに本人の優秀さからだろう。
単に魔術の技量だけでは騎士になれない。騎士は剣を持つものであり、つまり魔術と平行して剣術を納めなければならないからだ。
その上で王国に忠誠を誓い、騎士団に所属し、さらに武功を立て出世して騎士団長にまで登り詰める――となれば、ちょっとした武勇伝と言えるだろう。才能だけではなく、これには運も必要で、シルヴィアはその両方を持っていた。
一生、このまま生きていくのだろうと思っていた。
冒険もなく、挑戦もなく。一介の兵士として無難な一生を。恋愛も、場合によってはできないかもしれないが、それは努力次第か。
ともあれ、そんな風に、きっと人生の終わりまでが決まっていて。わかりきった一生を過ごして。最後まで。
それが嫌だったわけじゃない。むしろ望んで手に入れたものだ。厳しい訓練を乗り越えたのは、騎士になって安泰な人生を過ごすためだったし、明日も知れぬ冒険者として生きていくことのほうがむしろ御免だ。
そう思っていた。いや、なんなら騎士を辞めたあとも、考えは大して変わっていない。
あのまま騎士を続けていても、別に後悔はしなかっただろう、と。
シルヴィアは思う。
その考えが明確に変わってしまったのは、ある戦争に参加したときだ。
騎士の仕事は戦いで、その意味では命を落とすこともある。とはいえ騎士階級ともなれば参加する戦場も変わるもので、まして団長たるシルヴィアは別に前線に立っていたわけじゃない。
戦い自体、隣国とのちょっとした小競り合いだ。それでもヒトは死ぬけれど、それでもシルヴィアは死ななかっただろう。
――それが油断だった、とは言えない。
ただ、それでもシルヴィアは死ぬ寸前まで行った。巡り合わせでたまたま向かった箇所に、たまたま敵国で最強と名高い怪物がいて、たまたまその目標がシルヴィアに向けられた。
強力な魔術師だった。あとで知った話では、元は同胞だったという。国を追われ亡命し、その能力を隣国に売り払って生き延びた犯罪者。
――殺人狂だったのだ。
殺す、というただそれだけに傾けられた魔術は、幾人もの兵の命を奪った。それは戦争ではなく殺戮だ。シルヴィアは闘争の相手ではなく、ただの獲物に過ぎなかった。
――ああ、死んだな。
そう思った。安泰だなんだと思っていた人生が、こうもあっさり崩れるのだから笑わせる話だ。走馬燈の中でシルヴィアは苦笑する。死にたくないのなら、それこそ戦場に立つような職業を初めから選ばなければいい。その時点で間違いだ。
だから、実のところあまり後悔はなかった。後悔がない、という事実に後悔しそうになるほど、シルヴィアは自身のことに無頓着だった。
心残りがあるとすれば、だから、それは妹のことくらいだ。
仲はいい。と、そう思う。思っていた。
だが、妹に実は嫌われているんじゃないか、なんてシルヴィアは思っていたのだから。
厳しくしたという自覚がある。歳はそれなりに離れていたし、だから当然、シルヴィアはフェオの遙か先を歩いていた。
けれど、才能ならフェオのほうが遙かにあった。ほかの誰でもなく、シルヴィアがそう考えていた。
フェオはいずれ自分を越えるだろう。騎士団長なんて肩書きに縛られた自分と違い、フェオならばきっとどこへでも、行きたいところまで歩いていける。それだけの力を、だから自分が与えてやらなければ。
そのために厳しくした。フェオは気づいているのだろうか。
何を教えても、姉に届かないと思っているのだろう。本当はシルヴィアより、ずっと覚えは早かったのに。
だから――それだけが。
フェオに、最後まで教えてあげられなかったことだけが、彼女の心残りだった。とはいえ、フェオなら自分でどうにでもなるとも考えていたけれど。
――とまあ。
そんな風に諦めきったシルヴィアの人生は、もちろんそこでは終わらなかった。
敵の大規模な魔術攻撃は、あっさりと防がれていたからだ。
そのときのことは、今でもよく覚えている。
「……ふう。間に合った――って、言っていいのかわからないけど」
そんな声がした。シルヴィアは目を開く。
そこに立っていた女性の姿に――シルヴィアは目を奪われた。
恋に落ちたのかもしれない、なんて。そんな間抜けな錯覚をして。
シルヴィアは、生涯忘れない光景と出会う。
「もう大丈夫。あとは任せて――このわたしが全部、請け負うからさ」
その女性のことは、シルヴィアでも知っていた。一度だけ王都で見たことがある。
生きながらにして伝説と呼ばれる冒険者。
最強の七人のうちのひとり。その団長を勤める女傑。
――《辰砂の錬成師》マイア=プレイアス。
「んじゃ、キュオは辺りのことよろしく! アイツはわたしがやってくるから!」
「うん、お願いね、マイア。でも早めに終わらせてよ? アスタたち、間違いなく怒ってるからねー?」
「このわたしに『行くな』なんて言う国王さんが悪いんだよ。そう言われたら、逆に行きたくなるに決まってるじゃん、ねえ?」
「はいはい。いいから行ってきてー。お呼びみたいだよ。因縁があるんでしょ?」
「ま、ね。元同級生。――だから後始末は、自分でやらなきゃ」
そんな会話が、シルヴィアとまったく関係のないところで繰り広げられる。
そう。それはきっと、シルヴィアの物語でしかなかったのだろう。主役は彼女で、その仲間が共演で、シルヴィアたちは観客だ。壇上にすら立っていない。
彼女たちには彼女たちの物語があり、自分とはまるで関係ない。
そう。だから実のところ、その記憶はあまり愉快なものではなかった。
仮にも戦場で。国と国との争いで。
彼女は《個》として成立する。その異常性、その埒外さは、はっきり言って何を考えるのも嫌になるほどだった。
こんな化け物が存在して。
じゃあ、私はいったいなんだってうんだ。何者になれるというんだ。
命を助けられておきながら、シルヴィアの脳裏に浮かんだのは、そんな逆恨みにも似た感情だ。自分の努力を、これまでを、あるいは存在そのものを、全てなかったものにされたようにさえ思えてしまった。
思えてしまったのにも関わらず。
そのことが、そうショックでもない自分に、おそらくいちばん驚いて。
結局、その事件ののち、シルヴィアは騎士職を辞した。
騎士の仕事が嫌になったわけじゃない。自分では一生かかっても届かないような存在がいるという、その事実に驚かない自分が嫌だった。
もっと悔しがるべきだった。血を吐いて、涙を流すべきだった。
それができる自分を、見つけなければいけないと思った。
騎士を辞す寸前、彼女はひとり地元の冒険者管理局を訪れる。
何か考えがあったわけじゃない。ただ、そういえば自分は冒険者という仕事について、あまり詳しく知らなかったと――そう思っただけだ。
そこで、シルヴィアはかつての幼馴染みと再会する。
「――あ? お前……シルヴィアじゃねえか。久し振りだな」
「……ガスト、か? なんで、こんなところに――」
「こんなところって、お前。決まってんだろ、冒険者なんだよ、俺ぁ」
かつての友人。別段、取り立てて仲がよかったわけでもない知人。
ただ幼い頃、近所に済んでいたと言うだけの間柄。顔を見るまで忘れていた相手。
それが、ガスト=レイヴとの再会だった。
※
銀色の鼠が宙を舞う。それは、確かに美しかった。
だが地を這う鈍色の鼠は、繰り出される剣戟を最小の動作だけで躱す。ときに身を反らし、ときに逆手で握った小刀でいなし。それは力なき弱者が、生き残るための手法だった。
「――、っ!」
埒が明かない、とシルヴィアは剣をひときわ大きく振るう。そんな攻撃は当然、ガストには通用しなかったが、少なくとも距離を取ることには成功した。
何度目かの交錯は、それまでと変わらず互いに一撃たりとも食らわず、食らわさずという結果に終わる。
シルヴィアは歯噛みした。本来、シルヴィアのガストの数値的強度には明白なまでの差が存在している。所詮は低級の冒険者でしかなかったガストと、仮にも騎士団のひとつを預かっていたシルヴィアとでは、そもそもの才能が違いすぎるのだから。
けれど倒せない。シルヴィアの攻撃が通用しない。
強いのではなく――巧いから。
魔力による肉体強化には限度がある。質としてはシルヴィアのほうが上でも、それがそのまま致命的な差にまで至るわけじゃない。
だから、こと近接戦闘に限って言うのなら、ガストの身体能力でもシルヴィアに食い下がることは可能だ。そして技術的に言えば、型に嵌まった道場剣術を用いるシルヴィアはガストに一歩劣った。そして息をつかせぬ近距離での攻防ならば、魔術もそう簡単には使えない。
それが悪いというわけじゃない。型があるということは、翻せばそう簡単には崩れない土台があるということだ。悪いのはシルヴィアの技術というより、むしろガストとの相性だと言うべきだろう。
そういう格上を翻弄し、素早く動き回って逃げ道を作り続けることこそが、弱者の生き方なのだから。
騎士の戦いは勝って当たり前のものだ。
そうそう決闘なんてしない。騎士とはすなわち兵士であり、戦闘というより鎮圧と平定が責務である。ひとりの相手にふたりで当たり、確実に職務をこなすことが求められる。
一方で冒険者たるガストの戦いは、負けて当たり前のものばかりだった。敗北が死に直結する迷宮での戦いで、それでも定められた敗北を覆すには――能力によらない策を見出すほかない。
――それが、ふたりの違いだった。
能力で勝っているはずのシルヴィアが、ガストを押し切れない理由がそこにある。
「どうした? ずいぶん情けない姿を見せてくれるじゃねェか、団長さんよォ?」
挑発的な笑みを見せるガスト。ただ、それではシルヴィアを崩せない。
結局のところ、シルヴィアが有利であることに変わりはなかった。ガストの行為は細い細い綱を渡り切ろうという危うさの上に成立している。一歩でも踏み外せば、その瞬間にシルヴィアがガストの首を叩き落とす。
シルヴィアだって、冒険者として相応に活動してきたのだから。
ガストが未だに生き永らえているのは、彼女に冒険者としての流儀を教え込んだのが、ほかならぬガスト本人であったからに過ぎない。
その事実が、知らない誰かを相手取るのとは次元の違う精度で読みを成功させている。
まるで舞踏するように。二匹の鼠が夜を狂った。
「――……」
シルヴィアの持つ銀色の剣。切っ先を地面に向けたそれが、ふっと揺れる。そのわずかな動作さえガストは見逃さなかった。
剣士にとって、おおよそあらゆる動きは《儀式》となり得る。紡がれる言葉も、視線の動きも、ほんのわずかな指先の動きさえ。そこに《意味》があるなら、それは魔術として成立し得るのだ。
当然、その再現性が薄いほど魔術の効力も弱まる。とはいえ、それでも行動の全てを戦いながら制御するなんて不可能だ。本来なら剣術だけではなく、ここには魔術が飛び交っていて然るべきだった。
だが、シルヴィアは魔術を作れない。
その全てを阻害されている。いくらなんでも、ガストにそこまでの技量はなかったはずだ。砲台型ではない、近接戦闘に長けた高機動型の魔術師が絶滅しないのは、対人に特化した術式成立を得意とするからだ。
いくらなんでも、使おうとする魔術が全て不発になるなんてあり得ない。
――だと、するのなら。
「その……指環」
シルヴィアは、そんな風に口を開く。
「なんだ、ようやく気づいたのか」
ガストは笑った。彼の右手の人差し指には、月の光を鈍く跳ね返す、銀の指環が嵌められている。
魔術の阻害がガストの技量によるものではないのなら、魔具の力を借りている可能性が最も高い。ガストもそれを否定しなかった。
「教団にいると、こういう魔具が支給されるんでな。タラスの攻略んときも、俺が持ってきた魔具は役に立っただろ?」
「…………」
どの口が、とは思うものの、その程度の挑発を受け流せる程度には、シルヴィアも冷静さを取り戻していた。
そんな内心を知ってか知らずか、ガストは口元を半月型に歪める。
「《夜の指環》っていう名前らしいぜ」
左に小刀を逆手に持ったまま、ガストは右手を上に持ち上げた。まるで掌を月明かりに翳すように。
「便利なモンだ。嵌めてるだけで、空間の魔力流を乱してくれる。大規模な術式は防げねえが、簡易儀式程度なら、七星クラスの制御力でもなきゃ使えねえよ」
「……………………」
「なんだよ黙りか? この程度で絶望されちゃ面白くねえんだけどなあ」
つまらなそうに吐き捨てるガスト。シルヴィアは目を細める。
「……ずいぶんと饒舌だな。貰い物の魔具がそんなに気に入ったか」
「連れねえなあ。お喋りが過ぎるくらいは大目に見てくれよ。なにせ久し振りだしなァ、話してェことはいくらでもあんだ。それに――」
ガストの視線が、シルヴィアを貫く。
瞬間、シルヴィアは反射的にその場から飛び退いた。背筋を貫いた悪寒に、それを知覚した自身の勘に逆らわず、回避の一手を打った。
「――時間稼ぎにゃ、ちょうどよかっただろ?」
そして、刹那。シルヴィアがそれまで立っていた地面が――弾ける。
舗装された石畳が、敷き詰められた石材が、砕け散って瓦礫に変わった。その一瞬に見えた一条の光を、シルヴィアは確かに目に留めている。
――今、シルヴィアの見た光景が正しいのなら。
その攻撃は上から来た。
夜の空から高速の光線が降り注ぎ、地面を抉って破壊したのだ。
「……よく避けたな」
ガストはむしろ愉快げに笑う。だがシルヴィアは慄然としていた。
――何ひとつ、前兆を感じなかったのだ。
普通、どんな魔術でも、魔力によって為される以上、魔術師ならその前兆を感じ取れる。空間に、世界に作用する魔力の流れを、感覚として察知できるからだ。
それが一切ない。
回避できたのは偶然だった。魔力ではなく、ガストの視線に嫌な予感を覚えたこと。そして魔術の攻撃範囲が狭かった――それこそ細い糸のような光線だったこと――が功を奏したに過ぎない。
――まずい……!
シルヴィアは思考する。どんな魔術なのかは一切不明だ。だが今の攻撃が、本当になんの予兆もなく指定した地点を穿てるものならば致命的だ。
魔術を阻害され、近づくことでしか攻撃できないシルヴィアにとって、相手の攻撃だけは通るという状況なのだから。こちらが近づくということがわかっている以上、その軌道を読まれては当てられる。
ただでさえ、手の内の読まれた相手なのだから。
咄嗟に、シルヴィアは背後へと駆けた。そのまま近場の建物に駆け込んで姿を消す。
空からの攻撃ならば、今の程度の威力ならば、とりあえず天井がある場所に移動することで防げるだろう。建物を荒らすことは申し訳ないが、住人たちはすでに自主的な避難を完了している。
物理的に巻き込まないのであれば、とりあえず、それで構わないだろうと。
――そういえば。
ふと、シルヴィアは思った。
いったい住人たちはいつの間にいなくなったのだろうか、と。
考えながら、シルヴィアは建物の階段を駆け上がった――。
※伝達事項的な※
四章は残り十三話です。
と、本当は今日の更新で言うつもりだったんですが……計算だとシルヴィア対ガストは一話で終わる予定だったので。
もう計算狂いました無理です。毎度の伸びる芸(いや芸のつもりないんですけど)、申しわけござりませぬ。
残り十三話です(でも言う)。
あと書籍版2巻に関しての情報ですが、これは早ければ来週にでも。
活動報告やツイッターなどで公開しますので、よろしくです。
ではでは次回、第四章四十八話でお会いしましょう。




